特別展「大航海時代へ − マルコ・ポーロが開いた世界 −」(古代オリエント博物館)をみる

文明

モンゴル帝国の時代に東西の交易・交流がすすみました。『東方見聞録』を介して大航海時代に移行しました。世界がグローバル化しはじめました。

天理参考館・天理図書館創立90周年特別展「大航海時代へ −マルコ・ポーロが開いた世界−」が古代オリエント博物館博物館で開催されています(注)。モンゴル帝国から大航海時代へ、『東方見聞録』が結節点としてうかびあがります。

第1展示室「シルクロードとマルコ・ポーロの冒険」

第1コーナー「シルクロード」

「シルクロード」とは、ドイツの地理学者リヒトホーフェン(1833〜1905年)の造語であり、紀元前2世紀から紀元後2世紀における中国から西方までをむすんだ古代の交易路をさし、中国からのおもな商品が絹であったことから命名されました。

当初は、砂漠地帯のオアシスを経由して中央アジアを横断する「オアシスの道」をさしていましたが、近年は、オアシスの道の北側に横たわるユーラシア草原地帯のおもに遊牧民による通商路である「草原(ステップ)の道」、南シナ海・インド洋・アラビア海を経由して紅海・地中海にいたる「海の道」もくわえて、中国から西方までの幅ひろい交易路全体をシルクロードとよびます。さらに、交易にとどまらず東西の文化交流の代名詞としてもつかわれます。

第2コーナー「マルコ・ポーロの時代」

1271年、マルコ=ポーロ(1254〜1324年)は商人である父と叔父につれられて陸路で東方にむかいます。そしてかえりは、中国・泉州からイランのホルムズまで海路で移動し、1295年、ヴェネツィアにもどります。困難とおもわれるこのような長距離旅行ができたのは、中国・元朝を中心とする、ユーラシア大陸を股にかけたモンゴル帝国が成立していた時代だったからであり、移動の安全が帝国により保障されていたからです。これを、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」をもじって「パクス・モンゴリカ」(13〜14世紀)とよびます。帝国内で完備された陸海交易ルートによって東方をおとずれたヨーロッパ人はたくさんおり、マルコ=ポーロもそのひとりでした。

第2展示室「大航海時代」

第1コーナー「出で立ち」

マルコ=ポーロは『東方見聞録』をあらわし、それは、おおくの写本をうみだし、ヨーロッパ人を東方へかりたてます。冒険者たちのガイドブックとなり、世界をひらく本になります。モンゴル帝国の時代から、『東方見聞録』をへて、大航海時代へと歴史はながれます。

第2コーナー「接触と拡散」

それまでは、ヨーロッパはヨーロッパ、アジアはアジア、アフリカはアフリカ、アメリカはアメリカ、独立した文化圏をそれぞれがつくっていましたが、それらが海でつながり世界は激変します。

海上交易のネットワークが成熟すると中国の港には船があふれ、あらゆる物資がとりひきされます。アジアは、独自な高度な文化圏つまり文明をすでにつくっており、ヨーロッパ人は、成熟した異質な世界を目のあたりにしておどろきます。

しかしアメリカ大陸などでは、外部とは接したことがなく社会・政治・経済・技術がまだ未熟な段階だったため、ヨーロッパ人はすさまじい侵略と略奪をおこない、疫病ももちこみ、その結果、原住民の大半が死亡、アステカ帝国やインカ帝国などがほろぼされます。

第3コーナー「日本」

1543年、ポルトガル人が種子島に来航して鉄砲をもたらし、1549年、イエズス会のフランシスコ=ザビエルがきてキリスト教をつたえ、大航海時代の波が日本にもやってきます。

日本の大航海時代は、織田信長がうまれた1534年から徳川家康が没する1616年までの時期といってよく、1530年代には、石見(いわみ)銀山の産出量がふえ、東の辺境の地でしかなかった日本が世界有数の銀産出国となり、世界経済にくみこまれていきます。

信長は、堺を直轄領にし、帆船がもたらす商品や情報を独占的に入手、またキリスト教にも好意的で、イエズス会は、日本布教の成果をアピールするために4人の日本の少年をヨーロッパに派遣します(天正遣欧使節団)。信長は、権威をしめすために安土城をえがいた屏風を教皇におくります。その後の秀吉も家康も立場はおなじであり、ポルトガル・スペイン、そしてオランダ・イギリスと接触することで地盤をかためていきます。

略史

  • 1206 テムジン、モンゴル帝国を結成しチンギス=ハンと称す。
  • 1219 チンギス=ハンの西征(〜1225)。
  • 1227 チンギス=ハン死去。
  • 1258 フレグ軍によりバグダッド開城、アッバース朝消滅。
  • 1260 フビライ、第5代ハーンに即位。
  • 1271 マルコ=ポーロ一行、東方にむけて出発。
  • 1274 第1回元寇(文永の役)。マルコ一行、上都に到着。
  • 1279 南宋ほろぶ。
  • 1281 第2回元寇(弘安の役)。
  • 1290 マルコ一行、ザイトン(ザイトゥーン、泉州)から出航。
  • 1295 マルコ一行、ヴェネツィアにもどる。
  • 1298 マルコ、ジェノヴァの牢獄で口述(『東方見聞録』)。
  • 1368 元ほろび(以後、北元)、明が成立。
  • 1371 明、海禁政策をとる。
  • 1405 鄭和(ていわ)の大航海(〜1433、計7回)。
  • 1453 オスマン帝国、コンスタンティノープルを占領、ビザンティン帝国が崩壊。
  • 1492 クリストファー=コロンブス、第1回航海、新大陸に上陸。
  • 1493 コロンブス、第2回航海。
  • 1497 ヴァスコ=ダ=ガマ出航。
  • 1498 ヴァスコ=ダ=ガマ、インドに到着。コロンブス、第3回航海。
  • 1502 コロンブス、第4回航海。
  • 1503 アメリゴ=ヴェスプッチ、「新たな大陸」(アメリカ大陸)を報告。
  • 1512 ポルトガル、モルッカ諸島(香料諸島)に到着。
  • 1513 バスコ=ヌーニェス=デ=バルボア、パナマ地峡を横断、太平洋を発見。
  • 1519 フェルディナンド=マゼラン、西まわりで香料諸島にいくためスペインを出航。
  • 1520 マゼラン、大陸南端にたどりつき海峡をぬける(マゼラン海峡とのちに命名)。
  • 1521 マゼラン、フィリピンに到着するが死去。
  • 1522 マゼランのいない艦隊がスペインに帰港。
  • 1533 ピサロ、インカ帝国を征服。日本の石見銀山、灰吹法による大量生産。
  • 1543 ポルトガル人、種子島に到来、鉄砲伝来。
  • 1549 フランシスコ=ザビエル、鹿児島に上陸。
  • 1565 スペインのウルダネータ、太平洋を西から東へむかう航路を発見、大圏航路の確立。
  • 1573 織田信長、足利義昭を追放、室町幕府が消滅。
  • 1585 天正遣欧使節、ローマ教皇グレゴリオ13世に謁見。
  • 1600 イギリス東インド会社設立。
  • 1602 オランダ東インド会社設立。
  • 1603 徳川家康、征夷大将軍に就任。
  • 1624 江戸幕府、スペイン船の来航を禁止
  • 1639 江戸幕府、ポルトガル船の来航を禁止(鎖国の完成)。
  • 1644 明が滅亡。

諸国の皇帝陛下・国王殿下・公侯伯爵閣下、騎士及び市民各位よりはじめ、およそ人類の諸種族や世界各地域の事情を知りたいと望まれる方々ならどなたでも、まあこの書物を読まれるがよい。この書物には、広汎な東方諸地域 — 大アルメニア・ペルシア・タルタリー・インド、そのほか数多い諸国の最大の驚異やとても珍しい事柄を収めているが、それらはすべて賢明にして尊敬すべきヴェネツイアの市民、《イルミリオーネ》と称せられたマルコ・ポーロ氏が親しく自ら目賭したところを、彼の語るがままに記述したものである。

『東方見聞録』より

『東方見聞録』は、マルコ=ポーロ自身がかいた著作ではなく、ジェノヴァの獄中に13世紀末にともに投獄されていたピサの作家 ルスティケッロがマルコからききとった内容をしるしたものです。彼らはイタリア人でであったにもかかわらず当時の慣習としてフランス語でかきました。祖本はすでにうしなわれ、パリ国立図書館に現在所蔵されている14世紀に書写された「fr.1116」写本が、イタリア語なまりのある中世フランス語でかかれており、祖本にもっともちかいとされます。その後、イタリア語版やラテン語版も制作され、140点以上の写本が現存します。これらの記録は、ある程度の信憑性をもって東洋の歴史資料の間隙をうめるという点で多大な貢献をしています。

砂漠を横断した両兄弟は、とてもりっぱな大都市ブハラに到着した。・・・両兄弟のブハラ滞在の間に、近東タルタール人の領主アラウ(フレグ)から派遣されて、東北東のはるか彼方、大地の端に都している全タルタール人大君フビライのもとに赴く使臣が、たまたまこの町に到来した。

『東方見聞録』より

マルコの父ニコルと叔父マッフィオは、イル・ハン朝から元朝へむかう使節団とブハラで遭遇し、中国大陸へ一緒におもむくことになり、その使節団のなかには、南宋の都・臨安(杭州)を、総司令としてのちに陥落させたバヤンがいたとみられています。このイル・ハン朝との邂逅がなければ、マルコが東方へいくことはなかったのであり、『東方見聞録」は、「パクス・モンゴリカ」時代の元朝とイル・ハン朝の外交の産物であるともいえるでしょう。

モンゴル帝国は、そのひろい領域における移動・通信手段として「ジャムチ(站赤)」とよばれる駅伝制度を整備し、帝国の隅々にまで交通網をしき、「パイザ(牌子)」とよばれる許可証(現代のパスポートにあたる)をもっていればスムーズに安全に長距離を移動することができるようにし、マルコらもこの制度を利用します。

チンギス=ハンを祖とするモンゴル帝国は、息子から孫の代に、元朝、イル・ハン朝、チャガタイ・ハン朝、ジュチ・ハン朝の4つに分裂しましたが、元朝皇帝を「ハーン」(「大ハン」)とし、他国の君主を「ハン」とするゆるやかな連合体制をつくっていました。支配者層であったモンゴル人は中国やイランなどの文化を受容しつつも、季節移動などの遊牧文化ももちづけていました。

多民族複合国家だったため、ことなる言語・宗教・生活様式などをもつ領民を統治するためにそれぞれに通じる統治システムが整備され、その端的な事例は「パスパ字」(「国字」ともよばれる)であり、この文字は、モンゴル語のみならずトルコ語・チベット語・漢語を音写することができ、文書・通貨・印章などにつかわれました。

マルコは、紙幣の流通についてもおどろきをもってのべています。

これらの紙片にはハーンの印璽(いんじ)がいちいち押されている。とにかくこうして作製された通貨はどれも純金や純銀の通貨と全く同等の権威を賦与されて発行されるのですぞ。なおそれ専門の官吏があって、これら紙片に署名捺印を加える。以上の手続きがすべて終わると、特にハーンから信任された造幣局長官が、彼の保管に委ねられている印璽に朱肉をつけて紙片上に捺印する。こうすると朱肉をつけた印璽の跡形紙片の上に残るのである。この手続きを経て初めて、この特異な通貨は法定通貨となる。もしこれを偽造する者があれば死刑に処せられる。ハーンは、全世界の硬貨をあげてそれと交換できるくらいの巨額まで、この通貨を製造している。

『東方見聞録』より

モンゴル帝国の財政は銀を主体としていましたが、元朝になると、「交鈔(こうしょう)」とよばれる紙幣をつかう貨幣経済にきりかえました。

そしてマルコらは上都へむかいます。

ニコロとマッフィオの両氏はニコロの息子マルコを司伴し、夏を渡り冬を過ごす騎馬の長旅を続けたあげく、ついにハーンの宮廷にたどり着いた。時にハーンはケーメンフ(開平府/上都)と称する殷富な大都市にあって、ここに宮殿を開いていた。

『東方見聞録』より

マルコらは上都にいたり、世祖フビライ(在位1260~1294)に謁見します。上都とは元朝の夏都であり、元朝のハーン(皇帝)が百僚を引き連れておとずれていました。フビライはチンギス=ハンの孫であり、モンゴル帝国第5代皇帝、元朝の初代皇帝です。都を、上都と大都(北京)にうつし、1271年に国号を元とし、1279年に南宋をほろぼして中国を統一、安南(ベトナム)・ビルマ・ジャワなどをしたがえ、高麗を服属させました。日本にも、遠征軍を2度派遣しましたがそれは失敗しました。

元来ここにはハーンバリグ(大都/北京)、すなわち訳して《ハーンの都》という宏壮清美な古都があったのであるが、占星師たちから、この都には反乱の兆しがあり、ひいては帝国に最大の混乱を引き起こす恐れがあると聞いたハーンは、この古都からわずか一河を隔てる隣接の地に新都を建設し、これをタイドゥ〔大都〕と命名したのである。

『東方見聞録』より

フビライは、金朝の都・燕京を「中都」としてさだめましたが、その北東に「大都」を新造しました。マルコ=ポーロは、前者は「ハーンバリグ」、後者は「ダイドゥ」とよび、「ハーンバリグ」とは「大ハンの都」を意味します。

ハーンバリグをたって十マイル進むとプリサンギン〔盧溝橋〕という大河に達する。この河は大海に通じており、莫大な商品を携えた多数の商人が船で往来している。この河にはとても立派な石橋が架かっている。全く世界中どこを探しても匹敵するものはないほどのみごとさで・・・

『東方見聞録』より

北京西南郊外に、「プリサンギンの石橋」とマルコがのべた盧溝橋が現存し、「マルコ=ポーロ・ブリッジ」の異名をもちます。「プリサンギン」とはペルシア語で石橋を意味し、「ポレ・サンギー」がなまったものであり、このことは、中国の地理情報をおしえた人が漢人ではなく、西方出身の「色目人」(トルコ・イラン・アラビアなど、西方系諸民族の総称)であったことをしめします。

泉州についてものべています。

ここは海港都市で、奢侈商品・高価な宝石・すばらしく大粒の真珠などをどっさり積みこんだインド海船が続々とやってくる港である。またこの海港には、この地の周縁に展開しているマンジ各地からの商人たちも蝟集してくる。・・・この海港都市に集積した商品は、ここからマンジ全域に搬運され賈販される。キリスト教諸国に売りさばこうとしてアレクサンドリアその他の港に胡椒を積んだ一隻の船が入港するとすれば、ここザイトゥーン港にはまさにその百倍にあたある百隻の船が入港する。

『東方見聞録』より

南海への玄関口である泉州は、イスラーム世界では「ザイトゥーン(ザイトン)」とよばれ、世界中の商品や商人があつまり、「蕃坊(ばんぼう)」とよばれる居留区を外来者たちが形成していました。 マルコらも、インド洋にむけてここから出航します。

泉州にほどちかい徳化は宋代から陶磁の町としてしられ、景徳鎮とならぶ白磁の一大窯群がありました。「徳化窯白磁」は、東南アジアからインド洋海域において人気のある貿易品であり、ヨーロッパではこの白磁は、「マルコ・ポーロ陶磁(ウェア)」とよばれます。

マルコらは、元朝およびイル・ハン朝の使節団とともに巨大なジャンク船にのりこみインド洋を横断して、イランのイル・ハン朝宮廷に皇女をおくりとどけたのち、故郷のヴェネツィアに帰還します。

『東方見聞録』は、旅行の順序におおかたしたがってマルコが見聞したことをしるしており、みたことだけでなくきいたこともふくみます。

小アルメニアからはじまり、ペルシアから中央アジアをへて、上都にいたり、フビライに謁見するまで、つづいて、フビライの豪奢な宮廷生活、モンゴル人の風俗や習慣、行政、首都の情景などがのべられます。さらに、中国各地(彼のいうカタイとマンジの地方)の景色、めずらしい風俗、揚子江を上下するおどろくべき数の船、辺境地方の蛮族の生活ぶり、大運河、キンサイ(杭州)の繁栄ぶりなどがえがかれます。そしてザイトン(泉州)を出帆して、ペルシアのホルムズにつくまでの見聞がしるされ、最後に、13世紀後半に、モンゴル諸ハーンのあいだにおこった雑多な戦争、イル・ハーン家の内紛、フラグとベルケの戦争、キプチャク・ハーン家の内紛などがのべられます。

日本についても、黄金を多量に産する国として、「ジパング」あるいは「チパング」の名で紹介しており、わたしたち日本人には、ヨーロッパに日本を最初に紹介したということで『東方見聞録』がよくしられます。

10数年も東方に滞在したマルコのつたえる内容はそれまでのものとは比較にならない圧倒的な情報量をもち、東方について何もしらなかった中世のヨーロッパ人に東方への懐疑とあこがれの目をむけさせ、冒険者たちを大海原にさそいました。大航海時代をきりひらくうえで非常におおきな役割を『東方見聞録』ははたしたといってよいでしょう。

たとえばコロンブスは、プトレマイオス『地理学』、ピエール=アイイ『世界像』、プリニウス『博物誌』とともにマルコ=ポーロ『東方見聞録』(ピピノ版)を熟読しました。東方の香辛料、ジパングの黄金、カタイ(中国)の高級品をもとめ、ザイトン(泉州)の港にとくに注目し、『東方見聞録』の「ここザイトゥーン港にはまさにその百倍にあたある百隻の船が入港する」というくだりに「注意」とかきこみ、東方と交易することを夢みていました。

今回の特別展は、マルコ=ポーロがあたらしい世界をひらいたという斬新な仮説をもとに構成され、未知な領域に関するあたらしい情報が冒険者たちをかりたて、歴史の転換をもたらすことをしめしています。

探検記・旅行記は、歴史的な背景を想像しながらよむとたいへんおもしろく、同時に、フィールドワークの重要性を再認識させてくれます。

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▼ 注
特別展「大航海時代へ −マルコ・ポーロが開いた世界−」
会場:古代オリエント博物館(池袋サンシャインシティ文化会館ビル7F)
会期:2022年7月16日〜9月11日
※ 会場内の写真撮影は許可されていません。

▼ 参考文献
天理大学附属天理参考館・天理大学附属天理図書館編集『大航海時代へ -マルコ・ポーロが開いた世界-』(図録)、天理大学出版部発行、2020年
横浜ユーラシア文化館編集・発行『マルコ・ポーロが見たユーラシア -『東方見聞録』の世界 -』、2013年
マルコ=ポーロ著(愛宕松男訳)『東方見聞録1』(平凡社ライブラリー)平凡社、2000年
マルコ=ポーロ著(愛宕松男訳)『東方見聞録2』(平凡社ライブラリー)平凡社、2000年
マルコ=ポーロ著(青木富太郎訳)『東方見聞録』(Kindle版)グーテンベルク21、2012年

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