古生物学のパイオニアがいました。フィールドワークにより生物と環境がわかります。ヒマラヤの隆起が乾燥気候をうみだしました。
ロイ=チャップマン=アンドリュースの中央アジア探検100周年を記念して、特別展「化石ハンター展 〜ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣~」が国立科学博物館で開催されています(注)。アメリカ自然史博物館のアンドリュース(1884〜1960)はゴビ砂漠の探検を1922年に開始しました。化石の調査・研究史上重要なこの「中央アジア探検」とその後の古生物学の研究成果を紹介します。
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ロイ=チャップマン=アンドリュース(1884〜1960)は、アメリカ自然史博物館がゴビ砂漠で実施した「中央アジア探検隊」(1922〜1930)のリーダーであり、恐竜の卵など、貴重な化石を発見した「化石ハンター」です。ゴビ砂漠は当時は、サイの化石しかみつかっておらず、「太平洋の真ん中で化石を探すようなものだ」といわれていました。
1922年4月21日、アンドリユース調査隊は、5台の四輪駆動車(3台の乗用車と2台のトラック)で力ルガン(張家口)を出発、24日、エレン・ノール(二連浩特)に到着、キャンプ をはります。
翌1923年、4月2日、ラクダ隊が北京をたち、17日、アンドリュース隊の本体もたちます。まず、イレン・ダバスで調査をはじめ、肉食の獣脚類恐竜、植物食の鳥脚類恐竜、さらにカメやワニなどの骨を発見します。
2人の隊員がひきつづき発掘をすすめる一方、副隊長のグレンジヤーらは、イレン・ダバスのすこし南西に位置するイルデイン・マンハへ移動します。ここは、新生代の始新世(約4000万年前)の地層が露出している場所です。すぐに、ながさ90cmもあるおおきな哺乳類の頭骨が発見され、これはのちに、「アンドリューサルクス・モンゴリエンシス」と名付けられます。
7月3日、アンドリュース隊の本体は「炎の崖」にむけて出発、7月8日午後に到着、5週間にわたって調査をつづけ、プロトケラトプスの頭骨70個、骨格14体分を発掘します。その数もさることながら、プロトケラトプスの成長段階のほとんどをしめす化石が発見され、また恐竜の卵の化石が30個ちかくも見つかり、恐竜は卵を産んでいたことをはっきりしめす歴史的な発見となります。
その後、おくれて到着したラクダ隊に大量の化石をのせてカルガン(張家口)へむかわせ、8月12日、調査隊は炎の崖をあとにします。
ゴビ砂漠は現在は、世界的に有数な恐竜化石の産地としてしられ、おおくの調査・研究成果が毎年発表されています。アンドリュースらのパイオニアワークが古生物学の今日の成果をみちびいたといってよいでしょう。
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ところで、アンドリュースらが探検したゴビ砂漠は典型的な乾燥帯ですが、そこで、恐竜の化石が発見されたということは、当時(中生代)は、いまとはことなる環境がそこにはひろがっていたのではないかとかんがえられます。
ゴビ砂漠に隣接するタクラマカン砂漠の地質調査により、4100万年よりも前の地層からは貝化石がみつかり、4100万年〜3400万年前の地層からは石膏がみつかり、貝化石は、あさい海の存在をしめし、石膏は、湖や河川水が蒸発したあとにできるため低地の平野をしめし、したがって浅い海から河川・湖へかわっていく環境がかつてはありました。
ところが3400万年前以後になると、粒がそろった赤い砂岩があらわれ、乾燥気候がはじまったことがわかり、2700万年前からは、礫岩や砂岩の堆積のあいだに砂丘の堆積物がみつかり、タクラマカン砂漠が本格的に形成されたことがわかります。
- 4100万年前よりも前:あさい海の環境
- 4100万年〜3400万年前:河川・湖(平野)の環境
- 3400万年〜2700万年前:乾燥気候がはじまる
- 2700万年前以後:タクラマカン砂漠が本格的に形成される
どうしてこのような環境変動がおこったのか?それをしるためには、南アジア〜中央アジア全域のプレート運動(プレートテクトニクス)を前提とした考察が必要です。
いまから1億2000万年前頃に、当時存在した大陸・ゴンドワナ大陸からインド亜大陸が分離、北上をはじめます。これは、インド亜大陸をのせたインドプレートの運動によってひきおこされ、インドプレートの北端は、ユーラシアプレートの下にしずみこんでいました。
約5000万年前、インド亜大陸がユーラシア大陸と衝突します。そのご徐々に、両大陸の境界部は隆起し、ヒマラヤ山脈とチベット高原ができます。それらがいつごろ隆起したかはまだ確定していませんが、約4000万〜3500万年前に第1段目の隆起が、2500万〜2000万年前に第2段目の隆起が、500万〜1000万年前に第3段目の隆起がおこったとされます。
ヒマラヤ山脈が形成されると、それが自然の「障壁」となって、南の海からやってくる しめった大気をせきとめ、ヒマラヤ山脈の南側では大量の雨がふり、湿潤な「モンスーン気候」が発達します。モンスーンとは元来は、夏と冬で風むきがかわる季節風のことをさし、夏には、海からのしめった風が降雨をもたらします。一方、ヒマラヤ山脈の北側では雨がふらず、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠といった乾燥した地域がひろがります。ヒマラヤ山脈の上昇が、対照的なモンスーン気候と乾燥気候をうみだしました。
したがって恐竜がいたのは、ヒマラヤ山脈ができる前の時代だったのであり、当時の「ゴビ地域」の環境は現在とはおおきくことなり、湿潤な環境でした。このように、地質調査によるデータ(データとは事実を記載したもの)をふまえ、プレート運動(プレートテクトニクス)を前提とすると、環境変動に関する仮説がえられ、恐竜に関する理解がふかまります。
- 事実:地質調査によってえられたデータ(データとは事実を記載したもの)。
- 前提:プレート運動(プレートテクトニクス)。
- 仮説:ヒマラヤの隆起が中央アジアに乾燥気候をうみだしたのではないだろうか。
ヒマラヤ山脈とチベット高原が形成されると、あらたな環境に適応するあらたな動物が出現します。チベット高原の鮮新世(せんしんせい、約533万〜約258万年前)の地層からは「チベットケサイ」の化石がみつかりました。そのころのチベット高原は、北極よりも先に寒冷環境が成立し、「第三の極圏」になっていたとかんがえられます。またヒマラヤ・チベット地域には現在は、バーラル・ターキン・ヒマラヤタールといった極寒環境に適応した動物がみられ、緻密で厚い毛、低酸素状態でも心拍数や血圧に変化がおこりにくいなど、環境適応のしくみがみられます。
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▼ 注
ロイ・チャップマン・アンドリュースの中央アジア探検100周年記念 特別展「化石ハンター展 ~ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣~」
会場:国立科学博物館(地球館)
会期:2022年7月16日~10月10日
特設サイト
▼ 参考文献
日本経済新聞社・日経サイエンス編(木村由莉総合監修)『化石ハンタ一展 〜ゴビ砂漠の恐竜とヒマラヤの超大型獣〜』(図録)、日本経済新聞社・BSテレビ東京発行、2022年