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ガンジス川(ヴァラナシ) |
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インドには、1993年当時 21の世界遺産が登録されていた。ビデオ「世界遺産インド北西編・南東編」(日本コロムビア株式会社発行)はこれらすべてを映像でわかりやすく紹介してい る。このビデオをくりかえしみることにより、世界遺産を通して、インドの自然と文化・歴史について概観することができる。以下に、それぞれの映像の概要を 紹介していく。なお現在(2004年)のインドには24の世界遺産が登録されている。 インド北西編
(1) サンチー仏教遺跡 大きなストゥーパ(仏塔)がたっている。高さは16.5メートル、直径は36.6メートルあり、内部にはシャカの遺骨がおさめられて いたという。スリランカからきた僧侶が参拝している。サンチー仏教遺跡は、ブラデシュ州都ボパールから北へ67キロメートルの小さな村にある。 このストゥーパはマウリア朝のアショカ王が紀元前3世紀にたてたもので、インドにのこる最古の仏塔である。その東西南北には門(塔 門)があり、シャカの生涯が彫刻されている。当時は、シャカは仏足石・菩提樹・法輪などで象徴的にえがかれた。土着の民間信仰の神々もきざまれていて、そ れ以前にあった宗教から仏教が発展してきた様子をうかがいしることができる。ストゥーパのまわりをとりまく柵のようなものは欄楯(らんじゅん)とよばれ る。 サンチーは、紀元前3世紀から紀元後11世紀まで仏教信仰の場だった。
(2) アジャンター洞窟寺院 アジャンターは、マハラシュトラ州アウランガバードから100キロメートルの人里はなれた谷にある。 U字型にまがっているワゴーラ川をとりまく崖に、岩をほりぬいてつくったたくさんの石窟がみえる。これらは紀元前1世紀から7世紀ま でにほられたもので、全部で29の石窟があるという。岩肌には、石工たちのノミのあとが生々しくのこっているところもある。 塔院窟(チャイティヤ窟)は祈りの場であり、奥にストゥーパがある。第19窟は5世紀以後につくられたもので、このストゥーパには仏 像がきざまれている。 僧院窟(ヴィハーラ窟)は僧侶がくらすところで、塔院窟とセットになって一つの寺院を形成する。 第1窟には、蓮華手観音菩薩像などの仏教画がえがかれている。第17窟では、壁画は入り口や天井にまでおよんでいる。
(3) エレファンタ洞窟寺院 ムンバイ(旧ボンベイ)からアラビア海を西へむかって約10キロメートルいくと、小さな島・エレファンタ島につく。ポルトガル人が 16世紀にこの島を占領したとき、島の南にゾウの彫刻があったためエレファンタと名付けられた。 島には木々がおいしげっている。この島にはヒンドゥー教の石窟寺院があり、これらは7世紀から9世紀にかけてつくられた。 石窟の中へ入ると、約40メートルにわたって奥へ岩盤がほりこまれ、天井は列柱がささえている。正面には三面のシヴァ神が柱からわき でている。高さは5.5メートルにもおよぶ。三つの顔は、瞑想と怒りと柔和をあらわしているという。 その右側には舞踏のシヴァがきざまれている。シヴァは、世界を破壊し、また創造する。その消滅と再生のリズムをふみならすようにシ ヴァはまいおどっている。
(4) エローラ洞窟寺院 広大な大地の一角に小高い岩山がある。そのふもとに34個もの石窟がある。1番から12番までは仏教窟、13番から29番まではヒン ドゥー教窟、30番から34番まではジャイナ教窟である。岩がほりはじめられたのは5世紀ごろだという。 ヒンドゥー教窟の奥にはリンガがまつられている。リンガは、抽象的な男性器の形をしたシヴァ神の象徴であり、女性と合体している。 遺跡群の中心にはカイラーサ・ナータ寺院がある。この寺院は30メートルもの高さをもち、これは石をつみあげてつくったものではな く、幅46メートル、奥行き85メートルの一つの巨岩を上からきりひらいてつくったものである。基壇には多数のゾウがならんでおり、大きな塔をささえてい る。本尊はリンガである。周囲には、シヴァとともにたくさんの女神もきざまれている。中でも、シヴァの妃パールバティは豊穣の神であり、生き生きとえがき だされている。
(5) カジュラホ遺跡群 大小の塔がきれいにならんでいて、まるでヒマラヤの峰々のようである。ここカジュラホはチャンデーラ王国の州都であり、最盛期の10 世紀には一大宗教都市であった。現在は、22のヒンドゥー寺院がのこっている。 その中のカンダーリヤ・マハーデーバ寺院は、31メートルの高さがあり、屋根の外面には立ての線と横の溝が無数にきざみこまれ、いく つもの小さい塔がかさなりながらゆるい曲線を描いてそびえている。寺院は石積みであり、全体は高い段の上にのっている。石段をのぼっていくと大きな玄関が あり、その奥に拝殿がある。 パールシュヴァナータ寺院の壁は、高さ80センチメートルほどの無数の彫像によってとりまかれている。彫像は、頭部・上半身・下半身 が別々の角度をもつトリバンガとよばれる構造をもっていおり、それが全体として波がうねるような躍動感をかもしだしている。ヴィシュヌとその妃ラクシミー にならんで、愛の姿をあらわす性の彫像もある。
(6) クトゥブ・ミナールと周辺の遺跡群 インドの首都デリーへくる。巨大な塔がみえる。高さは72メートルで5層になっており、表面にはいくつもの溝がはしっている。これ は、インド国内に現存する最古のイスラム建築であり、デリーを征服したイスラム帝国のシンボルである。スルタン朝のクトゥブッディーン=アイバクは 1200年ごろにクトゥブ・ミナールを勝利の祈念碑として建立させた。ミナール(ミナレット)とはイスラム教のモスク(礼拝堂)にある祈りの時をしらせる 尖塔である。 そばにあるクトゥブモスクはインドにおける最初のモスクであり、ヒンドゥー寺院を解体してつくられた。壁には、唐草模様(アラベスク 模様)がきざまれているが、インドでふるくから豊穣をあらわす蓮の花と茎の浮き彫りもみえる。イスラム帝国はインド文化もとりこみながら、インド・イスラ ム文化とよばれる独自な文化をうみだしていった。
(7) フマユーン廟 高い基壇のうえに半球形の本殿がある。赤砂岩と白大理石の配色がみごとな調和をかもしだす。中に入ると、中央にフマユーンの棺がおか れている。ここは、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓であり、死後の宮殿ともよぶべき建築物である。フマユーン廟はのちのタージ・マハルの原型になっ た。
(8) ファテープル・シクリ ここは、アグラから西へ約40キロメートルの地にあり、ファテーブル・シクリとは勝利の町という意味である。 ムガル第3代皇帝アクバルは跡継ぎが生まれずなやんでおり、シクリにすむ聖者シェイク=サリム=チシュティをたずねたところ、ねがい がかなうと予言され、その通りに息子が誕生した。アクバルはよろこび、宮殿をシクリにうつことにし、1569年から5年をかけて建設した。 宮殿の南側には大きな門がそびえ、これはブーランド・ダルワザとよばれる。高さ12メートル、ドーム状の天井をもち、赤砂岩でできて いる。 そこをくぐって中には入ると中庭があり、聖者の墓であるサリム・チシュティ廟がある。総大理石づくりである。 宮殿中心部にあるパンチ・マハル(五層の宮殿)は5階建てで176本の柱によってささえられている。北のはずれにある四角い建物は ディワニ・カースとよばれ、アクバルの私的な謁見場だった。中に入ると、1本の柱にささえられて王座は2階にある。アクバルの宮殿はすべて赤砂岩でできて おり、それは木彫りのような繊細でうつくしい模様をうきぼりにしている。 しかしこの都は14年ですてられた。水がすくなかったうえに、水に塩がふくまれていたため都には適さなかったからだという。
(9) アグラ城 赤砂岩でできた巨大な城壁がひろがっている。城壁の高さは20メートル、周囲は1.6キロメートルある。アグラ城は、1564年から 1574年にかけてムガル第3代皇帝アクバルの治世に建設され、その後も増築をかさねた。 中に入ると広場があり、そこに面してディワーン・イ・アーム(王の公的謁見場)がある。小さな弧をえがく多弁形がつらなる大理石建築 でできている。その中央奥に人々の前に姿をあらわした謁見の間がある。ここでは、イスラムとヒンドゥーが融合したムガル建築様式をみることができる。 城の東側へいくと、広大なヤムナ川がながれており、城壁の前には堀がめぐっている。城壁からせりだした塔のうえには白大理石でつくら れた八角形の建物がのっている。これはムサンマン・ボルジュといい、ここからあたり一帯を展望できる。内部には、床にも柱にも壁にも浮き彫りや象嵌(ぞう がん)がほどこされていて はなやかでうつくしい。象嵌とは、大理石にきれいな色石をうめこんでつくった装飾であり、この時代に完成した。ヤムナ川の向こう岸にはタージ・マハルがみ える。
(10) タージ・マハル 白色のうつくしいドームがそびえている。ひろい庭園の中央を参道がドームへむかってまっすぐとのびている。ドームの高さは65メート ル、1辺95メートルの正方形の壇のうえにのっている。総大理石建築であり、その壁は、コーランの文字と象嵌された花々がかざりたてている。 タージ・マハルは、ムガル第5代皇帝シャー=ジャハンが妻ムムタズ=マハルの死をいたんで22年の歳月をかけてつくらせた。しかし、 その費用は帝国をかたむけるほど莫大であったため、シャー=ジャハンは息子によって、アグラ城のムサンマン・ボルジュに幽閉された。 インド有数の観光地であり、年間150万人の人々がおとずれるという。
(11) ナンダ・デビ国立公園 ニル・カンタ(標高6596メートル)が天空にそびえている。ナンダ・デビ(標高7816メートル)の白銀の絶壁がかがやいている。 その左右にはヒマラヤ山脈がどこまでもつづいている。 ナンダ・デビはインド第2の高峰であり、これを中心とした630平方キロメートルは国立公園に指定されている。ここはガンジス川の源 流域でもあり、ちかくにはチベットとネパールの国境がある。このあたりにはジャコウジカやユキヒョウなどの貴重な動物も生息する。環境をまもるために現在 は全面入域禁止となっている。 ナンダ・デビのふもとのガロワル地方はヒンドゥー教の聖地である。ガンジス川の源流アレクナンダ川のほとりにはバドリナート寺院(標 高3133メートル)がある。参詣の人々が国中からあつまる。 ヘムクンド(雪の湖、標高4329メートル)は、ヒンドゥー教とシーク教の聖地である。シーク教はヒンドゥー教の改革派である。 森林限界をこえた谷間にいくと花の谷(標高3962メートル)がある。アナファリアス・トリプリネルヴィス・モノケフェラ、スイバ、 キケルビタ・マクロヒザ、セリヌム・テヌイフォリウム、ビストルタ・マクロフィラなど多数の高山植物がさいている。 ラタ村(標高2317メートル)はナンダ・デビに一番ちかい村である。ナンダ・デビ寺院の守護神はナンダ・デビ(祝福され女神)であ り、シヴァ神の妃パールバティがまつられている。
(12) ケオラデオ国立公園 アグラから西へ50キロメートルいくと、アカシアの森におおわれた淡水の湿地帯がひろがっている。東西に約3キロメートル、南北に約 10キロメートル、面積29平方キロメートルあるという。353種25万羽の野鳥が棲息し、バードウオッチングの絶好のフィールドである。中には徒歩・自 転車・リキシャ・ボートなどで入ることができ、エコツーリズムをたのしむことができる。 鳥は、アジアヘビウ、ムラサキサギ、アオサギ、カワウ、チュウサギ、ゴイサギ、ムネアカゴシキドリ、アオショウビン、モリコキンメフ クロウ、インドトキコウなどがいる。 鳥以外には、サンバージカ、ニルガイ、シカ、ジャッカル、ニシキヘビ、オオトカゲなどがいる。 インド南東編
(13) マナス国立公園 (地図1) マナス国立公園は、インド北東部アッサム州、ブータンとの国境に接する面積520平方キロメートルの国立公園である。貴重な動物が約 400種棲息し、その中には絶滅の危機にある20種の動物もいる。 オオサイチョウやベンガルショウノガンは絶滅の危機にある鳥の一種である。 ゴールデンラングールは金色の毛をもつオナガザル科のめずらしい霊長類であり、高さ30メートルの落葉樹の上部に棲息する。ボウシラ ングールは黒色の毛をもつ霊長類である。 アジアスイギュウは今ではめずらしくなった純粋な野生スイギュウである。ガウルは南アジア最大の野牛である。 インドゾウが尻尾をたてすすんでくる。尻尾をたてたゾウは大変危険である。 夜になったらベンガルトラにであうことができた。ベンガルトラも絶滅が心配されている。保護をしており、20年前は21頭しかいな かったが現在は80頭まで回復した。 公園では、密猟や不法伐採のとりしまりもおこなうとともに、1月から3月にかけて草地の野焼きがおこなわれる。できた灰が養分になっ たり、新芽をのびやすくしたりし、草の新陳代謝に役立つ。燃やさないと草地は次第に森林にかわってしまう。サイなどは草地にしかすめないので、一定の草地 面積を確保することは必要なのである。
(14) カジランガ国立公園 (地図2) アッサム州を悠々とながれるインド第2の大河ブラフマフトラ川の南岸にいくとカジランガ国立公園がある。面積は430平方キロメート ルである。 ここは、地球上に2000頭しかいないインドサイのうちの1200頭が棲息し、しかも個体数がふえている貴重な地域である。インドサ イはかつて、パキスタンからガンジス平原・ネパール・バングラデシュにひろく棲息していたが、乱獲により激減してしまった。この公園内では1959年には 260頭しかいなかった。1995年には、わかっているだけで26件の密猟があった。それも、サイの角1本が末端価格10万ドルで取り引されるからであ る。現在公園では、密猟防止のため130箇所に監視所をもうけて、24時間体制でとりしまりをおこなっている。 インドサイのほかにも貴重な動物がいる。サンバージカは南アジア最大のシカである。カワウソは、イタチ科の肉食類で川にもぐって魚や 貝をたべる。インドゾウは体重5トンにもなる。コウハシショウビンはカワセミの一種である。ペリカンもいる。
(15) スンダルバンス国立公園 (地図3) ガンジス川とブラフマフトラ川がベンガル湾にそそぎこむ河口付近に広大な湿地帯がひろがっている。ここは絶滅の危機にあるベンガルト ラ最大の棲息地であり、現在はその保護区になっている。ベンガルトラは乱獲のため1972年にはわずか27頭しかいなかったが、徐々に増加している。 河口付近にはマングローブがおいしげりゆたかな生態系が形成されている。イリエワニ、ミズオオトカゲ、アキシスジカ、シロハラウミワ シ、オオハゲコウなどが棲息している。 ちかくの村へいくとベンガルトラに頭をかじられた老女がいる。トラはしばしば村にもあらわれるが、保護区であるため、たとえ人や家畜 をおそってもころすことはできない。 また、川に棲息するタイガーシュリンプの幼生の乱獲がすすむ。エビの養殖がすすみ、幼生が村人の貴重な現金収入になるからである。生 態系の破壊が心配されている。 生態系の保護と村人の生活をどのように両立させていくか課題は大きい。
(16) マハーバリプラムの建造物群 (地図4) タッミル・ナドゥ州都マドラスから南へ67キロメートルいった海岸には花崗岩の巨大な岩盤が横たわっている。この大地に根差した花崗 岩をまるごと彫刻するようにして様々な寺院がつくられている。ヒンドゥー教の現存する最古の石造り寺院群である。 マヒシャマルディニー・マンダパムは、巨大な岩山を上からほりさげてつくった石窟寺院である。中に入ると、ドゥルガー女神やヴィシュ ヌ神が彫刻されている。 岩の壁面をみると大きなレリーフ(うきぼり)がある。幅は約20メートル、高さは約10メートルもある。ガンガー(ガンジス川)が地 上に降下する様子、あるいは、叙事詩マハーバラタにでてくるアルジュナの苦行をえがきだしているという。 5つのラタにはマハーバラタの登場人物の名前がつけられている。ラタとは神の乗り物であり、神の住まいを本来は意味する。ダルマラー ジャ・ラタは、ひときわ背が高くそびえている。その四角錐のピラミッドは、上から下へむかって、小さな形の反復がしだいに大きな形を形成していく。 海岸へいくとピラミッド型のうつくしい塔がそびえている。海岸寺院である。これは、切石をつみあげてつくられており、現存する最古の 石積み寺院である。塔の上にはつぼ形の優美な頂華をいただいている。7世紀につくられた横たわるヴィシュヌ神を本尊とし、100年後にそれをとりかこむよ うに石がつみあげられたという。 これらの寺院群は当時南インドにさかえたパッラバ王朝がつくった。
(17) パッタダカルの建造物群 (地図7) インド南西部カルナータ州北部のパッタダカルへいくと、前期チャールキヤ王朝(6世紀〜8世紀)の寺院建築があつまっている。 ガラガナータ寺院は、砲弾のような形をした本殿をもつ。 ヴィルパクシャ寺院は、本殿の屋根がピラミッドのような四角錐の形をしていて躍動感がある。内部に入ると、叙事詩ラーマーヤナの名場 面が彫刻されている。本殿の正面には、シヴァ神につかえる雄牛ナンディが堂々とかまえている。 パッタダカルの建造物群により、ヒンドゥー教初期の段階から成熟期の段階へとすすむ過程をみることができる。
(18) コナラクの太陽神寺院 (地図5) 松林の中にピラミッド型の寺院がうきあがっている。ちかづいてみると、拝殿は高さ30メートル、その基壇には12の大きな車輪があ り、それを2頭の馬がひいている。太陽神スーリヤはこの山車にのって天空をかけめぐる。太陽神をまつったヒンドゥー教寺院はとてもめずらしい。本来は馬は 7頭であったが現在は2頭しかのこっていない。 壁面にえがきだされた太陽神スーリヤはブーツをはいている。ブーツはこの神がペルシャからやってきたことをしめしている。またキリン が彫刻されている部分もあり、これは、この地がアフリカと交易していたことをものがたっている。この寺院がたてられた13世紀ごろは、ここコナラクはガン ガー朝の重要な港町だった。
(19) タンジャブールのブリハディシュワラ寺院 (地図6) 大きな門(ゴプラム)がかまえている。そこをくぐると第2の門があり、そこをくぐると境内に入る。境内は、縦240メートル、横 120メートルあり広々している。 正面にはナンディ殿、そのうしろには本殿がある。本殿は高さ60メートル、15層、おなじ形のくりかえしが幾何学的なうつくしさをか もしだしている。その基壇は幅76メートル、奥行き152メートルある。 この寺は、南インドのチョーラ朝がラージャラージャ王の下で絶頂期をむかえた11世紀にたてられた。
(20) ハンピの建造物群 (地図8) ここハンピは、ヴィジャヤナガル王国(1336-1649年)の首都である。その面積は約26平方キロメートルもあり、インドの文化 遺産の中では最大である。北はトゥンガバドラ川、東は岩山群にかこまれ、天然の地形を利用した要塞都市であった。当時は、デカン高原一帯はイスラム王朝が 優勢であったが、ヴィジャヤナガル王国はヒンドゥー教国として対抗していた。 マハナヴァミディバは王宮の一部であるが今は基壇しかのこっていない。王妃がくらしたロータス・マハルは、柱と柱の間はアーチ状に なっていて、この形がいくえにもかさなり優美であり、イスラム様式の影響をうけていることがわかる。 16世紀、ヴィジャヤナガル王国はイスラム連合軍にやぶれたため、イスラム教徒によってハンピは徹底的に破壊された。
(21) ゴアの教会と修道院 (地図9) インドの西にはアラビア海がひろがっている。そこへながれこむマンドヴィ河畔の森の中には教会が散在している。ここゴアは16-17 世紀に、ポルトガルのアジア戦略の拠点としてさかえた一大キリスト教都市であった。 セ・カテドラルは東洋一の大聖堂であり、再生された主祭壇は、まばゆいばかりの金箔で荘厳な光をはなっている。ボン・ジェズス教会堂 にはフランシスコ=ザビエルの遺体が安置されている。現在でも、ゴアの人口の約20パーセントはクリスチャンであるといわれる。 「文明衝突」の現場以上みてきた世界遺産を宗教により分類するとつぎのようになる。 サンチー仏教遺跡(1)は仏教の遺産である。 エレファンタ洞窟寺院(3)、カジュラホ遺跡群(5)、マハーバリプラムの建造物群(16)、パッタダカルの建造物群(17)、コナ ラクの太陽神寺院(18)、タンジャブールのブリハディシュワラ寺院(19)、ハンピの建造物群(20)はヒンドゥー教の遺産である。 アジャンター洞窟寺院(2)とエローラ洞窟寺院(4)は仏教とヒンドゥー教の両方の遺産がふくまれている。 クトゥブ・ミナールと周辺の遺跡群(6)、フマユーン廟(7)、ファテープル・シクリ(8)、アグラ城(9)、タージ・マハル (10)はイスラム教あるいはイスラム帝国の遺産である。 ゴアの教会と修道院(21)はキリスト教の遺産である。 また、自然遺産としては、ナンダ・デビ国立公園(11)、ケオラデオ国立公園(12)、マナス国立公園(13)、カジランガ国立公園 (14) 、スンダルバンス国立公園(15)がある。 これらの世界遺産をみると、インドの歴史には基本的には、「バラモン教→仏教→ヒンドゥー教」という基軸となる流れがあり、ヒン ドゥー教にもとづくヒンドゥー文明がインドの文明であることがよくわかる。 そしてそこへ、西からのイスラム文明、そのご西欧文明が侵入してきた。インドは「文明衝突」の現場である。その衝突の歴史は、今回み てきた世界遺産から十分よみとることができる。世界遺産は歴史の「証言者」である。 しかしヒンドゥー文明は、イスラム帝国の侵略、西洋人による植民地化という悲劇を経験しつつもしたたかに生きのこり現在にいたってい る。 また、インドは、南東はベンガル湾、南西はアラビア海にかこまれ、北端は世界の屋根・ヒマラヤ山脈であり、大部分は、亜熱帯気候・モ ンスーン気候に属している。 いままでみてきた文化遺産はこの自然環境に適応して形成されている。地形をそのまま生かした寺院群や、赤砂岩や大理石などインド国内 で多量に産出する石材を生かしている。岩盤や石材をつかっているので、亜熱帯モンスーン気候下にあってもくさって形をうしなうことがない。木材をつかう日 本の文化財とは好対照である。このように文化は、そこにくらす人々と自然環境との相互作用によりつくられるということを世界遺産からもよみとることができ る。 このようなインドの自然環境と歴史をモデル化するとつぎのような図になる。
図 インドの自然環境と歴史
このようなモデルをもって世界遺産をみなおすとインドについての見通しをえることができる。モデルは複雑なものをわかりやすくすし、 理解をたすけてくれる。 それにしても、世界遺産をみながら、インドの自然や歴史についてかんがえていくことにより、インドに関する理解は飛躍的にすすむ。た
のしみながら学習ができ、しかも記憶にもよくのこる。このような行為のあとで、インド史を概説した書物をくわしくよめばインドはもっと身近に感じられてく
る。 |
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