3D「チベット仏教の美術 − 皇帝も愛した神秘の美 −」(東京国立博物館)

ネパール

寒冷で乾燥したチベット高原に、牧畜・オアシス農耕・キャラバン商業を三位一体的におこなう民族が根づきました。7世紀以後、帝国が成立し発展しました。インドで発達した後期密教をとりいれ、精神文化が成熟しました。

東京国立博物館・創立150年記念特集「チベット仏教の美術 −皇帝も愛した神秘の美−」が同館・平成館で開催されています(注)。インド亜大陸北部で誕生し発達した仏教、その「最終ランナー」である後期密教はネパールをとおってチベットにつたわりました。いまでは、チベット仏教として世界にしられ、その、洗練された造形、神秘的な儀礼、高度な思想、何事にもとらわれない心、曼荼羅など、民族をこえておおくの人々を魅了します。今回の特集展示では、東京国立博物館が所蔵する品々とともに、日本人としてはじめてチベットにはいった 僧 河口慧海のご遺族からの寄贈品をまとめて展示・紹介しています。チベット仏教があらわす驚異的な生命力が感じられます。

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『秘密集会』阿閦金剛三十二尊曼荼羅
『秘密集会』阿閦金剛三十二尊曼荼羅
(ひみつしゅうえ あしゅくこんごうさんじゅうにそんまんだら)
(『ヴァジュラーヴァリー』曼荼羅集のうち2番、中国 清時代・18世紀)
ツォンカパ伝(中国 清時代・18~19世紀)
ツォンカパ伝
(中国 清時代・18~19世紀)
チャクラサンヴァラ父母仏立像
チャクラサンヴァラ父母仏立像
(中国・チベットまたはネパール 15~16世紀)
無量寿仏坐像(中国 明時代・宣徳年間(1426~35))
無量寿仏坐像
(むりょうじゅぶつざぞう)
(中国 明時代・宣徳年間(1426~35))
巴哷沙雑扎天坐像(はれつしゃぞうさつてんざぞう、左)
除蓋障菩薩坐像(じょがいしょうぼさつざぞう、八大菩薩のうち、中央)
明月母坐像(めいげつぼざぞう、右)
(いずれも中国 清時代・18世紀)
巴哷沙雑扎天坐像(はれつしゃぞうさつてんざぞう、左)
除蓋障菩薩坐像(じょがいしょうぼさつざぞう、八大菩薩のうち、中央)
明月母坐像(めいげつぼざぞう、右)
(いずれも中国 清時代・18世紀)
菩薩坐像(中国・チベットまたはネパール 15~16世紀)
菩薩坐像
(中国・チベットまたはネパール 15~16世紀)
ツォンカパ坐像(中国 清時代・17~18世紀)
ツォンカパ坐像
(中国 清時代・17~18世紀)
マカラ面母立像(左)
(中国 清時代・18~19世紀)
虎面母立像(右)
(中国 清時代・18~19世紀)
マカラ面母立像(左)
(中国 清時代・18~19世紀)
虎面母立像(右)
(中国 清時代・18~19世紀)
六臂マハーカーラ立像
(ろっぴまはーかーらーりゅうぞう)
(中国 清時代・17~18世紀)
六臂マハーカーラ立像
(ろっぴまはーかーらーりゅうぞう)
(中国 清時代・17~18世紀)
菩薩立像
(ネパール 14~15世紀、河口慧海請来)
菩薩立像
(ネパール 14~15世紀、河口慧海請来)
二臂マハーカーラ立像(ネパール 19~20世紀)
二臂マハーカーラ立像
(にひまはーかーらりゅうぞう)
(ネパール 19~20世紀、河口慧海請来)
盤 白色如意宝珠マハーカーラ
(ばん はくしょくにょいほうじゅまはーかーら)
(中国・景徳鎮窯、中国 明時代・万暦年間(1573~1620))
盤 白色如意宝珠マハーカーラ
(ばん はくしょくにょいほうじゅまはーかーら)
(中国・景徳鎮窯、中国 明時代・万暦年間(1573~1620))
チベット式仏塔(中国 清時代・19世紀)
チベット式仏塔
(中国 清時代・19世紀)
ガウ(携帯厨子)(中国 清時代・19〜19世紀)
ガウ(携帯厨子)
(中国 清時代・19〜19世紀)
般若経(中国・チベットまたは中国内地	18世紀)
般若経
(中国・チベットまたは中国内地 18世紀)

「『秘密集会』阿閦金剛三十二尊曼荼羅(ひみつしゅうえ あしゅくこんごうさんじゅうにそんまんだら、中国 清時代・18世紀)」は、複数の曼荼羅で構成されるセットのうちのひとつであり、清の第4代皇・帝康熙帝(こうきてい、在位1661〜1722)の第12皇子がつくらせたものであり、上質な絵具をつかって丁寧にしあげられています。

「ツォンカパ伝(中国 清時代・18~19世紀)」は、チベット仏教の最大宗派であるゲルク派の祖ツォンカパ(1357〜1419)とその伝記であり、複数の作品で構成されるセットの一幅とみられます。

「チャクラサンヴァラ父母仏立像(中国・チベットまたはネパール 15~16世紀)」は、男女の仏がだきあう姿であらわされる父母仏(ヤブユム)であり、守護神(イダム)とよばれ、絶大な力をもつ仏として信仰されます。インドでの女神信仰のたかまりをうけ、多数の仏たちを父母仏がうみだすとかんがえられました。

「無量寿仏坐像(むりょうじゅぶつざぞう、中国 明時代・宣徳年間(1426~35))」は、菩薩の姿であらわされる阿弥陀如来(無量寿仏)の坐像であり、明の宮廷弘法で製作されました。乾漆製の光背と台座が付属していてとても貴重な像です。

「巴哷沙雑扎天坐像(はれつしゃぞうさつてんざぞう、中国 清時代・18世紀)の「巴哷沙雑扎天」は、十二宮におけるサソリ座(ヴリシュチカ)をさします。

「除蓋障菩薩坐像(じょがいしょうぼさつざぞう、八大菩薩のうち、中国 清時代・18世紀)」は、台座正面に「大清乾隆年敬造」とあり、清朝第6代・乾隆帝(けんりゅうてい、在位1735~95)がつくらせたものです。阿弥陀仏の眷属(けんぞく)とされる八大菩薩の内、除蓋障菩薩でしょう。

「明月母坐像(めいげつぼざぞう、中国 清時代・18世紀)」は、清朝第6代・乾隆帝(在位1735~95)が母の長寿を祝してつくらせた金銅仏のひとつです。

「菩薩坐像(中国・チベットまたはネパール 15~16世紀)」は、両手から蓮華の茎がのび、尊名を特定できる特徴的な持物があったようですが、今はうしなわれて名前はわかりません。

「ツォンカパ坐像(中国 清時代・17~18世紀)」は、文殊菩薩の象徴である剣と経典を両手にもつ蓮華にのせる像であり、最大宗派であるゲルク派の祖ツォンカパ(1357〜1419)とみられます。頭には、パンシャとよばれる僧帽をつけていたのでしょう。チベット仏教では祖師が重視され、ラマとよばれる師匠は信仰の対象となりました。

「マカラ面母立像(中国 清時代・18~19世紀)」と「虎面母立像(中国 清時代・18~19世紀)」は、マカラ(怪魚)の顔をもつ女性尊と虎の顔をもつ女性尊が対であらわされています。人間の皮を裸にまとっておどる姿の女性尊はダーキニーとよばれ、つより呪力をもつ仏として信仰されます。ほかにも獅子や鳥など、さまざまなな頭のダーキニーが秘術とともにつたえられます。

「六臂マハーカーラ立像(中国 清時代・17~18世紀)」は、日本では大黒天として したしまれていますが、本来は、「大いなる暗黒(または時)」を意味するシヴァ神の別名です。額には第三眼、髪や眉をさかだて、六本腕に象の皮をまとって怒号するおそろしい姿であらわされます。寺院や宗派を仏敵からまもる護法尊として信仰されます。

「菩薩立像(ネパール 14~15世紀、河口慧海請来)」は、仏教の原典研究のためにチベット入国をはたした最初の日本人(僧・仏教学者)である河口慧海(1866〜1945)が東北大学に寄贈した菩薩立像であり、光背の銘文から、1回目のチベット旅行時にネパールの高僧から入手したことがわかります。

「二臂マハーカーラ立像(ネパール 19~20世紀、河口慧海請来)」は、大黒天としてしられる財福神であり、銅板をうちだして製作されています。河口慧海が、2回目のチベット旅行から帰国後に、東京美術学校(現 東京藝術大学)で開催した展覧会に出品しました。

「盤 白色如意宝珠マハーカーラ(中国・景徳鎮窯、中国 明時代・万暦年間(1573~1620))」は、文様の輪郭を盛り土し、複数の色釉を素地にかけわける法花(ほうか)製の盤であり、延命長寿や繁栄を祈願される白色如意宝珠マハーカーラをえがいています。景徳鎮におかれた官窯で焼成されたとかんがえられます。

「チベット式仏塔(中国 清時代・19世紀)」は、色ガラスの粉を顔料としてつかう粉彩技法により華麗に装飾したチベット式仏塔です。本来は、仏像をなかにおさめたとかんがえられます。

「ガウ(携帯厨子)(中国 清時代・19〜19世紀)」は、左右の環に紐をとおして腹や背に装着してお守りとして携帯するものです。内部におさめられていた仏像は現在はうしなわれています。

「般若経(中国・チベットまたは中国内地 18世紀)」は、金泥をつかって藍色の料紙にチベット文字で書写された『般若経』の一部です。チベット語の翻訳は、サンスクリット語の原文に忠実であることでしられます。

チベット略史

  • 629 ソンツェン=ガンポがチベット諸族を統一して王朝(吐蕃(とばん)王国)を確立する(吐蕃とはチベット王朝に対する中国側の呼称)。王都はラサ、マルポリの丘に宮殿を建立する。ネパールと唐から妃をむかえる。
  • 754 5代目ティソン=デツェン王が即位する(在位754~796)。王は、チベット仏教(密教)の祖とよばれるインド人行者パドマサンバヴァを招聘、チベット初の僧院サムイェ寺を建立する。また河西回廊や西域に進出する。
  • 763 吐蕃王国が唐の長安を一時占領する(吐蕃王国の最盛期)。
  • 822 吐蕃王国(9代目レルパチェン王)が唐と条約を締結する。
  • 842 10代目ランダルマ王が暗殺される。
  • 843 吐蕃王国がほろびる。
  • 1042 インド人学僧アーティシャがチベットにはいる。
  • 1226 モンゴル帝国が、チベット北東部へ侵入する。モンゴルの支援をうけて仏教教団のサキャ派(のちにカギュ派)がチベットを支配する(モンゴルによる間接支配)。
  • 1357 ツォンカパが誕生する(のちに、宗教改革をおこない、チベット仏教の主流派・ゲルク派の宗祖となる)。
  • 1368 明朝が成立する。軍事的に弱体な明朝はチベットへ介入せず、宗教的な尊称と仏像仏具工芸品などをチベット各宗派の代表者におくる。主要宗派と創始者はつぎのとおり。ニンマ派(パドマサンバヴァ、8世紀)、サキャ派(クンガーニンポ、1092-1158)、ガギュ派(タクポラジェ、1079-1153)、ゲルク派(ツォンカパ、1357-1419)。
  • 1616 後金(こうきん、のちの清朝) が建国される。
  • 1642 ソンツェン=ガンポ王の生まれ変わりを自認するゲルク派・高僧ダライ=ラマ5世がモンゴル勢力を後ろ盾にチベットを統一する。チベットの政治と宗教の代表者を兼任する。マルポリの丘にポタラ宮を建立する。
  • 1642 清朝が北京を都にする。清朝は、チベット僧を重用し、チベット語訳の仏教経典をモンゴル語や満州語へ重訳する文化事業を実施する(領内の漢人を支配するため)。
  • 1726 駐蔵大臣(チベット・ラサに清朝から派遣されてチベット地方政府の政務を監理する大臣)を任命する。
  • 1735 清朝・乾隆帝が即位する。乾隆帝は、チベット僧から灌頂(かんじょう)をさずかり、おおくのチベット寺院を建立する。
  • 1912 清朝がほろびる。
  • 1950 中国人民解放軍がチベットに侵攻する。
  • 1956 チベット動乱がはじまる。
  • 1959 反中国暴動がラサでおこる(チベット蜂起)。ダライ=ラマ14世がインドに亡命する。中国による独裁がはじまる。
  • 1965 中国チベット自治区が成立する。

チベットの歴史はおおきく3つに区分できます

  • 7〜9世紀 吐蕃王国の時代
  • 9世紀〜1642 教団仏教の時代
  • 1642〜1959 僧王ダライ=ラマの時代

河口慧海略年表

  • 1866 現 堺市にうまれる。
  • 1872 小学校に入学する。
  • 1886 同志社英学校に入学、数ヵ月で退学、堺の小学校の雇教員になる。
  • 1888 上京、遡源(そげん)教会に寄宿、哲学館に入学する。
  • 1890 黄檗宗(おうばくしゅう)羅漢寺で海野希禅から得度をうけ、慧海仁広と名のる。
  • 1891 羅漢寺の住職となる。
  • 1892 哲学館を退館。僧籍を返上する。
  • 1894 釈雲照について律をおさめる。釈興然について、パーリ語とインド事情をまなぶ。
  • 1897 6月出国、8月カルカッタ(コルカタ)着、ダージリンでチベット語をなまぶ。
  • 1899 1月ネパール入国、カトマンズ、ポカラをへて、5月ロー・ツァーラン着。
  • 1900 7月チベットに越境、9月カイラースを巡礼する。
  • 1901 3月ラサ着、セラ寺にはいる。7月ダライ・ラマ13世に謁見、ラサ高官宅に寄宿する。
  • 1902 5月身分が露呈、ラサ脱出、7月ダージリン着、12月まで同地に滞在する。
  • 1903 1月ふたたびネパールにはいる。チャンドラ=シャムシェル首相(大王)にあう。5月神戸に帰着する。
  • 1904 『西蔵旅行記』を出版する。10月出国、11月カルカッタ着。
  • 1905 2〜12月ネパールに滞在、大王に一切経を献上、覚書提出、梵語仏典を収集する。
  • 1906 ベナレス(ワーラーナシー)にて梵語を研究する。
  • 1909 『Three Years in Tibet』を出版する。
  • 1913 12月カルカッタ発、ふたたびチベットへ。
  • 1914 シッキムをへて、1月シガツェ着。パンチェン・ラマ9世に一切経を献上。8月ラサ着。
  • 1915 チベット大蔵経を両ラマから受領する。4月チベット出国、ダージリンに滞在、9月帰国する。
  • 1916 東洋大学講師、チベット語を講ずる。
  • 1925 中国を訪問、パンチェン・ラマ9世と会見する。
  • 1925 『在家仏教』を出版する。
  • 1936 『正真仏教』『西蔵仏典』を出版する。
  • 1940 請来文献を東洋文庫に寄贈する。蔵和辞典の編纂に従事する。
  • 1941 『西蔵旅行記』改訂版を出版する。
  • 1945 2月死去。

軸装された仏画のことはチベットでは「タンカ」といい、インドにかつてあった「パタ」という布絵仏画を継承する数すくない絵画形式であり、曼荼羅のほか、仏や祖師、伝説上の人物など、さまざまな礼拝対象がえがかれます。

チベットの仏像は、さまざまな材質で製作されましたが、銅造に鍍金(ときん)でしあげた金銅仏がこのまれました。インドからつたえられた仏像を手本として造仏がはじまり、チベット製の仏像を忠実にうつすことがモンゴルや中国で流行します。インドの女神信仰の影響をうけ、妃を抱擁する父母仏(ヤブユム)が信仰されるのが特徴的であり、密教経典の本尊が妃とまじわり仏をうみだすとかんがえられています。

仏塔は、インドでは「ストゥーパ」とよばれ、ブッダの遺骨である仏舎利をおさめた墳墓でした。チベットの仏塔は「チューテン」とよばれ、塔内には、仏像や仏画・仏舎利などがおさめられています。中国や日本の仏塔は本来の姿とはことなり、五重塔など層塔型の建築様式が一般的ですが、チベットの仏塔は、墳丘をあらわす半球状の伏鉢部をもち、インドの様式がのこっています。

法具は、金剛杵(こんごうしょ)や金剛鈴(こんごうれい)などが僧侶の修行に欠かせず、特異な造形でしられます。経典は、インドの原典を忠実に翻訳(直訳)しているのがチベットの特色であり、清時代には満州語にも翻訳されました。また携帯用の厨子である「ガウ」も僧俗をとわずお守りとしてよくつかわれます。

チベット仏教の中国本土への普及は、元時代のクビライ(在位 1260〜94)らモンゴル王侯による信仰が契機となり、明時代にはいると、「無量寿仏坐像」など、中国本土製と判断できる遺品が増加します。モンゴルや満洲系の皇帝はチベット仏教をしばしば信奉しました。清時代に乾隆帝が、北京周辺の8か所に建立した「六品仏楼(ろっぽんぶつろう)」はその集大成であり、「大清乾隆年敬造」と明記されたおおくの仏像が奉安されました。

このようなチベットに最初にはいった日本人が河口慧海(1866-1945)です。19世紀当時、鎖国をしていたチベットに経典をもとめて2度にわたり潜入し、道中のインドやネパールでえたものをふくめ、数おおくの文物を日本にもちかえりました。帰国後、東京美術学校(現 東京藝術大学)で展示会を開催し、チベット仏教のみならずチベットの文化を日本人にはじめて紹介しました。その遺品の大半は東北大学に寄贈され、東京国立博物館にも一部が寄贈されました。道中をしるした『チベット旅行記』は今日にいたるまでひろくよみつがれています。

チベットは、冷温帯〜亜寒帯(あるいは高山帯)の乾燥地であり、寒冷・乾燥の高原であり、このようなきびしい自然環境のもとでは中国本土などにみられる二毛作は不可能であり、牧畜とオアシス農耕が生業として発達しました。とくに牧畜は重要であり、広大な牧地をもち、羊や山羊が飼われ、そしてチベット高原独特のヤクが家畜化されました。さらに、ヤクに荷物をのせてはこぶキャラバン商業が発展し、したがってチベット人は移動性が非常にたかい旅をする民族であり、携帯用の厨子が発達したのもうなずけます。

こうして、牧畜・オアシス農耕・キャラバン商業を三位一体的にいとなむ生業パターンが確立し、しかもこれらを分業でおこなうのではなく、誰もが、特定の分野に特化することなく3つの仕事を全人的におこない、一人でもいきぬいていくという個人主義がうまれました。わたしは、ヒマラヤの山奥でチベット人にであい話をきいたら、「ここで駄目ならよそへ行けばいい。どこへ行ってもどんな環境でも生きていくよ」といっていました。わたしたち日本人や村社会からみれば彼らは異人であり、稲作農耕民族とはあきらかにことなり、そこには、特定の場所や物事にはとらわれない、たくましい自立した自由人がいました。服装や携行品にも彼らの人生観があらわれていました。

このような人々がくらすチベットは、7世紀に帝国が成立し、仏教をとりいれます。帝国が崩壊してからは教団仏教の時代になり、14世紀には、ツォンカパが宗教改革をおこない、チベット仏教の主流派・ゲルク派がうまれ、精神文化が成熟します。

17世紀になると、そのゲルク派の高僧ダライ=ラマがチベットを再統一し、宗教と政治の代表者を兼任します。ダライ=ラマは、聖と俗の両界をつなぐただ一人の代表者であり、その下に、聖と俗のそれぞれからの2人の総理大臣がいるという体制であり、これは、両界から役人がでて一対になって行政をとりおこなう聖俗の双分体制であり、聖界のリーダーが聖界の原理ですべてをうごかすということではありません。

こうしてチベットは、独特の自然に根ざした生業基盤のうえに仏教をとりいれ発展し、文化を高度に成長させ、それは、「チベット文明」とよべるレベルにまでに達しました。仏教を導入したことによりチベット文化が成熟したことはあきらかであり、すぐれた生業・産業・制度だけでは文明にはならず、精神文化の成熟が必要です。

ここに、素朴文化から文明へ発展する文化成長の基本的なパターンがみられます。このパターンは、たとえば中国本土でも、日本でも、東南アジアでもみられます。インド亜大陸で発祥・発展した仏教を導入することによって文明化の道が約束されました。

また仏教の「本家」であったインド亜大陸では仏教はほろび、そのまわりに仏教文明圏がひろがったことにも注目してください。これは、「ドーナツ化」モデルとしてモデル化でき、これによりほかの地域の理解もすすみます。たとえばヨーロッパは、パレスチナで発祥したキリスト教を導入することにより精神文化が成熟しヨーロッパ文明が成立、しかもイスラーム文明圏のまわりにキリスト教文明圏が分布しています。「ドーナツ化」モデルで理解できます。

現在、チベットは中国に占領されていますが、そこは辺境の未開地域では決してなく、高度な精神文化をもったひとつの文明圏であり独立国です。自然環境・素朴文化・文明について探究できるすぐれたフィールドです。1日もはやい解放をねがってやみません。

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▼ 注
創立150年記念事業「チベット仏教の美術 −皇帝も愛した神秘の美−」
会場:東京国立博物館 平成館 企画展示室
会期:2022年7月26日~9月19日

▼ 参考文献
東京国立博物館編『創立150年記念特集 チベット仏教の美術 -皇帝も愛した神秘の美-』(パンフレット)、東京国立博物館、2022年
九州国立博物館編「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」(特別展資料)、九州国立博物館ウェブサイト、2009年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 11 チベット文明研究』、中央公論社、1997年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』、中央公論社、1996年
石浜裕美子著・永橋和雄写真『図説 チベット歴史紀行』、河出書房新社、1999年
D. スネルグローヴ・H. リチャードソン著(奥山直司訳)『チベット文化史』、春秋社、2011年
岩尾一史・池田巧編『チベットの歴史と社会 上』 臨川書店、2021年
岩尾一史・池田巧編『チベットの歴史と社会 下』 臨川書店、2021年

河口慧海著『チベット旅行記(上)』(講談社学術文庫)講談社、2015年
河口慧海著『チベット旅行記(下)』(講談社学術文庫)講談社、2015年
河口慧海著『チベット旅行記』(青空文庫)、Kindle版、2012年
河口慧海研究プロジェクト編「河口慧海の道」、季刊 民族学、119、pp.3-49、財団法人千里文化財団、2007年
河口慧海著・奥山直司編『河口慧海日記 ヒマラヤ・チベットの旅』(講談社学術文庫)、講談社、2007
高山龍三編著『展望 河口慧海論』法藏館、2002年
ダライ=ラマ著(山際素男訳)『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)、文藝春秋、2001年

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