ネパールからナマステ(ネパールだより)
1.ネパール語をまなぶ

バンディプール

>>>拡大

<目次>

1.はじめに
2.青年海外協力隊の訓練所にて
3.ネパール現地訓練で実践的にまなぶ
4.ジョーシー家とすごした2ヶ月
5.自炊生活の中でまなぶ
6.トリブバン大学地質学科に赴任する
7.その国の文化をまなぶ


2002年7月17日発行

 

2000年9月23日送信

 「ネパール語をまなぶ」

 

 1.はじめに

 私は今、国際協力事業団・青年海外協力隊の一員として、ネパール国立トリブバン大学地質学科に勤務しています。今回の報告では、青年海外協力隊訓練所にいた時から、今日にいたるまでのネパール語の学習体験を中心に報告し、外国語学習の方法と意味についてかんがえてみます。

 私は、ネパール語をまなんだのは今回がはじめてであり、その学習は、青年海外協力隊訓練所での訓練、ネパールでの現地訓練、ネパール人宅でのホームステイ、そして勤務先においてつづけられ、そこでは、発音・単語・構文を中心とする基本的な訓練に、現地での実践がつみかさねられました。その国の言語・現地語をまなぶということは、結局、その国の生活様式あるいは文化をまなぶことになってきます。

 本報告が、青年海外協力隊の一端についての記録と紹介になるとともに、協力隊に興味がある人のために、あるいは外国の現地語を習得したい人のために、何らかの参考になればさいわいです。

 

 2.青年海外協力隊の訓練所にて青年海外協力隊の訓練所にて

 2-1.現地の人々と共に

 青年海外協力隊の隊員活動はボランティア活動であり、その基本姿勢は「現地の人々と共に」という言葉に集約されています。つまり、派遣された国の人々の言葉をはなし、彼らと共に生活をし、働き、相互理解をはかり、彼らの自助努力を促進させながら協力活動を展開していくことが主要な仕事です。

 ちなみに、青年海外協力隊の英訳は、ジャパン・オーバーシィーズ・コーポレーション・ヴォランティアズ(Japan Overseas Cooperation Volunteers) です。その基本姿勢は、第一に、自分のためではなく他の人のためにおこなわれる行為であり、第二に、自発的な意志にもとづくものであり、第三に、そのための対価をもとめないことです。

 本年(2000年)1月6日、私は、国際協力事業団・駒ヶ根青年海外協力隊訓練所に入所しました。青年海外協力隊の一員としてネパールに派遣されるにあたり、隊員候補生として、語学(ネパール語)・協力隊活動全般・保健衛生・医療・体育・野外訓練・所外活動などの訓練をうけるためです。期間は、1月6日から3月24日までの79日間(日曜日は休日)、時間にして603時間の訓練です。訓練生は、男性111名、女性80名、合計191名います。(ただし駒ヶ根訓練所のみ。他に東京と二本松に訓練所があります。)

 訓練は、自習・自主計画・身辺整理などの時間をのぞくと、半分から6割の時間(日数でいうと52日間)が語学の講座にわりあてられており、これは中学校の3年分の学習時間に相当するそうです。「現地の人々と共に」という基本姿勢にもとづき、現地語の習得が、訓練の中でもっとも重要なウェイトをしめています。

 

 2-2.自発的・主体的にまなぶことが必要

 訓練全般のオリエンテーションにひきつづき、1月8日、ネパール語の「語学講座」がはじまります。私は、ネパール人のデベンドラ・サヤミ先生のクラスに配属されます。同クラスには、私の他に、男性1名、女性2名、私をいれて合計4名の訓練生がいます。非常に小人数のクラス編成です。

 初日はイントロダクションです。サヤミ先生からは、「勉強は強制しません。みずから勉強してください。したがって宿題はだしません。苦痛をともなうと身につかないので、たのしく勉強してください。ネパール語は、日本語と語順がおなじなので、言葉の最後をしっかりきくことが重要です。生活の背景にささえられたまなび方をすると語学も身につきます。また、今の私のおしえ方は、ここで16年間おしえてきて、いちばんよいとおもう方法です。」などの説明が日本語であります。サヤミ先生は日本語がとても達者です。

 1月11日(語学講座2日目)には、ネパール語での自己紹介の仕方をまなびます。

 

 2-3.ネパール語の基本訓練がすすむ

 2-3-1.発音(音声)と単語を中心にして

 1月12日〜1月24日(語学講座3日目〜13日目)は、ネパール語の文字表にしたがって、発音(音声)と単語を習得していきます。1月25日〜27日(語学講座14日目〜16日目)は合成子音をもつ単語を学習します。この期間にならった単語の数は約250語です。また一方で、1日に約1構文ずつ基本構文を習得し、文法の解説をうけました。板書はすべてローマ字が併記されています。

 ネパール語はデヴァナガリー文字(サンスクリット語の文字)を使用します。ネパール語の発音と表記には合理的なシステムがあり、それはどんな音でもつくることができ、音と文字とは完全に一致していて、英語のように発音の例外・不規則は存在しません。日本語は単語を漢字で区別することが多いのに対して、ネパール語はすべて音で区別するという特性があります。日本語には漢字があるために、音の種類がすくなくなってしまったのだろうとのことでした。発音の指導は、日本語とおなじ音から入り、日本語との比較あるいは日本語の音からの類推によりすすめられます。

 構文の方は、「〜です」「〜がある」「〜する」「〜する+名詞」「〜と感じた」「〜のようです」「〜がかかる」「〜できる」「〜によると」「〜しなければならない」「〜になりました」「〜するには〜しますが〜」とそれらの否定形について、おもに現在形のていねいな言い方を中心にすすめられます。ネパール語の語順は日本語とまったくおなじであるため、日本人には楽です。日本語同様に文の最後をしっかり言う、またはきくことが大切です。また、わからなくなった時、混乱した時に、もどれる場所をつくっておくこと、つまり出発点となる基本構文をおぼえておくことが非常に重要だそうです。

 サヤミ先生は日本語がはなせるため、解説は日本語でおこなわれます。みずからの体験にむすびつけるとおぼえやすいことと、どの言語でも、その言語の特徴をはやくつかむことが大切であることが強調されました。

 ところで、ネパール語とヒンディー語(インドの公用語)とは、発音と文字がすこしちがうだけでほとんどおなじであり、またネパール語をおぼえると、ベンガル語(バングラデッシュの言葉)もおぼえやすいそうです。ネパール語のひろがりを感じ、将来、南アジア全体を視野にいれるためにもネパール語を身につけようとおもいました。

 

 2-3-2.構文を中心にして

 1月28〜3月4日(語学講座17日目〜41日目)は、構文を中心にして授業がすすめられます。ローマ字の併記はおこなわれなくなります。また、テキストはまったくつかいません。授業中は、例文を参考にして、訓練生がみずからしゃべり、それをサヤミ先生が板書していきます。自分がかんがえていること、心の内を積極的に発言しなければなりません。自分の体験を はなすようにします。ある時、単語カードをつくろうとしたら、単語カードや単語帳をつくっている暇があったら、ネパール語をしゃべるようにと指導されました。授業の中では、ネパール人の生活様式についての説明も随時おこなわれます。ただ私としては、テキストやプリントをつかうなどして、視覚的効果ももっととりいれた方がよいと感じました。

 構文としては、「〜よりも〜」「もっとも〜」「〜した方がよい」「〜しましょう」「〜している(進行形)」「〜のために」「〜することが得意です」「〜してあげる」「〜してくれる」「〜した後に」「〜した+名詞」「〜している」「〜したことがある」「〜しないで」「もう〜した」「〜しながら」「〜しつづける」「もし〜なら」「〜している間に」「よく〜したものです」「〜してしまう」とその否定形・過去形などをまなびます。

 また毎朝、一人約10分間ネパール語によるスピーチをおこないます。はなす内容は何でもかまいません。昼食時間には、ネパール語による会話が徹底しておこなわれ、相手の言葉にすぐに反応して はなすことをもとめられます。また、週2回午後のみ、となりのシェルパ先生のクラスにいき、単語・発音・言い回し等の訓練をうけます。他のネパール人の声になれることも重要です。このころより時々夜に、サヤミ先生の自宅から訓練所に電話がかかってきて、電話ではなす訓練もおこなわれるようになります。顔がみえない状態で はなすのはむずかしいですが、かなり効果的な練習になります。

 このような訓練をつんで、言語習得のコツをつかんだ人は、次の別の言語を習得するのもはやいそうです。語学はスポーツと同じ。語学のセンスがある人は、あまり勉強しなくてもできるようになっていきますが、そうでなくても、ただしい方法で練習をくりかえしていれば誰でもできるようになる。それが語学だそうです。

 なお、2月7日には、中間テストがあり、筆記(和訳・作文等)、会話、リスニングのテストがおこなわれました。

 また、2月26・27日には、3人の在日ネパール人をむかえて「語学交流会」がおこなわれ、初日は、訓練所で交流し、2日目にはスキー場にいきたのしいひと時をすごしました。相手のはなしていることの1/5程度しか理解できませんでしたが、とてもたのしい体験でした。片言でも2日間ネパール人と実際に はなし、ネパール語がどこまで通じるか認識できました。

 

 2-4.みずから表現できるように

 3月6日(語学講座42日目)以降は、構文と会話を中心にして授業がすすめられます。構文としては、「〜だったんだ」「〜すればよかった」「〜しそうです」「〜する時」「〜をこなす」「〜しようとしている」「〜すればするほど」「どうやっても〜する」とその否定形など、色々な言い回しが順次指導されていきます。

 ある時、「『立ち読み』は何と言ったらよいのだろうか?」サヤミ先生いわく「かわないで読んだと言えばよい。」直訳をしようとむずかしくかんがえるのではなく、いかにやさしくくずして言うかを常にかんがえなければならない。今まで勉強したことの中からひっぱりだしてきてしゃべり、意味をつたえることこそが必要であるとのことです。

 すべてをおぼえようとするのではなく、くみたてができるようにする。基本的な単語と法則(文法のこと)をおぼえて、いかにくみたてていくか、ただおぼえればよいというわけではなく、かんがえて くみたてていかなければなりません。そのような意味で語学は数学とおなじようなものだそうです。

 また、特定の人とだけ はなすのではなく、子供から老人までできるだけ多様な人々とたくさんはなすことが、言語上達のために必要なことが強調されます。先生いわく、「恋人をつくればよいというものではない。『サヤミさんは、奥さんが日本人だから日本語がお上手なのですね』と言われると一番腹がたつ。もっとも重要なことは、身につけようという意志をその人が本当にもっているかどうか。あなたたちには本当に意志がありますか? 試験勉強をやっていてもまったく意味がない。意志をもってみずからきりひらいていかなければならない。私にも、日本語を本当に身につけようと決心した瞬間があった。あとで勉強しようとするのではなく、今、勉強してください。わかっていることに自信をもち、わからないところがどこかをはっきりさせる。外国人で10年も日本にすんでいる人でも、日本語が上達しない人がいるように、ネパールにいってから言葉がのびる人とのびない人がいいます。のびる人になってください。」

 なお、訓練所ででてきた単語の1/4、構文の1/3をおぼえていれば、ネパールでの生活にとりあえずこまることはないとのことでした。

 3月15日の最終テストにひきつづき、3月21日(語学講座52日目)は語学訓練の最終日です。訓練のしめくくりとして「語学発表会」がおこなわれます。各自がテーマをきめ10〜15分間スピーチをします。原稿はつくらず、簡単なメモをみながら、自分の言葉で自力ではなすことが要求されます。したがって、事前の原稿のチェック等はありません。その方が訓練になるそうです。みずから表現ができるようにならなくてはなりません。私は、「ネパールと私」というテーマで、川喜田二郎先生(ネパールの探検家・民族地理学者、ヒマラヤ保全協会会長)の著作をよんだことがきっかけになり、ネパールに興味をもったことなどをはなしました。

 

 3.ネパール現地訓練で実践的にまなぶ

 駒ヶ根訓練所での79日間の訓練をおえて、4月10日、他の同期の隊員4名と共にはれてネパールに入ります。機内からみた首都カトマンドゥは、盆地の中にうかぶレンガ色の都市国家の様です。すべるように無事着陸します。外は、けっこう暑く、自動車の排気ガスで空気がわるいため、うっすらと もやがかかったようです。当面の宿泊先は青年海外協力隊のドミトリー(寮)です。すぐに配属先に赴任するわけではなく、5月18日まではネパール語を中心にした「現地訓練」があります。

 4月10〜14日のオフィスでのオリエンテーションにひきつづいて、14日夕方〜16日は、カトマンドゥでの「首都ホームステイ」です。ネパール人との生活を通して、ネパール語やネパール人の生活の様子をまなぶことができます。片言のネパール語でなんとかすごすことができました。

 4月17日からのべ14日間、断続的にネパール語の語学学校にかよい、ネパール語の現地訓練をうけます。語学学校の先生は、ネパール先生とプレム先生です。語学学校では、ネパールの地理・歴史・社会などについてネパール語で解説されたり、また、リーディング・作文・リスニング・書き取りの訓練がおこなわれます。現地での生活をしながらの訓練であるので、切実感があり、体験的にネパール語を習得できます。

 4月24〜29日には、「地方ホームステイ」にいきます。私のいき先は、首都カトマンドゥからバスで数時間のところにあるバンディプールという村です。標高約1000mのところにあり、世界の屋根・ヒマラヤ山脈が一望できる大変景観のよい所です。ここでのホームステイは、ネパール人の中に一人で入り共に生活する体験であり、もっとも思い出にのこるたのしい体験でした。バンディプールで、ネパール語やネパール人についてたくさんのことをまなびます。地域研究のフィールドとしてもとてもおもしろい所だとおもいました。バンディプールからかえってきて、ネパール語での生活に急に自信がついた感じです。たとえて言うならば、自動車教習で高速教習からかえってきた時のような体験です。何事もうまくなるときは急にうまくなるようです。したがって、その時まで努力する必要があるのでしょう。ホームステイでお世話になった人々との交友は今でもつづいています。

 そして、5月6〜10日は「自己学習期間」であり、学習内容を自由に選択できます。私は、首都カトマンドゥの大学や、ネパール第二の都市ポカラの大学を見学しにいきます。ポカラではそこの植物学者の先生と仲良くなり、自宅にとめてもらいました。彼の家族とのつきあいもつづいています。

 カトマンドゥの語学学校での訓練の後半では、専門分野(職種)ごとにわかれて個別授業がおこなわれます。私は大学の地質学科に勤務することになっていたので、ネパールの教育システムや自然科学の用語について勉強します。

 5月15日、現地訓練のしめくくりとして、「最終プレゼンテーション」があります。私は、ネパールの教育システムと今後の抱負についてはなします。

 そして、5月19日、配属先のネパール国立トリブバン大学地質学科に赴任します。

 

 4.ジョーシー家とすごした2ヶ月

 5月21日、私は協力隊の寮を出て、ネパール人・ジョーシーさん一家の家で2ヶ月間の予定でホームステイをはじめます。配属先への赴任後は、どこにすむかは各自できめることになっています。ジョーシー家の家族構成は、お父さん、お母さん、イサ(長女、15才)、イマ(次女、13才)、イベス(長男、11才)です。

 朝と夜、1日約2時間、家族のみんなと会話することにより、ネパール語の方は確実に上達します。ネパール語と共に、ネパール人の生活にもふれることができ、また、ネパールの地理・歴史・社会・文化などについても数多くのことをおそわることができます。

 奥さんのつくる料理はとてもおいしく、食事は特別なたのしみです。ネパールの一般的な料理はダルバート(ダルは豆、バートはライスのこと)とよばれ、ライスに、豆スープとタルカリ(野菜カレー)とアツァール(つけもの)がつきます。タルカリは、野菜とマサラ(香辛料)のくみあわせにより、たくさんの種類をつくることができ、私が住んだ2ヶ月の間で、まったくおなじメニューは一度もなく、食事であきることはありません。アツァールは約20種類ぐらいあります。ネパールでは特に野菜は種類・量ともに豊富です。

 ジョーシー家とすごした2ヶ月は、とてもたのしいものであり、毎日が発見の連続でした。この充実した日々がいつまでもつづいてほしいとおもうほど、貴重な体験をしました。

 

 5.自炊生活の中でまなぶ

 ジョーシー家から職場まで徒歩とバスで約1時間、通勤に非常に不便であったため、とても名残惜しかったのですが、7月22日、ジョーシー家をあとにして、職場ちかくのアパートへひっこすことになります。

 今度は自炊生活をしなければなりません。同僚の地質学者に料理の腕が非常にいい者が一人いたので、ネパール料理のつくり方を色々おしえてもらいます。また、地方ホームステイ(バンディプール)の時の友人がカトマンドゥにきているので彼からもおそわります。

 私は食べ物の種類でこまることはないので、毎日ネパール食だけでも平気です。料理の道具や材料を買ったり、料理をつくることを通して、ネパール語のみならず、ネパール人の生活についてされによく理解できるようになってきます。

 料理あるいは食事には、その国の生活様式あるいは文化が圧縮されているようです。その背景には、料理の材料や食事の形態をうみだすその国独自の風土があるはずであり、ネパール(あるいは南アジア〜東南アジア)は、農作物が非常にそだちやすく、それを利用しやすい風土があるようです。風土とは、その国あるいは地域の社会・文化・自然環境の全体を包括するものです。したがって、その国を理解するために、食生活をバカにすることはできません。

 

 6.トリブバン大学地質学科に赴任する

 5月19日、すでに私は、トリブバン大学地質学科に講師として赴任しています。トリブバン大学はネパール唯一の国立大学、トリブバンとは今の国王の祖父の名前で、全国各地にキャンパスをもっています。私は、首都カトマンドゥにあるトリ=チャンドラ・キャンパスの地質学科に配属されています。同キャンパスにあるバチュラー・オヴ・サイエンス(B.Sc.:理学部)のコースには、1年生から3年生までの学生がいて、日本の4年間とはちがい3年間の教育をうけています。

 同大学地質学科からは、地質学あるいは地球科学の教育と研究に協力することが要請されており、教育としては、学生に対する講義・室内実習・野外実習があり、研究としては、フィールドワーク(野外調査)と共同研究を実施することになっています。ただし協力隊ということで、協力できることは何でもするので、同学科の改善のためにスタッフとネパール語で協議をつづけています。勤務時間は、午前10時〜午後5時まで、土曜日のみ休日です。スタッフ専用の研究室があり、普段はそこにいます。

 トリブバン大学赴任後、数回にわたり、地質学科の学科長のB.N.ウプレティ教授からネパール語の発音に関する指導を個人的にうけます。ネパール語(サンスクリット語)の音の数は、日本語はもちろんヨーロッパ語の音の数よりも多く、その音と表記は完全にシステム化されており、きわめて合理的でとてもわかりやすいです。ネパール語の音を習得すれば、他の言語の発音も非常によくなるとのことです。今回はじめて、息のだし方、舌の位置、音の長さなど、音声に関するこまかい指導をうけます。音の数がすくない日本語をはなしている日本人にとって、外国語の発音は非常にむずかしいものです。しかし、ネパール語には表意文字がないぶん楽でしょう。日本語をまなぶ外国人にとって、日本語の表意文字(漢字)はきわめてむずかしいものです。

 同大学バチュラー・オヴ・サイエンスは、6月から8月までは試験期間中で講義・実習等はありません。6月は3年生の、7月は2年生、8月は1年生の試験がそれぞれおこなわれます。日本の大学とはちがい、試験は非常に厳密できびしく、時間をかけます。バチュラー・オヴ・サイエンスの入学者数は約1500人ですが、卒業できるのは約800人だそうです。しかし、試験だけで約3ヶ月もついやしてしまい、厳重すぎる試験をやっても学生のためにはならないとおもいます。それよりも卒業論文をやらせた方がよいでしょう。

 スタッフや学生間の会話はほとんどネパール語でおこなわれ、英語が部分的につかわれていいます。英語がかなりつかわれているときいていましたが、現実はネパール語の方が多いです。ネパール語を勉強してきて本当によかったです。

 赴任後しばらくは講義等はなかったので、ネパールの地質や自然環境に関する調査・研究をすすめています。ネパール中西部等へフィールドワークにもいきました。

 9月からは3年生のみ新学期がはじまり、2年生、1年生の講義・実習も順次はじまることになっています。今後私は、岩石学の実習と応用地質学・環境地質学の講義に協力する予定です。また、9月下旬雨季があけたら、ネパールの中西部と極東部のフィールドワーク・共同研究を本格的に開始します。研究では、山岳環境保全のための調査をおこなうつもりです。調査には、現地住民からのききとり調査もふくまれるためネパール語がどうしても必要です。

 

 7.その国の文化をまなぶ

 このようにして、駒ヶ根青年海外協力隊訓練所、ネパール現地訓練、ホームステイ、そして配属先で、ネパール語を勉強してきました。この過程では、発音・単語・構文の三者の基本訓練を基礎として、会話・読み・書きの実践が、生活や仕事の中でつみかさねられました。

 したがって、外国語習得の第一段階では、発音・単語・構文のそれぞれについて、個別に一定の時間をさいて、基本訓練あるいは定型訓練をおこなうのがよく、そして、これら三者の学習を循環的にくりかえしていくことが有効でしょう。ここでは、必要最小限に基本をおぼえて、それを最大限につかう(くみたてる)といった努力が重要です。このかんがえ方は、オグデンが提唱した「ベーシック・イングリッシュ」にも通じるものです。この段階では自発性・自主性をもって勉強することが大切です。

 そして、混乱したときにはいつでもかえることができる基本となる原点を自分の中にしっかりつくっておくべきです。たえず発展と回帰ができるシステムの構築が必要であり、そして、そのような基礎があれば、現場での実践もみのり多いものになるとかんがえられます。

 また、今回の訓練の過程でも感じたことは、上達しない時期がしばらくつづいていても、ある時パッとうまくなる瞬間があるということです。徐々に坂をのぼっていくという感じではなく、段階的に上達する。音楽やダンス、スポーツ、車の運転の練習などでも経験したことです。したがって、上達しない時期を悲観する必要はありません。

 また今回、ネパール語を勉強したことが、日本語や日本人をみなおすよい機会にもなりました。日本語は、音の数がすくなく発音が簡単である一方、漢字というむずかしい表意文字があるという特性があります。日本人は、漢字をおぼえる勉強をするために、デスク型の勉強が中心になってしまい、それが、英語を中心とする外国語やその他の勉強の仕方にもけっこう影響しているのではないでしょうか。私がかよっていた日本の学校の英語教育では、読むことが中心で、書く訓練がすこしありました。英語も、今回のような方法で教育をうけることができたらとてもよかったのにとおもいます。

 現在のところ私は、会話はネパール語の方が、読み書きは英語の方が得意という状態になっています。日本の英語教育と協力隊のネパール語の訓練により、二つの言語が交錯しています。ネパール語でも読み書きが十分できるように、今後とも努力していくつもりです。

 ところで、海外でのコミュニケーション手段としては、国際語として英語が一般的にかんがえられていますが、英語は意外に通じる範囲がせまいことを、発展途上国経験者は特にしっています。国際語としては、国際人造語・エスペラントもありますが、これは理想としては非常にすぐれているにもかかわらず、ほとんど普及していないのが現実です。したがって、その国の人々とコミュニケーションをするためには、その国の言葉・現地語をつかうことがもっともすぐれていることはあきらかであり、そこで、もし、現地語を非常に短期間で学習できるとすれば、あるいは短時間で習得できるノウハウがあれば、これほどすばらしいことはなく、グローバル化の今日、時代のニーズであるともいえるでしょう。国際共通語をおいもとめるのではなく、現地語をすばやく習得することの方がよいとおもいます。その意味でも、青年海外協力隊のやり方は大いに参考になるとかんがえられます。ただし、英語圏の国々の現地語は英語であることはいうまでもありません。

 今後、私は、地球科学・地質学を出発点にして、「国際協力と地球環境」の課題にとりくんでいきます。そこでは、現地住民からのききとり調査をふくむフィールドワーク(野外調査・現地調査)が中核的な方法として必要不可欠です。また、国際協力や環境問題等にとりくむ場合、既存の学問や技術の応用ではなく、課題をめぐる「問題解決」の実践を現地の人々と共にしなければなりません。そして、そのような「問題解決」の行為の中から、あたらしい「地球環境学」も構想されてきます。これらのためには、どうしても現地語が必要になってきます。その国に奉仕してやろうとか、英語でおしきろうという安直な精神では、現地語も上達せず、地域に根ざした問題解決もむずかしいでしょう。

 現地にはいりこんで、現地人から言葉を直接修得するのはきわめて効果的な学習法です。その外国語をつかわざるを得ないように、自分自身を窮地においこむことになります。この段階では、第一段階の基本訓練・定型訓練をふまえつつも、それをおわりにして、生活や仕事の中で実践をしなければなりません。「型から入り型をでよ」ということでしょう。第一段階では自発性が重視されますが、この第二段階ではつよい切実性が生じます。実践の中で、たえず発見をしながら言葉を習得していくことには大きな意味があり、生活をしながら、仕事をしながら、毎日何かを発見し、毎日あたらしい事をおぼえていく、これがどんなにたのしいことか。これは学校の試験勉強とはちがうのです。

 毎日生活しているその国には、中心となる社会があって、それを自然環境がとりまいています。その両者の相互作用によって、その国独自の生活様式がうまれています。その生活様式のことを「文化」とよびかえてもよいでしょう。その文化をはなれて言語を習得することには意味はなく、その国独自の文化の中で言語をまなんでいかなければなりません。言語をまなぶという事は、結局、その国の文化をまなぶ事だと言ってもいいのでしょう。今後、ネパール語を通して、ネパールの文化を大いにまなんでいきたいとおもっています。

ネパールからナマステ >>>全体目次
1.ネパール語をまなぶ
>>>2.シーカ谷
>>>3.王宮事件
>>>4.ネパールの危機
>>>5.ネパールガイド
>>>HOME

(C) 2002 田野倉達弘