ドーナツ化モデル -『仏教歴史地図』-

文明

インド亜大陸北部が仏教発展の中心地でした。ドーナツ化がおこります。時空場がわかります。

『仏教歴史地図(改訂版)』(東光書店、注1)は、インド亜大陸北部で誕生し発展した仏教がアジア各地に伝播した道筋や仏教文化圏の地理的なひろがり、仏教の著名な聖地や寺院・仏塔などを地図上にしめした歴史地図であり、とくに、前3世紀、2世紀、5世紀、7世紀、13世紀の歴史地図がとても参考になります。歴史地図とはいわゆる古地図ではなく、過去のそれぞれの時代の事象を史料や文献にもとづいて後世になってから地図上にあらわしたものです。

わたしは以前、歴史地理を理解するために「ドーナツ化」モデルが役立つことをのべました(注2)。今回は、仏教歴史地図をつかってこのことを検証してみます。

仏教歴史地図
東光書店、2017年

前3世紀頃の歴史地図
前6世紀より古代インドの中心地であったマガダ国は、前4世紀末におこったマウリア朝が最初の統一帝国をきずき、その後、アショーカ王の時代(前3世紀)に、インド亜大陸全土をほぼ統一して最盛期をむかえ、王の庇護のもとで初期仏教が各地にひろがり、仏塔や石柱碑などが建立されます。歴史地図によると初期仏教は、アショーカ王の時代、マガダ(インド北部)から、南のシンハラ(セイロン島)、北西のバクトリア(ヒンドゥークシ山脈の北側地域)にまで伝播します。ただしマガダの北方へは、ヒマラヤ山脈が「壁」になって伝播しません。

2世紀頃の歴史地図
紀元前後になると、インド亜大陸北部で大乗仏教がうまれ、1世紀前半には、インド亜大陸の北西に位置するガンダーラ地方にそれがつたわり、ギリシャ文明と仏教が融合して仏像が誕生します。1世紀後半にはマトゥラーでも仏像がつくられはじめます。2〜5世紀、ガンダーラの仏教は西域をへて中国大陸につたわり、後漢の明帝が都の洛陽に白馬寺を建立し、最初の仏典が漢訳されたという伝説となります。

5世紀頃の歴史地図
インド亜大陸北部でグプタ朝が最盛期となり、アジャンターやエローラなどの石窟寺院が発展、大乗仏教が、グプタ様式の仏像とともにガンダーラをへて中国大陸へつたわり、敦煌や雲崗・龍門など、おおくの石窟が造営されます。鳩摩羅什など西域僧が活躍し、仏典の漢訳がさかんになります。しかし5世紀末、エフタル(中央アジアの遊牧民族)がインド亜大陸北西地域に侵入するとガンダーラの仏教はおとろえ、インドと中国の往来も停滞します。一方、4〜5世紀、中国大陸から朝鮮半島にも大乗仏教がつたわり、その後、6世紀半ばに百済から日本にもつたわります。

7世紀頃の歴史地図
7世紀初頭、インド亜大陸北部地域をヴァルダナ朝が統一し、7世紀中頃には大日経が、7世紀後半には金剛頂経が成立し、大日如来を本尊とする密教が体系化されます。密教は、漢代以来の空前の版図をひろげた唐にも西域をとおってつたわります。またこのころになると、ヒマラヤ山脈を横断してインド亜大陸北部からチベット高原にいたる交易ルートが開拓され、密教は、ネパールそしてチベットへもつたわります。

13世紀頃の歴史地図
1203年、イスラム勢力のゴール朝が、インド仏教の最後の拠点ヴィクラマシラー僧院を破壊し、インド亜大陸の仏教は滅亡します。しかし密教を受容したチベットではチベット仏教が発展し、13世紀には、モンゴルや中国東北にも影響力をおよぼします。一方、セイロン島では、初期仏教の伝統をまもる上座部仏教が継承されており、それが11世紀に、バガン朝(ビルマ人による最初の統一王朝)へ、12世紀には、東南アジア各地にひろまります。

仏教は、約2500年前に誕生し、インド亜大陸北部で発展しました。その略史はつぎのとおりです。

  • 前5世紀〜紀元前後:初期仏教(のちの上座部仏教)
  • 紀元前後〜7世紀頃:中期仏教(大乗仏教のなかの顕教)
  • 7世紀頃〜13世紀頃:後期仏教(大乗仏教のなかの密教(初期密教・中期密教・後期密教))

仏教は、インド亜大陸北部において「初期仏教→中期仏教→後期仏教」と発展しましたが13世紀初頭にインドでは終焉し、その後は、ヒンドゥー教が信仰されています。つまり仏教は、発展の中心地ではほろび(中心地は空洞になり)、周辺地域にのこったという「ドーナツ化」がおこったのであり、歴史地図をみればこのことがはっきりわかります。

こまかくみると、初期仏教の伝統を色こくのこす上座部仏教はスリランカから東南アジアに、中期仏教(顕教)と中期密教は中国から日本に、後期密教はネパールからチベットにのこり継承されました。

またインド亜大陸から中国大陸への仏教の伝播はガンダーラ地方から西域をへるという迂回ルートをとっており、これは、長大なヒマラヤ山脈が「壁」になってインド北部から北方へは当初は直進できなかったためであり、したがってガンダーラは、迂回ルートの中継地となり、また東西文化の融合の地にもなって仏像がうまれ、仏教の一大拠点としておおいにさかえ、ひろくしられるようになりました。

7世紀になると、ヒマラヤを横断するルートがようやく開拓され、インド亜大陸からネパールそしてチベットへ仏教がつたわり、そのときの仏教は仏教の「最終ランナー」であった後期密教だったため、ネパールとチベットには後期密教がのこり、したがって仏教の最終形をしりたければネパールとチベットにいけということになります。

このように、「ドーナツ化」モデル(仮説)をつかって歴史地図をみていけばさまざまな歴史的・地理的な事象が理解できます。

たとえば西洋に目を転じれば、キリスト教圏もやはりドーナツ化しています。キリスト教はパレスチナでうまれましたが、その後は、イスラム教圏にそこはなり、イスラム教圏の周辺にキリスト教圏がいまは分布しています。

あるいは人類は、アフリカ大地溝帯において「猿人→原人→旧人→新人」と進化し、原人や旧人がほろんで新人がうまれたころ、もっとはなれた周辺・辺境地域(ユーラシア大陸)には原人や旧人がのこっていたようです。「ドーナツ化」モデルを念頭において「人類進化・拡散マップ」をみればわかります。

このようにかんがえてくると、かつては中央でさかんだった、ふるい物事やふるいやり方が僻地にのこっているということは意外ではなくなり、むしろ、ふるきよきものは辺境にこそのこっており、辺境をしらべる意義がここにあります。たとえば日本やイギリスがそうでしょう。あるいは大陸にあっても、非常にけわしい山岳地帯であまり人をよせつけなかったネパールなども辺境といってよいでしょう。

歴史地図をみたら、まず、その事象の中心地をおさえて中心地の歴史をしり、つぎに、ことなる時代の歴史地図をみくらべて物事の地理的ひろがりをとらえます。歴史地図はとても有用ですが、たくさんのことがかきこまれていて複雑でわかりにくいと感じたら「ドーナツ化」モデルがつかえます。これは、年表と地図をむすびつけて理解し記憶する方法であり、言葉とイメージをむすびつけて学習するのとおなじような効果があります。こうして時空場がわかり、認識がふかまりますます。

▼ 注1:参考資料
『仏教歴史地図(改訂版)』東光書店、2017年
 中国・本の情報館
 ぶよお堂

▼ 注2
3D ネパール国立博物館(1)「仏教美術ギャラリー」

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