思索の旅 第10号
国立環境研究所(つくば市)

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<目 次>
10-1 コンテンツをつくってから見栄えをよくする
10-2 ビデオをみて情報を処理する
10-3 南方熊楠はエコロギーをうちだし、自然をまもるためにたたかった
10-4 どの範囲をユニットにするか はじめにきめておく
10-5 「肉体の耳」で音をきき、「脳の耳」で音楽をつくる
10-6 国立環境研究所で環境問題をまなぶ
10-7 時間認識の能力は、空間認識の能力よりもあとで進化した
10-8 原体験が人生をつくる -今西錦司-

10-1 コンテンツをつくってから見栄えをよくする

 最新のホームページ(ウェブサイト)作成法では、「HTML」と「スタイルシート」をつかいわけることになっている。コンテンツはHTMLで、見栄えはスタイルシートをつかって表現する。スタイルシートをつかえば、見栄えは何回でも簡単につくりなおすことができる。
 このようなやり方は、マイクロソフト・ワードとおなじである。ワードにも「スタイル」という機能がある。つまり、コンテンツはテキストであらかじめつくっておき、あとで、スタイル機能をつかって見栄えをよくする。見栄えは何回でも簡単に変更すことができる。
 スタイルシートもワードも「見出し」によりスタイルをととのえるのが基本である。見出しは、「見出し1」「見出し2」「見出し3」・・・とつづくアウトライン(階層)構造になっている。これは、わたしたちにアウトライン(階層)思考を要求し、アウトライン(階層)を明確にした表現をもとめてくる。この方式により、情報はきわめてよく整理され、またわかりやすくなる。個々の情報の整理からアウトラインによる表現まで、ワードやスタイルシートをつかってシステマティックに実践することができる。
 このように、ホームページや書類などの作成にあたっては、単にテクニックをおぼえるのだけではなく、その背後にある情報整理のかんがえ方を理解することが大切である。

10-2 ビデオをみて情報を処理する

 ビデオ「秘境ブータン」の概要を文章化する。
 映像をみて、その意味を言語で表現する。これは映像の言語化・文章化である。一方で、文章を作成・修正しながら映像を想起する。これは言語のイメージ化である。映像と言語の変換を瞬時におこなっていく。
 このような行為による学習効果は非常に大きい。固有名詞・概念などのあらゆる知識が映像にむすびついて定着する。映像にむすびつけてあらたな知識を記憶できる。この方法は、書籍の要約をつくるのとは意味がちがう。
 これは単なる学習法ではなく、情報処理の過程そのものである。このような方法をつかうと、ビデオをみるのはフィールドワークをおこなうのとおなじことになってくる。ビデオの視聴もフィールドワークと同様に情報処理の原理と方法で実践できることになる。

10-3 南方熊楠はエコロギーをうちだし、自然をまもるためにたたかった

 「南方熊楠は100年も前に『エコロギー』(エコロジー)をうちだして紀伊山地の自然をまもるためにたたかった。エコロギーの原理は『共生』である。南方熊楠の運動により、大正7(1918)年3月2日、『神社合祀令』が廃止され、神社と森をまもる道がひらかれた。南方熊楠は、神社を中心とする鎮守の森を自然と人間の接点としてとらえていた」(NHKその時 歴史が動いた「南方熊楠」)。
 南方熊楠は時代を先取りしていた。ようやく今日、彼の真髄がみとめられる時代が到来した。現代において、南方エコロギーが再認識される。
 そして、南方エコロギーは、自然史(ナチュラルヒストリー)に発展する。エコロギーはどちらかと自然を空間的ににとらえるが、それにくわえて、自然がどのような経緯で現在の「共生」をうみだしたのか、その歴史的時間的側面をとらえる段階に入ってきた。それによって自然の未来予測が可能になり、また未来ビジョンの形成ができるようになる。自然史探究のためには地質学(ジオロジー)をが大変役立つ。
 このようなエコロギーや自然史は全地球的にとらえるいきかたもあるが、一方で、ある特定の地域をしっかり探究することも重要である。拠点主義にたって、空間的ひろがりよりも時間軸での変化をしっかりつかむ。ある地点を徹底的にほりさげる「ボーリング方式」も有用である。

10-4 どの範囲をユニットにするか はじめにきめておく

 ヒマラヤ技術協力会の活動を記録した映画をみる。
 映画は、ネパールのシーカ村(集落)をうつしているのかと最初おもっていたら、そうではなかった。よりひろいシーカ谷全体をひとかたまり(ユニット)にしてうつしだしていたのである。
 シーカ谷全体をひとつのユニットとみなした場合、その中にある個々の村々よりも、谷の総体としてのうごきが重視される。しかし、シーカ村(集落)のみをひとつのユニットにした場合は、その村のうごきが具体的に表現される。ユニットをどうとるか、全体の枠組みをどう設定するかで、みえかたが大きくちがってくる。
 わたしはかつて、ある地域のデータと世界各地のデータとを一緒にしてKJ法でくみたてたことがあった。その場合は、地域の固有名詞はきえていった。その地域は世界の中にうもれてしまった。もし特定の地域を表現したいなら、そこをユニットにしてまとめなければならない。
 他人の文章をよんでいても、全世界のことをのべていながら、急に、特定のせまい地域のことをのべられると、非常に不自然であり、また、その特定の地域がうかびあがってこない。両者は章をわけて記載すべきである。
 このように、ユニット(範囲あるいは枠組み)のとりかたをどうするかは非常に重要であり、これは最初にきめておいた方がよい。  ある地域には「ユニットの原理」あるいは「場の原理」ともいうべきものがはたらいている。「場」とはある有限の広がりをもっているものであり、場をきめることにより、個々の部分とそれらの意味が必然的にきまってくる。おなじ対象であっても場(枠組み)のとりかたがちがえば当然意味もちがってくるのである。

10-5 「肉体の耳」で音をきき、「脳の耳」で音楽をつくる

 トスカ(ドイナ=ディミートリゥ)の歌声が、オーケストラの演奏とともにどこまでもひびきわたる。まるでコンサートホールに実際にいるかのような感じである。このような体験を、音楽ファンは「臨場感」があふれるとよく表現する。
 2004年7月にサントリーホールで収録されたホールオペラ、プッチーニ作曲 歌劇「トスカ」(NHK教育テレビで放送)をヘッドフォンできく。わたしのヘッドフォンは「SONY MDR CD3000」であり、「音場」のひろがりは比較的よい方である。
 ヘッドフォンは、いうまでもなく、左右の耳のすぐそばにある小型のスピーカから音をだす装置であり、だされた音は、最初は左右の2つの耳から別々に入ってくる。その2つの音は、脳の中で融合されてひとつの「音場」をつくりだす。音楽ファンならだれもがこの「音場」のひろがりを大切し、これは、ヘッドフォンをえらぶときのもっとも重要な基準にもなっている。
 ここで注意したいのは、音をきくときの耳のはたらきには2つの段階が存在するということだ。ヘッドフォンがだす直接音を左右の耳でキャッチするのが第1段階であり、これら2つの音を脳内で融合させて、ひとかたまりの音としてきくのが第2段階である。第1の耳を「肉体の耳」、第2の耳を「脳の耳」とよんでもよく、第2の耳の力が本当の「聴力」である。
 さらにおもしろいのは、「融合」された音がつくりだす音楽は、脳の領域よりもはるかに大きい範囲にひびいているということである。これはいったいどういうことだろか。物理的には、耳のすぐそばにある小型スピーカから音がでているのであり、ヘッドフォンの外側へむかっては音はでていない。しかし、きいている人にとっては音響空間は広大にひろがっているのである。
 これは、わたしたちの脳が、左右の耳から別々に入ってきた音に対して、「融合」という「情報処理」をおこなって音楽をつくりだしているからである。耳のはたらきの第2段階あるいは「脳の耳」があるからこそ、大きな「音場」がつくりだされるのであり、この「音場」は脳の大きさよりもはるかに大きいため「臨場感」を味わうことができるのである。
 このような音の「情報処理」により、わたしたちは音楽をきいて「わかる」という実感をえて、音楽を解釈している。音楽は決して物理的なものではなく、わたしたちの心の「情報処理」の結果として存在するものであり、わたしたちの「心の空間」にひびくものなのだ。
 そもそも、このような情報処理をおこなう「心の空間」は誰もがもっているのであり、その空間は脳の体積よりもはるかに大きく、広大にひろがっていると最初からかんがえておいた方がよい。
 このような心境に達することができれば、音楽を、ヘッドフォンできいたか、オーディオセットのスピーカできいたか、コンサートホールできいたかを区別してとらえることにあまり大きな意味はなくなり、どこにいても音楽を心からたのしめるようになってくる。

参考文献
栗田昌裕監修(21世紀3Dアート眼力向上研究会編)『楽しく遊んでみるみる目が良くなるマジック・アイ』ワニブックス、2001年

10-6 国立環境研究所で環境問題をまなぶ

 ゲートを通って、しばらくあるいていくと国立環境研究所の研究本館がみえてくる。その前では電気自動車が走っている。

スーパーコンピュータ

 受け付けをすませて、研究本館の中に入っていくとスーパーコンピュータの部屋がある。巨大なコンピュータがたくさんならんでいる。地球温暖化のシミュレーションなどをおこなっているという。

大山記念館

 つぎに大山記念館へいく。ここでは「オゾン層の破壊」に関する展示がある。オゾン層が破壊されると紫外線が地表に到達し、人間に深刻な悪影響をあたえる。地球観測衛星をつかって北極と南極で観測をつづけている。フロンガスなどの規制がすすみ、このまま有害ガスをださなければあと50年ほどで1980年当時の状況にもどるという。国際条約の成果が出つつあるよい例だという。
 つぎに特別講座「研究者の挑戦!地球温暖化最前線」をきく。人間がだす二酸化炭素(CO2)などによる温室効果が増大している。このままいくと100年後には2〜5度平均気温が上昇する。
 南極の氷河がとけると海水面が上昇し、水没する地域や島がでてくる。
 講座のあと、環境研究所の環境データベースをみる。これはウェブサイトとして一般に公開されており誰でも無料で利用することができる。

研究本館エントランス

 研究本館エントランスで昼食をとる。つめたい麦茶のサービスがある。

地球温暖化研究棟

 マイクロバスにのって地球温暖化研究棟へいく。子供たちがたくさんいる。ここでは地球温暖化に関するスライドショーをみることができる。国立環境研究所では、北海道と台湾のそばの島で観測をつづけている。
 イベントとして「利き水大会」がおこなわれている。純粋と名水と水道水をのみあてる。わたしはすべてあてることができた。やはり名水はおいしい。水道水はつぎにおいしい。つくば市の水道水は霞ヶ浦の水であるが、最近は浄水設備が大変よくなったので水はかなりよくなったそうだ。

研究本館III

 研究本館IIIの3階へいく。ここでは衛星画像の解析による環境の研究をすすめている。太陽がだす電磁波は地表に反射してはねかえる。地球観測衛星はそれを観測する。物質によって反射する電磁波の波長に特性があるので、地表の物質を特定できる。ここ つくば市は昔にくらべて緑がふえた。渡り鳥の広域的な移動もとらえられる。

大山記念館

 大山記念館にふたたびいき、環境講座「ごみの世界」をきく。廃棄物処理場はもうしばらくすると一杯になってしまう。ゴミをださないライフスタイルを確立させなければならない。

循環・廃棄物研究棟

 循環・廃棄物研究棟へいく熱処理プラントがならんでいる。ゴミを溶融することにより、建設資材として利用可能な物質をつくりだす。建設資材としての安全性などをテストしている。今後このようなプラントがふえてくるという。

環境試料タイムカプセル棟

 絶滅危惧動物種の細胞などを凍結保存している。
 環境問題がいかに大問題になっているかを実体験した1日であった。

10-7 時間認識の能力は、空間認識の能力よりもあとで進化した

 わたしたちの世界は空間と時間とによってなりたっており、絵は空間的側面を、言語は時間的側面を認識し表現する傾向がある。言語は、基本的には人類のみがもつ能力であるから、時間的側面を認識する能力は進化の歴史では、空間的認識よりもあとで発達したとかんがえられる。

10-8 原体験が人生をつくる -今西錦司-

 NHK教育テレビで、今西錦司さんの映像が放映された。(NHK映像ファイル あの人に会いたい「今西錦司」)今西さんはみずからの人生をふりかえって かたりはじめる。
 「京都の『北山』は、ほぼおなじ高さの山々がどこまでもつらなっています。その山並みが、登山を、登山におわらせずに探検へとつなげていきました。『北山』では登山と探検とが一体のものとなります」。
 「最初はカゲロウの研究をやり『棲み分け』を発見しました。これにより、生物の『種社会』というものをとらえることができるようになりました。生物の個体は直接たしかめることができるのですが、『種社会』はそうはいきません。しかし たしかに存在します。ヨーロッパの生物学者はあくまでも個体をとりあつかい、この『種社会』を理解することができません。そして、これがわたしの進化論へ発展するのです。わたしの進化論は共存原理です。これはダーウィンの競争原理とは根本的にことなります」。
 「わたしの研究はカゲロウからはじまりましたが、昆虫では情がうつらんのです。そこで類人猿をはじめました。そのためにアフリカへいきました」。
 「ヒマラヤ登山にもとりくみました。ヒマラヤはアジアの山です。アジアの山であるにもかかわらず、アジア人が誰ものぼらず、ヨーロッパ人がすべてのぼってしまったというのでは話になりません。そこで、ネパールが開国した時すぐに2人を派遣しました。しかし、日本の山の経験だけではとてもヒマラヤへはのぼれません。そこで樺太で訓練をしました。なぜ樺太かというと、当時は樺太の地図はまだなかったのです。そこで、コンパスなど測量機器をもっていき地図をつくるところからはじめました。つまり探検をおこないながら訓練をしたのです」。
 「わたしの持ち味はパイオニアワークです。登山、探検、学問、組織作り、これらすべてをパイオニアワークとしておこないました。しかし、パイオニアワークをはじめてある程度成果があがってくると、人がたくさんあつまってきます。そうすると、未知の領域にいどむ精神がなくなります。そうなったらわたしがしゃしゃりでる必要はなくなります」。
 話をきいていると、今西錦司さんの人生は「北山」が原体験になっており、それがすべての出発点で、そこからすべてがでてきているようだ。「北山」の原体験が今西さんの人生をつくったということである。
 登山と同時に探検を可能にした「北山」の山並みは、一方で「探求心」もそだてたにちがいない。山並みをみていると、あの山のむこうはどうなっているのだろうかと様々な想像がかきたてられる。そして、実際にいってしらべてみたくなる。このようにして探求の道がひらけると、それが学問の道へと発展する。
 また、奥深い山中を行動するには、パーティ(チーム)をくまなければならない。パーティとはいいかえれば組織であり、これが、今西グループや霊長類研究所といった組織作りにつらなってくる。
 そしてそもそも探検とは、地図のない領域へ入りこむことであり、地図の空白地域をあるき、最初の地図をつくることである。これはまさにパイオニアワークにほかならない。今西さんの登山も、初登頂主義を基本とし、一方で1500山登山を達成するなどパイオニアワークとしておこなわれた。
 こうして「北山」の原体験は、登山・探検・学問・組織をつぎつぎにうみだしていく。原体験は人生の母体である。
 しかし、もし、原体験が「北山」ではなく富士山のような独立峰だったらどうであっただろうか。きっと、このようにはなっておらず、もっとちがった人生になったはずである。
 このようにかんがえると、その人の人生をつくるうえで、その人自身の原体験が決定的な役割を果たすということがよくわかる。原体験がその人の人生を決するのである。
 わたしたちも、このような観点にたって自分自信の原体験を折りにふれて点検するようにしていきたい。

原体験が人生をつくる

原体験が人生をつくる(人生のモデル)

(2004.07)

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2005年2月4日発行
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