思索の旅 第28号
江戸東京博物館(両国)
> 江戸東京博物館(両国)

28-01 言語の奥にある著者のメッセージをとらえることが重要である

 英文翻訳家の話によると、英文を読んだら、その英文から はなれてしまった方が日本語に翻訳しやすいという。これは、表面的な言語(文字)にとらわれるのではなく、著者のメッセージを的確にとらえることの方が重要であることをしめしている。
 そもそも著者のメッセージは、著者がそれを言語にする以前に存在していたものであり、文章とはそれを言語化したものである。英語であろうと日本語であろうと、言語とは、言語になる以前の著者のメッセージを言語にしたものであって、著者のメッセージを伝達するための記号あるいは道具にすぎない。言語の奥にある著者のメッセージをつかむことこそが重要である。
 そのようにかんがえれば、言語は手段の問題であり、メッセージの伝達と受けとりができればよく、何語をつかったかは大きな問題ではなくなってくる。

28-02 表現とは、類似なパターンをつかってメッセージをアウトプットすることである

 文章化などのアウトプットにおいては、相手に誤解されないように表現することがもとめられる。表現とは、相手があってはじめて成立するものである。そこでは、相手がどんな体験をすでにもっているかが重要になる。相手がすでにもっている体験に配慮して、その体験に類似する事例をあげながら表現するとメッセージはつたわりやすくなる。類似の体験をもっていないのに無理に話をしても通じない。
 そもそも表現とは、自分のメッセージを、類似なパターンをつかってアウトプットすることである。メッセージをつたえるために類似なパターンを利用するといってもよい。「たとえば・・・」として類似例をあげる人が多いのはそのためである。
 これをさらに発展させると、類似な情報を次々にむすびつけながら議論を展開し、話を抽象化させることもできる。話を抽象化させると理論とか思想とかいうものになり、話の内容に普遍性が生じてくる。

28-03 一つの具体例をくわしく書き、他はそれを補強するためにつかう

 文章化をすすめ中で、テーマに関する具体的な事例をあげることがよくある。このとき、一つの事例だけをくわしく書くやり方と、様々な事例をバランスよく紹介するやり方の二つの方法がありえる。
 先日、朝日新聞で、電子辞典を出版社が相次いで販売しているという記事が掲載されていた。この記事では、小学館の電子辞典についてくわしく記し、その他の電子辞典については出版社名をあげるにとどめていた。小学館の電子辞典『eランダムハウス大英和』には、『ランダムハウス英和大辞典』『プログレッシブ英和中辞典』『プログレッシブ和英中辞典』『大辞泉』が収録され、国内最大級の語数をほこるという。
 この例では、一つの事例だけをくわしく書く方法を採用している。字数がかぎられている場合には特にこの方法が有効だろうが、そうでない場合でも、一般に、この方法で文章化した方が効果が大きいとおもわれる。すべての事例を公平にあつかい、それぞれをまんべんなく記載していると焦点がぼやけてしまい、その文章は単なる情報源でおわってしまう。データベースを作成する場合はその方がよいが、何らかのメッセージを読者につたえたい場合は、一つの事例をくわしく書く方がよい。
 このような文章化をすすめる場合には、まず、自分として読者に何をつたえたいのか、そのメッセージの要点をはっきりさせる必要がある。そして、それを説明するためにもっとも適切な具体例を一つくわしく書くのである。ほかの事例については、それを補強するために簡潔に書くにとどめる。最後にこれらをふまえてコメントや考察をのべる。このような文章化法によって、メッセージを的確かつ効率的にアウトプットすることができ、記憶や印象にのこりやすい文章をのこすことができる。

28-04 場と道がおりなし物語が生まれる -映画『キャラバン』-

 NHK・BSで映画『キャラバン』(注)が放映された。キャラバンとは、ヤク(ヒマラヤ牛)を運搬手段にして通商するネパール高地民族の商隊のことである。

 チベットに限りなく近い、北ネパールのドルポ地方。荒涼とした風景がひろがるヒマラヤ山岳地帯でくらす村人は、そこでとれる小麦の量だけではくらしていけない。生きていくために必要な小麦を手にいれようと、地元でとれる岩塩を南の国の小麦と交換するためにキャラバン隊が村を出発する。神の声にしたがう長老と自分の意志で生きようとする青年とは対立し、青年は4日もはやく出発するが、長老の隊は青年においついてしまう。そして、神の声の通りに嵐がおとずれる。峠をのぼりきったところで長老は命つき、あとを青年に託す。

 ヒマラヤの大自然とその中につづく長い道。大自然と道が物語をうみだしていく。この物語は、ヒマラヤ奥地の荒涼とした「場」と、キャラバン隊がすすむその中の「道」とによって構成されている。「場」はきびしい自然を、「道」は村人の人生をあらわし、「場」と「人生」がおりなす物語は、空間と時間がおりなす物語になり、そして感動が、空間と時間をこえて私たちの心の中にひびいてくる。ここまでくると固有な世界はきえて、もう抽象的な世界がひろがってくる。
 「場」と「道」は、ひとつの世界を理解するためにとても役立つ二つの観点である。

(注)1999年、フランス・ネパール・イギリス・スイス、監督:エリック=ヴァリ 出演:ティレン=ロンドゥップ、カルマ=ワンギャル、ラクパ=ツァムチョエ、グルゴン=キャップ。99年ロカルノ国際映画祭最優秀観客賞、99年フランダース国際映画祭最優秀観客賞、ゴールデン・シュプール賞、特別貢献賞、2000年フランス・セザール賞最優秀撮影賞、最優秀音楽賞受賞。

28-05 グループワークの第一段階は「テーマ設定」である

 グループワークの第一段階はテーマを設定することである。何事も仕事をはじめる前に、どのようなテーマにとりくむか関係者で合意をつくらなければならない。テーマがすでに決まっている場合はサブテーマを決めることになる。
 テーマはもう決まっているとおもっても、一度関係者があつまって、短時間でもよいから議論をして内容をふかめておいた方がよい。テーマあるいはサブテーマを決めることを通して関係者の問題意識はふかまり、より能動的・積極的・主体的な姿勢で仕事にとりくんでいくことができるようになる。
 私たちがもちいるテーマ設定の方法は次の三段階の手順をふむ。

(1)ラベルづくり
(2)ネットづくり
(3)テーマ選択

〔事前準備〕
*模造紙・ラベル・ペン(黒と赤)・クリップを用意する。
*模造紙をひろげ、中央に「テーマ設定」と書き円でかこむ。

(1)ラベルづくり
 (A)リーダーあるいは担当者が仕事やプロジェクトの概要を簡単に説明する。メンバーは話をよく聞く。
 (B)話をきいて、関連する過去の体験をおもいだしながら、とりくみたいテーマについてかんがえる。
 (C)テーマを各自でラベルに書きこむ。一枚一項目、何枚かいてもよい。原則として語尾は「〜するにはどうすればよいか」「〜する」「〜しよう」などとするが、単語だけでもよい。関係者にとってわかりやすい表現にする。

(2)ネットづくり
 (A)記入されたラベルを一人が読みあげ、模造紙上に配置する。ほかの人はそれをよく聞く。この一枚よんでは配置する作業を順番にくりかえす。似ているラベルは近くに配置する。ラベルとラベルの間にはクリップをおく。既存のラベルをすべて配置しおわったら、グループ内で質疑応答や議論をする。あらたにテーマがうかんだら、あたらしいラベルを書き、それらも模造紙上に配置する。
 (B)ラベルがでつくしたら、ラベルの配置をととのえ、ラベルを模造紙上に貼りつけ固定する。
 (C)内容が似ているラベル同士はグループ化するために島取りでかこう。島取りは多重になってもよい。一つにまとめられるラベルのグループには、それらを代表する言葉(テーマ)を島取りの上に書く。

(3)テーマ選択
 (A)各自が赤ペンをもち、とりくみたいテーマ(テーマが記載されたラベルあるいやグループ)の左上に☆印をつける。相談する必要はない。ほかの誰かが☆印をつけてある場合は、あらたにつける必要はない。
 (B)一通りつけおわったら、次に、☆印がついているラベルあるいはグループのみを見て、その中でとりくみたいテーマの左上に☆印を追加し「☆☆」とする。以下同様にこの作業をくりかえし、「☆☆☆」・・・とする。
 (C)最後に一つのテーマにしぼりこみ、それを赤ペンでかこう。最終的にテーマを選択するときには議論をしてもよい。

 テーマ設定の作業はなれれば1時間ほどでできる。テーマ設定にあまり長時間をかけても意味がない。また、最終的に報告書などを作成する場合は、そのときにテーマやサブテーマの表現のは修正してもよいので、この段階ではあまり厳密になりすぎないようにする。
 この方法では、出されたテーマを段階的にランクづけ(格づけ)し、最終的にひとつのテーマを選択する。つまり情報を評価し、最終的に関係者の間で合意を形成する。これにより関係者の問題意識をふかめ、志気を高めることができる。
 また上記の三段階においては、各段階の内部で情報処理をくりかえすことになる。(A)では、メンバーは他人の話を聞いたり、他人のラベルを読む。(B)では、こころの中で各自よくかんがえる。(C)では、ラベルや模造紙上に具体的に表現する。つまり、(A)は入力、(B)は処理、(C)は出力という仕組みになっている。

28-06 決断とは、情報を評価し選択することである

 問題解決をすすめていく過程ではどこかでかならず決断にせまられる。決断することにより具体的な行動にうつることになる。つまり、決断は場面転換をもたらす。
 決断をするためには、まずあつまった情報を評価し、情報の価値を見定めなければならない。その上で、ここぞという部分を選択する。一度決断したならば、その部分に集中的にとりくむことになる。
 こうして、決断により場面が転換し、あたらしい可能性の扉がひらかれていく。

28-07 それぞれの建物に展示品と知識をむすびつけて記憶する -ベルリンの至宝展-

 2005年は「日本におけるドイツ年」である。それを記念した主要イベントのひとつとして「世界遺産・ 博物館島 ベルリンの至宝展」が東京国立博物館で開催された。
 ベルリン博物館島は、ベルリンの5つのミューシアム「旧博物館」、「新博物館」、「旧国立美術館」、「ボーデ博物館」、「ヘルガモン博 物館」の総称であり、本展は、この5つのミュージアムの至宝約150点を一堂にあつめた貴重な展覧会であった。
 ベルリン博物館島は、首都ベルリンの中心部にあたるシュプレー川の中州に位置し、1830年、「旧博物館」が誕生したのを皮切りに、「新博物館」、「旧国立美術館」、「ボーデ博物館」がつづき、1930年には「ヘルガモン博物館」が開館した。これは、フロイセン王国と後のドイツ帝国が英仏なとどに対抗してその威信をかけた大事業であり、5つの建物からなる博物館島が100 年の歳月をかけて完成したという。
 私はかつて、ベルリンをおとずれたときベルガモン博物館を見た。そのなつかしさから今回の特別展に行ってみた。
 入口を入ると、まず「先史美術」(先史博物館)の展示がある。その後、「エジプト美術」(新博物館)、「古代西アジア美術」(ベルガモン博物館)、「ギリシャ・ローマ美術」(旧博物館)、「イスラム美術」(ベルガモン博物館)、「コインコレクション」、「ビザンチン美術」、「中世ヨーロッパ彫刻」、「ヨーロッパ古典絵画」(ボーデ博物館)、「ヨーロッパ近代美術」(旧国立美術館)とつづく。それぞれのテーマがそれぞれの博物館(建物)にわりふられている。
 私は、ベルリン博物館島の写真と見取り図を見て、それぞれの建物をイメージする。それぞれの博物館には特色やテーマがある。私は、展示品とそれにまつわる知識を建物のイメージにむすびつけて記憶していく。これは「建築物記憶法」の実践である。今回は、実際にベルリンの各博物館をあるくことはできないから、心の中でイメージをえがきながらこの作業をおこなう。現地を実際にあるいてはいないが、意識の場はベルリン博物館島にある。意識の場とは情報処理の場と言ってもよい。
 何らかのテーマを追求するとき、このように特定の建物を決めておこなうと記憶もしやすいし、情報の整理も容易になり、あらたな発想も出やすくなる。このような方法では、建物は意識の場であり、情報処理の場になっている。建物を情報処理の場として積極的につかっていこうという方法である。

28-08 その場の記録と恒久的な記録を区別する -今西錦司氏のフィールドノート-

 自然学者・今西錦司氏のフィールドノートは、右ページには文章による詳細な記載があり、左ページは空けてあったり、注やスケッチを記したり、地形図や図表をはりつけたりしている(注)。
 『今西錦司フィールドノート 採集日記加茂川1935』は、今西錦司氏の生誕100年を記念して発行された。これは、1935年の3月から7月までのほぼ4ヵ月間、京都市加茂川中流域からその源流までのカゲロウ調査を記録した日誌風のノートである。このノートに見られる今西錦司氏のカゲロウ研究は、そのご独自の「棲み分け理論」として大きく発展することになった。
 原本は4冊の大学ノートであり、このノートは、調査の現場で記したノートそのものではなく、調査をおえた後、数日から半月ほどの内に、データを整理しながらあらたに大学ノートにまとめなおしたものである。データを検討し、見解をのべたり、追記したりもしている。研究の現場と過程がよくわかる日記形式の記録ノートとなっている。
 つまり、今西氏は、その場の記録とまとめの恒久的記録とを区別していたということになる。フィールドワークの結果を記録するには、その場で恒久的な記録、つまり、あとで読んでもわかるようになるべく完全な記録をつける方法もあるが、今西氏のように、その場の記録は簡単なメモやスケッチにとどめておいて、後で、恒久的な記録をつくるという方法を採用する人もいる。私も、その場の記録と恒久的な記録を区別する方法をとっている。
 区別する方法の利点は、あとでまとめなおすことを前提としているので、その場では、記録よりも観察や調査に集中することができる点にある。おまけに現代では、大学ノートのかわりにパソコンをつかうことができるので、恒久的な記録は、後日、パソコンに保存しておけば情報検索も容易になる。このようにフィールドの記録は、その場の記録と恒久的記録とを区別する方法の方が現実的であり、すぐれているといえよう。

(注)石田英實編『今西錦司フィールドノート 採集日記 加茂川1935』京都大学学術出版会、2002年

28-09 圧縮言語出力のつぎに統合言語出力をおこなう

 旅行やフィールドワークへいったら、見たり聞いたりしたことの「ひとまとまり」をキーワード(単語あるいは単文)にして書きだしておくのがよい。これは、体験を心の中で圧縮し、言語にして外部に出力することである。ここで「ひとまとまり」というところが重要である。出力された言語は体験の要約になる。このような言語化は「圧縮言語出力」とよぶことができ、これは毎日の生活の中でもできる。
 この「圧縮言語出力」は第一の記録になり、体験の見出しにもなる。まず見出しをつくってしまうことが重要である。その逆に、まず本文を書いてから見出しをつくろうとすると時間と労力がかかってしまい、そのような方法は長続きしない。
 ひとまとまりのユニットをどうとるかは重要性や緊急性による。1日がひとまとまりの1ユニットになる場合もあるし、1時間、あるいは1分が1ユニットになる場合もある。その体験が重要であり、かつすぐに仕事をすすめなければならない場合は、ユニットのとり方はこまかくなる。逆に、あまり重要ではなく、いそぐ必要がなければユニットのとりかたは大雑把になり、1日を1行で表現(言語出力)するということもありえる。
 このような作業をつづけていると、キーワードがたくさん集積されてくる。あつまったキーワードは、それらを統合して文章にしておいた方がよい。その方法は、ひとつは、時間軸にそって記すやり方であり、旅行記がその典型である。もうひとつは、意味のまとまりごとに情報を統合して書くやり方である。これは、意味のちかいキーワードをむすびつけて文章化していく方法であり、この過程では、あらたに思い出したことや思いついたことをどんどん加筆してよい。このような出力は「統合言語出力」と言える。
 「統合言語出力」は情報の編集作業にほかならない。情報の編集作業は「圧縮言語出力」とは別の作業であり、これらをごちゃごちゃにしない方がよい。このように、「圧縮言語出力」から「統合言語出力」へと段階をふむことにより、文章化をスムーズにすすめることができる。

28-10 言語の発達史は情報処理方法の発達史である

 ネアンデルタール人は、知能が高く話ができたとかんがえられている(NHK・BS)。
 言語の発達の歴史をみると、まず声があり、しゃべり言葉が発達し、それが文字になった。一方で、絵が象形文字になり、純粋な文字に発達した。文字は、音をあらわす一方で形(イメージ)もあらわしていた。声と絵が元々あり、それが象形文字、そして表音文字つまり純粋な記号(シンボル)へと発達してきた。こうして言語には音声と絵が圧縮統合された。
 純粋な記号ができあがったおかげで情報処理は格段にやりやすくなった。記号があるおかげで、音声やイメージそのものをいちいちひっぱりだしてきて操作しなくてもよくなったのである。このように言語の発達史は、情報処理方法の発達の歴史とみることもできる。

28-11 時間的なひろがりをイメージする -ドガ『舞台の二人の踊り子』-

 NHK・世界美術館紀行「コートールド美術館」で、ドガの「舞台の二人の踊り子」が紹介された。ドガはバレエにとてもくわしかったという。
 この絵は物理的には一瞬の出来事を表現しているが、それを見る人の心の中では、その前後のイメージがひろがってくる。つまり踊り子は踊っているのである。イメージをふくらませることは、心の中で情報処理をおこなうということである。
 「舞台の二人の踊り子」のようなすぐれた作品は、一瞬の中にすべてを表現していると見ることもできるが、一方で、時間的なひろがりや躍動を生みだしていると見ることもできる。見る人の能力によって、絵の見え方は随分ちがってくるのである。

28-12 人は、30歳までにかんがえたことを一生かかって仕上げる

 地理学者の鈴木秀夫氏は、「人は、30歳までに考えたことを一生かかって仕上げる」とのべている(注)。
 ここで「考えたこと」とは仮説と言ってもよいだろう。仮説とは、検証されるものであり、また、検証の過程を通して体系化されるものである。「仕上げる」とは体系化すると言いかえてもよいだろう。
 つまり創造的な人とは、わかいときにたてた仮説を、一生かけて検証し体系化する人であるとみなすことができる。

(注)竹内啓一・杉浦芳夫編『20世紀の地理学者』古今書院、2001年

28-13 シルクロードに注目して東西文化交流の歴史を見る
-新・シルクロード展(江戸東京博物館)-

 東京江戸博物館(東京都墨田区横綱)で「新シルクロード展 -幻の都・楼蘭から永遠の都・西安へ」が開催された。これは、新発見の遺物を中心に、シルクロード文化の精髄が凝縮された優品130点によって、シルクロードの未知の実像にせまろうという企画である。
 展示室は第1〜第5まであり、第1展示室は楼蘭、第2展示室はタクラマカン、第3展示室は天山南路、第4展示室は天山北路とトルファン、第5展示室は西安(永遠の都)となっている。
 東西の文化交流の証拠として、第2展示室・天山南路の「花文二重織断片」は注目に値する。これは、4弁の花を散らし文様にして、上下に赤い段を織りだし た毛織物である。緯糸に赤と黄、黄と褐色、褐色と藍、黄と藍の色糸をそれぞれ一組にして、表裏色変わりの文様を織物の両面にあらわしている。
 中国では、伝統的に「経糸」で文様を織りだす技法が発達していたが、西域の織物技法の影響をうけ、ここに見られるような「緯糸」で文様を表現する緯錦が発達したとかんがえられている。
 このように、シルクロードに着目することによって、ユーラシア大陸東西の異なる文化の交流あるいは融合により、あたらしい文化が生まれる現象を具体的に見ることができる。
 シルクロードは総延長1万数千キロメートルにもおよぶ。シルクロードに注目することは、大陸の空間を横からボーリングするようなものである。一本の筋ができると、その周囲へのひろがりもとらえられる。空間を線でとらえる方法は応用範囲がひろそうだ。

28-14 重層文化の上に日本文明を構築すべきである

 シルクロードを通って、ローマ〜中国までをふくむユーラシア大陸の文化が日本につたわってきた。奈良・平安・鎌倉と日本の歴史はきずかれてきたが、その基層には大陸の文化が横たわっていると日本画家の平山郁夫氏は言う(NHK特選アーカイブス・シルクロード「敦煌」)。
 シルクロードを見ればあきらかなように、日本は、大陸の文化をつぎつぎに吸収してきた国である。日本には、実に様々な大陸の文化が集積しており、このような点で日本の文化は「重層文化」であると言える。そして日本は、大陸の文化をただ集積させるだけでなく、多様な文化を融合させ独自な日本文化をきずいてきた。この集積と融合という方法にこそ日本文化の創造性の源泉がある。集積と融合ができるという点において、日本は世界でもっとも有利な条件にある国である。
 日本人は、このようなことをもっと自覚して、この「重層文化」の上に独自の日本文明をきずいていくべきである。

28-15 現地人と日本人とが協力してあたらしい場をつくりだす

 国際協力のプロジェクトで村に入ると、現地人とディスカッションをくりかえすことになる。現場のニーズにこたえることが重要であるが、その一方で、現地人と日本人とのあいだに接点をみつけだすことが現実的にもとめられる。そしてその接点からあたらしいものが生まれてくる。
 ここに創造のひとつの側面を見ることができる。既存の場に異質なものが入り既存のものと異質なものとの合作により、あたらしいものが生まれおちる。協力して何かをやるということは、合作により何かを生みだすことである。
 このような過程によって、村は、現地人だけがいたときとはあきらかに変わってくる。場の変化が目に見えてくる。合作が生まれると場が変容するのである。

28-16 地球と地域の二重構造による世界が成立しようとしている

 NGOの実践形態は、「Think globally, act locally」であるという(注)。
 これは、第一段階として地球規模でかんがえ判断し、第二段階として、具体的な地域で活動(プロジェクト)をはじめるということを意味する。この言葉は、グローバリゼーションが急速にすすむ一方で、それぞれの地域の活性化が重要な課題になってきたという時代の潮流を反映している。グローバリゼーションがすすんできたからこそ、地域(国家ではない)が意識されるようになってきたと言ってもよい。
 このことは同時に、世界が、国家の時代から、地球と地域の時代へと移行しつつあることを示唆している。そのあたらしい世界は、地球=地域というあきらかな二重構造をもっているのである。

(注) 西川潤・佐藤幸男編著『NPO/NGOと国際協力』(ミネルヴァ書房)

28-17 第一段階ではまるごととらえ、第二段階では、部分と全体を意識してとらえる

 フィールドワークの基本は、「全体を見て、部分に入る」ということである。つまり、第一段階では、全体を大観してまるごととらえ、第二段階では、ここぞという部分に入り集中的に観察をくりかえすのが基本である。
 この第二段階において部分に入るということの本質は、実は、部分と全体の両方を意識するというところにある。部分は部分だけでなりたつものではなく、全体があってはじめてなりたつ。部分に入るということは、同時に全体を意識していることになる。部分に注目するということは、全体を再認識することでもあるのである。第二段階で部分をとりあげるとは、実際には、部分と全体を意識的に区別する、あるいは分化させるということであり、部分という見かけにとらわれないことが重要である。
 このようにかんがえると、第一段階の全体を見るということは、全体と部分とを分化させずにまるごととらえるということであったのである。第一段階は未分化な段階であると言ってもよい。
 同様なことは、「全体を見て、行動にうつる」ということについてもいえる。第二段階で行動にうつるということは、行動だけをおこせばよいのではなく、行動しながら、同時に、全体の空間も意識しなければならないのである。これは、元はひとまとまりの空間であった場を、空間と行動とに意識的に分化させ、そこにあらたな運動をまきおこすことを意味する。

28-18 地球は巨大な情報処理系である

 フィールドワークでネパール山岳地帯をあるいていると、たくさんの村々を見ることができる。村々はたくさんあるが、どこの村も、中心に集落があって、その周囲を自然環境が取り巻いているという基本構造(主体=環境系)はおなじである。それぞれの村には独自の情報網があって、それぞれに情報処理をおこなっている。そして、村々から外部にアウトプットされた情報は、より高次元で統合され、もっと大きな地域全体の情勢判断のためにつかわれる。
 より高いところからひとつの世界全体を見渡すと、たくさんの村々がそれぞれに情報処理をおこなっているように見える。つまり、村々が情報の「並列処理」をおこなっている。大きな地域全体を見ると、情報処理は直列的ではなく並列的におこなわれ、ひとつの世界が大きな情報処理系として機能するようになっている。
 このかんがえをおしすすめるならば、人類は地球上で、情報の「並列処理」をおこなっており、地球は巨大な情報処理系になっていると見なすこともできるだろう。

(2005年6月)
> 思索の旅TOP
2005年10月31日発行
Copyright (C) 田野倉達弘