おのずと文章化できます。表札をつかえば要約が書けます。現地にいたときよりも現地の様子がよくみえてきます。
KJ法のコツ「文章化」 ①〜③ を以下にまとめます。
データカード(あるいはそれに相当するファイル)とKJ法図解があれば、どんなにデータがたくさんあっても、どんなにデータが多様であっても、ほぼ自動的におのずと文章が書けてしまいます。どんなにながい文章でもおどろくほど自然にできあがります。苦痛もありません。くわえて、単純明快な日本語の原則もつかえばわかりやすい文章になります。幾多の報告書や論文などをこの方法をつかってわたしは書いてきました。
なおKJ法図解をつかえば要約も簡単につくれます。図解中の表札をつなぎあわせます。
ネパール西部、サリジャ村 − 状況把握 −
要約 サリジャ村は、ネパール西部のヒマラヤ中間山地に位置し、先住民族系のマガールとインド系のバフン・チェトリとが住み分けてくらしている。全人的なやりとりを基盤とする有機的なコミュニティと伝統的な地域文化がかいまみられ、人間味あふれる顔の見える世界がまだ息づいている。
近年は、最新情報機器の普及や人々の往来・交流により外来文化が流入し近代化がすすみつつあるがインフラ整備はおいつかず、外国への出稼ぎで男性はいなくなり、生活基盤・生活様式が悪化したり、女性たちが苦労したりするなど、問題が発生している。
生活改善では、保健所の開設や改良かまどの設置などがようやくすすみつつあり、また苗畑を運営し植林をすすめるなど、環境保全事業もすこしずつすすんでいる。半農半牧の自給自足生活を伝統的にしていた村人たちは、それは今ではこわれて畑作が中心になりつつあるが、農牧業を振興させる努力をつづけている。また女性たちは、手漉き紙事業と機織り事業といった地場産業をおこし、地域を活性化させている。
1. 住み分け
サリジャ村は、ネパールの首都カトマンドゥから西北西へ直線距離にして約180kmのところに位置し、ネパール西部・パルバット郡に属し、アンナプルナ山麓(斜面)に発達した、風光明媚なネパールの典型的な山村である。ネパールの緯度は北緯27度付近、日本だと奄美大島のあたり(気候帯は亜熱帯)であるが、サリジャ村は、標高が約2000mあるため気温がさがり、気候は温帯の範囲にはいり、とてもすごしやすい。
サリジャ村の上部地帯には、マガールとよばれる先住民族系の人々が畑作と牧畜をいとなんでくらしており、サリジャ村内の下部地帯には、バフンあるいはチェットリとよばれる、インドから大昔に移住してきた人々の子孫が水田稲作と牧畜をいとなんでくらしている。両者は、きれいに住み分けている。
2. コミュニティ
顔の見える世界
サリジャ村では、道ばたで誰かとすれちがうときに声をかけて近況を聞きあう。村人全員が顔見知りであり、村人全員の顔と名前を誰もがしっている。見たことが無い人がいればすぐにわかる。日本人メンバーの1人が一緒に仕事をしているコピラさんやガンマヤさんと村内を歩くと、村の道ではない知り合いの家の庭をずんずんふみこんで近道をいく。通るときもことわりをいれる必要はなく、通る方も通られる方も「ご飯食べたの?」と挨拶する。
どこの家も家畜を飼育しており、村人は、食べたご飯の残りを家畜にやってから洗い場で食器をあらう。家畜たちは、家の前のちょっとした広場をいつも歩いている。ニワトリが自由に畑を歩きまわり、虫や植物を食べて糞をする。ヤギの赤ん坊は夜になると家の中にいれる。家と家の前の空間、家畜小屋、洗い場、トイレが一本の動線でむすばれている。
村は、9つのワード(地区)にわかれていて、ワード6(第6地区)のリーダーのアビルさん(42歳)に話をきいた。村には、学校と各種委員会があり、学校長と委員長が大きな役割をになっている。委員長は、6〜7年前までは選挙で決めていたが現在は他薦により決定する。民間レベルの問題は、近くの人々をよんで、おたがいにたすけあって村人同士で解決する。村人が死亡したときは、以前は、13日間その場に安置していたが、現在は、2〜3日間その場に安置し、それからみんなで火葬場へ運ぶように話しあって変更した。
素朴な子供たち
サリジャ村の子供たちは、土や石・草のうえを裸足でかけずりまわっている。2月の寒さの中でも家の敷地内では裸足で遊ぶのがあたりまえのようになっている。またヤギをおいまわし、素手でつかむ。この村には、ゲーム機やおもちゃ・人形はなく、生きたものを素手でつかんで子供たちは遊んでいて、小さいながらも素手でつかむ方法を心得ている。
女の子たちは、はたらく母の姿をよくみてそだつ。「私もそれをしょいたいから作って」とたのみ、ドコ(しょい籠)をしょっている少女がいた。3〜4歳程度なのでとても小さいサイズのドコを作ってもらって、学校にいくとき以外はどんな時でもそのドコをかついで歩いている。
小さな子供たちは、もっているお絵描き帳に絵を描いてあそぶのをこのむが、描く絵はいつもおなじである。自分で描けるのは誰かに教わった蓮の花である(サリジャ村では蓮の花を見た事は無い)。その他、誰かに教わった絵描き歌で習った人の絵など、見たことがない絵が多い。外国人に接すると、いろんな物を描いてとしきりにねだってくる。描いてあげるとそれにつけたしたりまねしたりしてたのしそうに自分で描いていく。子供たちは、村の外の世界をほとんどしらないため自分で描きだすにはヒントがいるようだ。
結婚事情
サリジャ村をふくむ一帯には「メラ」とよばれる祭りが年に1回あり、結婚相手をみつける一大イベントになっている。祭り期間の約5日間で、自分の村以外の人のなかから相手を見つけ、プロポーズまでする。祖父母の世代は、気に入った相手を見つけるとおんぶして逃げたそうだ。父母の世代は、結婚の許しを親に請う必要があったが、今の世代は、自分の意志でつれだす。父の世代では、親のきめた人と結婚しなくてはならなかったので本人の気持が無視されていたが、今は、2人の気持が合ったら結婚というスタイルになり、男女の心が尊重されるようになったので大変よくなったと若い人たちはいう。ネパールの一般的な人々にくらべてマガールの人々(マガール民族)は男性よりも女性の方が強いとのことである。
結婚に関する話題になると男女ともに盛り上がる。男性では、出稼ぎに関する諸外国も話題になる。未婚女性では、ボーイフレンドの話題、既婚女性では、夫の収入や家庭が話題になる。
サリジャ村には、「結婚はしない」という女性たちもいる。10代のうちに結婚するか、もしくは一生結婚しないかのどちらかになっている。しかし別の機会に結婚が話題になると、「日本人を紹介して欲しい」といったりする。結婚したことをかくしている人もいる。ある人は、自分の妹の結婚式を、「村のみんなには言ってないから、隠しておいてね」といっていた。
以上のように、サリジャ村には、伝統的な地域文化そして全人的なやりとりを基盤とするコミュニティがまだのこっているといってよいだろう。
3. 矛盾葛藤
外来文化
しかしサリジャ村にも近代化の波がおしよせてきている。サリジャ村の人々はラジオ(電池式)でおもに情報を収集する。ダウラギリFM、バグルンFM、メャグディカリFMの3つをメインで聞いている。電気が通じたときにはテレビも見る。マーグ(1月中頃〜2月中頃)に電気が一度とおったので、テレビのある家にその時はみんなであつまったがすぐに停電になり、今はまた見られない状態だ。2〜3年前からはソーラー電池でテレビを視聴する家庭もでてきた。新聞はない(日本の地方紙にあたる「高地新聞」もとどかない)ので、買い物などで村外にでかけた人や出稼ぎからもどってきた人たちからあらたな情報をえることが多い。他人から聞いた話が人から人へとそのまま伝えられる。他村へ会いにいくときは、9割はジープを利用し、恋人と会う場合など、他人に知られたくないときには徒歩ででかける。
近年、携帯電話も急に普及しはじめた。以前は手紙をつかったが、今では、他村の知人とは携帯電話で連絡をとるようになった。日本人メンバーの1人がホームステイした家では、出稼ぎで外国にいっている夫から電話連絡が1日1回あるという。
またその家の子供のコモロは iPod を所持しており(近隣の大都市ポカラで購入)、最近の欧米の音楽(南アW杯の公式テーマソングやブラック・アイド・ピースなどの POP や HIP HOPなど)をきいていた。学校の PC をつかって iPod に音楽をインストールしている。家の内壁には、新聞やポスターがはられており、インド人女優やヨーロッパのサッカー選手のものがみられる。
人形づくりの講習会を村内でひらいたところ、服とジュエリー作りに女性たちは興味をしめした。女性も男性も手間のかかる下地づくりをへて、最終的に、人形に洋服や飾りをつける行程にくるまでを心待ちにしているようだった。洋服やアクセサリーをつける行程は、自分たちの個性をだせるので思い思いに自分の好みの色や飾りをつけてたのしんでいた。女性たちはとくに、いま町で流行している赤と緑のコンビネーションを好んで作りたのしんでいた。自分たちはもってはいないが近隣の町の流行はしっかりと理解している。流行に敏感である。
また村人は、近隣の村々の人々と交流できるので年に一度の祭りをとてもたのしみにしている。いつはじまるのか気になり、みんなの話題になる。バスケットボール・バレーボール・ダンス・音楽演奏などがおこなわれる。酒もでる。見合いの場にもなっており、男女の心が一つになれば祭りの間に結婚が決まることもある。
このように、最新の情報機器や帰村者によって村外の情報が流入し、また人々の往来や交流によって外来の文化がこの山村にも根づきつつあるようだ。あらたな娯楽もうまれている。村は変わっていく。
おくれる近代化
しかしサリジャ村は、交通の便がわるく、インフラ整備もすすまず、他村にくらべて開発はおくれているといわざるをえない。
ちかくの都市クスマとサリジャ村の間で人と物資を運ぶ交通手段は1日2〜3便のジープである。村全体で、ジープを1台、バイクを1台所有している。
3年前に電線はとおったが電気はずっときていなかった。1ヵ月程前にやっと電気がきて皆でよろこんだが4〜5日ですぐまたこなくなった。どこかがきっと故障したのだろう。
尾根をこえた北側にはナンギ村があり、サリジャ村よりもそこは開発がすすんでいる。サリジャ村は、電気・ガス・水道・道路などのインフラ、学校、農業なども、あらゆる点でナンギ村よりもおくれている。サリジャ村の人々は、ナンギ村の様子に触発されて、「俺たちも」というように村の発展に力をいれはじめ、日本の NGO にも協力をもとめた。
トレッキングルート(観光ルート)からはずれているためか、ゴミ処理プログラムもうまくいっていない。民家と民家をつなぐ森の道を歩いた際、人目のつかない場所にプラスチックなど、腐敗しないゴミが捨ててあった。そのほとんどがチャウチャウ(インスタントラーメン)や菓子の包材である。ゴミ捨て場(1つ:約1.5m×3.5m)が村内に8ヵ所ほど設置されているにもかかわらず、スナック菓子やペットボトルのゴミが村のあちこちに散乱している。
村の学校も、規模は大きくなったがニーズにはこたえきれていない。学校は、1958年に設立され、1〜10年生は政府、11〜12年生は村々が出資してきた。5年前から倍の規模になり、生徒は350人、先生は21人、ともに、チェトリやマガールなどの民族が混在している。目の見えない生徒のための下宿施設もある(5年前から倍の規模になった)。生徒は、サリジャ村出身者が多いが、他村からも一部きている。授業はシフト制(7〜11時、10〜16時)である。給食はなく、必要な生徒は売店で軽食・スナックを買う。サリジャ村から遠く離れた地域出身の先生は単身赴任し、学校の近くに住んでいて、休学期間には実家に帰る。先生は、定期的な異動はなく、希望を出して異動が決められる。経済的な理由などにより最終学年(12年)まで全生徒がかよえるわけではなく、5年、10年、12年を区切りとしてつぎつぎに退学していく。制服は自費であり、教科書・テキストは8年生までは貸し出しがある。ゴルカ基金(退役軍人とその家族・地域のための基金)からの出資もある。
出稼ぎの現実
サリジャ村内のワード6(第6地区)で出稼ぎについて聞いた。サリジャ村の人口は約2100人、ワード6の人口は約500人である。男性は、10人中8人が外国へ出稼ぎにでている。18〜45歳までの働き盛りの男性は村にはほぼおらず、なかには60歳でも出ていく人もいる。最近では、村に登録されている人口と実際に生活している人口とは大幅にくいちがい、このあたりではサリジャ村がもっともちがいが大きい。
男性は、出稼ぎの体験や、出稼ぎにいった人からきいた様々な国の内情や稼ぎ、仕事の内容などをよくはなす。女性は、旦那さんが出稼ぎに行って「いくら仕送りをする」とか、生活の変化についてよくはなす。出稼ぎや外国に関することがしばしば話題になっている。
日本人メンバーの1人がホームステイをした家では、夫(45歳)は、インド・ニューデリーに出稼ぎにいっている。妻(40歳)は家事を家でしている(インドゥラ=クマリ=プンさん)。長女(23歳)は、5歳からクマリとしてクスマにいっていた。現在は未婚でサリジャ村の織物工房の従業員(職人)である(パルマさん)。二女(20歳)は、クマリ(生き神)として近隣都市クスマへいき、現在はクスマの学生である(シッターさん)。三女(18歳)も、クマリとしてクスマへいき、現在はクスマの学生である(サバさん)。長男(17歳)は村の学校にかよう。近隣都市のカレッジ卒業後はゴレパニにある祖父(or おじ?)の経営するホテルを手伝う予定だ(コモロくん)。父と娘は、ダサイン(10月におこなわれる大きな祭り)とティハール(11月におこなわれる祭り)のときにはサリジャ村に帰ってくる。出稼ぎや進学の影響などで多くの家族はバラバラになりつつある。
男性がいないため女性たちの負担が増えていることもみのがせない。たとえば堆肥を森から運びだすのに、大量な堆肥を1回でかつぎださねばならず、ドコ(しょい籠)の大きさが非常に大きくなっている。ドコのサイズは女性たちの背丈に少しだけ満たない程度、ポカラやカトマンドゥ・その他の地域では見たことのない大きさだ。ドコをかつぐ負担が増している。
4. 生活改善
このような状況ではあるが、村人の生活を改善するとりくみがすこしずつすすめられている。たとえば地方政府(地方自治体)の予算により、ヘルスポスト(保健所)がサリジャ村にも建設された。また熱効率がよい改良かまどが一部の家でつかわれはじめ、調理にかかる女性たちの時間が短縮され、負担が軽減されつつある。しかし改良かまどは高額であり、質のひくいものもでまわっているので設置したいとおもっているが断念する人もいる。
5. 環境保全
生活環境の改善もすすめられている。数年まえより苗畑をつくり、管理人をおき、そこでそだった苗木を村内各所に村人たちが植えている。苗木は、10数種類(材木・飼料・果樹など)をそだてた。苗木を隣村に売ることもある。ただしジャングル(森林奥地)から苗畑に土を持ってくるのが大変である。また椎茸栽培にもとりくんだがそれは失敗した。生活様式が変化するなかでゴミが急増したのでゴミ処理を事業化した。試行錯誤をしながらも環境保全事業が植林を中心にすすめられている。
6. 農牧業
家畜の減少
サリジャ村の人々は伝統的には半農半牧で生計をたててきたが、近年は、家畜を飼う村人は目にみえて減少し、畑作農業が中心になりつつある。たとえばニワトリは、1軒につき15〜20羽を飼っているが昔に比べてかなり減少した。その理由に、畑でせっかく植えた種や芽をニワトリが食べてしまうということがある。村人は、自分たちの畑で野菜を収穫するので養鶏との両立がややむずかしいという。またスイギュウは、5軒中3〜4件(約70%の村民)が飼育している。ウシを飼う農家は、5件中2件(約40%の村民)程度まで減少している。ヤギは、家によってばらつきがあり、1軒につき1〜10頭を飼育している。
農業振興
畑作農業が中心になりつつあるなかで、農業に関してのアドバイザー(指導者)を村人たちは欲している。野菜をもっとよく成長させて収穫量を増やす方法を知りたがっている。家庭菜園への興味も増している。
またサルやトラ(ヒョウ)による獣害があるので獣害予防の方法も必要である。カカシをたてているが、サルには効果があるがトラ(ヒョウ)には効果がない。
チャレンジ
サリジャ村の平均世帯の家畜所有例はつぎのとおりである。ヤギは1〜10頭、スイギュウは2〜3頭(多い世帯は5頭)、ウシは2〜4頭(3〜4・5軒、雌ウシはミルクのため、雄ウシは畑を耕すために飼っている)、ニワトリは飼う世帯が昔は多くあったが今は減っている(必要なときは市場に買いにいく)、ウサギは2頭(毛を集めたり(アンゴラウサギ)、食用にしたりすることもある)である。
日本人メンバーがホームステイした家では、スイギュウ3頭(雌1、雄2)、ヤギ5頭(大人2、子供3)を飼育していた。
サリジャ村の家畜は、おもにスイギュウ・ヤギ・ウシであり、一部の世帯ではニワトリとウサギも飼育しているといえよう。
ヤギは小さい家畜なので、1頭あたりの飼育面積をあまりかけずに比較的簡単に増やすことができ、家計に必要な程度に調整しながら飼うことが可能なため、サリジャ村でも、ほぼ全ての農家が1〜10頭を飼っている。飼育が比較的容易なヤギは村人たちの生活をささえている。
アンゴラ毛や食肉用として売れるときいてウサギを飼いはじめた家もある。ある家では、アンゴラをとるために試しに2頭から飼育をはじめ、食用のためには6〜7頭を飼っている。あたらしい試みにチャレンジしながら牧畜・畜産にとりくんでいる。
このように、サリジャ村では、半農半牧の伝統はこわれつつあり、畑作が中心になりつつあるが、農牧業を振興させるための努力はつづけられている。
7. 地場産業
ロクタ製造販売事業
サリジャ村には、ロクタとよばれる低木(ジンチョウゲ科、日本のミツマタの仲間)が自生しており、またネパール・ヒマラヤ各地の山村にはロクタから手漉き紙をつくる伝統技術がつたわっている。ロクタの樹皮をうすくはがし、乾燥させた部分が紙の原料になる。のこった部分は薪としてつかえる。そこでサリジャ村でも、手漉き紙づくりを本格的にはじめ、近隣の都市に販売できないかとかんがえ、日本の NGO の協力も得ながらロクタ紙製造販売事業を村の女性たちが中心になってはじめた。手漉き紙工房を建設し、手漉きの技術をもった職人に近隣の村からきてもらって講習会もひらいた。
ロクタ紙製造販売事業のメンバーのミーティングにおいて事業計画と進捗状況の確認がおこなわれた。紙製品の種類は2種類であり、20g のもの(20×30インチ、10ネパールルピー/枚で販売)と 15g のもの(19.5×26インチ、 7.5ネパールルピー/枚で販売予定)があるが、15g の製品は今は売っていない。20g の製品は、近隣の都市クスマのあるローカル・ビジネスマンに売っている。他の買い手からは提示価格以下を要求されたため売っていない。製品の輸送に関しては、ジープでクスマに行く人に 3〜5ネパールルピー/kg ではこんでもらっている。15g(19.5×26インチ)のものは、首都カトマンドゥの近郊に位置するバクタプール・ハンディクラフトで買いとってくれる紙の大きさであるがまだ販売はしていない。紙漉きでつかうフレームは120個つくった。しわの無い製品がのぞましいが、現在のところ、500枚つくったなかでそれは200枚に満たない。
メンバー・ミーティングにおいてつぎの項目を今後順次実施してくことが提案された。商品(紙)はしわのないものをつくる。つねに同じ厚さにする。巻かないで送る。商品をはこぶときのために紙をはさむ板を大工につくってもらう。買い手の要望どおりになっているかつねにチェックする。
機織り事業
一方、アロー(大イラクサの一種)から繊維をとり、糸を紡ぎ、機織りをする事業も女性が中心になってすすめられている。大イラクサは、6〜8月に成長し、2月には枯れ、ネパール・ヒマラヤでは天然素材としてひろくもちいられている。 小イラクサは1年中成長し、スープにして食べる。
サリジャ村に機織り工房が建設され、工房の床は今は土であり寒いため、石を敷き今後改善する予定である。トレーニング・コースも開催された。トレーニング期間が1週間とみじかかったため作業工程をおぼえるのは大変だった。工房のメンバーは、10から17時まで毎日作業をしており、朝晩は家の仕事をしている。工房での作業と日常の家業の両立は大変であるが充実感があるという。この仕事につく前にくらべて時間的にはいそがしいが毎日が充実している。
この仕事をするまでは父母が現金をかせいでいたが、今は、現金収入を自分で得ることができるようになった。
工房には、たくさんの女性が集まるので会話ができ、また自分達で案をだして商品をつくることができるのでとてもたのしい。小さい子供は家族にあずけて工房にくるが、あずけられない場合は工房につれてくることもある。機織り事業は、現金収入が得られるだけでなく、憩いと創意工夫の場にもなっている。
技術向上のために、外部から指導者をよんだり、自分達で教え合ったりするなどしてトレーニングを随時おこなっている。トレーニングの際には、事前に村内に告知し、以前おしえた経験をもつ女性が講師になって女性たちに縫製を指導する。他村からも、30人もの女性たちがサリジャ村におそわりにきている。
このように、手漉き紙事業と機織り事業という女性たちがになう地場産業が地域社会を活性化させているといえよう。
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▼ 参考文献
川喜田二郎(著)『野外科学の思想と方法』(川喜田二郎著作集 第3巻)、1996年、中央公論社
川喜田二郎(著)『KJ法 渾沌をして語らしめる』(川喜田二郎著作集 第5巻)、1996年、中央公論社
田野倉達弘(著)『野外科学と実験科学 − 仮説法の展開 −』、2023年、アマゾンKindle
田野倉達弘(著)『KJ法実践記 情報処理と問題解決』、2023年、アマゾンKindle
田野倉達弘(著)『国際協力とKJ法 ネパール・ヒマラヤでの実践』、2024年、アマゾンKindle
(冒頭写真:ネパール、カトマンドゥ、バサンタプル(王宮広場)、1998年2月20日、筆者撮影)





