3D「水木しげるの妖怪 百鬼夜行」展 ~お化けたちはこうして生まれた〜

日本

目だけで世界をしることはできません。目にはみえないものがいます。感覚をとりもどします。

水木しげる生誕100周年を記念して、「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた〜」が東京シティビューで開催されています(注)。水木しげるの妖怪画や水木が所蔵していた資料などをとおして、妖怪たちがどのようにえがかれてきたか紐ときます。

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すねこすり
すねこすり
雨の降る夜など、狭い道をあわてて走っていると、犬のようなものが足元にまとわりついて、走るのをさまたげる。足元を見ても犬などいない。気のせいかとまた走りだすと、やはり何者かが足にからみつく(図録)。
児啼爺(こなきじじい)
児啼爺(こなきじじい)
すがたは老人に似ているが、赤んぼうのような泣き声をだす。あるとき、山のなかで赤んぼうのような声をきいた人が、あわれに思って妖怪をだきあげると、にわかに重くなり、離そうとしてもしがみついて離れず、しまいには、その人の命をうばってしまったという(『妖怪なんでも入門』)。
べとべとさん
べとべとさん
まっくらな夜道を歩いていると、ふっとだれかがつけてくるような気がして、耳をすますとたしかに足音がする。これは、べとべとさんがついてきたのだ。「べとべとさん、先へおこし」といって道ばたによけてあげると、このべとべとさんは、はずかしがりやなのか消えてしまう(『妖怪なんでも入門』)。
泥田坊(どろたぼう)
泥田坊(どろたぼう)
むかし、どろたぼうは、夜になると、田んぼのなかから出てきて、「田んぼを返せ! 田んぼを返せ!」と、どなった。なまけものの子どものために、じぶんの残した田んぼを売られてしまった人がどろたぼうになって、うらみといかりをこめて、夜じゅうさけびつづけたのだという(『妖怪なんでも入門』)。
化け草履(ばけぞうり)
化け草履(ばけぞうり)
昔、履物を粗末にする家で、毎晩のように「カラリン、コロリン、カンコロリン、まなぐ三つに歯二ん枚」という変な声が聞こえた。ある晩、声の主の正体は草履の化け物だったことが分かり、やがて履物を捨てておく物置へ入って消えてしまったという(図録)。
ぬらりひょん
ぬらりひょん
ぬらりくらりとしてつかみ所のない妖怪とされる。その姿は「画図百鬼夜行」の「ぬらりひょん」を踏襲している。水木しげるの著書での解説は、藤沢衛彦の「妖怪画談全集」日本篇上にある【まだ宵の口の灯影にぬらりひょんと訪問する怪物の親玉】なる一文をもとにしている(図録)。
塗壁(ぬりかべ)
塗壁(ぬりかべ)
夜道を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けなくなってしまう。棒で下をはらうと消えるが、上の方をはらってもどうにもならない(図録)。

真っ暗な夜道をあるいていると、なんとなく気持ちがわるいので急ぎ足になります。そうなると、足がもつれたようになっておもうようにすすめず、恐怖心が倍増します。そんなときに足にまつわりついているのが「すねこすり」という妖怪です。目にはみえなくてもなんとなく感じられます。

また空き家なんかにいくと、蚊帳のくさったようなものがあって、ほこりだらけでカビがはえていて、みているだけで気味がわるいのに、それが首にまきついたりするとさらに気味わるいです。そこでは、「しろうねり」という妖怪が化けてでます。

あるいはふるい家で、「ひとだま」や「鬼火」をみて子供たちはおおさわぎします。妖怪をすまわせる雰囲気があって、人間が感じた恐怖があらわれます。

ところが都会では、コンクリートとか電車とか水洗便所とか、科学技術の粋をつくしたところには妖怪はでません。きっと公害をおそれているのでしょう。

しかし都会人でも、登山やキャンプなどにいく人は山や谷や川で原因不明なことをよく感じます。山とか川とか海にはやっぱり妖怪がいるのではないか?たべられやしないか?異次元世界へつれていかれやしないか?無意識の恐怖におそわれます。

あるいは金もうけをしている人は、「金霊(かなだま)」にとりつかれるともうかりすぎて笑いがとまらなくなりますが、やがて金霊がはなれるともとの貧乏にかえります。金霊が貧乏神にいれかわります。おそろしいことです。

目にはみえないけれども何かがいる。目にみえる世界だけが世界ではない。本当の世界は目だけでしることはできない。そう感じる人々が世界各地に今でもいます。水木しげるは、そのような何かいるという感じ(感覚)を生涯をかけて形にしました。

たとえば買い物にでた夜道で「べとべとさん」にであいました。

『のんのんばあとオレ』(筑摩書房)
カラン、コロン、カラン、コロンと、わざと音を立てて歩いた。すると、もう一組おなじ音が聞こえるではないか。

べとべとさん

戦場では、銃撃にあい水木だけが生きのこって夜のジャングルを逃走していてみえない壁がなぜか前方にできました。戦後、柳田國男の本をよんで「塗壁」の記述を発見して「これだ!」と膝をうちました。「昔の人もおなじ体験をしていたんだ」とおもいました。

『妖怪になりたい』(河出書房新社)
おかしいと思って手でさわってみると、コールタールの固まりかけたようなものが右にも左にも上にも下にもあって動きがとれない。しばらく休んで手を出してみるとなにもなかった。

塗壁

目にはみえないけれどもたしかに存在するものとして音楽の例があります。

『怪』第零号(角川書店)
もともと音楽は “目に見えないもの” を表現したり、なにかを呼ぶためなんだな。北米のホピ族もマレーシアのセノイ族もやっぱり音で霊を呼んでいた。

水木しげるは、幼少期をすごした鳥取県・境港で「のんのんばあ」からきかされた妖怪話に夢中になり、その後、「べとべとさん」に遭遇したり、ジャングルで「塗壁」にであったりして妖怪の存在を確信し、戦後、紙芝居作家から貸本漫画家をへて少年誌へデビューし、代表作『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめ、およそ1000点ちかくの妖怪をえがきだしました。

目にはみえませんが、奇妙だと感じる気持ち、そう感じさせる雰囲気、なんらかの気配が感じられることがときどきあります。感度のたかい人にはわかります。

気持ち、雰囲気、気配。東洋では「気」をおしえています。気はながれていて、環境と人間、客観と主観をつなぎます。ながれるだけでなく蓄積もします。空間に均一に分布しているわけではないので、世界に濃淡がうまれます。人間は、気のつよいところには祠や神社・仏閣を古来まつってきました。

どこかにでかけて、とてもよい気分になることがある一方で、なんだかここは居心地がわるい、違和感がある、陰気くさいと感じることもあります。もしかしたらわるい妖怪がいるのかもしれません。人間に、善人と悪人がいるように、気にも、よい気とわるい気があります。

気とは、現代的にとらえなおせば情報といってもよいかもしれません。情報は、たとえば電磁波にのって自由に移動し、ストレージがあれば蓄積します。このようにかんがえると感じるとは(感覚とは)、環境から人間へ情報をインプットすることであり、感度のたかい人とはインプット能力のたかい人のことだとわかります。

水木しげるは、感覚をとりもどせと現代文明人におしえていました。

▼ 注
水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた〜
会場:東京シティビュー(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52F)
会期:2022年7月8日〜9月4日
特設サイト
※ 会場内の一部で撮影が許可されています。

※ 巡回展
会場:佐川美術館
会期:2022年09月16日~11月27日

▼ 参考文献
水木プロダクション監修、NHKプロモーション・冨岡幸雄・宮本周造編集『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた〜』(図録)、NHKプロモーション発行、2022年
水木しげる著『完全復刻版 妖怪なんでも入門』小学館、2022年(1974年版の復刻)

▼ 関連サイト
水木プロダクション げげげ通信
水木しげる記念館
鬼太郎茶屋

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