思索の旅 第30号
多摩森林科学園(東京都高尾)
> 多摩森林科学園・入口(東京都高尾)

30-01 地図を歩く -フィールドワークの基本-

 地図を見ながら現地を歩くのはフィールドワークの基本である。
 地図を見ることは、その地域の基本情報を心の中にインプットすることであり、それは同時にその地域全体を見わたすことである。そして、実際に現地を歩きながら地図をみて場所を確認する。今度は現実の風景がそのまま心の中に蓄積される。地図は全体的な情報をあたえてくれるのに対し、その場所は局所の情報を提供してくれる。このようにして、大局と局所をくみあわせながら、その地域の構造をつかみ記憶するようにする。
 また、現地を歩いていると実に様々なことに気がつく。気がついたことはかならずノートにメモ(記録)をとる。メモをとることは、心の中で気がついたことを外部にアウトプットするということである。
 このように、フィールドワークには、「地図を見て全体をつかむ」→「現地を歩いて大局と局所の構造をつかむ」→「気がついたことをメモする」という三場面があり、これは「入力→処理→出力」という情報処理の三場面にもなっている。これをさらに発展させると、「フィールドワークに行く前に地図を見る」→「フィールドワークをおこなう」→「フィールドワークの結果を文章化する」というもっと大きな情報処理の三場面を実践することもできる。
 フィールドワークの三場面を意識して「地図を歩く」ことをくりかえしていると、現地の地理を読むだけでなく、そこの歴史も読めてくる。

30-02 地図を情報のベースにする -作家・山本一力氏-

 直木賞作家の山本一力氏は、時代劇を書くための情報収集として、まず第一に正確な古地図をさがすという(注)。古地図を手に入れて、小説の舞台となる町づくりの土台をすえるというわけである。
 歴史的な記載をするためには、常識的には、まず年表をしらべたり文献をしらべたりした方がよいのではないかとかんがえられがちだが、地図を情報のベースにするというのは注目に値する。
 この方法は、時代劇のみならず、ある地域の歴史や自然史を書くときにもつかえる。まず、その地域の正確な地図を手にいれるのである。正確な地図が手に入らない場合は、衛星写真でもよいし、自分で地図をつくってもよい。いずれにしても、地図をデータベースにして、その上に様々な情報を蓄積していく。地図は、情報整理や情報検索の道具としても機能する。地図をつかうと、空間的に情報を整理することができるので全体の見通しもよくなる。地図を片手に情報を収集していくのは、作業としてもとてもたのしいものになる。歴史的記載のための情報収集やデータベースのために、地図をもっと有効につかっていくべきである。

(注)ダ・ヴィンチ(メディアファクトリー)2003年1月号

30-03 歴史を、空間におきかえて比較する -縄文vs.弥生展-

 東京・上野の国立科学博物館で「縄文vs.弥生」展が開催された。本展は、弥生時代がいつはじまったかという年代の問題とともに、一般にはあまり知られていない「縄文」と「弥生」に関する最新の研究成果を紹介し、これまでとはちがった切り口で両者を対比させることで、「縄文」と「弥生」の新しいイメージをつかむという企画である。
 展示室に入るとまず、最新の研究成果が紹介されている。それにひきつづき、大きな部屋に「縄文」と「弥生」を平等に対比させる形で両者の展示がある。「縄文」のムラと「弥生」の都市を比較しながら理解できるようになっている。このような比較展示を見ていると、「縄文」と「弥生」がいかにちがうか、またそれがどうしてかがよくわかってくる。
 縄文時代のおわりごろ、稲作文化をもった大陸からの渡来人が九州北部にすみつき、次第に子孫をふやしていき「弥生時代」を形成した。つまり、「弥生文化」をになったのは在来人ではなく渡来人である。そして、縄文人と弥生人は、共存をへて融合し、現代の日本人の姿になったというのが本展の主張である。
 本展の特徴は、歴史的時間的に生じた出来事を空間的に配置して比較するというところにある。ここでは時空変換がおこなわれている。このような空間的方法は、いくつかもの出来事を混同なく整理するために大変役立つ。歴史を空間におきかえる方法は情報整理の有用な方法の一つである。

30-04 道をえがくと、歴史を地理的空間的に理解できる -アジア麺の道-

 NHKで「アジア麺の道を行く」が放送された。

 ユーラシア大陸の西からシルクロードを通って入ってきた小麦は、中国の華北平野や太原あたりまでつたえられ、麺という食文化を生んだ。そして今度は、「麺の文化」が小麦が入ってきた道とは逆にもどり、中国甘粛省蘭州で、牛肉の麺「牛肉麺(ニューローメン)」になった。そしてさらに西にすすみ、中央アジアの「ラグマン」という麺になった。
 麺造りの文化は中国南部の稲作地帯にもつたわり、「ビーフン」などの、米を材料にしたあたらしい米の麺が生まれた。中国では、黄河をはさんで「南米北麦」といい、北部では小麦がとれるが、南部では小麦はとれずに米がとれる。かつて金にせめられて南下した宋は、麺の技術も持っていったので米で麺をつくったという。さらに米の麺は東南アジアにつたわり、様々な米の麺文化が花開いた。
 一方で、蘭州では雑穀の麺も生まれた。その「麺の道」は北にもすすみ内モンゴルから朝鮮半島にまで達するとともに、南のチベットにも達し、ブータンの「プッタ」などにもなった。
 また「麺の道」は日本にも通じ、日本独特のうどんやそばが生まれた。

 こうして、華北平野から西に南に北に東に「麺の道」がのびていった。「麺の道」をたどると、ユーラシア大陸で「麺の文化」がどのようにして形成されていったのかを容易に理解することができる。「道」とは、歴史を地理的空間的に理解する重要な方法である。「道」をたどることにより歴史の全体像を比較的容易につかむことができる。
 そもそもなぜ、小麦を、パンではなく麺にして食べるようになったのかというと、中国では箸とお椀で食事をとるため麺の方が食べやすく、また麺の方がのどごしがよく、汁がからみやすくおいしくなるためだという。
 麺は各地の食材と融合しながら「麺の道」をつくり、その土地土地で姿形を変えあたらしい「麺文化」を今もつくりだしている。

30-05 「眼下の地球は荘厳な眺めだった」 -宇宙飛行士・野口聡一氏-

 米スペースシャトル・ディスカバリーに乗り、国際宇宙ステーションに滞在中の野口聡一さん(40)は2005年7月31日、米メディアのインタビューに臨んだ。前日の船外活動(宇宙遊泳)について「7時間にわたる船外活動は驚きの連続」と話したという(注)。
 野口さんは、ISSのロボットアームの先端に乗り、故障していた装置を取りはずした。次に、それをかかえたままの姿勢で、宇宙空間にさらされたシャトルの貨物室まで、片道約40メートルの距離を移動した。その後、代わりのあたらしい装置をかかえて設置場所にもどり、すえつけた。
 宇宙からは、青い地球を背景に作業する野口さんの映像がおくられてきた。野口さんは「何物にも代え難い光景だ」とつたえてきた。
 現代は、宇宙から地球を見ることができるようになった時代である。人類は宇宙に出て、宇宙からの視点を手に入れたのである。これによって地球を客観視できるようになり、グローバルな考察ができるようになった。
 地球と人類の未来にとって、宇宙飛行士の言葉や宇宙からの映像はきわめて貴重な情報を提供している。

(注)asahi.com

30-06 「全体を見る→記憶する→記録する」は情報処理と能力開発の訓練になる

 たとえば、どこかへ行ったとき、まずその場所をよく見わたす。次に、その場所をよく記憶する。そして、その場所を心の中でイメージとして想起しながら場所の名称や特徴を記録する。
 このような「全体を見る→記憶する→記録する」という作業は、情報処理の基本的な行為にほかならない。「全体を見る」とは入力である。「記憶する」とは処理の一種である。「記録する」とは出力である。一旦出力された場所の記録は、その後の情報想起・情報検索のインデックスとして機能する。
 ここで、資料などを見ながら記録するのではなく、現場でよく記憶しておいて、資料などを見ないで、記憶を想起しながら記録するという方法は情報処理の訓練法の一つになる。一旦、言語で出力したのち、記憶が不確かなところについては、資料や地図などを見直して情報をおぎなうようにする。これは、記憶と想起の重要な訓練になり、この訓練をつみかさねていると観察力もつよくなってくる。これを最初から資料を見ながら情報をうつしていると能力開発の訓練にならないし、出力に時間がかかってしまう。
 具体的には、どこかへ行ってきたら、その日のうちにその場所を想起し記録する訓練をつづける。時間がない場合は、場所の名称だけを列挙しておく(リストをつくる)だけでもよい。場所が情報検索の手掛かりになり、あとで効率的に情報をあつめ、まとめるためのインデックスになる。このような方法は、テレビを見おわったとき、本を読みおわったときなどにも実践できる。これは従来は、取材とその記録などとしてあつかわれていたことであるが、これからは、情報処理と能力開発というあたらしい観点からこのようなことをとらえなおし、日々実践していくことが重要である。

30-07 情報を評価するためには、まず全体のリストをつくる

 最近は、「Yahoo!フォト」などがあり、誰でも簡単に写真をウェブサイトにアップロードすることができるようになった。
 たとえば、旅行で撮影した写真をウェブサイトにアップロードするとしよう。撮影したすべての写真をアップロードすることは不可能のであるし、そのようなことをしても意味がない。印象にのこる写真や重要な写真などをえらびだしてアップロードすることになる。
 重要な写真をえらびだすためには画像ソフトのサムネイル表示が役立つ。デジタルカメラで撮影した写真は、サムネイル表示をつかえば何百枚あっても一覧することができる。サムネイル表示で写真すべてを一度みてしまうと、重要な写真がどれであるかがわかり、それをピックアップできるようになる。これは写真を評価していることにほかならない。写真を評価するときにも、もっとも重要な写真、つぎに重要な写真、あまり重要でない写真というように、三段階で評価できればなおよい。そして、もっとも重要な写真をアップロードし、あとで、余裕があれば、つぎに重要な写真をアップロードするといった二段構えのとりくみもできる。アップル社のiPhotoというソフトの「マイレート」という機能をつかえば、各写真に★印をつけることができ、このような作業が迅速にできる。このような評価は、過去に撮影した写真すべてに応用できる。
 様々な所に旅行して膨大な写真を蓄積している人はたくさんいる。しかし、それらの写真はほとんど活用されずにアルバムなどにファイルされたままである。これらの中からすぐれた写真をえらびだしてウェブサイトにアップロードすることは、大変たのしい作業であるし、情報を評価する訓練にもなる。今では、フィルム・カメラで撮影した写真もスキャナーやショップのサービスをつかえば簡単にデジタル化できる。
 旅行でとった写真をえらびだす場合、まず、過去の旅行のリスト(写真のリストではなく)をつくるのがよい。それは、日付と場所だけをしめす簡単なものでよい。たとえば、過去に約100ヵ所をおとずれたのであれば、その100ヵ所のリストをまずつくってしまう。たいていの人は場所はすぐにおもいだせる。日付がわからない場合は「何年頃」という程度でもよい。
 このようなリストをつくると、特に印象にのこった旅行や重要な旅行がどれであるかよくわかってくる。これは、過去の旅行の評価をしていることにほかならない。できれば上にしめしたように三段階の評価をし★印で重要度をしめすとよい。
 つぎに、もっとも重要な旅行についてのみ、アルバムの写真をすべてみて、その中でもっとも重要な写真をピックアップし、それをウェブサイトにアップロードすればよい。その後、余裕ができたら、二番目に重要だと評価された旅行について、同様な作業をつづければよい。
 このような評価法は文献を対象にしてもできる。たとえば、あるテーマをきめて30冊の文献をあつめたとしよう。まず、ざっとそれらをすべて見てしまう(速読してしまう)。つぎに、それらすべての著者と書名のリストをつくる。そのリストは情報の全体像をしめすものであり、そのリストをしばらく見つめていると、どれが自分にとって重要で、どれが重要でないかがわかってくる。つまり著作の評価ができる。上記のように三段階の評価ができればなおよい。
 そして、まず、もっとも高い評価があたえられた文献をくわしく徹底的に読むのである。そのあとで、余裕があれば、次に重要な文献を読むようにする。こうすることによって、情報処理の効率は格段に高くなる。
 このように、写真や文献にかぎらず、情報を評価をするためには、まず、全体を一覧できるリストをつくってしまうことが必要である。評価法の基本はまず全体を見ることである。学生の答案を評価する場合にも、まず答案すべてをみて、その上で評価(採点)をしなければならない。
 リストづくりの段階では情報は平面的にならんでいるだけであるが、評価をくわえると、重要な情報は上にとびだしてくる。評価の高さに応じて、上にとびだす高さがちがってくるというイメージである。評価は、情報を立体化する役目をになっている。評価とは情報を構造化する方法である。

30-08 情報を評価すると要約がつくれる

 たとえば感想文を書く場合、体験によってえられた情報を評価し、自分にとってもっとも重要なことを中心にして書いた方がよい。たくさんの言葉をコチョコチョとつなげるようなことはのぞましくない。
 評価とは、多量の情報を前にして、どこが海か、どこが平野か、どこが山の中腹か、どこが谷か、どこが山の頂上かなどと、それぞれの情報を三次元空間のなかに位置づけることである。その人が大きな高低差をもつ三次元空間を心の中にもっていれば、そのような作業がより楽にできる。
 山は、全体を統合するシンボルとして機能する。したがって、情報の世界の山がどこにあるかがわかると、情報の要約も自然にできあがってしまう。

30-09 似ているものの中に違いを見いだす -ビオラとバイオリン-

 ビオラ奏者の今井信子氏らの「ビオラ・スペース」の演奏会がNHK・BSで放送された。曲目は次の通りであった。

マルティヌー:3つのマドリガル 小栗まち絵(ヴァイオリン)・今井信子(ヴィオラ)
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラソナタ 作品25-1 〈生誕110年記念〉 店村眞積(ヴィオラ)
J・S・バッハ:シャコンヌ  川本嘉子(ヴィオラ)
バルトーク:44の二重奏曲より 今井信子・川崎雅夫・川本嘉子・店村眞積(ヴィオラ)

 「ビオラ・スペース」はビオラ奏者によるグループであるが、第1曲目だけは、バイオリンとビオラの二重奏が演奏された。これを聴いてビオラとバイオリンの音色の違いがよくわかった。バイオリンを1曲いれることで、ビオラとバイオリンの比較ができ、ビオラの音色の特徴がうかびあがってきたのである。ビオラはバイオリンにもっとも似ている楽器であり、その違いに気がついている人は少ない。もしビオラだけの演奏だったら、ビオラの特色は多くの人にとってはわからず、バイオリンと同じだとおもわれてしまうだろう。特色は比較してこそわかるのである。
 このことを一般化すると、何かを理解しようとおもったら、それと似ているものを同時にならべて、それらを比較し、それらの相違をみつけるようにするとよい。これは、類似なものなかに相違を発見する方法である。
 今回の演奏会では、ビオラとバイオリンを比較することができた。比較することにより、ビオラにもっとも似ている楽器・バイオリンとの違いがとらえられた。似てはいるが違うということである。しかし、もし、これをビオラとあまり似ていないトランペットと比較したらどうであろうか。トランペットと比較してもビオラの特色はわからない。バイオリンと同じだという理解でおわってしまう。
 つまり、似ているものの中に相違を発見するということに意味があるのである。似ているものどうしに相違があるとは、一見すると矛盾するようであるが、これは認識のための重要な方法である。類推とよばれる方法の本質は実はここにある。
 似ているといえばどこまでも似ているが、異なるといえばどこまでも異なって見える。似ているか異なるかは相対的なものであり、どちらの観点からでも柔軟に対象をとらえられるようにすることが大切である。似ているものの中に異なるものを発見するという柔軟な思考ができるようになると、世の中がとてもおもしろく見えてくる。

30-10 記憶・ファイルづくり・想起の訓練のために
ハードディスク/DVDレコーダーを活用する

 最近は、ハードディスク/DVDレコーダーにより手軽に大量の録画ができるようになった。録画する量が多すぎて、見るのがおいつかないほどである。レコーダーにはディスクナビという便利な機能がついていて、各番組にタイトル名をつけることができるようになっている。
 つけるタイトルは、放送局がつけた本来の番組名である必要はかならずしもない。自分にとってもっともわかりやすい、番組を特徴づけるキーワードでよい。記憶法の見地からいうと、タイトル名を見ただけで番組の内容が思い出せるかどうかがポイントになる。思い出せない場合はもう一度映像を見なければならない。
 タイトルやキーワードは、番組(映像)を圧縮・要約したシンボルであり、同時に、映像情報を想起するインデックスとして機能する。
 番組のイメージは、ハードディスクやDVDにファイルされているが、一方で、自分の心の中にも記憶としてファイルされている。思い出すとは、タイトルやキーワードを手掛かりにして自分の心の奥底のファイルを表面にひっぱりだしてくることである。
 ハードディスク/DVDレコーダーをつかってタイトルやキーワードを集積していき、しばらくしてからふたたびタイトル(言語)を見て、どこまで想起できるかチェックするのは記憶法の訓練になる。レコーダーをこのような見地から利用し、記憶・ファイルづくり・想起の訓練のために活用していくとよい。レコーダーは、人間の情報処理を手助けするための道具としてとても有用である。

30-11 空間記憶法の究極は、地球を記憶の場にすることである -シリーズ世界遺産-

 2005年4月からNHKで、「シリーズ世界遺産100」という番組がはじまった。これは、月曜〜金曜日まで各日5分間、世界遺産を紹介していく番組である。NHKはこのシリーズをいかし、世界遺産の映像を未来へつたえるために、ユネスコと共同で記録事業にとりくんでいるという。
 番組では、まず、その世界遺産を特徴づけるキャッチフレーズがしめされる。つぎに地図がしめされ、場所や国を確認できる。そして、それぞれの世界遺産が、江守徹さんのすばらしいナレーションとともに非常にうつくしい映像で紹介される。歴史や地理、環境、特徴、登録されるにいたった背景などが、きわめてコンパクトに要約されていてわかりやすい。一回5分間かぎりという時間のみじかさが、さまざまな情報を圧縮・統合する効果を生みだしている
 私は、DVDレコーダーに予約録画を毎日しておいて、ひまなときにまとめて見るようにしている。見おわったら、DVDレコーダーのディスクナビをつかって、タイトルとしてその世界遺産の地名や名称を記録しておく。そうすると、あとでタイトル一覧を表示させることができる。
 番組をしっかり見つめて記憶しておけば、あとで、タイトルを見ただけで番組の内容を思い出すことができる。思い出せない場合は録画を見直せばよい。見直すといってもたったの5分間である。
 タイトルを見て番組をおもい思い出すときに、第一に、その世界遺産の地図や現地のうつくしい映像が想起される。つまりイメージ想起ができる。さらに、そのイメージにむすびついて、江守徹さんがかたった、歴史や地理、特徴、背景などもある程度想起できる。これは、その世界遺産に関する言語的な知識を想起することにほかならない。イメージに言語的な情報がむすびついて記憶されているというわけである。イメージと言語とをむすびつけるのは記憶法の極意である。こうして「シリーズ世界遺産」を見ることは、社会や自然さらに地球に関するたのしい記憶法の訓練になってくる。
 各番組のタイトルすなわち地名は知識(情報)を検索するためのインデックスの役割を果たす。地名は、地図や地球儀の中で特定の位置をしめている。それぞれの位置に、それぞれの知識(情報)がむすびつくことになり、結局、それぞれの場所に、歴史や地理、文化、自然環境の情報がイメージとともにうめこまれていることになる。これは、地図や地球儀を情報整理の場としてつかうということになる。そして今度は、世界地図や地球儀を見ただけで、それぞれの世界遺産を通して、それぞれの場所の情報をイメージとともに思い出すことができるようになってくる。
 こうして、DVDレコーダーを利用して録画した「シリーズ世界遺産100」は、場所を通して、様々な情報を地球の各所にむすびつけ、それらを検索・想起する仕組みを構築していく。空間記憶法の究極は地球を記憶の場にするところにある。

30-12 情報のアウトプットの本質は、情報の圧縮・統合にある

 多種多量な情報を処理し、いかに効率よく質の高いアウトプットをしていくかは、高度情報化の時代に入り大きな課題になった。いくら多種多量な情報をあつめてもアウトプットにむすびつかなければ意味がない。
 情報をアウトプットしていくときにもっとも重要なのは、情報を圧縮・統合することである。つまり、自分がつたえたいメッセージをうまくまとめて、要点を的確にアウトプットすることである。あらゆる情報をアウトプットすることは不可能であるし、またそのようなことをしても意味がない。自分にとって、あるいは組織や社会にとって意味のある重要な情報を選択してアウトプットしなければならない。
 情報を圧縮・統合する過程では情報を評価しなければならない。つまり、情報の良し悪し・必要性・重要度などの基準にしたがって情報を評価し、評価の高いすぐれた情報を選択しなければならない。
 そのためには、情報の一覧をまずつくらなければならない。ある場所、ある期間、あるテーマのもとで、どのような情報があるか、まず一覧をつくって全体像をつかまなければならない。その全体の中で、情報を評価し、重要な情報をピックアップして、さらに要点をまとめてアウトプットすることがもとめられる。

30-13 作曲家の意図を再現するのが演奏家の役割である

 音楽教育者の斎藤秀雄氏は言う。
「バッハはこういう意図で書いたから、その意図を再現してあげるのがバッハのためだろうというのが僕たちの考えで、バッハの時代にこういう演奏をしていたから、こう弾こうとは思わないですね」(注)。
 つまり斎藤秀雄氏のグループは、作曲家のメッセージを聴衆につたえようとしているのであって、音楽を過去の再現とはかんがえていない。音楽を、作曲家のメッセージをつたえる手段としてとらえている。
 このかんがえ方は美術についても言えるだろうし文学についてもあてはまる。美術ではイメージが手段であり、文学では言葉が手段になる。音やイメージや言語はメッセージをつたえるための手段であり、それらは、作者があらかじめもっていたメッセージを、音やイメージや言語にして表現したものである。
 そういう意味では、メッセージこそが情報の本体であり、音やイメージや言語は情報の表層構造にすぎないといえる。

(注)小澤征爾ほか編『斎藤秀雄講義録』白水社、1999年

30-14 フォーマットが確立すると生産性が格段にあがる
-『男はつらいよ(第5作)望郷編』-

 2005年8月、NHK・BSで『男はつらいよ』(山田洋次監督)の全作品の放映がはじまった。
 第1作・第2作は山田洋次監督であったが、第3作・第4作はほかの監督が担当した。そして第5作『男はつらいよ 望郷編』からふたたび山田洋次監督作品となった。
 やはり、監督がちがうと作品もちがってくる。第3作・第4作は喜劇にすぎなかったが、第5作には、喜劇の中にさびしさがあり、さびしさのなかに喜劇がある。山田監督作品は喜劇をよそおってはいるが、そこには現代のさびしさや近代文明批判がふくまれている。このことは、『男はつらいよ』の音楽(山本直純作曲)が長調ではあるがさびしい曲になっていることと調和的である。このようなことが大衆の心をつかむのである。
 このようなフォーマットは第5作においてはっきりとあらわれた。『男はつらいよ』のフォーマットは第5作でほぼ確立したといってよいだろう。そして、この基本フォーマットで最終の48作まですすんでいくのである。
 すぐれたフォーマットは、確立するのは大変であるが、一旦確立すると、かなり長期間にわたって作品を生産しつづける原動力になる。フォーマットが確立すると生産性が格段にあがるのである。似たようなことは、たとえば文学作品とか学者の論文などについても言えるだろう。私たちもすぐれたフォーマットをつくりだしたいものである。

30-15 命の大きな流れがある -アメリカン・キルトづくり-

 アメリカ・バーモント州にある「シェルバーン美術館」はアメリカ最大のキルト・コレクションをほこる。この美術館は、エレクトラ=ハーヴェマイヤー=ウェブにより1947年に創立された(注)。
 キルトとは、開拓時代からつくりつづけられてきた、アメリカを代表するフォークアートであり、ベッドカバーや毛布・壁掛けとしてアメリカの人々の生活をいろどってきた。それは、二枚の布のあいだに中綿をいれ刺し子のようにぬいあわせたもので、布地と縫い目の無限の組合せが世界に一枚しかないキルトを生みだす。
 この美術館でボランティアをしているマーヤ=ロウさんは言う。
「こうして一針一針ぬっていくうち、小さなバラバラな端切れがだんだん一枚の大きなキルトになっていく。その過程にいつもワクワクしています。祖母のキルトは、祖母から母へ、そして私へという一つの流れがつながっていることを、はっきりと感じさせてくれたんです。私は一人っきりではない。一つの大きな流れの中にいるのだということをね」
 マーヤさんの家には代々キルトがつたわっている。祖母から母へ、そして娘へと、大切に手渡されてきたキルト。キルトがうけつがれていくことは、命がうけつがれていくことであり、また一方で、大きな命の流れの中でマーヤ=ロウさんは生かされている。このような命の大きな流れに注目することが大切である。

(注)NHK教育テレビ「世界美術館紀行」

30-16 第三の学問によって基礎学問が再生する

 学問には二つのタイプがある。ひとつは基礎学問であり、もうひとつは実学である。日本の大学では、たとえば、京都大学では基礎学問を重視するが、東北大学は実学を重視する傾向があると言えるだろう。
 両者は基礎と応用の関係であり、優劣をつけられる性質のものではなく社会にとって二つとも必要なはずなのであるが、一方で矛盾対立があるのも事実である。基礎学問にとりくんでいる学者と応用や実学にとりくんでいる研究者・技術者でそりが合わないというのはよくある話である。
 この矛盾葛藤をのりこえるにはどうすればよいだろうか。私はここで第三の学問の道を提案したい。それは、第一に基礎学問をやり、第二に実学をやり、その両者をふまえて第三の学問の道をすすむということである。基礎があるから応用が可能になり、応用や実践があるから社会貢献ができる。ここまではだれでも理解できる。これにくわえて、応用の過程からあらたな情報をつかみとり、実践の道から今までにないアウトプットをうみだす。そのためには、実践の行為それ自体から情報をあつめ本質を探究するといったノウハウが必要である。これはアクションをおこしながらリサーチをし、リサーチをしながらアクションをおこすといった方法である。
 このような「アクションリサーチ」のなかから第三の本質的な学問がうまれおちると予想される。同時にそれは、第一の基礎学問が、現代の高度情報化社会においてあらたな意味をもち再生してくることを意味する。

30-17 今西錦司著『生物の世界』が地球学のモデルになる

 哲学者の上山春平氏は、「私の模索は、今西さんやそのグループとの接触によって、単なる『人間学』の世界から、『地球学』を背景とする『人間学』」の世界へと拡がりと奥行きを加えてきた」(注)という。
 上山氏は、学問を「人間学」「地球学」「普遍学」の三分野に分類し体系化している。この中で「地球学」の開拓者は自然学者・今西錦司氏である。今西錦司氏には『生物の世界』という名著があり、これが「地球学」のモデルとして役立つ。

(注)上山春平著『深層文化論序説』(講談社学術文庫)、講談社、1976年

30-18 (1)主体=環境系、(2)情報処理、(3)問題解決 

 チャールズ=パース、上山春平、川喜田二郎といった学者は、問題解決や情報処理の論理についてふかく研究した先駆者といってよいだろう。
 彼らの研究成果は非常に有用で価値があるが、同時にわかりにくさもある。それは、問題解決と情報処理が未分化な状態でかたられているためだとおもわれる。
 情報処理と問題解決の論理をのべる前段階としておさえなければならないのは、それらをおこなう場(フィールド)である。私はこれは「主体=環境系」としてとらえている。人間は、「主体=環境系」の主体として情報を処理し、問題を解決する行為をおこなっている。
 これをおさえた上で、つぎに情報処理を、そして問題解決をしめすとわかりやすくなる。情報処理と問題解決は元来は一体のものであるが、両者を一旦分化させ、再度統合システム化するのである。
 つまり、私が主張したいのはつぎの三段階である。この方法論ですべてを理解してしまおうと提案しているのである。
 (1)主体=環境系、(2)情報処理、(3)問題解決

30-19 主体=環境系としての都市国家から文明がはじまった -インダス文明-

 インダス文明をつくりあげた都市国家の発掘状況を見ると、都市の周辺に耕作地がひろがり、その周囲には自然環境がひろがっていることがわかる。都市には人があつまり、情報が集積する。そこには、絶対的な支配者は存在しなかったようで、市民社会が成立していたと推定されている(注)。
 都市国家においては、市民社会が主体となり、自然環境が環境として機能し、それら両者の境界領域に耕作地が発達した。いわゆる文明は、このような都市国家の発生からはじまったとするのが一般的な見方である。

(注)DVD「インダス文明」(NHKスペシャル・四大文明)

30-20 多摩森林科学園で森林の生態系についてまなぶ

 東京・高尾にある多摩森林科学園へ行く。
 JR高尾駅北口をでて、そのまままっすぐ北東にのびる道をすすむ。交差点をわたり、橋をわたり、駅から約10分あるくと左手に多摩森林科学園の入口が見える。
 多摩森林科学園は、大正10年2月、宮内省帝室林野管理局林業試験場として発足、現在は、森林・林業・木材産業に関する試験研究機関である(独立行政法人)森林総合研究所の支所の一つとして、森林環境教育の場における動植物の多様性保全・生態系の役割解明に関する研究をおこなっている。また、森林総合研究所が蓄積してきた研究成果をふまえ、森林・林業・木材産業について理解をふかめるための普及・広報活動をおこなうとともに、園内の樹木園・試験林・サクラ保存林などを活用して、研究資料の提供や研鑽の場として大きな役割を果たしているという。
 入園料は400円、閉門は4時である。「見学のしおり」をもらい、すぐ目のまえにある「森の科学館」へ入る。サクラに関する解説はかなりくわしい。ここはサクラ保存林として特色があるようだ。
 外に出ると「樹木園」がひろがっている。スタジイ・クスノキ・タブノキなどの常緑広葉樹、ブナ・ケヤキ・ミズナラ・カツラなどの落葉広葉樹、トドマツ・スギ・センペルセコイア・メタセコイア・ヤツガタケトウヒなどの針葉樹がしげっている。
 樹木林をすぎると広大な「サクラ保存林」がひろがっている。「サクラ保存林」は、各地の著名なサクラの遺伝子を保存するために昭和41年に設置が決まり、現在約8ヘクタールの面積に江戸時代からつたわる栽培品種や国の天然記念物に指定されたサクラのクローンなど、全国各地からのサクラ約1700本が植えられている。同時に導入されていない品種の収集や、分類の見直し、保存方法、生理的反応などの研究も進めている。咲く時期は種類によっていろいろで、2月下旬から5月上旬にかけて順次見頃となるという。
 多摩森林科学園では、各種の森林講座や親子森林教室も開催しており、森林の生態系について実体験をしながらまなべる場所となっている。
 私は、約2時間で園内を一周し帰路につく。

30-21 東京都薬用植物園で薬用植物についてまなぶ

 東京都小平市にある東京都薬用植物園に行く。
 西武拝島線・東大和市駅の南口をでてすぐ左にまがり、交差点を右にまがる。駅から約徒歩約2分で東京都薬用植物園につく。ここは、薬用植物を専門にしためずらしい植物園であり、見知らぬ薬草に出会うことができる。この植物園は、昭和21年に設立、薬務行政の一環として薬用植物を収集・栽培をしている薬用植物の専門植物園である。総面積は3万1398平方メートルである。入園料は無料である。
 正門を入ると、正面に温室(418平方メートル)がある。
 温室をでて、有毒植物区、ロックガーデン、林地、外国植物区、製薬原料区、民間薬原料区、有用樹木区、ケシ・アサ試験区、有用植物区、栽培試験区、水生植物区、薬事資料館の順に見てあるく。園内には、花や薬草を一眼レフカメラで撮影している人がたくさん見られる。
 薬事資料館には、かぜ薬としてよく知られる葛根湯に関する展示・解説がある。葛根湯は、数ある漢方処方のなかで、もっとも一般に知られているものの一つであり、もっぱら風邪薬としてもちいられているが、頭痛や肩こりなどにももちいられることがあるという。葛根・麻黄・大棗(たいそう)・桂皮・芍薬(しゃくやく)・甘草・生姜(しょうきょう)の七種類の生薬が配合されている。
 それほどひろい植物園ではないので2〜3時間で一通り見ることができる。薬用植物に興味のある人にはおすすめの植物園である。

30-22 人工と自然とのかぎりない調和をもとめた -中国・蘇州の古典庭園-

 NHK・シリーズ世界遺産100で「文人たちの桃源郷 中国・蘇州の古典庭園」が紹介された。

 長江下流、2500年の歴史をもつ町・蘇州は、町を縦横に運河がながれ、ふるい町並みが軒をつらねる。13世紀この町をおとずれたマルコポーロは、「東洋のベニス」とよびそのうつくしさをたたえた。蘇州には、明や清の時代、引退した官僚や文人たちがつくった庭園が数多くのこっている。その中で9つの庭園が世界遺産に登録されている。その中の一つ「拙政園」(中国四大庭園のひとつでもある)は桃源郷の伝説にもとづいてつくられている。
 大きな岩山の洞穴をとおりぬけると、突然、うつくしい池や緑あふれる別世界があらわれる。そこはまつりごととは無縁な桃源郷だ。庭には様々な工夫がなされている。とおくに見える寺の塔を風景にとりいれる技法「借景」、花の形に切りとった窓を通して背景の庭を見る「漏景」、窓枠を額縁のように切りとり、季節ごとのいろどりの変化をたのしむ「額縁絵」など。湖の底の石をつみあげてつくられた「仮山」は、自然体の切りたった岩山を庭園に再現したものである。

 中国の文人たちがやすらぎをもとめた桃源郷、庭にこめた美意識は人工と自然とのかぎりない調和をめざしたものだった。

(2005年8月)
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2005年11月30日発行
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