ネパールのチベット世界 − “禁断の王国”ムスタンの未来 −(ナショナルジオグラフィック 2023.01号)

ネパール

チベット人の王国がありました。チベット仏教文化が破壊されます。中国の「一帯一路」構想が背後にあります。

『ナショナルジオグラフィック』2023年1月号が “禁断の王国” ムスタンを紹介しています(注)。ムスタン王国(ロー王国ともいう)は2008年まで存在したネパール領内の自治王国であり、首都はローマンタン、ムスタンとはチベット語で「肥沃な平原」を意味します。外国人のたちいりをながいあいだ禁止していたため「禁断の王国」と称されていました。

窓からは、600年の歴史をもつ城郭都市ロ一マンタンが一望できる。そこはネパールのムスタン地方にある、かつての王国の首都で、中国の国境までわずか15キロの場所に位置している。眼下には、しっくいを塗った泥れんがの建物が密集して立ち並び、屋根からは煙が立ち上っている。南東には、いくつもの川筋を谷いっぱいに広げたカリガンダキ川が、雪を頂いてそびえる峰々の間に向かって流れていく。

ネパール北部に、ロー王国とよばれる王国がかつてはあり、ローパ(チベット語で「南の人」の意味)とよばれるチベット系の人々がふるくからくらし、その首都ローマンタンにあるトゥブチェン寺院は、何世紀にもわたってチベット仏教と地域の教育の基盤となっていました。現在は、ネパール連邦民主共和国の領内(ガンダキ州ムスタン郡)に位置します。


ムスタン郡の位置

15世紀、ロー王国は、この地を南北にながれるカリガンダキ峡谷を通過する交易を支配して巨万の富をきずきました。チベットからは岩塩や羊毛などが、インドからは香辛料や穀物などがはこばれ、チベットとインドを直接つなぐ交易ルートが発達し、ロー王国は、岩塩や羊毛のほか、大麦やトルコ石、薬、香水につかわれるジャコウジカの香囊(こうのう)などをはこぶヤクの商隊に課税しました。

またこのルートは、交易がさかんになる前から、インドと中国本土のあいだをいきかう仏教学者や巡礼者がとおる重要な道であり、やがて、チベットにあった精霊信仰と仏教が融合してチベット仏教がうまれ、この地方にも、壮麗な寺院や僧院がしだいにたつようになりました。

18世紀ごろ、ロー王国の国王は、あらたに統一されたネパール王国の国王にあいにいき、ミルク、カラシの種子、土壌などを献上し、わけあたえることのできる土地と富がムスタンにあることをしめすと、ネパール王は、わずかな税と年に一度の貢ぎ物とひきかえにロー王国の保護を約束しました。

2世紀後の1950年、チベットを毛沢東が侵略、それから10年間に、数千ヵ所にのぼる仏教の拠点がチベット本土では閉鎖・破壊されましたが、ネパール王国の保護下にあったロー王国では宝物に指一本ふれられることはなく、チベット文化がそのままのこりました。いまでは、「古き良きチベット」としてしられます。

2016年に父王が亡くなると、ジグメは微妙な立場に立たされることになる。大半のローパは、彼に公的な権力がないことを知りながら、やはり王として宗教儀式を執り行うことを期待し、時にはもめ事の仲裁も依頼する。ジグメに対する人々の敬意は疑いの余地がない。道を歩けば皆、帽子を取って彼に向かって恭しく礼をする。ジグメは一人ひとりを名前で呼び、笑顔であいさつを返していた。

ジグメ(フルネーム:ジグメ=シンギ=パルバル=ビスタ)は、ロー王国最後の国王(第25代)の息子です。2008年、ネパールは王制をやめ、新憲法を採択し連邦共和国となり、国内の「藩王国(土侯国)」も廃止、ロー王国の王もその地位をうしないました。しかしジグメは、実際の権力や権限がないにもかかわらず、王としての役割を人々からいまでも期待されています。

ところが予算はもはやありません。ここムスタン地方の文化遺産をどうまもっていけばよいのか?

たとえば王宮は、1441年に、初代王アマ=バルの息子がたてたとされ、ユネスコの世界遺産の候補となっていますが、地震と湿気により劣化がすすみ、現状を維持するだけでも相当な資金がいります。

あるいは、カリガンダキ川の上流にむかっていった途中の崖にあるガン尼僧院。

低い扉をくぐって本堂に入ると、巨大な弥勒菩薩像が安置されていた。仏像の頭部は天井の開口部を突き抜けて2階の大部屋まで達し、顔には日の光が差していた。弥勒菩薩は、飢餓と戦いの長い時代を経た世界に現れて、 知恵を授ける未来の仏だという。

本堂は、壁画で一面おおわれており、そのひとつには、雲のうえにすわる釈迦と、その横で、片手にホラ貝、もう片手に銀の鉢をもってさしだす、胸をあらわにした女性の姿があります。複雑でからふるな場面のなかに諸仏がびっしりとえがかれています。だがよくみると、壁画のおおくがかなりいたんでいます。近年の地球温暖化による湿気にもみまわれ、水分は土壁にしみこみ、室内まで浸透します。水分が蒸発すると、壁画の裏側に塩の結晶がついて剥落がはじまります。おなじことがヒマラヤ各地でおきています。

仏像には、おおきさにかかわらず内部に空洞があり、魂をいれ完成させる過程で、経典をはじめ、メノウの数珠玉や銅製の小僧、黄金や宝石などの宝物をおさめ、仏像のなかにおさめるこのような秘宝を「スング」といいます。仏像に命がふきこまれるとともに、寺院が万が一こわれた際の再建資金にもなりますが、このスングが20年ほど前にぬすまれてしまいました。

「自分たちの文化を守るためには、観光が必要です」とジグメは言った。「そして観光のためには、道路が必要なのです」

ネパールといえばエベレストが有名であり、ヒマラヤ山麓のトレッキングをたのしむ観光客と巡礼で訪れる信者たちが、日本円にして約700億円にのぼるこの国の観光収入の大半をもたらしています。ムスタン地方にもすばらしい景観があり、またあちこちできえかけているチベット文化にふれる機会もあります。人口わずか1300人のローマンタンにも数十件のホテルがすでにできていて、ジグメも、ロイヤル・ムスタン・リゾートという22に客室をもつホテルをローマンタン城郭のすぐ外の土地にたてました。観光収入にかける期待がふくらみます。

しかし道路は、観光客をはこんでくるかわりに、それによって人口減少に拍車がかかるという側面ももちます。ここ数年間に、大勢の若者がカトマンドゥや日本・韓国・米国などへ旅だちました。ヤギやヤクをそだてる伝統的な牧畜は魅力をうしないつつあります。20年先には、人口が8割もへるのではないかと危惧されます。

またネパール国内での道路建設ブームが中国の「一帯一路」構想と同時におきているのは偶然ではありません。この構想は、中国の経済的・政治的影響力を東アジアからヨーロッパまで拡大するための大規模インフラ整備計画です。中国チベット自治区内では自動車道路がすでに完成しています。ヒマラヤをこえる自動車道路をさらにつくれば中国とインドが直結します。

さらに2014年に、大規模なウラン鉱床がムスタン地方で発見されたこともその背景にあります。中国は、ふえつづけるエネルギー需要をまかなうために原子力発電所の建設をいそいでいます。

このように、チベット人の王国がかつてはあったのであり、ムスタン地方はネパール領内のチベット世界です。チベットの伝統的な文化をそのままのこしており、中華人民共和国にチベット本土が占領された現在、ふるきよきチベットをしる貴重な地域です。

かつての王国は、カリガンダキ渓谷を通過する交易によりおおいにさかえました。この渓谷は、ヒマラヤ山脈を南北にきる(南北にのびる)おおきな地溝帯であるため、チベット〜ネパール〜インドをむすぶ交易路が比較的容易に発達しました。また大乗仏教伝来の道でもあり、仏教徒がいきかい、チベット仏教が発展しました。チベット仏教とはいわゆる密教(後期密教)であり、密教とはインド仏教の「最終ランナー」であり、インド本土で仏教がほろびた現在、インド仏教発展の最終形をしるうえでもチベット仏教は重要です。

そして18世紀には、ネパール王国が成立しましたが、ムスタンには高度な自治がみとめられ、伝統文化がまもられました。

ネパールというと、ヒンドゥー教の国としてしられますが、チベット系の民族がその北部地帯には多数くらしており、したがってネパールは、ヒンドゥー(インド)文明圏の辺境であるとともに、チベット文明圏の辺境でもあり、2つのおおきな文明にはさまれた地域であるとみることができます。

ネパールのチベット人というと、1956年に勃発したチベット動乱以後にネパールに退避してきた人々もいますが、ここでいうチベット系の民族は、それよりもはるか昔からすみついていた人々であり、たとえばネパールの北東地帯でくらすシェルパもチベット系の民族です。

  • ネパール北部地帯(高地):チベット系民族(チベット仏教徒)
  • ネパール中部地帯(中間山地):先住の山岳民族(重層文化の民族)
  • ネパール南部地帯(低地):ヒンドゥー系民族(ヒンドゥー教徒)

しかし1950年代に、中華人民共和国がチベットを併合してチベットとネパールの国境を封鎖、交易はできなくなりました。

そして現在、はげしい開発の嵐がこの秘境にもやってきています。自動車道路ができます。外来文化が流入します。若者が流出します。伝統をひきつぐ人々がいなくなります。文化財が劣化します。

背後には、中国の「一帯一路」構想があります。北京から、中国(チベット自治区)とネパールの国境までは自動車道路がすでに建設されています。ヒマラヤ山脈を南北にきる舗装されたすぐれた自動車道路を今後つくれば、中国は、インドと直結することができます。中国の目的はあきらかです。

このままでは伝統文化は破壊されてしまいます。景観維持をふくむ環境保全、王宮や寺院の修復・保全、文化財を管理・公開するためのミュージアムの建設など、早急にすすめなければなりません。

ムスタンの人々は観光収入に期待していますが、観光も、環境・文化保全型ですすめなければ元も子もありません。現状はきびしいです。観光収入だけではやっていけず国際協力が必要でしょう。まもるべきものはおおいですが、うしなわれるものはそれ以上におおいといえるでしょう。

冒頭写真:ネパール、ムスタン郡、カグベニ(Kagbeni, Mustang, Nepal)。2001年、筆者撮影。ロー王国(ムスタン王国)の入り口です。カリガンダキ川が、北(むこう側)から南(こちら側)にながれ、かつての首都ローマンタンはこの先(北方)にあります。カリガンダキ渓谷は、チベット〜ネパール〜インドをむすぶ重要な交易路であり、また北伝仏教(大乗仏教)伝来の道のひとつでした。2001年にわたしがいったときは自動車道路はまだなく、南部のベニ(Beni)からあるきました。開発はされておらず、うつくしい景観がのこっていました。ラバに荷物をのせたキャラバン(商隊)が多数いきかっていました。しかし今では、自動車がとおれる道路(舗装はされていない林道のような道)がネパール・中国国境まで通じています。なおカグベニより先(北)にはいるにはネパール政府発行の入域許可証と入域料が必要です。


カグベニの位置

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▼ 注
『ナショナルジオグラフィック日本版』2023年1月号、日経ナショナルジオグラフィック

▼ 参考文献
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 1 登山と探検』、中央公論社、1995年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 11 チベット文明研究』、中央公論社、1997年
川喜田二郎著『川喜田二郎著作集 12 アジア文明論』、中央公論社、1996年

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