「シルクロードの旅」展(東洋文庫ミュージアム) – ネットワーク共鳴説 –

ルートをたどりながら地図上で歴史がわかります。ネットワーク共鳴がおこりました。東西にのびるユーラシア大陸でのみ強大な文明が成立しました。

ルートをたどりながら地図上で歴史がわかります。ネットワーク共鳴がおこりました。東西にのびるユーラシア大陸でのみ強大な文明が成立しました。

「シルクロードの旅」展が東洋文庫ミュージアムで開催されています(注)。

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シルクロード・ネットワーク
シルクロード=ネットワーク概念図
『The Silk Road』
『The Silk Road』
スウェン=ヘディン、1938年、ロンドン刊
『古代絹街道』
『古代絹街道』
アルバート=ヘルマン著、安武納訳、1944年、東京刊
『ガンダーラのギリシャ仏教美術』
『ガンダーラのギリシャ仏教美術』
フーシェ、1905-1917年、パリ刊
『唐代金銀器』
『唐代金銀器』
鎮江市博物館・陝西省博物館編、1985年刊
『大般若波羅蜜多経』
『大般若波羅蜜多経』
8世紀(奈良時代中期)書写、巻230
『梵語千字文』
義浄, 9世紀(唐時代)頃書写
『梵語千字文』
義浄、9世紀(唐時代)頃書写
『中央アジアの仏教古代後期』
アルべルト=フォン=ル=コック, 1922-1926年, ベルリン刊
『中央アジアの仏教古代後期』
アルべルト=フォン=ル=コック、1922-1926年、ベルリン刊
『セリンデイア』
マーク=オーレル=スタイン, 1921年, ロンドン刊
『セリンディア』
マーク=オーレル=スタイン、1921年、ロンドン刊
『古代コータン』
マーク=オーレル=スタイン、1907年、オックスフォード刊
『アヴェスタ神と中央アジア仏教図像学との関係』グリュンヴェーデル, 1924年, ドイツ刊
『アヴェスタ神と中央アジア仏教図像学との関係』
グリュンヴェーデル、1924年、ドイツ刊
『千仏』
『千仏』
マーク=オーレル=スタイン、1921年、ロンドン刊
『高昌(ホッチョ)』
アルベルト=フォン=ル=コック, 1913年, ベルリン刊
『高昌(ホッチョ)』
アルベルト=フォン=ル=コック、1913年、ベルリン刊
『歴史』
ヘロドトス, 紀元前5世紀成立, 1679年, ロンドン刊
『歴史』
ヘロドトス, 紀元前5世紀成立、1679年、ロンドン刊
『史記』(匈奴列伝)司馬遷著、紀元前90年頃成立、1525〜27(嘉靖4〜6)年刊
『史記』(匈奴列伝)
司馬遷著、紀元前90年頃成立、1525〜27(嘉靖4〜6)年刊
『仏国記』
法顕(ほっけん), 5世紀前半成立, 1628-44(崇禎年間)刊
『仏国記』
法顕(ほっけん)、5世紀前半成立、1628-44(崇禎年間)刊
『西安北周安伽墓』陝西省考古研究所編, 2003年, 北京刊
『西安北周安伽墓』
陝西省考古研究所編、2003年、北京刊
『マルコ・ポーロ卿の書』(東方見聞録)』
ヘンリー=ユール訳注, アンリ=コルディエ増補, 1903年, ロンドン刊
『マルコ・ポーロ卿の書(東方見聞録)』
ヘンリー=ユール訳注、アンリ=コルディエ増補、1903年、ロンドン刊

『The Silk Road』(スウェン=ヘディン、1938年、ロンドン刊)は、「Silk Road(シルクロード)」という名称を世界にひろめました。シルクロードは、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、シルクロードをドイツ語で意味する「ザイデンシュトラーセン」とよんだ(1877)のが最初とされていましたが、近年、もうすこし前からつかわれていたとする研究もあります。

『古代絹街道(しるくろうど)』(アルバート=ヘルマン、安武納訳、1944年、東京刊)は、日本で、シルクロードを最初に紹介した訳書です。

『ガンダーラのギリシャ仏教美術』(フーシェ、1905-1917年、パリ刊)は、古代仏教の中心地であったガンダーラの仏教美術を解説しており、東西の文化交流をしめす重要な資料でもあります。仏教はじまりの地である北インドでは仏像は製作されませんでしたが、ギリシア系の人々が北西インドに侵入してからは、彼らの間で仏教がひろまると製作されるようになりました。ガンダーラでは、ギリシア風の顔をした「ヘレニズムの仏像」をみることができます。

『唐代金銀器』(鎮江市博物館・陝西省博物館編、1985年刊)は、唐代の墓から出土した金銀器の図版を数おおく掲載しており、文様や器形などにペルシアの影響がみられ、シルクロードをとおってペルシアから文物がもたらされたことがわかります。

『大般若波羅蜜多経』(8世紀(奈良時代中期)書写、巻230)は、玄奘(げんじょう)がインドからもちかえり、サンスクリット語から漢訳した仏典です。大乗仏教の基礎的な教義をのべた様々な般若経典をまとめた集大成といえるもので、全600巻からなります。8世紀初頭には、漢訳されたものが日本につたわり、奈良時代には、東大寺・薬師寺などの大寺院で国家鎮護のためにこの経典を省略して読調する「大般若会」という法会がおこなわれました。

『梵語千字文(ぼんごせんじもん)』(義浄、9世紀(唐時代)頃書写)は、サンスクリット語辞典の現存最古の写本であり、平安時代の高僧・慈覚大師円仁(794-864)が中国からもちかえったものとされます。玄奘の西域への旅から30年ちかく後、671年、僧の義浄がインドへ旅だち、約13年の滞在期間をへて695年に中国へかえり、サンスクリット語仏典の漢訳をおこない、辞典をつくり、道中の見聞記をまとめました。

『中央アジアの仏教古代後期』(アルべルト=フォン=ル=コック、1922-1926年、ベルリン刊)は、1902年から14年にかけてドイツが実施した計4回の中央アジア探検によりもたらされた蒐集品の報告書です。著者のコックは第2回からくわわり、トゥルファンやクチャ(亀茲(きじ)、現在の新疆ウイグル自治区)といったシルクロード諸都市にきずかれた石窟群の発掘調査をしました。亀茲は、3世紀半ば〜8世紀頃、タリム盆地北側にさかえた都市国家であり、亀茲出身の僧侶は、サンスクリット語仏典の漢訳に中国で従事し、東アジアでの仏教の普及に貢献しました。

『セリンディア』(マーク=オーレル=スタイン、1921年、ロンドン刊)は、イギリスの考古学者・スタインが、西域南道・西域北道から中国の甘粛省西部までを調査した第二次探検の報告書です。現在の新疆ウイグル自治区にあるミーラン遺跡では、古代ローマ風の天使像や仏教絵画・彫刻などを仏教寺院の壁画から発見しました。これらは、ギリシャ・ローマ由来のヘレニズム文化がクシャーナ朝(インド)でさかえた仏教とまじわり、ミーランにまで達したことをしめしています。

『古代コータン』(マーク=オーレル=スタイン、1907年、オックスフォード刊)は、スタインが、1900年から1901年にかけておこなった第一次中央アジア探検の調査結果を図版とともにまとめた報告書です。現在の新疆ウイグル自治区にあたる、タクラマカン砂漠の南に位置するコータン(ホータン)周辺をおもな調査区域としており、仏教王国であった古代コータンは、シルクロードの西域南道ぞいにあり、東西貿易の中継地としてさかえました。

『アヴェスタ神と中央アジア仏教図像学との関係』(グリュンヴェーデル、1924年、ドイツ刊)は、ドイツがおこなった4回の中央アジア探検のうち第1回と第3回の探検隊長をつとめた東洋学者・考古学者のグリュンヴェーデル(1856-1935)の晩年の著作であり、ゾロアスター教の神々の図像と中央アジア仏教の図像を比較検討しています。ゾロアスター教は、『アヴェスタ』を聖典とするイランでおこった宗教であり、古代ペルシアの国教としてさかえ、6〜7世紀には中国にもつたわり、拝火教または祆教(けんきょう)とよばれました。

『千仏』(マーク=オーレル=スタイン、1921年、ロンドン刊)は、1906〜08年にスタインが実施した第2次中央アジア探検で蒐集した敦煌莫高窟の仏画の図版を48図収録しています。敦煌は、シルクロードのオアシス都市として繁栄し、仏教文化が花ひらき、4〜14世紀にかけて大小492の石窟がほられ、あざやかな壁画や仏像でその内部がいろどられ、石窟群は、「莫高窟」「千仏洞」「敦煌石窟」などとよばれます。

『高昌(ホッチョ)』(アルベルト=フォン=ル=コック、1913年、ベルリン刊)は、ル=コックがひきいる第2次ドイツ・トゥルファン探検隊(1904-05)の成果をまとめた大判の豪華図録であり、トゥルファン地方の高昌(新疆ウイグル自治区)やベゼクリク千仏洞などの遺跡で発見された壁画・塑像・古文書そのほか蒐集品の写真をおさめています。9世紀半ばから13世紀末にかけて、トルコ系ウイグル人の国家である西ウイグル(天山ウイグル)王国がおさめるオアシス都市にはソグド人・トカラ人・漢人など、様々な民族が居住していました。また仏教・マニ教・景教(キリスト教ネストリウス派)など、宗教も多様でした。

『歴史』(ヘロドトス、紀元前5世紀成立)は、「スキタイ」という、紀元前6〜3世紀頃にかけてユーラシアの草原地帯で活動した騎馬遊牧民についてくわしくかいており、馬具・武具・動物文様が「スキタイ文化」の3要素です。ヘロドトスは、紀元前5世紀頃の古代ギリシアの歴史家であり、「歴史の父」とよばれます。各地で見聞し経験したことを元に、ペルシア戦争の歴史を軸にかいたのが『歴史』であり、オリエントの歴史・生活・風俗をしるための貴重な資料です。

『史記』(司馬遷、紀元前90年頃成立)は中国最初の正史です。中国の歴史書に「匈奴」がもっともはやくはらわれるのは、『史記』「秦本紀」の紀元前318年(秦惠文王更元7年)の条です。当時の中国は戦国時代の真っただ中で秦は強国の一つであり、本条は、韓・趙・魏・燕・齊の五国と匈奴がともに秦をせめたことをつたえています。また「匈奴列伝」では、匈奴の生活や特徴につい て説明したあと、夏王朝から前漢の武帝の時代までの匈奴のうごきをしるしています。

『仏国記』(法顕(ほっけん)、5世紀前半成立)は、「法顕伝」ともよばれ、東晋時代の僧侶・法顕(337頃-422頃)の旅行記であり、シルクロード周辺の様子をつたえる貴重な史料です。法顕は、戒律(規律を定めた経典)が中国にはそろっていないことをなげき、インドへむかい、経典をもちかえりました。長安を出発し、西域北道・南道をとおり、南下してパミール高原をこえてインドにいたりました。砂漠をぬけた鄯善国(ぜんぜんこく)では国王が仏教を奉じ、4千人の僧侶が中国とはちがって小乗仏教をまなび、インドの仏法をおこなっていたことを記録しており、西域北道と南道には小乗と大乗の仏教国が混在していて、シルクロードが仏教のつたわった道でもあったことがよくわかります。

『西安北周安伽墓』(陝西省考古研究所編、2003年、北京刊)は、中国・西安でみつかったソグド人の墓に関する書籍です。墓誌から、埋葬されているのは「薩保(さっぽう)」とよばれたソグド人集落のリーダーであるとかんがえられます。展示ページは墓の入りにあたるレリーフであり、ゾロアスター教の聖なる火がきざまれています。

『マルコ・ポーロ卿の書(東方見聞録)』(ヘンリー=ユール訳注、アンリ=コルディエ増補、1903年、ロンドン刊)は、イタリア・ベネチアの商人マルコ=ポーロの東方旅行の体験談を記録した旅行記です。マルコー行は1271年にベネチアをたち、往路は、ホルムズ(イラン)からは陸路で東へむかい、パミール高原、タクラマカン砂漠をこえて元の大都(北京)に到着し、フビライに17年間つかえたあと、1292年に海路で帰国の途につき、東南アジア、インド、アラビア海をへて1295年にベネチアにもどりました。この旅行記から、モンゴル帝国の覇権のもとで人やモノがうごいていた13〜14世紀のユーラシアの様子がわかります。またこの書は、ヨーロッパ人のアジアへの関心をそそり新航路開拓の誘因となり、コロンブスのアメリカ発見の機縁となり、またヘディンやスタインは、中央アジア探検にこの書を座右からはなしたことがありませんでした。

シルクロードには、おおきくわけて3つのルートがあります。中央ユーラシアの乾燥地帯に点在するオアシス都市をとおる「オアシスの道」、オアシスの道より北、モンゴル高原からカスピ海北方の草原地帯をとおる「草原の道」、東シナ海・インド洋・ペルシア湾を船でわたる「海の道」の3つです。これらのルート上に点在する都市は縦横にむすばれ、都市から都市へ、リレーのように中継貿易がおこなわれ、「ネットワーク」が形成されていました。

ヘロドトス『歴史』(紀元前5世紀)には、黒海北方にすむ「スキタイ」とよばれる騎馬遊牧民についてしるされ、中国・前漢の司馬遷『史記』(前2世紀)には「匈奴」とよばれる騎馬遊牧民がしるされ、これらの民族は、中央ユーラシアの広範な地域を支配したため、馬具や武器・金製装飾品・青銅製装飾品など、馬と密接な文化がユーラシア東西につたわりました。

一方、紀元前後から10世紀頃まで、およそ千年にわたってシルクロード交易の主役だったのがソグド人です。サマルカンドを中心とした、現在のウズベキスタンからタジキスタンにまたがる地域はソグディアナとかつてよばれたソグド人たちの故郷であり、肥沃なオアシスがおおく、紀元前6〜5世紀には農業がはじめられましたが、人口がふえると農地がたりなくなり、他の地域へ交易をもとめて足をのばす人々がふえ、ソグド人たちは、黒海周辺から中国までのほとんど、中央ユーラシア全域に集落をつくり、それらが、国際的なシルクロード商人の拠点になりました。ソグド語は中央ユーラシアの公用語となり、ウイグル文字・モンゴル文字・満洲文字へうけつがれました。

また中国大陸では618年に唐が建国され、「西域」とよばれる東トルキスタンのタリム盆地には高昌(トゥルファン)、亀茲(クチャ)、于闐(コータン、ホータン)、疏勒(カシュガル)、焉耆(カラシャール)といったオアシス都市がシルクロード交易の中継地としてさかえました。唐の情勢がおちつくと、大量の絹が輸出されるようになり、通貨のかわりにもつかわれるようになりました。国際的な大都市となった長安には世界各地から商人や使節がおとずれ、国教の道教だけでなく仏教・キリスト教・ゾロアスター教・マニ教の寺院もきずかれるなど、外来文化の接触と受容がすすみました。

シルクロードが、人やモノとともに精神文化もはこんだことはとても重要です。

仏教は、紀元前5世紀頃にインド亜大陸北部で成立し、上座部仏教は南アジアそして東南アジアへ、大乗仏教はガンダーラ(現在のパキスタン北西部)から中央アジアをとおって東アジアへつたわりました。中国大陸へは、1世紀頃(後漢の時代)には伝来したとされ、その初期には、インド人やイラン系民族のソグド人などが仏典を翻訳しました。主要な仏典の漢訳でよくしられた僧・鳩摩羅什(くまらじゅう、344-413)はオアシス都市・亀茲(クチャ)出身であり、父はインドの貴族出身とされます。その後、シルクロードをとおって中国人僧がインドにいき、仏典の蒐集と漢訳がさらにすすみました。

4世紀に仏典をもとめてインドへわたった中国・東晋の法顕(337-422)もシルクロードをとおりました。前漢の時代に敦煌郡が設置されて後漢時代にはおおいにさかえていた敦煌をとおり、タリム盆地の南道〜北道〜南道を経由してインドへむかいました。西域南道の途中には、大乗仏教の中心地の一つとしてさかえていたコータン(ホータン)王国があり、ほかにも、西域南道ではローラン、西域北道では亀茲(クチャ)やカシュガル・高昌(トルファン)などが仏教が中国へつたわる橋わたしをしました。

ゾロアスター教は、イラン高原に居住していた古代アーリア人の多神教を源流とし、アケメネス朝(前550-前330)以降、ペルシアの主要な宗教でした。交易がさかんになると、中央アジアそして中国へつたわりました。

マニ教は、サーサーン朝ペルシア時代の預言者マニ(216-277)を開祖とし、ゾロアスター教を母体として、ユダヤ教・キリスト教・仏教の概念をとりいれた混合的な宗教であり、一時は、ユーラシア東西でひろく信仰されました。西はローマ帝国へ、東は唐代の中国につたわり、さらに東ウイグル帝国 (744-840)では国教となりました。

キリスト教は、431年のエフェソス公会議で異端とされたネストリウス派がサーサーン朝ペルシアで地盤をかため、布教の地をさらに東方にひらき、唐代の中国で「景教」と称されただけでなく、中央アジアのトルコ・モンゴル系の遊牧民にもつたわりました。

イスラーム教は、7世紀前半にアラビア半島でおこり、わずか150年ほどの間に西アジア・ 北アフリカ・イベリア半島、さらに中央アジアをすすんでキルギスのタラス河畔あたりまでひろまりました。その後、中央アジア、南アジア、東南アジアへと範囲をひろげました。

このようにシルクロードは、ユーラシア大陸にはりめぐらされた広大なネットワークであり、さまざまな文化がこのネットワークによってはこばれました。

たとえば7世紀頃に唐でうまれた陶磁器は、ヨーロッパへ14世紀につたわり珍重され、18世紀になるとマイセン磁器がつくられるようになりました。陶磁器は食文化などの発展におおいに貢献しました。

ユーラシア大陸は、南北アメリカ大陸・アフリカ大陸とはちがい南北にではなく東西にのびていて、温帯に属す地域が比較的おおおく、疫病がはびこる過酷な暑い熱帯をこえる必要がなかったため人が移動しやすい大陸でした。移動がむずかしい乾燥帯はありましたが点在するオアシス都市を中継しながら移動できました。オアシス都市は、乾燥帯のなかにできた小規模な「温帯」地点とみなすことができます。数々のオアシス都市はシルクロードの成立に役だち、シルクロードが発展するにつれオアシス都市もさらに発展しました。ネットワークと諸都市は相互につよめあいました。

東西方向に経度がちがっても緯度をおなじくするような地域では、日照時間・気温・季節・生態系・風土病など、似たパターンを自然環境がしめす傾向にあるため移動が楽であり、ユーラシア大陸には、地球上でもっとも幅のひろい同緯度地帯があったためシルクロードが形成されました。人間の行動力・努力とともに自然環境からの影響も重要です。南北にのびる南北アメリカ大陸とアフリカ大陸では自然環境が障壁になって移動(ルート形成)が困難でした。

大陸が東西にひろがっていたので、技術・産業・制度・学問・芸術・精神文化なども高速で伝播し、さまざまな文化が各地で蓄積しました。ユーラシア大陸の文明はネットワークを基盤とし東西の文化が共鳴しながら発展したのであり、ユーラシア大陸でのみ強大な文明が発達したのはこのためだとかんがえられます。この仮説を、「ネットワーク共鳴」説 とよんでおきます。南北アメリカ大陸とアフリカ大陸では強大な文明(大文明圏)が発達しなかったのはネットワーク共鳴がおこらなかったからでしょう。

シルクロードそして文明をかんがえるときにこのような共鳴の効果にもっと注目すべきです。たとえば日本人は、外国の文化をとりいれることが得意ですが共鳴があってこそ文化は定着し発展します。個人でも、外界(環境)から内面に情報をインプットして、それと共鳴すると情報処理がすすみアウトプットへ発展します。共鳴が必要です。

現代においては、ネットワークがグローバル化し、全球的な共鳴がはじまりました。全球社会のために、ユーラシアのネットワーク共鳴が参考になります。

今回の企画展の主題は「シルクロードの旅」でした。旅をとおして交易・交流の歴史をみることができ、文化伝播のルートをたどることにより地図上で歴史がわかりました。本来は歴史的・時間的な事象を地理的・空間的にとらえなおすことができ、ユーラシア大陸の複雑な歴史を一望・大観することができました。旅は、地理的な移動であると同時に歴史をつくっていきます。空間的でもあり時間的でもあり、空間と時間をむすびつける重要な機能をもちます。時空場をつくりだし、発想や創造の方法としてもつかえます。

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▼ 注
「シルクロードの旅」展
会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2022年1月26日〜5月15日

▼ 参考文献
東洋文庫編『シルクロードの旅展』(図録)東洋文庫、2022年
森安孝夫著『シルクロード世界史』講談社、2020年
ジャレド=ダイアモンド著(倉骨彰訳)『銃・病原菌・鉄 上巻』(Kindle版)草思社、2013年(単行本、2000年)
ジャレド=ダイアモンド著(倉骨彰訳)『銃・病原菌・鉄 下巻』(Kindle版)草思社、2013年(単行本、2000年)
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『もういちど読む山川世界史 PLUS アジア編』山川出版社、2022年

▼ 関連書籍
森安孝夫著『興亡の世界史 シルクロードと唐帝国』(Kindle版)講談社、2016年


感覚と錯覚 -「辛い!の科学」(日経サイエンス, 2022.05)-

〈インプット→プロセシング〉がおこります。辛みは味覚ではなく痛みです。錯覚がおこります。

辛さとは何か? 『日経サイエンス』2022年5月号が特集しています(注)。

感覚神経は皮膚の直下だけでなく,舌の内部にも伸びている(三叉神経と呼ぶ)。トウガラシを食べると舌の中へ浸透したカプサイシンが感覚神経表面の TRPV1 にくっつき,電気信号が発生する。この信号は,味覚神経ではなく三叉神経を経て脳へ届き,痛みの情報として処理される。

すなわち辛みとは味覚ではなく痛みでした。酸味や塩味といった味は、舌の表面にある味蕾(みらい)とよばれる感覚器官でとらえられますが、「辛み」(とくにトウガラシのカプサイシン(辛み成分))は、「TRPV1」(トリップ・ヴイワン)とよばれる舌の内部にある痛みのセンサーでとらえられます。カプサイシンが口にはいったり皮層に触れたりすると舌や皮膚のなかに はいりこんで、感覚神経の表面にある TRPV1 が反応し、このとき、体の側では、痛みの刺激が発生したと勘ちがいして、体温調整や傷の治療などに関わるさまざまな生理反応がおこります。

またトウガラシをたべると口のなかが熱く感じられます。顔から汗がでてきます。そこで TRPV1 は熱にも反応するのではないだろうかという仮説がたてられ実験がおこなわれました。

実験してみると, TRPV1 はまるで温度計のように,周囲の温度が43℃を超えた途端に活発な反応を見せた。

わたしたちは、体温が43℃以上になると熱を痛みとして感じ、これは、この危険な温度になると TRPV1 が反応して情報を脳へ伝達するためであることがわかりました。英語では、辛さも熱さも「hot」です。

しかしおなじ温度のスープであってもトウガラシがはいっていたほうが熱く感じるのはどうしてでしょうか?

辛い料理を食べているときは体内で TRPV1 が反応し続けているため,脳がちょっとした緊急事態に陥っている。

センサーが反応しつづけ異常をうったえるので、実際にはあがっていないにもかかわらず、脳は、体温があがったと判断し、いそいで体を冷却するように指令をだし、その結果 汗がでます。いわゆる「味覚性発汗」です。

また消化管にある感覚神経や自律神経にも TRPV1 をもつものがあり、カプサイシンをこれらがうけとると消化器官の活動は促進され、食欲増進につながります。フランス料理の前菜などにトウガラシをきかせた一品がだされるのはこのためです。

あるいはトウガラシ(カプサイシン)が皮膚にふれるとヒリヒリと痛くて熱い感じがするのはどうしてでしょうか?

味覚性発汗と同じく,実際には皮膚の異常は起きていないにもかかわらず,傷ができたと体が錯覚して発生する現象だ。

「神経原性炎症」とこれはよばれ、体は、傷ついたとおもわれる皮膚に各種の免疫細胞をおくろうとして皮膚直下の血管の血流量をあげ、その結果、皮膚表面が赤みをおび、温度もあがります。温度があがると TRPV1 が反応するためヒリヒリとした痛みがおこります。

このように、トウガラシの “辛み” 成分が、舌や皮膚などにある痛みセンサーにふれると電気信号が発生し、神経をとおってそれが脳におくられ、その信号を脳が処理すると、体温調整や傷の治療・食欲増進など、さまざまな生理反応がおこります。センサーと脳のこのようなはたらきは〈インプット→プロセシング〉といってもよく、情報処理の過程をここにみとめることができます。

しかしわたしたちが辛いとおもっていた感覚は実際には痛みだったのであり、また辛いものをたべて体が熱くなるとおもっていましたが実際には体温はあがっていませんでした。

わたしはかつて、ヒマラヤの比較的高地にいったときにとても辛いものを毎日たべている人々にであいました。気温がひくいためです。わたしも、体をあたためるために辛いものをたべていましたが、それは錯覚でした。おどろきです。感覚の科学的研究が錯覚をあきらかにします。

しかし錯覚とはいえ高地で寒さをしのげたのも事実です。したがって錯覚は、かならずしもすべてがわるいというのではなく、わたしたち人間は、経験的に錯覚をうまく利用してきたといってよいでしょう。

トウガラシは、ペルーの遺跡調査により、1万年も前から食されていたことがわかり、何千年も前の人々がこのみのトウガラシをえらんで栽培していた痕跡もみつかりました。15世紀以後、トウガラシは世界中にひろがり、あらゆる国々の人々の生活にとけこみ、いまや、トウガラシなくして食文化をかたることはできません。

今回の記事により、辛みの感覚の実態とともに錯覚についても理解できました。感覚と錯覚は一体的にとらえなければならず、自覚がないだけで意外に錯覚は普通におこっているとかんがえられます。今回は辛みをとりあげましたがほかの感覚にも錯覚があるでしょう。しかし錯覚を利用しているという事実もあります。感覚と錯覚の研究は今後ともつづきます。

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情報処理能力をたかめるために -『脳が生み出すイリュージョン』(別冊日経サイエンス)-
錯覚をいかす? -『Newton 錯視と錯覚の科学 からだの錯視』-
時間的変化にも心をくばる -『Newton 残像と消える錯視』-
空間にも心をくばる -『Newton 形と空間の錯視』-
インプットとプロセシングを自覚する -『Newton 明るさと色の錯視』-
錯視を体験する - 数理の国の錯視研究所(日本科学未来館)-
錯覚がおこっていることを自覚する(錯覚のまとめ)
情報処理のエラーをふせぐために -「錯視研究の最前線」-

▼ 注(参考文献)
出村政彬著「辛い!の科学」日経サイエンス, 611(2022年5月号), pp.28-43, 2022年


情報処理のエラーをふせぐために -「錯視研究の最前線」-

脳の情報処理によって映像がうまれます。両眼をつかって奥行きをとらえます。さまざまな視点をもちます。

脳の情報処理によって映像がうまれます。両眼をつかって奥行きをとらえます。さまざまな視点をもちます。

錯視研究の第一人者・杉原厚吉さんが錯視に関する映像を公開しています。

錯覚作品「Magnet Like Slopes」(明治大学MIMS・杉原厚吉作)
錯覚作品「クローバーとハート」(明治大学MIMS・杉原厚吉作)
錯覚作品「Triply Ambiguous Object」(明治大学MIMS・杉原厚吉作)
3D Schröder Staircase
重力に逆らって坂道を上がる? 「錯覚すべり台」登場 新潟・八海山麓スキー場

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錯視が常識をくつがえします。

錯視を起こすには、① 片方の目だけで見る、② カメラで撮影した映像を見る、③ 大きく作って遠くから見る、などが必要です。「両目の間隔は六〜七mなので、両眼立体視が利くのはせいぜい十mまで」と言われます。そのため、③ 大きく作って遠くから見る時、両目で見ても錯視が起きるのです。(中略)

錯視が起きる背景には、① 一枚の画像には奥行きの情報がない(数学的性質)、② 脳は直角を優先する傾向が強い(心理学的性質)の二つがあると分かりました。

杉原厚吉著「見ることの常識が通じない錯視研究の最前線」學士曾会報, 953(注1)

日常生活でも錯視はおきます。注意してみても、本当の形をしったあとでもおこります。自覚がないだけです。たとえば香川県屋島の「お化け坂」もそうです。

屋島スカイウェイのミステリーゾーン「お化け坂」

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上り坂のあとに下り坂があってふたたび上り坂になるように感じますが実際はちがいます。脳は、急な方は上りで、ゆるやかな方は下りだと判断してしまいます。このような坂道錯視によりブレーキとアクセルをまちがえて交通事故がおこることがあります。

あるいはスポーツにおいても、錯視による誤審があることがすでによくしられています。

このように錯視は、脳の判断によっておこります。みるということ(視覚)には、目が光をうける段階(インプット)と情報を脳が処理して判断する段階(プロセシング)の2つの段階があり、錯視とは情報処理のエラーといってもよいでしょう。

たとえば片目でみると片目の情報しか処理されず錯視が容易におこります。写真撮影でも、レンズが普通は1本(1眼)であるため錯視がおこりやすくなります。「不思議なチーター“チタベロス”」をみてください。

「頭が3つ? 不思議なチーター“チタベロス” いつも仲良し」
(日テレNEWS, 2022.4.11)

これは合成写真ではありません。奥行きの情報がないために錯視がおこります。そもそも目に はいってきた光には奥行きの情報はなく、脳が、左右2つの目の視差を検出して奥行きを判断(想像)します。

このような錯視をふせぐために2眼カメラをわたしはしばしばつかいます(注2)。あるいは1眼カメラをつかうときでも、左足を軸足にして1枚、右足を軸足にして1枚撮影し、ステレオ写真(3D写真)にして錯視をふせぎます。あるいは現場にいってさまざまな視点から対象をみれば錯視をふせげます。背景や構造など、その場の全体もとらえるようにします。

錯視は往往におこり、時と場合によりさけられませんが、錯視がおこる仕組みをしることによってある程度ふせげるでしょう。またみたことをすべて信じず、情報をアウトプットするときに確認・検証をおこないます。固定観念やおもいこみもなくします。

情報処理のエラーとして錯視をとらえなおすと人間の情報処理の仕組みもわかってきます。光(電磁波の一部)を目がうけると電気信号にそれは変換され、神経をとおって信号が脳におくられ、それを脳が処理すると映像が生じます。わたしたちは目でみているとおもっていましたが、実は脳が像をつくりだしていたのであり、この過程でエラーがおこりえます。このような情報処理の仕組みは心のはたらきといいかえてもよく、わたしたち人間が認識している世界(宇宙)も心のはたらきの観点からとらえなおす必要があり、錯視は、このような現象をかんがえるための入口にもなります。

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▼ 注1
杉原厚吉著「見ることの常識が通じない錯視研究の最前線」學士曾会報, 953, pp.49-59, 2022年3月1日

▼ 注2:2眼(3D)カメラの例
FUJIFILM 3Dデジタルカメラ FinePix REAL 3D W3 F FX-3D W3S

▼ 参考文献
杉原厚吉著『新 錯視図鑑:脳がだまされる奇妙な世界を楽しむ・解き明かす・つくりだす』誠文堂新光社、2018年

▼ 関連書籍
杉原厚吉著『見て、知って、つくって! 錯視で遊ぼう: 脳がつくりだす不思議な知覚の世界』(子供の科学サイエンスブックスNEXT)誠文堂新光社, 2021年
杉原厚吉著『鏡のトリック立体キット 自分で作れる!錯覚アート』永岡書店, 2021年
杉原厚吉著『トリックアート図鑑 錯覚! 立体ペーパークラフト』 あかね書房, 2020年

目をきたえる -『目が一気によくなる! 魔法の3Dアート』-

視力が維持され回復します。近視・老眼・疲れ目にききます。脳が活性化します。

視力が維持され回復します。近視・老眼・疲れ目にききます。脳が活性化します。

一見 何がえがかれているのかわかりませんが立体視をすると絵がうきでてきます。それが「3D アート(イラスト)」です。本書は、とおくに焦点をあわせることで絵がうかびあがる「平行法」と手前で焦点をあわせることで絵がうかびあがる「交差法」の 3D イラストをのべ38点収録しており、たのしみながら目がきたえられます。

近視であれ老眼であれ、視力低下を撃退するポイントは、「目をきちんと使うこと」と「脳の活性化」です。(中略)

3D とは 3次元、つまり立体という意味です。若いころ、駆け出しの医師として多忙だった私の視力は、0.1まで落ちたことがありました。しかし、その後に回復し、50代後半の今でも、メガネは不要。運転免許証は裸眼で更新しています。

3D 視力回復法は、そんな私の、長年の習慣の一つ。視力維持に関しては、特に効果を実感している方法です。メガネやコンタクトレンズを使っているかたは、つけたままで行えます。

平行法で絵がうかびあがります(表紙から引用)

立体視のやりかたは本書でくわしく解説しています。またこちらも参考にしてください。

目に光がとどくと、その光の刺激を適切に処理し、物の形や色・おおきさ・距離などを認識するのは脳のはたらきです。目と脳は密接に関係しており、いつもとおなじように目をつかっているだけだとだんだん脳はなまけるようになります。

そこで目と脳を刺激し、視力低下をふせぎ視力を回復する方法として立体視(3D 視力回復法)が有効です。立体視は、目の筋肉である眼筋を緊張させたりゆるめたりするのでおとろえた眼筋の筋力アップになります。また立体視により、ふだんとはちがう活動をするとびっくりした脳は、「私の目は、いろいろな使い方をしている。目の働きをもっとよくしなければいけない」と、活性化していきます。

立体視には、平行法と交差法の2つの見方があり、目と脳のはたらきをいずれもたかめます。2種類とも是非おこなってください。まずは無理をせず、1日5分を目安にはじめましょう。

下の写真も立体視できます。奥ゆきをしっかりとらえてください。

平行法
平行法で立体視ができます
交差法
交差法で立体視ができます

視力がよくなると観察力がつよまります。目からのインプット能力がたかまります。インプット能力がたかまればプロセシング能力もアウトプット能力も向上します。

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目に関わる疲労を改善する - 栗田昌裕著『視力低下は自分で回復できる!』-
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3D で宇宙をみる - 伊中明著『ハッブル宇宙望遠鏡でたどる果てしない宇宙の旅』-
富士山を立体視する

▼ 参考文献
本部千博監修・企画編集部編集『目が一気によくなる! 魔法の3Dアート」(マキノ出版ムック)マキノ出版、2021年

アウトプットのために -「追悼 立花隆の書棚」展 –

インプット:アウトプット = 100:1。場所(位置)で記憶します。情報を統合してアウトプットします。

インプット:アウトプット = 100:1。場所で記憶します。情報を統合してアウトプットします。

2021年4月30日に逝去したジャーナリスト・評論家の立花隆さんを追悼し、「追悼 立花隆の書棚」展が文春ギャラリーで一周忌を前に開催されています(注1)。仕事場兼書庫であった通称「猫ビル(ネコビル)」(注2)、通称「三丁目」、立教大学研究室・屋根裏の10万冊をこえる書棚の写真をみながら、立花さんの圧倒的な「知」の世界にはいりこみます。

写真家の薈田(わいだ)純一さんは「全部撮る」を条件に立花さんから書棚の撮影をゆるされ、2010年から週に3~5回かよい、7222枚もの写真を1年半かけてとりました。3m×8mの巨大な書棚写真がみどころであり、また1m×2.5mサイズの書棚写真や生原稿や立花さん愛用の品々も公開しています。

ステレオ写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

会場内
会場内
直筆原稿と愛用の品々
直筆原稿と愛用の品々
愛用のスーツケース
愛用のスーツケース

あたらしいことにとりくもうとおもったら本をまずみるとおもいます。そのとき立花さんは、「インプット100に対してアウトプット1」だといいます。たとえば1冊の本をかこうとおもったら最低100冊の本をよみます。ひとつのアウトプットの背後にはその100倍以上の取材・努力があり、膨大な情報が一本に統合されてアウトプットになります。

このようなことをくりかえしているうちに膨大な本があつまりました。仕事場兼書庫は3ヵ所あり、なかでも「猫ビル(ネコビル)」は、地下2階、地上3階+屋上、本をつりあげるクレーンもある「本の砦」です。これだけ膨大な本をどうやって整理していたのだろうか? 立花さんは「本をおいた場所で記憶していた」そうです。たとえば「あの本は、猫ビル3階の南側の書棚にある」というように。したがって「本をうごかして整理しないように」と秘書にいっていました。これは空間記憶法の実践例のひとつです。

同様なことは図書館で誰でもできます。ちかくの図書館にいって館内をブラブラして気にいった本があったら、それがおいてある場所(位置)を記憶します。まずは10冊ぐらい記憶するとよいでしょう。場所をつかえばいつでもすぐにおもいだせます。図書館でつかわれている日本十進分類法にとらわれる必要はありません。

空間記憶法は、無意識のうちに誰もがやっていることですが自覚しておこなうことが大事です。そうすれば本とはかぎらずあらゆる物・情報の記憶が容易になり、「あ、そういえば!」といったおもいつき・ひらめきもうまれやすくなります。

立花さんの書棚の写真を実際にみていくとおもしろそうな本がたくさんみつかります。たとえば「三丁目」の「中央机周り」のランプのそばの書棚をみていたら『見る』という本が興味をひきました。

書棚の例
書棚の例

そのまわりには、『読むということ』『ヒトはなぜ絵を描くのか』『視覚と記憶の情報処理』『もうひとつの視覚』『視覚のメカニズム』『眼と神経』『脳と視覚』『目が人を変える』『心は遺伝子の論理で決まるのか』『脳のなかの幽霊、ふたたび』『ブレイン・ルール』『意識する心』『なぜ記憶が消えるのか』『脳と心』『社会的脳』『読み 脳と心の情報処理』『脳科学と芸術』『視覚の文法』『生命とはなにか』『性の起源』『ヒトはいかにして人となったか』『人間はどこまでチンパンジーか?』・・・、というように、どんどん世界がひろがります。興味がわいてきます。今回の「書棚展(写真展)」と 立花隆著・薈田純一写真『立花隆の書棚』(中央公論新社)(注3)は参考文献集として役だちます。類書をさぐるために最適です。興味をひく本をみつたらその周辺にどんな本があるか、空間的なひろがりとして本がとらえられます。類推がはたらき、発想の場としてもつかえます。同様なことは図書館でもできます。日本十進分類法などの既存の分類法にとらわれる必要はありません。

そもそも立花さんに注目するようになったのはわたしも『田中角栄研究』(注4)からでした。しかしそのきっかけは地球科学者・竹内均の推薦文でした。

私はかつて、文藝春秋社発行の「諸君」という雑誌の書評欄で、この立花隆の「田中角栄研究」をりっぱな科学書であるとして推薦したことがある。(中略)

「田中角栄研究」の材料となったデータは、すべて公開のデータである。立花さんや、そのスタッフのだれかが、どこかの倉庫へしのびこんで盗み出してきたといったものではない。(中略)立花さんは、こういうデータの各々を年表にまとめ、それを横につなげてみて、そこから「田中角栄が怪しい」という推理をし、それをたんねんに跡付けたのである。

こういう方法はまったく科学的なものであり、また一つ一つの仕事は、たいへん地味な作業である。

竹内均著『私の知的鍛錬法 きれっぱしからの発想』徳間書店、1980年(注5)

立花さんは、公開データをたくさんあつめ、内面にインプットし、仮説をたて、推論し、検証しました。まさに科学的方法であり正攻法であり王道です。これは、竹内均がとくに指摘したように、大陸移動説を提唱し体系化したアルフレッド=ウェゲナーの方法とおなじであり、地球科学の方法であり、科学の方法です。アイザック=ニュートン、チャールズ=ダーウィン、アンリ=ポアンカレなどをみてもあきらかです。

このように、膨大なインプットからアウトプットをみちびくところに情報の統合がみられます。立花さんは、大量インプット、空間記憶法、統合出力のながれが重要であることをわたしたちにおしえてくれています。ちいさくとも密度のたかい展覧会でした。

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▼ 注1
追悼 立花隆の書棚展
場所:文春ギャラリー
会期:2022年4月11日~4月15日
※ 撮影が許可されています。
日本を代表するジャーナリスト 立花隆の一周忌を偲ぶ「追悼 立花隆の書棚展」が開催!(文春オンライン)

▼ 注2:猫ビル

▼ 注3
立花隆著・薈田純一写真『立花隆の書棚』 中央公論新社、2013年

▼ 注4
立花隆著『田中角栄研究全記録(上)』(講談社文庫)、講談社、1982年
立花隆著『田中角栄研究全記録(下)』(講談社文庫)、講談社、1982年
文藝春秋特別編集『「知の巨人」 立花隆のすべて』(文春ムック)‎文藝春秋、2021年

▼ 注5
竹内均著『私の知的鍛錬法 きれっぱしからの発想』徳間書店、1980年

ふとおもったことからはじまる仮説法・演繹法・帰納法

ふとおもったことを大事にします。事実・前提・仮説を区別します。仮説法→演繹法→帰納法とすすみます。

先日、あるショップにいったら、テーブルの上に赤い玉が1個おいてありました。そのすぐそばに箱があったので、その玉は、その箱の中からとりだされたのではないかとふとおもいました。

この出来事を冷静にかんがえなおしてみると(箱の中はみることはできませんでした)、テーブルの上に赤い玉がおいてあるという事実をみて、仮に、箱の中には赤い玉がいくつもはいっている(箱の中身は赤い玉である)という前提にたつと、その玉は、その箱の中からとりだされたのではないかという仮説がたてられる、ということになります。

  • 事実:テーブルの上に赤い玉がおいてある。
  • 前提:箱の中には赤い玉がいくつもはいっている。
  • 仮説:その玉は、その箱の中からとりだされたのではないだろうか。

こうして事実と前提にもとづいて仮説がたてられました。これは仮説法です(図1)。

図1 仮説法
図1 仮説法

一方、つぎのこともかんがえました。箱の中には赤い玉がいくつもはいっている(箱の中身は赤い玉である)ということを前提とすると、もし、その箱の中のものをとりだせば、それは赤い玉だろう。

  • 前提:箱の中には赤い玉がいくつもはいっている。
  • 仮説:もし、その箱の中のものをとりだせば・・・
  • 予見:それは赤い玉だろう。

この予見がただしいかどうかは、箱の中から中身を実際にとりだして確認すればよく、赤い玉であれば予見はただしかったことになり、事実として確認されます。実際にとりだしてみたところやはり赤い玉であり、予見は事実となりました。これは、推論をへて事実を確認するプロセスであり、演繹法です(図2)。

図2 演繹法
図2 演繹法

さらに、つぎのこともかんがえました。もし、箱の中から中身をもっととりだせば、それらはすべて赤い玉であるはずであり、いくつもの赤い玉が事実として確認できれば、その箱の中身は赤い玉であるといえるだろう。

実際にとりだしてみたところ、すべてが赤い玉だったので、箱の中身は赤い玉であるとかんがえられます。つまり、仮説法・演繹法でかんがえた前提がみちびかれます。これは帰納法です(図3)。

  • 仮説:箱の中から中身をもっととりだせば・・・
  • 事実:とりだしたものはすべて赤い玉である。
  • 前提:箱の中身は赤い玉であるといえる。
図3 帰納法
図3 帰納法

このように、仮説法・演繹法・帰納法という3つの論理がありますが、これらを、一連の出来事としてとらえなおすこともできます。

テーブルの上にあった赤い玉は、そばにある箱の中からとりだされたのではないだろうかという仮説をたてたら(仮説法)、それをたしかめるために(検証するために)箱の中から中身をさらにとりだしてみて、それらが赤い玉であったなら仮説の確からしさがたかまります(演繹法)。とりだしたものがすべてが赤い玉であったなら箱の中身はすべて赤い玉だろうとかんがえられます(帰納法)。中身をとりだして確認しながら仮説を検証する過程でデータがふえ(データとは事実を記載したもの)、箱の中身をすべてみなくても、中身が何であるか一般的なことが想像できます。

またたとえば、つぎのようなケースもかんがえられます。10個の玉を箱からとりだして、そのうちの9個は赤い玉、1個は白い玉だったとしたら、箱の中身のおよそ90%は赤い玉であり、およそ10%は白い玉であり、もし、箱の中に200個の玉がはいっていたとするとおよそ180個は赤い玉であり、およそ20個は白い玉であるといえます。この箱から玉を1個とりだしたら、およそ90%の確率でそれは赤い玉になるだろうという予測もできます。

このように、ふとおもったこと、ちょっとしたおもいつきを仮説としてとらえなおし、仮説法・演繹法・帰納法を連続的につかえば(図4)、一連のストーリーができ、論理が展開し話がひろがります。いわゆる直観も、このように論理的にとらえなおせばアウトプットに発展します。

図4 3段階モデル
図4 3段階モデル

仮説をたて、もしそうだとしたらとかんがえるのが基本であり、かんがえたとおりにもしならなかった場合は “失敗” ということになりますが、その場合は仮説をたてなおせばよいのであり、あらたなつぎの仮説の検証にすすんでいけます。かんがえられる仮説についてひとつひとつ検証していくことが必要なのであって、失敗は悲観すべき内容ではなく、ただしい仮説に到達するための手段です。失敗と成功という概念も、このような論理展開の文脈のなかでかんがえなおさなければなりません。

なお民族地理学者・KJ法創始者の川喜田二郎は、KJ法の基礎概念として、「野外科学」「書斎科学」「実験科学」とそれらをくみあわせた「W型問題解決モデル」を提唱し、これらはやや難解ですが、ここでのべた仮説法・演繹法・帰納法が野外科学・書斎科学・実験科学の原型であり、3段階モデルがW型問題解決モデルのエッセンスであり、仮説法・演繹法・帰納法がわかれば、野外科学・書斎科学・実験科学のちがいもよくわかり、問題解決もおのずとすすみます。

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▼ 参考文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)中央公論新社、2017年(初版1967年)
竹内均・上山春平『第三世代の学問 地球学の提唱』(中公新書)中央公論社、1977年
上山春平著『上山春平著作集第一巻 哲学の方法』法蔵館、1996年

3D「ポンペイ」(東京国立博物館)

都市国家の時代から領域国家の時代へかわりました。ローマ帝国が繁栄しました。古代ギリシャ・ローマ文明が基礎となりヨーロッパ文明が発展しました。

特別展「ポンペイ」が東京国立博物館で開催されています(注1)。ナポリ国立考古学博物館(注2)の全面的協力による「ポンペイ展の決定版」です。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

序章 ヴェスヴィオ火山とポンペイ埋没
第1展示室 ポンペイの街:公共施設と宗教
第2展示室 ポンペイの社会と人びとの活躍
第3展示室 人びとの生活:食と仕事
第4展示室 ポンペイ繁栄の歴史
第5展示室 発掘の今むかし

フロアマップ


ポンペイの位置

女性犠牲者の石膏像(79年)
女性犠牲者の石膏像
(79年)
ポリュクレイトス「槍を持つ人」
ポリュクレイトス「槍を持つ人」
(前1〜後1世紀、オリジナルは前450〜前440年、カッラーラ大理石)
ビキニのウェヌス
ビキニのウェヌス
(前1〜後1世紀、大理石)
エウマキア象
エウマキア象
(1世紀初頭、大理石)
金のランプ
(62〜64年、金)
マケドニアの王子と哲学者
マケドニアの王子と哲学者
(前60〜前40年頃)
水道のバルブ(1世紀、ブロンズ)
水道のバルブ
(1世紀、ブロンズ)
炭化したパン(79年)
炭化したパン
(79年)
瓶とケース
瓶とケース
(1世紀、ガラス・土器)
ワイン用のアンフォラ
ワイン用のアンフォラ
(1世紀後半、土器)
ユピテル=アンモン形の錘付き竿秤
ユピテル=アンモン形の錘付き竿秤
(商人の道具、1世紀、ブロンズ)
「ファウヌスの家」の談話室の再現
「ファウヌスの家」の談話室の再現
(アレクサンドロス大王のモザイクの床)
「竪琴奏者の家」の再現
「悲劇詩人の家」の再現
奴隷の拘束具
奴隷の拘束具
(1世紀、鉄)
テーブル天板(通称「メメント・モリ」)
(前1世紀、モザイク)

「メメント・モリ」とは「死を忘れるな」の意です。ローマ社会は、どの社会階層の者にも死が平等におとずれることをつよく意識しており、死をしめすドクロの左側には富と権力の表象が、右側には貧困の表象が配されています。

ポンペイの市街地
ポンペイの市街地
(遺跡地図)
略史
  • 前7世紀末 現在の位置(ポンペイ)に都市が建設される。
  • 前6世紀 ギリシャ人とエトルリア人の影響下で、最初の市壁、最初のアポロ神殿、三角広場のドリス式神殿が建設される
  • 前5世紀末 サムニウム人に征服される。〈サムニウム時代〉
  • 前2世紀 経済的に繁栄。フォルム(公共広場)を大整備、アポロ神殿改築、大劇場などが建設される。
  • 前91年 同盟市戦争が勃発する。ポンペイはローマとたたかう。
  • 前89年 ローマ軍によって征服される。
  • 前80年 ローマの植民市となる。〈ローマ化の時代〉
  • 前1世紀 ウェヌス神殿、小劇場、円形闘技場が建設される。ユピテル神殿がローマとおなじ3神を祀るように改築される。
  • 前27年 初代皇帝アウグストゥスが統治、ローマ帝政期にはいる。
  • 62年 大地震が発生、ポンペイ、おおきな被害をうける。地震後、ローマ皇帝ネロが慰問する。
  • 79年 ヴェスヴィオ火山が噴火、ポンペイ、埋没する。
  • 117年頃 ローマ帝国の版図が最大になる。
  • 313年 ローマ帝国、キリスト教を公認する。
  • 395年 ローマ帝国、東西に分裂する。
  • 476年 西ローマ帝国、滅亡する。

ポンペイは、オスキ語をはなす先住民がもともとくらしていましたが、前8世紀からはギリシャ人が南イタリアに進出し、前7世紀には、カンパニア地方(イタリア南西部)にエトルリア人が勢力を拡大し、都市が形成され、前6世紀には、最初の市壁や神殿が建設されました。

しかし前5世紀後半、カンパニア地方の平坦部へ山岳部から進出したサムニウム人によってポンペイは占領され、前2世紀には、東地中海との交易が活発になり、ヘレニズム文化の影響をうけて市街地が一新されました。
 
そのご前91年、イタリア半島の同盟市がローマ市民権を要求し、ローマとの間に同盟市戦争が勃発、ポンペイは同盟市側でたたかいましたが、前89年、スッラによって占領されて自治市(ムニキピウム)となり、さらに前80年にはローマの植民市(コロニア)となり、ポンペイの社会や文化はローマ化されます。

そしてローマ人植民者が上位にたつ貧富の差のはげしい格差社会が成立し、上流層の証しは、二人委員(ドゥウムウィリ)や造営官(アエディレス)に選挙に勝って選出され、市参事会(オルド・デクリオヌム)の終身議員になることでした。他方、奴隷は、人口のかなり(一説には4分の1ほど)をしめ、戦争の被征服民や捨て子や奴隷の母からうまれた子供たちであり、農業奴隷は、足枷につながれ過酷な労働をしいられました。街の奴隷は、よみかきのできる者は厚遇され、主人に気にいられれば奴隷から解放されるという希望が労働の原動力でした。

前27年以降のローマ帝政期には街の随所に皇帝の影響がみられるようになり、皇帝からの恩寵をえられるかどうかに地方都市ポンペイの趨勢はかかっていました。次々と建立された神殿や3基の記念門などは皇帝家の人物を称揚するためのものでした。

ポンペイの住人(都市部)は、製造業・建設業・小売・飲食業・サービス業など、さまざまな職業に従事していました。600以上の店や工房が街全体で発掘されており、遺構や遺物から何の店だったか判別できるものもあり、石窯や石臼があるのはパン屋で、石臼だけの製粉所もありました。テイクアウトができる料理屋(テルモポリウム)のカウンターには、料理をいれるための大甕(おおがめ、ドリウム)がうめこまれており、洗濯屋には、大小いくつもの水槽がもうけられていました。家の外壁や屋内にえがかれた絵やモザイクが店の業種をつたえることもあります。

特定の店舗をもたない露店や行商の商売人や肉体労働者もたくさんおり、現場におもむいておこなう仕事もありました。大工や壁画家の道具もみつかっています。また見せ物や選挙などの広告文を外壁にかく筆記者 (スクリプトル)や子供に勉強をおしえる教師もいました。

街はずれや市壁の外では農業や水産業がいとなまれ、産物の加工もさかんで、地元で消費するだけでなく他地域に輸出する加工食品も生産されていました。ヴェスヴィオ火山の周辺地域の火山灰土壌は果物の栽培に適していたのでブドウやオリーブが栽培され、ポンペイのワインは、イタリア半島だけでなくカルタゴ・ガリア地方・イベリア半島にも輸出され、オリーブ油は品質がたかいことで有名でした。またガルム(魚醤)も、ローマをふくめ各地に輸出されました。

ところが79年、ヴェスヴィオ火山が噴火、火口から約10kmはなれたポンペイには、昼すぎから11時間にわたって大量の灰や軽石がふりそそぎ、街から脱出する者もいれば、家のなかににげこむ者もいましたが、しだいに、噴出物のおもみで家々の屋根はおち、のこった者はとじこめられます。そして翌朝、高温の火砕サージと火砕流がポンペイに襲来、すべてが死にたえます。しこみのおわったワインや部屋にだされた暖房器具、毛皮の帽冒子をかぶった遺体などがみつかったことから噴火は晩秋であったとかんがえられ、10月24日噴火説が有力です。

こうしてポンペイは、火山噴出物に埋没し、都市のにぎわいをそのままとじこめた「タイムカプセル」になりました。

そしてようやく、16世紀なかばになってその存在が発見され、1748年から発掘がはじまります。現在はおよそ8割が発掘されて巨大な遺跡公園として整備され、当時の街の様子が再現されています。

フォルム(公共広場)をかこむアポロ・ウェヌス・ユピテルの各神殿、三角広場の大小の劇場、1万5000人を収容できる大闘技場、食料雑貨の小売店、酒場、浴場、庶民の家、商人の家、富豪の邸宅、車道と歩道が区別され横断歩道もある街路、柱廊、凱旋門など、古代都市とそこでくらす人々の生活の様子がおどろくほどよくわかります。またアレクサンドロス大王のモザイクなど、おおくの出土品がナポリ国立考古学博物館におさめられています。

ポンペイは、当初は、オスキ語をはなす先住民がくらしていましたが、ヴェスヴィオ火山の山麓に肥沃な土地をもち、ナポリ湾にちかく交通の要衝であったため、前8世紀にギリシャ人が、前7世紀にエトルリア人が進出し、都市国家を形成したとかんがえられます。前5世紀になるとサムニウム人に占領され、市域が拡大し城壁がつくられましたが、それまでの伝統的なギリシャ文化がまもられたことが広場や家屋のモザイクなどにあらわれています。

しかし前91年、同盟市戦争が勃発、前80年、ローマの植民市となり、以後、ローマ化が急速にすすみ、都市参事会制度がととのい、ローマの富裕者が別荘をつくり、芸術家や職人もあつまり、最盛時の人口は1万5000~2万をかぞえ、カンパニア地方でも有数の壮麗な都市となります。ローマ帝政期にはいってからも保養地として繁栄をつづけ、水道や舗装路がさらに整備されます。

このようにポンペイは、古代ギリシャ・ローマ時代の都市と生活をしるための宝庫となっており、ポンペイをとおして、都市国家が戦争をへて、帝国(領域国家)にくみこまれていく歴史をうかがいしることができ、ここに、古代ギリシャ文明から古代ローマ文明への移行、都市文明から「領域文明」への発展をみることができます。

今回の特別展にいけば、古代都市のなかをあるいているような疑似体験ができ、約2000年も前に、わたしたちがおもっていたよりもレベルのたかい文明が存在していたことがよくわかります。そしてこの古代文明が、のちのヨーロッパ文明の形成におおきな役割をはたしていくことになるわけです。

▼ 関連記事
古代ローマ都市にタイムスリップする - 世界遺産・ポンペイの壁画展 –
特別展「古代ギリシャ - 時空を越えた旅 -」(まとめ)

▼ 注1
特別展「ポンペイ」
会場:東京国立博物館・平成館
会期:2022年1月14日~4月3日
※ 写真撮影が許可されています。
特設公式サイト

巡回展(予定)
京都市京セラ美術館:2022年4月21〜7月3日
宮城県美術館:2022年7月16日〜9月25日
九州国立博物館:2022年10月12日〜12月4日

▼ 注2
ナポリ国立考古学博物館
公式サイト

▼ 参考文献・ビデオ
芳賀京子監修、東京国立博物館・朝日新聞社編集『特別展 ポンペイ』(展覧会図録)、朝日新聞社・NHK・NHKプロモーション発行、2022年
弓削達著『地中海世界 ギリシア・ローマの歴史』(講談社学術文庫)、講談社、2020年(原本は1973年)
NHKオンデマンド「よみがえるポンペイ」(Amazon)

▼ 関連書籍

そのままインプットする -「配置の言葉」(NHK ラジオ英会話, 2022.03)-

語順感覚を身につけます。インプット・プロセシング・アウトプットを自覚します。世界がひろがります。

NHK ラジオ英会話、今月は、比較表現をしあげ、最後に、今年度のしめくくりとして「配置の言葉」を確認します。

LESSON 221 比較 ⑨:指定表現+比較級

Windsor Castle is much older than Buckingham Palace.

指定表現を比較級にくわえる練習です。指定表現の位置は、「指定ルール(指定は前に置く)」にしたがい比較級の前です。

LESSON 222 比較 ⑩:比較はバランスを大切に(比較級)

It’s faster to draw it on a computer than to use real watercolor paints.

比較可能なものをバランスよくくらべることが大事です。

LESSON 223 比較 ⑪:比較対象に節(比較級)

Nolan is a lot smarter than he seems.

比較対象に節をつかう練習です。

LESSON 224 比較 ⑫:最上級の基礎

I’d say she’s the most talented artist in our family.

最上級も、ほかの比較表現同様、通常の形容詞・副詞とおなじ場所でつかいます。

LESSON 226 比較 ⑬:最上級と範囲の意識

It was the most moving film I’ve ever seen.

最上級(最も~)にはしばしば「範囲」がしめされます。

LESSON 227 比較 ⑭:指定表現+最上級

This is by far the best office software I’ve ever used.

「指定ルール」にしたがって「by far」を「the best」の前において強調します。

LESSON 228 比較 ⑮:最上級を使った頻用フレーズ

At best he’s an entertaining writer, and at worst he’s just a dreamer.

「at best」と「at worst」の対比を意識します。

LESSON 229 比較 ⑯: as ~ as … を用いたフレーズ 1

OK, keep calm. I’ll get there as fast as I can.

「as ~ as … can」がひとまとまりの表現として感じられるまで練習します。

LESSON 231 比較 ⑰: as ~ as … を用いたフレーズ 2

You’re as lovely as ever.

「ever」は「at any time(どの時点をとっても)」ということであり、そこから、「いつもと同じように」となります。

LESSON 232 比較 ⑱:比較級を用いたフレーズ 1

Your English is getting better and better.

変化が途切れなく、どんどんつづいていきます。

LESSON 233 比較 ⑲:比較級を用いたフレーズ 2

The Earth is no more than a little planet.

「no」には、つよい感情「全然そうではない」がやどっており、「~にすぎません(= only)」となります。

LESSON 234 比較 ⑳:比較級を用いたフレーズ 3

You’re no more a philosopher than my cat!

あきらかに論外なモノをひきあいにだし、「全然違いますよ」と、つよい否定の意識でいいます。

LESSON 236 英語は「配置の言葉」①:動詞 -ing 形

Sneezing man?

「sneezing」が「man」の前にあり、これは、「指定ルール」によりうしろの表現の種類を指定する位置です。ただの「男」ではなく「くしゃみ男」。

LESSON 237 英語は「配置の言葉」②:過去分詞

We were able to recover most of the stolen things.

過去分詞「stolen」が「things」の前におかれ、「指定ルール」によって「盗品」となります。

LESSON 238 英語は「配置の言葉」③: to 不定詞

I want to eat my ramen slowly.

「to 不定詞」が目的語の位置にあります。位置によって機能が決まります。

LESSON 239 英語は「配置の言葉」④:そろそろ英語、話せます!

He heard the news that Roxy went to the UK to study.

「the news」の内容を節が説明し「ロキシーがイギリスに留学した──というニュース」となります。「説明ルール」の典型例です。

英語は配置の言葉、文中の配置(場所)によって語句の働きがきまります。したがって配置(語順)がわかれば、そこに語句をほうりこむだけで英文がすぐにできあがります。簡単です。

その原則をしめしたのが「基本文型」(5つのパターン)であり、修飾の語順ルール、「指定ルール」「説明ルール」です。

基本文型
  • 自動型(I jog.)
  • 説明型(John is a student.)
  • 他動型(I like Mary.)
  • 授与型(I gave Mary a present.)
  • 目的語説明型(We call him Jimmy.)
修飾の語順
  • 指定ルール:前に置いた修飾語句は後ろを指定する
  • 説明ルール:後ろに置いた修飾語句は前を説明する

けっきょくこれだけのことであり、原則はとても単純です。この語順感覚を身につければ英語の学習は一気に加速します。

しかし英文和訳(英文読解)を基本として、日本語の語順で英文を理解することをくりかえしているといつまでたっても語順感覚が身につきません。なぜなら英語の語順の原則と日本語の語順の原則とはまったくことなるからです。英語にも日本語にも語順の原則がそれぞれにあり、それらはことなることに気がつかねばなりません。原則とは、現象の根本にある単純明快な原理あるいは法則といってもよいでしょう。

2021年度のラジオ英会話は、「なぜ日本人は英語を話せないのか?」という問いからはじまりました。そのこたえは英語の語順の練習をしていなかったということです。しかしラジオ英会話をくりかえしきいていれば語順感覚がおのずと身につき、英語がはなせるようになります。

感覚とは、耳や目などから、情報(音声や文字など)を内面にインプットする心(ハート)の働きであり、インプットの段階では、英語の語順をそのままうけいれる必要があり、日本語はかんがえないほうがよいです。英語をインプットしながら日本語訳を同時にかんがえることはインプットをさまたげます。英文をよみながら(みながら)日本語に英語をおきかえているとインプットがうまくできません。インプットをするときにはインプットに徹したほうがよく、入れるときには入れる、ちょっとした決断がいります。これは、英語にかぎらずあらゆるインプットに通じる教訓です。

一方、英語をはなす(声にだしていう)とは情報を外面にアウトプットすることであり、メッセージを相手につたえることです。そしてインプットとアウトプットのあいだには、理解・イメージング・記憶など、プロセシングがあり、とくに記憶は睡眠によってすすみます。

このような〈インプット→プロセシング→アウトプット〉は 心(ハート)の働きといいかえてもよいでしょう。インプット・プロセシング・アウトプットのそれぞれを自覚し意識すれば情報処理がすすみ効果があがります。ハートの仕組みを理解しハートをはたらかせることは、番組のキャッチフレーズ「ハートでつかめ!英語の極意」にも通じるとおもいます。

わたしも、おおくの日本人(とくに比較的ご年配の方々)が英会話ができない現実に国際協力などをとおしてつきあたり、日本の英語教育には問題があるとかねてからおもっていましたが、ラジオ英会話を受講して問題の核心がわかりました。それは、おそわるほうだけでなくおしえるほうもインプットの仕組みをしらず、インプットがうまくできていなかったということです。英語の語順感覚の習得をさまたげていたのは日本語であり、既知の知識や記憶・固定観念があらたなインプットを阻害します。したがってインプットをするときには、どのような分野でも、その情報をそのままうけいれ、受け身になってすなおに情報をとりこむ姿勢が必要です。このようにみるとやはり、わかい人のほうがインプットが得意です。あたらしいことをまなべます。

大西泰斗先生らが指導するラジオ英会話でいっていることは簡単なことのようですが、実は、あらゆる情報処理・教育・練習・訓練に通じる核心をついています。普遍性があります。普遍性があるので、ここでまなんだことはほかの分野にも応用できます。

ラジオ英会話は来年度も、大西先生らが指導するそうです。イメージ訓練が今度はできます。この講座を基点にして世界がさらにひろがるでしょう。

▼ 関連記事(2021年度 NHK ラジオ英会話)
説明ルールと指定ルール -「なぜ日本人は英語を話せないのか?」(NHK ラジオ英会話, 2021.04)-
配置でポン! -「基本文型で意志は伝わる」(NHK ラジオ英会話, 2021.05)-
学習を加速する -「位置がわかれば拡張は簡単」(NHK ラジオ英会話, 2021.06)-
単純さに気がつく -「『説明ルール』で英語を英語として使いこなす」(NHK ラジオ英会話, 2021.07)-
例外はありません -「名詞の説明」(NHK ラジオ英会話, 2021.08)-
うしろを指定する -「指定ルール」(NHK ラジオ英会話, 2021.09)-
心をはたらかせる -「助動詞の征服」(NHK ラジオ英会話, 2021.10)-
距離感をイメージする -「時表現を極める ①」(NHK ラジオ英会話, 2021.11)-
モデルをつかう -「時表現を極める ②」(NHK ラジオ英会話, 2021.12)-
心がうごく -「配置の転換」(NHK ラジオ英会話, 2022.01)-
配置の原則をつかう -「受動態・比較」(NHK ラジオ英会話, 2022.02)-
そのままインプットする -「配置の言葉」(NHK ラジオ英会話, 2022.03)-

イメージと言葉をむすびつける - NHK ラジオ英会話テキスト 2021 –
ファイルのしくみ -「大西泰斗の英会話☆定番レシピ」(NHK Eテレ)-

▼ 関連記事(2018年度 NHK ラジオ英会話)
ハートでつかめ! 英語の極意(NHK ラジオ英会話)
状況をおもいうかべて言う - NHK ラジオ英会話 –
英語の基本文型と語順ルール - NHK ラジオ英会話(4-5月)-
時表現を完成させる - NHK ラジオ英会話(6月)-
助動詞をつかいこなす - NHK ラジオ英会話(7月)-
修飾の語順を身につける - NHK ラジオ英会話(8月)-
否定と比較 - NHK ラジオ英会話(9月)-
to 不定詞 と 動詞 -ing 形 - NHK ラジオ英会話(10月)-
過去分詞・受動態・節 - NHK ラジオ英会話(11月)-
倒置・疑問文 - NHK ラジオ英会話(12月)-
関係詞節による修飾 - NHK ラジオ英会話(1月)-
仮定法と it - NHK ラジオ英会話(2月)-
英語のリズムを身につけよう -「文法力と語順の成熟」(NHK ラジオ英会話 3月)-

▼ 参考文献
『NHK ラジオ英会話』(2022年3月号テキスト)NHK 出版、2022年

▼ 関連教材

(冒頭写真:イングランド、ロンドン、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)、1999年 撮影)

3D「イスラーム王朝とムスリムの世界」(東京国立博物館)

イスラーム王朝史がわかります。さまざまなたくさんの人々を文明が統一します。文明の衝突がおこります。

イスラーム王朝史がわかります。さまざまなたくさんの人々を文明が統一します。文明の衝突がおこります。

マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」が東京国立博物館で開催されています(注1)。イスラームの豊富なコレクションをもつマレーシア・イスラーム美術館(注2)の全面協力をえて、特定の国家や地域によらない世界規模のイスラーム美術の展示が実現しました。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

アカンサス文柱頭
アカンサス文柱頭
(スペイン(後ウマイヤ朝)、10世紀、大理石)
エナメル彩人物文鉢
エナメル彩人物文鉢
(イラン、13世紀、フリット胎土)
文字文タイル
文字文タイル
(イラン、13世紀、フリット胎土)
青釉透彫タイル
青釉透彫タイル
(中央アジア(ティムール朝、14世紀、陶製)
天文学書
天文学書
(イラン、1347年)
ミフラーブ・パネル
(中央アジアまたはイラン(ティムール朝)、14〜15世紀、フリット胎土)
宝飾ヘッドドレスと儀礼用イヤリング
宝飾ヘッドドレスと儀礼用イヤリング
(モロッコ、1800年頃、金・宝石・エナメル)
七宝香炉
七宝香炉
(中国(清)、19世紀末)
ラスター彩アルハンブラ壺
ラスター彩アルハンブラ壺
(スペイン、19世紀、陶製)
ラスター彩水差
ラスター彩水差
(スペイン、20世紀初、フリット胎土)
『クルアーン』
『クルアーン』
(マレー半島東海岸、18〜19世紀)
メダイヨン文敷物(イラン、19世紀)、クルアーン・キャビネット(エジプト、19世紀末〜20世紀)、クルアーン台(オスマン朝、1800年頃)
メダイヨン文敷物(イラン、19世紀)、クルアーン・キャビネット(エジプト、19世紀末〜20世紀)、クルアーン台(オスマン朝、1800年頃)
ムスリム王朝の年表
イスラーム王朝の年表

1.ウマイヤ朝
預言者ムハンマドが632年に没すると、「正しく導かれた代理人たち」とよばれる「カリフ」が「ムスリム」(イスラーム教徒)をあらたにひきいます。聖典をあつめ、書写した「クルアーン」(コーラン)を冊子体に装丁し分配、これらは、「ウスマーン写本」としてしられるようになり、その内容と構成はかわらぬまま現代まで継承されます。

第4代カリフのアビー=イブン=アビー=ターリブが暗殺されると、シリアの総督だったムアーウィヤはみずからカリフを称して最初のイスラーム王朝である「ウマイヤ朝」(661~750)を創始します。首都を、シリアの「ダマスクス」におき、また洗礼者ヨハネ大聖堂の跡地に「ウマイヤ・モスク」を建立します。ウマイヤ朝の芸術は、ビザンティン帝国やサーサーン朝ペルシアなど、先行する文明の意匠や技術をとりいれます。文字芸術である「カリグラフィー」も発展します。

2.アッバース朝
アッバース家は、預言者ムハンマドにつながる家系であり、ウマイヤ朝のカリフに抵抗し、自分たちこそが正当な後継者であり、ムスリム帝国を継承すべきだと主張、アッバース朝初代カリフのサッファーフはウマイヤ家の後継者を殺害し、みずからの王朝をひらきます。762年、権力の座をシリアからイラクにうつし、円形をした平和の都「バグダード」を造営、商業・科学・芸術が大発展し、イスラーム文明は黄金期をむかえます。

3.ファーティマ朝とアイユーブ朝
ファーティマ朝は、「シーア派ムスリム」で預言者ムハンマドの娘ファーティマの家系であると称し、アッバース朝の衰退を機に北アフリカのチュニスからエジプトへ本拠をうつします。ファーティマ朝カリフがすむ宮殿が建設された新都は勝利者を意味する「カーヒラ」(カイロ)と命名されます。

1169年、ザンギー朝につかえていたサラーフッディーンがカイロに遠征、十字軍の脅威からカイロをまもり、1171年、ファーティマ朝に終止符をうち、「アイユーブ朝」の創始者としてみずから「スルタン」(君主)となります。

4.イランおよび中央アジアにおける初期の王朝
9世紀、アッバース朝はすでに弱体化しており、王朝は分裂をつづけ、中央アジアの「ガズナ朝」(977〜1186)や「ブワイフ朝」(945〜1055)、イラン系の「サーマーン朝」(819〜1005)など、地方王朝の君主が独立します。

5.モスク
モスクは、ムスリムの絆を強固にし、説教そして毎週金曜日の集団礼拝のために信者をあつめる役割をもちます。美術工芸品で華麗に装飾され、ムスリム社会の拠点として重要な役割をはたします。

6.北アフリカおよびスペインにおける王朝
ウマイヤ朝がシリアで滅亡すると、虐殺をまぬかれた王子アブド=アッラフマーン1世(在位756~788)はイベリア半島にのがれ、「コルドバ」を首都として「後ウマイヤ朝」をたてます。コルドバは、バグダードやカイロに匹敵する壮麗な宮殿でしられるようになり、輸入品をあつかう市場もひらかれ、ムスリム世界はもちろんヨーロッパ各地のすぐれた工芸品であふれかえります。

北アフリカでは、首都を「マラケシュ」に置く「ムラービト朝」(1062~1150)がさかえます。12世紀半ばには、「ムワッヒド朝」(1150~1269)が勃興し北アフリカを支配します。マラケシュを占領し、セビリアを首都としますが、1212年、「ナバス・デ・トロサの戦い」で敗北し、キリスト教諸王国連合軍に半島内の領土の大半をうばわれます。

7.セルジューク朝
11世紀の中央アジアでは、テュルク系遊牧民オグズ族が勢力を伸ばし「セルジューク朝」をおこします。1055年までに、「ホラーサーン」(イラン)とメソポタミア(イラク、シリア、アナトリアの一部) を占拠し、アッバース朝カリフと「スンナ派イスラーム」を保護します。最盛期には、中国西部から地中海世界まで版図をひろげましたが、1243年、モンゴル軍に大敗して服属します。

8.マムルーク朝
「マムルーク(奴隷軍人)」が反乱をおこし、アイユーブ朝をたおし「マムルーク朝」をたてます。首都をカイロにおき、エジプトとシリアで実権をにぎります。前期の「バフリー・マムルーク朝」(1250~1382)と後期の「ブルジー・マムルーク朝」(1382~1517)にわかれ、バフリー・マムルーク朝はモンゴル軍をやぶり(1260)、モンゴル帝国の西進を阻止、これにより、イスラームを擁護する王朝となります。

9.イル・ハーン朝とティムール朝
チンギス・ハーン(1167頃〜1227)の指揮下、モンゴルの遊牧民は東西に勢力を拡大し、クビライが中国に元朝をひらくと弟のフラグが版図拡大をひきつぎ、中央アジア・ペルシア(アフガニスタンとイラン)、アナトリアからアラル海までを支配します。1258年、バグダードが攻略され、アッバース朝は終焉、フラグが、イル・ハーンとなり、中国の大ハーンに忠誠をちかいます。モンゴルのイスラーム化がすすみ、1295年には、ガザン(1295~1304)がイル・ハーン朝の第7代君主となると同時にイスラームに改宗することを宣言します。

ティムール(1370~1405)は、モンゴル系貴族の出身でムスリムとしてそだった偉大な戦士であり、チャガタイ・ハーン国で傀儡のハーンをおき、みずからは、「アミール」(司令官・総督)であることを宣言します。サマルカンドを首都とし、イラン、メソポタミアを征服しアナトリアへと進出、さらにインド・デリーに入場します。

10.サファヴィー朝とカージャール朝
サファヴィー朝(1501〜1722)は、イスマーイール1世(在位1501〜1524)がタブリーズを占領し、初代「シャー」(王)に即位してイランに建国した王朝であり、イスラーム教「シーア派」を国教とします。第5代シヤー・アッバース1世(在位1587〜1629)の治世に首都が「イスファハーン」にうつり、建築・美術・工芸が開花します。

カージャール朝(1779〜1924)時代になると、伝統的なイスラーム社会のなかにもヨーロッパの影響がよりつよくみられるようになります。

11.武器
ムスリム世界のスルタンやシャーや皇帝にとって、戦時にも儀礼にも、最高の武具をもつことは当然のことであり、武器が完壁であるためには、良質な材料、俊敏なうごきを可能にする形状、王朝の富を象徴する装飾という3要素が不可欠でした。市街のいたる所で武器の売買がさかんになり、店がならぶ通りは「武器スーク(市場)」とよばれます。

12.オスマン朝
ルーム・セルジューク朝が崩壊後、1299年、テュルク系一族によるオスマン朝が北西アナトリアに成立します。建国当時は小国家でしたが、周囲の支援をうけて版図を拡大し、ビザンティン帝国を攻撃、1453年、オスマン朝スルタン・メフメト2世(在位1451〜1481)がコンスタンティノープルを征服、キリスト教国は終焉します。オスマン朝は、エディルネからコンスタンティノープルに首都をうつし、「イスラームブル」(イスタンブル)と改称します。王朝は、16世紀を通して東西に拡大し、メソボタミア、イランの一部、マムルーク朝工ジブ卜、シリア、北アフリカの一部を支配下におきます。さらに、ハンガリー王国のベオグラードを制圧、ウィーンにまでせまります。また、ヒジャーズ地方の聖地マッカ(メッカ)とマディーナ(メディナ)の保護権も獲得します。

13.イスラーム書道芸術
ムスリム世界で文字は、モスクの正面や内部、中庭宮殿、公共建築など、おおくの建築物を装飾しているほか、福音の語句が染織や金属器・ガラス器・木工品などの装飾に、またクルアーンの章句や預言者の言葉の書写、そして詩や散文の語句の引用などが紙にしるされ、個人的に所有されたり、護符としてもちいられたりし、さらに、日用品や調度品に文字装飾をほどこすことでその存在意義をたかめる役割もはたします。

14.ムガル朝
ティムールとチンギス・ハーンの系譜をつぐ人物であるザヒールッディーン=バーブル(在位1526〜1530)はムガル朝の創始者であり、彼の孫アクバル(在位1556〜1605)の治世にインド亜大陸に領土が大きくひろがります。アクバルは、アーグラー近郊の新都ファテープル・スィークリーに宮殿を建設し、彩飾写本の製作を命じ、イランとインドの伝統要素が融合したムガル様式がうまれます。

以上のように、さまざまな工芸品・美術品などをイスラーム王朝史とともにみていけば、イスラーム文明がこれまでにいかに繁栄したかがよくわかります。

イスラームの美術は、洗練された色彩と計算された幾何学によるシンプルな造形に特徴があり、数学的なうつくしさと形容したくなります。

イスラーム文明は、準湿潤〜湿潤で成長した中国・儒教文明やヒンドゥー文明(温帯・熱帯の文明)とはことなり、乾燥帯で基本的に発達した文明であり、人間(主体)と自然環境の相互作用(インプットとアウトプット)によって文明が発達することを前提とすると、乾燥帯というシンプルな自然環境がシンプルなうつくしさに反映しているのではないかという仮説がたてられます。このことはイスラーム現代絵画をみてもあきらかです。

イスラーム現代絵画

イスラーム文明は、預言者ムハンマド(632年没)以来の歴史をもち、他方で、イスラーム文明圏という広大な領域を地球上に形成し、歴史的存在であると同時に地理的存在であり、一地方の文化が高度化・広域化して文明が発展するという文明成立のパターンをここにみることができます。イスラーム教はその中心にあり、民族や国家や時代をこえて、たくさんのさまざまな人々を統合し、地球上においてひとつの文明圏をつくり、大文明をうみだしました。いわゆる世界宗教(高等宗教)が文明の中心にはかならずあります。

現代は、近代化・グローバル化がすすみ、近代文明あるいは全球文明が発展しつつある時代ですが、前近代において成立・成熟した文明(前近代的文明)は依然としていきており、おおきな影響力を今なおもっています。

前近代において成立・成熟した文明としては、ほかに、中国・儒教文明、ヒンドゥー文明、ヨーロッパ・キリスト教文明があり、それぞれに特色をもち、それぞれに自己主張をし、それぞれに対立しています(ヨーロッパ・キリスト教文明にはアメリカもふくまれます)。

その結果、中国・儒教文明とヒンドゥー文明が衝突し、ヒンドゥー文明とイスラーム文明が衝突し、イスラーム文明とヨーロッパ・キリスト教文明が衝突し、ヨーロッパ・キリスト教文明と中国・儒教文明が衝突し、こうして諸文明の衝突は今後ともつづくだろうと予想できます。

とくに、イスラーム文明の中心地はアジアとヨーロッパとアフリカが接する場所であり、文明の十字路であり、地球上の要衝といってもよく、紛争がたえません。

辺境の民族・重層文化の民である日本人には、大陸の諸文明とくにイスラーム文明について理解が不足していますが、諸文明を対比し、世界史と地域性を文明の観点からあらためてとらえなおせば理解がすすむでしょう。イスラーム文明を理解せずして世界は理解できません。

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▼ 注1
マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」
会場:東京国立博物館・アジアギャラリー(東洋館 12・13室)
会期:2021年7月6日~2022年2月20日

▼ 注2
Islamic Arts Museum Malaysia(マレーシア・イスラーム美術館)

▼ 参考文献
ルシアン=デュ=ギース・勝木言一郎・猪熊兼樹・小野塚拓造編集『マレーシア・イスラーム美術館精選 イスラーム王朝とムスリムの世界』(図録)、東京国立博物館発行、2021年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』 中央公論新社、1996年

※ 川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』の 第II部「ユーラシア諸文明の生態史」において、前近代において成立・完熟した7つの文明(前近代的文明)、(1)中国文明、(2)チベット文明、(3)ヒンズー文明、(4)イスラーム文明、(5)ビザンチン文明、(6)ラテン文明、(7)西欧文明(ビザンチン文明・ラテン文明・西欧文明はヨーロッパ・キリスト教文明としてくくることもできる)について概説しており、たいへん参考になります。自然環境と人間のやりとりによって文明が発達することがわかります。

▼ 参考サイト
グラフィック:スンニ派とシーア派ってどういうこと?(NHK)

3D「アイヌプリ - 北方に息づく先住民族の文化 -」(國學院大學博物館)

先住民族の流儀が北方に息づきます。カムイがカミ(神)になりました。日本の深層にアプローチします。

先住民族の流儀が北方に息づきます。カムイがカミ(神)になりました。日本の深層にアプローチします。

金田一京助・久保寺逸彦没後50年・企画展「アイヌプリ―北方に息づく先住民族の文化―」が國學院大學博物館で開催されています(注1)。

ステレオ写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

アトゥㇱ(樹皮衣)
アトゥㇱ(樹皮衣)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
ニマ(椀)と イタ(盆)
ニマ(椀)と イタ(盆)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
マキリ(刀子)
マキリ(刀子)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
タンパコオプ(喫煙具)
タンパコオ(喫煙具)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
タマサイ(首飾り)とエムㇱ(飾太刀・腰刀)
タマサイ(首飾り)とエムㇱ(飾太刀・腰刀)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
イクパスイ(捧酒箸)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)
イクパスイ(捧酒箸)
(北海道アイヌ、明治-昭和時代、19-20世紀)

「アトゥㇱ(樹皮衣)」は、オヒョウなどの北方に多産する落葉高木からえた糸でおった樹皮衣であり、独特の文様を刺繍したものがおおく、なかには、染糸を駆使して縦縞をあしらった生地のものもあります。アイヌの伝統的衣服には、獣皮や鳥毛、草木の繊維、交易で入手した木綿などの素材が利用されました。

「ニマ(椀)」は、ふかさのある椀状のもので、長形・丸形・把手つきなど様々な形状とサイズがあり、料理をもるだけでなく、こねたり すりつぶしたりする際の調理器具としての役割もありました。

「イタ(盆)」は、平たい形状のもので盆としておもにつかわれましたが、料理を直接もることもありました。

アイヌの人々は、さまざまな日用品を木でつくりだし、いずれも、「マキリ」という小刀をつかって男性が製作し、うつくしいアイヌ文様がしばしばほどこされました。

「マキリ(刀子)」は、男女ともに携帯した小刀であり、日常生活のさまざまな手仕事に使用しました。鞘や柄には、抽象・具象文様の彫刻が精緻にほどこされ、アイヌの代表的な工芸としてもしられます。女性用のこぶりな「メノコマキリ」は、装飾性がとくにたかいものがおおく、求愛の証として男性からおくられたといいます。幕末頃からは、土産品としての需要も発生し、和人の家紋を意匠にくみこんだものもあります。

「タンパコオ(喫煙具)」は、うつくしく彫刻で装飾された印籠状の煙草入れであり、「キセリ(煙管)」とともに腰からさげて携行されました。喫煙の風習は、和人や大陸との交易によってもたらされ、日常生活における嗜好品のみならず、他者と交流をふかめる際や、「カムイ(カミ、神)」や祖先への祈りをささげるおりなど、儀礼や祭祀に不可欠なものとして重宝され、社会的・文化的におおきな意味をもちました。

「タマサイ(首飾り)」は、ガラス玉をつらねたアイヌ独自の首飾りであり、儀礼の際に女性が身につけます。母から娘、姑から嫁へとうけつがれる「イコㇿ(宝物)」であり、連数がおおいほど上等とされます。ガラス玉はおもに大陸からの移入品であり、北東アジアを経由して清と松前をつないだ物流網のなかで、アイヌがおこなった山丹交易をとおして入手されました。

「エムㇱ(飾太刀・腰刀)」は、儀礼や祭祀のときに男性が身につける装身具です。外装には、自製の木製品や、和人との交易で入手した金属製の拵(こしらえ)などがあります。アイヌは、金属器を輸入にたよっていたため、刀身を欠いた竹光状のものもおおくみられます。宝物としてあつかわれるものは祭壇にかざられることもあります。アイヌの人々は、儀礼や祭祀の際にはさまざまな装身具を着用して威儀をただします。

「イクパスイ(捧酒箸)」は、アイヌと「カムイ(カミ、神)」が対話するための重要な祭具です。アイヌの人々は、ともにくらすカムイに対してさまざまな祈りをささげ、祭祀や儀礼において、イクパスイの先端につけた酒をカムイヘささげ、人間の不完全な言葉を完全にしてカムイにつたえられると信じてきました。抽象・具象の文様 は、動植物や生業活動をモチーフとしたものもおおく、カムイヘささげられた願い事をうかがいしる手がかりとなります。

アイヌの人々は、「まわりに存在する数限りない事象にはすべて『魂』が宿っている」とかんがえます。広大な大地、はてしない海原、ながれゆく川、ゆたかな自然のなかを大小の動物たちが往来し、色とりどりの植物が山々に群生します。これらすべてが魂を宿しているということは、ある使命をになって天上からまいおりてきて姿かたちをかえながらこの地上にすんでいる証であり、天上の世界では別の姿をしていたものがこの世にきて、動物や植物といった事象に化身したのであり、このようなものがアイヌの人々には「カムイ」として意識されます。したがってゆたかな自然のいたるところに、この世でのつとめをになったカムイが姿をかえてそれぞれすんでいるということになります。

カムイは、「人間の生活にとって必要なもの、人間の能力以上のものをもったもの」ですから、それらから、いきていくためのエネルギーを人間はもらわなければならず、カムイの庇護なくして生活はなりたたず、したがってカムイをうやまうことは当然のことであり、くらしを保障してもらうことへの願いとこれまでの感謝の意を「祈り」という儀式をとおして言葉に託してカムイにささげます。

このような儀式の際になくてはならない祭具のひとつが「イクパスイ(捧酒箸)」であり、これによって、人間の言葉が多少つたなくてもおぎなわれ、願いや感謝の気持ちがカムイに十分につたわります。

このように、人間が、カムイにすべきことをし、これに対してカムイが、なすべきことをすることによってカムイと人間の相互の生活が成立するのであり、こにに、カムイと人間が自然を媒介して調和したアイヌの世界観がみられます。

そしてアイヌ民族は日本の先住民族であり、アイヌ文化は先住民族の文化であるという前提にたつと、先住民族の「カムイ」が、その後の日本の「カミ(神)」になったのではないかという仮説がたてられます。

このようにかんがえると、自然現象や自然物をうやまう日本人の自然崇拝や、山・巨岩・滝・巨木などの御神体、成仏の範囲を、僧ばかりか俗人一般さらに動植物や山川にまで拡大し「山川草木悉皆成仏」をとく日本仏教などもよく理解できます(注2)。

アイヌの言葉と日本語の相似の例、アイヌ語が日本語になったとおもわれる例はほかにもたくさんあり、アイヌ文化を探究すれば、日本の深層文化を理解する手がかりがえられるはずであり、アイヌ文化をしることは日本の深層にアプローチすることになります(注3、4)。

▼ 関連記事
特別展「先住民の宝」(国立民族学博物館)1 - アイヌ –
梅原猛『日本の深層』をよむ(その1. 東北の旅)

▼ 注1
企画展「アイヌプリ―北方に息づく先住民族の文化―」
会場:國學院大學博物館
会期:2021年11月18日~2022年1月22日
※ 一部のみ撮影が許可されています。
企画展「アイヌプリ―北方に息づく先住民族の文化―」を展示解説!(YouTube)

▼ 注2
日本の「カミ(神)」と西洋の「god」はまったくことなり、神=god とかんがえていると誤解が生じます。

▼ 注3
ある地域の中心地では進歩・発展によりふるいものがうしなわれますが、中心からはなれた所ではふるきよきものがのこる傾向にあります。ふるい文化は辺境にのこります(ドーナツ化モデル)。

▼ 注4
アイヌ文化は日本の先住民族の文化ではないかという仮説がたてられますが、ただし今日のアイヌ文化は、外来文化の影響をうけていくらか変化している可能性もあるので、現在観察できる物事をいったん要素に分解し、くわしくしらべなおす必要があります。このような作業は分析ともいい、演繹法の実践例でもあります。

▼ 参考文献
國學院大學博物館編集・発行『アイヌプリ―北方に息づく先住民族の文化―』(図録)、2021年
アイヌ民族博物館・児島恭子監修『アイヌ文化の基礎知識』(増補・改訂版)草風館、2018年
『今こそ知りたいアイヌ』(サンエイムック 時空旅人 ベストシリーズ)三栄、2021年
梅原猛著『梅原猛著作集 7 日本冒険(上)』小学館、2001年
梅原猛著『梅原猛著作集 8 日本冒険(下)』小学館、2001年

※ アイヌ民族博物館・児島恭子監修『アイヌ文化の基礎知識』は、アイヌ文化に関する基本的な事項をわかりやすく概説しており、アイヌの代表的な言葉もわかります。入門書としておすすめします。
※ 『今こそ知りたいアイヌ』は、ふんだんに写真をつかった一般むけアイヌ・ガイドブックです。アイヌ関連の博物館・資料館、アイヌゆかりの地なども紹介しており、旅行案内書としても有用です。
※ 梅原猛著『梅原猛著作集 7 日本冒険(上)』では「二─火 その二」「「四-鳥 その二」において、『梅原猛著作集 8 日本冒険(下)』では「第四の旅 母文明」においてアイヌについてくわしく論述しています。アイヌ文化とともに沖縄文化についてものべ、弥生人(渡来人)がつくった大和朝廷の支配下に はいらなかった先住民族が日本列島の北と南にのこり、それらがアイヌと沖縄人ではないかという仮説を提案し、アイヌ文化と沖縄文化を日本本土の文化と比較研究するという今後の方針がしめされます。

▼ 参考サイト
国立アイヌ民族博物館
国立民族学博物館「東アジア展示・アイヌの文化」

那須サファリパーク事故・ヒューマンエラー説

事実・前提・仮説をおさえます。冷静に論理をすすめ、問題の核心にせまります。教訓をいかします。

事実・前提・仮説をおさえます。冷静に論理をすすめ、問題の核心にせまります。教訓をいかします。

2022年1月5日、栃木県那須町の那須サファリパーク(注1)でトラ(名前=ボルタ)に飼育員がおそわれる事故がありました。

5日午前8時半ごろ、栃木県那須町の「那須サファリパーク」から「飼育員がトラに襲われた」と119番があった。20代の男女計3人の飼育員がトラに頭や腕をかまれるなどして負傷し、緊急搬送された。女性1人は右手首から先を失う重傷という。

県警那須塩原署や同園によると、負傷したのは26歳と22歳の女性、24歳の男性。飼育担当の26歳の女性がトラを屋外の展示スペースに出す準備作業中、獣舎と屋外をつなぐ通路でトラ1頭と鉢合わせし襲われたという。叫び声を聞いて駆けつけた2人も相次いで襲われた。

「トラに襲われた飼育員 1人は右手失う重傷 那須サファリパーク」
毎日新聞、2022年1月5日

1月7日までにつぎの事実があきらかになりました(注2)。

  • トラ舎は平屋で、中には獣舎が五つ並んでおり、トラ2頭が使っていた。
  • トラは、展示終了後、移動用の「アニマル通路」を通って獣舎に戻り、夜を過ごすことになっている。
  • 4日も、ボルタは、展示スペース(外)に出て、閉園の午後4時半すぎには獣舎に戻る予定だった。
  • 獣舎の扉は、ワイヤ式ロープで開閉し、閉めた後は施錠することになっている。
  • 5日午前8時17分、女性飼育員(26)が獣舎が並んだ施設内に入り、園の安全確認をするために施設を通り抜けようとした。
  • 5日は凍結があり、ふだんは通らない施設内を園の安全確認のために通ろうとした。
  • もう1人の男性飼育員(21)は、安全確認後に電源を入れるため外に待機していた。
  • 「わあっ」という叫び声に、この男性飼育員が見ると、「キーパー通路」に女性飼育員とトラがいた。
  • 獣舎は通常は、夕方のトラ収容後に施錠するが、5日朝は獣舎外にトラがいた。
  • 「キーパー通路」と一番端の動物のいない獣舎の間の扉も、その獣舎と「アニマル通路」の間の扉も開いていた。
  • 別の男性飼育員(24)と施設内の「前室」の奥にいた別の女性飼育員(22)が駆けつけ、相次いで襲われた。
  • 午前8時55分ごろ、獣医師が麻酔銃をうち救助。葛原支配人が119番通報した。
  • ボルタが収容されていたはずの獣舎の扉は閉じて施錠してあった。
  • ボルタの獣舎には餌の肉を用意していたが、5日、餌の肉はそのまま残っていた。
  • 通路には、トラのフンが落ちていた。
  • 4日の閉園後、同日担当の飼育員2人は、ボルタが、「アニマル通路」までは戻ったことは確認しているが、獣舎に戻ったことは確認したかどうか不明だという。
トラ舎の平面図
トラ舎の平面図

以上の事実(データ)をふまえ、扉や鍵がこわれたなど、構造的・物理的な欠陥・破損がトラ舎(建物)にはなかったことを前提とすると、つぎの仮説がたてられます。

展示スペース(外)からもどってきたトラ(ボルタ)は「アニマル通路」までははいりましたが、飼育員が扉をあけていなかったため「獣舎」にははいれず、「アニマル通路」で一夜をすごし、翌朝、「獣舎 ①」と「アニマル通路」をとおって展示スペース(外)にでようとした飼育員と鉢合わせ、飼育員は、「キーパー通路」へにげようとしておそわれ、かけつけた2人の飼育員も「キーパー通路」でおそわれたのではないでしょうか。すなわちこの事故は、トラを獣舎にもどさなかったというヒューマンエラーによっておこったとかんがえられます(ヒューマンエラー説)。

  • 事実:上記のとおり。
  • 前提:トラ舎(建物)には欠陥・破損はなかった。
  • 仮説:ヒューマンエラー説。

〈事実→前提→仮説〉とすすむこの論理は仮説法です。仮説をたてるためには事実と前提を区別しておさえる必要があります。

そしてもし、この仮説がただしいとすると、マニュアルどおりに飼育員・関係者が行動していなかった、マニュアルが不完全だった、トラ舎および施設の管理・運営に問題があった、注意力・集中力が関係者に欠けていたなど、仮説を裏づける証言が多数えられるだろうと予想できます。

そこで実際に、関係者からききとりをして確認します。現場検証もあわせてすすめます。結果は記録され、あらたな証拠となります。

1月15日までにつぎの証言がえられました(注3)。

  • 事故前日の今月4日、2人の飼育員が、展示スペースと獣舎をつなぐアニマル通路までトラを入れたが、1人は、別の動物を収容するため、「獣舎に(餌の)肉を置いてトラを入れて」と指示し、先にトラ舎を出た。もう1人は、「肉は置いたが、獣舎との間の扉を開けたかどうか覚えていない」という。
  • 事故前日、飼育員がトラを獣舎へ収容する際、マニュアルに定められた2人ではなく、1人で作業していた。マニュアルでは、2人で獣舎の中に入ったことを目視で確認することになっていた。
  • 前日にトラを獣舎に戻す際に、おりのある建物周辺に雪が積もっていたため、普段は行わない除雪作業に飼育員は追われていた。業務マニュアルの手順にはない雪かきを行っていた。
  • トラが、獣舎に入るのを嫌がるなど異常事態があった時は日誌に記録するが、そのような記録もなかった。
  • トラ舎を抜けて展示スペースへ向かうこともよくあった。「アニマル通路」を飼育員が通ることが常態化していた。
  • トラ舎を抜けずに展示スペースへ出入りするための外部からの出入口の扉は壊れて使えない状態だった。
  • 前提:トラ舎(建物)には欠陥・破損はなかった。
  • 仮説:ヒューマンエラー説。
  • 予想と確認:上記の証言・現場検証。

〈前提→仮説→予想と確認〉とすすむこの論理は演繹法です。

こうして演繹法をくりかえしているとあらたな事実がつぎつぎにうかびあがります。たとえば、「トラ舎を抜けずに展示スペースへ出入りするための外部からの出入口の扉がこわれていた」、「アニマル通路を飼育員が通ることが常態化していた」、「飼育員は前日、通常の手順にはない除雪作業をおこなっていた」などは新事実であり、今回の事故が単純なヒューマンエラーではないことがわかります。施設や組織の構造的欠陥、通常とはちがう出来事があり注意力が低下したなど、はじめに見当をつけた以上のことがわかってきます。あらたにえられた情報を総合すれば、今回のヒューマンエラーの背後にあるもっとおおきな問題があきらかになります。本質的・一般的なことにせまれます。この過程は帰納法です。

今回の事故では、「キーパー通路」つまり人間の領域までトラがでてきており、場合によっては、「前室」から、外の駐車場(サファリパークの入口)までトラがでてきた可能性もありました。

那須サファリパークでは1997年と2000年にも、ライオンに飼育員がおそわれる事故がおこっており、また京都市動物園では2008年、トラにおそわれ飼育員が死亡しています。これらの教訓は残念ながらいかされませんでした。ふたたび事故をおこさないために冷静に論理をすすめ、解決策を立案しなければなりません。

▼ 注1
那須サファリパーク

▼ 注2
「トラに襲われた飼育員 1人は右手失う重傷 那須サファリパーク」(毎日新聞、2022年1月5日)
トラに襲われ飼育員3人けが 2人重傷 栃木 那須サファリパーク(NHK NES WEB、2020年1月5日)
「『わあっ』と叫び声、なぜおりの外にトラ? 那須サファリパーク事故」(朝日新聞、2022年1月7日)
「飼育マニュアル違反か 那須サファリに行政指導 トラに襲われ飼育員けが」(とちぎテレビ、2022年1月7日)

▼ 注3
「トラに襲われ3人けが 除雪作業影響で確認不十分か 団体調査」(首都圏 NEWS WEB、2020年1月12日)
「事故前日に1人でトラ収容作業 獣舎への扉開け忘れとの見方」(下野新聞、2020年1月15日)

3D さくやこの花館「極地の植物」

咲くやこの花館は極地の植物も展示しています。低緯度から高緯度まで、熱帯から寒帯まで、多様な環境が実感できます。極限(極端)をしると全体像が容易につかめます。

咲くやこの花館は極地の植物も展示しています。低緯度から高緯度まで、熱帯から寒帯まで、多様な環境が実感できます。極限(極端)をしると全体像が容易につかめます。

咲くやこの花館(注1)には、「極地の植物」展示室が高山植物室に隣接して小規模ながらあり、北極と南極の植物が紹介され、極限の環境を垣間みることができます。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます(注2)。
立体視のやりかたはこちらです。

コケマンテマ
(ナデシコ科、周北極)
サリクス・ポラリス(ヤナギ類の仲間、ヤナギ科、北極圏)
サリクス・ポラリス
(ヤナギ類の仲間、ヤナギ科、北極圏)
クジャクシダ(adiantum pedatum、ホウライシダ科)
クジャクシダ
(adiantum pedatum、ホウライシダ科、周北極)
チョウノスケソウ(東アジア北部、バラ科)
チョウノスケソウ
(東アジア北部、バラ科)
クロヒゲゴケ
(サルオガセ科、周南極)
クロヒゲゴケ
(サルオガセ科、周南極)

北極圏は、北緯66度33分よりも北の地域であり、シベリアや北アメリカ大陸北部では永久凍土の表面が夏にはとけるため、草本植物や地衣類からなるツンドラがひろがり、樹木としては、地面をはうようなシラカバやヤナギの仲間が少数種みられます。コケマンテマやチョウノスケソウなど、アルプスやロッキー山脈のものとの共通種もあります。

南極大陸では、比較的あたたかい南緯68度付近の南極半島に、花をつける植物として、ナンキョクミドリナデシコ(ナデシコ科)とナンキョクコメススキ(イネ科)が自生します。そこよりも南のさむい地域ではコケ類や地衣類などの隠花植物が分布し、地衣類は、南緯89度あたりまでみられます。日本の昭和基地周辺には、6種類のコケと30種類あまりの地衣類が生育しています。

ケッペンの気候区分によると、樹木がみられない気候は、乾燥して樹木が生育できない「乾燥帯」と、低温で樹木が生育できない「寒帯」に分類され、寒帯は、月平均気温が最暖月でも10℃未満で、夏の最暖月の月平均気温が0℃以上になる「ツンドラ気候」と、年間をとおして月平均気温が0℃未満となる「氷雪気候」に区分されます。

ツンドラ気候は、北極海沿岸やチベット高原・アンデス山脈などの高山地域に分布し、みじかい夏には氷雪や凍土層がわずかにとけて大小の湖沼や湿地がひろがり、コケ類(蘚苔類)やシダ類(地衣類)などが生育します。土壌は、有機物の分解が低温のためすすまない「ツンドラ土」が分布します。

氷雪気候は、氷雪に年中おおわれ、大陸氷河が特徴的な南極大陸やグリーンランド内陸部に分布します。

咲くやこの花館にいけば、熱帯から高山帯・極地まで、植物と環境の多様性を一度に一気に体験できます。熱帯と寒帯という両極端を対比することによって地球上の自然環境の全体像が容易につかめます。また環境の要素として気温と降水量が非常に重要であることもわかります。大変すぐれた植物館です。

▼ 関連記事
3D 咲くやこの花館「熱帯雨林植物室」
3D 咲くやこの花館「熱帯花木室」
3D 咲くやこの花館「乾燥地植物室」
3D 咲くやこの花館「高山植物室」

3D 刺激スパイス展(咲くやこの花館)

モデルをつかって気候帯をとらえる - 寒帯(『気候帯でみる! 自然環境〈5〉』)-
極北の野生にせまる危機(ナショナルジオグラフィック 2018.6号)
北極経済圏が出現する -『ナショナルジオグラフィック』(2019.9号)-
消える生命の氷 -「南極半島」(ナショナルジオグラフィック 2018.11号)

極端な環境をしる -「ゾクゾク深海生物」(サンシャイン水族館 11)-
極端を知って全体をとらえる - 本多勝一著『極限の民族』(3)-
超深海・極限の生物 - 特別展「深海 2017」(国立科学博物館)(2)-
最高の国と最低の国を知り、物差しをつくる - 眞淳平著『世界の国 1位と最下位』-
物の最大を知って全体像をつかむ -『信じられない現実の大図鑑』-

▼ 注1
咲くやこの花館
咲くやこの花館【公式】動画チャンネル

咲くやこの花館フロアマップ

▼ 注2
撮影日:2021年10月20日

▼ 参考文献
『咲くやこの花館ガイドブック』財団法人大阪市公園協会発行、1990年
こどもくらぶ著・高橋日出男監修『気候帯でみる!自然環境〈5〉寒帯』少年写真新聞社、2013年
村瀬哲史著『村瀬のゼロからわかる地理B 系統地理編』学研プラス、2018年

▼ 関連書籍

「味覚 - 食を “味わう” メカニズム -」(milsil 2021 No.6)

舌はセンサー、脳はプロセッサーです。味は脳で生じます。情報処理を自覚します。

舌はセンサー、脳はプロセッサーです。味は脳で生じます。情報処理を自覚します。

国立科学博物館の情報誌『milsil』2021年 No.6 が味覚を特集しています。

ヒトを含む哺乳動物では、舌に存在する味蕾(みらい)が味覚受容器官(センサー)として働き、食べ物に含まれる化学物質を感知します。(中略)

次に、味細胞から出た味の情報は電気信号となって神経へと伝達されて脳へと入っていきます。(中略)

近年の神経科学の技術革新により、味細胞から出たそれぞれの味の情報は、脳内の味覚伝導路で互いに交わることなく味覚野まで到達するということが明らかになってきました。

神経科学の近年の進歩により味を感じる仕組みがくわしくわかってきました。口のなかにはいってきた食べ物(化学物質)の刺激は、舌の表面にならぶ「味蕾(みらい)」とよばれる器官で受容され、電気的な信号に変換され、神経系によって電気信号が脳につたわり、脳が味を認識します。つまり味は脳で感じています(味は脳がつくりだします)。味蕾はセンサー、脳はプロセッサーといってもよいでしょう。

味蕾は、花の蕾(つぼみ)のような形をしているのでこうよばれ、舌の先端と側面と奥の部分に分布しており、大人では5000〜7500個ほどあり、一つ一つの味蕾は50〜100個の「味細胞(みさいぼう)」で構成され、基本五味のいずれかをそれぞれの味細胞が感知します。基本五味とは、甘味・うま味・苦味・塩味・酸味であり、甘味は砂糖などの糖質、うま味は肉類や野菜にふくまれるアミノ酸や核酸などの栄養素の存在をしめし、塩味は食塩である塩化ナトリウムの味、酸味は酢やレモンなど酸性度を決める水素イオンの味です。また苦味はさまざまな物質に対して感じられ、毒素の検知におもに関与します。なお うま味は日本人が発見した味であり、出汁(だし)にふくまれるグルタミン酸というアミノ酸のおいしさから名づけられ、世界的にも「umami」とよばれます。

味細胞からでた味の情報は電気信号となって神経へ伝達され脳へはいります。電気信号は、脳内の味覚伝導路でたがいにまじわることなく味覚野まで到達するということが近年あきらかになってきました。つまり脳には、たとえば甘味情報だけをつたえる神経の配線(甘味神経)や苦味情報だけつたえる神経の配線(苦味神経)が存在し、味蕾から大脳皮質味覚野まで一直線に信号が到達します。味覚情報のこうした脳内での流れは「ラベルドライン(標識された線という意味)」とよばれます。

味覚情報はさらに、「扁桃体(へんとうたい)」とよばれる感情をつくりだす脳の領域におくられ、甘味のおいしさや苦味のまずさがつくられ、味覚に対する価値判断がうまれます。

このように、舌はセンサーであり、脳はプロセッサーであり、インプットとプロセシングがおこっており、味とは絶対的なものではなく、人間独特の情報処理の結果として生じたものです。食べ物(物質)そのものに味がついているわけではなく、さまざまな情報を味として認識しているにすぎません。

物質を受容して生じる感覚としては嗅覚も同様です。嗅覚も、低分子化合物を受容して生じる感覚ですが、味覚は、ppm(100万分率)以上の高濃度で感じるのに対し、嗅覚は、ppb(10億分率)や ppt(1兆分率)といったごく低濃度で生じるという特徴があります。

あるいは視覚や聴覚も同様であり、光(電磁波)に色がついているわけではなく、空気振動に音(音色)がついているわけではなく、情報処理が脳でおこって色や音が生じます。

こうして、わたしたち人間は感覚をつかって環境を認識していますが、その環境は絶対的なものではなく、人間独特の情報処理の結果として生じています。すなわち基本的に人間は情報処理をする存在であるといえます。このことに気がつくことはとても大事なことであり、情報処理を自覚するだけでもこれまで以上に物事がすすみます。

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▼ 参考文献
『milsil』2021年 No.6、国立科学博物館(味覚 - 食を “味わう” メカニズム -)

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3D 国立科学博物館「宇宙を見る眼」- 地動説・ケプラーの法則・万有引力の法則 –

地動説の発想からすべてがはじまりました。仮説法・演繹法・帰納法がつかわれました。事実・前提・仮説をおさえることが重要です。

地動説の発想からすべてがはじまりました。仮説法・演繹法・帰納法がつかわれました。事実・前提・仮説をおさえることが重要です。

国立科学博物館・地球館の地下3階は「自然のしくみを探る」展示フロアであり、その「宇宙を探る」展示エリアの第1コーナーでは「宇宙を見る眼」と題して宇宙を観測してきた歴史を解説しています(注1)。

ステレオ写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

「宇宙をみる眼」展示コーナー
「宇宙をみる眼」展示コーナー
ガリレオとニュートンの望遠鏡
ガリレオ(上)とニュートン(下)の望遠鏡(複製)
ニュートンの望遠鏡
ニュートンの望遠鏡(複製)
すばる望遠鏡
すばる望遠鏡(模型)
略年表
  • 1473 ニコラウス=コペルニクス、うまれる。
  • 1543 コペルニクス、『天体の回転について』を出版する(地動説を発表)。
  • 1564 ガリレオ=ガリレイ、うまれる。
  • 1571 ヨハネス=ケプラー、うまれる。
  • 1608 望遠鏡が発明される。
  • 1609 ガリレイ、自作の望遠鏡で天体を観測する。
  • 1609 ケプラー、『新天文学』を出版する(ケプラーの第1法則・第2法則を発表)。
  • 1610 ガリレイ、『星界からの報告』を出版する(あらたな観測により地動説を実証)。
  • 1611 ケプラー式屈折望遠鏡が考案される。
  • 1619 ケプラー、『世界の調和』を出版する(ケプラーの第3法則を発表)。
  • 1642 アイザック=ニュートン、うまれる。
  • 1668 ニュートンにより反射望遠鏡が製作される。
  • 1687 ニュートン、『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』を出版する(万有引力の法則などを発表、力学を体系化)。
年表

「ガリレオの望遠鏡」は、イタリアのフィレンツェ科学史博物館に保存されている、ガリレオ=ガリレイ(1564-1642)自作の2本の望遠鏡のうちの1本を現地で忠実に複製したものです。木製筒に金模様のはいった革張りで、倍率は約20倍、対物レンズは焦点距離980mmで有効口径16mmにしぼった凸レンズ、接眼レンズは焦点距離48mmの凹レンズであり、木星観測に使用され、1610年に出版された『星界の報告』に貢献したといわれます。

ガリレオ=ガリレイは近代科学の祖といわれ、1608年頃オランダで発明されたといわれる望遠鏡に興味をもち、みずからの工夫で60本以上の望遠鏡を生涯で製作し、月のクレーター、太陽の黒点と自転、木星の4大衛星などをつぎつぎに発見しました。

またヨハネス=ケプラー(1571-1630)が1611年に考案した屈折望遠鏡は、接岸レンズを凸レンズにしたものであり、この形式が今日ではひろく使用されています。

「ニュートンの望遠鏡」は、アイザック=ニュートン(1642-1727)が考案・製作し、英国王立協会に1671年に提出した反射望遠鏡を忠実に複製したものです。屈折望遠鏡では、天体の像をむすばせるための対物レンズとして凸レンズをつかうため、色収差(光の波長によって焦点の位置がことなるためにおこる像のゆがみ)をとりさることができないとかんがえ、凹面反射鏡を対物側にもちいました。1668年にはじめて製作したものは口径34mmのちいさなものでしたが、実際に使用できる世界最初の反射望遠鏡となりました。

ニュートンは、万有引力を発見したことでひろくしられ、数学・力学・光学・天文学などのおおくの分野で先駆的な理論的研究のみならず実験的研究をおこない、近代科学の土台をきずきました。

「すばる望遠鏡」は、世界でもっとも条件のよい観測地のひとつであるハワイ島マウナケア山頂に1991年から8年の歳月をかけて日本の国立天文台が建設した世界最大級の望遠鏡です。主鏡の口径は8.2mもあり、1枚鏡の望遠鏡としては世界最大であり、光をあつめるレンズや鏡の口径はおおきいほどくらい天体やとおくの天体を観測でき、またその構造もこまかくしらべることができます。


すばる望遠鏡の位置

古代の人々は、地は不動で天がうごいているとおもっておいました(天動説)。その仕組みとして、アリストテレス式の物理的モデル、プトレマイオス式の数学的モデル、両者の折衷モデルなどが考案されてきました。

しかし15世紀、コペルニクスが登場します。コペルニクスは、それまでの天文学に不満をもち、「宇宙の形態とその部分の確固たる均衡を発見することも結論することもできなかった」とのべ、従来の複雑なモデルは宇宙の実相をあらわしてはおらず、もっとすっきりした宇宙像がえがけるはずだとかんがえます。宇宙は調和しているという美意識がここにはあります。

こうして、天動説にかわり地動説を提唱します。

そして地動説は、それまでにえられていたすべての天文学的観測データで証明できるはずだとかんがえ、定量的に検証します。地動説にもとづいて計算をやりなおし確認します。

このようにして最終的に、太陽を中心として、地球をふくめた諸惑星がそのまわりをまわり、諸惑星は、水星-金星-地球-火星-木星-土星の順にならんでいるという、太陽中心のあたらしい宇宙モデルを提唱します。

地球が運動しているという可能性はコペルニクス以前にもかたられていましたが、仮説をたて、定量的に検証し、惑星軌道の並び順までも確定した太陽系モデルを提唱したのはコペルニクスが最初であり、ここに、宇宙観の歴史的な転換がおこります。

その後、ガリレイやケプラーがコペルニクスを支持し、コペルニクスの路線のうえにたってあたらしい天文学をうちたてていきます。

ケプラーは、膨大な観測データをもつ天文観測家・ティコ=ブラーエの弟子となり、コペルニクスの太陽系モデルをティコ=ブラーエのデータで検証します。ティコ=ブラーエのもとに検証のためのデータが唯一あることをケプラーはよくしっており、とくに、火星の軌道を集中的に解析し成果をあげ、最終的に、ケプラーの法則(第1、第2、第3)をみちびきます。

そしてニュートンが登場します。ニュートンは、ケプラーの第3法則などをつかって万有引力の法則をみいだします。この法則は、まず、天体の運行を説明するためにつくられましたが、その後、ニュートン力学であらゆる現象が説明できるようになり、近代科学の創設者とニュートンはいわれるようになります。

以上の天文学史を論理的に整理するとつぎのようになります。

コペルニクスは、それまでの天文学の現状をみて不満をもち、宇宙の調和(美意識)を前提にして地動説を提唱しました。

  • 事実:天文学の現状
  • 前提:宇宙の調和
  • 仮説:地動説

〈事実→前提→仮説〉とすすむ論理は仮説法といえます。

つぎに、宇宙の調和を前提とし、地動説がもしただしいとすると、天文学的観測データ(観測事実)でそれは証明できるはずであると推論し、検証しました。

  • 前提:宇宙の調和
  • 仮説:地動説
  • 事実:観測データ

〈前提→仮説→事実〉とすすむ論理(推論と検証)は演繹法です。なおデータとは、観測事実を数値などで記述したものです。

そして地動説と観測データ(事実)にもとづいて、普遍的に通用するあたらしい太陽系モデルを提唱しました。

  • 仮説:地動説
  • 事実:観測データ
  • 普遍:太陽系モデル

〈仮説→事実→普遍〉とすすむ論理は帰納法です。

仮説法・演繹法・帰納法を図示(モデル化)すると図1のようになります。

(1)仮説法、(2)演繹法、(3)帰納法
図1 (1)仮説法、(2)演繹法、(3)帰納法

仮説法・演繹法・帰納法はこの順序でつかうと効果があがり、これを、「3段階モデル」といいます(図2)。

3段階モデル
図2 3段階モデル

コペルニクス以前にも地動説をのべた学者はいましたが、彼のように仮説をたて、あらゆるデータで検証し、普遍的なモデルをあきらかにした、つまり科学的な手続きをふんで研究し、その結果を体系化したのはコペルニクスが最初だったのであり、コペルニクスが注目される理由がここにあります。このあと、根本的に発想をかえることによって物事の見方が180度かわり、物事のあたらしい局面をひらくことを「コペルニクス的転回」というようになります。

つぎにケプラーは、コペルニクスの太陽系モデルを、あらたな前提として、あらたなデータ(事実)でそれを検証し、さらに、普遍的に通用するケプラーの法則をみいだしました。太陽系モデルを、あらたなデータで検証する過程は演繹法(注2)、膨大なデータから普遍的な法則をあきらかにする過程は帰納法です。

そしてニュートンは、ケプラーの法則をあらたなデータで検証し、膨大なデータから万有引力の法則をみいだし、力学を体系化しました。ここでも、演繹法と帰納法がもちいられました。

こうして、コペルニクスのあたらしいモデルは、あらたな演繹法と帰納法をうみだしました。3段階モデルにおいて第3段階目までいたると、それが、より高次元の第1段階になります。コペルニクスの段階は、より高次元のケプラーの第1段階になり、ケプラーの段階は、より高次元のニュートンの第1段階になりました。3段階モデルは1回だけおこなわれるのではなく、循環的に何回もおこなわれ、しかも、仮説・事実・前提と、おなじところをグルグルまわっているのではなく、展開し発展します。これを、「3段階循環モデル」といいます(図3)。

図3 3段階循環モデル
  • 1:仮説法により、地動説を発想する。
  • 2:演繹法により、地動説を定量的に検証する。
  • 3:帰納法により、太陽系モデルをみいだす。
  • 2’:演繹法により、太陽系モデルを定量的に検証する。
  • 3’:帰納法により、ケプラーの法則をみいだす。
  • 2″:演繹法により、ケプラーの法則などを定量的に検証する。
  • 3″:帰納法により、万有引力をみいだす、力学を体系化する。

地動説からすべてがはじまりました。〈1→2→2’→2″〉のラインは事実レベルが重視され、〈1→3→3’→3″〉のラインは思考レベルが重視され、こうして研究がすすみました。

これで、コペルニクスからケプラーそしてニュートンへいたる(地動説からケプラーの法則・万有引力の法則そして力学大系へいたる)天文学史・科学史がすっきり整理され、わかりやすくなりました。

このような3段階循環モデルは科学研究にかぎらずあらゆる課題につかうことができます。事実・前提・仮説を区別しておさえることが重要です。

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▼ 参考文献
国立科学博物館編集『地球館ガイドブック』国立科学博物館、2016年
中山茂著『天の科学史』講談社、2011年
山本義隆著『世界の見方の転換1 天文学の復興と天地学の提唱』みすず書房、2014年
山本義隆著『世界の見方の転換2 地動説の提唱と宇宙論の相克』みすず書房、2014年
山本義隆著『世界の見方の転換3 世界の一元化と天文学の改革』みすず書房、2014年
上山春平著『上山春平著作集 第一巻 哲学の方法』法蔵館、1996年

※ 中山茂著『天の科学史』(講談社)は、一般の読者を対象にした天の科学研究史の入門書であり、平易な文章でわかりやすくかかれ、天動説と地動説など、天と地の探究がどのようにすすんできたのか基本的なことがよく理解できました。
※ 山本義隆著『世界の見方の転換』全3巻(みすず書房)は全1416ページにもおよぶ大著であり、天文の科学史と世界観の転換についてこれほど詳細に正確に記述した本はほかにはありません。とくに、第2巻『地動説の提唱と宇宙論の相克』の第5章「ニコラウス・コペルニクス -太陽系の体系化と世界の一元化-」と、第3巻『世界の一元化と天文学の改革』の第12章「ヨハネス・ケプラー -物理学的天文学の誕生-」がとても参考になりました。
※ 上山春平著『上山春平著作集 第一巻 哲学の方法』(法蔵館)は、アメリカの学者・チャールズ=S=パースの方法論にもとづいて、アブダクション(仮説法)・ディダクション(演繹法)・インダクション(帰納法)について詳述しています。わたしは、同著『弁証法の系譜』(未來社、こぶし書房)をかつてよんで探究や論理の基本的な方法を身につけました。この『弁証法の系譜』が、『上山春平著作集 第一巻 哲学の方法』に収録されています。

▼ 注1
国立科学博物館
地球館 地下3階「自然のしくみを探る」
おうちで体験!かはくVR

▼ 注2:演繹法の例
もし、コペルニクスの太陽系モデルがただしく、太陽のまわりを地球がまわっているとすると、地球から観測される恒星に「年周視差」が発見されるはずだと推論(予見)できます。年周視差とは、地球の公転によって恒星の方向が季節によりいくらかちがってみえるという現象です。そして19世紀に、観測技術が発達し、年周視差が実際に発見されました(観測事実として確認されました)。

  • 前提(普遍):太陽系モデル
  • 仮説:地動説
  • 事実:年周視差の発見

〈前提→仮説→事実〉とすすむ論理は演繹法であり、これにより前提と仮説の蓋然性がたかまります。年周視差は一例であり、このような演繹法(推論と検証)をくりかえすことにより証拠がふえ、前提と仮説はゆるぎないものになっていきます。

電気信号を処理して感覚がうまれる -「電気刺激で意識を探る」(日経サイエンス 2021.12号)-

目で光をうけます。電気信号が神経をながれます。脳の視覚野が映像をつくります。

目で光をうけます。電気信号が神経をながれます。脳の視覚野が映像をつくります。

ロサンゼルスのセカンド・サイ ト・メディカル・プロダクツ社が、視力をうしなった人たちのために「オリオン」という人工視覚装具を開発しました。

ある被験者はいいます。

何も見えていなかった状態から,点滅しながら動き回る小さな光が見える状態に突然変わり,その光の意味を読み解くところまで来た。どんな形でも機能的な視覚を取り戻せたのは本当に素晴らしい。

日経サイエンス, 606(2021年12月号)

この装置は、メガネにつけた小型カメラの画像を電気信号に変換し、被験者の脳の視覚野に設置された60個の電極に無線でおくって電流をうみだします。被験者は、点状の光の集合体を認識することができ、これを手がかりに方向を把握することができます。オリオンは、それまで真っ暗闇のなかにいた人々の生活の質を大幅に改善し、道路を安全に横断し、玄関口の場所を特定することを可能にしました。

このことは、見るという現象には2つの段階があることをおしえてくれます。第1の段階は、目が、光(電磁波)をうけて電気信号にそれを変換する段階であり、第2の段階は、その電気信号を脳が処理して映像をうみだす段階であり、第1はインプット、第2はプロセシングといってもよいでしょう。こうして、映像は脳でつくりだされるのであり、わたしたちは目ではなく「脳で見ている」わけです。

この仕組みをつかって、人工視覚装置の研究開発が1960年代にはじまりました。目が見えない人の視力を部分的に回復することは決して夢ではありません。

人間の神経系は、超高密度で複雑に相互接続したスイッチング素子のネットワークに電流がながれることによって作動していることがわかっており、脳のなかでは、毎秒1兆回発生している電気信号が、何百億ものことなる細胞からなるネットワークをながれます。このような電気信号を脳が処理することによって、視覚にかぎらず聴覚や味覚・嗅覚・触覚など、さまざまな感覚がうまれます。

こうして、わたしたち人間は、人間独自の情報処理の結果として環境を認識するのであり、わたしたちがしっている環境は人間の環境であり、絶対不変に存在するものではありません。

このように、人間は情報処理をする存在であることに気がつくことはとても大事であり、そのために、脳科学や人工装具の研究成果はたいへん参考になります。脳は、心のはたらきをしるためのモデルといってもよいでしょう。

▼ 関連記事
バリアと感覚 - 皮膚(Newton 2020.5号)-
感覚器をつかって情報をインプットする 〜 岩堀修明著『図解・感覚器の進化』〜
皮膚は身体と環境をうつす鏡である -「ひび割れは適応の証し」(ナショナルジオグラフィック 2019.3号)-
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特別展「ユニバーサル・ミュージアム ― さわる!“触”の大博覧会」(国立民族学博物館)- インプットを自覚する –
すべての感覚を大きくひらいて情報処理をすすめる - 広瀬浩二郎著『触る門には福来たる』-
皮膚感覚を自覚しとぎすます

▼ 参考文献
C.コッホ「電気刺激で意識を探る」pp.66-71, 日経サイエンス, 606(2021年12月号)

3D 国立科学博物館「自然をみる技」 – 顕微鏡による視覚の拡張 –

微小の世界がみえます。道具が身体を環境へ拡張します。人間と環境を技術が媒介します。

微小の世界がみえます。道具が身体を環境へ拡張します。人間と環境を技術が媒介します。

国立科学博物館の日本館1階・南翼は「自然をみる技」展示室であり(注1)、その第4コーナーのテーマは「微小を知る - 顕微鏡 -」です。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやりかたはこちらです

靉靆(あいたい、眼鏡)
靉靆(あいたい、眼鏡)
(真鍮製・ガラスレンズ、江戸時代)
レーヴェンフック単式顕微鏡
レーヴェンフック単式顕微鏡
(17世紀、複製)
カルペッパー型顕微鏡
カルペッパー型顕微鏡
(ニュルンベルグ・ババリア製、18世紀)
『再販微虫図』
『再販微虫図』
(1850年、複製)
和製カフ型顕微鏡
(日本製、18世紀後半)
和製カフ型顕微鏡
(日本製、18世紀後半)
ユニバーサル(万能)顕微鏡(19世紀)と 顕微鏡光源ランプ(1907年)
ユニバーサル(万能)顕微鏡(19世紀)と 顕微鏡光源ランプ(1907年)
永久プレパラート
永久プレパラート
双頭顕微鏡
双頭顕微鏡
(イギリス バウエル&リーランド作、19世紀)
團ジーン博士使用 位相差顕微鏡
團ジーン博士使用 位相差顕微鏡
(米国ボシュロム社製、1948年)
電子顕微鏡
電子顕微鏡
(東芝社、1942年)

江戸時代初期、玉(レンズ)を利用した眼鏡や虫眼鏡が輸入され、老眼などでぼんやりした物が眼鏡をかけるとはっきりみえ、ちいさな物が虫眼鏡でおおきくみえ、その不思議さに当時の人々はとてもおどろきました。

江戸時代中期になると顕微鏡が輸入され、あっという間に日本中にひろまります。顕微鏡は、虫眼鏡よりも構造が複雑で倍率がたかく、ちいさな物がよりおおきくみえ、虫や植物などの観察を大名らがたのしみました。

しばらくすると、その原理や構造を独学でまなんで顕微鏡をつくる者が日本人のなかにもあらわれ、雪の結晶を観察した土井利位(どいとしつら)のような自然観察のすぐれた成果をのこす者もあらわれます。

江戸時代後期になると、中国の動植物や鉱物などの分類体系である本草学を基本としながらも、顕微鏡をもちいた植物細胞の観察など、実証的な自然観察がおこなわれるようになり、西洋の博物学的知識の導入と理解が急速にすすみます。

近代になると、精密工業の発展とともに、顕微鏡の構造・原理の理論的研究がおこなわれ、すぐれたレンズが開発され、顕微鏡の性能がいちじるしく向上します。細菌研究のような医療分野でもなくてはならない道具になります。

その後、おおくの大学や教育機関で顕微鏡の教育がはじまり、顕微鏡に関する最初の教科書が医学や農学の分野でつくられ、また産業技術の発展に必要な金属学的知識の蓄積のために「金属顕微鏡」が開発され、いきたまま細胞を観察できる「位相差顕微鏡」などもつくられます。

しかしその後、それまでの光学的な顕微鏡は限界に達します。これ以上ちいさな物はみえません。

そこで1939(昭和14)年、長岡半太郎博士らの要請により、大阪大学・名古屋大学・東芝・日田市製作所などが電子顕微鏡の研究・開発を産学協同ではじめます。1940年には、「磁界型電子顕微鏡」ついで「静電型電子顕微鏡」が試作され、1942年には製品化されます。日本は、電子顕微鏡開発の先駆けの国のひとつであり、より微小の世界への課題にこたえ、おおきな役割をはたしていきます。

「微小を知る - 顕微鏡 -」のコーナーは、眼鏡とレーヴェンフック単式顕微鏡の展示からはじまります。レンズをとおしてみれば ぼやけていた物がはっきりみえ、ちいさな物がおおきくみえ、視覚が拡張されて好奇心がかきたてらます。

レンズの歴史は、江戸時代初期にまでさかのぼり、現代では、非常におおくの人々が、眼鏡をかけて(あるいはコンタクトレンズをつけて)生活し、「メガネは顔の一部です」といわれるように、レンズは、身体の一部(身体の延長)としてなくてはならない道具となりました。

わたしたち人間は、眼鏡や顕微鏡・望遠鏡にかぎらずさまざまな道具を開発し、よりおおくの情報を外界(環境)からとりいれ活用するように進歩してきました。技術を開発して生活をゆたかにし、文明を発達させました。このような技術史をみると、技術とは、身体の延長として基本的に機能し、人間は、技術を介して環境とかかわり、環境とつながっていることがわかります。人間は、技術を通して環境へひろがり、人間と環境とのあいだには明瞭な一線をひくことはできず、相互浸透的なしくみを人間と環境はつくっているといえます。

このような〈人間-技術-環境〉系という総合的なみかたが重要であり、したがって技術史をしることは、人間と環境のかかわりの足跡をしることになり、文明の発達も、〈人間-技術-環境〉系の発展としてとらえなおすと理解がすすみます。

技術とは実際につかえるものであり習得できるものです。国立科学博物館にきて技術史をたどってみれば、たとえば環境に適応するために、あるいは境遇を転換するために、あるいは勉強や仕事を進捗させるために、どのような技術をつかえばよいか、そのヒントがえられるとおもいます。

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3D 国立科学博物館「自然をみる技」 – 望遠鏡による視覚の拡張 –
大局をみて局所をしらべる - 国立科学博物館「国産顕微鏡100年展」-
3D 国立科学博物館 - リンク集 –

▼ 注1
国立科学博物館
日本館1階(南翼)「自然をみる技」
おうちで体験!かはくVR

▼ 参考文献
国立科学博物館編集『日本列島の自然と私たち』(日本館ガイドブック)国立科学博物館発行、2008年3月31日

▼ 関連書籍

「地球を感じる」(ナショナルジオグラフィック 2021.12号)

地球は感じる場です。感覚とは、情報をインプットすることです。インプットができれば、プロセシングとアウトプットがすすみます。

地球は感じる場です。感覚とは、情報をインプットすることです。インプットができれば、プロセシングとアウトプットがすすみます。

『ナショナルジオグラフィック』(2021年12月号)が、「地球を感じる」と題して、模様・音・色・香り・スピードをとりあげています(注)。

米国ヒューストン動物園のマサイキリン。長い首の模様は思い思いに縫い合わせたパッチワークのようだ。

クモは巣に伝わる振動を脚先で感じる。(中略)獲物や交尾相手、脅威などの存在を知るという。

この鳥(キガオミツスイ)が種として生き残れるかは、年長の雄が若い雄に求愛の歌を伝えられるかどうかにかかっている。

地震活動を記録する際に邪魔もの扱いされてきたクジラの声だが、地殻構造を画像化するのに活用できると期待されている。

高温の溶岩は黄白色の光を放ち、やがて冷えてオレンジ色から赤色に、最後には漆黒へと変わる。

100年以上前、ハワイの山腹でひっそりと姿を消した花。永遠に失われたその香りが科学者たちの手でよみがえった。

2007年、16年、21年のスイスのローヌ氷河。並べて比較すると、この短い間に大量の氷河が解けたことがわかる。

模様は、さまざまな動物たちにみられます。何らかの目的があると解釈できるものもありますが、おもいのままに形と色をえらび奔放さをくわえたものもあり、まさに天然アートです。

音は、生存に必要な情報をはこび、動物たちにとってなくてはならない伝達手段です。かつては人間も音を大事にしていました。なお今回の記事は、よむだけでなく、スマートフォンのカメラでコードをよみとると実際の音がきけます。

山が発する色は、みるというようりも感じるものです。色の変化は活動の転換をしめし、一旦おさまったとおもってもふたたび息をふきかえします。地球の力を感じます。

香りといえば植物です。科学者は、香りをうみだす分子を特定し、その DNA を分析します。香りは魔法です。しかし残念ながら、インターネットでは香りはつたえられません。植物園に是非いってください。

地球温暖化により氷河が後退していることは一目瞭然です。2000年以降、世界の氷河からとけだした水は5.3兆トン以上にのぼり、海水面が1.5センチちかく上昇しました。パタゴニア氷河の後退スピードも今が一番はやいといいます。

「感じる」とは、目・耳・鼻・舌・皮膚などの感覚器官をつかって外界から内面へ情報をインプットすることです。誰もが、感覚器官をもっており、小学生の低学年ぐらいまではあらゆる感覚器官をつかって生活していました。観察の時間もありました。しかし試験勉強・受験勉強がはじまるとさまざまな感覚器官をつかうことをわすれてしまいます。現代人は、言葉のインプットに極端にかたよりすぎ、感覚が退化してしまいました。

今日、情報化時代にはいり、あらためて感覚がみなおされます。感覚をとらえなおし、感覚を自覚することに光があたります。感覚をとりもどすということはインプット能力をたかめることになり、インプット能力がたかまれば、プロセシングとアウトプットもすすみます。

『ナショナルジオグラフィック』は、地球を感じ、インプットを自覚するためにとても役だちます。

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感覚器をつかって情報をインプットする 〜 岩堀修明著『図解・感覚器の進化』〜

▼ 注:参考文献
『ナショナル ジオグラフィック日本版』(2021年12月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2021年

特別展「ユニバーサル・ミュージアム ― さわる!“触”の大博覧会」(国立民族学博物館)- インプットを自覚する –

さわって情報を内面にインプットします。視覚以外の感覚をひらきます。場を認識します。

さわって情報を内面にインプットします。視覚以外の感覚をひらきます。場を認識します。

「ユニバーサル・ミュージアム ― さわる!“触”の大博覧会」が国立民族学博物館で開催されています(注1, 2)。さわって体感できるアート作品が大集合!さまざまな素材と手法をもちいて「触」の可能性をさぐります。非接触社会ではゆたかな文化がそだちません。会場に足をはこび、手をうごかしてみましょう。

「国宝・興福寺仏頭レプリカ」
さっそくさわりはじめます。仏頭にさわるのははじめてです。「作品に手を触れないでください」という世間の常識がくつがえされます。表面はつるつるしていてつめたい感じがします。おもくるしい雰囲気があります。目をとじてさわってみて、どんな顔をしているのかイメージします。かなりのイメージ訓練(心象法の練習)になります。

体世界地図」
大陸や群島の形やデコボコがわかります。さわると3次元でとらえられます。目をとじてさわってみます。日本列島から中国南部、東南アジア、しかし群島部にくるととたんにわからなくなります。何がどこにあるのか? あらためて視覚の威力に気がつきます。しかし人間は、目でみただけでわかった気になっています。

「てざわりの旅」(耳なし芳一の木彫彫刻)
さっきの金属の仏頭とはちがい、やっぱり木はいいです。ぬくもりが感じられます。耳はありません。肩から腕へ、そして手に、「何だこれ?」、手は、ゴムでできている? 木ではありません。びっくりします。ぞっとします。人間は、それまでの延長で次をとらえようとします。過去とはちがうものがでてくると おどろき、否定しようとします。

れるひと」(彫刻)
生々しい体験です。こんなに人々をさわりまくったことはありません。つめたい材質が感じられます。違和感がかなりあります。人間は、なんでこんな変な形をしているのだろう。形は人間でも人間ではありません。あまり気持ちのよいものではありません。触覚がにぶいため表情まではわかりません。

「Ninguen」「Love Stone Project 2014-15」(つながる石彫)
つめたい感じしますが、さっきの金属の仏頭のつめたさとはちがいます。おもみのあるつめたさです。しばらくさわっているとなじんできます。やっぱり石は自然物です。石の背後の世界を感じます。一方で、金属がいかに人工的なものであったかを再認識します。

「おいらの名前は野良猫とら」ほか(動物彫刻)
動物がすきな人はいろいろな動物をすでにさわっています。ネコ・イヌ・カエル・・・。動物園でも、動物にさわるイベントがふえました。過去の体験がよみがえります。都会人・文明人を動物たちがいやします。

空ピラミッド
途方もない労力・時間が感じられます。何のために?それはかんがえないほうがよいです。つみあげることそれ自体に意味があります。さわるときは怪我をしないように注意してください。

「信楽 壺」ほか(信楽をさわる)
信楽焼をさわることができます。金属とも木と石ともちがいます。つめたくもあり、ぬくもりもあり。自然と人間の合作です。焼き物は本来はつかうものであり、さわるものです。ほかの陶芸品展でもさわれる展示をやってほしい。

「かたちの合成from両手」
左右2つの空間にわかれた紙袋のなかに形のことなる立体が1つずつはいっていて、それぞれの立体を右手と左手で同時にさわり、ひとつのイメージを合成します。触覚によってえられた情報をみずから処理しイメージします。触覚はインプット、イメージングはプロセシングといってもよいでしょう。〈インプット→プロセシング〉のかなりの訓練になります。

「境界 division – m – 2021」
約2000枚の布片を空間に展開するインスタレーション(芸術的空間)です。作品のなかにはいりこむと密集した布片によって視覚がさえぎられ、前方がみえません。かきわけながらあるいていくと肌にふれる布の存在がリアルです。布擦れの音がきこえ、自分のうごきと位置を触覚と聴覚で認知します。空間に気をくばり、全体に心をみたします。配心の実践により場の一部になります。奥深い体感の世界、視覚がうしなわれるからこそ全身の感覚がとぎすまされます。視覚のない体験は瞑想にも通じます。

「Kinesis No.743 (dragon vein)」
大津波がおしよせてきます。すごいパワーが全体にみなぎります。一方、一筋のふとい水の流れがあります。脈によって津波がおおきくなり、津波が脈をつよくします。波の粒は一瞬にして生じ、一瞬にして消え、生と死をくりかえしながら波の変化は永遠につづきます。絵をさわってみるとよくわかります。しかしさわっただけで巨大なこの作品をとらえることはできませんでした。あらためて目の力を感じました。全体を容易にとらえる力が目にはあり、視覚で大観し、触覚で分析するという過程がこの作品でははたらきました。

「思考する手から感じる手へ、そして・・・」
ブラックボックスがならんでいます。順番に手をいれて中にあるものをさわります。点字がほどこされた「手」の焼き物があり、手の形は「指文字」をしめします。視覚はつかわず触覚だけで字をよみとっていきます。字とは物事をあらわすための記号であり、字でできた言葉は物事そのものではなく、物事の「表面」につけた「ラベル」にすぎません。ラベルは物事の本体ではなく表面構造でしかありません。言葉だけをしって物事がわかったとおもうのはあやまりです。ひらがな・カタカナ・漢字でできた言葉でもおなじです。物事の本体(本質)にアプローチしなければならず、感覚のさきに本当の認識があります。ブラックボックスに順番に手をいれていくと感覚をこえた認識があることに気づかされます。

「とろける身体 一 古墳をひっくり返す」
靴をぬいで、古墳の上であおむけになります。いままでは手でさわって感じましたが、ここでは全身で感じます。全身がセンサーです。ほかに誰もいなかったのでしばらくうとうとしていたら感覚がなくなってきて古墳のなかにはいりこんだようになり、そして古墳になってしまいます。日常をこえた体験です。できれば、あまり人がいないときにでかけて時間をかけて体験してください。

「弥陀如来坐像(大阪・四天王寺)レプリカ」ほか(触れる仏像)
仏像はさわってもよいのでしょうか? 寺々をめぐっていると秘仏という表示をときどきみかけます。秘仏は、さわってはいけないどころか みることもめったにできません。東京の浅草寺などは本尊は絶対秘仏であり、僧侶といえどもみることはゆるされません。感覚ではとらえられない とおい存在であるからこそ神秘性がうまれるのであり、宗教の仕掛けがそこにあります。でも撫仏がいるではないか。自分の体のわるい所とおなじところをなでて人知をこえた平癒を信じます。撫仏もやはり、神秘性をもっています。しかし今回はちがいます。どこでも自由にさわってよく、仏像に対する したしみがうまれます。近年は、仏像が寺からよくおでましになり、博物館などでしばしば展示され、さわれるかどうかにかかわらず仏像が身ぢかな存在になりつつあります。仏像の分析がすすみ、学術的研究がすすみます。しかし情報がふえれば神秘性はうしなわれます。宗教は変容せざるをえません。宗教をはなれたイメージ訓練や瞑想法が発展します。絶対的なものが心の外部にあるといった認識からも解放されます。心のなかの仕組みをしることが大事です。

「土の音」
粘土をこねて野焼きをしてつくった「打楽器」を棒でたたいて音をだします。打楽器にさわると振動を感じます。音とは振動でした。さまざまな振動がたのしめます。じわっとくる振動、こまかい振動、しめった振動・・・。音楽ライブにいったことがある人はすでにしっています。壮大な交響曲のなかで大太鼓がなると全身にひびきます。きわめて高周波の音は皮膚で感じます。音楽は元来は全身でたのしむものです。イヤホンできくのはあまりおすすめできません。物をたたくと物が振動し、その振動が空気につたわって空気振動になり、両耳がそれをとらえて電気信号に変換し、その信号を神経が脳におくり、それを脳が処理すると音が生じます。音は実は脳がつくりだしたものでした。音そのものは外界には存在しません。この現象は、色は脳がつくりだしており、光(電磁波)そのものには色はついていないことと似ています。わたしたちは音を「きく」とおもっていましたが、音とは振動を感じるものでした。振動現象に気づかせてくれる重要な展示です。

「確動カム」ほか(おもちゃと遊ぶ手)
円運動(回転運動)を直線運動(上下運動)にかえるおもちゃ(機械)であり、さわって実際にうごかしてみると仕組み・機能がよくわかります。みただけではわかりません。こんなものつくって何の役にたつのかとおもったら、エンジニアになったつもりで、蒸気機関車や電車・自動車・自転車をおもいだしてください。感覚だけでなく心をはたらかせます。インプットだけでなくプロセシングをすすめます。円環的な運動と直線的な運動といういっけん矛盾する運動をむすびつけたところに発明があります。異質の統合が創造には必要です。原理がしめされたすぐれたモデルです。

「ヒマワリ(ゴッホ)」ほか
美術館でみたことがあります。色彩とともに独特のタッチがわかります。しかし美術館で絵にふれるなど、絶対にゆるされません。ところがここでは、「さわるアート」が展開します。美術館の常識がくつがえされます。はげしい凹凸に感情があらわれます。ゴッホはかなり心をやんでいたのではないか。狂気は、色覚だけでなく触覚にもあらわれます。このほかにも、視覚アートを触覚アートに翻案した作品がならびます。そもそもアートにおいて翻案はよくおこなわれます。言葉でかかれた物語を音楽にしたり絵画にしたり演劇にしたりダンスにしたり、逆に、音楽や絵画を言葉であらわしたり、言語や聴覚から視覚へ、またその逆など、すでにおこなわれています。そうだとしたら触覚への翻案もあっていいはずです。視覚と聴覚は絶対的なものではありません。視覚も聴覚も相対化できます。表現方法はいろいろあってかまいません。いろいろあったほうが相乗効果がうまれます。

本展は、とにかくさわってみることからはじまります。さわってみるとより立体的に対象がとらえられ、手ざわりから材質が推測できます。やっぱり木や石はいい。しばらくさわっているとなじんできます。したしみがわいてきます。しかし形と材質のちがいから違和感をおぼえることもあります。またさわっていると記憶がよみがえります。あらたな感覚とすでにある記憶があわさって認識がすすむこともわかります。

視覚をさえぎる装置ではさわるだけで対象をイメージしなければなりません。すぐれたイメージ訓練になります。物事は、心のなかで合成されてできあがります。また空間における位置を認知し、空間に心をくばるとその場の一部になれます。センサーとして全身がつかえるのもおもしろく、その場と一体になれ、その場にとけこみ、その場になれます。

このような触覚体験をしていると視覚の再認識もでき、視覚で大観し、触覚で分析するという方法が有効であることに気づきます。

触覚がもたらす親しみ効果は人間の精神文化にもおおきく影響します。人間関係をみればあきらかです。仏像も身ぢかになります。情報量がふえるので神秘性はうしなわれますが距離はちぢまります。触覚そして多感覚は文化を改善します。

また本展を体験していると、感覚という現象がどういうものなのかわかってきます。たとえば音は、色と同様に脳で生じています。人間は、情報処理をしており、みずからの感覚でとらえられた現象だけを認識し、感覚にひっかからなければその存在すらわかりません。さまざまな現象が宇宙にあるのではなく、触覚・視覚・聴覚・嗅覚・味覚など、さまざまな感覚があっただけでした。人間は、独自の感覚で独自の世界をつくりだしています。

感覚でえられる情報は表面的なことでしかなく、感覚だけで言葉だけでわかった気になってはなりません。物事の本質へアプローチすることがとても大切です。機能や仕組み、物事の本質はみただけではわかりません。みるだけでなく手も体もいります。さわって、うごかして、行動して、そして心をはたらかせます。それにしても内面への情報の入り口である感覚器官が必要です。

多感覚が活用されればアートの世界もかわります。これまでは、視覚に依存する美術と聴覚に依存する音楽が重視されてきましたが、これからは工芸が発展するでしょう。ただし展示をしているだけではだめです。本展のように、多感覚をつかって相乗効果をうみだすのがよいです。

本展は、イメージし、空間をとらえ、場になり、認識の仕組みやあたらしい表現方法までもおしえてくれる前代未聞の挑戦的な博覧会でした。

さわることあるいは感覚とは内面への情報のインプットであり、イメージしたり空間をとらえたり認識したり場になったりすることはプロセシングであり、表現することはアウトプットといってもよいでしょう。順路にしたがって会場をあるいていくと、〈インプット→プロセシング→アウトプット〉という人間主体の情報処理が実践できます。

みただけで認識することは、かぎられた情報だけをつかって情報処理をすすめることであり、言葉のインプットにとくにかたよりすぎた現代文明人にはおおきな問題があります。多感覚があってこそ認識はふかまるのであり、全身の感覚をとぎすますことが大事です。

視覚の束縛から解放され、心の場をととのえ、心の場をつくるという点では、「境界 division – m – 2021」と「とろける身体 一 古墳をひっくり返す」がとても印象にのこりました。歴史的には、瞑想という方法もあります。

情報のインプットは情報処理の第1段階であり、初歩的なあさい理解ができたときに「感覚としては理解できた」という人がいるのはそのためですが、情報処理は第1段階でおわってはならず、第2段階のプロセシングにすすまなければならず、こうなると、どの感覚をつかったか(どのルートでインプットしたか)は問題ではなくなり、感覚の先にある心の領域をはたらかせることが重要です。「五感を取り戻そう!」といった掛け声だおれにおわらないためにも情報処理をすすめます。

情報のインプットがうまくできれば、プロセシング、そしてアウトプットへおのずとすすめます。インプットが自覚できれば情報処理が制御でき、情報処理が発展します。情報処理の広大な世界へはいっていくためにユニバーサルミュージアムがとても役だちます。

▼ 関連記事
すべての感覚を大きくひらいて情報処理をすすめる - 広瀬浩二郎著『触る門には福来たる』-
皮膚感覚を自覚しとぎすます

バリアと感覚 - 皮膚(Newton 2020.5号)-
感覚器をつかって情報をインプットする 〜 岩堀修明著『図解・感覚器の進化』〜
皮膚は身体と環境をうつす鏡である -「ひび割れは適応の証し」(ナショナルジオグラフィック 2019.3号)-
皮膚はセンサー、脳はプロセッサー -「皮膚感覚のしくみ」(Newton 2016年3月号)-
触覚でいやされる - 神戸布引ハーブ園(4)-
情報処理をすすめて世界を認知する -『感覚 – 驚異のしくみ』(ニュートン別冊)まとめ 

企画展「知的生産のフロンティア」(国立民族学博物館)をみる
類比法をつかった作文技法(1) - ウメサオタダオ展「はっけんカード」から –

▼ 注1
ユニバーサル・ミュージアム ― さわる!“触”の大博覧会
会場:国立民族学博物館・特別展示館
会期:2021年09月02日〜2021年11月30日

▼ 注2:本博覧会の実行委員長・広瀬浩二郎さんの著作

▼ 関連書籍

▼ 参考文献
国立民族学博物館・広瀬浩二郎編『ユニバーサル・ミュージアム ー さわる! “触” の大博覧会』(図録)合同会社小さ子社発行、2021年9月2日

3D「刺激スパイス」展(咲くやこの花館)

スパイスは金銀に匹敵する貴重品でした。世界の食文化をおおきく発展させました。健康と活力のためにバランスが大事です。

スパイスは金銀に匹敵する貴重品でした。世界の食文化をおおきく発展させました。健康と活力のためにバランスが大事です。

「刺激スパイス」展が咲くやこの花館で開催されています(注1)。スパイスは、カレーなど、インド・ネパール料理に欠かせません。今回の展示会では、スパイスとなる植物(種子など)をみて、香りもたのしみながら、スパイスについて理解をふかめます。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます(注2)。
立体視のやりかたはこちらです

会場(フラワーホール)
ウコン
ウコン(ターメリック)
ウコン(ターメリック)
ウコン(ターメリック)
ウコンの香りをたのしむ
特殊な装置で香りをたのしむ
クローブ
カルダモン
カルダモン
ショウガ(ジンジャー)
ショウガ(ジンジャー)
ショウガ(ジンジャー)
ショウガ(ジンジャー)
ニンニク(ガーリック)
ニンニク(ガーリック)
ニンニク(ガーリック)
ニンニク(ガーリック)
フェンネル
フェンネル
ディル
ディル
アニス
アニス
アニス
アニス
シナモン
シナモン
カシア
カシア
ナツメグ
ナツメグ
ナツメグ
ナツメグ
サフラン
サフラン
スターアニス
スターアニス
スターアニス
スターアニス
サンショウ
サンショウ
サンショウ
サンショウ
カショウ
カショウ
コリアンダー(パクチー)
コリアンダー(パクチー)
コリアンダー(パクチー)
コリアンダー(パクチー)

ウコン(ターメリック、ショウガ科)は、熱帯アジア原産であり、成熟した根茎をほりとり、水あらいして、ゆでて(またはむして)から乾燥させたものを利用します。カレー粉の主要原料のひとつであり、またピラフ・ターメリックライス・たくあんのほか、さまざまな米・魚・肉・野菜料理につかわれます。

クローブ(丁子、フトモモ科)は、インドネシア・モルッカ諸島原産であり、蕾(つぼみ)を乾燥させてつくり、肉料理・リキュール・クッキーなどにつかわれます。日本でも、正倉院の御物のなかにおさめられているほど歴史があります。形が釘ににていることから丁子(丁字)ともよばれます。

カルダモン(ショウズク、ショウガ科)は、インド原産であり、果実を利用します。肉・魚料理、リキュール、パイ、パン、ケーキなどにつかわれます。紀元前千年以上前から生薬やスパイスとしてつかわれ、紀元前4・5世紀頃には、ビンロウジの葉につつんで食後にかむと唾液の分泌がよくなることから消化吸収の助けになるとつたえられていました。

ショウガ(ジンジャー、ショウガ科)は、熱帯アジア原産であり、根茎を利用します。さわやかな辛さを演出し、生姜焼き・ジンジャーブレッドなど、さまざまな料理につかわれます。インドでは、紀元前から薬用として栽培されており、調味料としては、紀元前1世紀頃のインドやアラビアの料理書に記載されています。

ニンニク(ガーリック、ユリ科)は、中央アジア原産であり、根茎を利用します。中国料理や西洋料理をはじめ あらゆる料理に、コクとアクセントをくわえます。古代エジプトのピラミッド建設で、労力をささえるスタミナ源となったのはニンニクとタマネギでした。いまでは、さまざまな効能が科学的にあきらかになっています。

フェンネル(ウイキョウ、セリ科)は、地中海沿岸原産であり、種子はスパイス、茎・葉はハーブとして利用します。古代エジプト・古代ローマ時代から栽培されており、果実は、菓子・パイ・スープ・魚料理などにつかわれます。

ディル(イノンド、セリ科)は、南ヨーロッパ・西アジア原産であり、葉を利用します。メソポタミア地方で発掘された紀元前3000年頃のスメル粘土刻版にスメル人が薬用にしていた香料植物約200種がきざまれており、そのなかにディルがありました。

アニス(セリ科)は、地中海東部沿岸地帯原産であり、種子(果実)を利用します。種子は三日月形で、2個むかいあった卵形をしており、種皮は淡黄色の縦筋があり、フェンネルににた芳香と甘味をもちます。アニス・ビスコッティ(クッキー)、アニゼット酒の風味づけなどにつかわれます。

シナモン(肉桂、桂皮、クスノキ科)は、ベトナム原産という説があり、樹皮を利用します。アップルパイ・シナモントースト・シナモンティーなど、日本でもよくつかわれます。正倉院に生薬として保蔵されており、すくなくとも聖武天皇の時代(724〜749年)までに、コショウ・クローブ・香木などとともに渡来していたとおもわれます。

カシア(クスノキ科)は、ベトナム原産という説があり、樹皮を利用します。シナモンの近縁種であり、しばしば、シナモンの代用品となったり、シナモンと称されたりして販売されます。シナモン同様、外樹皮をのこしてあらくくだいた製品と、外樹皮をとりのぞいてほそくまるめて乾燥させたスティック状の製品があります。料理や菓子の風味づけ、チャイ(ミルクティー)、クッキー、五香粉(中華ミックススパイス)などにつかわれます。

ナツメグ(肉豆く、肉豆く花、ニクズク科)は、インドネシア・モルッカ諸島原産であり、種子の仁を利用します。ハンバーグ・肉だんご・ロールキャベツ・グラタンなどの料理につかわれ、ハンバーグの風味づけにとくに欠かせません。古代インド・バラモン教の経典『ヴェーダ』には、頭痛・熱病・口臭消し・整調などの医薬品としてつかっていたとしるされています。

サフラン(番紅花、クロッカス、アヤメ科)は、南ヨーロッパ・西アジア原産であり、パエリア・ブイヤベース・スープ・サフランライスなどの料理につかわれます。料理の色づけにつかわれてきたスパイスであり、みた目にもあざやかな黄金色は料理を演出します。秋にさくクロッカスの仲間の花から赤いめしべをとって乾燥させてつくり、手間がかかることからたいへん高価なスパイスとしてしられます。

スターアニス(八角、大茴香、チャイニーズアニス、マツブサ科)は、中国原産であり、豚肉・鴨肉料理・北京ダック・杏仁豆腐など、中国料理の味つけ・香りづけによくつかわれ、あまい香りがこのまれます。漢方では、胃弱・かぜ薬として、また歯磨き・石鹸などの香料としてもつかわれます。ヨーロッパへは、イギリスの船乗りによって16世紀末につたわり、当時は高級品だったアニスの代用品としてつかわれました。

サンショウ(はじかみ、ジャパニーズペッパー、ミカン科)は、東アジア原産であり、果実の外皮・果実・葉を利用します。完熟した果実の外皮を乾燥させて粉末にした「粉山椒」や、「木の芽」とよばれる若葉・新芽や、「実山椒」「青山椒」とよばれる青くやわらかい若い実も利用します。しびれるような刺激的な辛味とさわやかな香りをもつスパイスであり、さまざまな和食に風味づけとしてつかわれ、とくに、鰻の蒲焼きの薬味として「粉山椒」が欠かせません。『魏志倭人伝』には、3世紀頃にはサンショウが自生していたことが記載されており、10世紀には、薬や薬味として葉が利用されていたといわれます。

カショウ(中国山椒、セシュアンペッパー、ミカン科)は、中国原産であり、果皮を利用します。サンショウの近縁種です。さわやかな香りと舌がしびれるような刺激的な辛味(サンショウよりもつよい辛味)が特徴であり、麻婆豆腐など、四川料理に欠かせません。

コリアンダー(コエンドロ、こずいし、パクチー、セリ科)は、地中海沿岸原産であり、種子・葉・根を利用します。さわやかな香りをもち、肉・卵・豆料理、カステラ、クッキーなど、幅ひろくつかわれます。カレーの原料としても欠かせません。数千年前の古代エジプトの時代から薬用や調味料としてつかわれてきた最古のスパイスのひとつです。コリアンダーとパクチーはおなじ植物であり、日本では、スパイスを「コリアンダー」、葉を生のまま野菜として使用する場合には「パクチー」とよぶことがおおいです。

3D 国立科学博物館「自然をみる技」 – 望遠鏡による視覚の拡張 –

望遠鏡をつかえばとおくがみえます。視覚が拡張します。インプット能力がたかまります。

国立科学博物館の日本館1階・南翼は「自然をみる技」展示室であり(注1)、その第1コーナーのテーマは「天を知る - 天球儀・天文 -」です。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方はこちらです。

展示室入口
展示室入口
トロートン天体望遠鏡(トロートン・アンド・システム社製、口径20cm、重要文化財)
トロートン天体望遠鏡
(トロートン・アンド・システム社製、口径20cm、重要文化財)
遠眼鏡(望遠鏡)
遠眼鏡(望遠鏡)
遠眼鏡分解見本
遠眼鏡分解見本
銅製天球儀『渾天新図』(渋川春海作、1673(寛文13)年ごろ)
銅製天球儀『渾天新図』
(渋川春海作、1673(寛文13)年ごろ)
紙張子製地球儀(渋川春海作、1695(元禄8)年、重要文化財(レプリカ))
紙張子製地球儀
(渋川春海作、1695(元禄8)年、重要文化財(レプリカ))
紙張子天球儀(渋川春海作、1697(元禄10)年、重要文化財(レプリカ))
紙張子天球儀
(渋川春海作、1697(元禄10)年、重要文化財(レプリカ))
紙張子製天球儀(1690(元禄3)年)
紙張子製天球儀
(1690(元禄3)年)
黒漆塗天球儀(18世紀後半ごろ)
黒漆塗天球儀
(18世紀後半ごろ)
紙張子製天球儀(江戸時代後期(19世紀)ごろ
紙張子製天球儀
(江戸時代後期(19世紀)ごろ)
渾天儀(江戸時代後期(19世紀)ごろ)
渾天儀
(江戸時代後期(19世紀)ごろ)

「トロートン天体望遠鏡」は、イギリスの科学機器・光学機器会社であるトロートン・アンド・システム社で製作された本格的な天体望遠鏡であり、1880(明治13)年、明治政府によって設立された内務省地理局観象台に輸入・導入され、のちに、天体観測と暦の編纂が文部省の所管にうつったことにともない東京天文台(現国立天文台)にうつされ、天体観測と天文学教育に活用されました。

「遠眼鏡(望遠鏡)」は、1608年に発明され、その5年後に日本にもはいってきて徳川家康に献上されました。当時の日本では望遠鏡を「遠眼鏡」といい、とおくを拡大してみることができる眼鏡としておもしろがられましたが、軍事品としてつかえることから江戸時代初期には一般の製作・販売は禁止されました。しかし江戸時代中期以降は、一般の製作者もあらわれ、幕府天文方で天体観測に使用され、幕末になると、天体観測を趣味とする人々もあらわれました。明治維新後は、近代的な望遠鏡が輸入され、測地や航海に役立つ天文学のために重宝されました。

「遠眼鏡分解見本」は、遠眼鏡の筒を分解してしめしています。江戸時代に製作された遠眼鏡のほとんどは「一閑張(いっかんばり)」とよばれる紙張子製であり、一閑張とは、紙をはりかさねて糊づけし、そのうえに漆をぬってかたく保護したものです。筒は多重で、伸縮して焦点をあわせ、いちばん先の第一筒には対物レンズ1枚が、最後の筒には正立レンズ1枚とさらにちいさな筒がうめこまれ、そこに2枚の接眼レンズがあります。

「銅製天球儀『渾天新図』」(渋川春海作、1673(寛文13)年ごろ)は、旧宮崎延岡藩に伝来した天球儀であり、旧熊本藩主細川家に伝来し重要文化財に指定されている天球儀の姉妹品のひとつです。天球儀とは、天球に投影された星座・赤道・黄道などを球体の表面に記入し天の南北両極を軸に回転できるようにしたものであり、天体の位置をしるためにつかいます。

「紙張子製地球儀」(渋川春海作、1695(元禄8)年)は、1695(元禄8)年に製作された現存する地球儀としては日本製最古のものです。イエズス会の中国宣教師マテオ=リッチが1602年に北京で刊行した大型の世界地図「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」にもとづいており、日本列島もしっかりえがかれています。

「紙張子天球儀」(渋川春海作、1697(元禄10)年)は、江戸時代初期の天文学者・渋川春海が独自に観測・研究した成果が反映された天球儀であり、中国伝来の星座のみしかしるされていない「銅製天球儀」とはことなり、日本の天文学の進歩をしるための貴重な資料です。

「紙張子製天球儀」(1690(元禄3)年)は、津藤堂家の分家、名張藩二万石を領した藤堂家につたわったやや小型の天球儀であり、渋をほどこした天球表面に中国星座が黒・赤の点でしるされています。1684(貞享元)年に渋川春海が製作した星図にもとづいてつくられたとかんがえられます。

「黒漆塗天球儀」(18世紀後半ごろ)は、旧宮崎延岡藩主内藤家に伝来した天球儀であり、紙張子で黒漆をぬってあり、真鍮製の地平環・子午環でささえられています。星は4色の円形であらわされ、あかるさによって大小にえがきわけられ、星座星名は金で記入されています。

「紙張子製天球儀」(江戸時代後期(19世紀)ごろ)は、谷津家に伝来した天球儀であり、赤経・赤緯の線や西洋流の星座がえがかれていることから江戸時代末期の作とかんがえられます。

「渾天儀」(江戸時代後期(19世紀)ごろ)は、江戸時代後期の説明・教育用の渾天儀であり、渾天儀とは、観測者の地平座標をしめす子午環・地平環や、天球の位置をしめす赤道環・黄道環など、いくつかの環からなる天文機器であり、もともとは天体の位置を観測するための機器です。

人間は古来、みずからの目で周囲をみてきましたが、望遠鏡を発明・開発したことにより とおくのものもみえるようになり、天体をみて大地をみて世界認識をいちじるしくすすめ、天球儀と地球儀にその成果を結実させました。

望遠鏡は、本来はみえなかったものをみえるようにし、わたしたちの視覚をいちじるしく拡張します。視覚とは、外界の情報を目から内面にインプットすることであり、望遠鏡をつかえば、インプットする情報を格段にふやすことができます。

わたしも、望遠鏡(双眼鏡・単眼鏡)の恩恵にあずかっており、旅行やフィールドワークでは双眼鏡(注2)が欠かせません。肉眼で風景をみて、ここぞというところは双眼鏡でみて、そして現場にいってたしかめます。ネパール・ヒマラヤのような広大なエリアではとくに重要です。

また博物館や美術館では単眼鏡(注3)が活躍します。要所要所で単眼鏡をつかうとこまかいところまでよくわかり、視覚体験が倍増し、記憶にもよくのこります。

双眼鏡や単眼鏡をつかえば誰でも簡単にすぐに視覚を拡張することができ、インプットする情報をふやすことができます。インプット能力を手軽にたかめることができます。双眼鏡や単眼鏡をつかわない手はありません。

そもそも人間は、望遠鏡にかぎらず、顕微鏡・温度計・気圧計・湿度計・騒音計・振動計・電波望遠鏡・電子顕微鏡など、さまざまな観察・観測機器を発明し開発し、感覚を拡張してきました。感覚の拡張とともに認識がふかまり知識がふえ文明が発達しました。

望遠鏡と測地・天文の歴史をみてこのような観点から科学・技術をとらえなおせば、みずからの感覚を拡張し、インプットする能力をのばすきっかけがえられるとおもいます。

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国立科学博物館
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▼ 注2
Vixen 双眼鏡 ニューアペックスシリーズ 8×24
わたしが長年つかっている双眼鏡です。小型軽量で携帯性にすぐれ、とてもよくみえます。

▼ 注3
Vixen 単眼鏡 マルチモノキュラー 4×12
わたしがいつもつかっている単眼鏡です。小型軽量で携帯性にすぐれ、とてもよくみえます。

▼ 参考文献
国立科学博物館編集『日本列島の自然と私たち』(日本館ガイドブック)国立科学博物館発行、2008年3月31日

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