思索の旅 第22号
東京国際フォーラム
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(東京都千代田区丸の内)

22-01 記録は、心の中からの情報のアウトプットである

 情報のアウトプットは、パソコンや紙の資料から出てくるのではなく、心のなかから出てくるのである。したがって、パソコンや紙の書類・資料の整理に多くの労力をかけてもあまり意味がなく、それよりも、心の中を整理し、適切なアウトプットをだすことの方が重要である。パソコンや紙は、そのための道具として活用していくべきものである。
 また記録とは、わすれないためにつけるものだとかんがえられているが、実は、その本質は情報のアウトプットにある。記録やメモをとるということは、目や耳などの感覚器官から頭(心)の中に入っていき情報を、頭(心)の中でうまくまとめて、頭(心)の中から外界へアウトプットすることにほかならない。
 このような記録をとり、記録を整理することは、心の中を整理することになり、心の中に「内面ファイル」を形成することになる。その時その場において情報処理を適切おこなって適切な記録をとり、「内面ファイル」を日々整理していく生活をすることが大切である。

22-02 記憶は、心の情報処理の第一歩である

 情報を処理するとは、インプットされた情報を整理したり、加工したり、価値を判断したり、イメージをつくりあげたりすることであり、わたしたちは心の中でこのようなことを常におこなっている。このような情報処理がおこなわれているからこそ、わたしたちは発言したり、文章をかいたりするアウトプットができるのである。
 このような情報の処理を心の中でおこなうためには、インプットされた情報が心のなかで保持されなければならない。保持するとは、言いかえれば記憶するということである。わたしたちは様々な情報を毎日記憶しながら生きている。記憶ができるからこそ、心の中に情報ファイルが構築でき、情報処理ができるのである。
 このように、記憶を、情報の処理という観点からとらえなおす必要がある。記憶は、心の中の情報処理の第一歩である。

22-03 外国語を習得すると情報処理の回路がふえる

 外国語を習得するのは、コミュニケーションができるようになるためだと言われている。
 しかしここでは、外国語を、情報処理という観点からとらえなおしてみたい。外国語は、耳から音としてあるいは目から文字として頭の中に入ってくる。これは、情報のインプットである。つぎに、頭の中で、インプットされた外国語の意味やメッセージをとらえる。これは、情報の処理(プロセッシング)である。そして、声をつかって音を発したり、手をつかって文字を書きだす。これは、情報のアウトプットである。
 したがって、外国語を訓練するということは、その言語をつかった「インプット→プロセッシング→アウトプット」といった情報のあたらしい流れ(回路)をつくりだすことにほかならない。
 外国語を習得することは、情報処理の回路やチャンネルを一つふやすことである。外国語を習得することは、その外国語の数だけ回路やチャンネルがふえる。回路がふえると情報処理のチャンスもふえる。情報処理の回路の数は多い方がよい。さらに回路を太くすれば、情報は、より速くしかも大量に流れる。こうして、その人の情報処理能力は向上する。
 そもそも、わたしたちは、外国語にかぎらず日本語でこのような情報処理をおこなっている。あるいは言語をつかわなくても、あらゆる感覚器官をつかって情報処理をたえずおこなっている。人間は情報処理をする存在である。
 実はコミュニケーションも、このような情報処理が基礎になってなりたっている。相手の話を頭の中にインプットし、頭の中で相手のメッセージをつかみ、自分のおもったことを相手にむけてアウトプットする。このようなことをくりかえすのがコミュニケーションの実態である。
 このような観点にたって外国語をとらえなおせば、外国語を訓練することの意味と方法は明確になる。外国語の訓練が、単にコミュニケーションのみならず、その人の能力開発の訓練になってくる。

22-04 ホルンをつかってバッハをかたった -ラデク=バボラーク-

 ホルン奏者のラデク=バボラークが、バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲」を録音した。この曲は、バッハがチェロのために作曲したのであるが、バボラークはそれをホルンで演奏した。
 バボラークは、他に類をみないすばらしい演奏をきかせてくれる。決して、超絶技巧を強調したマニアックな演奏などではない。
 しかしこれは、ホルンで、「チェロ組曲」を吹いたことに奇跡があるわけではない。バボラークは、ホルンの存在を決してしめしていない。
 この演奏はあきらかにバッハなのである。バボラークは、ホルンをつかってバッハをかたった。彼は、ホルンという道具をつかって、バッハのメッセージをつたえた。つまり、バッハをかたるためにホルンを使用したのである。
 音楽は決して楽器ではない。楽器は、アウトプットのための手段・道具にすぎない。作曲家のメッセージをいかにアウトプットするか、そこに演奏家の腕のみせどころがある。

22-05 人類=地球環境系のモデルが重要な役割を果たす

 グローバル化がさけばれてひさしい。このような時代では「人類=地球環境系」のモデルが重要な役割を果たす。
 中心に人類がいて、周辺に地球環境(自然環境)がひろがっているのが地球の世界である。人類は地球環境の中で生きている。人類は地球環境から様々なものをとりいれ、その情報を処理し(加工し)、できあがったものを環境へむけて排出していることは、「人類=地球環境系」をイメージするとわかりやすい。
 様々なものとは、もっともひろい意味の情報とよびかえてもよい。人類は、地球環境から情報をインプットし、それらを処理し、アウトプットをだしている。このようにして、情報は、「人類=地球環境系」すなわち地球の中を循環している。
 このようなことをするためには人類学と地球科学の入門書をあわせて読むとよい。人類学と地球科学は現代人として生きるための基礎的教養である。特に地球科学をまなぶと地球全体が自分の視野のなかに入ってくる。

22-06 型ができあがると進歩するが、同時に限界も生じる

 大相撲の関取は、ひとりひとりが独特の相撲の型をもっている。押し相撲、四つ相撲、その他。相撲では、自分の型に相手をはめることができれば、勝負に勝つことができる。
 これとおなじようなことが情報処理にもあてはまる。情報処理の自分の型(パターン)ができあがると、情報や仕事を処理する速度は急に速くなる。情報を自分の型に はめてしまえばよいのである。「問題解決の3段階モデル」もひとつの型である。
 しかし一方で、型を決めると、自分の枠組みや限界も同時に決まってしまう。型に はめることができれば仕事は処理できるが、型にあわなければ何もできないということになる。場合によっては、すでに身につけた型が、自分の首をしめることにもなるかもしれない。ここに発展と限界の矛盾的自己同一がある。
 発展には、かならず限界がともなっている。発展があるところには、かならず限界が存在するのである。このことに気がついている人は非常に少ないが、ここをうまく処理できないと本当の発展はのぞめない。また、問題解決や進歩の方法を論じることもできない。

22-07 3段階を意識して速読をおこなうと効果が大きい

たくさん読む

 高度情報化の時代に入り、大量の情報を迅速に処理するために速読法を習得する人も多いだろう。
 速読では、最初は、とにかくたくさん読む(見る)とうことでよい。たくさん読むということは、自分の頭の中にたくさんの情報をインプットするということである。
 しかし、読みっぱなしにするのはよくない。著者が何をいおうとしているのか、そのメッセージの要点を書き出しておいた方がよい。時間がないときには1行でもよい。
 要点を、著者名・書名・発行所・発行年とともにパソコンなどに記録しておけば、おりにふれてそれをみなおすことにより、その時の読書体験をおもいだして、情報を再利用することが可能になる。このような記録がないと、あとでおもいだすことは非常にむずかしくなる。

テーマをふかめる

 たくさん読むことができるようになったら、次の段階として、テーマをきめて読むことをすすめたい。
 読む本をえらぶ前にあらかじめテーマ(課題)をきめておくのである。テーマは仮のものでもよい。第1段階でたくさん読むことはテーマをきめるためにとても役立つ。
 テーマをきめたらそれに関連のある本をえらびだす。このときできれば10冊ぐらいはえらんで、それらをまとめて一気によむのがよい。
 このときも同様に要点を書き出しておく。さらに余裕があれば、本の目次やみずからのコメント(感想や評価、見解、アイデアなど)を簡単でもよいから書きくわえておく。
 そもそも書き出すということは、頭の中でおこなった情報処理の結果をアウトプットすることである。アウトプットするために、頭の中で情報を処理するのであり、情報を処理するために本を読むのである。
 また、えらんだ10冊の中に特に気にいった本があれば、それについては徹底的にくわしくよむとよい。その本が中核となって、えらびだした本の情報がつくりだす全体像がみえてくる。

考察をめぐらす

 さらに第3の段階として、テーマや自分の問題意識と、書き出した結果をてらしあわせて考察をめぐらすとよい。問題意識と著者のメッセージとをぶつけるようにする。そして、おもいついたことを一気に書き出す。自分のかんがえを書き出してみると、テーマに関する認識がふかまるだけでなく、自分の頭が整理されてすっきりする体験を味わうことができる。つぎの仕事の展開がみえてくることも多い。

段階の内部において情報処理がくりかえされる

 以上のように、速読を効果的におこなうためには、
 ・第1段階:たくさん読む
 ・第2段階:テーマをふかめる
 ・第3段階:考察をする
といった3段階をふむとよい。このような方法は、速読を問題解決に発展させていくきっかけになる。
 ここでもう一度確認しておかなければならないのは、速読(読書)をする行為は、情報処理をする行為であるということである。本の中の文字を目でみるのは情報を頭の中にインプットすることであり、頭の中において、著者のメッセージをとらえ、情報の価値を判断し、情報を圧縮・要約したりするのは情報を処理することであり、要点やコメントを書き出すのは頭の中から情報をアウトプットすることである。
 したがって、上記の「第1段階→第2段階→第3段階」と発展していくそれぞれの段階の内部においては、情報処理がくりかえされることになる。これは、3つの発展段階と段階内部の情報処理というシステムになっている。
 速読あるいは情報処理は、ただ漠然とおこなっているよりも、このような3段階を意識すれば、大きな効果があがることは間違いない。

22-08 散歩や旅行が創作活動につながった例がある

 ベートーベンは、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの小川沿いをあるいて『田園交響曲』の構想をねった。そこはベートーベンの散歩道となり、いまでも当時のおもかげをのこしているという。
 モーツアルトは、イタリアを旅行し、そのときの記憶が『コシファントゥッテ』の作曲につながったという。
 散歩や旅行は、創造の方法として活用できる。ベートーベンやモーツァルトはその例である。

22-09 ディスカッションを情報収集の方法としてつかう

 グループワークで仕事をすすめる場合、グループ・ディスカッションをしばしばおこなう。ディスカッションは、一般的には、意見交換であったり、結論を出すためにおこなうのであるが、情報収集を目的にしておこなうこともできる。
 ディスカッションをしていると、まわりの人々に触発されて、おもわぬ記憶がよみがえってくることが多い。一人では決しておもいだすことがなかったようなことが、突然想起されることもある。これはおどろきである。このようにしてよみがえってきた情報を記録し、いかすようにする。
 ディスカッションを触発の手段としてつかい、情報を集積する方法はもっと研究されてよいとおもう。

22-10 文明史の三段階は、自然社会・農業社会・地球社会である

 哲学者の上山春平氏は、文明史として「自然社会、農業社会、工業社会の三段階」を提唱している(注)。
 しかし、「工業社会」のところは「地球社会」とよんだほうがよいだろう。なぜなら、今日において工業のつぎに情報産業がつづいており、現代文明の特徴は地球化(グローバル化)であるからだ。
 「地球社会」に対して、「農業社会」とは、いいかれれば「地域社会」であったのである。
 「地球社会」になったからといて「地域社会」がなくなるのではない。「地球社会」が意識されるにつれて、「地域社会」が再認識されるというのが実情であり、「地域社会」が下層に、「地球社会」が上層にといった重層構造の社会がこれから発達するとかんがえられる。

(注)上山春平著『受容と創造の軌跡』(日本文明史 第1巻 日本文明史の構想)角川書店、1990年

22-11 フィールドワークとは、情報処理の場(心の世界)をひろげる行為である

 仕事のすすめ方を、「判断→実行→結論」という3段階にモデル化するならば、フィールドワークは第2段階の「実行」に位置づけられる。
 一方で仕事は「入力→処理→出力」と言いかえることもでき、「判断→実行→結論」という3段階は、情報処理の3場面にそれぞれ対応している。
 このようかんがえると、フィールドワークは、情報を処理する方法として非常に有効である。フィールドワークをおこなうと、仕事あるいは情報処理の場を大きく拡大することができる。外の世界をあるくこと自体が、その人の心の世界を拡大する作業になっている。
 そもそも「判断」や「入力」とは、大量の情報がつくりだす状況を、全体的に見わたす行為である。そして「結論」や「出力」とは、それまでの体験をふまえて、言語をつかって多様な情報を統合することである。フィールドワークはこれらの作業の中核として、情報を処理する場を提供する。
 フィールドワークを中核とした仕事や情報処理をすすめる場合には、「頭」にとらわれない方がよい。「頭」で情報を処理しようとするよりも、フィールドをそのまま心の中にみたし、その場を、情報処理の場として活用していくことが大事である。このようなことは、チームワークをおこなうときには特に重要である。室内にとじこもっていないで、現地に行ってその場で、ディスカッションやその他の作業をやると仕事の効果は非常にあがる。よいアイデアもでやすい。

22-12 時代の潮流の中で自分の流れをとらえなおす

 藤田啓治監修『脳を活性化する自分史年表』(出窓社、2005年)は大変有用である。
 この本は、左ページに、年ごとの大きなニュースや世界情勢、印象にのこる出来事などがすでに記載されており、右ページは空欄になっていて、そこに自分史を自分で記入していく仕組みになっている。
 自分史を記入していると、世の中の出来事と個人の出来事とを並列的にとらえられ、世の中の流れをおいながら自分の流れをたどることができる。自分が、世の中でどのように生きてきたのか立体的にみなおし、世の中の大きな枠組みの中に自分を位置づけることもできる。つまり、大きな時代の潮流の中における自分の流れ、あるいは、大きな社会的枠組みの中での自分の位置がわかる。
 おもしろいことに、このようなことをしていると、世の中の問題点も自分の問題点もみえてくる。時代の潮流や社会の動向もよめてくる。世の中の問題意識や時代の問題意識に即して仕事をすることも可能になってくるだろう。
 この本は、今年(平成17年(2005年))からは、左のニュース・ページも自分でつくるようになっている。これからは、自分史とともに、ニュースも自分で選択し記載していかなければならない。ニュースは、現代社会をにぎわせた重要なニュースを記載することはいうまでもないが、自分にとって重要なニュースも書きのこしていくべきだろう。

22-13 江戸時代に、旅行のガイドブックがすでにあった -お伊勢参り-

 伊勢志摩は、江戸時代から、「お伊勢参り」の 人々でにぎわった観光の先進地であり、おとずれる人々のためのガイドブックが、江戸時代にすでに発行されていた。そこには、「旅行記を、家にかえってから清書するのがよい」とか、「つかれたときにおす足のつぼ」などについても解説されていた(注)。
 このように、旅行のガイドブックは昔から存在していたのであり、それは、単なる道案内ではなく、記録法・文章化法・健康法などもふくんでいて、そのエッセンスは今日でも有用である。
 このようなすぐれたガイドブックを手にして旅行をすれば、旅行は、記録法や文章化法や健康法、さらには情報処理の訓練に場になってくる。旅行は、単なる観光ではなく、たのしみながら人生を充実させるための方法として機能する。すぐれたガイドブックは、このような「旅行法」の手引きとして、これからも重宝されるにちがいない。

(注)「日本温泉物語」(TBS「世界・不思議発見」)

22-14「集落=耕作地=森林系」は「社会=文化=自然環境系」である

 ヒマラヤ山岳地帯をあるいていると、集落の周囲に耕作地があり、さらにその外側に自然林をみることができる。これは「集落=耕作地=森林」という構造である。つまり、集落(人間社会)のまわりには森林(自然環境)が大きくとりまいていて、人間社会と自然環境の中間に耕作地が存在するという構造である。
 耕作地は、人間社会と自然環境の間にあって、人間が自然環境を改変したところであるとともに、自然環境から恩恵をこうむるための場である。耕作地には、人間社会と自然環境とを媒介する性格が根本にある。
 その地域独自の技術が耕作には必要であり、そこには人々の独自の生活様式があらわれている。このような技術や生活様式は「文化」とよびかえることができる。
 つまり「集落=耕作地=森林」というみかけ上の構造は、「社会=文化=自然環境」の原形ということにほかならならず、これらは一体になってひとつのシステムをつくりだしている。このようにかんがえると、「文化(Culture)」という言葉の語源が「耕す(colere)」であることもうなずける。

22-15 想像して絵をえがいて曲にした -喜多郎-

 作曲家の喜多郎は、シンセサイザーをつかって、ラッシュ(編集される前の試写用のフィルム)だけをみてNHKの「シルクロード」を作曲した(NHKアーカイブ「シルクロード」)。
 くらしていた人はこうだったろうと想像をして、五線譜はつかわず、絵をえがいた。シルクロードの響きの中のロマンを曲にしたいとおもったという。
 作曲でも、アウトプットのためには想像力(イマジネーション)が必要である。想像とは情報処理の中核的方法であり、想像ができる人からはすぐれたアウトプットがでてくる。

22-16 写真紀行では、ストーリーの中で画像と言語が共鳴する

 ネパールでおこなったフィールドワークの要点を、写真と言語で解説した写真紀行をつくったら大きな反響があった。それは、森林保全事業という全体的な流れのなかで、それにそって写真を紹介し、その下に言語による解説をくわえた構成になっている。
 このスタイルにより、大きなストーリーの流れのなかで画像と言語の共鳴がおこり、これが、事業の進展と現場の様子をわかりやすく伝達する結果となった。
 これは、少ない労力で大きな効果をもたらす方法であり、発展の可能性のあるスタイルである。

22-17 並列原理と直列原理は補完しあう

 情報処理は1回おこなえばよいというものではなく、何回もくりかえしておこなった方が効果があがる。情報処理を何回も累積することにより、情報処理を問題解決へ発展させることができる。
 問題解決は、段階をふんで直列的にすすんでいくが、それぞれの段階の内部においては情報処理がくりかえされる。問題解決には直列原理がはたらいているが、情報処理には並列原理がはたらいている。
 並列原理と直列原理とは相対立するものではなく、相互に補完する関係にある。並列原理は空間的側面、直列原理は時間的側面である。

22-18 人体標本により情報処理の仕組みをイメージする -「人体の不思議展」-

 「人体の不思議展」が、東京国際フォーラム(千代田区丸の内)で開催された。この特別展は、「プラストミック標本」という新技術でつくられた人体解剖標本により、人体の構造や巧妙な仕組みを直に観察して、「人間とは」「命とは」「からだとは」「健康とは」を理解・実感し、人体標本が自分自身であることを共感するというおもしろい企画になっている。
 入口を入ると、「筋・骨格」の展示からはじまり、「頭部」「脳」「血管」「神経」「消化器」「循環器」「疾患」「呼吸器」「泌尿器」「生殖器」「胎児」と展示が展開されており、随所に全身標本がおかれていて、くどいほどに人体の仕組みをくわしく見せてくれる。
 「頭部標本」では、脳とそれをふくむ構造の関係を、連続断面で立体的に理解できる。大脳半球の表層を皮質といい、ヒトは知的活動をおこなうために、この皮質が極度に発達している。「神経系標本」では、脳神経〜脊髄神経〜末梢神経などをたくさんの標本で見ることができ、情報が伝達するルートとその複雑さを知ることができる。
 このような人体標本を見ることにより、感覚器官から入ってきた情報が神経系を通って脳へ伝達され、脳でその情報が処理され、脳から筋肉などにあらたに情報が出されて、手や声帯などによって出力がなされるという仕組みを具体的にイメージすることができる。ヒトは情報処理をする存在である。

参考文献:『人体の不思議展』(ガイドプック)メディ・イシュ発行、2004年
(2005年2月)
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2005年7月31日発行
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