大航海時代がはじまる -「マゼラン世界一周500周年 歴史に名を刻んだ冒険者」(東洋文庫ミュージアム)-

文明

シルクロードの時代がおわり、大航海時代がはじまりました。15世紀〜17世紀前半、ヨーロッパ諸国は世界規模の航路をひらき、海外進出・侵略をくりかえしました。非ヨーロッパ世界のおおくが植民地化され、先住民は しいたげられ支配されました。

東洋文庫ミュージアム「シルクロードの旅」展に関連して、「マゼラン世界一周500周年 歴史に名を刻んだ冒険者」という小規模な展示もあります(注)。

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『コロンブスの手紙』1493年、バルセロナ刊(1892年ファクシミリ版)
『コロンブスの手紙』
1493年、バルセロナ刊(1892年ファクシミリ版)
『ヴァスコ・ダ・ガマ航海記』
『ヴァスコ・ダ・ガマ航海記』
ヴァスコ=ダ=ガマ、1497-98年(1945年ファクシミリ版)
『マゼランの航海』
アントニオ=ピガフェッタ、1969年(複製)、ロンドン刊
『サー・フランシス・ドレークの西インド諸島への航海』1981年、ロンドン刊
『サー・フランシス・ドレークの西インド諸島への航海』
1981年、ロンドン刊
『コスモス』アレクサンダー=フォン=フンボルト、1845-1858年刊
『コスモス』(全5巻)
アレクサンダー=フォン=フンボルト、1845-1858年刊

『コロンブスの手紙』は、クリストファー=コロンブスらがスペインに帰国した直後に出版された報告書であり、現地の人・風土・地理などについてかかれています。スペイン王室の援助をうけて、コロンブスらは1492年3月、インドを目ざして出航、半年後にバハマ諸島・キューバ・ハイチを発見しました。しかし彼らは、これらの島々をアジアの一部と判断して報告し、新航路開拓の成功をしったスペインはおどろきとよろこびにわきました。いまでは、アメリカ大陸を発見したヨーロッパ人としてコロンブスはひろくしられています。

『ヴァスコ・ダ・ガマ航海記』は、ポルトガルの探検家であったヴァスコ=ダ=ガマの書簡集です。コロンブスらによるインド(実際はアメリカ)到達の報をうけ、ポルトガルは、東まわりでのインド到達を目ざし、1497年にリスボンを出航、アフリカ南端の喜望峰をへて、翌年、インド西南部のカリカット(現コジコード)に到着しました。軍事力を背景に貿易拠点としてそこを支配し、商館を設置しました。その進出方法は、その後のほかのヨーロッパ諸国にも踏襲されました。

『マゼランの航海』は、スペイン王の信任をえて世界周航をしたマゼラン一行の船員のひとりだったアントニオ=ピガフェッタ(1491-1534)がのこした詳細な記録です。マゼラン(1480-1521)はポルトガル出身の航海者であり、モルッカ諸島(香料諸島)に西まわりで到達するルートをさがすため、1519年に、スペイン南西部・サンルカルデバラメダから5隻の船で出航、1520年に太平洋にでて、1521年に、サマール群島(現フィリピン諸島)に到達しました。しかし先住民とのあらそいにより死亡、その後は、いきのこった船員たちが世界周航を達成しました。

『サー・フランシス・ドレークの西インド諸島への航海』は、海賊から、イギリス海軍の中将そして提督になったフランシス=ドレーク(1540頃-1596)が、1585年から86年にかけておこなった西インド諸島への航海の記録です。この航海は、スペインへの報復およびスペイン植民地の襲撃・略奪を目的としていました。ドレークは、1577〜80年には、マゼランにつづき2回目の(イギリス人としてははじめての)世界周航を達成し、1588年の「アルマダの海戦」ではイギリス艦隊副司令官に任命されました。

『コスモス』は、ドイツの地理学者アレクサンダー=フォン=フンボルト(1769-1859)が自然地理学の基礎概念を確立した地理学の古典です。フンボルトは、スペイン国王の援助をうけて中南米を調査し、動植物の生態と環境との関係に注目、当時最新鋭の測定器を使用して観察・計測をおこない、このときの体験にもとづいて『コスモス』をあらわしました。

1492年、コロンブスは、インド(実際はアメリカ)に到達、帰国後ただちに第2回の航海が計画されて1493年に出航、1496年に帰国、そのご第3回(1498~1500年)、第4回(1502~04年)と航海をかさねました。

コロンブスが第3回航海に出航するころ、ヴァスコ=ダ=ガマは、アフリカ南端を回航してインドに到達していました(1498年)。ポルトガルは、宿願だったインド航路発見が実現し、以後、この方面に大船団をおくるようになります。

その後、1501年、ポルトガル王マヌエルが、ブラジルの発見者とされるペドロ=アルバレス=デ=カブラルの報告をうけてアメリゴ=ベスプッチを大西洋西域に派遣、ベスプッチは、コロンブスの到達した大西洋の西の一帯はインドではなく、ヨーロッパ・アジア・アフリカにつぐ「第4の大陸」であることにまちがいないと確信し、ロレンツォ=ピエロ=フランチェスコ=デ=メディチにあてた書簡(1503年)にこの地が「新大陸」であるとしるしました。

新大陸が発見されると、マゼランは、これを西へ回航してインドにいたる航路があるはずだと予想し、1519年に出航しました。コロンブスのアメリカ到達から27年後のことでした。マゼランは途中で死亡しましたが、1522年、いきのこった船員たちは世界一周を達成、地球が球形であることを実証しました。今年は、それから500周年にあたります。

このようにして、ヨーロッパ人の探検航海により地理上の発見がつぎつぎになされ新航路が開拓され、世界のグローバル化がはじまりました。

ここに、陸路から海路へ、ユーラシア大陸から全球へという転換がおこり、これは、シルクロードの時代がおわり、ユーラシア大陸の前近代的文明の時代がおわったことを意味し、ここから、近代文明の成立にむけてあらたなあゆみがはじまります。マゼランは、こうした歴史的転換点に位置づけられます。

しかし「新大陸」にしろ「新世界」にしろ、それらはヨーロッパ人のいいかたであり、ヨーロッパ中心の立場だったのであり、その結果、ヨーロッパ人による非ヨーロッパ地域の植民地化という事態をまねきます。ヨーロッパ人は、侵略・虐殺・収奪・支配をくりかえし先住民をしいたげ、大規模な民族的悲劇をうみだしました。

近代文明は、そのはじまりがそもそもまちがっていたのであり、環境破壊・人心荒廃・戦争を抜本的にはらんでおり、その過ちをかかえたまま現代にいたっています。このような文明をつづけているかぎり今後もうまくいかないことは十分に予想できます。

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▼ 注
会場:東洋文庫ミュージアム1階・オリエントホール
会期:2022年1月26日〜5月15日

▼ 参考文献
本多勝一著・谷川明生写真『マゼランが来た』朝日新聞社、1989年

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