特別展「琉球」(東京国立博物館) – 母系の伝統 –

土器をもった漁撈採集文化の面影が色こくのこります。稲作以前の縄文文化(日本の基層文化)の名残をとどめます。母系社会の伝統が息づきます

東京国立博物館「琉球」

土器をもった漁撈採集文化の面影が色こくのこります。稲作以前の縄文文化(日本の基層文化)の名残をとどめます。母系社会の伝統が息づきます。

沖縄復帰50年記念・特別展「琉球」が東京国立博物館で開催されています(注1)。琉球・沖縄の歴史と文化を総合的にみられるまたとない機会です。

第1展示室 万国津梁(ばんこくしんりょう) アジアの架け橋(A)
第2展示室 王権の誇り 外交と文化(B,C)
第3展示室 琉球列島の先史文化(D)
第4展示室 しまの人びとと祈り(E)
第5展示室 未来へ(F)

特別展「琉球」会場図
会場図

第1展示室(A)では、琉球王国が、中国・日本・朝鮮・東南アジアなどをむすぶ中継貿易の拠点としておおいにさかえたことを国際色ゆたかな品々とともに紹介しています。

琉球列島では、平安時代末期から室町時代にかけての時期を「グスク時代」といい、11世紀後半頃から、中国産白磁碗・カムィヤキ・滑石製石鍋といったそれ以前にはみられなかった器類が九州方面から搬入されてくるとともに、琉球列島のなかで陶器生産がはじまり琉球列島各地へ供給されていくといったあたらしい物流によりグスク時代がはじまり発展しました。この背景には、北部九州の商人が琉球列島方面まで商圏を拡大させたことや、喜界島などに交易の拠点がおかれたことがあります。

13世紀にはいると、中国産陶磁器や銅銭など、中国大陸から琉球へ直接もたらされる物流が発生、14世紀になると、あらたにもたらされるモノを占有していこうとするうごきがおこり、「山北(さんほく)」「山南(さんなん)」「中山(ちゅうざん)」といった有力な勢力が、中国大陸で1368年に成立した明国との朝貢関係を14世紀後半にそれぞれ構築します。この三勢力は、「按司(あじ)」や「てぃだ」「世の主」とよばれる首長を頂点とする武力による地域統合を14世紀からすすめた地域権力体でした。

そして1429年、中山の王である尚巴志(しようはし)が沖縄本島を統一し、明国との朝貢関係をむすぶ唯一の国家となり、交易品を占有していきます。首里城跡・京の内地区から出土した青磁の酒会壺や大瓶、水注、香炉、青花の大合子、高台付杯など、奢侈品(しゃしひん)としての陶磁器はそれを象徴しています。

15〜16世紀には、アジアの海に琉球王国は雄飛し、アジアに16世紀に進出したヨーロッパ諸国にも重視されて世界にしられるようになります。那覇は、王都首里にちかい天然の良港であり国際貿易港としてにぎわい、那覇の浮島には、中国人や日本人をふくむおおくの人びとが居住し、王府の外交・貿易関連施設もおかれ、港湾都市が発達、アジアの架け橋として琉球王国はおおいに繁栄しました。

第2展示室(B,C)では、三山統一をなしとげた第一尚氏にかわり、1470年からおよそ400年にわたって琉球王国をおさめた第二尚氏の時代に開花した独自の美意識と技術について国宝を中心にみていきます。

2006年、尚家に伝来した宝物のうち、工芸品85点、文書1166点が国宝に指定されました。戦前に東京へうつされていたため戦禍をまぬかれたということです。「国宝 玉冠(付簪)」(第二尚氏時代18〜19世紀)は、金筋に色とりどりの玉を多数とりつけ、金の簪(かんざし)をさした現存唯一の琉球国王の冠であり、王権の象徴であるとともに琉球独自の美意識をあらわします。

第二尚氏王統は、琉球王国の版図をかため、統治体制の整備、王城や寺院の造営など、多様な手段で王権の強化をはかり、国際環境が変化した近世には、王国の歴史的な主体性を確認するために史書などを編纂しました。

琉球国王は、中国皇帝の臣下となる外交関係をむすんだため冊封使(さっぽうし)が中国から派遣され、琉球王国の国際的な地位が中国皇帝にみとめられました。中国の元号を公式文書にもちいるなど、対中国関係が外交関係の中心にありました。

しかし1609年、島津氏の侵攻をうけ、中国皇帝の冊封をうけつつも、徳川将軍とその介在者である島津氏の支配下におかれることになります。将軍の代替わりや国王の即位の際には、慶賀使・謝恩使が江戸に派遣されました。

展示室C
(ここのみ撮影が許可されています)

第3展示室(D)では、琉球列島の先史文化を紹介しています。琉球列島では、珊瑚礁のゆたかな海によって独自の「貝の文化」がはぐくまれ、人びとは貝を、斧などの実用的な道具に加工したり、首飾りや腕輪などの装身具にしたりしていました。やがて、海を介した交流や交易から、本州へとつながる「貝の道」がうまれます。貝をはじめとする海産物は先史時代から欠くことのできない重要な資源でした。

縄文時代には、クジラやイルカ・ジュゴンといった海獣が主たる食料であるとともに道具の素材としても重用され、なかでも、礁池にくらすジュゴンが圧倒的におおく、湾曲がよわい肋骨やおおきな顎骨・肩甲骨など、かたい骨格が道具の格好の材料としてえらばれ、利器や装身具などにつかわれました。

沖縄県竹富町の下田原(しもたばる)貝塚(先史時代 前2000〜前1000年)は、沖縄考古学の本格的な出発地となった重要な遺跡であり、また先島諸島(さきしましょとう)における先史時代の標式遺跡でもあります。遺跡は、波照間島の北岸、琉球石灰岩をおおう赤土(島尻マージ)上に堆積した砂丘上に立地し、柱穴や炉跡、石敷遺構や溝状遺構が確認されたことから集落跡であるとかんがえられます。土器にくわえて、磨製石斧(ませいせきふ)や石錐(せきすい)などの石器ともに貝や骨でつくられた利器や装身具が多数出土しました。

縄文時代以後は、日本列島は、北海道の続縄文文化、本州・四国・九州の弥生文化、琉球列島の貝塚文化(先史文化)というようにことなる文化のあゆみがはじまり、「南島」ともよばれる琉球列島では、海のめぐみを生かし、海を通じた交易のもとで独自の文化が発展しました。

第4展示室(E)では、人々の姿と祈りの形をとおして琉球の精神文化についてかんがえます。

奄美から八重山へ、約1000キロにわたって島々がつらなり、人びとの生活や習俗は自然環境からの影響を受けつつ、土地に根ざした独自の宗教観をうみだしました。

沖繩の祭りのおおくは旧暦にもとづいておこなわれ、那覇から約430キロ南に位置する小浜島では、毎年旧暦9月、10月の戊の巳、亥の日から4日間にわたって結願祭がおこなわれます。結願祭とは、その年1年間の祈願の成就を神に感謝し、その願いを解く行事であり、正日(しょうにち)とよばれる祭りの2日目には、北の村から弥勒(めーらく)、南の村から福禄寿(ふくるくじゅ)の神があらわれて、奉納芸能がおこなわれます。

また首里城は、15世紀初頭以来、琉球の拠点として政治行政の中心であっただけでなく、王国の祭祀儀礼や祈りの場としての聖地でもありました。

海とゆたかな自然は、しまの人びとにとって恵みであり、畏れでもあります。海の彼方や海底、山や森など、人間のすむ世界とは別の世界を「ニライカナイ」とよび、来訪神がもたらす豊穣に人びとは感謝し、人生の折目には無事と幸福を祈願します。この日々の祈りこそ、琉球・沖縄文化の支柱です。

なかでも女性が祭祀を司るという特徴は、姉妹が兄弟を霊的に守護する「おなり神信仰」に通じるともいわれています。美意識にくわえて宗教観も琉球の風土にふかく関係しており、地域の個性があらわれます。

第5展示室(F)では、琉球・沖縄の未来についてかたります。

1879年の琉球処分後、沖縄は、日本への同化が急速にすすみましたが、伊波普猷(いはふゆう)の『古琉球』を手はじめに、琉球史や独特の文化事象など、沖縄への眼差しがふかめられ、沖縄学が確立され、そのながれが、琉球・沖縄文化の保護活動へとつながっていきます。

2015年からは、うしなわれた琉球王国の文化遺産を復元するとりくみがおこなわれ、先人の知恵と真筆にむきあい、「手わざ」(手仕事による高度な技)を未来へつなぐ努力がなされています。

琉球・沖縄の略史
  • 前5000 琉球列島で土器がつかわれはじめる。
  • 前3000 九州以北の縄文文化との交流がみられる。
  • 前1200 先島で、独自の土器(下田原式)の文化が展開する。
  • 1世紀 先島で、シャコガイ製貝斧がおおくつかわれる。
  • 8世紀 日本の律令国家が南島経営にのりだす。
  • 11世紀 琉球列島に、カムィヤキ・滑石製石鍋などが流通する。各地に按司がうまれ、拠点としてのグスクがきずかれはじめる。
  • 13世紀 大型グスクが出現する。
  • 14世紀末 首里城がきずかれる(最古の遺構)。
  • 1404 明の冊封使がはじめて来琉し、中山王武寧を冊封する。
  • 1416 尚巴志が山北をほろぼす。
  • 1429 尚巴志が山南をほろぼし、第一尚氏が琉球を統一する。
  • 1470 金丸(尚円)がクーデターを起こし王位に就く(第二尚氏時代がはじまる)。
  • 1531 『おもろさうし』第一集が編纂される。
  • 1592 豊臣秀吉が、朝鮮出兵の軍役を琉球に課す。
  • 1609 島津氏が琉球に武力侵攻する。
  • 1634 江戸幕府に、慶賀使・謝恩使をはじめて派遣する。
  • 1872 維新慶賀使を東京に派遣する。尚泰が「琉球藩王」とされる。
  • 1879 明治政府が「琉球藩」を廃し、沖縄県を設置する。
  • 1911 伊波普猷が『古琉球』を出版する。
  • 1945 沖縄戦。
  • 1972 沖縄が日本に復帰する。
  • 1975 沖縄国際海洋博覧会が開催される。
  • 1992 首里城正殿が復元される。
  • 1993 NHK大河ドラマ「琉球の風」が放送される。
  • 2000 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界文化遺産に登録される。
  • 2006 琉球国王尚家関係資料が国宝に指定される。
  • 2019 首里城正殿一帯が焼失する。
  • 2021 「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録される。
  • 2022 首里城正殿の再建工事がはじまる。

琉球・沖縄の歴史をみると、前5000年頃から土器がつかわれはじめ、その前は「旧石器時代」、その後は「貝塚時代」とよばれ、旧石器時代と貝塚時代に先史時代は区分され、貝塚時代は、日本本土の縄文時代に相当します。そして11世紀に「グスク」ができはじめてからは「グスク時代」になり、15世紀に第一尚氏が琉球を統一してからは「琉球王国時代」になります。

こうしてみるとここには、日本本土の弥生時代に相当する時代がすっぽりぬけていることがわかります。実際、弥生文化の痕跡はほとんどみつからず、弥生文化の最大の特徴である水田稲作がほとんどおこなわれていませんでした。琉球には、石灰岩がおおい地質など、稲作にはむかない自然環境があり、稲作文化つまり弥生文化はひろまりませんでした。

これらのことから、琉球・沖縄の文化は、貝塚時代の文化(縄文文化)の面影を今でもつよくとどめているのではないだろうかという仮説がたてられます。

人類学の研究成果をみても、弥生時代になってから稲作農耕民族が朝鮮半島から日本へ移住してきましたが、日本列島の南と北つまり辺境には縄文文化がのこったことがわかります。

縄文土器は、沖縄から北海道まで日本列島全域にわたってみつかっており、縄文文化は、日本の基層文化であるとかんがえられ、したがって琉球・沖縄の文化は、日本文化を理解するために欠かせない文化であり、琉球・沖縄から、日本の基層文化そして日本人の深層にアプローチできるはずです。

琉球では、11世紀からグスクがあらわれ、グスクには岩があり、森があり、神を祀る場所があり、もともとはそれは城ではなく「聖域」という意味であり、実際、城ではないグスクがたくさんあります。たとえば「御嶽(うたき)」とよばれる崇拝の対象となっている森や墓地、人びとが日常生活をおくっていた場所などもグスクとよばれ、御嶽は、祖先や守護神をおがむ村の森のなかの神聖な場所であり、「ノロ」とよばれる女性が宗教的儀式をおこなっていました。世界遺産に登録された「斎場御嶽(せーふぁうたき)」は琉球のなかでももっとも格式のたかい御嶽としてしられます。琉球の古代歌謡集『おもろさうし』をみても、グスクは霊のいる森であり、国王の姉妹であり最大の聖女である「聞得大君(きこえおおぎみ)」が神に祈って、国王のために霊力を賜わる聖所であることがわかります。明治時代になって国家神道政策で各地に神社がたてられるようになってからも、おおくの民衆の信仰にささえられて御嶽は今日にいたっています。

1470年になると、第二尚氏の時代がはじまります。その繁栄の基礎をつくった名君・尚真(1477年に即位)は、固有信仰に根ざす神女たちを国家的に再編し、聞得大君を頂点とする宗教組織をととのえ、王の姉妹(のちに王妃)が聞得大君になりました。土着の宗教が組織化され国家統一が強固になりました。

第二尚氏の時代には、北は日本、西は中国、南はタイ・ジャワまで、琉球の船はでかけていって交易をおこない、この大航海時代に琉球王国はとても発展しました。この大航海を、背後からささえていたのが聞得大君以下の女神たちでした。

琉球の首府・首里の南東には太陽の出づる島・久高島(注2)があり、聞得大君は、「久高詣(くだかもうで)」を年に一度しなければなりませんでした。沖縄の神話では、「ニライカナイ」からやってきた神が最初にこの久高のカベール浜におりられたといい、また穀物など(ムギ・アワ・キビ・アズキ・クバ・アザカ・ススキ(コメは無い))の種がながれついたのもこの島のイシキ浜でした。久高島は神の島であり、12年に一度おこなわれる「イザイホー」という祭りがあり、それは今日までつたわります。

琉球のおおくの祭りがそうであるように、イザイホーも、女が主役の神事であり、男は立ちいり禁止、女たちも、御嶽でしたことを男たちにかたることは禁じられています。琉球には、日本本土ではなくなってしまった女だけの神事がたくさんのこっており、母系社会の伝統がみられます。

歌謡集『おもろさうし』をみても男女の関係がはっきりします。男は、危険をおかして海にでておおくの幸をもってかえり、女は家にいて、その魂は鳥になって男の船の安全を必死でまもります。それが「おなり神」(姉妹)と「ゑけり」(兄弟)との関係の基本であり、それが同時に、聞得大君と国王との関係であり、ここでは女の方が上位であり、宗教的な力をもつ女によってはじめて、男は安全にいきることができます。

このようなことから、母系社会の伝統が琉球には息づいているとみることができるでしょう。

社会学者は、「日本は双系社会である」といい、それは母系が、父系とおなじような力をもっている社会であり、琉球の文化をみると、日本の双系社会には、縄文時代からつづく伝統がいかされているのではないかとかんがえられ、現代日本人の独特な行動様式もこのような観点から理解できます。

以上みてきたように、琉球は万国津梁(ばんこくしんりょう)、アジアの架け橋であり、第二尚氏の時代に大発展し、母系社会の伝統がその背後にあります。先史時代(貝塚時代)からの文化は人びとと祈りのなかに今でも息づいています。

琉球の文化は、日本の基層文化をわたしたちにつたえるわけですが、その文化は、人類のふるい文化の名残をとどめる重要な文化とみることもできるでしょう。環境破壊と人心荒廃をもたらす現代の「機械文明」を「いのちの文明」に転換するヒントもここに潜在しています。

今回の特別展では、はなやかな第1・第2展示室をみたあとに、素朴で精神的な第3・第4展示室をみて、歴史の背後にある母系の伝統をしることができました。とくに、第3展示室と第4展示室が隣接(連続)していることが重要であり、こうして国家の繁栄とそれをささえる精神文化がわかります。このような認識があってこそ、琉球にとどまらず、未来への展望がひらけるのではないでしょうか。

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▼ 注1
沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」
会場:東京国立博物館・平成館
会期:2022年5月3日 ~2022年6月26日
特設サイト

※ 九州会場
会場:九州国立博物館
会期:2022年7月16日〜9月4日

▼ 注2:久高島の位置

▼ 参考文献
東京国立博物館・九州国立博物館・NHK・NHKプロモーション・読売新聞社編集『沖縄復帰50年記念 特別展 琉球』(図録)、NHK・NHKプロモーション・読売新聞社発行、2022年5月3日
楳澤和夫著『これならわかる沖縄の歴史Q&A〔第2版〕』大月書店、2020年
宮城弘樹著『琉球の考古学 旧石器時代から沖縄戦まで』敬文舎、2022年
行田稔彦著『いまこそ、沖縄 沖縄に親しむ50問50答』新日本出版社、2014年
梅原猛著『梅原猛著作集7 日本冒険(上)』小学館、2001年
梅原猛著『梅原猛著作集8 日本冒険(下)』小学館、2001年