梅原猛・伊藤俊太郎・安田喜憲総編集 講座『文明と環境』(朝倉書店)をよむ

第1巻『地球と文明の周期』(小泉格・安田喜憲編、1995年)

目次

総論 地球環境と文明の周期性

I 宇宙の周期性
 1.宇宙の歴史から何を学ぶか
 2.気候変動を支配した太陽活動
 3.地磁気の変動と地球環境
コラム:ミランコビッチ時計
II 深海底に記録された周期性

要点

 人間の歴史は、宇宙や地球の周期性に支配されて周期的に変動する。
 地球の自転や公転の周期性、太陽活動の周期性、それらの影響をうけた気候変動の周期性は、地球上の生命体の周期的変化をひきおこし、生物リズムとして生物の進化をもたらした。人間も生物の一種である以上、この宇宙的・地球的リズムの影響から自由であるはずがない。

<気候変動の例 -モンスーンの強弱は、ヒマラヤ山脈の隆起と地球がうける太陽輻射量の変化により変動する->

 地球の自転軸は公転面に対して23.44度かたむいている。この自転軸の傾斜方向はみそすり運動のように変動しており、この変動は、約2万年の周期をもち「歳差」とよばれている。
 冬の寒さと夏の暑さの程度の変動は、公転軌道の離心率と自転軸の傾斜に関係しており、「気候歳差」とよばれている。惑星の引力により、地球の公転軌道の離心率は0.001〜0.059、自転軸に対する公転軌道の傾斜は22.1〜24.5度の範囲で変動している。太陽からの輻射量(太陽定数)が不変であれば、これらの起動要素の変動から地球がうける太陽輻射量の変動を計算することができ、その変動と氷期-間氷期の周期性を定量的に対応させることができる(注1)。
 一方、ベンガル海底扇状地における国際深海掘削計画(ODP: Ocean Drilling Program)によるヒマラヤ山脈由来の鉱物の研究から、1500万年前に、チベット・ヒマラヤが隆起を開始し、1090万年前から750万年前の間に急激に隆起し、90万年前からふたたび急激な隆起がおこったことがあきらかになった。
 また、オマーン沖においておこなわれた国際深海掘削計画によってえられた、海底堆積物の酸素/炭素同位体比および浮遊性微化石の研究(注)から、70万年前以前は、「モンスーン」が継続的に強かったが、それ以後は、氷期のときには「モンスーン」が弱まっていたことがあきらかになった。
 氷期は太陽輻射減衰期に対応すると推測されるので、70万年前から、太陽輻射減衰期にはモンスーンが減衰するようになったとかんがえられる。
 地球上で、地球大気をもっとも加熱している地域は、チベットから東南アジアにかけてのモンスーン地域である。夏季におけるチベット高原の日射による顕熱加熱にくわえ、そこにふきこむ太平洋とインド洋からの水蒸気に富む大気が、凝結の際に凝結熱を放出する潜熱加熱もおこる。モンスーンの発生と変動は、地球がうける太陽輻射量とヒマラヤ山脈の隆起に関連しており、その研究は、地球の気候変動を知るために重要である。

(注1)このような方法によって、北半球高緯度における太陽輻射量の変動と、氷期-間氷期の周期性を定量的に対応させたのがミランコビッチであり、この周期性は時間軸として利用することができるので、これを「ミランコビッチ時計」とよぶ。
(注2)浮遊性有孔虫酸素同位対比は、70万年前から鋸歯状の規則的な変動がみられ、振幅増大する。モンスーン強度の増大によって上昇流が増大すると、底生有孔虫の生息している底層水と浮遊性有孔虫の生息している表層水との混合がおこり、炭素同位対比の差が減少する。インド洋からチベットにふきこむ「夏季モンスーン」は、インド洋西部において上昇流を発達させ、この上昇流の変動からモンスーンの強弱を知ることができる。
出典:新妻信明「ミランコビッチ時計」、『地球と文明の周期』(講座 文明と環境 第1巻)53-59ページ、朝倉書店、1995年

第2巻『地球と文明の画期』(伊東俊太郎・安田喜憲編、1996年)

目次

総論1 文明の画期と環境変動
総論2 地球と文明の画期
I. 地球環境の画期
II. 文明の興亡と画期
III. 文明興亡のメカニズム

要点

 人類史におけるエポック・メーキングな事件のいくつかは、地球環境の激動、とりわけ気候変動がふかくかかわっていた。重大な事件の多くが気候の寒冷期にひきおこされている。
 気候悪化による社会的混乱と危機が、あらたな技術革新をうみだす契機となり、それがあらたな生業や社会システムをつくりだし、つづく温暖期にそれらが開花し、次代の文明を発展させるケースが多い。

第3巻『農耕と文明』(梅原猛・安田喜憲編、1995年)

目次

総論 農耕と文明
I. 地球が激動した晩氷期
II. 人と動物の大移動
III. 農耕の起源と展開
IV. 農耕文化の再検討

要点

 西アジアで人類が農耕を開始するきっかけは、氷期から後氷期への巨大な地球環境変動の中でひきおこされた飢餓だった。
 大草原に生息する大型哺乳動物を食べつくした人類は、気候の温暖・湿潤化で拡大してきた森の資源に活路をもとめ、森の中や縁辺で定住生活を開始した。しかし、14C年代1万1000年前頃にひきおこされたヤンンガー・ドリアスの突然の寒のもどりで、森の資源が激減し、食料危機に直面した。人類は、森の縁辺にひろがる禾本科の草原に食料をもとめてふたたび進出した。人類は、草原のあらたな利用を開発しはじめた。森の中で習得した植物利用の技術がこのとき役だった。それが農耕の開始だった。
 文明崩壊の原因は、その文明を発展させた要因の中に内包されている。人類文明を発展させたのは農耕の開始であった。もし人類文明が崩壊するとするならば、その原因は農耕の誕生期にすでに内包されていたとみなすことができる。

第4巻『都市と文明』(金関恕・川西宏幸編、1996年)

目次

総論 都市と文明
I. 古代都市の成立
 1.5000年前の気候変動と都市文明の誕生
II. 古代都市民の生活
III. 古代都市に学ぶ

要点

 メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明は、乾燥〜半乾燥地帯の大河のほとりで、5500〜4300年前に発展した。これらの地域では、5000年前に、湿潤から乾燥への気候変動がおこり、人々は大河のほとりに集中し、これが古代文明を誕生させるきっかけとなった。

<インダス文明の例>

 西ネパールのララ(Rara)湖(北緯29°32'、東経82°7')の花粉ダイヤグラムは、8500〜8000年前以降、気候が温暖化したことをしめす。4700年前頃には、気候の冷涼化と土地条件の乾燥化がおこったことをしめす。これは南西モンスーンの弱化をあらわしている。
 南西モンスーンの弱化にともなう夏雨の減少が、人々をインダス川のほとりに集中させた。
 5500〜5000年前以降、南西モンスーンの弱化により、インダス川流域の平原は全体として乾燥化したが、ポーラーフロントの南下によって冬雨は増加した。とりわけ、ヒマラヤ山中では積雪量が増加した。積雪量の増加によって、春先の雪解け水は増加し、ヒマラヤから流出する河川の水量は増加した。小麦や大麦の冬作物中心の農耕に生産の基盤をおいたインダス文明にとって、冬雨の増加と春先の雪解け水の増加は、生産の向上をもたらすことになった。インダス文明の発展の契機はこうしてあたえられた。(10〜21ページ)

第5巻『文明の危機 -民族移動の世紀-』(安田喜憲・林俊雄編、1996年)

目次

総論 文明の危機と民族移動
I. 西ユーラシア
II. 南アジア
 5.洪水と旱ばつのモンスーンアジア
 6.インダス文明 -その盛衰の道
 7.南アジア“暗黒時代”の解明 -紀元前1000年代のダイナミクス
 8.東南アジア的世界成立のプロローグ -紀元前2000年前後の大陸部東南アジアの変動
III. 東アジア

要点

 文明興亡プロセスの最後にくるのは民族の移動である。
 多くの文明の興亡には「文明の発展→人口の増大→森林の破壊→土壌の劣化→突発的な紀行の悪化→食糧不足→疾病の蔓延→人口の激減→民族の移動→あらたな世界観の形成→文明の崩壊」という共通パターンがみられる。民族移動は、ふるい文明の崩壊とあたらしい文明の胎動をよぶ激動の嵐だった。

第6巻『歴史と気候』(吉野正敏・安田喜憲編、1995年)

目次

総論1 過去1万3000年間の気候の変化と人間の歴史
総論2 東アジアの歴史時代の気候と人間活動
I. 歴史時代の気候復元
II. 古墳寒冷期の気候と歴史
III. 中世温暖気の気候と歴史
IV. 小氷期の気候と歴史
V. 現代文明崩壊のシナリオ

要点

 現代文明の最末期にも、環境難民の大移動がひきおこされる可能性が高い。

第7巻『人口・疾病・災害』(速水融・町田洋編、1995年)

目次

総論1 現代世界における人口変動の諸様相
総論2 自然の猛威と環境・文明
I. 自然の猛威と文明
II. 疾病と文明
III. 近現代の人口変動

要点

 人間の幸福は、人間も森も森の中の動物たちもみんなが元気であってこそえられる。キツネを山の神の使いとかんがえ、動物や森と共存するアミニズムのもつ世界観が必要である。(132ページ)

第8巻『動物と文明』(河合雅雄・埴原和郎編、1995年)

目次

総論 日本人の動物研究への序章
I. 動物と日本人
II. 動物観の変遷
III. 動物と人間
IV. 人間と人間の共存

要点

 少なくとも江戸時代までは、日本人は、動物と人間がうまく共存できるような自然観をもっていた。動物との共存の心を急速にうしなったのは高度経済成長期のころである。ちょうど日本の山里が荒廃した時代のことである。(166ページ)

第9巻『森と文明』(安田喜憲・菅原聰編、1996年)

目次

総論1 森と文明
総論2 東西の森林観
I. 森林の荒廃と文明の盛衰
II. 森の日本文化
III. みなおすべき日本の里山

要点

 日本では、水田と里山を核とした農耕社会によって、縄文時代につくられた森の文化が継承されてきた。里山には、森の文明をつくるためのヒントがかくされている。

第10巻『海と文明』(小泉格・田中耕司編、1995年)

目次

総論 海と文明
I. 海の環境変動
II. 海の文明交流
III. 海域世界と文明

要点

 「海のシルクロード」は東西交流の大動脈であった。

第11巻『環境危機と現代文明』(石弘之・沼田眞編、1996年)

目次

総論 地球環境の危機
I. 近代文明と環境
II. 現代文明と環境
III. 地球環境の危機と人類の生存

要点

 人間と自然と共生するためには、人間が自然を尊敬しなければならない。この問題解決のためには、哲学と科学の総合、少なくとも哲学者と自然科学者の協力が必要である。共生とならんで、狩猟採集文化につよく内在し、稲作農業文化に多分に残存している原理は循環である。共生と循環の原理が伝統文化のなかにある程度のこされている日本に、あたらしい文明をきずく可能性がある。(177-179ページ)。
コメント
 「人間と自然とが共生する」とか、「人間が自然を尊敬する」という言葉には、自然を、人間のむこう側において見る、つまり自然を対象として見る姿勢があらわれている。環境問題を解決するためには、そうではなくて、人間は自然の一部であるという認識が必要である。人間と人間をとりまく環境とは一体になって自然をつくっているという本来の姿にたちかえることこそ、環境問題の解決をもたらす。

第12巻『文化遺産の保存と環境』(石澤良昭・朝倉邦造編、1995年)

目次

総論 アジアの文化遺産と国際協力
I. 危機に瀕する文化遺産
II. 文化遺産の保存とハイテク
III. 文化遺産の保存と観光開発
IV. 文化遺産と文明形成の背景
V. 文化遺産保存と国際協力

第13巻『宗教と文明』(山折哲雄・中西進編、1996年)

目次

総論1 宗教と文明
総論2 宗教の大地
I. 古代文明と宗教
II. 風土と宗教
III. 現代文明と宗教

要点

 民族宗教や民俗信仰の胎内にはらまれている、宇宙や自然との共生を目指す原始的な観念が、時代の呼び声にこたえて息を吹き返そうとしている(13ページ)。
 世界とは、人間が自らの認識手段によって対象を再構築したものである。われわれは、世界の中のそれぞれのものに意味を与えて、統一したものとしてとらえている。人間が自然の一部であるにしても、自然が世界のコンプレックスの一部となるためには、自然はあくまでも人間にとっての自然でなくてはならない。「仏性」「空性」「縁起」などの仏教の基礎概念は、世界やその中のさまざまな物に対して、それぞれの時代状況に合わせて意味をあたえられた、それらの意味のファイルであった。われわれは、それぞれのファイルの中から、時代の状況を理解しながら、その時代に合う意味を見いださねばならない(121ページ)。
 現代は、無神論の病と同時に、宗教の病をなおさなくてはならならず、それには、もっとも原始的な信仰にかえるところに癒しの道がある。日本の原始的な宗教は無情である。無情は輪廻であり、流転しながら魂は不死である。これは、日本だけでなく、超古代のもっとも原始的な信仰である。そこへもう一度かえらないと病は癒されない。仏教も儒教もキリスト教もソクラテスも人間中心主義的であることを免れない。農耕牧畜文明は豊かな物質文明を生んだが混乱もおこり、その反省としてシャカや孔子や第2イザヤやソクラテスが出現したが、これらの人々の思想の中には、人間の自然に対する勝利の声がはっきりと聞こえてくる(148-150ページ)。

コメント

 文明化(近代化)とは、自我の拡大により、欲望を心にみたし、目的を達成しようとする行為であった。日本における高度経済成長はその最たる例であった。
 文明は、農業革命、都市国家の誕生以来発展をつづけたが、一方で環境破壊もすすめた。環境問題を克服し、心をとりもどすためには、文明以前の心ゆたかな素朴な段階にたちかえり、その素朴な段階をあらたな形で再生させることが必要である。環境問題とは実は「心の問題」なのである。
 本書において、「無神論の病と同時に、宗教の病をなおさなくてはならな」いと指摘したことは重要である。我々がたちかえるべきところは、仏教ではなく、もっと本源的なところである。仏教や道教は、環境問題を解決するうえでほかの宗教にくらべてたしかに重要であるが、本当に重要なのは文明化以前の信仰であったのである。

第14巻『環境倫理と環境教育』(伊東俊太郎編、1996年)

目次

総論 現代文明と環境教育
I. 環境思想の潮流
II. 近代科学と環境問題
III. 環境問題と環境教育

第15巻『新たな文明の創造』(梅原猛編、1996年)

目次

総論 地球と人類を救う東方思想と文明
I. 文明史の視点
II. 近代性の批判
III. あたらしい地平

要点

 縄文時代以来、1万年以上にわたって自然と共生しながら、平等主義に立脚したゆたかな社会を淡々と持続させてきた東北日本が、21世紀の人口爆発と地球環境の危機の時代に、世界の文明の融合センターになる。

コメント

 人間は、環境なくして一時も生きられず、人間と環境はたえず作用しあい一体となって「場」を形成している。その「場」は、人間と環境との相互作用の結果として変容する。この「場」こそが生命の本質であり、生命の真の姿である。したがって、生命の成長とは「場」の成長にほかならず、それは人間の存在だけで生じるのではなく、人間と環境が一体になったシステムとして発展するのである。このようなシステムは簡略に「人間=環境系」とよんでもよい。
 西洋文明で「自然」というときにはそれは環境のことであるが、東洋で「自然」というときは、それは環境のみをさすのではなく、実は、この「人間=環境系」のことをさしているのである。人間は自然の一部であるという場合、具体的にはこの「人間=環境系」をしっかりと自覚しなければならない。
 また「技術」とは、この「人間=環境系」において、人間と環境とを媒介するものであり、これを発展させると「文化」にということになる。したがって「人間=環境系」は「人間=文化=環境系」とよんでもよい。そして、この「人間=文化=環境系」という観点の中に、環境問題に具体的実践的にとりくんでいく方法もふくまれているのである。なお、「文明」とは「文化」が高度化したものである。
 講座『文明と環境』では、共生と循環の原理と思想が十分しめされたが、この「人間=文化=環境系」に関する解説がもれおちていた。
 「新たな文明の創造」のためには、文明化以前の「人間=文化=環境系」(すなわち場)をとらえなおし、そのうえに、文明を重層させて古き物と新しき物を融合させたり、東西の両文明を融合させる必要がある。「重層」と「融合」は「新たな文明の創造」のための方法であるが、同時に、場が変容していくときの現象でもある。