縄文人の祖先は広域に分布していた -「浮かび上がる縄文人の姿と祖先」(日経サイエンス 2021.08号)-

日本

縄文人の祖先は、南アジアとアンダマン諸島からやってきました。フィリピンの一部〜台湾〜韓国〜日本列島〜極東ロシアに分布しました。日本列島内では同質な集団がたもたれました。

北海道の礼文島北部の海岸ぞい、今から約3500〜3800年前の縄文時代後期の遺跡「船泊(ふなどまり)遺跡」で発見された女性「船泊23号」の骨にのこっていた DNA が、2019年、「ヤポネシアゲノム」プロジェクトによって最新技術をつかって解析されました(注)。彼女は、現代人なみのたかい精度でゲノム全体を解析された最初の縄文人であり、縄文人の起源についておおくのことをかたります。

彼女のゲノムとそれ以外のアジアの集団のゲノムを比較したところ、極東ロシアの少数民族であるウルチ族、韓国人、台湾の先住民であるアタヤル族とアミ族、そしてフィリピンの一部の人々のゲノムに船泊縄文人と共通の配列が数%含まれていることが判明したのだ。

人類学者たちは、現生人類(ホモ・サピエンス)は30万〜20万年前にアフリカで誕生し、約6億年前にアフリカを出発、5万〜4万年前にその一部が東アジアに到達したとかんがえています。

そして縄文人につながる集団は2つあったとされ、ひとつは、南アジアから内陸を北上して遼東半島まで到達した集団であり、もうひとつは、インド東部にあるアンダマン諸島の先住民が東アジアの沿岸部にひろがった集団であり、2つの集団がであい混血してヤポネシア(日本列島)にわたったか、あるいは2つの集団がそれぞれヤポネシアにわたり、ヤポネシアで混血したか、2つの仮説がたてられます。

このような仮説をたてると、極東ロシアの少数民族であるウルチ族、韓国人、台湾の先住民であるアタヤル族とアミ族、フィリピンの一部の人々のゲノムと、船泊の縄文人のゲノムに共通の配列がみられることが説明できます。

縄文人(先住民)と渡来人の混血がすすんで日本人が成立したという仮説がたてられており、縄文人は、日本人の基層をつくった集団であったとかんがえられます。それでは、その基層集団はどこからきたのか? 何者だったのか? ゲノム解析技術によってあきらかになってきました。

ゲノム配列の共通性から、縄文人の祖先は、フィリピンの一部〜台湾〜韓国〜日本列島〜極東ロシアという広域に分布していたことがわかりました。これらの祖先の起源は南アジアとアンダマン諸島にあると現段階ではかんがえられます(位置図)。

位置図
位置図

ところで東アジアにルーツをもつ集団としては、ユーラシア大陸から、ベーリング陸橋をとおってアメリカ大陸にわたったアメリカ先住民もおり、彼らが、東アジアの内陸集団から分岐したのはおよそ2万6000年前であると人類学者はかんがえていて、そして今回のゲノム解析結果から、縄文人の祖先は、それ以前(おそらく3万年前ごろ)に東アジアの内陸集団から分岐したことがわかりました。

縄文人の祖先は、フィリピンの一部〜台湾〜韓国〜日本列島〜極東ロシアという広域に分布していましたが、日本列島内においては、3000年前に渡来人がやってくるまではほかの民族との混血はすすまず同質な集団のままでいたとかんがえられます。日本列島という「隔離空間」が同質・均質をたもつためにおおきな役割をはたし、またこのことが、日本列島には縄文文化が比較的よくのこっている原因だともかんがえられます。

このように、東アジア全域をみわたせば、縄文人の祖先、縄文人(先住民)、弥生人〜古墳人(渡来人)などの由来・移動・分布、混血、日本人の成立などについて理解をふかめることができます。

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▼ 注:参考文献
吉田彩「浮かび上がる縄文人の姿と祖先」日経サイエンス, pp.38-43, 2021年8月

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