思索の旅 第25号
東京シティビュー
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東京タワーをのぞむ

25-01 都心を鳥瞰し、情景を心の中にインプットする -東京シティビュー-

 東京・六本木ヒルズの森タワー大展望台・東京シティビューへいく。ここは、海抜250メートル、360度の大パノラマをたのしめる。
 東京タワー、東京湾、お台場、船の科学館、羽田空港、自然教育園、有栖川宮記念公園、日赤、六本木通り、国立代々木競技場、代々木公園、青山霊園、新宿高層ビル群、新宿御苑、明治神宮球場、国立心美術館(建設中)、迎賓館、ホテルニューオータニ、東京ドーム、国会議事堂、皇居などがよくみえる。
 私は、くりかえしこられを見つめ、写真をとりながら情景を心の中にインプットした。今までおとずれた場所を一望することにより、過去の体験やそこでえた知識を空間的に整理しなおすことができた。

25-02 東京の空間を心の中に再構築する -都市の模型展-

 東京・六本木ヒルズ森タワー・東京シティビュー内で、「都市の模型展」が開催された。この展覧会は、東京の現状や問題を理解するために、いつもとちがう視点で東京をながめ、あたらしい東京の姿を発見して、東京の全体像をえがくという企画である。空から都市を俯瞰し、都市のありかたをかんがえるためにつくられた都市模型や、ハイヴィジョン空撮映像「東京スキャナー」など、非日常の視点で東京をとらえなおすことができる。
 東京の模型は、縮尺1/1000、サイズ7.7X10.2メートルという巨大で精密なものである。ここでは鳥の目で東京を見ることができる。しかも、地図とはちがい立体的にリアルに見ることができ、東京を一望し、全体を瞬時にみることにより、東京の空間をとらえなおすことができる。
 まず気がついたことは、東京は意外に起伏が大きいということである。東京は、平坦な土地かとおもっていたがそうではなかった。
 私は、かつてあるいたことがある道をたどり、かつておとずれた所を確認し、体験をふりかえる。そこでえた情報を想起し、自分の記憶ファイルを再構築する。こうしているうちに、東京の空間は情報処理の場と化してくる。東京の空間を丸ごと見直すことにより、過去のすべてのできごとを一瞬にしてふりかえることができる。
 それにしても、東京は巨大な生き物のようであり、建物はまるで細胞のようである。今後、どこまで増殖をつづけるのだろうか。
 映像シアターでは、映画「東京スキャナー」が上映されている。普段見ることができない確度から東京の姿を撮影した映像作品である。はてしなくつづく街並みの俯瞰から、急転直下して交差点を行き交う人の頭上まで、自在に視点をきりかえながら、大都市飛行のバーチャル体験をすることができる。この映像はDVDとして発売もされている。
 「東京スキャナー」では、東京湾、荒川、雷門、東北新幹線、サンシャイン60、井の頭公園、駒沢オリンピック公園、田園調布、羽田空港、渋谷、新宿、東京ドーム、東京駅、パレッタタウン、六本木ヒルズなどをとらえなおすことができる。この映像によりさらに心の中に空間が再構築される。
 今日は、大展望台からの実体験、「都市の模型展」(東京の模型)、「東京スキャナー」の三点セットにより、東京の空間が私の内的世界に強力にインプットされた。非常に貴重な体験であった。情報のインプットや記憶法、さらに情報処理のために、このようなチャンスを活用していくことが重要である。

25-03 植物園と植物図鑑を活用して体験と知識をふやす

 植物図鑑にのっている植物を、植物園で実際にみることはたのしいことである。一方で、植物園でみた植物を図鑑で確認して知識を正確にし、知識をふやしていくこともたのしい。植物図鑑と植物園は相互に補強しあう関係にある。
 植物園に行くと、ある植物は、植物園内の特定の場所とともに記憶される。あそこにはこういう花がさいていた。むこうにはこういう木がしげっていた。細部にいたるまでよくおぼえられる場合が多い。これは空間記憶法の実践である。
 一方で、植物図鑑の中でも、印象にのこった植物は場所記憶(空間記憶)になる。あの花は、うしろの方のページの右下にでていたなどと。
 植物園をあるき、植物図鑑を見ることは、体験をゆたかにしながら知識をふやすことになる。体験と知識とは密接にむすびついて、その人の知的財産になる。
 意識するしないにかかわらず、このようなことを少年時代からくりかえしているうちに植物学者になった人もいる。このようなことは、動物園と動物図鑑、自然史博物館と岩石・化石図鑑についてもなりたつ。動物園や博物館にかよいながら図鑑をしらべ、動物学者や地球科学者になった人も多い。
 場所と図鑑を関連づけながら利用することは、たのしみながら人生をゆたかにしていくすぐれた方法である。

25-04 多様な体験をもっている人ほど理解力がつよい

 理解するとは、すでに自分がもっている情報に、それに類似するあたらしい情報をむすびつけることである。
 したがって、多様な体験をもっている人ほど、多様な情報をもっていることになり、たくさんの類似な情報を見いだすことができ、当然、理解力はつよくなる。
 理解力のつよい人とよわい人がいるのは体験に差があるからである。多様な体験をもっていない人には、自分とはことなる環境でそだった人のことは理解できないということがよくおこる。

25-05 時代の波になる -孫正義氏とソフトバンク-

「時代の波にうまくのれました」とソフトバンクグループ代表の孫正義氏は言う(NHK経済羅針盤)。
 ソフトバンクは、24年前に社員2人でスタートし、今では、グループ全体で1万人を抱える大企業に成長した。インターネットの普及にともないネット証券会社やポータルサイト「ヤフー」を立ち上げ、日本のIT業界をリードしてきた。最近では、電話会社やプロ野球球団の買収もした。孫氏は、いま最も注目を集めるビジネスリーダーの一人である。
 孫氏の話を聞きながらソフトバンクの勢いを見ていると、時代の波に「のった」と言うよりも、時代の波に「なった」と言った方が適切な気がする。孫氏やソフトバンクがうまくのれる波がそこにあるのではなく、もはや彼らは情報化という時代の波そのものになっている。そこには、波にのっている人間よりも、巨大な波のうねりを想像することができる。
 このように、「波にのる」ことの先に「波になる」という究極の生き方がありえるのである。孫氏はそのことを物語っている。現代は、このようなことを目の当たりにできる時代である。

25-06 情報化を歴史的にとらえる

 現代は、工業の時代が基礎になって、その上に情報の時代がかさなって成立している。工業化は情報化の準備期間であった。工業の時代と情報の時代は、区別するのではなく、セットにしてかんがえるべきである。
 そもそも文明は、社会形態としは、都市国家→領土国家→地球社会と発展してきた。革命としては、農業革命→第1次産業革命→第2次産業革命(工業革命)とすすんできた。3つの革命によって3つの社会形態が発生した。いずれの段階も、ハードの進歩が先行し、ソフトの進歩が後につづいている。
 情報化をかんがえるうえで、それを歴史的にとらえることは重要なことである。

25-07 「異なったものの中に潜む同じもの」と「観点の変革による創造」

 創造性の科学を探究しつづけた市川亀久彌氏は、「異なったものの中に潜む同じもの」に注目することと「観点の変革による創造」についてのべている(注)。
 「異なったものの中に潜む同じもの」とは一見矛盾するようであるが、異なるか同じかは相対的なものであり、一群の情報があった場合、異なる視点にたつか似ている視点にたつかで見え方はかわってくるのである。違いを見つけようという姿勢にたてば違いは見つかるし、同じものを見つけようという姿勢にたてば同じものを見つけることができる。物事の表面的構造は、このように視点・観点によって変化する。したがって、表面構造のおくにある物事の本質をつかむことの方が重要である。それは直接みることはできないので、洞察するしかない。
 一方、「観点の変革による創造」でいう「観点」とは「前提」とよびかえてもよい。たとえばある仮説は、いくつかの事実を、前提(条件)に照らし合わせることによってひきだされる。当然のことながら、前提がことなれば、おなじ事実をとりあつかっていても異なる仮説がひきだされることになる。したがって、前提すなわち観点を変えてみることにより、ひきだされる仮説がどう変わるか、いろいろためしてみなければならない。そのような過程であらたなアイデアがでてくることも多い。
 このように、「異なったものの中に潜む同じもの」と「観点の変革による創造」は、情報処理や問題解決をすすめていくうえでの重要なポイントを示唆している。

(注)市川亀久彌著『創造性の科学 -図解・等価変換理論入門-』日本放送出版協会、1970年

25-08 ウェブサイトと展覧会をくみあわせて学習効果をあげる

 最近は、展覧会のウェブサイトが充実してきたため、展覧会に行く前にかなりの情報を入手することができる。昔は、このようなことはできなかった。なんとも便利な時代になったものである。
 私たちは、まず(1)ウェブサイトを見る、そして(2)展覧会に行く、(3)要点や感想などを文章化する、という三段階を実践することができる。
 (1)「ウェブサイトを見る」では、知りたいこと、疑問に感じること、問題点などをあきらかにする。つまり問題意識をふかめておく。この段階では、くわしくしらべたり何かを記憶したりする必要はない。だいたいの概要がわかればよい。あまり時間をかけないことだ。
 (2)「展覧会に行く」では、なるべく時間をかけ、あらかじめ目星をつけていた作品、特に気に入った作品はじっくりみるようにする。
 (3)「要点や感想などを文章化する」では、第1段階でいだいた疑問点などが解決されたかどうかがポイントになる。要点や感想は文章化しておく。時間がなければ短文でもよい。これはアウトプットにほかならない。文章化をすることによって情報処理は完結する。そのままほうっておくと、体験や情報はどこかへ行ってしまう。

25-09 DVD-HDDレコーダーの進歩により録画・検索が容易になった

 最近は、ハードディスク搭載のDVDレコーダーの出現によって、テレビ番組などの録画や保存が簡単にできるようになった。あまりにも簡単に録画や保存ができるので、録画・保存した番組が膨大な量になってくる。すると、蓄積した番組をいかに検索するかが問題になってくる。
 レコーダーには、ディスクナビにより各番組にタイトルやキーワードがつけられるようになっている。タイトルやキーワードをつけておけばこれにより検索できる。これは、言語によってイメージを検索する方法である。
 これと同様なことが、自分の心の中ででもできるようになるとよい。つまり、見たことのひとまとまりごとにタイトルやキーワードをつけて、それをワープロなどに記録しておく。あとで、タイトルやキーワードをみて当時のひとまとまりの体験をおもいだす。おもいだすことは情報を検索することにほかならない。
 最近のレコーダーの進歩は、人間が心の中でおこなう情報処理を進歩させる上でも大変参考になる。

25-10 スタイルを決めてから文章を書きはじめる

 地域や地球に関連する何らかのテーマについて文章化をすすめるとき、次のようなスタイルがありえる。
(1) 分野別(研究対象別)に書く
(2) 歴史(自然史)を書く
(3) 自分の研究(問題解決)のプロセスを書く
(4) いままでの学問の研究史を書く
(5) 思想のまとまりごとに書く
 (1)分野別は教科書的記載である。既存の分類・枠組みをのりこえることはできない。(2)歴史学者や地質学者(進化論者)などが年代順に記載する方法である。(3)日記や紀行や自伝などがこれにあたる。(4)学者・研究者たちがこれまでおこなってきた、学問や研究の歴史を書く。論文や著作の最初に簡単にまとめられていることがよくある。(5)哲学者・思想家の書き方である。本質の追究をおこなわなければならない。
 (1)はもっとも書きやすい。(1)(2)の例は多いが、(3)(4)の例はすくない。(5)はもっともむずかし。
 いずれにしても、文章を書くときは、どのようなスタイルの文章にするか、あらかじめ方針を決めてから書きはじめた方がよい。そうでないと混乱してしまう。

25-11 よくできたモデルをえらびだすと仕事がうまくいく

 学習や仕事の初期段階では、すでにあるモデルのなかからよくできたモデルをえらびだすとよい。よくできたモデルを選択すると仕事はうまくいく。著作物でも、すぐれた作者が書いたものであれば、明確にモデルとして提示されていなくても、モデルを見いだすことはできる。
 さらに、仕事がすすんできたら、自分でモデルをつくるとよい。しかしこれは高度な段階である。

25-12 「地球」には広狭の意味がある

 地球には広狭の意味がある。広い意味の地球は、人類をもふくむ地球全体であり、地球全体を生命として論じるときなどはこれにあたる。一方、狭い意味の地球は、地球のボディや大気・水圏など、人類や生物にとっての環境のみをさす。これは、人類や生物が生きていく舞台としての地球である。いわゆる地球科学とよばれる分野は狭い意味の地球を研究している。
 地球という用語をみたら、広狭どちらの意味か確認すると誤解がなくなる。自然という言葉も、人類をふくむ場合と含まない場合とがある。東洋では、自然は人間までふくむが、西洋ではふくまない。東洋では人間は自然の一部であるが、西洋では人間と自然は対峙する。

25-13 あたらしい分野についてまなぶときは良書を3冊えらびだす

 自分にとってまったくあたらしい分野についてまなぶときは、入門(小学校〜中学校レベル)、中級(高校レベル)、上級(大学レベル)の良書を3冊ぐらいえらぶとよい。漠然とたくさん読まない方がよい。
 入門書としては、子供向けの本が役立つことも多い。そこには、きわめて簡潔に要点だけがわかりやすく記載されている。
 本をえらぶときの第一の基準はわかりやすさである。

25-14 自然の全体性を理解できるかどうかは、その人の原体験におうところが大きい

 自然の中に入ると、山があり谷があり川がある。見あげると空があり太陽があり雲がある。大地には木々がしげり、大空には鳥がとんでいる。
 自然の観察では、第一に、全体の情景・構造をつかむことが重要である。
 第二に、それぞれの部分に着目する。山とは何か? 川とは何か?・・・・それぞれの部分には、それぞれの分野の膨大な科学的知識(情報)が蓄積されている。
 そして第三に、それぞれの知識(情報)を、第一の情景・構造の中にむすびつけて記憶する。情景をみれば、それぞれの部分の知識(情報)もおもいおこされる。これが記憶法の極意であり、このような作業から情報処理へつなげることができる。
 このようなことは、原体験として、第一の自然の情景が心のなかに入っていると可能である。小さいときや若いときに、このような原体験をもった人にはすぐにできる。しかし原体験のない人には、自然に関する個々の知識が全体として統合されることはなく、知識は分断されたままである。自然の全体性や生態系を理解できるかどうかは、その人の原体験におうところが多いとかんがえられる。

25-15 体験や知識のひとまとまりをファイルにする

 最近のパソコンは、キーワード検索の能力が非常に高くなった。キーワードを入れると迅速に必要なファイルが検索できる。
 これと同様な仕組みを自分の心の中につくることができれば、心の中に蓄積されている膨大な情報を迅速に検索(想起)できることになる。そのためには、体験のひとまとまりごとにキーワードをあたえておき、それらをパソコンに記録しておく必要がある。これが、キーワードを見て体験や知識がおもいだす仕組みである。その体験のひとまとまりはまさに「ファイル」となる。パソコンの仕組みは、心の中に「ファイル」をつくり、情報処理能力をあげていくうえでも大いに参考になる。

25-16 日本人は心をわすれた

「経済成長とともに僕らがわすれたもの、それは心なんです。上海は、僕らの失敗をくりかえしてほしくない」 とシンガー・ソング・ライライターの谷村新司氏はかたる(「谷村新司、未来へつなぐ音楽の心 アジアコンサート」(NHK・BS)。谷村氏は、現在、上海の音楽学校で教授として音楽をおしえている。学生には、音楽で自分が何をつたえたいのかが重要だと指導しているという。
 谷村氏の言葉はただしく、まさにその通りである。われわれ日本人は「心をわすれた」からこそ、最近になって「心の時代」などとさけびだしたのである。
 上海はこれからどう変化していくのだろうか。日本のようになるのだろうか。今後に注目していきたい。

25-17 印象はすぐにつたわり、言葉がそれを裏付ける -JR西日本の脱線事故-

「死者は107人におよびました」2005年4月30日、NHK7時のニュースがつたえる。
 JR西日本の記者会見の様子を見て、多くの人々がよくない印象をもつ。
 その後JR西日本は、「置き石によって脱線した可能性がある」と報告する。この言葉は、彼らの深層意識をあらわにする結果になる。
 印象は周囲にすぐにつたわる。そして言葉はそれを裏付ける。

24-18 比較することにより人物像がうかびあがる -カラヤン-

「バーンシュタインの指揮はすばらしかったけど、どちらかというとプロ的ではないすばらしさだった。しかし、カラヤンはプロ中のプロだった。カラヤンは完全に100パーセント、プロのすばらしさだった」
と指揮者の岩城弘之氏は言う(NHK夢伝説「帝王 ヘルベルト・フォン・カラヤン」)。
 この番組は、大指揮者だったカラヤンを、過去の映像にゲストの話をおりまぜて読みといていくという企画である。カラヤンがどのような指揮者だったのか、「帝王」「完璧主義」「マエストロ」などのキーワードがとりあげられる。
 しかし番組の最後に、ゲストの岩城弘之氏が、同時代の大指揮者バーンスタインと比較してカラヤンを特徴づけたとき、カラヤンの人物像が急にスッとうかびあがってくる。
 この例のように、ある人物について考察する場合、同時代を生きた人と比較してみると、急に、その人物像がうかびあがってくることが多い。比較という方法は非常に有効な方法であることがよくわかる。

24-19 「情報処理系」と「主体=環境系」とはおなじ体系である

「入力→処理→出力」の体系(システム)は「情報処理系」とよぶことができる。情報は、環境から主体へ入力され、主体から環境へ出力される。つまり、主体と環境とのあいだに情報の相互作用(入力と出力)があり、この作用があるから、情報はある体系(場)の中を循環するのである。
 このようなモデルからいうと、「情報処理系」と「主体=環境系」とは実はおなじものであり、情報の流れに注目すると「情報処理系」ということになり、場の方に注目すると「主体=環境系」ということになる。
 したがって、情報と環境とは切っても切れない関係にあり、情報の問題と環境の問題は密接にかかわっているのである。

(2005年4月)
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2005年8月31日発行
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