思索の旅 第27号
丹沢写真・資料展会場(横浜)
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27-01 仮説の発想は、探究の急所になる -梅原猛氏の方法-

 梅原猛著『隠された十字架 -法隆寺論-』(新潮社、1981年)は、仮説の発想と探究のプロセスを理解するうえで大変参考になる著作である。その目次は次の通りである。

第1部 謎の提起
第2部 解決への手掛かり
 第1章 なぜ法隆寺は再建されたか
 第2章 だれが法隆寺を建てたか
 第3章 法隆寺再建の政治的背景
第3部 真実の開示
 第1章 第1の答(『日本書紀』『族日本紀』について)
 第2章 第2の答(『法隆寺資財調』について)
 第3章 法隆寺の再建年代
 第4章 第3の答(中門について)
 第5章 第4の答(金堂について)
 第6章 第5の答(五重塔について)
 第7章 第6の答(夢殿について)
 第8章 第7の答(聖霊会について)

 本書は、(1)謎(疑問)、(2)調査と仮説発想、(3)検証、という構成になっている。(2)は時系列的記載になるが、(3)は体系的(分類的)文章化となる。
 本書が刊行されるまでのプロセスを、本書の記載にしたがい時間軸にそって整理すると次のようになる。

  1. 梅原氏は学生時代以来、法隆寺を十数回おとずれたが、この寺は分からないことが多い寺だった(謎の寺だった)。
  2. 日本神話についての疑いから日本古代の研究をはじめた。
  3. 出雲神話に関する根本的疑問をもっていた。
  4. 1968年秋、「『古事記』と『日本書紀』の制作主体は藤原不比等である」という仮説の追求に夢中になっていた。
  5. 1970年4月、何げなく、法隆寺の『資財帳』を読んでいて、「法隆寺は聖徳太子一族の鎮魂のための寺である」という仮説に到達した。
  6. 1970年4月以後、法隆寺に関する文献をあらためて読みあさり、現場へ行ってそれをたしかめた。多くの事実がむこうからこの仮説のまわりにひっついてきた。
  7. 1971年4月、聖徳太子の死後1350年を記念してもよおされた聖霊会(しょうりょうえ)を見て、この仮説の正しさを確信した。
  8. 1972年5月、新潮社より『隠された十字架 -法隆寺論-』を刊行した。

 梅原猛氏は、『古事記』と『日本書紀』の著者の問題の探求過程で法隆寺にぶつかり、「何気なく」『資財帳』を読んでいたという。そして、突然ピンときた。梅原氏の記述を読んでいると、まるで聖徳太子のメッセージが天からおりてきたような情景がそこには存在する。そしてこのことが探究を一気にすすめることになり、2年後には研究結果を体系化し単行本を刊行してしまっている。梅原氏の探求プロセスを要約すると、「疑問→調査→仮説発想→検証→体系化(文章化)」ということになる。
 仮説は発想しようとおもって発想できるものではない。あるとき突然やってくる。しかしひとたびピンときたら、推論をし、目標をさだめ、検証に集中すべきである。これが効率的な研究方法である。本書では、検証が2/3をしめている。本文の大部分は検証によって形成される。情報の大部分は検証過程によってあつまる。効率的な文章化(速書)のためには検証が必要である。
 梅原氏は、法隆寺について長年研究していたわけではないし、まして法隆寺の専門家でもなかった。しかし、法隆寺に関する疑問は以前からもっていたという。この疑問があったからこそ仮説がでてきたといえるだろう。つまり疑問が仮説に成長した。そして、この仮説こそが、探究プロセスの中でもっとも重要な役割を演じることになった。仮説は探究の急所である。仮説は、研究の方向と範囲をしぼる。仮説は、学者をあるテーマに没頭させる。ここに仮説の力がある。
 一旦仮説が採択されると、目標が明確になる。今度は、仮説を検証するという姿勢で資料をしらべればよい。やみくもにひろくしらべるのとはちがい、情報は迅速にどんどんあつまってくる。
 したがって、問題解決をすすめるためには仮説を発想することが重要である。ひとたび仮説が発想されたならばその検証に全力をそそぐべきであり、幅ひろくやっていればよいというわけでなない。仮説発想のためにはデータの多様さをもとめるが、仮説検証のためにはデータの緻密さをもとめなければならない。
 梅原氏の方法は、探究のモデルとして活用できるのであり、探究とはどういうことかを迫力をもって私たちにおしえてくれている。

27-02 僻地に古いものがのこっている -雅楽-

 雅楽奏者の東儀秀樹氏は言う。「1400年前に大陸から音楽が入ってきて、そのままの状態で今日までつたわっているので、日本の雅楽を研究した方がよくわかります。現地(大陸)ではかなり失われているし、変化してしまっています」(NHK特選アーカイブス「シルクロード 天山南路・音楽の旅」)。
 それが発生した中央部よりも、それが伝達した周辺部や僻地に古いものがよくのこっている例は雅楽以外にもたくさんある。仏教がそうである。インドではほろびてしまったが、日本にはのこっている。
 このことに気がつくとおもしろいフィールドワークができる。フィールドワークをおこなうときに注目すべき重要な観点である。

27-03 多数の個人や個体が発生するのは、情報の並列処理をおこなうためである

「系統発生は個体発生をくりかえす」と自然学者・今西錦司氏はのべた。生命とは巨大な流れであり、その流れの中で個体がくりかえし発生していく。生命の巨大な流れをとらえることが重要であり、個体にとらわれていてはいけない。
 生命の流れは「情報の流れ」といいかえてもよい。「情報の流れ」とは情報処理の過程にほかならない。すると、個人や個体は「情報の流れ」の中で情報処理をくりかえしていることになり、このようにかんがえると、情報処理の仕組みは、多数の個人が、同時に並列的に情報を処理する仕組みになっているとみることができる。生命の流れあるいは情報の流れにおいて、たくさんの個人や個体が同時に発生するのは、このような「並列処理の原理」があるからである。

27-04 複数の音を同時に聴き、響きをとらえる

 交響曲では、複数の音が同時に鳴り、それらを同時に聴くことにより響きがとらえられる。無伴奏チェロ組曲では、物理的には単一の音しか流れないので、心の中で潜在的に和音を響かせる必要がる。
 いずれにしても、音楽を聴くときには、旋律だけでなく、響いているすべての音を同時にきくようにしなければならない。これは情報の並列処理の訓練になる。

27-05 場が決まると、似た情報は自然にあつまる

 似たもの同士は自然にちかづいて集団をつくったりする。この点で人間と情報は似ている。情報も似たものがあつまってグループをつくる。ただし、このようなことがおこるには場(範囲や単位)が一つに決まる必要がある。場が決まらないと、似ているか異なるかも決まらない。しかし、場が決まるとすべてがうごきはじめ、一つの場の中で、それぞれの要素はもっとも安定した状態に自然におちつく。
 常日ごろから、場をどう設定すればよいか、あるいはよい場はないか、いつも注意していなければならない。よくできたチームや組織、よくできた民族や国はたしかに存在する。よくできた場ではすぐれた情報処理ができる。こういう見地にたてば、地球も一つのすぐれた場であるといえる。これほどわかりやすい場はほかにはない。ここでは、おどろくべき情報処理がすすんでいる。

27-06 場こそが唯一の実在である

 アインシュタインは「場こそが唯一の実在である」とのべたという(注)。
 私たちは、自分たちのすむ場(フィールド)と不可分にむすびつきながら生きている。場とは空間であり世界である。
 場を「空」(くう)ととらえるならば、その中で目にみえるものは「色」(しき)であると言ってもよい。場の中にある目に見えるものは、一般には実在するとおもわれているが、実は、心の中の情報処理によって人間がつくりあげたイメージにすぎない。

(注)リン=マクタガード著(野中浩一訳)『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』インターシフト、2004年。

27-07 特徴的な物でその時の場を代表させる

 何か複雑な事物を要約して記録したり、それに名前をつけたりすることは結構むずかしいことである。そのための手軽な方法は、その事物を特徴づける物で全体を代表させるやり方がある。
 たとえば「シルクロード」というのは決してシルクだけを運搬していたのではない。多数の物資や情報や文化がその道を通して行き来していたのである。しかし、この道をもっとも特徴づける物は「シルク」であった。そこでこの道をシルクで代表させて「シルクロード」と記載すれば大変よくわかるし、シルクをおもいうかべることにより、シルクロードのもっと全体的なイメージをえがくことができる。
 この原理をつかえばよいのである。代表する物あるいはもっとも印象にのこった物をひとつだけ記録する。その物にその時その場を代表させ、その物をおもいうかべれば、その時その場の状況を想起することができるようにしておく。あとで文章化が必要になったときは、その想起した内容をおりこみながら筆をすすめればよい。
 フィールドワークや取材では、きわめて迅速に記録をとらなければならないことが多い。記録をとる場合は、聞き取った内容や観察した事物を適切に要約することがもとめられる。しかし、その場でうまく要約できなかったり、要約している時間がなかったりすることがある。
 このようなときは、聞き取ったことや観察したことをどこかで区切って、そのひとまとまりを代表する目立つ物を一つ記録しておけばよい。

27-08 エッフェル塔は記憶の装置である

 歴史家ピエール=ノラによると「記憶は歴史を読みなおしていくものである」(放送大学特別講義「 "記憶の場”をめぐって 〜歴史家ピエール・ノラとの対話〜」)。
 たとえば、パリのエッフェル塔は万国博覧会のときに建設された。人々は、エッフェル塔を見ることにより、あるいはおとずれることにより、万国博覧会を想起することができるという。エッフェル塔は記憶の装置であり、記憶の場でもある。記憶と歴史は対立するものではなく、記憶は歴史をとらえなしていくものである。
 情報処理の観点から言うと、記憶は、情報のプロセッシングからアウトプットのために絶対に必要である。人間は、あらたに入ってきた情報と記憶情報とを反応させて、あたらしいアウトプットを生みだしている。そのような反応をいかにたのしく効率よくおこすかが問題になる。
 そのときに、エッフェル塔のような歴史的建造物を見るという行為が大変有効になる。人々は、歴史的建造物をみて記憶を想起し、そこから触発を得ることができる。このようにかんがえると、エッフェル塔のような歴史的建造物は「記憶の装置」であるともいえ、そのような装置は世界各地にたくさん存在するということになる。

27-09 情報を整理するためには地理が、情報を統合するためには歴史が役立つ

 北条早雲は、戦国時代の初めに小田原城を築城し、小田原は日本の城下町の原形となったという(NHKその時 歴史が動いた「戦国をひらいた男 〜北条早雲 56才からの挑戦〜」)。
 戦国時代の各大名の配置や勢力は、一般に、地図によってわかりやすく表現される。一方、この番組では、北条早雲のストーリーとして戦国時代がかたられている。北条早雲を通してみた歴史物語である。地図は、様々な大名の動向をわかりやすく整理するが、ストーリーは、場所にこだわらないで様々な情報を一本の筋に統合してしまう。統合するだけでなく、歴史の本質を明確にし、人々に感動をあたえる。
 このような事例から、多様な情報を時間軸にそって配列しなおし、ストーリーとしてつじつまがあうように文章化することの意味が見えてくる。この作業が歴史をつくっていくのである。歴史とは物語を記載することである。地図(地理)は空間的なものであるが、歴史はいうまでもなく時間的なものである。
 このようなことから、情報を整理するためには空間を利用し、多種多様な情報を統合するためには時間を利用するのがよいということになる。情報はまず空間的に配列しておき、あとでそこから情報をひっぱりだしてきてつかう。実は、このようなことは誰でもおこなっているのであるが、もっと自覚的に空間(地理)と時間(歴史)をつかいわければ、情報処理の質を高め、すぐれたアウトプットをだすことができる。

27-10 日常的にできる普通の方法を世の中は必要としている

「特別な道具がなくても、家にある普通のものでおいしいウーロン茶がいれられる」(NHK・ためしてガッテン「大検証!ウーロン茶の潜在パワー」)。
 専門家や達人は、特別な道具をつかったり、特別な条件のもとで仕事をしている。その人のやり方は、その分野を専門的に追求するときは役立つが、普通の人には適用できないことが多い。専門家は、自分がもっている専門的なやり方をのべるだけで、場合によってはその分野の高級感を強調するだけでおわることもある。
 ごく普通の人が、ごく普通の道具をつかって日常的にとりくめる方法が実社会ではもとめられている。「ためしてガッテン」の姿勢は重要である。
 「ためしてガッテン」ではチャーハンの作り方を紹介したこともあった。それは、中華料理店とはちがい、火力が弱い家庭のガスコンロでもおいしいチャーハンをつくれる調理法であった。中華料理店と家庭とでは火力の条件がまったくちがう。そのちがいを無視して専門家に指導してもらっていたら、いつまでたってもおいしいチャーハンはつくれない。専門家からただおそわればよいというわけではなく、「ためしてガッテン」のような方法が必要なのである。
 同様なことは国際協力などについてもいえる。先進国の専門的な技術よりも、現地の人々がごく普通にできる技術や方法を普及・定着させなければならないのである。

27-11 手順や方法の中のポイントをまず身につける -チャーハンの作り方-

 『NHKためしてガッテン食の知恵袋』(アスコム、2005年)には各料理のポイントが実に単純明快にしめされている。たとえば、チャーハンの作り方では、「卵を入れた8秒後にご飯を入れる」とある。
 手順や方法の解説は、順序をくわしくしめす前に、第一に、ポイントや急所を大きく強調してあるものの方がわかりやすい。その方が記憶もしやすく、実践もしやすい。このようなポイントをおさえた解説書があれば、初心者は、まず、ポイントや急所を絶対にはずさないように訓練をはじめることができる。そして、そのポイントが習得できたら、順次、手順をブレークダウンしてこまかい手順も身につけるようにすればよい。
 これに対して、最初から厳密に一つ一つ手順にしたがってやっていこうとすると、おしえる方もおそわる方も無理をしてウンウンとうなることになる。実際には、このような無理をしている人々が実に多い。情報処理や問題解決の方法を習得するときも同様なことがいえる。

27-12 色彩の変化と色の融合から創造の過程を見る -ゴッホ展-

 東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)で「ゴッホ展 -孤高の画家の原風景-」が開催された。フィンセント=ファン=ゴッホ(1853-1890)はオランダに生まれ、わずか十数年の活動で約2000点の作品をのこし、フランスで37歳の命を自ら絶った伝説の画家である。燃え上がるような色彩と情熱的な画風は今もなお、私たちの心をとらえてはなさない。今回の特別展は、ゴッホの作品を、大きな歴史の流れのなかでとらえ、彼の作品をほぼ時代順にかつテーマごとに展示し、単にゴッホの生涯を追うのではなく、一人の画家の出現の理由をあきらかにするという企画である。
 ゴッホは、初期の模索の段階では印象派の手法をとりいれた。その後、独自の作風を生みだすようになった「ゴッホがゴッホになった段階」においては、狂気を「黄色」で、理想を「青」で表現した。そして最終段階(最晩年)には、「黄色」と「青」は融合してうつくしい「緑色」を表現した。
 暗中模索の段階から、ゴッホになった段階をへて、人生肯定の段階へいたるまでのゴッホの創造の物語は、色彩の変化と色の融合を通して視覚的にとらえることができる。

 参考番組:NHK「新日曜美術館」

27-13 問題解決のたしかな手順をふむと情報は確実に処理される

 私たちは、ネパールにおける国際協力プロジェクトにおいて次のような手順を実践した。

(1)プロジェクトのテーマを決める(現地事務所にて)
(2)スタッフでディスカッションをおこなう(現地事務所にて)
(3)スタッフ間で合意を形成する(現地事務所にて)
(4)フィールドワークをおこなう(プロジェクトをおこなう村に入る)
(5)プロジェクトの計画を立案する(村と現地事務所にて)
(6)事業を具体的に実施する(村に入る)
(7)事業終了時に評価をおこなう(東京事務所、現地事務所、村にも入る)

 (1)〜(7)までは3年間の過程であったが、(1)〜(3)は1日でできた。(1)〜(3)は、現地事務所とは別に、村でもおこなった。いきなりフィールドワークをはじめないで、グループ・ディスカッションをまずおこない、それを中核にしてその後を展開するのがミソである。こらなら誰でもすぐに実践できる。フィールドワークでは、住民集会・聞き取り調査・野外観察をおこない、仮説を検証した。事業の実施中は「アクションリサーチ」をおこなった。
 このような7段階の手順をふむことにより、住民は、プロジェクトに真剣に参加するようになる。集会などでも積極的に発言する。同時に、えられた情報は次々に処理されていく。情報は処理されるために存在する。情報を確実に処理するためにはたしかな手順をふむことが重要である。このような実践手順は同時に情報処理と問題解決のトレーニングコースにもなっている。

27-14 計画では、存在価値・タイミング・角度をおさえる

 マルチメディア企業が何を志向していくべきか。ソフトバンク社長の孫正義氏は次の三点をあげている(注)。「第一に、自社の存在価値を明確に絞り込むこと。第二に、タイミングを図ること。第三に、切り込む角度を特定すること」。この三点は、計画立案時のポイントとして非常に重要である。
 この中で、「存在価値」は、本来は、計画の前の段階、すなわち判断あるいは合意形成時に明確にすべきことである。タイミングは仕事の時間的側面、角度は仕事の空間的側面をとらえなおしたものである。
 つまり、価値判断をおこない、時間と空間をおさえて計画立案、実施へとすすんでいくことが重要である。何事も、アイデアをえるためには空間的側面と時間的側面のそれぞれの視点からかんがえるとよい。

(注)ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス編集部編『高収益企業の情報リテラシー』ダイヤモンド社、1995年

27-15 心の中では、未来→現在→過去と時間がながれる

 物理的には、時間は、過去→現在→未来とながれる。未来はこれからくるものである。
 しかし、心の中では、未来のイメージがまず形成される。そして現在が生じる。現在はつぎつぎに過去になり、記憶として蓄積される。心の中では、未来→現在→過去とながれる。
 記憶とはこれからつくるものであり、過去に存在するものではない。ここを誤解している人が多い。記憶は過去のものだとおもっている人がいるが、創造の姿勢としての記憶が必要なのである。

27-16 情報リテラシーとは情報処理能力のことである

 かつては人間の能力の基本として「読み、書き、そろばん」が重要だと言われ、現代では「情報リテラシー」が重要だと言われる。この能力のうち、「読み」とは情報を頭の中へ「入力」することである。「書き」は頭の中から外部へ情報を「出力」することである。そして「そろばん」とは計算能力のことであり、これは情報を「処理」することにほかならない。
 このようにかんがえてくると、「読み、書き、そろばん」とは情報処理システムのことだったのであり、情報リテラシーとはひろい意味の情報処理能力のことにほかならない。情報リテラシーというよりも、情報処理能力(入力・処理・出力の能力)と言ってしまった方が端的でわかりやすい。

27-17 丹沢の環境問題を解決するために地域の人々が立ちあがった

 丹沢写真・資料展「丹沢 〜むかし・今・あした〜」(主催:丹沢資料保存会・丹沢大山総合調査実行委員会)が横浜で開催された。「むかしと今の丹沢の写真を通して、あしたの丹沢を考える」という企画である。
 丹沢は、神奈川県から山梨県にまたがる山地である。首都圏からちかいこともありおとずれる人は多い。
 会場では、開発される前の貴重な写真が多数展示されている。かつては、鬱蒼としたブナ林、生いしげる笹や下草がひろがっていた。神奈川ニュース作成の映画「丹沢」(昭和33年の映像)を見ると、きこりがいて、炭焼きをし、ロープラインで木をはこんでいる。
 しかし今では、ブナは立ち枯れ、土壌は流出し、笹や下草はすくなくなった。
 そして、丹沢の環境問題を解決するために、地域の人々が立ちあがった。

27-18 ポテンシャルはすでに存在している

 地域環境保全や地域活性化のプロジェクトをすすめるためには、その地域にすんでいる住民がもっている情報を集約しなければならない。地域住民は、記憶という形ですでに多種多量の情報をもっている。しかしそれは潜在しており表面にはあらわれていない。しかし、適切な情報処理をおこなうとそれが表面にあらわれてくる。つまり顕在化する。
 潜在する情報を顕在化させるとは、潜在する情報を処理し、アウトプットすることにほかならない。ここに地域のポテンシャル(潜在力)を開発する第一歩がある。ポテンシャルはすでに存在するのである。あとは、いかにそれを開発するかである。何もないところからつくりだすのではない。これと同様なことは個人の能力開発についてもいえる。能力開発や創造の源はすでにそこに潜在しているのである。
 地域プロジェクトであれ能力開発であれ、まず、ポテンシャルはそこにあることに気がつくことが大切である。

(2005年5月)
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2005年9月30日発行
Copyright (C) 田野倉達弘