「日本語の歴史」展(東洋文庫ミュージアム)をみる

日本

日本語の祖語は縄文人(先住民)の言語ではないでしょうか。万葉仮名そして片仮名・平仮名により日本語が書きあらわせるようになりました。標準語・言文一致・常用漢字により日本語の簡略化がすすみます。

「日本語の歴史」展が、東洋文庫ミュージアムで開催されています(注1)。東洋文庫所蔵の貴重な言語資料・歴史資料によって日本語の歴史をひもときます。

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 『三国志』魏書(陳寿著、280年頃成立、I739(乾隆4)年刊)
『三国志』「魏書」
(陳寿著、280年頃成立、I739(乾隆4)年刊)
『三国史記』地理志(金富軾、1145年成立、1394(洪武27)年、朝鮮刊)
『三国史記』「地理志」
(金富軾、1145年成立、1394(洪武27)年、朝鮮刊)
『蝦夷志』(新井白石、1720頃写)
『蝦夷志』
(新井白石、1720頃写)
『アイヌ研究に照らした日本の言語・神話・地理的命名法』(バジル=ホール=チェンバレン、1887年刊)
『アイヌ研究に照らした日本の言語・神話・地理的命名法』
(バジル=ホール=チェンバレン、1887年刊)
『アイヌ聖典』(金田一京助訳、1923年、東京刊)
『アイヌ聖典
(金田一京助訳、1923年、東京刊)
『校訂おもろさうし』(伊波普猷校訂、1925年刊)
『校訂おもろさうし』
(伊波普猷校訂、1925年刊)
『朝鮮西部沿岸および大琉球島航海探検記』(バジル=ホール、1818年、ロンドン刊)
『朝鮮西部沿岸および大琉球島航海探検記』
(バジル=ホール、1818年、ロンドン刊)
『古事記』(太安万侶、712(和銅5)年成立、1644(寛永21)年刊)
『古事記』
(太安万侶、712(和銅5)年成立、1644(寛永21)年刊)
『日本書紀』(慶長勅版)(舎人親王ら編、720(養老4)年成立、1599(慶長4)年刊)
『日本書紀』(慶長勅版)
(舎人親王ら編、720(養老4)年成立、1599(慶長4)年刊)
『万葉集』(温古堂本)(8世紀後半成立、16世紀(室町末期)書写
『万葉集(温古堂本
(8世紀後半成立、16世紀(室町末期)書写)
『悉曇章(しったんしょう)』(11-12世紀(平安時代)書写
『悉曇章(しったんしょう)』
(11-12世紀(平安時代)書写)
『土佐日記抄』(北村季吟、1661(寛文元)年刊)
『土佐日記抄』
(北村季吟、1661(寛文元)年刊)
『源氏物語』(紫式部、11世紀(平安時代)成立、17世紀(江戸時代)刊)
『源氏物語』
(紫式部、11世紀(平安時代)成立、17世紀(江戸時代)刊)
『平家物語』(13世紀(鎌倉時代)成立、17世紀(江戸時代初期)刊)
『平家物語』
(13世紀(鎌倉時代)成立、17世紀(江戸時代初期)刊)
『字鏡(じきょう)』(13-14世紀(鎌倉時代後期)書写)
『字鏡(じきょう)』
(13-14世紀(鎌倉時代後期)書写)
『物類称呼』(越谷吾山編、1775(安永4)刊)
『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』
(越谷吾山編、1775(安永4)刊)
『和訓栞(わくんのしおり)』(谷川士清編、1777-1887年刊(1898年再版))
『和訓栞(わくんのしおり)』
(谷川士清編、1777-1887年刊(1898年再版))
『嘲戒小説天狗』(『山田美妙選集』所収)山田美妙、1935年刊(初出は1886年))
『嘲戒小説天狗』
(『山田美妙選集』所収)山田美妙、1935年刊(初出は1886年))
『言海』(大槻文彦、1897(明治24)年完結(1907年再版)
『言海』
(大槻文彦、1897(明治24)年完結(1907年再版)
常用漢字表(臨時国語調査会編、1931年)
『常用漢字表』
(臨時国語調査会編、1931年)
展示室
展示室

「『三国志』「魏書」(陳寿著、280年頃成立)」は、三国時代の中国の歴史を記録した『魏書』『呉書』『蜀書』からなる『三国志』のうちのひとつであり、『魏書』の末尾に収録される「烏丸鮮卑東夷伝」の「倭」の条で日本について記述され、「魏志倭人伝」の通称でしられます。「卑奴母離」という語がそのなかの一文にあり、これは、国境を守備する役職である「鄙守(ひなもり)」を漢字表記(音写)したのではないかとかんがえられます。日本語の音に漢字をあててあらわした例といえるでしょう。

「『三国史記』「地理志」(金富軾、1145年成立)」は、高麗の官僚で儒学者の金富軾(キムプシク、きんふしょく)が全50巻にまとめた新羅・高句麗・百済の三国の歴史書であり、このうちの巻34〜巻37は地誌にあたり、このなかに、日本語で理解できる地名が記載されており、のちに日本に移住・定住する人が移動の過程でそこにすんでいたのではないかという説があります。古代の日本語と朝鮮語の関係についてしるうえで重要な資料です。

「『蝦夷志』(新井白石、1720頃写)」は、中国の歴史書や松前藩の調書を参考に、蝦夷地を、「蝦夷(北海道)」「北蝦夷(サハリン)」「東蝦夷(千島)」にわけ、その地理情報とそこにくらすアイヌの生活様式を説明しています。著者の新井白石は徳川第6・第7将軍につかえた政治学者・歴史学者であり、日本語の起源にも関心をもっていました。

「『アイヌ研究に照らした日本の言語・神話・地理的命名法』(バジル=ホール=チェンバレン、1887年刊)」は、日本の地名にのこるアイヌ語を考証することにより、アイヌ語をはなす人々が日本列島にかつてすんでいたとのべています。著者のチェンバレンは、お雇い外国人として1873年に来日し、1886に、東京帝国大学の博言学(言語学)の教師になり、日本語学においては、アイヌ語・琉球語・朝鮮語などの研究から日本語の古代語を解明しようとしました。

「『アイヌ聖典』(金田一京助訳、1923年、東京刊)」は、口承によってつたえられてきたアイヌの神話や英雄叙事詩などをカナとローマ字でしるし、翻訳したものです。著者の金田一京助はアイヌ語の研究に一生を捧げた人物です。

「『校訂おもろさうし』(伊波普猷校訂、1925年刊)」は、神々に捧げる歌「おもろ」をあつめた書(草紙)であり、沖縄最古の歌謡集です。琉球王国の王府が、1531年から1623年の間に3回にわけて沖縄と奄美につたわるふるい歌謡をあつめ編集し、全22巻に1554首、重複分をのぞくと1248首の歌が収録されています。現在はつかわれていない言葉も多数あり、編纂時点ですでにつかわれていなかった言葉もなかにはふくまれ、琉球古語をしるうえでとても重要な資料です。

「『朝鮮西部沿岸および大琉球島航海探検記』(バジル=ホール、1818年、ロンドン刊)」は、琉球の自然・宗教・風俗・習慣などがくわしく書かれ、うつくしい図版を隋書にはさみ、琉球の語彙集が、英語・日本語との対照表とともに巻末にのっています。1816年、イギリスの軍艦ライラ号は、英国使節団を北京までおくりとどけ、その後、朝鮮と琉球に寄港し、琉球には40日間滞在して現地の人々と友好をふかめました。本書の著者はそのライラ号の艦長です。

「『古事記』(太安万侶、712(和銅5)年成立)は、天武天皇が、稗田阿礼(ひえだのあれ)におぼえさせた歴史を太安万侶(おおのやすまろ)が書きとめたものとされ、天地のはじまりから推古天皇まで(7世紀初頭)の歴史をしるしています。序文には、「漢字の意味を用いて記すと日本語の表現が伝わらず、漢字の音で表記すると長くなってしまう」とあり、古代からつたわる言葉を漢字で書きとめる苦労がかたられ、安万侶は、漢字の意味と漢字の音をおりまぜることで、意味をつたえることを旨としつつも、重要な部分では日本語を正確につたえています。

「『日本書紀』(舎人親王ら編、720(養老4)年成立)は、奈良時代につくられた正式な歴史書であり、天地が生じ神々が活躍する神代から、持統天皇の時代(7世紀末)までの歴史をしるしています。古代の日本では、正式な文章は漢文で書かれましたが、特殊な表現には日本語のよみをしめしたり、漢字の音をもちいて歌をしるしたり、日本語の表現をつたえようとするところもあります。

「『万葉集』(8世紀後半成立)」は、おもに飛鳥時代から奈良時代の和歌4500首あまりをおさめた和歌集です。和歌をしるすのに多彩な表記法がとられ、漢字の音をもちいた一字一音の万葉仮名表記はよくしられ、また漢字の訓を仮名としてもちいることもしています。歌によっては、和歌の定型性・類型性をいかして助詞や助動詞の表記をはぶいてしまうこともあります。多彩な表記法がとられているために、複数のよみ方がかんがえられたり、そもそもどうよむかわからなかったり、よみ方のさだまらない歌がおおくあります。

「『悉曇章(しったんしょう)』(11-12世紀(平安時代)書写)」は、梵字(ぼんじ、サンスクリット語を表記する文字)の音韻(おんいん)と書き方を習得させるための図表であり、これを元に、日本語の音韻をならべなおして五十音図が成立したとされます。2行目と3行目には、「摩多」とよばれる母音(通摩多12種、別摩多4種からなる)が、4〜7行目には、「体文」とよばれる子音34種がしるされています。8行目以降は、通摩多12種を、34種ある体文一つずつと組み合わせた字母表です。中国をへて日本へ梵字がつたわったのは、仏教が伝来した6世紀より後のことであり、8世紀以降、遣唐使たちを通じて寺院に浸透していきました。梵語や梵字に関する学問を「悉曇学」といいます。

「『土佐日記抄』(北村季吟、1661(寛文元)年刊)」、仮名書きで書かれた日本最古の日記文学です。平安時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)が女性の身のうえにたち、土佐(現在の高知県)から都(京都)にいたる道中をつづっています。貫之自筆本からの写本が存在し後世の改変がすくないため平安時代語研究の貴重な資料とされます。

「『源氏物語』(紫式部、11世紀(平安時代)成立)」は、仮名文学の代表作であり、話し言葉を基調としているので、当時の口語をしるうえでも重要な資料です。平仮名は、平安時代の中期頃成立し、宮中の女性たちが平仮名を主体としたすぐれた仮名文学を発表しました。

「『字鏡(じきょう)』(13-14世紀(鎌倉時代後期)書写)」は、漢字を部首ごとにならべ、その発音・和訓・語義などを説明しています。東洋文庫に現存する2冊は、もともと3巻本だったうちの下巻に相当するとかんがえられています。見出し字がおおいだけでなく、和訓が豊富に付されているのが特徴です。和訓の中には声点(しょうてん)がついたものもあり、アクセントをしることができる貴重な資料であり、漢和辞書史的にも貴重です。

「『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』(越谷吾山編、1775(安永4)刊)」は、俳人の越谷吾山が全国各地の方言をまとめた辞書であり、標準的な見出し語に対し各地の方言をしるす形式をとっています。都会では漢語がおおくつかわれたり、言葉がはげしく変化したりして古代の言葉がうしなわれますが、質素純朴な地方には古語がのこるというかんがえが背後にありました。古語は辺境にのこります。

「『和訓栞(わくんのしおり)』(谷川士清編、1777-1887年刊(1898年再版))」は、五十音をはじめて本格採用した辞書であり、江戸時代の国学者・谷川士情によって編まれました。前・中・後編の3編からなり、前編には古語・雅語、中編には雅語、後編には方言・俗語を収録しています。第2音節までを五十音順に配列し、語釈をほどこして出典・用例をしめす表記方法は本書からはじまり、現代の辞書にもひきつがれました。1898(明治31)年には国学者の井上頼圀らが前編中編を増補した『増補語林和訓栞』を出版しました。

「『嘲戒小説天狗』(『山田美妙選集』所収)山田美妙、1935年刊(初出は1886年))」は、言文一致をこころみた先駆的な小説です。それまでは、書き言葉の「文語体」はふるい言葉づかいのこしており、話し言葉とは乖離していました。しかし明治になって、読み書きをする層がひろがり、誰でもわかりやすい文章が必要になったことから、二葉亭四迷ら文筆家たちが話し言葉をベースにした口語体を推進し普及し、本書著者の山田美妙もそのひとりでした。

「『言海』(大槻文彦、1897(明治24)年完結(1907年再版)」は、文部省の命をうけて、国語学者の大槻文彦がまとめ、約3年かけて刊行した国語辞書です。本書は、「日本普通語ノ辞書」つまり一般的に使用される日本語の辞書であることを主旨としており、近代的な国語辞書のはじまりとされます。日本語の文法を説明した「語法指南」を巻頭にのせ、収録語は五十音順にならべ、発音もしるされています。さらに、古語・方言・俗語も記載されていることから、当時の日本語をとりまく様々な知識にふれられます。

「『常用漢字表』(臨時国語調査会編、1931年)」は、1923(大正12)年、文部省の機関である臨時国語調査会が1962字および略字154字を常用漢字(日常語一般に使用される漢字)として定め、それをあらわした一覧表です。制定後に何度か改定されており、本資料は、1931(昭和6)年の修正が掲載された改定版です。「常用漢字表」はその後も改訂がくりかえされ、現在は2010年に告示された2136字で構成されています。

日本列島で「日本語」がつわれるようになったのはいつからなのかよくわかっていませんが、日本に関する記録(魏志倭人伝)が『三国志』の「魏書」にあるため、おそくとも3世紀頃には日本語がはなされていたとかんがえらます。

日本で漢字が使用されるようになったのは、出土文字資料などから5世紀頃だとされ、これにより、それまで話し言葉としてのみ使用していた日本語を書きあらわすことができるようになります。

8世紀後半になると、漢字がもつ意味をきりはなし、漢字を「音」としてつかうことで日本語を表記する「万葉仮名」があらわれます。

9〜10世紀頃(平安時代)には、万葉仮名の漢字のくずし書き(草仮名)をととのえる形で「平仮名」がつくられ、それに並行して、万葉仮名の漢字の片側をとって「片仮名」がつくられます。片仮名は、漢文読解の際に注記などを行間に書きやすくするためにうまれました。漢文を、日本語の語順でよむ(訓読の)ための工夫もふるくからおこなわれてきました。

また梵字(古代インドで、サンスクリット語を表記する文字)の音韻と書き方をあらわした図表(悉曇章)を元に、日本語の音韻をならべなおして日本語の五十音図をつくります。

平仮名の字体の由来
平仮名の字体の由来(諸説あり)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片仮名の字体の由来
片仮名の字体の由来(諸説あり)
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平安時代は、漢文訓読がさかんにおこなわれて漢語の使用がひろがった一方で、仮名文字で物語を書く「仮名文学」が花ひらきます。平安時代後期には、平仮名でおもに和語(日本語本来の言葉)をもちいる和文と漢文訓読文とをあわせた「和漢混交(混淆)文」の形式がうまれます。

鎌倉時代以降は、漢字の普及がさらにすすみ漢語が一般化し、それにともない、漢字辞書の編纂がさかんになり、仮名で書いていた和語に漢字をあてた和製漢語もみられるようになります。たとえば「ひのこと」を「火事」とあらわします。

漢字が尊重される一方で、おもに女性がつかっていた仮名の使用が増加し、漢字の脇にそれまでちいさく書かれていた片仮名が漢字とおなじおおきさで書かれ、現在に近い形へ字体も統一されていきます。

こうして、和漢混交文とともに、片仮名・平仮名と漢字をまじえて書く「漢字仮名交じり文」のスタイルが確立します。

江戸時代(1603〜1867)になると、言語にかぎらず、あらたな江戸文化が発展します。宝暦年間(1751〜1764)頃を境に、それまで上方(京都・大阪)の言葉が中心でしたが江戸の言葉(江戸語)が中心になり、また庶民の初等教育の場である寺子屋、そして教科書としてつかわれた「往来(おうらい)」の普及などにより識字率がたかまり、漢字・漢語の知識も庶民にひろがり、さまざまな辞書がつくられます。

仮名は、平仮名がひろくつかわれ、字体は、ひとつの字を複数の形で書く変体仮名(異体字)の使用はありますが、現在のものとほぼおなじとなります。片仮名は、一部をのぞいて現在とかわらない字体となります。

音韻にも変化がみられ、ハ行の子音が、前代の「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」から「ハ・ヒ・フ・へ・ホ」となり、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の発音が統合されるなど、現在の発音へとひきつがれる変化があります。また文法・語法においても近代語としての形がととのえられます。敬語に代表される待遇表現が豊富になり、「いらっしゃる」、「くださる」、「です」、「ます」、「ございます」など、現在もつかわれる表現が用いられるようになります。

明治時代になると、江戸は東京に改名され首都になり、東京語(江戸城周辺と山の手の言葉)をもとにして標準語(共通語)がさだめられます。また教育制度がととのえられ、1900年に、小学校令施行規則の改正によって平仮名と片仮名の字体が現在の形にきめられます。

19世紀末には、江戸時代まではへだたりがあった書き言葉(文語)と話し言葉(口語)の一致を目ざす「言文一致運動」がおこり、小説家たちが実践したほか、国語教育においても普及します。

漢字の使用にも変化がおこり、1866年に幕府に提出された「漢字を廃止して平仮名のみを使うべき」とする意見にはじまり、1887年には、小学校の教科書で使用される漢字は約2000字に、さらに1900年には、教育にもちいる漢字を1200字程にするという、漢字の使用を制限するうごきがあります。その後、1923(大正12)年に常用漢字(日常語一般に使用される漢字)がさだめられ、何度かの改定をへて1981年に、1945字からなる常用漢字表が制定されます。常用漢字表は2010年に大幅に改定され、現在は2136字です。

また外来語の流入、カタカナ表記の和製英語の普及、つぎつぎにうまれる新語など、日本語はいまでも変化しつづけています。

このように日本語は、漢字を基礎にして、奈良時代に万葉仮名をつくり、平安時代に平仮名・片仮名をつくり、梵語からは五十音図をつくり、日本語の体系をととのえ、漢字仮名交じりの表記法が成立しました。この過程で、漢和辞典と国語辞典もつくりました。日本の文化は典型的な重層文化です。

そして東京語(江戸城周辺と山の手の言葉)をもとに標準語をさだめ、話し言葉と書き言葉を一致させ、常用漢字をきめ、誰にでもわかるように表記法の簡略化がすすめられました。

世界の言語の歴史をみても、表意文字から表音文字へ、表記法の簡略化がみられ、教育が庶民に普及して識字率があがるにつれて、あるいは識字率をあげるために、表記法の簡略化がおこるのは自然なながれであるといえるでしょう。

近年は、日本語をまなぶ外国人もふえ、外国人にとってもわかりやすい日本語がもとめられるようになり、なるべく漢字はつかわないようにする傾向がつよまってきています。むずかしい漢字は極力つかわないようにするのがこれからの日本語です。

さて、このようにして表記法が成立してきた日本語ですが、それでは、日本語の起源はそもそもどこにあるのでしょうか?

日本列島には、旧石器時代から人がすみはじめ、縄文時代には、北海道から琉球列島まで日本列島のいたるところに狩猟採集生活をする人々がいたことが人類学的・考古学的研究によりしられています。そして弥生時代以後、稲作文化をもつ人々が朝鮮半島から日本列島にやってきました。すなわち縄文時代にくらしていた人々は先住民であり、弥生時代以降にあらわれた人々は渡来人です。

一方、言語学ではつぎの法則をとなえています。

別な言語を使うある人種が、土着の人種を征服して国を造るとき、言語学的に二つの場合が起こる。一つは征服者が多数だったり、また少数でも、引き続き本国からの援助を得ることができる場合は、征服者の言語が勝つが、そうでない場合、つまり征服者の数が少なく、引き続き本国からの援助が受けられない場合は、被征服者の言語が勝つ、というのが、イェスペルセンやブルームフィールドなどの一般言語学の理論である(注2)。

つまり、(A)先住民にくらべて渡来人が多数であるか、また少数でも、本国からの援助がつづく場合は渡来人の言語が勝ちますが、(B)渡来人の数がすくなく、本国からの援助がない場合は先住民の言語が勝ちます。

日本列島の場合は(B)であり、先住民にくらべて渡来人はすくなく、また朝鮮半島(の国)からの援助があった痕跡もないため、先住民の言葉が勝ったのではないかとかんがえられます。弥生時代になって急激に、先住民の人口をこえる非常に多数の人々が日本列島にやってきたとはかんがえらません。渡来人は、まとまって一度にやってきたのではなく、ながい期間をかけて(鎌倉時代まで)徐々に人口をふやしていったようです(注3)。

このように、縄文人は先住民であり、弥生時代以後に渡来人がやってきたという事実をふまえ、言語学の上記の法則を前提とすると、日本語の祖語(原日本語)は先住民の言葉ではないだろうかという仮説がたてられます。

  • 事実:縄文人は先住民であり、弥生時代以後に渡来人がやってきた。
  • 前提:言語学の法則。
  • 仮説:原日本語は先住民の言葉ではないだろうか。

もし、この仮説がただしいとするならば、先住民の子孫であり、渡来人との混血が(ほとんど)すすんでいないアイヌ人と琉球人の言語は原日本語の性質を多分にとどめているだろうと推論(演繹)でき、また縄文文化が比較的よくのこっている東北地方にも原日本語の痕跡がみつかるはずだと推論できます。

このことをたしかめるためには、日本語・アイヌ語・琉球語の比較研究をし、原日本語の性質をなすものがアイヌ語と琉球語にふくまれているかどうか、日本語とアイヌ語・琉球語とは近縁関係にあるかどうかなどをしらべる必要があります。

たとえば『梅原猛著作集 8 日本冒険(下)』にはアイヌ語と日本語について以下のような事例がしめされています。

  • 日本語とアイヌ語は語順がおなじである。
  • 日本語とアイヌ語は母音の数とその性格、および子音の数とその性質がおなじである。
  • 日本語とアイヌ語は名詞に格変化がなく、人称による語尾変化が動詞にない点などがおなじである。
  • 日本語とアイヌ語には以下のような共通語・類似語がある。
  • アイヌ語〔日本語〕:カムイ〔カミ(神)〕、ピト〔ヒト(人)〕、イノッ〔イノチ(命)〕、タマ〔タマ(玉、霊)〕など。
  • 動詞は、アイヌ語の動詞の約半分が古代日本語の動詞と一致する。
  • アイヌ語〔日本語〕:アン〔ある〕、アㇼキ〔あるき(歩き)〕、ウㇰ〔うけとる(受け取る)〕、エㇰ〔いく(行く)〕、カイェ〔かえる(帰る)〕、クㇽ〔くる(来る)〕、ク〔くう(食う)〕、シニ〔しぬ(死ぬ)〕、セ〔せおう(背負う)〕、ソソ〔そぐ〕、トゥク〔つく(突く)〕、トリ〔トマル(止まる)〕、ノン〔のむ(飲む)〕、コヌプル〔このむ(好む)〕、コパン〔こばむ(拒む)〕、ヤヤパプ〔あやまる〕、トゥク〔つく(突く)〕、トゥラ〔つれる(連れる)〕、マカン〔まかる〕、ユピ〔ゆう(結う)〕など。
  • アイヌ語の語尾「ha」は、日本語にもっとも特徴的な助詞である「は」の発生をものがたり、「は」は、「が」とはちがい主格をしめす助詞ではなく、そのものを強調して提示する助詞である。
  • アイヌ語は抱合語であり、抱合語的な言葉が津軽地方にのこっている。日本語はいつも、辞でもって思想を統一し、日本語には主語は存在せず、それは、ひとつの修飾語の役割をはたすにすぎず、抱合語的性格を日本語はもつ。

このように、アイヌ語と日本語は同一語や類似語がとてもおおく、文の構造も似ています。

また琉球諸語についても、発音・文法構造・語彙などに共通性がみられ、日本語と琉球諸語をおなじ系統の言語とみなして「日琉語族」などとよぶことがあります(注4)。また東北地方北部には、アイヌ語由来の地名が分布していることが確認されており、アイヌ語をはなす人々がかつてはこの地にいたとかんがえられます(注4)。

以上のことから、「原日本語は先住民の言葉ではないだろうか」という仮説の蓋然性がたかまり、日本語・アイヌ語・琉球語は同系統の言語(同一の祖語から派生した言語)であり、縄文時代にはなされていた言語がそれぞれに転化したのではないかとかんがえられます。日本語については、原日本語が、日本語に転化するときに朝鮮語的な音韻変化をおこした可能性があります。

日本語の起源については、いまだによくわからないことがおおいですが、言語学だけでなく、人類学・考古学・歴史学・民俗学・環境学などのデータを総合し、仮説をたて検証するという方法(仮説法→演繹法→帰納法)によって理解がさらにふかまっていくとおもわれます。

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▼ 注1
「日本語の歴史」展
会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2022年5月25日~9月25日

▼ 注2
梅原猛著『梅原猛著作集 8 日本冒険(下)』小学館、2001年

▼ 注3
縄文人と渡来人 -「47都道府県人のゲノムが明かす日本人の起源」(日経サイエンス 2021.08号)-

▼ 注4
東洋文庫編集・発行『日本語の歴史展』(時空をこえる本の旅 31)(図録)、2022年

▼ 参考文献
東洋文庫編集・発行『日本語の歴史展』(時空をこえる本の旅 31)(図録)、2022年
梅原猛著『梅原猛著作集 8 日本冒険(下)』小学館、2001年
梅原猛著『梅原猛著作集 6 日本の深層』小学館、2000年

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