思索の旅 第26号
東京都写真美術館(恵比寿)
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26-01 想像力は、映像がない方がはたらく

 BS放送もDVDもなかったころは、私は、FM放送やレコードで音楽をたのしむことが多かった。ヨーロッパからおくられてきたライブ録音など、音だけをたよりに現地の様子を想像しながらたのしんでいた。特にオペラなどは、日本とはまったくことなる世界の出来事であり、音楽というよりも異空間を体験するようなものだった。明確なイメージはわかないから、何か不思議な空間がひろがっているような気持ちになっていた。映像がなかったからこそ不思議な想像力がはたらいていたのである。
 しかし時代はかわり、今ではBS放送がありDVDもある。演奏会やオペラの映像が大量に入ってくる。演奏の仕方やオペラのストーリーなどが実によくわかるようになった。見るたのしみがくわわり、音楽はそれまでよりも何倍もたのしめるようになった。
 ところがである。映像が見えてしまって、想像力をはたらかせる機会がすくなくなってしまった。リアルな映像があればあるほど想像がはたらかないのである。
 かぎられた情報をたよりに、目に見えないところを想像するのは、情報処理においてとても重要な能力である。想像力をはたらかせる機会がないと心の世界もひろがらない。能力を高めるためには想像力をつよめる訓練をたえずおこなわなければならない。リアルな映像があれば何でもよいというわけではない。そもそも芸術とは想像するものである。
 映像情報が氾濫する今日では、音楽をききながら、あるいは自然の音をききながら、目をつぶって、世界を想像する訓練の場を意識的につくりだすことが必要だろう。

26-02 心の中だけにひびく音楽がある

 西洋の中世音楽の研究家・皆川達夫氏によれば、「中世ヨーロッパの音楽家たちは、ムジカ・ムンダーナ(宇宙の音楽)、ムジカ・フマーナ(人間の音楽)、ムジカ・インストゥルメンタリス(楽器や声の音楽)の3種類に音楽を分類した」(NHK教育テレビ・心の時代 〜宗教・人生〜「宇宙の音楽が聴こえる」)。
 これらのうち、ムジカ・ムンダーナとムジカ・フマーナは物理的にはきこえない音楽であるという。つまり、それらは心の中にだけにひびく音楽であり、そのような心の場をつくりだした人だけにきこえる音楽であるらしい。

26-03 本を所有することよりも、情報をいかに検索するかが重要な時代になった

 最近の図書館は、インターネットによる本の検索・貸し出し予約サービスをおこなっている。インターネットで蔵書をキーワード検索すると、必要な本のリストがすぐにでてくる。そしてボタンをおして予約すると、すぐに、ちかくの図書館に本をとどけてくれる。1回につき10冊まで、3週間かりられるので大変便利であり、多くの人々が、このサービスを重宝しているようだ。大変便利な時代になった。
 このような便利なサービスがでてくと、おもしろいことに、自分がもっている本であっても、このサービスで図書館からかりてしまった方がはやいことが多い。本をたくさんもっていると、必要な本がすぐにでてこないことがある。どこにしまったかわからなくなっていたり、ひっぱりだすのに苦労することもよくある。便利さという点ではインターネットによる検索・予約の方がすぐれているのである。
 こうなってくると、単行本を自分で所有しておく意味が非常にうすくなってくる。本は、いかにすばやく検索できるかが問題であり、本そのものをもっているかどうかは問題ではなくなってきた。そもそも本とは、そこにのっている情報に意味があるのであって、本をつくっている紙に意味があるのではない。紙は情報の媒体でしかないのである。このような情報処理の観点にたつと、本とか物とかではなく、情報の検索方法の方が重要であることがわかってくる。情報をいかにキャッチし、いかに処理するか。そこに問題の本質がある。

26-04 インターネットが発達し、作者と読者とが直結する

 音楽のインターネット配信がどんどんすすんでいる。これは、かつて通信カラオケが普及したときの現象とよく似ている。このようなシステムが発達すると、作者とユーザーは直結するようになり、情報の流通には中間業者が必要なくなってくる。物流の世界でも、宅配便による産地直送が一般的になり、似たようなことがすすんでいる。
 同様なことは文字情報に関してもいえる。インターネットの発達により従来の紙媒体による情報流通の重要性は低くなっている。大部な書物は別としても、ジャーナルなどの電子化は最近いちじるしくすすんでいる。作者と読者が直結する時代になってきた。

26-05 インターネット時代になり、書店の「劇場化」がすすむ

 ジュンク堂書店は「劇場としての書店」を展開しているという(福嶋聡『劇場としての書店』新評論)。その劇場は、「舞台としての売り場」「役者としての書店員」「演出家としての店長」という構成になっているという。
 書籍のインターネット検索が容易になり、図書館や通信販売で必要な書籍がすぐに手に入る時代になった今日、書店の意味も変わってきた。各書店も生きのこりをかけて様々な工夫をこらしている。
 たとえば、あそこの書店ではこういう分野の本が充実しているとか、こっちの書店ではこういうサービスをやっているとか、そこへ行く意味がなければ人々は書店に足をはこばなくなる。しかし、書店に行くたのしみがあればやはりでかけたいとおもう。テレビやDVDで演劇を見ているだけではものたりず、やはり劇場に行ってみたいとおもうのとおなじことである。
 つまり、世の中の電子化がすすめばすすむほど、「劇場化」が意識されるようになるのである。「劇場化」の動向に今後とも注目していきたい。

26-06 グループワークのそれぞれの段階で情報処理がくりかえされる

 私は、ラベルと模造紙をつかったグループ・ミーティングをよくおこなう。この方法では、「テーマ設定→グループ・ディスカッション→合意形成」とすすむのが基本であり、この三段階のそれそれの段階の内部で情報処理がくりかえされる。問題解決の各段階の内部で情報処理がくりかえしおこなわる仕組みになっている。
 「テーマ設定」では、他人の意見を聞くのが入力、心の中での反応が処理、テーマを書きだすことが出力である。「グループ・ディスカッション」では、他人の意見を聞くのが入力、心の中での反応が処理、意見やアイデアをラベルへ書きだすことが出力である。合意形成では、ラベルを読むのが入力、ラベルを模造紙上に空間配置するのが処理、結果の発表(口頭発表や文章化)が出力である。
 そして、この三段階をおわってみると、結果的に大きな情報処理がなされるようになっている。グループワークでは、集団で、問題解決と情報処理にとりくむことが重要であり、従来の、意見の収集とそのまとめという考え方にとらわれない方がよい。

26-07 グループワークとアクションリサーチには7段階を設定することができる

 グループワークは3段階を基本とするが、それを発展させると次の7段階になる。

(1)テーマ設定、(2)グループ・ディスカッション、(3)合意形成、(4)フィールドワーク、(5)計画立案、(6)実施、(7)評価

(1)〜(3)までは1日でできる。これを「第1サイクル」とすると(4)〜(5)は「第2サイクル」、(6)〜(7)は「第3サイクル」となる。
 また、「アクションリサーチ」も7段階で実施することができる。アクションリサーチは、個人が主体になってすすめることが多い。

(1)問題提起、(2)状況把握、(3)仮説形成、(4)検証、(5)構想、(6)実施、(7)結論

 グループワークもアクションリサーチもともに7段階を設定して問題解決をすすめることができる。この7つの段階のそれぞれの内部において情報処理がくりかえされる。

26-08「イメージ+言語」の情報ファイルを構築する

 DVDを視聴していると、イメージと言語が同時に心の中に入ってくる。情報の観点からこれらをとらえると、情報の大部分はイメージによってつたえられるが、それに言語がむすびついているという感じである。イメージは情報のベースであり、その上部に言語がむすびついている。体験のひとまとまりが情報として伝達されたり記憶されたりするときには、イメージの上に言語がむすびつくという構造が生じている。
 この原理は、本の内容を記憶するときなどにも応用できる。それには、本の各ページをイメージとしてあつかい、イメージ(ページ)の上に言語がのっているとかんがえればよい。たとえば、重要なキーワードが何ページの右上にのっていたなどと視覚的に記憶する。
 このように、「イメージ+言語」の重層構造をもったかたまりとして情報を意識すると、情報の伝達や記憶だけでなく、情報の記録や想起も容易になる。ある体験をしたらキーワードを記録する。そのキーワードの下部にはイメージが潜在していることを常に意識する。すると後で、キーワードをみただけで潜在するイメージを容易におもいだすことができる。
 「イメージ+言語」の重層構造をもった情報のかたまりは「情報ファイル」とよんでもよい。このような「情報ファイル」を多数心の中に構築することが、情報処理能力を高める結果となる。

26-09 まず要点を書き、必要に応じて中身を充実させる

 私はかつて、まずメモを書いて、それらをボトムアップ式で文に要約することが多かった。しかし最近は、ある情報のひとかたまりを得たら、その要点を一気に書きだして、「情報ファイル」をとにかく完成させるようにしている。まず要点を書きだし、あとで必要があれば、それを増幅させながら文章化する。要点をふまえて、重要なファイルについては、あとで時間をかけてくわしい文章を書くという方法である。
 かつて、一行目に見出しを書き、その下に本文を書くという形式のデータカードがあったが、そのようなものに記入するときも、まず一行見出しを書き、必要に応じて本文を書くという方式をとったほうが情報処理の訓練になる。情報を、すばやく圧縮・要約するのは情報処理の基本である。情報をどこまでくわしく記載するかはその情報の価値による。価値がなく重要でないことはくわしく書く必要はない。
 また、情報のボトムアップかトップダウンかということが問題になることがあるが、重要なのはそれらよりも情報の「流れ」に注目することである。情報はたえず流れている。流れの中で情報は処理されていく。

26-10 心の中の情報をキーワードで検索できる仕組みをつくる

 パソコンやインターネットの情報検索は一般にキーワードでおこなう。キーワードを入力するとそれに関連する情報がすぐにでてくる。キーワード検索は大変便利な機能である。
 これと同様なことは、自分の心の中の情報を利用するときにもできる。私たちの心の中には大量の情報が記憶という形で蓄積されている。記憶は、日々の体験によって形成されていく。体験とは見たり聞いたり感じたりすることである。
 私たちは毎日さまざま体験をしているが、時間がたつにつれてわすれてしまい、思い出すのがむずかしくなっていく。そこで、ある体験をしたら、すぐに、その体験のひとまとまりごとにキーワードをあたえておく。キーワードとは、その体験を要約する単語や単文である。そして、そのキーワードをワープロソフトに日付とともに記録しておく。この作業は毎日おこなうようにする。
 あとは、ワープロやパソコンのキーワード検索の機能をつかって、キーワード検索をおこなう。すると、キーワードが日付とともにすぐにでてきて、それをみると、その時その場の体験がすぐに思い出せる。思い出すとは、心の奥底から情報を検索することである。このような仕組みをつくっておくことにより、心のなかのデータベースから情報を検索できるようになり、記憶はデータベースとして機能するようになる。
 この方法をつかうと、おもしろいことに、何年も前のできごとが比較的簡単にありありとよみがえってくる。そういえばこんなことがあったと、すっかりわすれていたことが想起されて我ながらおどろかされることも多い。

26-11 まずイメージをスケッチする -作曲家・武満徹-

 作曲家の武満徹氏は、「さまざまなイメージをスケッチして、次にピアノでそれを音にかえていく」という(NHK教育テレビ・あの人に会いたい「武満徹」)。
 文章を書くときも、いきなり書きはじめないで、さまざまなイメージ(図)をスケッチするのがよい。まず空間的にかんがえて、そのイメージをおもいうかべながら、時系列に情報を書きくだしていく方法を採用するのがよい。

26-12 音楽は発想や瞑想の環境としてつかえる

 武満徹氏は、「ひとつのことを強く主張するのではなく、聴く人によっていろいろなうけとり方ができるように、その環境を用意します」とかたる(NHK教育テレビ・あの人に会いたい「武満徹」)。
 このような音楽は、「環境の音楽」あるいは「場の音楽」であり、発想や瞑想のための環境としてつかうことができる。音楽をききながらいろいろなことを自由に想像する。その曲の解釈はどうでもよく、自由に音楽をつかえばよい。そこからあたらしい発想がうまれてくることもある。発想や瞑想の手段としてつかいやすい音楽も世の中には存在するのである。
 このような音楽としては、フランス印象派の音楽もつかえる。グレゴリオ聖歌やブルックナーもよいだろう。

26-13 アイデアはどこからかやってくる -映画『ハリウッド・ミューズ』-

 映画『ハリウッド・ミューズ』(The Muse)が放映された(NHK・BS)。脚本家が創作活動に行きづまり「ミューズ」(創造の女神)とよばれる女性に助けをもとめる話である。ハリウッドには、行きづまったとき助けてくれる「ミューズ」がいるという伝説があるらしい。この映画の作者は、アイデアは、どこからかやってくるものであるとおもっている。そのアイデアをはこんでくるのが「ミューズ」である。
 アイデアはすでにどこかに存在する。アイデアはどこかで生きている。それをとらえて増幅させ、多くの人々につたえるのがクリエーターの仕事であるのだろう。作品は、何もないところから無理をして生みだすのではない。すでに存在するものを具現化し、表現するのである。
 この映画では、「ミューズ」はシャロン=ストーンが演じるサラであるが、本当の「ミューズ」は目には見えない。目には見えないがたしかに存在するようだ。この映画は、喜劇であるが創作活動の本質をついている。

26-14 場所と発想をセットにして記憶する

 ある場所をおとずれたら、その場所を特徴づけるキーワードを設定し記録する。キーワードは特徴づける物でもよいし、印象にのこったことでもよい。あとで、そのキーワードを見れば瞬時にその場所がおもいだせるようであればよい。
 つぎに、その場所で何か重要なことをおもいだしたり、あたらしいアイデアをおもいついたりしたら、それをあらわすキーワードをあわせて記録しておく。その場所でおもいついたということに大きな意味がある。場所は発想の環境として有効にはたらくことは非常に多い。
 そして折りにふれて、場所とアイデアのキーワードを見直し、場所とともにアイデアをおもいだす訓練をする。やってみると、おもしろいように、その時の体験をありありと想起できる。想起した情報は、あらたな発想や問題解決のために利用できる。
 このような方法をもちいれば、場所は発想の環境として、あるいは発想の記憶と利用のために活用できる。発想をとりこんだ場所をまるごと記憶するということである。こうすると「発想の場」が生きてくる。

26-15 情報の概要やポイントをつかむためには空間を利用するのがよい

 NHKの「新日曜美術館」では、「アートシーン」と題し、最後の15分間をつかって各地の美術展を毎回紹介している。これは、実に要領よく、様々な美術展の概要やポイントを要約しており、気にいった美術展を選択することができる。このガイドをまずみて、興味を感じたら実際に美術館に足をはこべばよい。
 「アートシーン」で、さまざまな情報を短時間で要領よくガイドできるのは、美術が空間的な芸術だからである。これが、音楽番組ではそうはいかない。音楽は時間的な芸術だから、絵や彫刻を紹介するのとはちがい、音楽そのものを紹介するのにはそれなりの時間がかかってしまい、概要をしめそうとおもうと曲名と奏者だけの紹介でおわってしまう。
 美術は空間の芸術であるのに対し音楽は時間の芸術であるという、美術と音楽の比較から、情報の概要やポイントをつたえようとおもったら、それが空間的である場合には短時間で一気につたえることができるが、時間的な情報の場合にはそうはいかないということがよくわかる。そして、このような情報の性質がわかってくると、何かの情報に関して、第一段階としてまず概要やポイントをつかむためには、空間を利用した方がよいこともわかってくる。

26-16 DVDレコーダーをつかって記憶法の訓練をする

 最近のDVDレコーダーは大変便利であり、番組表から簡単に録画予約をすることができる。自分が見たい番組を見落とすこともなくなり、また、いつでもすきなときに録画を見ることができる。
 ディスクナビという機能をつかえば、録画した各番組に、自分でタイトル(キーワード)を設定することもできる。一度見て必要がなくなった番組を削除していると、重要な番組だけがハードディスクにどんどん蓄積されていく。
 蓄積された番組のタイトル(キーワード)は一覧表示させることができ、タイトル(キーワード)だけを見てその番組をおもいだすことができる。たくさんのキーワードをどんどんみながら、番組を瞬時に想起し、必要があれば、その番組をすぐに見直すことができる。
 このようなプロセスを整理すると、「番組を見る→キーワードをあたえる→キーワードを見て番組を想起する」ということになる。これは「記憶法」の実践にほかならない。キーワードを見ただけで、瞬時に番組のイメージや要点を想起できるかどうかがポイントである。
 このプロセスをもっと一般化すると、「体験する→キーワードをあたえる→キーワードをみて体験を想起する」となり、これはもっと抽象化すると「記銘→保持→想起」ということになる。「記銘→保持→想起」は記憶法の基本にほかならない。記憶法では、よくできたキーワード(単語や単文)をパソコンに記録しておき、キーワードを見ただけで、そのときの体験のイメージや要点を瞬時に想起できるかどうかがポイントになる。

26-17 写真をとるだけでなく、一つの対象をくわしく記載する
-ナチュラリスト・田淵行男-

 東京都写真美術館(東京・恵比寿)で、生誕100年記念「ナチュラリスト・田淵行男の世界」が開催された。田淵行男氏は、日本を代表する山岳写真家であると同時に、昆虫生態研究(特に蝶の細密画)や雪形研究などで偉大な業績をのこし、「科学者の眼と詩人の魂をもった写真家」として知られていた。
 展示室に入ると、手製アルバムの展示を中心にして山岳モノクロ写真が展示されている。次の部屋には、愛用のカメラとともに、やはり山岳モノクロ写真が展示されている。第3の展示室には、昆虫の写真、第4の展示室には蝶の細密画、第5の展示室には雪形写真などが展示されている。
 田淵氏の特色は、単なる写真家ではなく、きわめて精密な蝶や細密画を多数のこし、図鑑などもあらわしているところにある。蝶とながい間むかいあい見続けてえがきあげた絵からは、心にかよう情感がにじむのをおぼえたと田淵氏はいう。
 一般に私たちは、写真をとってしまうと見たような気になってしまって、実際には細部を見落としてしまうことが多い。写真を印刷してみてから本当の情景や細部にはじめて気がつくことはよくある。
 そこで重要なことは、田淵氏のように、細部を記載する作業をおこなうということである。
 ナチュラリストの田淵行男氏は言った。「物を見てその姿を写生することは、少なくとも精密に見ることを必要とする。(カメラで写真を撮影していると)レンズの性能に安易に依存して、対象の観察がおろそかになりがちである」
 まず、野外でたくさんの写真を撮影したら、次に、何か一つ対象を決めてそれをくわしく記載する。この第二段階目では、自分がもっとも興味を感じる対象を一つ定めることが重要である。蝶でなくてもよい。植物、動物、岩石、雲、人間・・・などの中から一つをえらびだす。くわしく記載するといっても、すべてについてくわしく記載することは不可能であるし、またその必要はない。記載の方法は、絵でもよいし言語をつかってもよい。
 写真を撮影してから後のこの第二段階目の詳細な記載があってこそ、田淵氏のように自然をふかく味わうことが可能になる。この段階がない人は、写真をたくさん撮影しているだけで、意識のあさい人間になってしまう。

(2005年5月)
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2005年9月30日発行
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