思索の旅 第29号
井草八幡宮(東京都杉並区)
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29-01 全体を見て、部分に入る -グーグル・マップ-

 検索サイトでもっともよくつかわれているグーグル(Google)には、「マップ」あるいは「ローカル」のサイトがある。このサイトは、ブラウザーに、世界地図からローカルな地図まで、画像左の縮尺バーを調整しながら自在に表示できるだけでなく、右上の「サテライト」のボタンをクリックすれば表示地域の衛星写真を瞬時に見ることができる。超高精度な衛星写真を表示できる地域も多数あり、東京23区内では民家が1軒1軒まで見える細かさになっている。地名による検索機能もついており、地図で地名や場所を確認しながら、衛星写真で現実の姿を見ることができる。自分がすんでいる所や行ったことがある場所を衛星写真で見てみると実にいろいろな新発見がありおもしろい。
 この「グーグル・マップ」の縮尺変更機能をつかうと、全体を見て部分に入るという体験をサイト上で簡単にすることができる。全体をまるごと見るのは、情報処理や問題解決の第一歩である。そして、関心のある部分に入るあるいは部分と全体とを区別して意識するのは、情報処理や問題解決の第二歩である。
 すでにおとずれた場所を中心にしてこのような作業をおこなうと、そこを中心に様々な記憶がよみがえり頭の中が急激に整理される。様々な場所で形成された記憶が空間によってむすびつき記憶が再構築される。また、地図と衛星写真を見ながら、つぎにどこに行くか構想をねることもできる。よさそうな場所がみつかったら、そこの衛星写真を拡大してよく見ておくとよい。そして実際にそこに行ってみて、自分のえがいたイメージと現実とを比較してみる。これはまさに、全体をみて部分に入るという行動である。そして、帰宅してからもう一度、地図と衛星写真を見直せば、現地で得た情報を空間的に整理しなおすことができる。
 このように「グーグル・マップ」はとても有用なサイトであり、しかも無料である。これを存分につかいこなし、情報処理や問題解決の質を高めていきたいものである。

29-02 フィールドワークに行ったら、現場の立体空間を心の中に確立する

 フィールドワークでは、現場の立体空間をしっかり頭の中に入力し、それを記憶することが第一に重要である。そのときには、方位をしっかり確認するとともに地形に注目することが基本になる。
 たとえば、現地の宿泊先などについたら、中でやすむだけでなく、その周囲を散歩してみるのがよい。印象にのこった所では写真やメモをとっておく。散歩の途中でとった写真やメモは、あとで立体空間を想起し、記憶を再構築するときのきっかけになる。あとになればなるほど、そのような記録は重要な役割を果たすことになってくる。そして、連続したひとまとまりの空間体験をする。空間体験をしたら、それがイメージとしてしっかり想起できるかどうかチェックする。つまり、空間をしっかり記憶できたかどうか確認する。よくわからないところがあれば確認する。
 このようにして宿の周囲の空間が記憶できれば、そこを中心にしてもっとひろい範囲の空間も心の中に入ってくる。あたりの立体空間は心のなかに記憶され、その地域の立体空間がしだいに心の中に確立されてくる。

29-03 植物園でフィールドワークの訓練をする

 植物園は、フィールドワークの訓練の場として非常に有用である。
 植物園の中をあるくときは、まず、場所をしっかり確認することが重要である。植物園の地図(案内図)を見ながら、今どこにいるのかたえず把握する。そのとき、植物園の全体像と自分がいる局所の両方を意識するようにする。
 植物園を歩いていると植物の姿と名前を見ることができる。植物の姿と名前は、植物園のどこの場所にあったのか、空間的な場所として記憶することが重要である。必要に応じて写真をとっておく。おなじ植物園をくりかえしおとずれればあらたな知識を追加したり、記憶を再構築することもできる。そこで得た植物に関する知識は、ほかの地域で実際にフィールドワークをするときにそのまま役立つ。また季節を変えることで、時間的な変化をとらえることも大切である。
 帰宅してから植物園の地図(全体図)を見なおせば、歩いてきた順番に(直列的時間的に)身につけてきた植物に関する知識を、今度は並列的(空間的)にとらえなおすことができる。時間的な体験を空間的に一望することができるのである。こうした作業の過程で、たくさんの気づきや感動がうまれる。
 このようにして、時間的体験と空間的構造と知識(すなわち情報)を植物園という一つの場によってむすびつけることができる。このような記憶ファイルの構築と操作を通して、情報処理の訓練ができだけでなく、空間と時間がもたらす多様性とその変化について認識することができる。同様なことは、ほかのフィールドワーク先で応用することができる。
 折りにふれて植物園でこのような訓練をおこなっておくと、フィールドワークの実力は着実にあがってくる。このような訓練は動物園でもできる。身近な植物園や動物園はフィールドワークの訓練の場として利用できる。

29-04 情報の核をつくっておけば、時間がたつと情報は自然に成長・熟成する

 私は日誌をつけており、その日の行動やその日にかんがえたことを記録するようにしている。それが「思索の旅」のベースになっている。
 過去の日誌を見ていると、おなじテーマが無意識のうちにくりかえしでてきており、おなじことをくりかえし循環的にかんがえていることがわかる。しかし、ただ堂々めぐりをくりかえしているのではなく、最初は不十分であったことが後になるとしっかりした内容に成長している。最初はメモ程度であったが後ではしっかり文章化されている。時間がたつにつれて情報が成長・熟成したのである。
 したがって、何かをかんがえたり思いついたりしたら、メモでもよいからかならず日誌に書きだしておくことが重要である。書きだすことによって情報の核ができ、それが時間とともに無意識のうちに成長する。このようなことがあるので、メモ程度の書きだしをしたときに、すぐに完全な文章を書く必要はない。ある程度時間をおいて、機が熟したときに一気に文章化した方がよい。
 ここに、潜在意識を活用した情報処理のコツがある。情報の核さえつくっておけば時間が自然に情報を熟成させる。これは一般に無意識のうちにおこり、努力や苦労といったこととは別の次元のことである。これに対して、ウンウンとうなりながら文章化をすすめるやり方にはストレスがあり、それは不自然である。不自然な方法は悪い方法である。人間がもっている普通の能力を無理なくつかう自然な方法を採用するのがよい。

29-05 全体と部分を同時にみながら情報を編集する

 何らかのテーマについて文章化をすすめる場合、文章そのものを書く以前の段階として、情報を編集する段階がある。情報を処理する段階と言ってもよい。つまり文章化には、情報を編集(処理)する段階と文章を完成させる段階がある。
 情報を編集する段階では、テーマに関する情報をすべて書きだしてしまい、全体と部分を同時にみながら、似ている情報をそばによせるようにするとよい。このようなことはワープロをつかえば簡単にできる。このときに大きなディスプレイがあれば、それらの情報をディスプレイ全体に表示させ一覧することができる。つまり全体と部分とを同時に見られるようになる。
 たとえば、マイクロソフト「ワード」のページレイアウト表示は、20インチディスプレイでは、A4は、100%表示だと2枚、75%表示だと3枚、B5は、100%表示だと3枚、75%表示だと4枚が表示でき、情報を一覧できる。
 全体と部分を同時に見ながら情報を編集するということは、情報を、直列的にではなく並列的に処理することにほかならない。並列処理のためにはできるだけ大きなディスプレイをつかったほうがストレスがなく効率があがる。ここでも、情報処理の本質は並列処理にあることを理解することが重要である。
 そして情報の編集がおわって、文章そのものを書く段階になったら、今度は直列的に情報をつなぎあわせていく。つまり前から後へ順番に文章を書きながら、文章を完成させる。最後には校正おこなう。この直列的文章化の段階では、かならずしも大きなディスプレイは必要ない。順番に書いていくのだから部分が読めればよい。このような作業は小型のノートパソコンでも十分できる。
 情報の並列処理は大きなディスプレイをつかった方がよいが、直列的文章化は小型ノートパソコンがあればよい。このような、パソコンのつかい方を実体験してみると、情報の編集では並列処理、文章の完成(情報の出力)では直列処理という、情報処理の仕組みが理解できるようになる。

29-06 スーパーコンピュータを並列接続して情報処理能力をあげている
-地球シミュレータ-

「神奈川県横浜市で、2002年4月から運用されている地球シミュレータセンターは、スーパーコンピュータを640台も並列に接続し、施設全体としては、世界でもっとも高速な超スーパーコンピュータを実現している」(注)。
 これまでのシミュレーションでは、地球をおよそ100キロのメッシュで区切り、その範囲内でおこる現象を計算していたが、この地球シミュレータでは、10キロ四方で地球を区切り、よりこまかい現象を計算することができるので、精度は数百倍にあがったという。
 地球シミュレータは、1秒間に10兆回の計算能力をもち、大気・海洋や地球環境の変動をシミュレートすることができ、地球温暖化問題や気候変動予測など、地球と人類の未来の問題にとりくむために大きな役割を果たしていくと今後とも期待されている。
 ここで重要なことは、640台のコンピュータを、直列ではなく並列に接続して、情報処理能力をあげたという点である。情報処理能力をあげる原理は直列ではなく並列にある。それは、たった1台の情報処理装置で高度な情報処理をやろうとするのではなく、多数の情報処理装置をくみあわせることにより情報処理能力を高める仕組みの方がすぐれていることをしめしている。
 これは、多数のパソコンをネットで接続して情報処理能力を高める仕組みとおなじである。かんがえようによっては、現代では、地球上に存在する無数のコンピュータが、インターネットで並列接続され、地球上で巨大な並列的情報処理が日々おこなわれていると見なすこともできる。情報処理の本質は並列処理にある。

(注)NHK・高校講座・地学「気候変動」

29-07 二つのテーマが並列処理されて大きな響きの空間が生まれる
-G・ホルスト作曲『吹奏楽のための第1組曲』-

 テレビ朝日の「題名のない音楽会」(2005.7.17)で、佐渡裕指揮&シエナ・ウインド・オーケストラにより、G・ホルスト作曲「吹奏楽のための第1組曲」から第3楽章マーチが演奏された。
 シエナ・ウインド・オーケストラは、1990年に結成されたプロの吹奏楽団であり、1997年からは、世界的な指揮者である佐渡裕氏を主席指揮者にむかえて精力的な演奏活動をつづけている。1999年に発売されたCD「ブラスの祭典」は4万枚以上の売り上げを記録し、吹奏楽史上にのこるモンスター・アルバムになったという。
 G・ホルストの「第1組曲」は吹奏楽のために作曲された名曲であり、今回は、番組の最後に第3楽章のマーチが演奏された。
 そのマーチは、まず、テーマ〔A〕が金管楽器によって演奏される。つづいてテーマ〔B〕が木管楽器によって演奏される。そして最後には、テーマ〔A〕とテーマ〔A〕が同時にかさねられて演奏され、壮大なクライマックスをむかえる。
 この曲が効果をあげるのは、最後の場面で、テーマ〔A〕とテーマ〔B〕が同時に演奏されるからである。その効果は、決して〔A+B〕ではなく、〔AXB〕になっている。つまり、ふたつのテーマの足し算ではなく掛け算になっている。
 音楽は時間芸術であり、基本的には、前から後ろへ流れていく直列的性格のものである。しかしホルストは、〔A〕から〔B〕へと直列的にながれたテーマを、最後には並列させた。ここには、〔A〕→〔B〕→〔AXB〕という三段階のプロセスがある。これにより、音楽は空間的に大きく響くことになった。最後の場面で、元来、直列的時間的なものが並列的空間的なものになり、これが具体的には「響き」として顕在化したのである。この響きこそ、足し算ではなく掛け算の証である。
 ここでおこった現象は、抽象的な言い方をすれば、情報が、直列的から並列的に処理され、大きな効果をあげたと言うことである。〔A〕→〔B〕→〔AXB〕という三段階のプロセスは、創作活動や情報処理の効果を急激にあげるもっとも重要なヒントが、並列処理の中にあることおしえている。

29-08 大小のシンクロナイズがおこっている -佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラ-

 佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラの演奏は人々に感動をあたえる。吹奏楽に、こんなにもすばらし魅力があったのかと認識をあらたにさせてくれる。佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラは、吹奏楽というよりも音楽のあたらしい世界をきりひらいた。
 佐渡とシエナの見事なシンクロナイズ、さらに、彼らと吹奏楽界とのより次元の高いシンクロナイズがここではおこっている。会場の人々も音楽に参加する、あるいはCDやDVDがヒットするというのはそのあらわれである。

29-09 右手と左手で情報を並列処理する -指揮者・大植英次-

 指揮者の大植英次氏は22歳の時に渡米し、小澤征爾やレナード・バーンスタインらに師事、現在はドイツ・ハノーバーを本拠地に活躍し、世界の注目を浴びている。そんな大植が、130年の歴史と高い人気を誇るバイロイト音楽祭の指揮台に東洋人として初めて立ったという(注)。
 大植英次氏は、右手で正確なテンポをとり、左手で音楽を自在に表現する。右手と左手は独立してうごき、テンポと表現は並列的にしめされる。彼は、二つのことなることを同時並行におこなっているのである。
 テンポは音楽の基本構造をつくりだし、表現は音楽の心をあらわす。それら両者ががっちりとくみあわさったときすばらしい音楽が生まれる。これらのどちらが欠けてもだめである。
 右手のテンポは、正確さが要求され機械的であるのに対し、左手の表現は、人間味が要求され情感があふれる。一見すると両者は矛盾するようであるが、機械的な正確さがあればこそ、どんなに自由な表現をおこなっても音楽の全体構造がくずれない。大植氏の右手があるからこそ左手の自由が可能になり、左手の自由さがあるからこそ、それらが右手にのって全体が構築されるのである。
 このように、右手と左手の並列的作業が、結果的に局部の表現と全体の響きをうみだし、それらがさらに共鳴して巨大な交響空間が成立する。大植氏はあきらかに、右手と左手をつかいわけ、情報を並列的に処理している。すぐれた指揮者は、二つ以上のことを同時並行におこなう並列処理能力をもっている。ここでも、情報の並列処理の実態を見ることができる。

(注)TBS「情熱大陸」

29-10 決断は、問題解決のあらたな扉をひらく

 問題解決をすすめるためには、ある時点で決断をしなければならない。決断は行動を生みだし、行動はあたらしい扉をひらく。
 決断の背景には情報の評価と選択が必要である。そのためには問題に主体的にとりくみ、そこにある状況になりきることがもとめられる。また、決断にはアイデアが役立つことがよくある。アイデアを発見するためには現場にくりかえし行くのがよい。また決断にはタイミングもある。
 このようにして決断をすると、それまでの情報が統合されて一つの場が完成され、同時に、あたらしい場づくりへと移行していくことになる。決断とは、問題解決における場面転換にあたり、それは瞬間のできごとであるが非常におもい行為である。

29-11 データベースとしてのウェブサイトをつくる

 ウェブサイトをつくっていると、それは自分のデータベースとして非常に有効に機能する。ウェブサイトをつくっておけば、過去の情報をくりかえしとらえなおし、それを再利用し、さらにみがき成長させていくことが比較的に容易にできる。それぞれのページはリンクでつながっているから、関連情報を検索することも簡単である。リンク集をつくっておけば他のサイトにもすぐにとべる。これほど便利な情報ツールはほかに存在しない。
 過去の出来事は、このような方法でデータベース化しておかないと、記憶もうすれしだいに消えていってしまう。過去の情報はたえずとらえなおしをして、あらたなテーマのために活用していかなければならない。そのような意味で、パソコンやハードディスクにうもれている過去のファイルを発掘し、ウェブサイト上に再生させていくことが大切である。

29-12 伝統とは、つみかさなり成長するものである
-音楽教育者・斎藤秀雄がきずいたもの-

  「教育とは、植物をそだてるのとおなじことで、水と肥料と太陽の熱で成長する。どういう時期に肥やしをやるか。どういう時期に太陽がいるか。種によってみんなちがうわけですね」と音楽教育者・斎藤秀雄氏はかたる(注)。
 斎藤氏は、1948年に子供のための音楽教室を開講、4年後、桐朋学園に音楽科を開設、1955年、桐朋学園オーケストラ第1回演奏会を開催、1964年、はじめての海外公演(アメリカ)を実現、1974年に72歳で永眠するまで音楽教育に生涯をかけ、小澤征爾氏などの世界的な音楽家を次々にそだてあげた。
 1984年には、斎藤秀雄没後10年を記念して、教え子たちが「サイトウ・キネン・オーケストラ」を結成し、以後、数々の海外公演やサイトウ・キネン・フェスティバルを開催、このオーケストラは世界的にきわめて高い評価をえている。氏が世をさって30年がたった今でも、彼のきずきあげた伝統は教え子たちの中に脈々と生きつづけている。
 斎藤氏は小澤征爾氏にこうも言っていた。
「伝統っていうものがあるんですね。20何年のつみかさねの伝統だから、小澤さんがいたころからだんだん伝統がつみかさなって、後で出てくる者は伝統の中に入ってくるから、成長するのがはやいんですね」
 また、教え子のひとりでバイオリニストの堀伝氏は言う。
「斎藤先生は『僕の夢は、君たちが大きくなって、みんなでオーケストラをやることだ』とおっしゃっていました。私たちは、斎藤先生からおそわったものを、次の世代にわたしていかなければいけない」
 現在、調布市にある桐朋学園は、斎藤氏が生涯の夢をそだてた実践の場として、その伝統を見事にひきつぎ、優秀な音楽家を輩出しつづけている。彼と彼の教え子たちがきずきあげた伝統は、今後ともますます発展・成長していくにちがいない。

(注)NHK・証言ドキュメント「教育者 斎藤秀雄の真実」

29-13 伝統の中に入ると能力開発が容易になる

 何事も、最初の基礎をつくるのは大変であるが、一旦伝統ができあがってしまうと、あとからきた生徒は、その伝統の中に入ることによってはやく成長することができる。これが伝統の効果である。よくできた伝統とは、能力開発や創造のための手段として活用していくことができるのである。わかいときに能力をのばした人の多くは、どこかで伝統をうまくつかっている。伝統は、学校にもあるし会社にもある。あるいは国にもある。最初の段階をきりひらき、あたらしい伝統の出発点をきずいたパイオニアも、どこかで既存の伝統をうまくつかって、それを基盤にしてあたらしい伝統をスタートさせているのである。
 伝統というと過去のものと誤解する人がいるが、そうではなく、能力開発や創造の手段という伝統の重要な側面をしっかりとらえなければならない。

29-14 個体ではなく集団を生命のユニットとしてとらえる
-小魚の「集団ダンス」-

 「オーストラリア西部には、世界でも有数の規模をほこる大サンゴ礁・ニンガルーリーフがひろがっている。ここには、キンメモドキなど無数の小魚が集団をなして泳ぎまわっており、その小魚たちは、集団でダンスをおどって身をまもっている」(注)。
 キンメモドキの集団は、まるで海の中にわく雲のようであり、リズムにあわせてダンスをおどっているかような統一のとれた泳ぎを見せている。この「集団ダンス」こそ肉食魚に対する最大の防衛策だという。小魚は集団だと、本能的に一糸乱れぬうごきをすることができ、肉食魚におそわれても、一斉におなじ方向ににげることができるということである。
 小魚の集団のうごきは、まるで、ひとつの巨大な生き物がうごいているかのように見える。ここでは、個々の個体よりも集団の方に意味がある。集団がひとつの生命であり、個々の個体はその「細胞」のようなものだ。ここでは、個体を生命の基本ユニットとしてとらえるよりも、集団を生命の基本ユニットとしてとらえた方がはるかにわかりやすい。
 ここに、生命を見るときの観点の変更、発想の転換が存在する。常識では、生命とは個体であり、物質である。しかし、ここニンガルーリーフでは集団が生命であり、それは物質というよりも「場」である。小魚の一糸乱れぬ「集団ダンス」の中には、生命の本質を理解するヒントがかくされている。

(注)NHK・地球ふしぎ大自然「謎の小魚天国 -西オーストラリア・サンゴの海-」

29-15 シンボルが、チームの意識の中核として機能する -町火消しの纏-

 江戸時代、江戸では三年に一度大火が発生していた。大岡越前(大岡越前守忠相)は町人の消防組織「町火消し」をつくり、江戸消防の中核にまでそだてあげた(注)。このとき町火消しは組のシンボルとして纏(まとい)を用いた。纏は、「いろは四八組」に分けられた各組のシンボルとして火事場でかならずあげられたという。纏は、火消しにとって非常に重要な役割を果たす結果となった。
 纏は、町火消しのシンボルとして機能していた。チームは個人の単なる足し算ではない。チームがあたかもひとつの生き物であるかのようにふるまったとき、非常に大きな成果があがる。そのときに必要なのが中核となるシンボルである。人々の意識はシンボルに収束し、シンボルはチームの中核として機能する。シンボルの効果をあまくみてはいけない。
 纏の複製は、江戸東京博物館で体験型展示がされており、実際にあつかうことができる。

(注)NHK・その時歴史が動いた「実録・大岡越前 〜火事と闘った知られざる素顔〜」

29-16 高度な情報処理の歴史は「文化のビッグバン」によりはじまった

 「宇宙の歴史は137億年前のビッグバンからはじまった。そして長大な時間をへて、宇宙の歴史を探究する人間が誕生した。その人間の探求心は、7〜5万年前の『文化のビッグバン』からはじまった」と地球科学者・平朝彦氏は言う(注)。
 シリア・デデリエ洞窟には、20万年前〜5万年前までの間にネアンデルタール人がくらしていた痕跡がのこされている。ネアンデルタール人は高度な石器をつくる技術をもっていたが、3万年前にほろびてしまい、直接の子孫は現在の地球にはいない。一方、ネアンデルタール人とおなじ頃にあらわれたクロマニヨン人は現代人の直接の祖先である。クロマニヨン人は、ネアンデルタール人とはちがい絵をえがく能力を発達させた。これが「文化のビッグバン」であるという。ラスコーの壁画には、動物の姿や狩りの様子がえがかれている。クロマニヨン人は自分のイメージを絵にえがくことにより、コミュニケーション能力を飛躍的に進歩させた。
 やがて、絵は、絵文字へと進化していき、古代メソポタミアでは楔形文字が発達した。そして人間は、情報を伝達したり共有することができるようになった。つまり、現代につながる高度な情報処理の歴史は、「文化のビッグバン」によりはじまった。「文化のビッグバン」は「宇宙のビッグバン」に匹敵する大事件であったと言える。

(注)NHK・高校講座・地学「地学への招待」

29-17 文明の発展も個人の成長も主体=環境系で理解することができる

 環境考古学者の安田喜憲氏は講座『文明と環境』(朝倉書店)の中で、「縄文時代以来、1万年以上にわたって自然と共生しながら、平等主義に立脚したゆたかな社会を淡々と持続させてきた東北日本が、21世紀の人口爆発と地球環境の危機の時代に、世界の文明の融合センターになる」と主張している(注)。あたらしい文明を創造するためには日本の縄文時代をとらえなおし、東北日本をその拠点にしようということである。
 あたらしい文化の種はすでに存在するのであり、それが適切な環境をえたときに「文化の開花」がおこる。このときに、人間も環境もともに変わり、人間と環境はあらたな相互関係をきずきあげる。そのような文化が高度に発展すると、それは文明とよばれるようになる。現代は正にこのようなことがおころうとしている時代である。
 講座『文明と環境』は環境を重視しているが人間の変化にも注目しなければならない。そのための一つの方法として、文明の発展を個人の成長とのアナロジーでかんがえてみるやり方がある。一人の人間が成長するとき、その人は環境から一方的に影響をうけているだけではなく、周囲の環境を変えることもおこなっている。主体性のつよい人ほどそうである。人は環境から影響をうける一方で、環境に影響をあたえ、人と環境との相互作用により生活や仕事の場が生まれる。環境からのニーズとその人の固有の能力がシンクロナイズしたときに場の変化が生じ、大きな成果があがる。
 これと同様に、人類は環境から一方的に支配されてきたのではなく、環境を改変してあたらしい地球の場をつくりあげてきた。現代では、改変がいきすぎていわゆる環境問題が発生している。そこで、安田氏のような提案がでてきたのである。
 このように個人の成長と文明の発展はアナロジーで考察することが可能であり、その本質は「主体=環境系」という概念で統一的に理解することができる。個人を主体とみなすこともできるし、人類全体を主体とみなすこともできる。「主体=環境系」には多重構造があるのである。

(注)> 梅原猛・伊藤俊太郎・安田喜憲総編集 講座『文明と環境』(朝倉書店、1995-6年)
(2005年7月)
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2005年11月8日発行
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