思索の旅 第7号
三宝寺(東京都練馬区)

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<目 次>
仮説法と演繹法と帰納法
アクションリサーチではみずからが主体の中に入る
主体=環境系のかんがえ方が学問のながれをつくる
ホームページに自分のデータバンクをつくる
国際協力では、アクションリサーチを実践すべきである
顕微鏡観察の姿勢で旅行をする
空間と時間は不二のものであるところに思考の原点がある
ニュースの要点記載は情報処理の日々の実践になる

仮説法と演繹法と帰納法

 あるテーマにもとづいてフィールドワークをおこないデータがえられると、そこから何らかの「仮説」を提案(発想)することができる。その仮説は、データにもとづき、テーマをめぐる「大前提」のもとで でてくるものである。データとは現場の「事実」をあらわしたもの(記載したもの)であり、「大前提」とは、一般的なルール、原理とか法則などで、いかなる「仮説」も「大前提」を無視して提案することはできない。このような推理法は「仮説法」とよばれる。
 そして、いったん「仮説」が提案されると、今度は、その仮説が仮にただしいとしたならば(その仮説が真であると仮定したならば)、このような事実が現場において発見されるはずであるという予想をすることができる。そして実際にその事実が発見(観察)されれば、その仮説の蓋然性(確実性)はつよまることになる。ここでは、「大前提」→「仮説」→「事実」という、一般から個別へとすすむ推理法をつかうことになり、これは「演繹法」とよばれる。予想に反する事実が発見された場合は、仮説はまちがっていたことになり、仮説の提案からやりなおすことになる。
 したがって、「仮説法」により仮説をいったん提案すると、次に「演繹法」を何回もくりかえしながら、予想した事実を観察しデータ(証拠)をあつめることにより、仮説の確からしさをどんどん高めていくことができる。こうして「仮説法」と「演繹法」とをくみあわせてつかうことにより、仮説とデータとがつくる体系を構築することが可能になる。
 ところでこれらに対し、「仮説」→「事実」→「大前提」とすすむコースもありえる。これは、ある仮定にもとづいて現場でデータをあつめ、一般的な傾向や原理・法則をみちびきだす方法である。これは「帰納法」とよばれる方法であり、統計的手法がその例にあたる。「仮説法」と「帰納法」とはどこがちがうのかというよくある疑問に対する一つの回答がここにある。
 このようにして、「事実」「大前提」「仮説」という3つのキーワードにより、「仮説法」「演繹法」「帰納法」という推理法をモデル化することができ、このようなモデルをおぼえておくことにより、情報処理や仕事の生産性は格段に高くなり、問題解決はよりやりやすくなる。(040614)

 (注)竹内均・上山春平著『第三世代の学問』(中公新書、1977年)の158〜161ページにおいて、「哲学者パースは、『ルール→ケース→リザルト』とすすむのが演繹(ディダクション)、『ケース→リザルト→ルール』とすすむのが帰納(インダクション)、『リザルト→ルール→ケース』とすすむのがアブダクション(仮説の発想)であると特徴づけた」と記載されている。ここで、ルールとは「大前提」であり、ケースとは「仮説」であり、リザルトとは「事実」のことである。

アクションリサーチではみずからが主体の中に入る

 アクションリサーチとよばれる方法がある。それは、アクション即リサーチ、リサーチ即アクションであり、アクションとリサーチとを不二のものとしてあつかう。これは実学の方法でもあり、研究と社会貢献とを不二のものとしてあつかうといってもよい。
 この方法は対象を傍観するのではなく、対象の中にみずから入り込み、みずからが行動の主体の一員にならなければならない。つまり外からながめているだけではなく、内側から外をみながら行動していかなければならない。これは非常にきびしくむずかしい仕事であるが、このような行為からこそ従来とはちがうあたらしい学問もうまれてくるのである。(040616)

主体=環境系のかんがえ方が学問のながれをつくる

 主体と環境がつくる世界、主体=環境系については、哲学者・西田幾多郎が論じている。たとえば『日本文化の問題』や『生命』にくわしくでている。このかんがえ方は今西錦司にうけつがれる。たとえば『生物の世界』には「環境について」のなかでそれをくわしく論じている。その後、今西錦司の弟子である梅棹忠夫や川喜田二郎にこのかんがえ方はひきつがれ、文明学に発展していった。
 日本には、主体に対する用語として客体がある。客体と環境とはおなじことである。おそらく、主体と客体あるいは主体と環境というかんがえ方はふるくから日本にあったのであろう。(040616)

ホームページに自分のデータバンクをつくる

 ホームページに、自分用のデータバンクをつくっておけば、いつどこでもそれを利用することができる。また、自分がつくったホームページを折にふれてみかえすことにより、当時の状況をおもいだし、重要な情報をたえずとらえなおすことができる。データとはテキストだけではなく、写真も重要なデータである。情報の利用ととらえなおしという2つの点においてホームページは大変有効にはたらく。
 ホームページは、まず第一に、自分がつかうためにつくるべきである。自分がつかう情報ツールとしてこれほど便利なものはない。
 そもそもわたしがこのような方針でホームページをつくりはじめたのは、野口悠紀雄著『ホームページにオフィスをつくる』(光文社親書、2001年)をよんでからである。その38〜51ページには、「自分でつかうホームページ」と題してホームページの活用法が記載されており、「適切な利用法をみいだすと、まさに『革命的』といえるほどの成果が得られる。自分がつかって便利なホームページ」をつくることの有効性がのべられている。
 ここに発想の転換があった。(040616)

国際協力では、アクションリサーチを実践すべきである

 国際協力の仕事は、ある計画にもとづく事業として実施される。そこには、協力や支援の対象となる国や地域がかならず存在し、計画を立案するためには事前の現地調査をかならずおこなわなければならない。現地調査が不十分だとよい計画をたてることはできない。
 そして事業がはじまると、現地の人々とのあいだに生々しいやりとりが生じてくる。その過程では、予期しなかったことを経験することも非常に多く、事前調査では決してえられなかったあらたな情報も多量にあつまってくる。そのなかには、現地の状況の本質をしめすふかみのある情報もたくさんふくまれる。
 この段階になると、事業を実施しながら調査をし、調査をしながら事業をすすめるということが必要になり、こうすることが国際協力を成功させるための秘訣でもある。アクションをおこしながらリサーチをし、リサーチをしながらアクションをつづける。これは、アクション即リサーチ、リサーチ即アクションという行為であり、「アクションリサーチ」とよぶことができる。
 「アクションリサーチ」は、従来のように現地を外から傍観するのではなく、現地人の中にみずから入りこみ、現地の人々の視点にたっておこなうところに特徴がある。この方法は、国際協力事業と地域研究の両者を同時に推進する。アクション(事業)がうまくいけばリサーチ(研究)もうまくいき、両者は相互に補強しあい、地域の発展と人々の成長をもたらす。
 国際協力にたずさわる人は、この「アクションリサーチ」を現場において意識的に実践すべきである。(040617)

顕微鏡観察の姿勢で旅行をする

 生物学者や地質学者は顕微鏡観察をよくおこなう。彼らはまず、肉眼での現場観察あるいは標本観察をおこない、それをふまえて顕微鏡観察をおこなう。顕微鏡観察により、肉眼ではとらえられないミクロな現象をとらえることができる。肉眼観察と顕微鏡観察とは相互補完の関係にあり、大小のことなるレベルで対象をとらえるこの方法により認識を格段に高めることができる。
 この大小のことなるレベルで観察するということは、いいかえれば全体と部分の両者をよく観察するということである。全体をみて部分に入り、部分をみてからもう一度全体をみる。全体をみると、どこをくわしくしらべればよいかわかるし、部分をみてから全体をみると今まで以上に全体がみえてくる。
 全体と部分とを往復するこの認識の方法はもっと一般化することができる。
 たとえば地球儀や世界地図をよくみてから、ある国を旅行するとしよう。この場合の旅行は「顕微鏡観察」に相当するのである。したがって、旅行にいく前に地球儀や世界地図をよくながめておき、「顕微鏡観察」の姿勢で旅行をすれば旅行はとても有意義なものになる。そして、帰宅後にふたたび世界地図をながめれば、世界に関する認識は飛躍的に進歩する。
 最近は、テーマごとにまとめたすぐれた世界地図(テーマ図)がたくさんあるし、地球の衛星画像も簡単にみることができ、世界と旅行先に関する認識を効率的にふかめることができる。
 このような行為を通して、全体と部分とは相互補完の関係にあり、両者はたえずつよめあって情報の体系をつくりだす原理を実際に体験することができる。この原理をうまくつかうことが大切である。(040617)

空間と時間は不二のものであるところに思考の原点がある

 主体と環境とはもと一つであった。もと一つの世界が主体と環境と分化した。したがって、主体が先でもなく環境が先でもない。主体即環境、環境即主体である。生物を主体とみた場合、無機的な環境が先にあってそこから生物が誕生したとかんがえられがちだがそうではない。もと一つの世界から、あるとき有機的な生物と無機的な環境が同時にうまれたのである。主体即環境、環境即主体の世界では、主体性の反作用としての環境性が、環境性の反作用としての主体性がかならず存在する。ここに世界の空間的発展の側面をみることができる。
 一方で、世界が進化するときには創造と伝統が発生する。創造と伝統とは一見すると矛盾するようであるが、伝統のなから創造がうまれ、創造のなかから伝統が生まれる。伝統をはなれて創造はありえず、創造をはなれて伝統もありえない。ここに世界の時間的側面の発展をみることができる。われわれは、創造の姿勢としての伝統、伝統にねざした創造を追求していかなければならい。
 主体と環境、創造と伝統は、われわれの世界が空間軸と時間軸とで形成されていることの必然の帰結として理解することができる。空間軸と時間軸とで形成された世界は、空間が先でも時間が先でもない。空間即時間、時間即空間であり、空間と時間は不二のものである。ここにわれわれのあらゆる思考の原点がある。(040617)

ニュースの要点記載は情報処理の日々の実践になる

 日誌(日記)をつけている人は、その日の重要なニュースをえらびだし、その要点を簡潔に日誌に記入してみるとよい。毎日記入しているとニュースのみかたがちがってくる。
 そもそも えらぶということは、自分の問題意識にしたがって何らかの価値判断をしているということである。価値判断は評価といいかえてもよい。評価する以上何らかの基準が必要であり、またそれ以前の段階として問題意識が明確でなければならない。どのニュースを今日はえらぼうかと おもってニュースをみていると、けっきょく自分の問題意識と価値基準をとぎすますことになってくる。
 そして、日誌にニュースを文章として記載していると、みていたようでよくみていなっかたり、きいていたようでよくきいていなかったことがけっこう多いこともわかってくる。意外にかけないのである。したがって要約して簡潔にかこうと意識するだけで、ニュースをみているときにポイントとなるキーワードや画像をすばやくとらえる習慣が身についてくる。
 このように、ニュースの要点を記載するといった簡単な行為のなかにも、問題提起・情報収集・価値判断・文章化といった情報処理や問題解決の一連のながれが存在し、またこのような実践をくりかえすことが能力開発の日々の訓練になっていく。(040617)

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2004年12月15日発行
(C) 2004 田野倉達弘