独自の文化圏が形成されました。沖縄学の伝統があります。日本の深層にアプローチします。
企画展「沖縄復帰50年 うちなーぬ ゆがわりや 琉球・沖縄学と國學院」が國學院大學博物館で開催されています(注)。沖縄の歴史を短時間で通覧できます。「うちなーぬ ゆがわりや」とは沖縄の言葉で「沖縄の世変わり」という意味です。
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(沖縄県伊江村具志原貝塚出土、貝塚時代)

(沖縄県竹富町新城島、江戸・明治時代・19世紀)
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石垣島・白保竿根田原(しらほさおねたばる)遺跡でえられた人骨(ホモ・サピエンス)は約2万年前の年代測定値をしめし、沖縄本島・南城市サキタリ洞遺跡調査区 I では、約20,000〜23,000年前の年代をしめす第II層から、マルスダレガイ科の二枚貝を利用した扇状貝器やニシキウズ科の巻貝の底部円盤部分を加工した釣針らしき資料が出土します。これらの遺跡からは石器が出土しないため、島嶼環境に順応した貝器文化が存在した可能性が指摘できます。
その後、日本列島本土で縄文文化が成立すると、北琉球(琉球列島北・中部圏)にはその影響がおよびましたが、南琉球(琉球列島南部圏)にはおよばず、以後、狩猟・漁労・採集に依存することなる先史文化が両地域にうまれます。
11世紀頃になると、琉球列島全域に、中国産陶磁器をはじめとするさまざまな文物がもたらされ、穀物栽培もはじまり、奄美・沖縄諸島から宮古・八重山諸島までをふくむ琉球文化圏が形成されます。
なお「沖縄」と「琉球」という2つの名称はまぎらわしいですが同一地域のことなるいいかたであり、随の皇帝・煬帝(ようだい)は、中国東方海域の事情調査を実施し、『隋書』に「流求伝」をのこし、明代になって、「流求」が「琉球」にあらためられました。一方、日本では、奈良時代に中国から渡来した鑑真の伝記を『唐大和上東征伝』に淡海三船がまとめ、そのなかに、「阿古奈波島」の島名がみられます。したがって「琉球」は中国の、「阿古奈波」→「沖縄」は日本の記録にみられる名称であり、2つの名称がいまでも混在しているのは、中国からの影響と日本からの影響を同等にうけてきた中継地域としての歴史が反映しているためであるとかんがえられます。
1368年、中国大陸では、モンゴル族がたてた元がほろび、漢民族による明が成立し、明は、アジア各地に建国をつげ、琉球・中山王はすばやくこれにこたえます。1373年、中山王は、明への遣使をおこなって冊封をうけ、朝貢国となります。その後、沖縄諸島の覇権をにぎり、さらに、奄美・宮古・八重山諸島を支配下におさめ、琉球列島全域を支配します。琉球国は、明や、明と朝貢関係をもつ東南アジア諸国とのあいだで交易をおこない、海洋国家として繁栄します。
1609年、島津氏は、琉球へ軍事侵攻し、琉球国は降伏、日本の幕藩体制下にくみこまれます。しかし明・清とのあいだの冊封関係も維持し、日中両属体制のもとで国家を存続させます。
冊封関係にもとづく朝貢貿易によって、陶磁器をはじめとする中国製品が琉球国に大量にもちこまれ、琉球国は、それらを日本や東南アジアへおくり、交換した産物を中国にもちこむ中継貿易をおこないます。活発な交易によってもちこまれたさまざまな製品は、琉球列島の美術工芸や芸能・思想など、あらゆる分野に影響をおよぼします。また島津藩支配下の琉球国では明・清にくわえて日本の影響が加味され、今日につながる琉球文化の根幹が形成されます。
沖縄県の設置後は、日本化が急速にすすむ一方、「沖縄学」がうみだされます。人材育成を目的として学校制度が導入され、沖縄県立中学校に赴任した教師のなかに國學院の前身である皇典講究所を卒業した国語教師・田島利三郎がおり、田島は、沖縄にのこるさまざまな古記録を採録するとともに、沖縄の演劇や言語について調査しました。しかし沖縄へつよい関心をむけたことが学校執行部による排斥をまねき教職をおわれ、田島の退職に抗議してストライキをおこし退学処分をうけた学生のなかに伊波普猷(いはふゆう)がおり、田島が採録した古記録のすべてをゆずりうけ、「沖縄学」の道をきりひらきます。
伊波普猷は、東京帝国大学を卒業後、沖縄にもどって沖縄県立図書館館長となり、言語学・民俗学・人類学・歴史学・考古学・宗教学など、さまざまな分野を総合して日本本土と沖縄の比較研究をおこない、沖縄(県民)の日本における位置づけの確立を目ざしました。伊波がこころみた総合的な研究は、明治 44(1911)年に出版した『古琉球』に結実し、「沖縄学」とのちによばれます。伊波は、昭和9(1934)年に國學院大學において琉球の神歌「おもろ」についての講義をおこなっています。
『おもろそうし』は、琉球王府によって16・17世紀に編纂された神歌を中心とする歌謡集であり、田島利三郎が、沖縄県庁に所蔵されていた筆写本を明治28(1895)年にかきうつし、翌年、おもろ主取安仁屋家にのこされていた原本(安仁屋本)との校合をすませたことがしるされています。和紙370丁におよび、田島や伊波によるかきこみがおおくみられます。
そして第二次世界大戦ではおおきな悲劇がおとずれます。その末期、日本の敗色が濃厚となった昭和19(1944)年3月、日本の大本営は、沖縄への連合国軍侵攻にそなえて第三二軍沖縄守備隊を編制、同年5月以降、沖縄守備隊は、軍管区となった奄美・沖縄・宮古・八重山・大東諸島へ移動、陣地構築をすすめます。連合国軍は、昭和19年10月以降、琉球列島への空襲をはじめ、昭和20年4月には、三二軍司令部がおかれた沖縄島への上陸作成をすすめ、はげしい地上戦となり、終結した7月以降、米軍は沖縄を占領、第三二軍の軍管区を支配下におき、沖縄統治をはじめます。
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このように沖縄は、日本本土とはことなる歴史をもちます。
これには、弥生時代に相当する時代が沖縄には欠落しており、日本国(本土)の基盤となった稲作文化が定着し発展しなかったことがおおきく影響しています。このことにより沖縄の文化は、旧石器時代〜貝塚時代(新石器時代)の文化の面影をつよくとどめているにちがいないという仮説をたてることができます。沖縄は、石灰岩がおおい地質、海がちかい、おおきな川がない、台風がよくくるなど、自然環境が水田稲作にもともとむいていませんでした。
また沖縄は、地理的には東アジアの要衝であり、海洋貿易国としておおいに繁栄したのであり、日本本土とはこの点でもことなります。要衝であるため軍事基地がいまでも多数あり、問題になっています。
したがって沖縄は、日本国の果てにすぎないという視点ではまったく理解できず、日本本土とはちがう世界がひろがっており、だからこそ「沖縄学」とよばれる独創的な学問がうまれました。
その沖縄学の父が伊波普猷(いはふゆう、明治9年(1876)~ 昭和22年(1947))です。伊波は、沖縄・那覇でうまれ、東京帝国大学文学科言語学専修を卒業し(1906)、主著に、『古琉球』(1911)、『校訂おもろさうし』(1925)、『をなり神の島』(1938)、『沖縄歴史物語』(1947)などがあります。
とくに、およそ12世紀から17世紀初頭にかけて採録されたウムイ(古代歌謡)をあつめた『おもろさうし』に着目、それを解説し、沖縄の人ばかりか日本人一般にはじめてしらせました。『おもろさうし』は沖縄の『万葉集』とよばれます。また晩年には、日本本土の文化が沖縄に南下してくるまえに、「南方系の文化や言語を持つ先住民族がすでにいたであろう」とのべました。
このように、沖縄文化の起源は稲作文化にあるのではなく、もっとふるい狩猟(漁撈)採集文化にあるとかんがえられ、沖縄文化は、日本の深層文化をしるために欠かすことのできない文化であるといえるでしょう。それどころか、狩猟(漁撈)採集文化は人類の深層文化でもあり、人類の歴史と社会を探究するうえでも重要な文化であるとかんがえられます。限界にきている今日の機械文明を反省するためにも沖縄文化が参考になります。
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▼ 注
企画展「沖縄復帰50年 うちなーぬ ゆがわりや 琉球・沖縄学と國學院」
会場:國學院大學博物館
会期:5月19日~7月23日
▼ 参考文献
國學院大學博物館編集発行『沖縄復帰50年 うちなーぬ ゆがわりや 琉球・沖縄学と國學院』(図録)2022年
楳澤和夫著『これならわかる沖縄の歴史Q&A〔第2版〕』大月書店、2020年
宮城弘樹著『琉球の考古学 旧石器時代から沖縄戦まで』敬文舎、2022年
行田稔彦著『いまこそ、沖縄 沖縄に親しむ50問50答』新日本出版社、2014年
梅原猛著『梅原猛著作集7 日本冒険(上)』小学館、2001年
梅原猛著『梅原猛著作集8 日本冒険(下)』小学館、2001年
梅原猛著『梅原猛著作集17 人類哲学の創造』小学館、2001年