縄文時代には共通文化がありました。北海道史・本土史・沖縄史を対比します。多様性がわかります。
『月刊みんぱく』2022年2月号が「日本列島の文化の多様性」を特集しています(注1)。国立民族学博物館で2022年3月から開幕する企画展「焼畑 -佐々木高明の見た五木村、そして世界へ-」(注2)の予告編になっています。
民族学者・佐々木高明(国立民族学博物館の第2代館長、1929-2013)は、「照葉樹林文化」と「ナラ林文化」をとなえて東アジアのなかの日本を位置づける一方、北のアイヌ文化、本州を中心とするヤマトの文化、南の琉球文化など、日本列島の文化の地域性を指摘しました。
本特集では、佐々木高明がのこした資料にもとづいて「日本列島における新しい年表」を提案しています。
池谷和信(2022):「佐々木高明の見た日本」月刊みんぱく, 2022年2月号(注1)
日本列島には縄文時代には北海道から沖縄まで、縄文文化という共通の文化がありました。しかし弥生時代〜古墳時代になると水田稲作や古墳がみられるようになり、それらを指標として、日本列島内における中心と周辺という文化の「濃淡」がうまれます。13〜15世紀ごろになると、北のアイヌ、中央の鎌倉幕府・室町幕府、南の琉球王朝がたがいに関係をもちつつも独自の展開をみせます。そして江戸時代になってもアイヌと琉球は、江戸幕府の支配が直接およばない「異域」でありつづけます。
たとえば本土日本人を魅了したお茶や仏教や陶磁器はアイヌ社会でうけいれられることはなく、アイヌの物質文化には、海獣類の骨や牙をつかった道具や装身具・ビーズなどの北太平洋の先住民族に共通するモノと、太刀・玉・鏡・漆器といった古代日本の価値観にのっとったモノとが「同居」しています。アイヌは、モノには魂がやどっているとかんがえ、お金で魂は買えないのでお金でモノを買うことはできず、したがって貨幣もうけいれませんでした。
そして近代国家が成立したあとも、独自の社会と文化がアイヌと沖縄では根づよく維持され、日本本土との温度差が今なおみられます。
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これまでの日本史年表は日本本土史であったのであり、それは朝廷と幕府を中心とした日本史でしたが、「新しい年表」では、北海道・日本本土・沖縄が並行しており、この年表をつかうことによって日本の地域性・多様性がわかり、日本人固有の生活様式・行動様式に関する理解もすすむにちがいありません。
ところで日本本土には、古来、蝦夷・国栖(くず)・熊襲・隼人とよばれる人々がおり、彼らは、縄文人(先住民)の子孫であり、アイヌ人・琉球人と同系であるとかんがえられます。これらのうち蝦夷は関東〜東北地方の人々であり、平安時代末期に渡来系政権をたおし、鎌倉時代〜江戸時代の武家政権を成立させた原動力になったのではないかという仮説がたてられます。また隼人は、九州南部(薩摩・大隅)の人々であり、明治維新の原動力になったのではないかという仮説がたてられます。今でも、鹿児島県の男性のことを薩摩隼人といいます。
このように、意外にも、縄文系(先住民系)の人々は日本史におおきく影響しているのであり、日本史をうごかしてきたといってよいでしょう。
今回しめされた「新しい年表」は、ダイナミックな日本史をしるためにおおいに役だつにちがいありません。
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▼ 注1:参考文献
特集「日本列島の文化の多様性 佐々木高明の世界からの展望」月刊みんぱく、2022年2月号、pp.2-9、国立民族学博物館編集・発行
▼ 注2
企画展「焼畑 ― 佐々木高明の見た五木村、そして世界へ」
会場:国立民族学博物館・本館企画展示場
会期:2022年3月10日~2022年6月7日