思索の旅 第9号
江戸東京博物館(東京・両国)

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<目 次>
9-1 人間と自然環境とのかかわりの中で技術が発展した
-発掘された日本列島-
9-2 映像資料をつかうと学習効果があがる
9-3 アウトプットにはかならず評価がともなう
9-4 情報処理と問題解決が車の両輪になる
9-5 フィールドワークをビデオで代用する
9-6 映像を利用して記憶法を実践する
9-7 岡野友彦氏がおもしろい説をだした -源氏長者-
9-8 問題解決では、推理力にくわえて行動力が必要である
-刑事コロンボ-
9-9 仮説発想後は、分析により仕事は急速に進展する

9-1 人間と自然環境とのかかわりの中で技術が発展した -発掘された日本列島-

 江戸東京博物館へいき「発掘された日本列島2004」をみる。
 旧石器時代から近世にわたる日本の土地利用の様子がわかる。ひとつの地域の歴史は、人間がまずそこにすむことからはじまる。そして周囲の自然環境から恩恵をうけながら、土地を開拓してよりよい居住環境をつくっていく。つまり住民は、自然環境から恩恵をうけつつも、同時に、自然環境を改変していく。この恩恵をうけ改変するために生みだされ工夫・発展してきたのが「技術」である。したがって「技術」とは、人間と自然環境との相互作用の結果うまれたものであり、一方で、「技術」があったからこそ人間と自然環境がつくる一つの地域が成長することができた。
 今回の特別展のように、人間が生活をはじめた旧石器時代から近世までの歴史を通覧すると、そのような過程で「技術」が発展してきたということがとてもよくわかる。また、このような「技術」の歴史を中軸にして、遺跡や歴史をとらえなおすと、人間と自然環境とがかかわってきた歴史を全体的にみることができる。

参考文献:文化庁編『発掘された日本列島 -2004新発見考古速報-』朝日新聞社、2004年

9-2 映像資料をつかうと学習効果があがる

 ビデオ「世界遺産インド」の概要を文章化する。短時間のとりくみであったが今までになくインドが身近に感じられるようになる。映像にむすびつけてインドの自然や文化・歴史を記憶することもできる。これはきわめてすぐれた学習法である。書籍をよんでいるだけよりもはるかに効果があがり、第一とてもたのしい。自分がかきだした文章をよんでいるとその映像がつぎつぎにうかんでくる。これにはフィールドワークに類似した効果がある。
 テーマをきめたら、まず関係資料を速読し一気に問題意識をふかめ、つぎに映像資料をみるのがよい。そのあとで概説書などをじっくりよみなおし、映像に知識をむすびつければ学習は非常にはかどる。これまでは映像資料を十分に活用できていなかった。

9-3 アウトプットにはかならず評価がともなう

 何をどのようにアウトプット(出力)するか。それをきめるためには評価がいる。このとき役立つのが「多段評価」である。これは、川喜田二郎教授が開発した「多段ピックアップ」という情報をピックアップする方法を評価に応用したものである。
 たとえば、本をよんだり目で観察したことをメモしたり日誌に記載する。メモや日誌を記載するというのは、心の中からの情報をアウトプットする行為であり、そのときすでに評価をおこなっている。自分にとって価値のあることがらを記載する。評価とは価値判断といってもよい。
 そして、ウェブサイトなどに情報をアップロードするときにも評価がいる。より価値が高い内容は論文としてくわしく、そのつぎに価値が高いものはたとえば「思索の旅」として簡略に出力する。
 このような評価がないと仕事ははかどらない。あれもこれもすべてを平等にあつかうことはできないし、そのようなことをしても意味がない。すべてをやろうとすることにも意味がない。
 一方で、アウトプットするからには価値の高いこと(役にたつこと)を出力しなければ意味がないともいえる。
 テーマに関してあつまった情報のすべてをみわたして、情報を評価し、価値を判断し、情報のおもみづけをすることが情報処理の過程で必要である。

9-4 情報処理と問題解決が車の両輪になる

 これからの時代、人間の能力で絶対に必要なのは「情報処理」能力と「問題解決」能力である。これらが、仕事や人生の「車の両輪」となる。
 情報処理はどちらかというと空間的側面が重視されるのに対し、問題解決は時間的側面が重視される。問題解決の行為は、時間軸にそって段階的にすすんでいくが、それぞれの段階の内部では空間的に情報処理がおこなわれる。
 そして、情報処理と問題解決でどちらが重要かといえば情報処理の方が重要である。したがって、情報処理の方法をまず身につけ、それを問題解決の実践において段階的に発展させていくとった訓練が有効である。

9-5 フィールドワークをビデオで代用する

 ウェブサイト「世界遺産インド」をアップロードする。
 「問題提起→ビデオをみる→文献を参考にしながら考察をおこなう」という学習法ははじめてであったが大変効果があがる。これは、フィールドワークに相当する段階をビデオで代用する方法である。

9-6 あるテーマに関する映像を利用して記憶法を実践する

 自分がかいた「世界遺産インド」の文章をよんでいると、ビデオの映像がつぎつぎとうかんでくる。つまり、イメージがつぎつぎに想起できる。文章と映像とがしっかりとむすびついていることがわかる。これこそが記憶法の極意である。映像にむすびつけて、重要なキーワードや概念を記憶すればよい。

9-7 岡野友彦氏がおもしろい説をだした -源氏長者-

 NHKその時 歴史が動いた「「関白」対「源氏長者」秀吉・家康 -姓をめぐる知られざる攻防-」をみる。
 「『征夷大将軍』は武家のトップ、『源氏長者』は公家のトップである。軍事力だけでは国はおさめられない。いかに人々を納得させるか。そこで家康は、官位の最高位である『源氏長者』を『征夷大将軍』と同時に手にいれた。これにより武家のみならず公家をもみずからの支配下へ入れることに成功し、名実ともに日本の支配者になった」。
 家康は、「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」(争いの絶えない現世を離れ、慈悲の世界を求めるという意味の仏教用語)を元服の頃からの座右の銘にしていたといい、以後、江戸幕府が崩壊するまで、「源氏長者」と「征夷大将軍」は歴代の将軍にひきつがれ、日本国は治められていったという。
 日本国には、天皇制(天皇システム)の伝統が脈々といきている。いつの時代でも、政治や社会秩序は過去のシステムをいかしながら、歴史・伝統に根差しつつ変革をおこなうという様式がみられる。変革期に過去のすべてを破壊してしまうと、つぎのあたらしいシステムをゼロからつくらなければならない。これは困難なことである。
 このような歴史や伝統に根差した変革・創造のためには、歴史をくわしくまなばなければならない。家康は、学者に注釈をさせながら文献をよみあさり、足利義満が「源氏長者」の位についていたことを発見したという。
 なお今回の仮説は、皇學館大学助教授・岡野友彦氏のものであり、岡野友彦著「源氏と日本国王」(講談社現代新書)にくわしい。

9-8 問題解決では、推理力にくわえて行動力が必要である -刑事コロンボ-

 刑事コロンボ「完全犯罪の誤算」(テレビ東京)をみる。
 拳銃の下で先にかたまった血、被害者が妻におくったファックス、駐車場の車1台分のかわいた領域、葉巻のにおいのついていないスーツ、ぬれたズボン、21年前の事件と犯行の動機、これらの「状況証拠」からフィンチ氏が殺人犯であるという仮説がたつ。
 しかし、フィンチ氏がたしかに現場にいたという「物的証拠」がないかぎり逮捕はできない。そこで、現場にあったチーズにのこっていた歯形が問題になる。コロンボは、その歯形がフィンチ氏のものと一致することをたしかめるために、フィンチ氏のオフィスのゴミ箱からチューインガムを採取する。そして、それを鑑識にまわして一致することを確認する。つまり、チーズにのこっていた歯形が「物的証拠」になり、フィンチ氏は逮捕される。
 このように、犯人を逮捕するためには、「状況証拠」と「推理」だけでなく、犯人が本当に現場にいたという「物的証拠」が必要である。
 この「物的証拠」をおさえるためには「行動力」と「分析技術」が必要になる。つまり、かんがえているだけではだめなのである。現場を詳細に観察して、具体的な計画をたててすぐに行動をおこして、現物を科学的に分析し、犯人と対決しなければならない。ここに、思考の先にある「現実との格闘」があり、問題解決の最終局面がある。いくら頭脳が明晰であっても、行動力がなければ問題を解決することは決してできない。刑事コロンボはこのことをみごとにしめしている。

9-9 仮説発想後は、分析により仕事は急速に進展する

 刑事コロンボも岡野友彦氏(源氏長者説提唱者)も、ともに、これだという仮説を発想してからは、それを証明するために、その部分を徹底的に詳細にしらべた。そうすることにより情報処理も問題解決も急速にすすんだ。
 この2人の行為には、ある仮説をたてたら、それにもとづいてここぞという部分に入りこみ、その部分を細部にいたるまで徹底的にくわしくしらべるという点が共通している。仮説発想後の行為の根底には、「部分」と「断行」という2つの本質がみえる。このような行為こそがまさに「分析」とよばれるものであろう。2人はみごとな分析をおこなっている。
 この行為の中の「部分」とは分析の空間的側面であり、「断行」とは分析の時間的側面である。分析をすすめることにより情報処理は加速され、問題解決は急速にすすむ。情報処理はどちらかというと空間的側面がつよいのに対し、問題解決は時間的側面がつよい。両者は仕事の二つの側面であり「車の両輪」である。
 したがって、「これだ!」というものがみつかって一つの確信をえたあとは、そのことに分析的・集中的にとりくむのがよい。これによりさまざまな情報は統合され、その後の仕事の進展が確実なものになる。

(2004.07)

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2005年2月4日発行
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