思索の旅 第23号
所沢市民文化センター「ミューズ」
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23-01 あらかじめアウトプットを想定して情報をとりあつかう

 文章化をおこなうと情報の整理がつく。必要な情報は文章化というアウトプットに統合され、不要な情報はすてられる。アウトプットには、情報を整理・統合する作用がある。
 このことがわかってくると、そもそも情報をあつめる段階で、どのようなアウトプットをするか想定しておいた方がよいということになってくる。情報をあつめはじめる前には、テーマをきめておくことは言うまでもないが、アウトプットを想定し問題意識もふかめるようにしておくと情報があつまりやすい。
 現代では、手軽にできるアウトプットの場としてウェブサイトがある。ウェブサイトで、どのようなテーマでどのような形式でアウトプットをだすかをあらかじめ構想しておくと、情報収集にも力が入り、情報があつまりやすい。最初は仮のテーマでもよい。実際にウェブサイトにアップロードするときに当初の予想とはちがったものになったとしても、それはそれでよいのである。あらかじめテーマを決め問題意識をふかめておいたことは潜在的に重要な役割を果たしたことになる。
 様々な情報や資料は、結局、アウトプットのためにつかわれ、アウトプットのなかに統合されてくる。これは決して情報を分類することではない。アウトプットと分類とは基本的にことなる作業である。
 したがって、情報や資料は分類するよりも、どのテーマでつかうか、どのアウトプットでつかうかといった観点からとらえなければならない。「これはこのテーマでつかえる!」といった取り組み方が重要である。情報や資料を分類しようとすると、どの分類項目にいれればよいかまよったり、複数の分類項目の中に書類をコピーしていれなければならなくなったりする。
 このような分類に労力をさくよりも、アウトプットを念頭において、テーマのもとで情報をいかすことに力をそそがなければならない。パソコンのフォルダ名も、分類項目にするよりも、自分独自のテーマ名にしておいた方が知的生産性が高まる。

23-02 違いを知る、違いを認める、関係を発展させる -国際協力-

 2005年3月、公文健太郎写真展「幸せと幸せの間に」が、埼玉県・所沢市民文化センター「ミューズ」で開催された。公文健太郎氏は、ネパール農民の生活の姿を撮影しているフリーカメラマンであり、今回の写真展では、ネパールの農村で暮らす人々のきわめてありふれた生活を通して、本当の幸せとは何かを問いかける作品84点が展示された。
 この写真展にあわせて、パネルディスカッション「よその国の文化を知る大切さ、自分にも出来る国際協力」が開催され、私はパネラーのひとりとしてくわわり、ネパールで生活していたときの体験や国際協力の経験などを話した。
 ディスカッション終了後、一般の参加者からだされた感想には次のようなものがあった。
「写真展にトークショーやパネルディスカッションを組み合わせるという企画はとてもよかったとおもいます」
「日本の子供たちにも家庭の中で仕事を持たせないといけないと思った」
「外国との違いを知ること、違いを認め合うことから、進んでいくグローバル化への道が開けるように思いました」
「地球にやさしい生活をしなければいけないと思った」
 今回のパネルディスカッションと参加者の皆さんからよせられた感想により、これからの地球社会では、「違いを知る、違いを認める、関係を発展させる」という三段階が必要であることがあきらかになった。また、「地球にやさしい」という標語が現代の常識になっていることがうかがえた。

23-03 創造と伝統はセットにしてとらえる

 進化とは、多様性を増す方向にすすむ過程であり、進化とは分化であると言われている。
 しかし、分化しているだけでは世界は空中分解してしまう。そこで、構造化(システム化)が必要になってくる。分化と構造化はセットになっており、それらは同時におこっている。分化しつつ構造化し、構造化しつつ分化するというのが世界の実態である。
 ここで、進化を一般化し「創造」と言いかえてみると、構造化とは「伝統」を形成する作用である。「伝統」は、「創造」の結果を統合し構造化する役割を果たしている。「創造」だけでは世の中は分解してしまう。「創造」と「伝統」は決して矛盾することではなく、相互に作用しあって世界を成立させている。
 したがって、進化と構造化あるいは創造と伝統という概念は、二つをセットにしてとらえるようにしなければならない。

23-04 主体と環境の共同作業により場が変容する

 アウトプットをだすということは、ある主体が環境にむかって情報を放出することである。ある主体とは個人であったり集団であったりする。アウトプットは主体だけでなりたつことではなく、環境があってこそ生じるのである。アウトプットとは主体と環境との共同作業である。
 たとえば演劇において、主役が、まわりの人々(脇役)にむかって発言をするのもアウトプットである。主役は主体であり、まわりの人々は主役にとっての環境である。主役と脇役の両者がいてはじめて舞台がなりたつ。主役だけにスポットライトがあたっているが、実際には主役と脇役の両者がいてこそ舞台という場がなりたつのである。
 ある舞台の上では、ストーリーの展開とともに主役が人間的に成長する。するとまわりの人々にも変化があらわれる。変化があらわれるのは主役だけでなく、脇役にもあらわれる。主役だけが変化するのではなく、主役も脇役も変化する。つまり主体も環境も変わる。これが場の変容であり、ここに創造の本質がある。
 創造とは場の変容であって、主体だけが一方的に変化するのではない。主体は、環境にむかってアウトプットをだし、それによって環境も変わり、その環境から主体へあらたなインプットがおこる。アウトプットとインプットがおこるとき、主体も環境も変わる。すなわち自他ともに変容するのである。
 このような原理が認識できると、たった一人では自分は変われないことや、たった一人で仕事をすすめるようとするのはおろかなことであることがわかってくる。質の高い創造的な仕事をするためには、自分と環境との共同作業を実践しなければならない。自分にとっての環境とは、所属するチームであったり組織であったり、大きくは民族や国、自然環境や地球環境である。

23-05 モンスーンアジアは水の環境によってささえられている

 NHK高校講座・地理で「モンスーンアジア」がとりあげられた。
 ダウ船は、モンスーン(季節風)を利用してインド洋をいきかう。モンスーンは雨季と乾季を交互にもたらす。
 モンスーンは、雨季には、水田稲作にとってなくてはならないめぐみの雨をふらせる。水は水田にたえず養分を供給している。水田は、畦でかこまれているから土壌が流出しない。稲作地帯は食料生産性が高いため人口密度が高い。バリ島の棚田は実にうつくしい。ここでは、年に二回稲をかることができる。
 バリ島には稲の神様をまつるほこらがあちこちにある。一方でヒンズー教のお寺がある。生活文化は、土地の文化と外来の文化がむすびついて形成された側面をもち、単純に、自然環境とむすびつけてしまうのは危険である。
 インドネシア・スマトラ島にはイスラム教徒の村があり、文化はことなる。マレーシアのイバンの人々は、焼畑をおこなう。ここにはキリスト教徒もいる。年中行事として収穫祭のようなものが共存している。各地でことなる文化や生活がある。
 メコン川流域では、水路が網の目のようにはられている。かつては、浮き稲がたくさん存在したが、今ではあまりみられなくなった。ここは19世紀以後に大きく開発され、現在は「ドイモイ政策」がうちだされ、社会主義を維持しながら市場経済化をすすめている。
 それぞれの地域の独自の文化は、土着の要素と外来の要素がむすびついて形成されているが、それらのベースとして稲作文化がモンスーンアジアには存在し、それはゆたかな水の環境によってささえられている。

23-06 ストーリーがあると印象や記憶によくのこる

 DVD『世界遺産・アメリカ編』(TBS)には、『自由の女神』と『グランドキャニオン』の2本の番組が収録されており、それらのうつくしい映像を見ることができる。『自由の女神』と『グランドキャニオン』では、『自由の女神』の方が印象や記憶にのこった。『自由の女神』には、ナレーションによるすぐれた解説が入っていた。映像とナレーションでストーリーをおうことができるので非常にわかりやすく、印象にも記憶にもよくのこる。『グランドキャニオン』は、うつくしい映像は見られたが、解説は弱かった。
 『グランドキャニオン』のような自然環境をストーリー的に表現するのはむずかしいことである。自然環境は基本的に空間的なものであり、ストーリーを見いだしにくいからである。自然環境をストーリーをつかって印象的に表現するためには、その地域の探検やフィールドワーク、あるいは野外研究のプロセスを時系列的にしめす方法がかんがえられる。それにあわせて、その地域の地図をつかって、空間的構造もしめせば、わかりやすい印象的な動画になるだろう。

23-07 野外観察では構図と点をしっかり見る

 フィールドワークでは観察力がもっとも重要である。現地に行っても、風景を全体的にボーっと見ているだけだと情報はあつまらない。
 野外の観察ではまず、目のまえにひろがる風景や景色を画像(イメージ)だとかんがえ、まず、構図(構成)をつかむことが重要である。このとき風景を写真だとかんがえてもよい。風景を見るのも写真を見るのもおなじようなことである。
 画像は、目立つ線などによっていくつかの部分に分割される。どこにでも目立つ太い線はかならず存在する。全体を概観するためには個々の部分よりも線に注目するようにする。そして、線でかこまれた領域が上下左右どこに位置しているかしっかり見る。
 次に、画像の中の目立つ点、印象にのこる点に注目し、今度はその点のみをじっと見つめる。注視する。綿密に。たくさんの点は必要ない。いくつかでよい。このときはキョロキョロと目をうごかさないようにする。
 その後、目をつぶって構図と点を想起する。どこまでおもいだせるかチャックし、おもいだせない所はもう一度みなおす。重要なところ、価値のあるものを見つけたら、写真をとったりメモをしておくとよい。
 観察で大切なことは、大局と局所をみることであり、大局の中に局所を位置づけることである。実際に野外にいく前に、手持ちの写真をつかってこのような訓練をつんでおくとよい。

23-08 グループ・ディスカッションは発想をうながす

 グループでディスカッションをおこなっていると発想をうながされることが多い。一人でかんがえているのとちがい、他人の発言に触発されるからである。特にテーマをきめて、問題意識をもった人々があつまった場合にその効果は大きくなる。
 しかし、自分一人しかいない場合はどうしたらよいか。実は、一人でもディスカッションはできるのである。創造性が高い人の一つの特徴はここにある。
 それは、心の中に、Aさん・Bさん・Cさんをこしらえて仮想上のディスカッションをおこなうという方法である。Aさんならこう言うだろう。Bさんならこう反論するだろう。Cさんならこんな奇抜なアイデアをだすにちがいないというようにディスカッションをすすめていく。これはいわば、心の空間でのバーチャル・ディスカッションである。

23-09 絵日記は、イメージと言語をくみあわせた表現法である

 私たちは、小学校の夏休みの宿題で絵日記をやった。絵日記を今とらえなおしてみると、これは、イメージ(画像)と言語とを組みあわせた表現法であり、情報処理の観点から見て非常にすぐれたアウトプットの方法で、情報処理のよい訓練であったのである。
 絵日記では、絵ではうまくえがけても、言語ではうまく書けないことがあった。またその逆もあった。しかし、絵(イメージ)と言語ががっちり組みあわさったとき、物事に関する理解は急にすすんだ。また、自分のメッセージを他人にも伝達しやすくなっていた。
 いそがしい現代人は、絵をかいている暇はなくてもデジタルカメラで写真をとることはできる。そこで現代人は、絵日記のかわりに「写真日記」をつくってもよいだろう。「写真日記」をつくる作業自体がすぐれた情報処理の訓練になる。

23-10 「写真+言語」はウェブサイトに適したアウトプットの方法である

 最近は、ウェブサイトに自分の写真をアップロードする人が非常にふえた。デジタルカメラとインターネットの普及で誰でも手軽に自分の写真を公表できる。
 このとき、写真だけをしめすのではなく、言語による解説があれば親切であり、写真の意味がわかりやすくなる。自分のメッセージもつたえやすくなる。写真だけだと底があさくなるが、解説やコメントがくわわるとより多くの人々がふかく理解できる。言語には体験や理解をふかめる効果がある。
 言語で解説を書くのは、写真から言葉をひきだすようなものである。解説を書いている過程で発想がでてくることもある。写真は発想をうながすことも多いのである。このときには、すでにある自分の記憶や深層意識と、目のまえの写真との間に共鳴がおこっている。
 旅行先で撮影した写真に言語で解説をくわえてアップロードすれば、それは「写真紀行」になる。ウェブサイトが出現した今日、「写真紀行」はすぐれた表現法として大きな意義があるだろう。

23-11 グループ・ディスカッションは情報処理の重要な実践形態である

 グループ・ディスカッションの方法を情報処理の観点から体系化することは非常に重要である。ディスカッションでは情報処理が無数にくりかえされる。また、ディスカッションから問題解決へ展開することもできる。
 「判断→実行→結論」という問題解決の3段階においては、判断と結論の段階でグループ・ディスカッションをおこなうと効果が大きい。中間の実行の段階では、役割分担をきめて、手分けをして仕事をした方がよい。
 グループ・ディスカッションの最終場面では合意形成が必要である。ディスカッションの最終目標は合意形成であり、グループの意志を統一することである。グループ・ディスカッションは、テーマ設定にひきつづいておこなわれ、合意形成にひきつがれると言える。つまり、(1)テーマ設定、(2)グループ・ディスカッション、(3)合意形成となる。
 これが、フィールドワーク、構想計画、事業の実施などに展開され、問題解決が進行する。

23-12 予報や予知の方法を開発することがもとめられている

 地球物理学者の寺田寅彦と竹内均は「大地震の発生のような確率統計的な現象の実用的な予知は不可能であり、災害を小さくする防災対策に力を注ぐべきである」(注)とかんがえていた。
 大地震とまでいかなくても、もっと身近には天気予報という予知がある。これも「確率統計的な現象」である。天気予報は毎日おこなわれており、最近の予報では「明日の降水確立は30パーセントである」といった精度の高い予報をだすことが可能になっている。
 しかし竹内均氏は、「統計による予測は、いわば競馬のかけのようなものである」と言っている。予報が、定量的な確率としてだされたといっても、本当に降水があるかどうかは別問題であり、降雨の確立が30パーセントであるか、60パーセントであるか、あるいは何パーセントであっても、降雨があることもあるしないこともある。予報がはずれたときには、どうしてはずれたのか、テレビの気象情報の時間できちんと説明すべだとおもうが、それはともかく、私たちはこの確率予測の意味をよくかんがえなければならない。
 たとえば、明日の降水の確立が30パーセントではなく60パーセントになったら、傘をもってでかけようという気持ちになる人がいるかもしれない。あるいは90パーセントだったらもって行こうという人がいるかもしれない。高いパーセンテージをしめされると、気持ちがかわるという人は多いだろう。
 つまり予報とは、それがあたるかどうかよりも、その人がどうそなえるか、その心構えにあたえる影響が大きい。明日どのような行動をするか、その判断のために人々は予報や予知という情報をつかう。予報や予知の情報は、あたるかあたらないかよりも、人々の心構えを形成するために非常に有用なのである。
 天気予報と同様に、大地震の予知でも、たとえば、確率が50パーセントをこえると意識が高まり、災害にそなえはじめる人がいるかもしれない。その人にとって予報は防災の効果をもたらす。
 ところが、本当に意識の高い人は、そのような予報にはとらわれず、日々そなえているだろう。災難はいつなんどきおこるかわからないのだから。寺田寅彦は「災害は忘れたころにやってくる」と言っていた。したがって、予報にかかわらず、毎日傘をもちあるいている人はよくいるのである。
 こうかんがえてくると、正確なパーセンテージを確率で出せるようになったからといって、かならずしも予報や予知の科学そのものが大きな成果をもたらしたとは言えなくなってくる。予報や予知の世界の実態は、昔とそれほど変わっていないとも言える。私たちは、予報や予知の情報も参考にはするが、「防災対策に力を注ぐべきである」という寺田・竹内両氏の言葉の意味をもう一度かみしめなければならない。
 現代科学の予報や予知がうまくいかないことがある問題の本質は、実験室内の科学を野外の生の自然に適応しようとしたところにあるのだが、それはともかく、予報や予知は、人々の心構え形成や行動のための判断にとって有用な情報を提供するのだから、その方法は今後ともしっかり開発していく必要がある。これからは、実験室の世界を野外に応用することよりも、人間から自然環境にいたるまでの複雑な情報を総合的に処理し、社会の問題を解決するために実際に役立つことをやるという二つの観点が重要になってくるだろう。このようなことからも、情報処理と問題解決の方法開拓の必要性がうかがえる。

(注)竹内均編『ひらめきと執念で拓いた地球の科学』ニュートンプレス、2002年

23-13 文章化に睡眠を活用する

 文章を書くとき、最初から正確な文を書こうとするとストレスが生じるのが普通である。
 そこで、文章を書くときには、まず、箇条書きでおもいついたことをどんどん記載しておくのがよい。そして寝る。つぎの日になると、比較的楽にそれらをまとめて文章として完成させることができる。
 文章化には睡眠を活用した方がよい。

23-14 創造的な人は、流れと構成を同時にかんがえる

 イギリスのシェフィールド大学で作曲をつづけているアリス=クラムさんは言う。
「音をおもいうかべると同時に、ピアノの鍵盤やバイオリンの弓の動きもうかんでくるんです。ピアノの音が最初にでてくるんだけど、同時に、バイオリン・ビオラ・チェロなどの各パートのイメージもうかんでくるんです。曲全体をかんがえたときの構成ですね」(注)
 つまり彼女は、最初の音をひびかせるのと同時に、全体の構成を空間的にかんがえている。たとえば、最初のピアノの音とともに、それにつづくバイオリン、フルートなど、オーケストラの様々な楽器の音も同時にひびかせている。音楽は時間芸術であり、それは前から後ろへむかって流れていくものであるが、作曲家は、曲の流れとともに全体の構成も同時に見通している。このとき、聴覚機能とともに空間認知能力をつかっているのだろう。作曲家は、聴覚野と同時に視覚野もつかっているとかんがえられる。
 これとおなじようなことが文章を書くときにも言える。文章も前から後ろへ流れていくものである。しかし、文章をかきながら全体の構成を、空間的にもかんがえておかないとよい文章はかけない。具体的には風景や図解などのイメージをおもいうかべながら文章化をすすめることになる。
 このように、創造的な仕事をする人は、流れと構成を同時にかんがえ、時間と空間を同時にとらえながら仕事をすすめていると言えるだろう。

(注)「サイエンスロマンSP最新科学が解き明かす“天才の脳”の真実!!〜人類の果てなき夢が生んだ…奇跡の物語〜」(テレビ東京)

23-15 ライバル関係が人をそだてる -共鳴原理と競争原理-

 元読売巨人軍監督の長嶋茂雄氏はかたる。
「ライバルが必要です。いくらいいバッターがあつまっても、いいピッチャーと対戦しなかったら成長できません」
 対するピッチャーの稲尾和久氏も言う。
「長嶋茂雄と対戦できたからわたしは成長できました」(注)
 人が成長するためには「よき師をもて、よき友をもて」という。一般的には、よき友とはライバルではなく協力者であり、その関係には共鳴がはたらく。ここには共鳴原理あるいは共存原理がある。
 ところが、長島氏と稲生氏はライバルであり、彼らの例は共鳴というよりも競争である。対戦では相手をつぶそうとするのだから干渉といってもよい。ライバル関係には競争原理や干渉原理がはたらいている。
 人間の成長には、共鳴原理が必要である一方で、その反対の競争原理や干渉原理が効果をあげることもあるのである。この事実に注目することが大切である。彼らはこのことをはっきりとしめしている。
 共存原理と競争原理、共鳴原理と干渉原理、これらは一見すると矛盾するようだが、どちらも必要である。どちらか一方の原理だけで世の中は成り立っているわけではない。見かけ上は対立・矛盾する原理が、ひとつのセットになって世界はなりたっているのである。

(注)プロ野球・新時代へ熱球の伝説「第1話・ミスター・ジャイアンツ・長嶋茂雄」(NHK)

23-16 固有名詞のとりあつかいに配慮する -アクションリサーチの報告-

 アクションリサーチの報告をするときには、できるだけリアルに現場の様子をしめした方が効果が大きい。NGOの実践事例などを報告するときにはそうである。
 できるだけリアルにしめす場合には、個人とか組織の固有名詞を出さなければならないことが多い。固有名詞を出すときには、あくまでもその人なり組織なりを尊重しなければならない。固有名詞のとりあつかい、つまり個人や組織に関する情報のとりあつかいは慎重におこなわなければならない。アクションリサーチの報告ではつねに配慮しなければならない問題である。

23-17 多人数よる情報の並列処理が成果をあげる

 現代では、多数のコンピューターを並列的に接続して情報を処理することがおこなわれている。1台の巨大なコンピューターよりも、多数の小型コンピューターを同時に並列的につかった方が情報処理の効率があがると言われている。情報は、複数に分散させて、複数の場所で同時並行的に処理した方が速く処理できる。つまり並列処理した方が効率があがるという訳である。
 人間の頭もたえず情報処理をおこなっている。人間は情報処理をする存在である。地球に60億人の人間がいれば60億個の頭があることになる。これらの頭が同時並行に情報処理をおこなっている。これは情報の並列処理にほかならない。頭がたくさん同時にはたらくということは、人間が情報の並列処理をおこなっているということである。
 並列原理の立場にたてば、一人の天才にたよるよりも、人間全体が協力して情報の並列処理をおこなった方が成果があがるということになる。並列処理は情報処理の本質である。

23-18 仮説は、フィールドワークと推理の帰結としてでてくる -恐竜博2005-

 「恐竜から鳥への進化」をテーマに、最新の恐竜研究の成果を反映した「恐竜博2005」が国立科学博物館(東京・上野)で開催された。これは、「恐竜は絶滅せずに鳥へと進化し、現代にもつながっている」という仮説を、最良の化石と標本でたどる、かつてないまったくあたらしい形の恐竜博である。
 国立科学博物館の地下の特別展入口を入り、展示室の中央奥にすすんでいくと、「世界でもっとも有名な恐竜」といわれる世界最大のティラノサウルス「スー」の全身複製骨格がその圧倒的な姿をあらわす。「スー」は、長い尾をやや上方に長くのばし、全長は12.9mもある。「スー」は、骨格の90パーセント以上の骨が発見されたという希少性から、1997年、オークションで世界最高額の約10億円で、アメリカ・シカゴのフィールド博物館が落札し、一躍有名になった。
 骨格の右横には「スー」の発見物語が解説されている。

***
 1990年の夏、アメリカ・サウスダコタ州のヘルクリーク層の発掘調査は3年目をむかえていた。発掘隊がフィールドをはなれるわずか2日前にトラックのタイヤがパンクしたため、ほかの4人が修理のために町にでかける間、ただひとりスーザンはそこにのこることになる。
 発掘隊は、夏の間にその地域のほとんどの崖をしらべていたが、1ヶ所だけまだ調査していない地点があり、彼女はそこに行ってみることにする。スーザンは、いつものように犬のジプシーをつれて谷をこえてあるきはじめる。何かにひきつけられるように。スーザンとジプシーは4時間かけて約11キロメートルの道のりをあるいていく。
 崖について、地面をみながらあたりを一周しようとする。だいたい半周したあたりで、骨のようにみえる2〜3のかけらに気がつく。そこで崖をみあげると、3個の恐竜の背骨が日にてらされてはっきりとみえる。ティラノサウルスの背骨だ。
 そのティラノサウルスは第一発見者の名前スーザンにちなんで「スー」と命名された。
***

 その後「スー」の研究がすすみ、ティラノサウルスが、鳥に似た筋肉構成をもっていることがあきらかになる。ティラノサウルスは、鳥の歩行様式への進化の中間段階をしめす筋肉をもっていたのである。
 そもそも、「恐竜は絶滅せずに鳥へと進化し、現代にもつながっている」という仮説は1970年代に提唱され、1990年代なかば以降に羽毛の生えた小型獣脚類が相次いで発見されたことによりひろく支持されるようになった。世界最古の恐竜エオラプトルから、大型獣脚類ティラノサウルス、羽毛恐竜、初期の鳥、現生のハトへと、恐竜がさまざまな形質をえながらやがて鳥へと進化していく過程は、今回の恐竜博に展示されている化石の変化をみることによって実際にたどることができる。化石は仮説を裏付ける物的証拠である。
 古生物学者ジョン=オストロムはかたった。
「標本を何度も繰り返し観察しているうちに、それまではバラバラの点だったデータが、線になってつながり、理解できる瞬間がある」
 線になってつながりが理解できたときに、仮説が提案される。仮説は、「スー」の発見物語に見られるような地道なフィールドワークと、多様なデータをつなぎあわせる推理のたまものである。仮説は、フィールドワークと推理の帰結としてでてくるのである。
 今回の恐竜博は、人間が仮説をたてて理解をふかめていく過程を、化石をつかって視覚的にわかりやすくあらわしていた。

参考文献:『恐竜博2005 -恐竜から鳥への進化-』(カタログ)真鍋真監修、朝日新聞社編集・発行、2005年

23-19 チームワークでは、情報の分散的入力・並列的処理・統合的出力がおこっている

 組織ではチームワークで仕事をすすめる。チームワークではチームが主体になって情報処理をおこなう。
 チームでおこなう情報収集は、チーム内への情報のインプットと言うことができる。この情報収集の段階では、メンバーがばらばらにわかれて、それぞれの場所に散っていき、手分けをして情報をあつめた方が効率がよい。情報は、時系列的に順番にインプットするよりも分散していれた方が効率がよい。つまり、情報は分散的にインプットされるべきである。
 インプットにつづく、情報の処理(プロセッシング)の場面は、チームでおこなう場合には、ひとりでかんがえるのとはちがい、何人ものメンバーが同時並行でかんがえる。ディスカッションはその例である。ここでは、何人ものメンバーの頭の中で情報が並列的に処理される。
 それにつづくアウトプットの場面では、報告書や論文などを作成して外部に公表する。通常は、一人の編集責任者をきめることになる。責任者を決めないで手分けをしていると情報はまとまらない。かならず、情報を統合する責任者を一人きめなければなない。その人の頭の中で、様々な情報は統合され一本にまとまることになる。
 このように、チームワークでは、情報の分散的入力、情報の並列的処理、情報の統合的出力が順番におこっている。分散・並列・統合は、入力・処理・出力の基本原理とみなすことができる。

23-20 「プロジェクト法」は問題解決の方法として有効である

 私は、2001年から3年間にわたり、国際協力NGOの3ヵ年プロジェクトにたずさわった。そのときもちいた方法は以下のようであった。
 (1)テーマ設定、(2)グループ・ディスカッション、(3)合意形成、(4)フィールドワーク、(5)構想計画、(6)事業の実施、(7)評価(事業終了時評価)
 (1)テーマ設定では、現地スタッフとともに、3ヵ年でとりくむテーマを決定した。(2)グループ・ディスカッションでは、テーマをめぐって現地スタッフとともにディスカッションをした。(3)合意形成では、ディスカッションの結果をまとめ、何にとりくむか関係者で合意を形成した。(4)フィールドワークでは、プロジェクト地(現場)を直接調査し、その実態を把握した。現地住民の話をよく聞くとともに、専門家による科学的客観的な調査もおこなった。(5)構想計画では、事業(プロジェクト)の構想をねり、計画をたてた。(6)事業の実施では、計画を実施した。実施の途中では、アクションリサーチやモニタリングもおこなった。(7)評価では、3ヵ年全体をふりかえり、成果の良し悪しなどを評価し、その結果を報告書にまとめた。
 このような方法により、現地スタッフや現地住民を主体とした、参画型のプロジェクトを成功させることができた。この「プロジェクト法」は問題解決の方法としてモデル化でき、国際協力以外の分野でもつかうことができる。

23-21 言語を見てイメージや体験を想起する

 イメージや体験は、情報処理をおこなうことによって言語としてアウトプットされる。つまりイメージや体験は言語に変換される。このとき、イメージや体験は情報の下部構造、言語は情報の上部構造となる。
 一旦、情報の上部構造ができあがると、言語だけを見て、イメージや体験つまり情報の下部構造を想起することが可能になる。言語は情報検索の用をなす。
 たとえば、DVDを視聴したとしよう。その内容の要点をキーワードでアウトプットして、あとで、キーワードだけを見てDVDの内容をどこまで想起できるかチェックしてみる。あるいは、DVDの音声だけをきいて、イメージがどこまで想起できるかチェックする。よく想起できないときはDVDをもう一度みなおし、記憶を再構築する。
 あるいは、日々の体験をキーワードでアウトプットしておく。あとで、キーワードを見直して、当時の体験がどこまで想起できるかどうかチェックする。
 こういう訓練をくりかえしていると、必要な情報が必要なときにとりだしやすくなる。
 また、確実なインプットがいかに重要かもよくわかってくる。最初に、情報を心の中にインプットするときに、それが不十分だとあとで苦労することになる。しっかり意識してインプットしてしまえばあとが楽である。

(2005年3月)
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2005年8月31日発行
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