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これからの森林保全活動をもとめて【増補版】
ネパール・ナルチャン村

> ネパール・ナルチャン村付近
(後方はニルギリ山)

目 次
はじめに
要 旨
1.アウロ村
2.ティコット村
3.キバン村
4.パウダル村
5.ナルチャン村
6.考 察
(1)森林がよみがえった
(2)地域に特有な自然環境が生じている
(3)「集落=耕作地=森林系」から「人間社会=文化=自然環境系」へ
(4)地域のポテンシャルを開発する
(5)ナルチャン村の持続的な発展をめざす

はじめに

 2004年の12月から2005年1月にかけて、(特定非営利活動法人)ヒマラヤ保全協会は森林保全事業に関するネパール現地調査をおこなった。
 今回の調査の課題は、既存のプロジェクト地域において森林の再生状況を確認して支援終了の道筋をつけるとともに、あらたに造林をおこなう新規プロジェクト地域を開拓することであった。
 調査チームのメンバーは、ヒマラヤ保全協会会長・日本大学生物資源科学部教授の水野正己さん、ネパール・ヒマラヤ保全協会会長のマハビール=プンさん、日本大学生物資源科学部教授の林幸博さん、ヒマラヤ保全協会会員・青年海外協力隊OBの高橋康夫さん、それに私の5人であり、私たちは、農学・林学・地球科学の専門的な見地をとりいれながらフィールドワークをおこなった。以下にその概要を報告する。
 今回の調査をすすめるにあたっては、(社)国際農林業協力協会、ネパールの現地の人々、現地事務所のスタッフ、ヒマラヤ保全協会会員の皆さんにご支援ご協力をいただいた。ここに記してこれらの方々に感謝の意を表する。

要 旨

 私たち調査チームは、2004年12月22日に、ネパール西部の都市ポカラを出発し、アウロ村、ティコット村、キバン村、パウダル村、ナルチャン村を順次おとずれ、住民集会・聞き取り調査・野外観察をくりかえした。これらの村々のうち、アウロ村・ティコット村・キバン村は既存のプロジェクト地域であり、ナルチャン村は新規プロジェクト候補地域であった。
 調査の結果、アウロ村・ティコット村・キバン村・パウダル村では、耕作地の周囲にゆたかな森林が再生されていることが検証された。アウロ村とティコット村とキバン村では、3年後をめどに苗畑支援を終了し、苗畑を村へ移管できることを確認した。植林されていたおもな樹種はネパールハンノキとアメリカ松であったが、今後これらの村では、飼料木の植林や換金作物の栽培に重点をうつしていくことになる。
 一方、ナルチャン村では、近年森林が後退してきており、あらたな植林が必要なことがあきらかになった。新規にプロジェクトを開始するにあたっては、既存のプロジェクト地域でえられた教訓をふまえながら、地域の自然環境の特性をいかし、将来の造林事業につながるような目標設定をしなければならない。

1.アウロ村

 2004年12月22日。私たちは、ネパール西部の都市ポカラを出発し、ベニ、ガレスワールをへてバイスリへいたる。ガレスワールからバイスリまでは、今までは歩かねばならなかったが、最近ジープが通れる道路ができた。開発の波は確実にヒマラヤの奥地へとすすんでいる。
 ここからカリガンダキ川をわたり、アウロ村へむかって谷間の北側斜面(山の南面斜面)をのぼっていく。マハビールさんと高橋さんはGPS(グローバル・ポジショニング・システム)による観測をはじめる。この地域でGPSをつかうのは今回がはじめてであり、これにより正確な地図をつくることができる。
 しばらく歩いて行くと、黒牛が木の葉を食べている。
「これはシンドゥレ、あれはカニューンです」
マハビールさんがおしえてくれる。シンドゥレは薪になり、カニューンは牛の飼料になるという。
 谷間をさらにのぼっていき、バイスリから約3時間後、標高約1500メートル、水田テラスが見えてくる。水田があるのはこのあたりの標高までである。その上に集落が見える。アウロ村である。高低差約1000メートルの切り立った岩崖を背景にし、比較的傾斜がゆるやかなせまい部分に家々がひしめきあっている。
 苗畑管理人のチャンドラ=バハドゥール=プンさんらが私たちを出むかえてくれる。アウロ村では彼の家にとめてもらうことにする。チャンドラさんによると、この村の人口は約600人であるが、出稼ぎに出ている人が80〜90人もいるという。

***

 12月23日。朝は1杯のミルクティーからはじまる。ティーをのんでから、私たちはちかくの耕作地を見に行く。ジャガイモやサツマイモやカラシ菜などの畑がひろがっている。耕作地は集落のすぐ周囲にまとまって存在する。
 アウロで栽培されている作物としては、ほかに、稲(水稲)・小麦・カリフラワー・ニンジン・ダイコン・タマネギ・カボチャ・タロイモ・サトウキビ・ショウガ・ニンニク・唐辛子・ターメリック・トウモロコシ・ソバ・大豆・各種豆類(インゲン豆・エンドウ豆など)・シコクビエ・ポンカン・ライム・バナナ・パパイヤなどがあるという。トウモロコシとソバは、ディロ(粉を湯でねったもの)あるいはダル(スープ)やロッティ(パン)にして食べる。
 なお、ハンティングは禁止されているそうだ。
 午後、私たち調査チームは村人とともに集会をひらく。参加者は、村委員会・森林委員会・苗畑委員会・母親委員会などの人々およそ20人である。私たち調査チームから村人に対し、ヒマラヤ保全協会が支援している苗畑の移管計画について説明したうえで、村人たちに自由にかたってもらう。
 村人の話をまとめると次のようになる。

***

 アウロ村で今までおこなわれた森林再生プロジェクトは、1979〜1982年のイギリス(ルムレ)プロジェクト、1984〜1986年のアメリカ(RCUP)プロジェクト、1988〜1992年のイギリス(ルムレ)プロジェクト、1994年〜現在のヒマラヤ保全協会(IHC)プロジェクトです。
 これらのプロジェクトによって、共有地の75パーセントの植林はおわりました。共有地は現在47.8ヘクタールあります。森林が再生される前は薪の入手は非常に困難でしたが、今ではとても楽になりました。苗畑をつくった効果はとても大きいです。
 以前は薪と材木の利用が主でしたが、今では、牛と水牛の飼料木の利用が主になっているため、飼料木の植林もすすめるようにしています。イギリス(ルムレ)プロジェクトでは松をおもに植えましたが、私たちは飼料木も必要としています。すでに生えている松と松の間には飼料木を植えたいです。
 ただし、共有地および私有地の追加植林では、特に私有地の植林をのぞんでいる人が多いです。私有地の植林をすすめることで、共有林を保護することも可能になります。
 また、材木をあつめる問題は今でもあるので、いくらかのこっている共有地および私有地の空き地には、ウッティス(ネパールハンノキ)などの材木用の木をヒマラヤ保全協会の支援で植えたいです。
 一方で、苗畑は、種や苗木を販売することで収入を生みだしています。過去6ヶ月で1059ルピーの収入がありました。苗畑の運営のためには換金作物を栽培することが必要であるため、現在、果樹と野菜の種をそだてています。ハーブ(カルダモン)と野菜などはすでに植えています。
 苗や種は、飼料木は1ルピー、 柑橘類は5ルピーで販売していますが、高すぎると売れないので、野菜については適正価格にしなければならないとおもいます。
 長期的にみれば、苗畑も植林地域も縮小していき、それらを個人契約でおこなうことになるでしょう。私たちは、村の基金によって苗畑を支援していくことが可能です。アウロ村には、苗畑基金・共有林基金・ユースグループ基金・マザーグループ基金があます。共有地と私有地にあとどれだけ植林すればよいか(種と苗木の数)を見積もって計画をたてなければならないでしょう。
 また、カリガンダキ川の向こう側では植林がおこなわれていないので、今後どうするか検討の余地があります。

***

 私たち調査チームは、共有地および私有地の追加植林の具体的な計画をつくるように村人たちに要請する。
 集会終了後におこなった聞き取り調査によると、燃料となる薪をとりにいくのに、30年前は約3時間、20年前は約4時間かかっていたのが、今では、ちかくに森ができたので2時間弱しかかからなくなったとのことである。アウロ村としては、今後は換金作物の栽培などに重点をうつしていきたいそうだ。アウロは、標高が約1500メートルで比較的温暖な気候をもつので、ポンカンやライム(レモン)などいろいろな作物がそだちやすく、さまざまな可能性がある。
 ミーティング終了後、私たちは村の共有林を見に行くことにする。共有林には、ウッティス(ネパールハンノキ)とアメリカ松がたくさん生えている。これまでに植林された樹種はおもにウッティスとアメリカ松である。これらの木々の間には天然更新された幼樹も存在する。
 ほかに、カニュウ(クワ科)・シルム(モクレン科)・チラウネ(ツバキ科)・ラリグラス(シャクナゲ)・バーダレ(クワ科)・竹なども存在する。アルミチョとアライチ(カルダモン)も生えており、これらは換金作物で、その売り上げ収入は森林委員会の基金に入るという。アライチ(カルダモン)はハンノキの下に植える。また、バンマーラとよばれる草は「フォレスト・キラー」ともよばれ、繁殖力が旺盛で、植樹苗を渇死させてしまう問題雑草だという。
 植林地の分布図をかきながら村人に聞いてみると、昔、コド(シコクビエ)やマッカイ(トウモロコシ)の畑だったところの一部は個人の植林地になっていて、10〜12年前にウッティス(ネパールハンノキ)をたくさん植えたそうである。
 少しあるくと千枚岩層の露頭がある。このあたり一帯の地質は千枚岩からなり、地層がすべる(スライディングする)タイプの地滑りは少ないが、崖や斜面が急にくずれる崖崩れ(岩石崩落)がおこりやすい地質構造をもっている。
 同行したクマールさんは言う。
「9〜10年前から積極的に植林をしたおかげで、山に保水力ができたので、むかしは沢に大水がありましたが、今はなくなりました」
 森林は、洪水や斜面崩壊を防止し、自然災害を軽減する効果ももっている。
 あたり全体をみわたすと、集落の周囲に耕作地が存在し、それをとりかこむように森林が再生されている。集落・耕作地・森林がほぼ理想的な形で分布するようになった。村人は、共有植林内の木から薪を採集しているが、その際には枝打ちしたものと枯れ木のみを利用することにしているという。

***

 12月24日。今日は、村の西部の共有林を見に行くことにする。
 すこし歩いて行くと大規模な斜面崩壊の跡地がある。約50年前に崩壊がおこったという。チョータラとよばれる休憩所には菩提樹やネパール桜が生えている。さらに行くと、クトミロ・チュレトロ・ビムセンパティ・シモル・ニマロなどが生えている。シルムは材木になる。サジオンはオイルになり、これは、イギリス・プロジェクトでとりあげた。マッカイ(トウモロコシ)とコド(シコクビエ)の畑がある。先にマッカイ(トウモロコシ)をうえ、後でコド(シコクビエ)をうえるリレークロップである。ラヨ(青野菜の一種)の畑もあり、スクリンプラーで水をやっている。
 1時間ほどあるいてナンバー1共有林につく。アウロ村の共有林は、ナンバー1からナンバー4までの4ヶ所があり、それらの合計面積は31.14ヘクタールである。ナンバー1エリアは7.92ヘクタールある。その西側は、カリガンダキ川がヒマラヤ山脈を南北に大きくきざんで巨大な谷を形成している。
 4年前に植えた松がそだっている。6ヶ月前にも松を植えたが、かれてしまった松もある。このあたりは土層がうすいため崖崩れがおこりやすく、斜面が南東向きにくずれている。12〜13年前から少しずつくずれていて、上の方は2年前に急にくずれたという。
 ナンバー1エリアをあとにして、今度は下の道を通って集落までひきかえす。途中、家具職人の家がある。材木には松をつかっている。そばにはロッテ(赤い葉をもつ木)が生えている。農家のおばさんがパパル(ソバ)をほしている。ロッティ(パン)をつくって食べるという。ケタキ(ヒガンバナ科)が生えている。この木は繊維質であり、昔はロープをつくるためにつかっていたが、今はつかわない。巨大なアロエのような植物があり、日当たりのよいところは亜熱帯的な景観となっている。しかし、ときには巨大な雹がふることもあるという。
 集落までもどってきて、今度は苗畑を見る。現在は、アメリカ松・カニュウ・ネパール桜・モウサム・シルム・ミツマタ・ハーブ・スンタラ(ポンカン)・キャベツ・コーヒー・ダルチニ・ネギ・レモングラスなどを栽培している。そばには、ルークゴルベラ(木トマト)が実をつけている。スンタラ(ポンカン)の苗木は5ルピー/本で売れる。
 1996年〜2004年の間に出荷された苗数の合計は23,327本であり、2001年からは生産苗数は減少傾向にある。現在は、森林再生から換金作物の栽培に重点がうつりつつある。村の現金収入をいかに増やすかが大きな課題になっている。
 苗畑管理人のチャンドラさんはかたる。
「2人の娘はベニとカトマンドゥにすんでいます。2人の息子はインドとベルギーにすんでいます。今では、年寄りばかりが村にのこりました」

 若者が村をでていってしまうのは深刻な問題である。年寄りばかりになると耕作地は放棄され、山はくずれていく。木を植えるだけでなく、過疎高齢化の問題を解決しなければ村に未来はない。村落の活性化をどうすすめていくか。換金作物の栽培を促進することは、村の現金収入をふやすことになり、村の活性化に役立ち、結果的に森林保全にもむすびつくだろう。
 午後、私たちは再会の約束をして、チャンドラさんたちにわかれをつげ、アウロ村をあとにする。
 急斜面をしばらくぼっていくと、村はずれに鍛冶屋の小屋がある。はたらいている人に聞いてみたらビルガンジ(ネパール南部の都市)出身だそうだ。朝ここへきて、夕方家へかえるという。
 さらにのぼっていくと巨大な崖がせまってくる。そこには大規模な崖崩れ(岩石崩落)がおこった場所がある。崩壊地と集落の間には今では森林が再生されており、この森林が落石による被害をくいとめている。森林は防災の役割を果たしている。一部には落石防止用のフェンスもつくられ集落をまもるために万全を期している。
 私たちは、崖をまくように急斜面を一気にのぼっていき、夕刻、ティコット村に到着する。アンナプルナ山群が夕日にもえている。ふりかえるとうつくしい夕焼けがひろがっている。

2.ティコット村

 12月25日。ティコット村は、標高約2500メートル、比較的傾斜がゆるやかな山の北面斜面に発達した村である。ネパールの山岳地帯は、アウロ地域のような南面斜面は急傾斜であるが、ここのような北面斜面は緩傾斜になる傾向がある。集落の周囲には階段状耕地が発達している。稲作限界の標高1800メートルをこえているため水田は見られず、すべて畑地である。
 今日は朝から村の植林地を見にでかける。途中のチョータラ(休憩所)にはオカラが植えてある。オカラは材木にもなり果樹でもある。チトロも生えている。果樹である。
 30分ほど歩くと植林地につく。植林地は耕地の上部に存在する。19年前に植えたアメリカ松がゆたかな森林をつくり、尾根までひろがっている。今は集落のちかくで薪がとれるようになったので、村人はここまではこなくなったという。尾根の先にある崖の上から見下ろすとアウロ村が見える。カリガンダキ川対岸にはラク村とベガ村が見える。
 ティコット村の共有植林地の面積の総計は9.25ヘクタールである。植林された樹種は主としてアメリカ松であるが、ローカル松やネパールハンノキも存在する。ローカル松からは松脂がでているが、採取・販売はおこなわれていない。なお、ティコット村の苗畑で育成されている育種は、ウッティス・アメリカ松・ミツマタ・デュディロ・ファラント・木トマト・シルモ・チャンプ・ネパール桜・茶などだそうである。
 森のはずれには、カールスやグエロが生えている。飼料になるという。グエロは果樹でもある。
 耕作地までおりてくると、落ち葉を焼いて野積みにした肥料があちこちにある。また、落ち葉と家畜の糞をまぜつくった堆肥をバリ(籠)に入れてはこぶ女性たちの姿が見える。堆肥をはこぶのは女性たちの仕事のようだ。
 畑で栽培されている作物は、トウモロコシ・シコクビエ・ジャガイモ・ソバ・ダイコン・大麦・小麦・カラス麦・大豆・エンドウ豆・リンゴ・ニンジン・キャベツ・カリフラワー・ニンニク・サトウキビ・カボチャ・トマト・桃・カラシ菜・木イチゴ・アマランサスなどだそうである。
 短時間の滞在ではあったが、ヒマラヤ保全協会のここ10年間のとりくみが成果をあげたことを検証することができた。
 午後、私たちは、ルワン(クローブ)がはいったスパイスティーをいただき、ティコット村を出発する。
 その後、ガラムディ村をへて、夕刻、キバン村(標高2050メートル)に到着する。苗畑管理人のダム=バハドゥール=プンさんらが出むかえてくれる。

3.キバン村

 12月26日。今日は、まず小学校を見に行く。キバン村の小学校は7年生までまでおしえており、生徒たちはそのあとの8年生からはとなりのガーラ村などの学校へ行く。校舎は、ヒマラヤ保全協会の支援により最近たてかえられた。材木には桜と松をつかっている。桜は松よりも丈夫ですぐれている。
 学校のすぐそばには苗畑がある。キバン村では、イギリスのプロジェクトにより1976年に苗畑を最初につくり、1994年から、ヒマラヤ保全協会はそれをひきつぎ支援している。今の苗畑は5年前にあたらしく つくった。
 ここの苗畑では、アメリカ松・デュピサラ・ロントサラ・ニマラ・ドゥディロ・ティムル・ファラント・パイヨン(ネパール桜)・カニュウ・チラウネ・アライチ(カルダモン)・トゥニ・シルム・茶・ルークゴルベラ(木トマト)・バカイノ・アルゲリ(ミツマタ)などをそだてている。ティムルはスパイス・薬になる。トゥニは材木である。バカイン・ドゥディロ・チュレトロは飼料木である。アルゲリ(ミツマタ)は3年前からあらたにとりくんでいる。冬になっても葉はおちず、日本のミツマタとは種類がちがう。
 その後、ゆるやかな斜面をゆっくりのぼっていく。キバン村は、北向きのゆるやかな斜面の中腹に発達した村である。集落の周囲には階段状耕作地がひろがり、その耕作地の上方には広大な森林がひろがっている。
 私たちは森林の中に入りこむ。共有植林地は標高2345メートルから上の地域である。このあたりでは、約25年前には、木をきりつくしてしまい森はなくなってしまったが、そのご熱心に植林にとりくんだので今では森林は再生されたという。おもな植樹の樹種は、ウッティス(ネパールハンノキ)とアメリカ松である。あたらしいこころみとして植えたミツマタもそだっている。ミツマタは、高木の下の日当たりが悪いところの方がそだちがよいそうだ。
 共有植林地の上方には自然林(原植生)がのこっており、かなりよく保護されている。飼料や堆肥のために落ち葉を収集したりすることもないとう。自然林の中には、ボラハカットラ(森の神)をまつった寺院であるバラコテンプル(寺院)がある。そばには小さな洞穴があり、水がわきだしている。キバン村では、かつては、乾季に湧き水が枯渇することがあったが、今では森林が回復したので水源が1年中確保できるようになり、水にこまることはなくなったという。
 私たちは自然林をあとにして、別の共有植林地を見ながら山をおりていく。共有林は、植林をはじめてからすでに16〜17年がたち、ゆたかな森林となっている。昔は集落から3時間かけて木を切りに来ていたが、今ではちかくで飼料や薪がとれるようになった。
 ところが、歩いていると、放棄された私有の耕作地がところどころにあることがわかる。放棄された畑は、土壌浸食により次第にくずれていく。オーナーは今いないため勝手に木をうえることはできないそうだ。オーナーの中には、となりのシーカ村にいってレストランを経営している人もいるという。オーナーの許可をえて植林をすすめた方がよいだろう。放棄された耕作地を見て、耕作地の階段状構造が斜面の崩壊を防止していることにあらためて気づかされた。
 トウロホラットやグムスが生えている。飼料木である。トウロホラットには実がつくという。以前階段状耕地だったところに規則正しく植えられたウッティスはとてもきれいな森をつくっている。
 森林をぬけると耕作地がひろがってくる。ガフン(小麦)の緑の畑地を通りぬけて、私たちは集落までもどる。
 午後、私たちは村人とともに集会をひらく。キバン村委員会・森林委員会・母親委員会などの人々(男性18人、女性6人)があつまる。私たち調査チームから、苗畑移管計画・基金利息運用について説明し、村人に自由にかたってもらう。村人の話をまとめると次のようになる。

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 苗生産・供給事業はそこそこうまく運営されています。キバン村の苗畑には、周辺のシーカ村・ガーラ村などからも苗を買いにきます。ここの苗畑はキバンだけのものではなく、周辺の村々のものでもあり、まわりの地域の植林にも役立っています。
 今まで私たちは、アメリカ松とネパールハンノキそれに飼料木を植えてきました。これらは村の比較的低いエリアに植えています。ネパールハンノキおよびアメリカ松の植林は十分おこなわれ、今では広大な森林が再生されました。ここ2年間は飼料木を中心に植えています。飼料木としては、カニュウ・ニマラ・バジョ・ドゥディロ・グムス・カルス・ファラトなどが成功しています。飼料木は、今後とも空き地にもっと植えていきたいです。なお、私有地についてはわからないことが多いので、誰が植えたいのかよくしらべなければなりません。
 また、ここ2〜3年、現金収入を得ることを念頭において、ミツマタをたくさん植えました。しかしマーケットを見つけることはできていません。ミツマタは増えてきましたが市況がどうなるかが心配です。
 収入向上のためには果樹栽培もやりたいです。現金収入を得て苗畑を運営するための手段としてリンゴをかんがえていますが、まだ生産に成功していません。かつてリンゴの苗木を植えましたが数年で枯死してしまいました。ヒマラヤ保全協会には、土壌が果樹に合うかどうかをしらべる調査をおねがいしたいです。リンゴ以外にも適正な植林樹種があれば検討したいです。
 ヒマラヤ保全協会は、森林事業のみならず学校やその他、本当に長い間よく支援をしてくれました。これまでの協力にはとても感謝しています。
 あと2〜3年間、ヒマラヤ保全協会が苗畑を支援し、その後苗畑を完全移譲し、ほかのあたらしい村に苗畑をつくるというのはよい案だとおもいます。ほかの村が苗畑を希望していることはよく理解できます。2〜3年後に支援がおわっても、すぐに苗畑の活動がなくなるとはありません。経費の中心は苗畑管理人の給与であり、その他の支出はたいした額ではありません。
 ナルチャン村の人々は「キバンはたくさん森ができた」と言っていました。ナルチャン村が支援を必要としていることはよく知っています。ナルチャンを是非支援してほしいです。

***

 キバン村でも、森林は再生されたので、植林樹種を果樹などの換金作物にきりかえる段階にきたと言えよう。同行した日本大学の林先生によると、換金作物としてスンタラ(ポンカン)と梅の栽培が有望ではないかということである。ただし梅の場合は、収穫後の処理加工が問題となる。

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 12月27日、朝7時。気温マイナス4℃。
 私たちは、30〜40年前に、植物学者・中尾佐助氏と文化人類学者・佐々木高明氏が撮影したシーカ谷の写真をもっていたので、今日は ちかくのシーカ村まで行って、古い写真と現在の状況とを比較することにより、森林の回復状況を検証しようとおもう。
 シーカ村へむって歩いていくと、パラニコマンディール(寺院)があり、このあたりからシーカ村がはじまる。村は上方へむかって発展している。
 私たちは、中尾佐助氏・佐々木高明氏が撮影した地点を発見し、そこから写真をとる。28ミリレンズでのぞきこむと、彼らの写真とぴったりおなじ構図になる。昔の写真(写真5)を見ると、シーカ谷にはほとんど木が生えていなかったが、今ではゆたかな森林が斜面をおおっている(写真6)。ただし、シーカ谷の向こう側(カリガンダキ川の西側)では森林が後退していることがわかった。


写真5 30〜40年前のシーカ谷
(出典:中尾佐助・佐々木高明著『照葉樹林文化と日本』くもん出版、1992年)

写真6 現在のシーカ谷

 それにしてもシーカ谷は大きくてうつくしい谷である。集落のまわりに耕作地が、そのまわりに森林がひろがり、集落・耕作地・森林がセットになって独特な世界をかもしだしている。集落と自然環境との相互作用により農業がいとなまれていることがよくわかる。ここは「ひとつの世界」であり、ひとまとまりの空間になっている。ヒマラヤ保全協会は、この地域で長年、山岳エコロジースクールを開催してきた。シーカ谷は、エコツーリズムの拠点としても今後発展する可能性があるだろう。
 午後、私たちはキバン村の人々にわかれをつげ、すぐ下にあるガーラ村までくる。あちこちに水田が見える。ここは標高1700メートル、この村から下では米がとれるのである。
 地層の走向は北30度西であり、この方向は谷底のガーラ川のながれる方向とおなじである。地層の傾斜は20度北東落ちであり、山の北面斜面は緩傾斜になっていることと調和的である。私たちが見ている地形は地質構造を反映したものである。
 さらにくだって谷底までおり、ガーラ川をわたって、今度は対岸の斜面を一気にのぼっていく。2時間ほどのぼり、パウダル村に到着する。タク=バハドゥール=プン先生らが出むかえてくれる。

4.パウダル村

 12月28日。パウダル村は、ヒマラヤ保全協会の支援により、西ネパールではじめてチーズの製造販売に成功した村である。この村でつくられたチーズはトレッキングルート上にあるロッジに販売される。以前問題になっていたチーズ貯蔵庫は改修されていた。現在、109個のチーズ(ロール)がストックされている。チーズ貯蔵庫は見晴らしのよい場所にたてられていて、カリガンダキ川の向こう側には、ドバ村とその北にブルン村が見え、その背後にはダウラギリ山群が堂々とかまえている。
 その後、ビンバードル=プン先生の案内で森林を見にいく。パウダル村は、南向きの急斜面に発達した村であり、集落のまわりには階段耕地があり、その上方から頂上部にかけて森林が発達している。
 途中、ツリートマト・イスクースク・カレラがなっているのが見られる。カレラはタルカリ(野菜)の一種であるという。
 共有林は8年前から植林した。おもにアメリカ松とウッティス(ネパールハンノキ)が植えられたが、グムス・バジョ・マヤも生えている。バジョにはとても大きくそだったものもある。学校の森林もあり、植林をはじめてから6〜7年たっているという。
 少しくだるとクォーツァイト(石英でできた岩石)の露頭がある。このあたりの地層はおもに千枚岩で構成されるが、ところどころにクォーツァイトが挟在されている。この岩石は、海底に堆積した砂がかたまってできたものである。地層の走向は北20度西, 傾斜は45度北東落ちであり、地質構造は対岸のガーラ地域とほぼ同じである。谷をはさんで山の北面斜面は緩斜面になり、南面斜面は急斜面になるのはこの地質構造を反映しているからである。
 さらにすすんでいくと、松・コッパ・カニュウ・ニマロなどが生えている。ローカル松からは松脂がでるが、利用されていない。コッパは飼料になるという。
 バナナも生えている。真冬だというのに、ここは日当たりが大変よく、日中は暑いくらいである。
 集落のはずれまでもどってくると苗畑がある。苗畑は最近、アンナプルナ保全プロジェクト(ACAP)から村へ移管された。かつてはアンナプルナ保全プロジェクトが苗畑を管理しており、専任の苗畑管理人が派遣されていたが、現在は村が管理している。現在の苗畑管理人は村人(農家)の人がパートタイムであたっており、村は、管理人にいくらかの援助をしている。ただしACAPからも、苗木1本2ルピーなどというように、わずかの援助があるという。苗木としてはアメリカ松が多いが、ニマロ・カニュウ・グムス・ファラント・ネパール桜もある。
 村にかえってきて、私たちは、チーズ事業委員会のミーティングをひらく。委員の話をまとめると次のようになる。

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 現在、チーズはゴレパニに大部分うっています。タトパニは少なくなりました。タトパニのロッジは11〜12月に、私たちパウダルの在庫がたりなかったため、ポカラから買ってしまいました。今では、タトパニのロッジの多くはポカラからチーズを買っています。今、ベニからタトパニまで道路を建設しており、道路がきたらすべてポカラから買ってしまうのではないかと心配です。ゴレパニのロッジも60%はポカラなどから買っています。
 会計はマニ=ラムさんがあらたにやっていますが、マネージメント全体はチーズ技術者がやっています。チーズをロッジまで運ぶのは相変わらず大変です。昨年まで無料だった輸送費が今年から有料になりました。ラバ5ルピー/kg、人夫300ルピー/日/30〜40kgです。現在チーズは280ルピー/kgで販売しています。ポカラのチーズの価格がいくらなのかは、店の人たちはおしえてくれません。価格交渉を有利にすすめるためです。
 チーズ貯蔵庫は改修したおかげで室温が20〜22℃にたもたれるようになり、チーズはくさらなくなりました。チーズ事業は順調に経営されていますが、チーズの素と乳酸菌が手に入らなくなったので、こんど日本から来るときにもってきてほしいです。

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 パウダル村では、森林再生事業はほぼおわり、現在は自然環境を保全しつつ、地域資源を活用した村落活性化に重点がうつっている。パウダル村は、村おこしの事例としても非常に参考になる村であるといえよう。

5.ナルチャン村

 午後、私たちはパウダル村をあとにし、ナルチャン村ヘむかう。
 1時間ほど歩くと、眼下にカリガンダキ川が見えてくる。北の下方へ目をやると集落がみえる。ナルチャン村である。それは、ニルギリ山を背景にした、何段もの大きな段丘からなる河岸段丘の上に発達した村である。ここからは村の全体像がよく見える。道を歩きながら次第に高度をさげていき、村の中へと入っていく。全体を見て、部分に入るという行動だ。高度差の大きいヒマラヤでこそできる体験である。
 村の中まで入ってくると、とてもあたたかく感じる。ぬくもりのある世界だ。標高は1400メートル、気温は18度C。ヤギと牛がたくさんいる。スンタラ(ポンカン)がたくさんなっている。水稲栽培もおこなわれている。右手には大きな滝がある。
 音楽隊が村はずれまで出むかえにきてくれた。そして村をあげての歓迎である。ヒマラヤ保全協会はこの村ではまだプロジェクトをおこなったことはなく、私たちがナルチャン村へきたのは今回がはじめてである。ドゥカさん(森林委員長)、ディルドース=ガルブザさん(No.1チェアマン)、マンバハドゥール=プルザさん(No.4チェアマン)、スクナラヤン=ガルブザさん(森林委員長)、ビムレグミ先生、スリヤマ=ガルブザさん(母親グループ)、バイマティ=ティリザさん(母親グループ)、ラジドラ=ポーデル先生、プルマヤ=パイザさん(母親グループ)、パッタタバリさん(No.4チェアマン)らと次々に挨拶をかわす。

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 12月29日。午前9時15分、私たちはナルチャン上村へと急斜面をのぼっていく。ナルチャン村はおもしろい村で、下村と上村の2ヶ所に集落がわかれている。
 少し歩いてみると、一本杉があるだけであたりには森林はない。今までに植林を7回トライしたが、水がないために枯れてしまったという。カファルという小さい実をつける木がある。実は甘酸っぱく、中にはかたいシ種をもつ。アウシロにも実がある。
 標高が高くなるにつれてあたりの地形の大局がよく見えるようになってくる。あきらかに、山の北面斜面はゆるやかであり、南側斜面は急になっている。これは、このあたりの地層が北傾斜の構造をもっているためである。したがって、山の北面斜面は、斜面と地層の傾斜が並行になる「流れ盤斜面」に、山の南面は、斜面と地層の傾斜が斜交する「受け盤斜面」になる。この地質構造は、プレートテクトニクスでいうインドプレートが、ユーラシアプレートの下に、北側へむかって沈み込んでいるために生じるのである。

 山の北面斜面は緩傾斜であるため土壌が堆積しやすく、北向きで日照時間はみじかいにもかかわらず南面斜面よりも木が定着しやすく、ゆたかな森林をつくることができる。森林ができれば保水効果も高まり、地滑りの防止にもつながる。それに対して、山の南面斜面は急な崖になっている所が多く、崖崩れ(岩石崩落)がおこりやすい。しかし、崖の下部には落下してきた岩石の堆積層(崖錐)ができあがり、長い年月ののちに岩石の土壌化がすすみ、そこには木を植えることができる。ここに森林ができれば、その下の集落を崖崩れからまもることができ、このような森林は防災(保安林)の役割を果たす。そのためには丈夫な木をうえる必要がある。崖錐の上の崖や急斜面には木は植えられないので草を植えるとよい。
 11時45分、私たちはナルチャン上村の学校につく。標高2000m。さっそく住民集会をひらく。村委員会・森林委員・母親委員会(のべ20人、男性9人、女性11人)から話を聞くことができる。村人の話をまとめると次のようになる。

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 上村の人口はおよそ900人です。上ナルチャンだけで約200軒の家、1軒あたり約4.5人の人が住んでいます。気温の変化に応じて、冬は下村、夏は上村というように、上村と下村との間を1/3の人々が移動します。上村の学校には1〜5年生までの68人の生徒がいます。
 上村では、トウモロコシ・シコクビエ・大麦・カラス麦・ジャガイモ、タロイモ・ソバ・大豆・カラシ菜・小麦・大根・ライオ・ニンジン・キャベツ・カリフラワー・サトウキビ・タマネギ・ニンニク・ショウガ・唐辛子・梨・リンゴ・梅・桃などが栽培されています。稲はできません。米は30ルピー/キログラムで買います。
 上村は森林は十分あり こまっていませんが、上村とはちがい下村は、森林資源をとりにくるのに多大な時間がかかります。ただし、牛や水牛が芽をたべてしまうのでフェンスをつくる必要はあります。

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 そのご私たちは耕作地を通りぬけて森林を見に行く。木のうえに木が生えている。ボラヨといいマザーツリーだという。地滑りが昔あったところがあり、そこにはウッティス(ネパールハンノキ)を植えたそうだ。
 共有林を通りぬけると広大な自然林が広がっている。尾根から北面斜面には非常にゆたかな森林が保全されている。ハレオカールという木も生えている。材木になるという。はるかかなたに、パウダル村の霊山であるカエル山が見える。
 私たちは自然林を確認して山をおりる。ラジリは岩の表面をつたわってのびる「ロックツリー」である。梅は落葉樹である。ティムルはアツァール(漬物)にし、アル(ジャガイモ)と一緒にたべる。堆肥は、それまでは牛糞だけをつかっていたが、15年前、イギリス(ルムレ)プロジェクトのときに落ち葉と牛糞をまぜることをおしえられ、それ以来収穫量が増加したという。イギリス(ルムレ)プロジェクトの効果も大きい。
 宿にもどって、シスヌ(イラクサ)の葉のスープをご馳走になる。緑色の濃厚なスープであり、トゲがシャリッとした食感をかもしだす。シスヌ(イラクサ)の葉にはトゲがたくさんあり、さわるとはげしい痛みにみまわれるが、水牛は平気で食べてしまうという。

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 12月30日、私たちは、ナルチャン下村で住民集会をひらく。村委員会・森林委員会、母親グループ、保育園の先生など約50人があつまる。村人の話をまとめると次のようになる。

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 村の気候はとてもよいのですが、森林破壊がすすんでいます。山の上の方には大きい森林がありますが、居住地からあまりにとおいため、往復するのに丸1日かかってしまいます。燃料として薪をつかっている家が多いため、薪の収集がとても大変です。
 農業は、農具は変わっていないのでやり方は変わっていません。タライ(ネパール南部の平原)のようにトラクターをつかうわけにはいきませんので。耕作地は増えていないですが収穫量(単収)は増えました。かつてはひろい面積を耕作していましたが単収は低かったです。今は小面積を集約的に耕作しています。コド(シコクビエ)・トウモロコシ・ジャガイモ・小麦・青野菜・タマネギなどがとれます。ごく少数ながら何人かの人は化学肥料もつかっています。化学肥料(URIA)はタトパニの郡事務所で買うことができます。こまっていること言えば、野生のサルやシカがでて畑をあらすことがあることです。
 近年、スンタラ(ポンカン)の生産が増えました。以前は購入していたのが、今では生産地になっています。ライム・梅もとれます。スンタラ(ポンカン)の病害が出ますが、農薬利用の訓練がなされていません。葉が黄変する病気で、硫酸銅やクイックライムが必要です。
 一方、家畜は減りました。村は、ひろい草地をもっているので、かつては羊の飼養がさかんだったのですが、今では羊は減り、かわって、他の村と同様にヤクの飼養が増えつつあります。
 村の人口は増えました。家も増えました。10年前は180軒、今は230軒になりました。年配者は農業をやりますが、わかい人は湾岸諸国へ出稼ぎに行くか、都市へ出てしまいます。若者は都市をこのみます。
 15年前にガンダキ橋ができて、雨季でもカリガンダキ川をわたれるようになりました。かつては、パウダル村やダナ村をまわるしかなかったです。道は大変よくなりました。
 食事の内容は、それほど変化していませんが、その日につくったものを食べきり、前日ののこりものを食べなくなりました。野菜を多く食べるようにもなりました。ほとんどの家ではまだ従来のかまどをつかっていますが、石油コンロやLPGをつかう家もでてきています。ホースの水道やトイレもでき、住民の生活はかなり改善されてきています。何軒かの家にはテレビも入っています。
 ただ、電気はきているもののまだ不十分です。また学校にコンピュータが1台もないので、是非コンピュータをおきたいです。
 プラスチック製品を多く使うようになったため、廃棄物が増えました。環境問題は大きくなってきています。このため、村内の清掃キャンペーンを母親グループが実施するようになりました。保健衛生や疾病予防の運動もやるようになりました。
 教育も大変よくなりました。昔は、マガール方言のネパール語を話していたため、郡役所の職員に通じないことがありましたが、今では標準語にちかい言葉使いになって、村人のネパール語はとてもよくなりました。
 ナルチャン下村の森林資源は十分ではないので、ヒマラヤ保全協会に是非支援をしてほしいです。できれば10年間おねがいしたいです。ネパールハンノキやアメリカ松のほかに、特に飼料木の植林が必要です。おじいさんの世代が森林を保護してくれたため、現在、多くの森林資源が残されていて、それを伐って利用しているのですから、今度は我々が木を植える番です。
 森林が再生され、カリガンダキ川沿いに建設中の道路がムスタンまでのびれば、ムスタン方面に材木を売って収益をあげることも可能です。
 森からとってきた実生苗は10〜15%しか活着しません。ルムレ農業試験場のプロジェクトがあった時代に、上の村には私営の苗畑がひとつあり、複数の樹種の苗を提供していましたが今はありません。隣村のアンナプルナ保全プロジェクト(ACAP)苗畑から苗の供給をあおぐことは困難です。それほど供給力はありません。土壌水分が不足している場所では、苗木が枯れると再植林しなければならず、たくさんの苗木が必要です。あらたに苗畑をつくれば、いくつかの樹種の苗を提供できるようになります。カリガンダキ川対岸のブルン村でもつかえます。
 もしつくるなら、経費がおさえられ、ハンドオーバーもやりやすい。ガーデン・ナーサリー(庭先苗畑)がよいでしょう。1年間に、およそ10,000-20,000本の木が必要なのではないでしょうか。
 どれだけの植林する面積があるのか、それにはどれくらい苗木が必要か、正確な数値はにわかに計りがたいのでおって回答することにします。
 なお、森林保全経営委員会(Forest Conservation and Management Committee of Narcheng)のメンバーは、13人(男性11人、女性2人)、役員は委員長、副委員長、書記、会計となっています。委員は村総会で任命され、任期は5年間です。委員会は発足して5年になります。役割は、林野資源の利用と管理、食害防止、用材・燃材資源の販売、集落の裏山の植林、枝打ち、財政(3万ルピー)の管理などです。

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 集会終了後、個別に聞き取り調査をおこなったところ、薪をとるためにかかる時間は30年前から次第に長くなっていることがあきらかになった。
 食事をとってから、今度は村の学校を見せてもらうことにする。河岸段丘の断面をみながらおりていく。ナルチャン下村は河岸段丘の上にできた村であり、段丘の断面を見ると川がはこんできた淘汰の悪い砂礫が重なっているのがよくわかる。
 プラバ小中学校につく。学校には8年生までの205人の生徒、7人の先生がいる。ローカーストの子供は24人いる。42年前に設立され、この校舎は2年前にたてかえた。学校の植林地は1ヘクタールもあり、ネパールハンノキや松を村の共有地の一部に移植したら、今までに80%が生存しているという。
 学校をあとにし、集落にもどってくる。村には、衛星テレビを見られる家が何軒かある。12月26日にインド洋で大津波がおこったという話をきいていたのでテレビを見せてもらった。インド放送のニュースによると多数の人が死亡したという。世界のニュースがこんな山奥まで簡単にとどく時代になった。
 そのご宿泊先の家へもどると、奥さんが子供に乳をあたえている。彼女はかつて、ポカラのカレッジで3年間アーツを勉強したという。アーツとは教養学であり、あらゆる科目を全般的にまなんだのだそうだ。ポカラでは姉と一緒にくらしていた。姉は今もポカラでくらし、薬をうる仕事をしている。妹はカレッジ卒業後村にもどり結婚した。今は別の家にすんでいるが、ここ実家にときどきくるのだという。ネパールでは、カレッジまで行ける人は非常に少ない。しかしカレッジを卒業しても、それをいかせる場がほとんどないのが現実である。彼女のような人が活躍できる場をつくりだすにはどうすればよいだろうか。

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 12月31日、朝8時、気温10℃。今日は、英語教師のクリシュナ=ポーデル先生がダルバート(ネパール定食)をご馳走してくれる。ナルチャン村はマガール族の村であるが、ポーデル先生はマガール族ではなく、おしえるために赴任してきているのだそうだ。今は息子と2人でくらしている。私が以前、おなじくマガール族の村であるナンギ村をおとずれたときにお世話になったシャム=ポーデル先生のお兄さんだという。
 午後、村人がたくさんあつまってきてお祭りがひらかれる。音楽隊もやってくる。この村には音楽のカーストの人がいる。村人たちは村の踊りを見せてくれる。たのしい踊りがおわると、私たちは再会を約束してナルチャン村を出発、カリガンダキ川沿いをくだって行く。
 カリガンダキ川はヒマラヤ山脈を南北にきる大地溝帯である。ここは、ヒマラヤ山脈の巨大な自重によりできた「ヒマラヤの割れ目」であり、古くからチベットとネパールをむすぶ重要な交易路であった。
 2005年1月1日。新年をむかえる。ネパールはネパール歴でうごいているためこれといった行事はないが、私たちは祝杯をあげる。

6.考 察

(1)森林がよみがえった

 さて、私たちは今回、アウロ村からティコット村・キバン村・パウダル村とまわり、最後にナルチャン村を訪問した。これらの村のうちアウロ村からパウダル村までの4ヵ村は既存のプロジェクト地域であり、ナルチャン村は新規プロジェクト候補地域であった。
 既存の村では、ヒマラヤ保全協会などの支援により10年以上にわたって植林がつづけられた結果、森林は再生され、苗畑は3年後をめどに支援を終了し、村へ移管できることがあきらかになった。従来の苗畑基金も廃止することができる。これらの地域では、森林が自然環境のもっとも重要な要素となっており、植林活動は、基本的には自然環境を回復させる作業であった。今後は、この自然環境を持続的に管理・保全していくことが課題になる。
 私たちの観察によれば、既存の4ヵ村のうち、アウロ村とパウダル村は山の南面斜面に発達した村であり、ティコット村とキバン村は山の北面斜面に発達した村であった。
 アウロ村とパウダル村が存在する南面斜面は、崖や急斜面になっていて崖崩れ(岩石崩落)が多い。これは、山の斜面と地層の傾斜とが斜交する構造である「受け盤斜面」になっているためである。崖と集落の間に成長した森林は、崩落してくる岩や石をくいとめる防災の役割を果たしている。さらに、防御フェンスをつくれば、崖崩れから村をまもるために万全を期すことができる。
 一方、ティコット村とキバン村が存在する北面斜面は、地層のスライディングをともなう地滑りが発生しやすい。これは、山の斜面と地層の傾斜とが平行になる「流れ盤斜面」になっているためである。この地域の斜面の上部に再生された森林は雨水を保水し、地層中に存在する滑り面に水が侵入するのをふせぎ、地滑りを防止する効果をもたらしている(図3)。


図3 受け盤斜面と流れ盤斜面の模式断面図

 このように森林は、第一に自然災害を防止するという重要な役割を果たしているのである。
 南面斜面が崖や急傾斜になるのに対し北面斜面が緩傾斜になるのは、プレートテクトニクスでいうプレート運動がおこっているからである。ヒマラヤ山脈の下では、ユーラシアプレートの下にインドプレートが沈み込むというプレート運動があり、これがこの地域の地質構造をつくり、それが地形に反映され、地形がこの地域の基本的な枠組みをつくりだしている。

(2)地域に特有な自然環境が生じている

 今回おとずれた地域にかぎらず、ネパールの山岳地域では地形に注目することが重要である。ネパールあるいはヒマラヤには上記のようなプレート運動があるので、どこに行っても地形に一定の傾向が見られる。地形に注目するとその土地の自然環境がよく理解できることが多い。
 ネパール山岳地帯の村々は、日本とはちがい、いずれも山の斜面に発達しており、斜面の向きと標高により、日照時間や気温などの気象条件が決まっている。また、北面は緩傾斜であるため土壌が堆積しやすく、木もそだちやすい。私たちが歩いた地域では、地層(基盤岩)は千枚岩でできており、千枚岩は鉄やマグネシウムやカリウムなどをたくさんふくみ、風化・変質ののち良質な土壌へと変化する。
 このように、プレート運動は結果的に、それそれの地域に特有な自然環境を生みだしており、それが、地域や村人の生活の大きな枠組みを決定している。プロジェクトをすすめる場合に、その村をとりまく社会情勢やネパール情勢だけでなく、このような自然環境がもたらす固有な条件にも注目していかなければならない。

(3)「集落=耕作地=森林系」から「人間社会=文化=自然環境系」へ

 今回の調査により、どこの村にも、集落の周囲には耕作地が分布し、耕作地の外側には森林が分布するという共通性があることが明白になった。それぞれの地域において、集落・耕作地・森林はセットになってひとつのシステムをつくっており、それは簡略に「集落=耕作地=森林系」とよぶことができる(図4)。


図4 「集落=耕作地=森林系」のモデル

「集落=耕作地=森林系」はこの地域に本来存在した姿であるとかんがえられ、アウロ村・ティコット村・キバン村・パウダル村ではそれがほぼ回復したと言えよう。
 そもそも、階段状耕地による耕作(農業)は、これらの地域におけるもっとも基本的な生活様式をつくりだしていた。人々は耕作を通じて自然環境とふかくまじわってきた。人間は自然環境を利用し、自然環境は人間に恩恵をあたえる。人間と自然環境との間には相互作用があり、そこには分かちがたい一体性があった。このような相互作用の中で、この地域特有の生活様式が発展してきたはずであり、この生活様式は「文化」と言いかえることもできる。「文化」には、人間と自然環境とを媒介するという基本的性質がある。このように見ると、「集落=耕作地=森林系」は「人間社会=文化=自然環境系」ととらえなおすこともできる(図5)。


図5 「人間社会=文化=自然環境系」のモデル

 そもそも「文化(culture)」という言葉の語源は「耕作」であり、耕作が「文化」を生みだしたのである。
 このような地域のシステムを認識すると、プロジェクトをあらたな文化の創出にむすびつけていくことが、将来的に、大きな課題になってくることも理解できる。

(4)地域のポテンシャルを開発する

 上記のように、それぞれの地域には特有の自然環境があるのであるから、今後植林をすすめる場合には、その自然環境に適応する樹種を適切に選択し、地形を考慮して植林の場を設定しなければならない。たとえば、急斜面の土壌層がうすい場所には草をうえて土壌浸食をおさえたり、南面斜面では地滑り防止のために斜面上部にネパールハンノキや松を集中的に植える。南面斜面の下部は、土壌層が比較的あつく肥沃度が高いので、果樹などの換金作物の栽培が可能である。
 また、村人からの聞き取りからあきらかなように、どこの村でも外国へ出稼ぎに行く人が非常に多く、現金収入をいかに得るかが各村の大きな課題になっている。
 そのため既存4ヵ村では、近年、換金作物の栽培に熱心にとりくんでいる。ナルチャン村では、同行した日本大学の林先生によると、一部の耕作地で、ポンカン・バナナ・サトウキビ・ジャガイモ・タロイモが混作されており、温帯作物と熱帯性作物を同時に同一耕地内で栽培できる気候特性があると推測され、こうした栽培環境をいかした作物生産の幅を拡大させる可能性がもっと検討されてよいということである。
 また、植林は、将来の収入を見越した造林事業につなげていくべきである。材木を上流域に販売して、生活のための収入をえる案も出されている。材木は将来の収入源になりえるのである。
 このように、地域環境資源をいかした特産品の生産が収入の向上になり、それらが村人の生活をゆたかにし、自然環境の保全にもつながると言えよう。換金作物の栽培や造林事業は、自然環境を改善し、それを積極的に利用しようとする行為であり、地域がもっているポテンシャルを開発していく仕事にほかならない。地域に根差した活動こそが地域の活性化をもたらすとかんがえられる。
 なお、今回調査した地域は、中尾佐助氏のいう「照葉樹林帯」に属し、日本とも共通性がある「照葉樹林文化」を元々もっている(注)。栽培されていた作物が、日本人にとっても馴染みのふかいものがほとんどだったのはそのためである。「照葉樹林帯」は、ネパール・ヒマラヤの高度1500〜2500メートルあたりから、ブータンやアッサムの地域をへて、ミャンマー北部を中心とする東南アジア北部山地〜雲南高地〜江南山地、そして朝鮮半島南部から西日本に達している多雨地帯である。この中で人々は、様々な作物を栽培しながら、固有な文化をはぐくんできたのであり、今でも大きな可能性を秘めていると私はおもう。

(5)ナルチャン村の持続的な発展をめざす

 図6のグラフは、集落から森林までどのくらいの時間がかかったかを村ごとにしめしたものである。横軸には何年前か(30年前、10年前、現在)、縦軸には、薪をとりにいくときの家から森までにかかる時間をとり、アウロ村・キバン村・ナルチャン村それぞれの村での調査結果をしめしている。数値は、村人から聞き取った値を平均したものである。このようなグラフにより森林の増減を定量的に検証することができる。


図6 集落から森林までかかる時間の変化

 このグラフをみると、キバン村では、「30年前:3.86時間 → 10年前:4.36時間 → 現在:1.22時間」と変化している。アウロ村では、「30年前:3.00時間 → 10年前:4.24時間 → 現在:1.70時間」と変化している。つまり、既存プロジェクト地域のアウロ村とキバン村では、30年前よりも10年前には時間が長くなったが、現在では短くなっている。これは、森林が集落の近くまで回復してきたことをあらわしている。
 一方ナルチャン村では、「30年前:2.33時間 → 10年前:3.68時間 → 現在:5.68時間」と、30年前から現在にかけて時間がしだいに長くなっている。つまり、森林はあきらかに後退しているわけである。このようなグラフからも、ナルチャン村においてあらたな造林事業を開始する意義を見ることができる。ナルチャン村で事業を開始することになれば、ヒマラヤ保全協会としては活動地域を北へとひろげることになる。
 ナルチャン下村の集落の周囲に、村人が利用できる森林をつくることができれば、住民の生活改善に役立つのみならず、今ある森林を後退させることがなくなり、ナルチャン上部の自然林を保護することにもなる。将来的には、ナルチャンの対岸、カリガンダキ川の西側地域にも造林をすすめられる可能性もでてくる。また森林が再生されれば、土壌流出の防止や防災といった面にも効果をあらわすことが期待される。
 新規プロジェクトをすすめるにあたり、既存の村で得られた教訓をナルチャン村で生かさなければならない。今回まわった村の中では、パウダル村は先進村であった。森林再生はほぼおわり、苗畑も縮小、村による森林管理がおこなわれ、現在は、村の活性化、現金収入の確保などに重点がうつってきている。パウダル村は教育にも力をいれており、山村としてはめずらしく高等学校までがあり、それはこのあたりで一番すぐれた学校として評判が高く、パウダル村で是非まなびたいと希望して周辺からやってくる生徒も多いという。パウダル村は、自然環境を保全しながら村落活性化をすすめるための参考になる村と言ってもよいだろう。
 ナルチャン村で、あらたにプロジェクト計画を立案するにあたっては、村の自立発展を促進する計画を立てなければならない。村の森林保全事業の自立をヒマラヤ保全協会が支援し、将来的には、村の造林事業に発展させていくことが目標になる。苗畑を建設したり、苗畑管理人に給料をあたえたり、モノやお金を村に落とすのが目的ではない。将来の村の目標を展望しつつ、とりあえず3年後に到達すべき目標を明確にし、そのための手段として、いま何をしたらよいのか、関係者で検討する必要がある。目標に到達するための具体的な手段として、庭先苗畑や複数の苗畑管理人制、苗畑管理人のパートタイム制などが具体案としてすでに提案されている。関係者の固定観念を打ちくだくのは容易ではないが、過去の教訓をいかし、本来の目標を見失わないように努力していかなければならない。


(注)引用文献:中尾佐助・佐々木高明著『照葉樹林文化と日本』くもん出版、1992年
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2005年5月22日発行
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