3D 鉄道博物館「鉄道の作った日本の旅150年」(1)

日本

日本の近代化を牽引しました。おおきな役割を私鉄がはたしました。戦時体制にくみこまれました。

鉄道開業150年を記念して、企画展「鉄道の作った日本の旅150年」が鉄道博物館で開催されています(注)。鉄道の開業・発展により姿をかえてきた日本人の旅と鉄道とのかかわりをふりかえります。前期と後期にわかれ、前期は鉄道開業前から1940年代まで、後期は1950年代から現代までを紹介、常設展とあわせてみることによって理解がふかまります。

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1号機関車(1871年製造、イギリス製)
1号機関車(1871(明治4)年製造、イギリス製)と
創業期の客車(実物大模造品)
弁慶号(べんけいごう、1880(明治13)年製造、アメリカ製)
弁慶号
(べんけいごう、1880(明治13)年製造、アメリカ製)
開拓使号(1880(明治13)年製造、アメリカ製)
開拓使号
(1880(明治13)年製造、アメリカ製)
善光号(ぜんこうごう、1881(明治14)年製造、イギリス製)
善光号
(ぜんこうごう、1881(明治14)年製造、イギリス製)
9850(1912(大正元)年、ドイツ製)
9850
(1912(大正元)年、ドイツ製)
オハ31(1927(昭和2)年、汽車製造)
オハ31
(1927(昭和2)年、汽車製造)
オハ31
オハ31
(車内)
マイテ39(1930(昭和5)年、鉄道省大井工場)
マイテ39
(1930(昭和5)年、鉄道省大井工場)
キハ41300(1934(昭和9)年、川崎車輌)
キハ41300
(1934(昭和9)年、川崎車輌)
C57(1937(昭和12)年)
C57
(1937(昭和12)年)

「1号機関車(1871(明治4)年製造、イギリス製)」は、日本をはしった最初の機関車であり、1872年10月14日(太陽暦)に新橋〜横浜間をむすびました。当時は日本は、蒸気機関車を製造することはできずイギリスから輸入しました。「陸蒸気」とよばれ、文明開化を象徴しました。

「創業期の客車(実物大模造品)」は、1870年代後半に京阪神間で使用されたとされる客車を復元したものです。鉄道開業当時の客車は機関車とともに輸入されました。車内の中央に通路のあるタイプの客車が使用されたようです。

「弁慶号(べんけいごう、1880(明治13)年製造、アメリカ製)」は、アメリカから輸入された最初の蒸気機関車であり、1880年11月28日、北海道初の鉄道となる幌内鉄道が開業し、炭鉱のある幌内から港のある小樽の手宮に石炭をはこび、さらに、旅客や貨物を札幌へはこびました。

「開拓使号(1880(明治13)年製造、アメリカ製)」は、アメリカから輸入された客車のうちの最上等のものであり、デッキと中央通路、当時最新の自動連結器、自動空気ブレーキなどをそなえています。明治初期の北海道開拓では、アメリカ人の技術者をおおくやといいれ、鉄道車両や設備・資財もアメリカから輸入しました。

「善光号(ぜんこうごう、1881(明治14)年製造、イギリス製)」は、1881年創立の日本鉄道の上野〜熊谷間建設用に輸入された私鉄最初の機関車です。動輪ひとつにかかる重さがかるく、建設工事中の不完全な線路をはしるのに適していたため、資財や土砂の輸送に活躍しました。

「9850(1912(大正元)年、ドイツ製)」は、パワーがあり、スムーズに曲線もはしれる「マレー式機関車」であり、25パーミルという急な坂が連続する東海道本線の山北〜沼津間(いまの御殿場線)で使用されました。

「オハ31(1927(昭和2)年、汽車製造)」は、最初の鋼製客車です。鉄道開業から木製の客車がつかわててきましたが、機関車の性能が向上して列車の速度があがると事故の際の衝撃がおおきくなり、安全性が問題となりました。この車輌は、津軽鉄道に晩年は譲渡され、「ストーブ列車」として冬は活躍しました。

「マイテ39(1930(昭和5)年、鉄道省大井工場)」は、1等利用客のサロンとなる展望室や展望デッキなどをそなえた展望車であり、列車の最後尾に連結されました。定期列車に展望車が日本で最初に使用されたのは、新橋〜下関間で1912年6月に運転を開始した特急列車であり、この特急は1929年に「富士」と命名されました。

「キハ41300(1934(昭和9)年、川崎車輌)」は、エンジンを客車にのせてはしる気動車です。当初は、エンジンが非力だったため車体をかるくしたり、車軸の摩擦のすくない「コロ軸受け」をつかったりしました。また車体の両端に運転室があるため、機関車を終点でつけかえる必要がなく、おりかえしが簡単にできました。全国各地の電化されていない区間をはしりました。

「C57(1937(昭和12)年)」は、C51の後継機として、C54、C55につづいて製造され、戦時下、旅客・物資の輸送量が急激に増加していくなかで、4年あまりのあいだに170両ちかくが量産されました。戦後、旅客用機関車の不足から製造が再開され最終的に201両がつくられ、四国をのぞく全国に配置、地方幹線の主要列車を牽引しました。ほっそりしたボイラーと1759mm動輪のおりなすプロポーションがバランスよく、「貴婦人」の愛称でおおくの人々に したしまれました。

日本の鉄道は、1872(明治5)年、新橋〜横浜間の開通によって創業し、その後、1874(明治7)年に大阪〜神戸間、1877(明治10)年に京都〜大阪間、そして1889(明治22)年に新橋〜神戸間の東海道線が開通しました。鉄道開業以前の移動がほとんど徒歩だったことをかんがえると、これは歴史的な技術革新であり、文明開化です。

一方、列車は、時刻表にもとづいて運行され、きまった時刻に発車するものです。1894(明治27)年には、初の月間時刻表『汽車汽船旅行案内』(庚寅新誌社)が発行されます。人々は時刻を意識し、分単位の正確な移動をするようになります。ライフスタイルの変革がおこります。

鉄道建設・路線拡張にあたっては、明治政府は、士族の反乱などに対処しているうちに資金不足になり、民間資本による鉄道建設をみとめます。1900(明治33)年には、官設鉄道の総延長は 1,525.2km だったのに対し、私設鉄道のそれは 4,738.8km におよび、実に3倍もあり、明治期の鉄道は意外にも私設によってつくられたといえます。当時は、めざましい産業が鉄道事業以外にはなく、資本家の投資対象になり、北海道炭礦鉄道・日本鉄道・関西鉄道・山陽鉄道・九州鉄道の五大私鉄が台頭します。

鉄道の運賃は当初は高額でしたが、1900年代からは、一般の人々を対象とした低料金の団体旅行がはじまります。庶民の鉄道利用を団体旅行が加速します。

しかし明治政府は、軍事力・軍事輸送の強化を目的に1906(明治39)年に鉄道国有法を成立させ、私鉄は国がかいあげます。そして1937(昭和12)年に日中戦争が勃発し戦時体制下にはいると、不要不急の贅沢なものとして旅は否定されます。時代は急速にくだっていきます。

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▼ 注
鉄道開業150年記念企画展「鉄道の作った日本の旅150年」
会場:鉄道博物館 本館2F スペシャルギャラリー
会期:
(1)前期:7月23日~10月24日 鉄道開業前から1940年代までの旅を紹介
(2)後期:10月29日~1月30日 1950年代から現代までの旅を紹介
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