感覚と錯覚 -「辛い!の科学」(日経サイエンス, 2022.05)-

〈インプット→プロセシング〉がおこります。辛みは味覚ではなく痛みです。錯覚がおこります。

辛さとは何か? 『日経サイエンス』2022年5月号が特集しています(注)。

感覚神経は皮膚の直下だけでなく,舌の内部にも伸びている(三叉神経と呼ぶ)。トウガラシを食べると舌の中へ浸透したカプサイシンが感覚神経表面の TRPV1 にくっつき,電気信号が発生する。この信号は,味覚神経ではなく三叉神経を経て脳へ届き,痛みの情報として処理される。

すなわち辛みとは味覚ではなく痛みでした。酸味や塩味といった味は、舌の表面にある味蕾(みらい)とよばれる感覚器官でとらえられますが、「辛み」(とくにトウガラシのカプサイシン(辛み成分))は、「TRPV1」(トリップ・ヴイワン)とよばれる舌の内部にある痛みのセンサーでとらえられます。カプサイシンが口にはいったり皮層に触れたりすると舌や皮膚のなかに はいりこんで、感覚神経の表面にある TRPV1 が反応し、このとき、体の側では、痛みの刺激が発生したと勘ちがいして、体温調整や傷の治療などに関わるさまざまな生理反応がおこります。

またトウガラシをたべると口のなかが熱く感じられます。顔から汗がでてきます。そこで TRPV1 は熱にも反応するのではないだろうかという仮説がたてられ実験がおこなわれました。

実験してみると, TRPV1 はまるで温度計のように,周囲の温度が43℃を超えた途端に活発な反応を見せた。

わたしたちは、体温が43℃以上になると熱を痛みとして感じ、これは、この危険な温度になると TRPV1 が反応して情報を脳へ伝達するためであることがわかりました。英語では、辛さも熱さも「hot」です。

しかしおなじ温度のスープであってもトウガラシがはいっていたほうが熱く感じるのはどうしてでしょうか?

辛い料理を食べているときは体内で TRPV1 が反応し続けているため,脳がちょっとした緊急事態に陥っている。

センサーが反応しつづけ異常をうったえるので、実際にはあがっていないにもかかわらず、脳は、体温があがったと判断し、いそいで体を冷却するように指令をだし、その結果 汗がでます。いわゆる「味覚性発汗」です。

また消化管にある感覚神経や自律神経にも TRPV1 をもつものがあり、カプサイシンをこれらがうけとると消化器官の活動は促進され、食欲増進につながります。フランス料理の前菜などにトウガラシをきかせた一品がだされるのはこのためです。

あるいはトウガラシ(カプサイシン)が皮膚にふれるとヒリヒリと痛くて熱い感じがするのはどうしてでしょうか?

味覚性発汗と同じく,実際には皮膚の異常は起きていないにもかかわらず,傷ができたと体が錯覚して発生する現象だ。

「神経原性炎症」とこれはよばれ、体は、傷ついたとおもわれる皮膚に各種の免疫細胞をおくろうとして皮膚直下の血管の血流量をあげ、その結果、皮膚表面が赤みをおび、温度もあがります。温度があがると TRPV1 が反応するためヒリヒリとした痛みがおこります。

このように、トウガラシの “辛み” 成分が、舌や皮膚などにある痛みセンサーにふれると電気信号が発生し、神経をとおってそれが脳におくられ、その信号を脳が処理すると、体温調整や傷の治療・食欲増進など、さまざまな生理反応がおこります。センサーと脳のこのようなはたらきは〈インプット→プロセシング〉といってもよく、情報処理の過程をここにみとめることができます。

しかしわたしたちが辛いとおもっていた感覚は実際には痛みだったのであり、また辛いものをたべて体が熱くなるとおもっていましたが実際には体温はあがっていませんでした。

わたしはかつて、ヒマラヤの比較的高地にいったときにとても辛いものを毎日たべている人々にであいました。気温がひくいためです。わたしも、体をあたためるために辛いものをたべていましたが、それは錯覚でした。おどろきです。感覚の科学的研究が錯覚をあきらかにします。

しかし錯覚とはいえ高地で寒さをしのげたのも事実です。したがって錯覚は、かならずしもすべてがわるいというのではなく、わたしたち人間は、経験的に錯覚をうまく利用してきたといってよいでしょう。

トウガラシは、ペルーの遺跡調査により、1万年も前から食されていたことがわかり、何千年も前の人々がこのみのトウガラシをえらんで栽培していた痕跡もみつかりました。15世紀以後、トウガラシは世界中にひろがり、あらゆる国々の人々の生活にとけこみ、いまや、トウガラシなくして食文化をかたることはできません。

今回の記事により、辛みの感覚の実態とともに錯覚についても理解できました。感覚と錯覚は一体的にとらえなければならず、自覚がないだけで意外に錯覚は普通におこっているとかんがえられます。今回は辛みをとりあげましたがほかの感覚にも錯覚があるでしょう。しかし錯覚を利用しているという事実もあります。感覚と錯覚の研究は今後ともつづきます。

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▼ 注(参考文献)
出村政彬著「辛い!の科学」日経サイエンス, 611(2022年5月号), pp.28-43, 2022年


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