ネパールからの帰国報告
講演要旨
>>>地球市民講座
>>>HOME

プーンヒル(夜明け)

>>>拡大

<目次>

ネパール・ヒマラヤの世界をみる

人材育成と住民参画が必要である

 


2002年8月28日発行

 


 

 解 説

 2002年6月1日、東京にて、私が所属する(NPO法人)ヒマラヤ保全協会の主催により、地球市民講座「くらがるねぇ」が開催された。「くらがるねぇ」とは、ネパール語で「話をする」という意味である。

 私は、青年海外協力隊からの派遣により、ネパール国立トリブバン大学地質学科に講師として勤務しながら、国際協力活動を2年間にわたっておこなった。今回の講座では、ネパールからの帰国報告として、ネパールの情勢や私の活動の様子などについて、約1時間半にわたって講演した。演題は「カトマンドゥはヒマラヤのヘソ」であり、参加者は、ヒマラヤ保全協会の会員を中心にした約30人であった。

 その後、この講演の要旨が、同協会が発行する会報「Shangri-la」第44号に掲載された(注)。以下の文章はその講演要旨である。この文章は、ヒマラヤ保全協会事務局が作成した記録に私が修正をくわえたものである。

 なお、Shangri-la(シャングリラ)とは、ヒマラヤの山深くにあるといわれる理想郷のことである。(2002年8月28日解説記)

 

 (注)地球市民講座「くらがるねぇ」報告「カトマンドゥはヒマラヤのへそ」。Shangri-la、44号、(特定非営利活動法人)ヒマラヤ保全協会、2002年7月。

 


 

 ネパール・ヒマラヤの世界をみる

 ネパールの国土は、ガンジス平原(タライ)、低ヒマラヤ(パハール)、高ヒマラヤ(ヒマール)の三つにわけられます。ネパールの首都があるカトマンドゥ盆地は、山岳地帯に、まるで「ヘソ」のように存在しており、これはどのようしてにできたのでしょうか。一方タライは、戦後の開拓でマラリヤがなくなり、かなり多くの人々が山岳地域から移住しました。ネパールというと「寒い」というイメージをおもちの方が多いですが、このタライ一帯は、夏場の気温は約40度Cにもなります。

 ネパールでは、地形と地質の区分はほぼ一致しています。カトマンドゥ盆地がヒマラヤの「ヘソ」のようになったのは、ヒマール(ヒマラヤ)の岩盤が南側におしだしてきたからです。地質学的には、地下深部の岩盤がおしだしてきて盆地をつくったといえます。そして、この盆地の上に都市国家が形成されました。この盆地にはかつては湖があったので、そこに有機堆積物が堆積し、農業に適する肥沃な土壌が形成されました。また、粘土層も分布しているため、建築物をつくるためのレンガを生産することができます。これらの地層はかなり厚いので、枯渇することはかんがえられません。このような理由で、高度な都市国家文明がカトマンドゥ盆地に形成されたとかんがえられます。ネパールのような小さな国が、インド領にならずにすんだのは、この高度な文明がふるくからあったことが一つの理由であるとかんがえられます。

 私は、自然史から文明をときあかしていきますが、普通の科学者でこのようなことをする人はいません。自然科学者や民族学者はそれぞれの専門分野については非常にくわしいのですが、現代の環境問題や国際協力のような総合的な問題はそれだけでは解決できないとおもいます。

 

 人材育成と住民参画が必要である

 ヒマラヤの地層は、北下がりになっているため、川の南側の地層が北側の川に向かって滑り落ちやすい傾向があります。この地滑りに、近年の森林の衰退がさらに拍車をかけて、ヒマラヤでは環境破壊がすすんでおり、ヒマラヤ保全協会のプロジェクト地であるシーカ谷地域でも、30年前と比較すると半分以下に森林が減少しています。まだ大規模な地すべりがおこるにはいたってはいませんが深刻な問題です。雨季は、シーカ村は特に危険です。

 自然環境や文化の再生のためには、自然科学や民族学の専門家などがそれぞれの分野でのみ対処するのではなく、歴史的な考察をおこない、総合的にとりくむことが大切です。

 どこの国でも、国際協力活動のほとんどは首都周辺でおこなわれていますが、青年海外協力隊の活動は奥地前進・フロンティア開拓をモットーにしています。これから協力隊の活動をしてみたいという人は、危険もありますが、フロンティア・スピリットを持って、未知の領域にチャレンジしてもらいたいものです。フロンティア開拓とは、地理的なものだけではなく、未開拓な分野を開拓するという意味もあります。

 そして、現地に人材が育ち、現地の人々が主体的に参画していくことこそが、その地域さらにその国の発展にとってもっとも重要なことです。ハード面の支援だけをいくらしていても意味がありません。

講演要旨
>>>地球市民講座
>>>HOME

Copyright(C)2002 田野倉達弘