HOME2 > 照葉樹林文化 > 照葉樹林文化と日本

中尾佐助・佐々木高明著『照葉樹林文化と日本』くもん出版、1992年

目次

第1章 照葉樹林文化を考える

 照葉樹林文化と日本文化の系譜
 照葉樹林文化の伝来
 水田稲作文化の成立
 目で見る照葉樹林文化

第2章 照葉樹林文化の核心地帯をゆく

 照葉樹林文化をはぐくんできた人々
 照葉樹林文化帯のフィールド・ワークで見たこと聞いたこと
 照葉樹林文化帯の民族の特徴

第3章 照葉樹林文化を構成するもの

第4章 照葉樹林文化論の誕生

要点

 照葉樹とは、常緑のカシ類のほかシイ・タブ・クス・ツバキなど表面に光沢のある葉をもつ常緑の樹種であり、おもに照葉樹で構成される森林を照葉樹林とよぶ。
 照葉樹林は、ネパール・ヒマラヤの高度1500〜2500メートルあたりから、ブータンやアッサムの地域をへて、ミャンマー北部を中心とする東南アジア北部山地〜雲南高地〜江南山地、そして朝鮮半島南部から西日本に達しており、この一帯を照葉樹林帯とよぶ。
 照葉樹林帯には多くの民族がすんでおり、その生活文化はこの地帯共通の文化的要素によって特色づけられ、その文化を「照葉樹林文化」とよぶ。その文化的特色は、稲作をはじめ、モチやナットウ、ナレズシやコンニャク、あるいは麹酒や茶や絹や漆などのほか、歌垣や鵜飼のような習俗、あるいは羽衣伝説のような説話、さらには儀礼や神話など数多い。
 「照葉樹林文化論」は、アジア的視点のなかで日本文化の形成を論ずる有力な仮説のひとつである。

概要

第1章 照葉樹林文化を考える

照葉樹林帯は、ヒマラヤから日本までつらなっている

 照葉樹林帯は、ヒマラヤから日本まで約5000キロにわたってつらなっている。そこは暖温帯であり、樹葉の表面がテカテカとひかるカシやシイを中心とした森林になっている。ブータン・ヒマラヤの中腹には照葉樹林がのこっており、その景観は、西南日本の森とそっくりである。

東南アジア北部から中国西南部では焼畑農耕がおこなわれている

 東南アジア北部から中国西南部にいたる山地の照葉樹林帯にすむ少数民族の間では、いまも焼畑農耕がひろくいとなまれている。彼らは山地斜面の森林を伐採し、焼き払ったあと2〜3年ほど作物を栽培する。そのあと耕作をやめ、休閑して森林の再生するのをまつ。アワをはじめ、各種の雑穀類やイモ類などが主作物として栽培される。

日本の山地でもかつては焼畑農耕がひろくいとなまれていた

 日本の焼畑は、アワをはじめヒエ・ソバ・大豆・小豆・サトイモ・ムギなどを主作物とするものだった。それは、稲作以前に、照葉樹林文化の諸要素をともなって、中国・江南の山地から西日本に伝来したものとかんがえられる。

山の民は山ノ神を信仰してきた

 照葉樹林帯の山の民は、山中の世界を支配する山ノ神を信仰してきた。九州山地には、このような山ノ神を崇敬するふるい祭りがつたえられている。

「雑穀・根栽型」の焼畑農耕によってくらしをささえた

 照葉樹林帯の焼畑の大きな特色の一つは、その主作物がアワ・ヒエ・モロコシ・シコクビエ・ソバなどの雑穀類であり、これに大豆・小豆などの豆類や、イモ・ヤマイモなどのイモ類がくわわった「雑穀・根栽型」の作物構成をもつことである。人々は、この種の焼畑農耕によってくらしをささえ、山腹斜面や尾根沿いに村々をいとなみ生活してきた。

照葉樹林帯から稲作農耕がうみだされた

 ごく初期の稲作は、水稲とも陸稲ともいえない未分化な稲を雑穀類の一つとして栽培していた。雨の少ない年には畑地になり、多い年には水田になるような「原初的天水田」が存在し、雑穀の中で稲が混作されていたとかんがえられる。その後、他の雑穀にくらべてすぐれた性質をもつ稲が雑穀の中から選択され、水田稲作農耕がうみだされてきた。

雑穀類にモチ種をつくりだした

 イネをはじめ、アワ・キビ・モロコシなどの雑穀類にモチ種をつくりだし、それをいろいろな形で利用するのは、他の地域にみられない照葉樹林帯の特色である。その利用形態は、つきモチをはじめ、粢(しとぎ)モチ、チマキ、オコワなどであり、特にモチやオコワを儀礼や贈答用の食品とする慣行がひろくみられることは注目すべき点である。

発酵食品の種類が多い

 照葉樹林帯では食生活に発酵食品の種類が多く、日常生活でも重要なものになっている。麹酒・ナットウ・ナレズシ・漬物・ミソなど多様である。麹をもちいる酒は、穀物の個体発酵という形をとるツブ酒である。

茶・モヤシ・コンニャクは特徴的な食品である

 茶は、もとは、野性の樹葉を発酵させてたべていたとかんがえられる。モヤシは、この地帯に特有の大豆を日陰で発芽させた食品である。コンニャクは、コンニャクイモの中からマンナンという成分だけをとりだしてかためた特殊な食品である。

鵜飼は、照葉樹林文化の特色の一つである

 鵜飼は、照葉樹林文化の特色の一つである。鵜飼は、長江流域から西南中国にかけての地域に起源した。日本には、水田稲作農耕とセットになって伝播したとかんがえられる。

ハンギング・ウォールと高床住居は、この地帯の民家の特色である

 民家は、柱と梁で重量をささえる「柱梁構造」をもち、壁は、両方の柱にぶらさがっているようなものなのでハンギング・ウォールとよばれる。また、高床の構造をもつ民家が多い。ハンギング・ウォールと高床住居は、この地帯の民家の特色である。

絹織物・紙づくり・漆・ろくろ細工・竹籠づくりなどを発達させた

 照葉樹林文化は、絹織物・紙づくり・漆・ろくろ細工・竹籠づくりなどの伝統技術を発達させた。これらは、地域の豊富な植物界の中から素材をさがしだして、それをたくみに利用したものである。

第2章 照葉樹林文化の核心地帯をゆく

東アジアの照葉樹林帯に住む民族の群像

 中国西南部に居住するイ族とトン族は、チベット・ビルマ系とタイ系をそれぞれ代表する民族である。
 ミヤオ族とヤオ族は、湖南省西部の照葉樹林帯を故地とし、照葉樹林帯沿いに移動をかさね、中国西南部にひろく展開した人たちである。中国の照葉樹林帯を代表する民族である。
 チワン族やタイ族などのタイ系の人たちは、ふるくから河谷や平野にすみ、水田稲作農耕をいとなむ人たちであった。
 雲南省南部の、特に、海抜1000メートルをこえる山地には、いまでも焼畑農耕を大規模にいとなむ人々がすんでいる。ハニ族・チノー族・チンポー族・リス族などのチベット・ビルマ系の人々、プーラン族やワ族オーストロアジア系の人々、そしてミヤオ・ヤオ系の人々もいる。
 ナシ族とペー族は、雲南省の麗江の周辺地域と大理を中心とする地域に居住するチベット・ビルマ系の民族である。台湾山地には、ふるいオーストロアジア系の人々の言語をはなす高山族(ルカイ族、かつては高砂族とよばれた)がすんでいる。

東南アジアの照葉樹林帯に住む民族の群像

 雲南南部から北西ラオス・北タイ・ミャンマー北部にいたる地域は、山の尾根がつらなり谷がつづく、ひとつづきの地帯である。この地のふるい民族は、ラワ族・パラウン族・ワ族・カムー族などのオーストロアジア系の人々だといわれている。
 その後、北タイの山地には、アカ族・ラフ族・リス族などのチベット・ビルマ系の人々が南下してきた。

アッサムとヒマラヤの村と生活

 アッサムとヒマラヤは、照葉樹林帯の西半にあたる。土着の文化とインドやチベットの文化が混淆した多様な生活がそこにはある。  アッサムとシッキムの地は照葉樹林文化のセンターの一部になっている。しかし、アッサムの平野部にはインド文明が進出し、また13世紀には、タイ系のアホム族が侵入して王国をつくるなど、東南アジアとの文化的関連も少なくない。
 ブータンの伝統文化の基層には照葉樹林文化がいまも息づいているが、上層をおおっているのはチベット文化である。
 ネパールの農村文化は、土着の照葉樹林文化に由来する文化伝統と、インド文化の影響とが混淆したものである。海抜1900メートルあたりを境に、それより高所はチベット・ビルマ系のヒマーラヤンたちのすむ伝統的畑作文化の地帯、それより低所は主としてインド系農民チェットリのすむ水田稲作文化の地帯にわかれる。

第3章 照葉樹林文化を構成するもの

 照葉樹林文化を特徴づける文化要素としては、モチ、麹酒、ナットウ、チューラ、焼米、ナレズシ、茶、漆器、ハンギング・ウォールと高床住居、絹、和紙、鵜飼などがある。

第4章 照葉樹林文化論の誕生

 中尾佐助氏は、昭和27年にはじめてネパールを踏査して、ヒマラヤの中腹に照葉樹林を発見し、ヒマラヤから日本までつづく照葉樹林帯の存在に気がついた。
 その翌年にもネパールを踏査し、ネパール・ヒマラヤの中腹では照葉樹林帯に人口が密集しており、そこがネパール文化の中心になっていることを発見した。
 昭和33年には、ブータン王国を旅し、ブータン中央部はチベット文化の影響がつよいが、南ブータンには照葉樹林文化がのこっていることを発見した。中尾氏が、照葉樹林帯という共通の自然風土の中で、人間文化の要素として共通性があると最初に気がついたのはシソの存在であった。
 昭和41年には、『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)において、照葉樹林文化のかんがえ方を最初に世に問うた。
 昭和51年には、『続・照葉樹林文化』(中公新書)において、照葉樹林文化の中心地・起源地として「東亜半月弧」を提案した。
 本書『照葉樹林文化と日本』では、照葉樹林文化は、文字、文学、思想・イデオロギー、権力機構、経典のある宗教、音階を意識した音楽といった高次の文化はうみださなかったが、衣食住を中心とした生活レベルの文化としてはよく成熟に達した文化であることをしめし、同時に、日本文化の根は照葉樹林文化にあって、そこから日本文化は成長してきたことをうったえている。

コメント

 本書は、20数年にわたる著者らの東アジア各地における照葉樹林帯のフィールドワークの貴重な記録であり、豊富な写真によって照葉樹林文化について理解をふかめることができる。
 「第1章 照葉樹林文化を考える」では、照葉樹林帯をひとまとまりとしてとらえ、その特色を具体的に解説している。「第2章 照葉樹林文化の核心地帯をゆく」では、照葉樹林帯を各地域ごとにとらえなおし、フィールドワークの結果にもとづいてそれぞれの地域を具体的に解説している。「第3章 照葉樹林文化を構成するもの」では、照葉樹林文化の文化要素をくわしく分析している。「第4章 照葉樹林文化論の誕生」では、中尾佐助氏が照葉樹林文化論を構築してきた過程がのべられている。
 本書の特色は、何といっても豊富な写真にある。写真をみながら解説をよむことによって、照葉樹林帯と照葉樹林文化についてきわめてよく理解することができる。しかも、ヒマラヤから日本にわたる広大な地帯を一望して、この地帯を統一的にとらえることができる。照葉樹林文化論を理解するためには第一に本書を推薦する。
 写真と解説のすばらしさは、著者らが非常にすぐれたフィールドワーカーであることもしめしている。写真と言語をくみあわせて、みずからのメッセージをつたえるこのようなスタイルは、他の分野の人も参考にしなければならない。


HOME2照葉樹林文化>照葉樹林文化と日本

2005年2月11日発行(C)田野倉達弘