思索の旅 第18号
サントリーホール
> サントリーホール(東京・赤坂)

18-01 速読によりターゲットを発見する

 大量の出版物が毎日発行される時代になって、速読法にとりくむ人も多くなったようだ。
 速読法のいかし方には様々なものがあるとおもうが、そのひとつにターゲットを発見するためにつかうという方法がある。速読や速めくりにより、まず本の全体像や構造をつかみむと、自分がもっとも関心を感じた「部分」もすぐにあきらかになる。そこがターゲットになる。速読をするとターゲットを的確に発見することができるのである。ターゲットを発見したら、今度はそこだけをくわしく読み、身につけるようにする。
 そしてそのつぎには、それらに自分の知識や体験をぶつけて考察をくわえる。その結果は、みじかくてもよいから要約してかならず文章に書きだしておく。速読法を基礎にしたこのようなプロセスをふむことにより、大部な書物や何冊もの著作からなる講座も効率的に活用することができるようになる。

18-02 著作集と自伝を組みあわせて読むと理解がすすむ

 『梅棹忠夫著作集著作集』(中央公論社)の全巻を読んだのち、梅棹忠夫氏の自伝『行為と妄想 わたしの履歴書』(中公文庫)を読んだら、梅棹忠夫氏の学問・思想・方法が非常によく理解できた。
 自伝あるいは伝記には、無駄な部分がはぶかれ本質的に重要なことだけが記されている。そこには膨大な情報が圧縮統合されている。しかもそれは時間軸にそった物語になっており、小説を読むようにたのしく読める。著作集を読んだあとには、その著者の自伝あるいは伝記を読むとよい。
 そして、必要に応じてふたたび著作集にあたり、重要な箇所をくわしく読めば理解はさらにふかまる。この行為は情報の検索に相当する。多量の情報を圧縮統合した体系である自伝を読んで全体像をつかみ、重要な情報を著作集から検索して利用するという方法である。
 このように、著作集と伝記とは相互補完の関係にあり、両者をうまく組みあわせてつかうと理解を急速にふかめることができる。

18-03 風景をみたら、大局を把握し、局所をひびかせる

 フィールドワークにでかけて風景をみたら、ひとまとまりの印象をまずのこすようにする。つぎに、自分を中心にしてひろがっている空間を把握し、その構造を意図的にとらえるようにする。印象をのこし、構造をとらえることは大局を把握することの重要性を意味している。
 大局が把握できたら、今度は、局所や細部をその大局に位置づけてインプットする。目をつぶってどこまで想起できるかためしてみる。そして、局所や細部がどのようにひびきあって大局をつくりあげているかかんがえてみる。ここまでくると、対象の背後にある「意味の構造」がみえてくるかもしれない。

18-04 海の垂直構造をバーチャル体験する -映画「ディープブルー」-

 映画「ディープブルー」(BBC)を見る。ベルリン・フィルハーモニーのすばらしい演奏とともにうつくしい映像がながれていく。アシカをおそうシャチ、砂の芸術家カニ、嵐でゆれるジャイヤントケルプ、エサをさがすシロクマの親子、氷の窓をまもりつづけるシロイルカ、30トンもあるシロナガスクジラ、シロナガスクジラの子供をおそうシャチ、サメの中でもっとも巨大なジンベイザメ、海溝と海嶺・・・。
 ストーリーは個々の場面のみに存在し、全体としては海の空間をえがきだす映像になっている。映画館で前の方の席にすわって巨大な画面を見ていると、視野一杯に海の空間の世界がひろがってくる。特に、海の垂直構造の世界をバーチャル体験することができる。
 海は、下位から、深海・海中・海面・海上という4層構造になっている。深海には、チューブワーム・ペリカンアンコウ・ギガンドキプリス・ガウシア・ヒレナガチョウチンアンコウの一種が生息する。海中には、クロヘリメジロザメ・サンゴ礁・ジンベイザメ・ネムリブカ・ミズクラゲ・スベスベアカエイ・コククジラが生息する。海面には、マイルカ・ミナミアフリカマイワシ・シロイルカ・ハシナガイルカ・キハダ・シャチが生息する。海上には、マユグロアホウドリ・ケープシロカツオドリ・オタリア・コメツキガニ・コウテイペンギン・ホッキョクグマ・オニミスナギドリが生息する。このように、海の生物たちは各層で見事にすみわけている。

18-05 速読法を発想法へつなげる

 高度情報化の時代に入り世の中には情報があふれかえっている。発行される著作物も大量である。こうした状況の中で速読法の役割はますます大きくなっている。
 速読法では、著者のメッセージの大意・要約・結論をまずつかむことを主眼とする。大意をつかんだらそれを文章にして書きだしておいたほうがよい。時間がなければ1行でもよい。
 情報処理の観点からいうと、本を読むという行為は、情報を心のなかに「入力」することであり、入力された情報は心の中で「処理」される。処理とは、情報を整理したり、情報の価値を判断したりすることである。そして、重要なポイントを圧縮・統合して文章として書きだす行為は、情報を「出力」することにほかならない。情報処理は、「入力」→「処理」→「出力」の「出力」までおこなって完結する。したがって、みじかくてもよいからかならず文章として書き出すところまでおこなわなければならない。
 しかし、速読をして書きだすだけではなかなか身につくところまでいかない。そこで第2の段階として、今度は、その本の中でもっとも興味のある部分(章)、あるいはもっとも重要な部分をくわしく読む。1ヶ所をじっくり味わい、ふかくほりさげるのがよい。
 そして第3段階目としてふたたび全体を速読する。今度は、著者のメッセージと自分の体験をてらしあわせたり、自分の体験を著者にぶつけるようにする。このとき、あたらしいアイデアや発想がでてくるかどうかが重要である。ここでは、アイデアや発想をだすという姿勢が重要である。
 ただ単に速読を無数にくりかえしているのではなく、このような3段階を明確に意識して実践すれば、情報処理を効率化するだけでなく、速読法を発想法へつなげていくこともできる。

18-06 NGOは急所にきりこむ仕事をするのがよい

「海外で難民を救済している NGOが、独自に開発したシェルターを新潟中越地震被災地域に設置して大変よろこばれている」(NHKニュース)。それは、たたむと大きなスーツケースぐらいの大きさであるが、ポンプで30分間空気をいれると大きくふくらむ。避難所が整備された時点で撤収する予定だったが、好評なため継続しているという。
 このNGOは本当に役にたつ光る仕事をおこない、急所にきりこんでいる。一点豪華主義の仕事といってもよい。NGO活動では、ここぞという一点(急所)を発見し、そこに能力を集中することが重要である。

18-07 インターネットの世界と現実の世界はことなる -ジオシティーズ-

 ホームページ作成サービスの「ヤフー・ジオシティーズ」のユーザーのホームページアドレスが変更になった。ユーザーにとっては迷惑な出来事である。かつてのジオシティーズには「コミュニティ」とよばれるものがあって、各自がそのなかに番地をもち、それがアドレスになっていた。新ジオシティーズではコミュニティは廃止され、アドレスには自分のすきな文字をつかえばよいことになった。
 旧ジオシティーズには仮想コミュニティを構築しようという意図があった。その発想の原点は、あくまでも我々がくらしている世界・空間であった。
 しかしこのコンセプトはいきづまってしまった。そのような仮想空間をつくったところで誰も利用しないのである。インターネットでは、キーワードで検索するかリンクをたどって目的のサイトに到達する。そこには空間や距離は存在しない。インターネットの世界では、東京にいるのか、横浜にいるのか、ロンドンにいるのか、南極にいるのかなど、地球上のどこにいるかは問題ではない。この点で、インターネットの世界と現実の世界はあきらかにことなる。
 旧ジオシティーズの失敗にまなび、両者は別物としてとらえ、現実世界とインターネットを上手につかいわけていくのがよいだろう。

18-08 対象の中に入りこんで調査する -アクションリサーチ-

 行動即調査、調査即行動、これがアクションリサーチである。たとえば出張の多い人がいる。出張こそアクションリサーチ実践の現場である。
 通常の調査では対象を外部からとらえる。これはいわゆる客観的な立場であり、従来の科学的な調査でよくもちいるやり方である。しかしアクションリサーチでは、対象の中に入ることが重要である。対象の中に入ってはじめてわかることはたくさんある。
 仕事で行動しているとおもわぬ出来事に遭遇することが多い。その出来事は、何らかのメッセージを当事者につたえようとしている。出来事自体が情報源である。場の中に入りこみ、その中からの視点で対象をとらえなおす。アクションリサーチは予期せぬ発想をもたらすことも多い。
 対象をあくまでも外からとらえる従来の方法には限界がみえてきた。地球環境問題や国際協力などにとりくむ場合にも、アクションリサーチは非常に重要な方法である。

18-09 類似性の原理をつかうと情報処理がすすむ

 ギリシアの哲学者アリストテレスは、理解という現象は、すでに知っていることと類似な現象をおもいついたときに生ずるとかんがえた。これは、情報処理をするうえで非常に重要な本質である。
 このかんがえ方にたつと、情報を整理するときには類似なものを結合することが重要だということになる。どれとどれが似ているかあるいは似ていないに注目して、似ている情報をそばによせるのである。この方法は文章化のときにも役立つし、情報を記憶するときにも有効である。そもそも情報には、似ている情報同士はおたがいにあつまるという性質が存在する。
 このような作業をつづけていると予期せぬ連想が生じてくることもある。類似な要素をもつ情報同士が、心の中でつながってくる現象が連想である。さらにこの連想はあらたな発想を生みだすこともある。
 こうして、類似性の原理にもとづいた情報処理の方法は、連想法や発想法へと展開していく。

18-10 文章化には、イメージの言語化と情報出力という2つの側面がある

 日々のくらしの中で、あるいは旅行やフィールドワークにおいて大量の情報が目から刻々と心の中に入ってくる。情報は、視覚によってとらえられるものが圧倒的に多い。このような視覚情報はイメージ(心象)として心の中に蓄積(記憶)されていく。そして私たちは、必要に応じてこのイメージをおもいおこしながら文章化する。情報処理システムの観点から言うとこれは情報の出力にほかならない。
 私たちは、たえず心の中に蓄積されたイメージを言語にかえながら外部に出力している。したがって文章化には、イメージを言語に変換するという側面と、情報を出力するという2つの側面がある。このようなことをよく自覚して文章化の訓練をつみかさねることが重要である。

18-11 言語は、出力の道具であり、想起の道具である

 言語には出力の道具としての役割と、想起の道具としての役割がある。
 心の中で処理された情報は何らかの形で外部へ出力される。美術や音楽などの方法で出力する人々もいるが、多くの人々は言語で出力する。言語は人間にとってもっとも重要な出力手段である。
 一方で、一旦出力された言語は記録となってのこる。この記録をみることによって、その当時の状況を想起することが容易になる。言語的な記録がないとおもいだすこともなかったようなことが、それがあるとありありとおもいだせる。想起とは、心のよりふかい領域から情報を上部へあげてくることである。記憶の倉庫に入りこみ、過去の情報をもう一度つかう、あるいは再生させるという役割も言語はもっている。

18-12 音楽とは、音になる以前の作曲家のメッセージを音にしたものである

 東京・赤坂のサントリーホールで、ワレリー=ゲルギエフ指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏をきく。曲目は、ラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」とチャイコフスキー作曲「交響曲第4番ヘ短調」であった。
 ウィーンフィルハーモニーのうつくしい音色は、ゲルギエフの力強いリードと共鳴して広大な響きの空間をつくりあげていく。その響きは、理屈をこえて私たちの心の中に入ってくる。音楽は言葉を介さないため、作曲家のメッセージがダイレクトに心の底に響いてくる。音楽とは、音になる以前の作曲家のメッセージを音にしたものである。作曲家は、みずからのメッセージを音に託してアウトプットしているのだ。

18-13 インスピレーションは外からやってくる

「私の場合は、インスピレーションの不足ということはまったくありません。常に音楽のほうから、わたしを訪ねてきてくれるのです。わたしはそれを、ただ書きとればいいのです」とチャイコフスキーは書きのこしている(注)。
 インスピレーションとは、努力して自分で生みだすのではなく、外から自然にやってくるものらしい。インスピレーションはすでに存在するのであり、それをキャッチできるかどうかが問題なのだろう。

(注)きりぶち輝著『チャイコフスキー ロシアに輝くバレエ音楽』(ジュニア音楽ブックス クラシックの大作曲家8)音楽之友社、1992年

18-14 バシュメットはビオラを独奏楽器として知らしめた

「ビオラ奏者ユーリ=バシュメットはビオラを独奏楽器として知らしめた」(NHK・N響アワー)。すぐれた奏者によりあたらしい音楽がうまれたり、ふるい音楽が再生されたりすることは多い。かつてパブロ=カザルスが、バッハの無伴奏チェロ組曲を150年ぶりに演奏して、それが名曲であったことをあきらかにしたという。
 作曲家だけで音楽ができるわけではなく、人材が必要である。むしろ、人材がいるから、その人材にあわせて作品をつくる場合が多い。

18-15 作曲家は、祖国をはなれると創作活動がむずかしくなる

「ラフマニノフの作品は、作品番号のついたものが45曲、ついていないものが7曲あり、作品番号のついた曲のうち39番までがロシア革命以前に祖国で書かれたものであった」(注)。ラフマニノフは、移住したアメリカではほとんど作品が書けなかったという。
 作曲家は祖国をはなれると創作活動がむずかしくなる。創作活動は祖国の伝統に根差しておこなわれる。祖国の恩恵は絶大であり、それだけ多くの情報を伝統のなかから吸収しているということが言える。
 創造は伝統の中から生まれ、伝統は創造をうみだす。創造と伝統は決して矛盾するものではなく、生命の2つの側面である。

(注)藤野幸雄著『モスクワの憂鬱 スクリャービンとラフマニノフ』彩流社、1996年

18-16 料理は、その地域の生業パターンを反映している

 ネパールでは、ライスに熱いミルクをかけて食べることが時々ある。米をミルクで炊く料理もある。私は、ネパールに行ってはじめてこのような料理を食べた。これは「稲作農業+牧畜」という生業パターンがネパールに存在することを反映している。
 日本では寿司をたべる。これはライスの上に魚をのせた食べ物であり、「稲作農業+漁業」という日本人の伝統的な生業バターンを反映している。ヨーロッパではパンにバターをぬって食べる。これは「小麦農業+牧畜」という生業バターンを反映している。ただし、イタリアにはチーズリゾットという雑炊風米料理もある。これは、イタリアには、「稲作農業+牧畜」という生業パターンも存在することをしめしている。
 このように、各地域の料理には、その地域独自の生業バターンが反映されており、料理の背後にはその地域独自の生態系がひろがっている。料理には、その地域の生活様式がはっきりとあらわれる。料理にはその地域独特の文化が圧縮され、これが「食文化」とよばれるものになる。したがって、料理に注目すると、その地域の様子がとてもよく理解できるようになる。

18-17 対象にふれないで間接的に調査する -地球物理探査-

 東京の「上野の森美術館」で「大兵馬俑展」が開催された。秦の始皇帝陵の地下には広大な地下宮殿があることが地球物理学的な探査であきらかになった。
 地球物理学的な探査では、重力や電磁力をつかい対象を間接的にとらえるので、対象を破壊しないですむ。地下遺跡の調査では、遺跡を破壊しない地球物理学的な探査がきわめて有用である。地下の情報をえるために、このような地球物理学的な技術は今後ますます重宝されていくことだろう。

18-18 辞典をつかいわけて言語操作をすすめる

 2004年11月、三省堂の新明解国語辞典の第6版が発売された。この辞典は大変わかりやすい辞典であり、文章を書くときにとても役にたつ。この辞典を見ていると、単語とは、情報を圧縮したシンボルあるいはラベルであるということが非常によくわかる。
 ほかの辞典では、単語を説明するために、言葉のおきかえや類語をしめしている場合が多い。このような辞典は、文章を書いていて、おなじ単語のくりかえしをさけて別の単語をつかいたいとき、あるいは、もっとぴったりした単語をさがしたいときには有用である。
 辞典にもさまざまな種類がある。このようなことをわきまえて、いくつかの辞典をつかいわけることが言語操作をするうえで重要である。

18-19 情報を圧縮すると心が軽くなる

 旅行やフィールドワークで見たり聞いたり感じたりしたことを圧縮する、つまり体験情報を圧縮することは非常に重要である。
 一度に体験する情報は膨大である。膨大な情報が感覚器官を通じて心の中に入ってくる。しかしそれを圧縮することにより情報はかるくなる。また検索が可能になる。
 体験を言語化し情報をかるくするのは、コンピュータ上で、大きなメモリをもつファイルを圧縮ソフトで圧縮してかるくすることに似ている。情報はかるくなると操作がやりやすくなり、保存したり送信したりすることも容易になる。圧縮ファイルは必要に応じて解凍すればよい。また、イメージファイル(画像ファイル)は大きなメモリを必要とし、処理にも時間がかかるが、テキストファイルは大きなメモリを必要とせず、ワープロがあればことたりる。すべてをイメージファイル(写真)で記録することは不可能であり、大部分の情報はテキストファイルで保存することになる。
 これとおなじようなことが、人間が心のなかでおこなう情報処理についても言える。情報は圧縮して記憶(保存)しておいて、必要に応じて想起(解凍)し、もとの状況を再現すればよい。言語は情報処理の効率をあげるための道具である。また、視覚情報(イメージ)は折りにふれて言語化(テキスト化)しておくのがよい。イメージのポイントを簡潔に言語化してパソコンにファイルしておけば、あとでその言語(テキスト)を見ただけでイメージをおもいだす(検索する)ことができ、必要に応じてそのイメージを利用することができる。言語記録があれば、あとでそれを見るだけで、当時見たり聞いたことをおもいだすことは容易である。
 実際に、このようなことを毎日くりかえしていると心はとても軽くなる。イメージは膨大な容量を必要とするが、言語は小さな容量があればすむ。心の中でもこのようなことがおこっている。

18-20 カプセルをくみあわせた建築物には自由な発想がある

「建築家の黒川紀章氏は、カプセル・タイプの建築物を昔から手がけていた。カプセルホテルの設計もおこなっていた」(テレビ東京・WBS)。外観はそのままで、カプセルがふるくなったらそのカプセルだけをとりかえればよい。またこれがカプセルの発想であるという。
 そういえば国立民族学博物館も黒川氏の設計であった。この博物館は巨大なカプセルがいくつもくみあわさった構造になっていた。必要に応じてカプセルの増設も可能である。だから自由な発想で展示を展開できるのだ。
 すぐれた建築物はすぐれた発想をうみだしていく。「カプセル発想」の応用範囲はとてもひろそうだ。

(2004年10〜11月)
> 思索の旅TOP
2005年5月31日発行
Copyright (C) 田野倉達弘