イスラーム王朝史がわかります。さまざまなたくさんの人々を文明が統一します。文明の衝突がおこります。
マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」が東京国立博物館で開催されています(注1)。イスラームの豊富なコレクションをもつマレーシア・イスラーム美術館(注2)の全面協力をえて、特定の国家や地域によらない世界規模のイスラーム美術の展示が実現しました。
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1.ウマイヤ朝
預言者ムハンマドが632年に没すると、「正しく導かれた代理人たち」とよばれる「カリフ」が「ムスリム」(イスラーム教徒)をあらたにひきいます。聖典をあつめ、書写した「クルアーン」(コーラン)を冊子体に装丁し分配、これらは、「ウスマーン写本」としてしられるようになり、その内容と構成はかわらぬまま現代まで継承されます。
第4代カリフのアビー=イブン=アビー=ターリブが暗殺されると、シリアの総督だったムアーウィヤはみずからカリフを称して最初のイスラーム王朝である「ウマイヤ朝」(661~750)を創始します。首都を、シリアの「ダマスクス」におき、また洗礼者ヨハネ大聖堂の跡地に「ウマイヤ・モスク」を建立します。ウマイヤ朝の芸術は、ビザンティン帝国やサーサーン朝ペルシアなど、先行する文明の意匠や技術をとりいれます。文字芸術である「カリグラフィー」も発展します。
2.アッバース朝
アッバース家は、預言者ムハンマドにつながる家系であり、ウマイヤ朝のカリフに抵抗し、自分たちこそが正当な後継者であり、ムスリム帝国を継承すべきだと主張、アッバース朝初代カリフのサッファーフはウマイヤ家の後継者を殺害し、みずからの王朝をひらきます。762年、権力の座をシリアからイラクにうつし、円形をした平和の都「バグダード」を造営、商業・科学・芸術が大発展し、イスラーム文明は黄金期をむかえます。
3.ファーティマ朝とアイユーブ朝
ファーティマ朝は、「シーア派ムスリム」で預言者ムハンマドの娘ファーティマの家系であると称し、アッバース朝の衰退を機に北アフリカのチュニスからエジプトへ本拠をうつします。ファーティマ朝カリフがすむ宮殿が建設された新都は勝利者を意味する「カーヒラ」(カイロ)と命名されます。
1169年、ザンギー朝につかえていたサラーフッディーンがカイロに遠征、十字軍の脅威からカイロをまもり、1171年、ファーティマ朝に終止符をうち、「アイユーブ朝」の創始者としてみずから「スルタン」(君主)となります。
4.イランおよび中央アジアにおける初期の王朝
9世紀、アッバース朝はすでに弱体化しており、王朝は分裂をつづけ、中央アジアの「ガズナ朝」(977〜1186)や「ブワイフ朝」(945〜1055)、イラン系の「サーマーン朝」(819〜1005)など、地方王朝の君主が独立します。
5.モスク
モスクは、ムスリムの絆を強固にし、説教そして毎週金曜日の集団礼拝のために信者をあつめる役割をもちます。美術工芸品で華麗に装飾され、ムスリム社会の拠点として重要な役割をはたします。
6.北アフリカおよびスペインにおける王朝
ウマイヤ朝がシリアで滅亡すると、虐殺をまぬかれた王子アブド=アッラフマーン1世(在位756~788)はイベリア半島にのがれ、「コルドバ」を首都として「後ウマイヤ朝」をたてます。コルドバは、バグダードやカイロに匹敵する壮麗な宮殿でしられるようになり、輸入品をあつかう市場もひらかれ、ムスリム世界はもちろんヨーロッパ各地のすぐれた工芸品であふれかえります。
北アフリカでは、首都を「マラケシュ」に置く「ムラービト朝」(1062~1150)がさかえます。12世紀半ばには、「ムワッヒド朝」(1150~1269)が勃興し北アフリカを支配します。マラケシュを占領し、セビリアを首都としますが、1212年、「ナバス・デ・トロサの戦い」で敗北し、キリスト教諸王国連合軍に半島内の領土の大半をうばわれます。
7.セルジューク朝
11世紀の中央アジアでは、テュルク系遊牧民オグズ族が勢力を伸ばし「セルジューク朝」をおこします。1055年までに、「ホラーサーン」(イラン)とメソポタミア(イラク、シリア、アナトリアの一部) を占拠し、アッバース朝カリフと「スンナ派イスラーム」を保護します。最盛期には、中国西部から地中海世界まで版図をひろげましたが、1243年、モンゴル軍に大敗して服属します。
8.マムルーク朝
「マムルーク(奴隷軍人)」が反乱をおこし、アイユーブ朝をたおし「マムルーク朝」をたてます。首都をカイロにおき、エジプトとシリアで実権をにぎります。前期の「バフリー・マムルーク朝」(1250~1382)と後期の「ブルジー・マムルーク朝」(1382~1517)にわかれ、バフリー・マムルーク朝はモンゴル軍をやぶり(1260)、モンゴル帝国の西進を阻止、これにより、イスラームを擁護する王朝となります。
9.イル・ハーン朝とティムール朝
チンギス・ハーン(1167頃〜1227)の指揮下、モンゴルの遊牧民は東西に勢力を拡大し、クビライが中国に元朝をひらくと弟のフラグが版図拡大をひきつぎ、中央アジア・ペルシア(アフガニスタンとイラン)、アナトリアからアラル海までを支配します。1258年、バグダードが攻略され、アッバース朝は終焉、フラグが、イル・ハーンとなり、中国の大ハーンに忠誠をちかいます。モンゴルのイスラーム化がすすみ、1295年には、ガザン(1295~1304)がイル・ハーン朝の第7代君主となると同時にイスラームに改宗することを宣言します。
ティムール(1370~1405)は、モンゴル系貴族の出身でムスリムとしてそだった偉大な戦士であり、チャガタイ・ハーン国で傀儡のハーンをおき、みずからは、「アミール」(司令官・総督)であることを宣言します。サマルカンドを首都とし、イラン、メソポタミアを征服しアナトリアへと進出、さらにインド・デリーに入場します。
10.サファヴィー朝とカージャール朝
サファヴィー朝(1501〜1722)は、イスマーイール1世(在位1501〜1524)がタブリーズを占領し、初代「シャー」(王)に即位してイランに建国した王朝であり、イスラーム教「シーア派」を国教とします。第5代シヤー・アッバース1世(在位1587〜1629)の治世に首都が「イスファハーン」にうつり、建築・美術・工芸が開花します。
カージャール朝(1779〜1924)時代になると、伝統的なイスラーム社会のなかにもヨーロッパの影響がよりつよくみられるようになります。
11.武器
ムスリム世界のスルタンやシャーや皇帝にとって、戦時にも儀礼にも、最高の武具をもつことは当然のことであり、武器が完壁であるためには、良質な材料、俊敏なうごきを可能にする形状、王朝の富を象徴する装飾という3要素が不可欠でした。市街のいたる所で武器の売買がさかんになり、店がならぶ通りは「武器スーク(市場)」とよばれます。
12.オスマン朝
ルーム・セルジューク朝が崩壊後、1299年、テュルク系一族によるオスマン朝が北西アナトリアに成立します。建国当時は小国家でしたが、周囲の支援をうけて版図を拡大し、ビザンティン帝国を攻撃、1453年、オスマン朝スルタン・メフメト2世(在位1451〜1481)がコンスタンティノープルを征服、キリスト教国は終焉します。オスマン朝は、エディルネからコンスタンティノープルに首都をうつし、「イスラームブル」(イスタンブル)と改称します。王朝は、16世紀を通して東西に拡大し、メソボタミア、イランの一部、マムルーク朝工ジブ卜、シリア、北アフリカの一部を支配下におきます。さらに、ハンガリー王国のベオグラードを制圧、ウィーンにまでせまります。また、ヒジャーズ地方の聖地マッカ(メッカ)とマディーナ(メディナ)の保護権も獲得します。
13.イスラーム書道芸術
ムスリム世界で文字は、モスクの正面や内部、中庭宮殿、公共建築など、おおくの建築物を装飾しているほか、福音の語句が染織や金属器・ガラス器・木工品などの装飾に、またクルアーンの章句や預言者の言葉の書写、そして詩や散文の語句の引用などが紙にしるされ、個人的に所有されたり、護符としてもちいられたりし、さらに、日用品や調度品に文字装飾をほどこすことでその存在意義をたかめる役割もはたします。
14.ムガル朝
ティムールとチンギス・ハーンの系譜をつぐ人物であるザヒールッディーン=バーブル(在位1526〜1530)はムガル朝の創始者であり、彼の孫アクバル(在位1556〜1605)の治世にインド亜大陸に領土が大きくひろがります。アクバルは、アーグラー近郊の新都ファテープル・スィークリーに宮殿を建設し、彩飾写本の製作を命じ、イランとインドの伝統要素が融合したムガル様式がうまれます。
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以上のように、さまざまな工芸品・美術品などをイスラーム王朝史とともにみていけば、イスラーム文明がこれまでにいかに繁栄したかがよくわかります。
イスラームの美術は、洗練された色彩と計算された幾何学によるシンプルな造形に特徴があり、数学的なうつくしさと形容したくなります。
イスラーム文明は、準湿潤〜湿潤で成長した中国・儒教文明やヒンドゥー文明(温帯・熱帯の文明)とはことなり、乾燥帯で基本的に発達した文明であり、人間(主体)と自然環境の相互作用(インプットとアウトプット)によって文明が発達することを前提とすると、乾燥帯というシンプルな自然環境がシンプルなうつくしさに反映しているのではないかという仮説がたてられます。このことはイスラーム現代絵画をみてもあきらかです。
イスラーム文明は、預言者ムハンマド(632年没)以来の歴史をもち、他方で、イスラーム文明圏という広大な領域を地球上に形成し、歴史的存在であると同時に地理的存在であり、一地方の文化が高度化・広域化して文明が発展するという文明成立のパターンをここにみることができます。イスラーム教はその中心にあり、民族や国家や時代をこえて、たくさんのさまざまな人々を統合し、地球上においてひとつの文明圏をつくり、大文明をうみだしました。いわゆる世界宗教(高等宗教)が文明の中心にはかならずあります。
現代は、近代化・グローバル化がすすみ、近代文明あるいは全球文明が発展しつつある時代ですが、前近代において成立・成熟した文明(前近代的文明)は依然としていきており、おおきな影響力を今なおもっています。
前近代において成立・成熟した文明としては、ほかに、中国・儒教文明、ヒンドゥー文明、ヨーロッパ・キリスト教文明があり、それぞれに特色をもち、それぞれに自己主張をし、それぞれに対立しています(ヨーロッパ・キリスト教文明にはアメリカもふくまれます)。
その結果、中国・儒教文明とヒンドゥー文明が衝突し、ヒンドゥー文明とイスラーム文明が衝突し、イスラーム文明とヨーロッパ・キリスト教文明が衝突し、ヨーロッパ・キリスト教文明と中国・儒教文明が衝突し、こうして諸文明の衝突は今後ともつづくだろうと予想できます。
とくに、イスラーム文明の中心地はアジアとヨーロッパとアフリカが接する場所であり、文明の十字路であり、地球上の要衝といってもよく、紛争がたえません。
辺境の民族・重層文化の民である日本人には、大陸の諸文明とくにイスラーム文明について理解が不足していますが、諸文明を対比し、世界史と地域性を文明の観点からあらためてとらえなおせば理解がすすむでしょう。イスラーム文明を理解せずして世界は理解できません。
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▼ 注1
マレーシア・イスラーム美術館精選 特別企画 「イスラーム王朝とムスリムの世界」
会場:東京国立博物館・アジアギャラリー(東洋館 12・13室)
会期:2021年7月6日~2022年2月20日
▼ 注2
Islamic Arts Museum Malaysia(マレーシア・イスラーム美術館)
▼ 参考文献
ルシアン=デュ=ギース・勝木言一郎・猪熊兼樹・小野塚拓造編集『マレーシア・イスラーム美術館精選 イスラーム王朝とムスリムの世界』(図録)、東京国立博物館発行、2021年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』 中央公論新社、1996年
※ 川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』の 第II部「ユーラシア諸文明の生態史」において、前近代において成立・完熟した7つの文明(前近代的文明)、(1)中国文明、(2)チベット文明、(3)ヒンズー文明、(4)イスラーム文明、(5)ビザンチン文明、(6)ラテン文明、(7)西欧文明(ビザンチン文明・ラテン文明・西欧文明はヨーロッパ・キリスト教文明としてくくることもできる)について概説しており、たいへん参考になります。自然環境と人間のやりとりによって文明が発達することがわかります。
▼ 参考サイト
グラフィック:スンニ派とシーア派ってどういうこと?(NHK)