目 次
序論 ネパール史の背景と時代区分
序章 伝説と伝承王朝
第1章 古代期 -リッチャヴィ王朝時代-
前説
I ネーパーラ王国の成立
II 黄金時代の現出
III 王位争奪の激動期
IV 王統復帰の栄光と繁栄
V 爛熟の最後の輝き
VI リッチャヴィ時代の政治・社会・文化
第2章 中世期(I)中世前期 -デーヴァ王族時代から三大勢力分立時代まで-
I デーヴァ王族時代
II 三大勢力分立時代
1 カサ王国(別称カス・マッラ王国)
2 ティルフット王国(別称カルナータ王国)
3 前期マッラ王朝時代(中央勢力)
第3章 中世期(II)中世後期
前説
I 三都マッラ王朝時代
1 バクタプル(バドガウン)・マッラ王朝
2 カトマンズ(カンティプル)・マッラ王朝
3 パタン(ラリトプル)・マッラ王朝
II 三都マッラ王朝時代の政治・社会・文化
III 盆地外勢力の動向
第4章 近・現代期 -ゴルカ王朝時代-
前説
近代期
I ネパール統一と国土拡大
II 内政の混迷と王宮大虐殺事件
III ラナ専制政治時代
現代期
IV 王政復古からギャネンドラ国王即位まで
要 点
- カトマンズ盆地のドゥマーカールで、旧・中・新各石器時代の石器類が発掘されており、木具の炭素14による年代測定によると、紀元前2万7400年という結果がでた。
- ネパールの先住民(非インド・アーリア語族)がカトマンズ盆地に定住したのは紀元後1〜3世紀とかんがえられている。
- ネパールの古代期はリッチャヴィ王朝時代とよばれ、リッチャヴィ王による統治は、最初の王マーナ=デーヴァ1世(在位464〜505年)から9世紀までつづく。
- リッチャヴィ王朝が崩壊して、中世前期(879〜14・15世紀)には、デーヴァ王族時代、その後、前期マッラ王朝時代がつづく。
- 中世後期(14・15世紀〜1769年)には、マッラ王朝は、バクタプル・カトマンズ・パタンの三都王国に分裂する。
- 近代期は、ゴルカ王朝時代となる。ガンダキ地方の小王国ゴルカの王プリトビナラヤン=シャハ(1742〜1775年)は、1769年に、マッラ王朝をほろぼして、カトマンズ盆地とその周辺を統一する。歴代のゴルカ王は領土を拡大し、ほぼ現在のネパール王国の領土を確保する。
- 1846年、軍務大臣のジャンガ=バハドゥル=ラナが、有力な重臣を一挙に虐殺して実権をにぎり、王を傀儡(かいらい)としてラナ専制政治体制を確立する。
- 1951年、軟禁されていた8代王トリブバン=ビール=ビクラム=シャハがニューデリーに脱出し、王政復古が実現する。つづく9代王マヘンドラ=ビール=ビクラム=シャハは、国王親政にふみきりパンチャーヤト制度を導入する。
- 1990年、民主化運動がおこり、10代王ビレンドラ=ビール=ビクラム=シャハは新憲法を公布し、1991年総選挙施行されて政党内閣が誕生する。
- 2001年、ビレンドラ国王と皇太子ディレンドラは王宮内での銃撃事件により死去し、ビレンドラ国王の実弟ギャネンドラが12代王となる。
注目点
- 1255年にカトマンズ盆地で大地震がおきた。多くの寺院や家屋が倒壊し、民衆の3分の1とともに、アバヤ=マッラ王も死去した。(303ページ)
- バクタプルのジターミトラ=マッラ王は、1677年に、バクタプル王宮の主要な建造物の一つであるクマリー・チョークを修復して、開かずの窓・柱・扉等で美しく装飾し、八母神像を建立してヨーギニー群像の壁画をえがかせた。さらに、1681年、1692年と非常に美麗に整備を重ねた。土木工事関係では、大きな人工池(タヴァ・ポカリ)を1678年に巨費を投じて修復した。農業用水路や飲料用等の水道・水槽の建設にも力を注いだ。タントゥ王宮や庭園の水道や他の水道および田地に水を引く大水路(ラージ・クロ)の建設・管理は特筆に値する。そして1683年には、水路の建設・管理に関する規則を設けた。水路の水を田に引いて稲を植える者は所定の税を支払うことなどが定められた。(375ページ)
- カトマンズのパラターパ=マッラ王は、民衆生活の便宜のために、1663年に、カトマンズとスワヤンブーの間を流れるビシュヌマティ河に橋を架け、ブーダニルカンタ地区に水路を造って水の便宜を図ったほか、彼の治世には各地に水道・水槽・宿坊等を多く造った。(397ページ)
- 中世ネパールの職業集団は、ネパール系・ネワール系の組織があり、職業的職姓を構成していた。カルミ(職人)としては、シカルミ(大工、木工)、ダカルミ(煉瓦積み工)、ローハカルミ(石工)、ナカルミ(鍛冶工)等があり、他にチトラカール(絵師)、ランジットカール(染物師)、スーチーカール(仕立師)、ロハカール(鍛冶師)等もある。低位に位置付けられているのは、カサイ(肉屋)、クスレ(楽士)、カミ(鍛冶屋)、サルキ(皮革職人)、ダマイン(仕立屋)、チャメ(掃除人)、ポレ(汚物掃除人)等がある。(457ページ)
- チャンドラ=シャムシェルは、歴代のラナ統治者の中で特に強力で、外交・政治の戦略に長けた人物であった。(572ページ)
- チャンドラは、1919年に、トリチャンドラ・カレッジをインドのパトナ大学の系列として開校した。(581ページ)
- カトマンズ空港で観測した透視度(大気汚染指数)、具体的には最も空気が澄む時期11月から2月までの120日間に8キロ以上遠くが見えた日の日数が、1970年までは115日もあったのが、1992年には20日激減してしまった。またカトマンズにおける総浮遊塵(TSP)は世界保健機関(WHO)基準値の2〜4倍も高い。大気汚染の理由は、インドから輸入される中古三輪タクシー、日本製中古乗用車、トラック等の急増による排気ガス汚染、車や歩行者によって舞い上がる粉塵による汚染、それに加えて人口の急増に伴う、住宅、ホテルの建設ラッシュを支える建材製造工場、煉瓦、セメント向上からの煤煙、粉塵および石炭燃料による汚染等である。(676ページ)
コメント
本書は、ネパールの全史を詳細に解説した好著であり、本書により、ネパールの歴史の全貌をとらえることができる。
ネパールの歴史は、(1)石器時代(2)古代〜中世、(3)近代の3期に大きく区分できる。(1)は有史以前、(2)は都市国家の時代、(3)は領土国家の時代である。
ネパールの都市国家は、現在のカトマンズ盆地内において発展し、マッラ王朝時代に非常に繁栄した。そもそもネパールとは、現在のカトマンズ盆地をさす言葉であった。マッラ王朝崩壊後に、ゴルカ王朝の領土拡大により領土国家としてのネパールが成立した。
この都市国家から領土国家への移行は、文明史的にみると、文明化の進行(亜文明から本格的な文明への移行)を意味する。都市国家から領土国家へという文明の発展形式はユーラシア大陸の各地で見られることであり、ネパールにおいてもそれを確認することができる。
ネパール(カトマンズ盆地)には、現在でも、マッラ王朝時代の都市国家の面影が比較的よくのこっている。そのためここは、人類の歴史あるいは文明史を研究する上できわめて貴重な地域となっている。
都市国家から領土国家へ、あるいは文明の発展という観点から本書を読みなおしてみると、ネパールの歴史のみならず、人類の歴史の本質がみえてくる。本書は、とるにたらない小国の歴史をしめしたものではない。この小国のなかに歴史のエッセンスが凝縮されているのであり、それを読みとることが重要である。その意味でも本書は貴重な一冊である。