思索の旅 第19号
東大博物館
> 東京大学総合研究博物館(東京・本郷)

19-01 絵の見え方は光の環境によって大きく変化する

「イギリスの首都ロンドンが世界に誇る、“印象派の殿堂”と言えば、コートールド美術館である。マネ最晩年の傑作『フォリー・ベルジェールのバー』をはじめ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャン、ゴッホなど印象派や後期印象派の珠玉の名品が並ぶ」(NHK世界美術館紀行「印象派の神髄はイギリスにあり〜コートールド美術館」)。
 コートールド美術館の展示室には大きな窓がある。映像を見ると、あかるい光が窓からさしこんでいる。さしこむ光によって、絵のかがやきもことなってくる。絵の見え方も、絵がおかれる環境によって大きく変化するのである。

19-02 商品を売るのではなく、ライフスタイルを提案する

 「商品を売るのではなく、ライフスタイルを提案し、ライフスタイルを売る」(NHK教育テレビ「21世紀ビジネス塾」)。岐阜の地場産業グループは、椅子・机・照明・テーブルクロスなどをくみあわせてまとめて展示・販売した。展示場では消費者からも意見がきけ、あたらしい商品開発にもなったという。
 このグループは、シンプルでモダンな生活空間、統一的なイメージをもったあたらしい生活空間をつくりだした。これは、ハードとソフトをくみあわせてライフスタイルを創出したよい例である。ハードとソフトはセットになってはじめてライフスタイルになる。どちらが欠けても不十分である。

19-03 探検ネットは情報の収束原理を利用している

 「探検ネット」とよばれる図解法では、模造紙の中心に書かれたテーマの周囲に、言語を記載したラベルを配置していく。このとき、中心に記入されたテーマにむかって周囲から情報がひきよせられてくる。これは、テーマから周辺へむかって情報が拡散するのではなく、情報がテーマにむかってあつまってくるのである。テーマを決めると情報は自然に収束してくる。ここには、情報の「収束原理」がはたらいている。

19-04 問題解決サイクルにより現場情報を処理する

 問題解決は、問題提起からはじまり、状況把握、仮説形成と3段階をふんでおこなうとよい。3段階目の仮説形成までくると、それ自体が高次元の第1段階になり、さらに、仮説検証、計画立案へとすすむ。計画立案までくると、それがより高次元の第1段階になり、さらに、実施、評価とすすんでいく。それぞれの段階の内部では情報処理がくりかえされる。
 これは「問題解決サイクル」のモデルである。このなかでは「仮説形成」が急所であり、この部分だけは絶対にはずせない。「仮説形成」により情報処理は一気に加速される。時間や労力の関係であとの部分は簡略化することもできる。どこに力を入れてどこで力をぬくかといった重みづけをしなければならない。
 たとえば、地域活性化のプロジェクトをおこなう場合、現地住民はすでに膨大な情報をもっている。その情報は過去に住民のが見聞きしたものであり、すでに心のなかにインプットされている。この膨大な情報をいかにひきだし処理するか、そのための方法としてこのモデルがつかえる。最近は、過去の反省から、「住民の声」による地域開発、参加型の開発がさけばれるようになってきており、これは大変すばらしいことである。しかし、問題解決の実践を通して、住民がもっている情報、あるいは地域にすでに存在する膨大な現場情報を処理するといった観点を重視することの方が大切である。情報は、処理されるためにそこに存在しているのである。

19-05 フィールドワークにより地域の枠組みを大きくとらえる

 フィールドワークとは、地域の「場」を探求する方法である。ある地域をあるいていると、草木があり、花がさき、蝶がとんでいる。家がたちならびさまざまな人々がくらしている。これらは地域という「場」のなかに存在する「要素」といってもよい。これらの「要素」に出会い観察すること自体が情報処理の過程になっている。
 しかし、これらの要素にとらわれているだけでなく、「ここは盆地であり、今は秋である」というより大きな枠組みでとらえることができれば、私たちの理解は一歩すすんだことになる。草木と花と蝶と家々と人々を別々にとらえるのではなく、これらの要素を包含するもっと大きな「盆地の秋」という「場」で地域をとらえられたことになる。このような情報処理の枠組みの変化はフィールドワークをふかめることによってえられるものである。
 地域活性化の問題にとりくむときに基本的な問題になるのは、その地域が「存在する意味は何か」ということだろう。このような問題にとりくむためにはフィールドワークが必要不可欠であり、それは「要素」をこえたより高次元の情報処理、つまり「場」の情報処理がもとめられる。このような作業は、実際に野外をあるいたかどうかといった外見ではなく、「場」の枠組みを大きくとらえたかどうかというところに本質がある。この本質を見誤らないことが大切である。

19-06 フィールドワークにより現実からのフィードバックをおこなう

 問題解決の行為をすすめているとさまざまなおもいつきやアイデアがうまれてくる。ここで注意しなければならないことは、現実からのフィードバックをおこない情報処理のエラーをなくすことである。そのためにフィールドワークが役立つ。
 たとえば地域住民による討論会をおこなうと実にたくさんの意見がでてくる。この意見をそのまま鵜呑みにするのではなく、外にでてフィールドワークをおこない現実の場でチェックする。このような情報のフィードバックにより、まちがった情報は削除され、変な方向へいかないですむ。
 これは、自分と周囲との関係をよくみつめることであり、周囲とは環境といってもよい。環境からの情報のフィードバックをわすれないことだ。
 このような行為は、自然科学では実験とよばれる作業であり、問題を客観的にみる行為である。

19-07 思考もアイデアもコミュニケーションも、環境のなかで生まれる

 フィールドワークをおこなっていると、周囲からの刺激のなかでさまざまなことをおもいつく。周囲からの刺激はつぎつぎに私たちの心の中に入ってくる。私たちは環境のなかでものをかんがえる存在なのである。さらに、さまざまな独自な刺激にみちあふれた環境のなかで本当のコミュニケーションもうまれる。
 地域を活性化するためのチームワークをおこなう場合、現場(現地)でミーティングをおこなうと、よい結果がかならずえられるという事実もこのことを意味している。
 思考もアイデアもコミュニケーションも環境のなかでこそうまれることを自覚し、これを方法として積極的に活用していくのがよい。

19-08 空間記憶法により、心を場にみたす

 フィールドワークをおこなっていると、五感を通して大量の情報が心の中に入ってくる。周囲の情景がイメージとして記憶され、周囲の場は心のなかにみちてくるといった感覚が生じる。これは「場を心にみたす」ということである。
 この「場を心にみたす」ということはわかりやすいが、その逆に「心を場にみたす」ことはわかりにくい。その第一歩は「空間記憶法」にある。「空間記憶法」では、心の中にすでにあるさまざまな情報を、外部の特定の場所にむすびつけて記憶を再構築する。このようなことをくりかえすこと自体が、心を場にみたしていくことになる。
 フィールドワークの第1段階は場を心にみたすことであるが、より高次の段階では心を場にみたしていくことになる。

19-09 ふかい領域のフィールドワークは、波を通じておこなわれる

 秦の始皇帝陵は地球物理学的な手法で探査され、その基本構造があきらかなった(「大兵馬俑展」上野の森美術館、2004年)。これは、物理的な手法で、重力や反射波を解析することで、直接みることができない地下の様子をさぐっていく探査法である。遺跡を直接発掘するのではないため、貴重な遺跡を破壊しないですむという大きなメリットがある。
 地球物理学的な探査法がつかえない場合でも、私たちは世界に存在するさまざまな波、たとえば音波・風・振動などを感じとることができる。波はさまざまな波長の響きを発しているので、その反応をとらえることで、目にはみえないふかい領域の現状を知ることができる場合がある。これは従来の視覚的な調査法とはことなる方法である。
 ふかい領域のフィールドワークは、このような波の響き通じておこなわれる。

19-10 できるだけひろい範囲を効率よくながめる作業がフィールドワークである

 フィールドワークでは、まず観察の場をひろげること、そして、全体をすみやかに点検できるようにすることが必要である。そのためには、実際に現場をあるくだけでなく、地図や写真を活用することも重要である。できるだけひろい範囲を効率よくながめる作業がフィールドワークである。これによってその地域を大観できるようになる。
 これには、パソコンや資料をつかって室内で迅速に情報をあつめていくデスクワークとはちがい、環境に対する的確な感受性が必要になる。フィールドワークは奥がふかい世界であり、その方法の習得には時間がかかる分野である。
 フィールドワークの訓練に促成はないので、わかいときから時間をかけて、じっくりとりくんでいくことがもとめられる。

19-11 自然環境は社会の場をつくり、自然環境からの刺激は社会に変化をもたらす

 ひとつの地域は、中心に社会があって、その周囲を自然環境がとりまいて成立している。自然環境(とくに地形)が社会の基本的枠組みあるいは場をつくりだしている。つまり、自然環境によって社会の大局が影響され、自然環境からのさまざまな自然現象によって社会のなかにこまかい影響が生じている。
 自然環境は社会の場をつくりだし、自然環境からの刺激は社会に変化をもたらす。
 フィールドワークでは、このようなことが自覚できるかどうかがまず問題になる。このことは地域を理解するための重要なポイントである。

19-12 フィールドワークは知識ではなく、みずからふかまる体験である

 フィールドワークは知識ではなく、みずからふかまる体験である。フィールドワークをおこなっていると、五感を通して膨大の情報が心の中に入ってくる。これは通常の生活や勉強ではえられない現象であり、心のなかに定着するのは知識ではなく体験であるといえる。
 知識は情報のせまい倉庫を心のなかにつくるのに対し、体験は情報の大きな倉庫といってもよい。フィールドワークをくりかえすことにより、情報の大きな倉庫を形成し、さらにそれを成長させてもろもろの知識までもとりこんでしまえば、体験と知識はむすびつき、情報処理の次元をあげることができる。

19-13 対象の背景もしっかりとらえる

 フィールドワークでは聞き取り調査をよくおこなう。現地の住民は現地に関する膨大な情報をもっているので聞き取りは必須であり、実際、ていねいな聞き取り調査をおこなうと とても沢山の情報を効率よくあつめることができる。住民の話は、問題を解決するためのさまざまなヒントもあたえてくれる。
 しかし、これだけのことにとどまってはいけない。情報提供者の背景もしっかりみなければならない。今しゃべっている人の背景には何があるのか。自然の風景なのか、建物なのか、家の中の壁なのか・・・。これらの背景もすべて情報を提供してくれる。そのためには中心視野だけでなく周辺視野を積極的に使用しなければならない。
 住民は環境のなかで環境とかかわりをもって毎日くらしている。聴き取り調査の際に周辺視野でみえる背景は環境にほかならない。それに対して、住民が話している内容は、環境のなかの要素といってもよい。
 要素だけでなく環境もしっかりとらえることがフィールドワークでは重要である。

19-14 方針とは「この方向へすすめ」という方向性をしめす

 地域の活性化プロジェクトにとりくんでいると、ある段階で地域の情勢が判断される。情勢が判断されると、問題を解決するための方針や目標が決定される。ここで問題になるのが方針と目標についてである。多くの人々が方針と目標を混同してつかっているが、そもそも方針と目標とはちがうのである。
 方針とは「この方向へすすめ」という方向性をしめすだけであり、ゴールまでもはしめしていない。それに対して目標とは、ある一定の期間内に実現すべきゴールのことである。方針は、さらにむこう、もっとむこうの世界にいくべきことをしめしているのであり、方針の確定はそのための方法である。方針に特定の目的地はない。
 一般にプロジェクトといえる行為にはかならず目標が存在する。プロジェクトには特定の場所とさだめられた期限が存在するのだから、その間で達成すべき目標は必要である。
 しかし、そのプロジェクト、その目標の背後にあって、地域の未来をみちびきだす方針を決めておくことが必要なことをわすれてはならない。方針こそが、過去を脱出し、未来の世界を知るために必要なことである。これがないと何をやってもダメだったということになる。

19-15 潜在能力を開発することが地域活性化の課題である

 人間の能力には、すでに表面にあらわれている見かけの能力と、まだあらわれていない潜在能力とがある。潜在能力はただしい方法をつかうことによってこれから開発できる能力である。
 これと同様に、ひとつの地域にも、見かけの能力と潜在能力とがある。地域もただしい方法をつかえば地域がもつ潜在能力(ポテンシャル)を開発することができる。潜在能力を開発することこそが地域活性化の課題である。

19-16 議論の過程で情報処理がくりかえされる

 地域活性化事業などで、地域住民とともに議論をしていると非常にたくさんの話をきくことができる。他人の話をきいていると、その話に反応して実にたくさんのことをおもいつく。いろいろな記憶もよみがえってくる。そして、おもいついたり想起されたことのなかから重要な事柄を選択し、圧縮・要約して発言する。
 このようなことを何回もくりかえすのが「議論」とよばれる行為である。
 この行為を情報処理という観点からとらえなおすと、他人の話をきくことは、自分の心の中に情報を「入力」することである。心の中でおこる反応や情報の選択・圧縮・要約は情報の「処理」である。そして、発言することは、心の中から情報を「出力」することにほかならない。
 このようにして、議論の過程では無数の情報処理がくりかえされる。
 議論に参加する人々が、このような情報処理の過程を意識するだけで、議論の生産性を一気に高めることができる。

19-17 フィールドワークを通して「観察→体験→場づくり」を実践する

 地域の活性化のためにはフィールドワークが必須である。フィールワークは現場を観察することからはじまる。観察をつみかさねることにより人々は体験をふかめることができる。情報収集能力も向上する。えられた情報をもとにして議論をすることもできる。
 このような過程を通して関係者たちの間に連帯が生じてくる。これは「場づくり」にほかならない。
 しかし、地域にあっては「場づくり」は人々だけのものではない。人々の周囲には環境がある。地域とは、そこにくらす人々と彼らをとりまく環境とからなりたっている。人々のみならず環境も改善されてはじめて地域は活性化する。
 ここにいたって地域全体の「場づくり」が実現する。「場づくり」は地域の活性化や問題解決の最終的な課題である。フィールドワークを通して、「観察→体験→場づくり」という過程を実践することが重要である。

19-18 自然史を想像すると目のまえの情景を統一的に理解できる

 フィールドワークをしていると、人や動物がみえる。木や花や虫がみえる。岩や川や空がみえる。これらはすべて大地がささえている。これらさまざまな物は一見するとまとまりがないようにみえる。大地はすべてをささえるといっても、岩石や地層で構成された物質にすぎない。
 たしかに大地は、空間的にとらえれば物質でしかない。しかし、時間的歴史的にそれをとらえなおしたとき、そこに自然史というとてつもなく大きな世界がみえてくる。大地を探求する自然科学に地質学という分野があり、地質学はさまざまな手法をつかって自然史の解明をつづけている。
 自然史は、目のまえに現在ひろがっているすべの物をうみだした背景であり土台である。自然史を想像し、それを背景にして目のまえの情景をみなおしてみると、一見まとまりのないさまざまな事物が統一的なイメージとしてとらえられてくる。大きな自然史の世界のなかに現在の姿を位置づけることができる。このような行為によって世界の空間をダイナミックに見直すことができる。
 一方で、自然史を想像して、それを時系列に記載することによっても、さまざまな物象・事象を統一的にとらえることができる。時系列的な記載には情報を統合する力があるのである。
 このように、フィールドワークを発展させて自然史を想像することができれば、目のまえの情景をダイナミックかつ統一的に理解することが可能になる。自然史の探究はこのような意味で非常に重要である。

19-19 ディジタル技術と現物観察をくみあわせて認識をふかめる -東大博物館-

 東京大学総合研究博物館で、企画展「ディジタルとミュージアム」が開催された。ディジタル技術により再現された、バーミアンの全景や壁画、長野県・戸隠神社の天井画の復元など、大変すばらしい展示が見られた。
 この博物館は、従来の博物館のような現物を展示するだけでなく、最新のディジタル技術を駆使した展示もおこなっている。ディジタル技術により再現されたすばらしい映像をみられる一方で、実物のまえにたってそれをじっくり観察できる。これにより展示効果が非常にあがり、来館者は、大きなインパクトをうける結果となる。いってみれば、リアル・ミュージアムとディジタル・ミュージアムがドッキングした博物館だといえる。
 現代は、ディジタル技術がいちじるしく発達したおかげで、私たちは、映像をふくむ世界中のさまざまな情報を簡単に手に入れることができる。しかし一方で、自分の興味のあるものについては、やはり、実物を見てみたいとおもう。この博物館はそれを建物のなかで体験させてくれる。
 しかし、このようなディジタルと実物の関係は何も博物館にかぎったことではない。私たちは、インターネットやテレビなどの電子環境の恩恵をうけて、世界中のさまざまな情報をいながらにして日々受信することができる。そのような生活のなかで、特に興味のある物や地域については、やはり、現地へいって直接それをみたり体験したりしている。
 こうかんがえてみると、今や世界全体が、巨大な「東京大学博物館」になっているのである。
 ただ、この博物館で、このようなことをモデル的に体験しておくと、日々の生活のなかでそれを応用しやすくなる。インターネットなどをつかってグローバルに大きく情報をうけとる一方で、特に問題意識をつよく感じる部分については現場にいって詳細に観察するといった、電子環境と現場観察のつかいわけの意味と方法がとてもよくわかってくる。

(2004年12月)
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2005年6月29日発行
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