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思索の旅 第16号
吉祥寺

> 吉祥寺(東京都文京区駒込)

目 次
16-1 情景のインプットにより体験記憶ファイルをつくる
16-2 全体を見て、ターゲットをきめる
16-3 価値は、事業にあるのではなく、人の心の中にある
16-4 フィールドワーク先ではイメージ能力がものをいう
16-5 できるだけ大きな視野で現場をみる
16-6 写真日誌は強力なメモになる
16-7 人口抑制は人類最大の課題になった
16-8 体験を言語化することにより情報は軽くなり、つかいやすくなる
16-9 メモはアウトプットの第一歩である
16-10 「スケッチ→デッサン→作品」と創作活動はすすむ
16-11 旅行体験をキーワードに圧縮する
16-12 まず、キーワードを書き出す
16-13 旅行法は、フィールドワーク、アクションリサーチへと発展する
16-14 「探検ネット」は意識の流れを表現する
16-15 世界観によって人生観や価値観はことなる
16-16 地球環境と同時に人類についても探求しなければならない

16-1 情景のインプットにより体験記憶ファイルをつくる

 フィールドワークでは、特定の地域(範囲)をきめ、その中を徹底的に見て、その地域の情景全体を心の中に丸ごとインプットするのがよい。そのとき、何らかのテーマや問題意識をもってインプットをおこなえば、その体験がベースになって、想像力や推理力をはたらかせることができるようになる。様々な知識を現場にむすびつけて記憶することもできる。現場の中で一定の日時をついやしてえたこのような体験記憶は、心の中のベースファイルになり、その後の思考の土台として機能する。わたしは、東北地方やネパールなどでこのようなことをおこなった。
 ポイントは、その地域内のそれぞれの場所をありありとおもいえがけるようになることである。家にかえってからも、それぞれの場所を心の中で再現して、記憶ファイルを強化する。心の中にこのような空間が確立できれば、想像上の世界でいつでもその場所をおとずれ、さまざまなシミュレーションをたのしむことができる。
 さしあたり、自分がくらしている地域でやってみるのがよいだろう。気に入った植物園や動物園をえらびだしてそこでおこなうのもよい。

16-2 全体を見て、ターゲットをきめる

 情景全体を丸ごとインプットしたら、つぎにターゲットをきめ、今度はそこをくわしくみる。このターゲットをきめるためにこそ全体のインプットが必要なのである。これにより、高速情報処理が可能になる。現場の情報を処理するためにはこのような たしかな手順をふまなければならない。

16-3 価値は、事業にあるのではなく、人の心の中にある

 事業評価とは、事業の価値の程度をみさだめることであり、価値の背後には、その世の中あるいはその時代の価値観がある。したがって、事業とはある価値観のもとで価値をうみだす行為であり、価値のある事業は継続されるが、価値のない事業はすたれることになる。
 しかし、価値がその事業そのものにあるとおもうのは錯覚である。価値は、それを感じる人の心に生ずるものである。したがって、人の心が変化すると価値も変化する。価値は、人の心によってつくりだされ、人の心の変化によってうしなわれる。
 つまり、価値を増し、高い評価をうけるためには、人の心をうごかす作業が前提になる。何らかの事業をすすめる場合には、このような観点にたって、さまざまな仕組みや働きを生みだし、価値を高める努力を継続していかなければならない。

16-4 フィールドワーク先ではイメージ能力がものをいう

 イメージ能力の高い人はフィールドワーク先でたくさんの情報を吸収でき、情報処理をどんどんすすめることができる。この能力が低い人は、様々なことを言葉を経由しないと理解できない傾向があるので、情報処理の速度がおそくなる。
 イメージ能力とは、五感すべてをもちいて情報をとらえ、その体験を操作しながら、現場を理解し、記憶し、行動に役立てていく能力である。それに対して言語能力とは、言葉を操作していく能力である。知性は、イメージ能力と言語能力の2本立てではじめて健全にはたらくものである。
 フィールドワークに実際にいってみて、情報収集能力にかなりの個人差がでてくるのは、イメージ能力の差の方が大きく関与しているのである。イメージ能力が高い人は、言語を経由しなくても、大量の情報を一度にキャッチすることができる。自分のイメージ能力がどのくらいかを知るためには、風景をみて、そのあとで、風景をみないでどの程度それがおもいだせるかチェックしてみるとよい。あるいは、現場でとったメモをあとで見直して、メモをとったときの情景がどの程度イメージ(映像)としておもいだせるかチェックしてみるとよい。

16-5 できるだけ大きな視野で現場をみる

 フィールドワークにいったら、できるだけ大きな視野で現場をみて、できるだけたくさんの情報を一度によみとるようにしなければならない。そのためには、つねひごろから、周囲を大きな視野でみる訓練をするのがよい。同時に、自分の関心領域もひろげるようにすると情報があつまりやすくなる。
 常日ごろからこのような訓練をつみかさねておくと、より多くの情報を心の中にインプットできるようになり、フィールドワークの成果が大きくなる。

16-6 写真日誌は強力なメモになる

 フィールドワークにいったらデジタルカメラでできるだけたくさんの写真をとるのがよい。それは「写真日誌」となり、言語による日誌と相互に補完して、現場の体験ファイルになる。視覚空間と言語とが統合され、視覚的知能も言語的知能もともに活性化される。
 撮影された写真は、画像処理ソフトをつかえばきわめて迅速にサムネイル表示され、それ自体がフィールドワークの強力な日々の「メモ」一覧になる。

16-7 人口抑制は人類最大の課題になった

 「国連人口基金(本部・ニューヨーク)は15日、2004年版「世界人口白書」を発表し、今年7月の世界人口が63億7760万人に達したとする推計を明らかにした」(読売新聞2004.9.15)。
 人口は、昨年より7610万人増えた。人口増加の8割以上は開発途上国の貧困層で、白書は「富裕層による大量の資源消費と、(貧困層の)人口増加が、地球環境への負荷の増大の一因になっている」と警告している。
 最も人口が多いのは中国で、13億1330万人。インド10億8120万人、米国2億9700万人と続き、日本は1億2780万人で9位だった。
 白書では、世界人口が2050年には89億人に達するとする推計も示した。インドが15億人を突破して世界一となり、2004年の上位10か国と比べると、アフリカからさらに2か国が加わると予測している。日本は約1800万人減り、1億970万人で15位になるとしている。
 一方、途上国での急激な人口増を抑制するため、94年の国際人口開発会議で採択された行動計画の成果も検証している。
 人口抑制は人類最大の課題になった。

16-8 体験を言語化することにより情報は軽くなり、つかいやすくなる

 「空海と高野山展」の第3展示室(東京国立博物館)には、曼荼羅を1文字であらわした道具が展示されていた。曼荼羅を1文字に圧縮したこの文字は、曼荼羅のシンボルになっている。この1文字を記載した道具をつねにもちあるくことにより、いつでも元の曼荼羅を想起することができる。
 大きな曼荼羅をつねに所持することはできないが、この道具はかるくて便利な道具としてもちあるくことができ、いわば「コンパクト曼荼羅」あるいは「ポータブル曼荼羅」となっている。
 しかし、ここでよくかんがえてみよう。軽くて便利なこの道具の本質は何か?
 ここでは「情報の圧縮」ということがおこっている。大きな曼荼羅の絵をひとつの言語に圧縮する。これにより情報が軽くなりつかいやすくなる。つねに大きな情報をもちあるいているのは不便であり、効率がわるい。普段は、情報を言語に圧縮、シンボル化しておき、必要に応じて元の大きな画像情報をひっぱりだせるような仕組みをつくっておけばよい。
 このことは、たとえば、パソコンに情報を保存する場合でも、画像情報は大容量を必要とするが、言語(テキスト)はたいした容量を必要としないことと似ている。画像情報とは視覚情報、イメージのことである。
 わたしたちは日々大量の画像情報をえている。その一部は写真として記録されるだろうが、大部分は視覚記憶(映像記憶)を中心とした体験の記憶として心の中にたくわえられている。
 もし、この体験記憶を、この「コンパクト曼荼羅」の道具のように、言語に圧縮、シンボル化して、パソコンなどに保存しておけば、その言語をおりにふれて見直すことにより、その時の体験を容易におもいおこすことができる。軽くてつかいやすい言語によって、おもたい画像ファイルを検索できるようにしておくのである。
 ここに、言語化のひとつの重要な意味がある。このような観点にたって、毎日の体験を言語化していけば、情報処理は一段とやりやすくなる。

16-9 メモはアウトプットの第一歩である

 メモとは、わすれないための覚え書きであり、それは記憶を補助するものとかんがえられている。メモをとっておき、あとでまとめる。しかし、このメモからまとめへという方式には心の情報処理という観点が弱かった。
 メモとは実は「アウトプット」の第一歩であったのである。五感により情報が心の中に入り、心の中で情報が処理され、そしてその結果を圧縮・統合・要約してかきだす。これがメモである。
 情報処理においては何らかの価値判断がおこなわれている。現実をみてそのまま記載しているのではない。そのまま記載するなどということはありえず、みずからの問題意識にもとづいて情報を選択しているのである。メモの場合は、簡単なキーワードだけをかきだす場合が多い。
 したがって、たとえば何かをみて、これは重要だとおもい、わすれないようにメモしておこうというよりも、もっと積極的に、心の中で情報処理をおこない、内容を圧縮・統合・要約することを意識したほうがよい。情報処理をたえず意識して、適切なキーワードをえらびだし、それをメモするのである。
 このようなことを毎日くりかえすこと自体が情報処理能力を高める訓練になる。訓練をつめば、より適切なキーワードをより速くえらびだせるようになる。
 メモの固定観念から脱却する必要がある。ここに発想の転換がある。

16-10 「スケッチ→デッサン→作品」と創作活動はすすむ

 「最後の交響曲」(NHK・N響アワー)で、チャイコフスキーの交響曲第6番の「デッサン」が紹介された。それは、五線譜に曲線をえがいたものであり、音符などは記載されていない。最後に「神に感謝する」と記入されている。
 絵画や文章をかく人にも「デッサン」をする人は多いだろう。「デッサン」とはイメージの段階であり、それは細部にこだわるものではなく、むしろ、全体の構図・構成が重要である。
 実際には、デッサンの前に「スケッチ」をする。「スケッチ」とは、現場の生の情報を記載したものである。生の情報とは、科学的にいえばデータといってもよい。日誌をつけている人は、毎日の日誌が「スケッチ」に相当するだろう。
 こうして、スケッチ、デッサンをへて、音楽や美術あるいは文章という「作品」が仕上がる。「スケッチ→デッサン→作品」と創作活動はすすむのである。

16-11 旅行体験をキーワードに圧縮する

 旅行からかえってきたら、その旅行の体験を圧縮してキーワードにして、一言でかきだしてみよう。キーワードは単語あるいは単文で記す。旅行全体の要点を記してもよいし、もっとも印象にのこったことを記してもよい。記されたキーワードは旅行の目印にもなる。
 さらに余裕があれば、印象にのこった場所ごとに同様な作業をやってみる。その場所をおとずれたときの体験や心にのこった風景をおもいおこし、それを圧縮してキーワードにする。それらを列挙するだけで簡単な旅行記になる。この作業は情報処理の第一歩でもある。
 旅行中には、さまざまなことを見聞きし、それを心のなかに入力する。それを圧縮するのは情報処理をすることにほからなない。そしてキーワードにしてかきだすのは出力である。
 キーワードをかきだすことは体験を言語化することであり、それはイメージをシンボル化することになっている。

16-12 まず、キーワードを書き出す

 けっきょく何をおこなっても同様なことをすればよい。たとえば本をよんでも、まずキーワードを一言かきだす。そして余裕があれば、印象にのこった場面ごとにキーワードをかきだす。それらをくみあわせれば要約ができる。
 はじめから完成された長文をかこうとすることには無理がある。
 野外調査に関するむずかしい解説書には、調査項目の設定、メモ、整理、まとめ、報告書の作成といった方式がのべられているが、これらには心の情報処理という観点がなかった。
 1語の単語をかきだすそのときにすでに情報処理はおこなわれているのである。そして、長文をかくときにも情報処理はおこなわれている。すべてが情報処理であり、同一の原理と方法でおこなうことができる。
 情報処理はいつでも私たちの心の中でおこなわれているという原理と方法さえ理解できれば、今この瞬間からシンプルな情報処理をつみかさね、もっと大きな情報処理をめざしてすすんでいくことができる。

16-13 旅行法は、フィールドワーク、アクションリサーチへと発展する

 旅行では情報処理が実践される。フィールドワークでは一歩すすんで問題解決が実践される。それをされにすすめるとアクションリサーチになる。
 つまり、旅行法からフィールドワークへ、そしてアクションリサーチへという大きな流れが存在する。

16-14 「探検ネット」は意識の流れを表現する

 「探検ネット」とよばれる図解をつくりながら複数の人々と議論をしていると、わたしたちの意識がどのように流れていくかを実際にみることができる。この図解法では、模造紙の中心にテーマをかき、その周囲にラベルを放射状に配置していく。ラベルには、自分が発言したことを要約して単文として記入する。
 誰かが何かを発言すると、それが一定の流れをうみだし、その流れにのって議論が展開していく。その流れの方向にラベルが大量に配置される。そして、その話題がいきづまったころに、ほかの誰かがすこしはずれた発想をすると、そこで流れがかわってあたらしい発言が口をついて次々にでてくる。わたしたちの意識活動は、意外な刺激で予期せぬ方向へ展開していく。
 このような作業をしていると、自分ひとりの発想には限界があることもわかってくる。ひとりでかんがえているよりも、周囲の人と議論してみると意外な発想がでてくることが多い。
 またこのような図解の流れをみていると、意識のはたらきとカオス現象について考察するヒントもえることができる。

16-15 世界観によって人生観や価値観はことなる

 われわれがくらしている世界をどのようにみるか、どのような世界観のもとで生きるかは、その人の人生観や価値観をきめるうえで重要である。
 たとえば、競争原理にたつダーウィンの進化論を大前提とするか、あるいは共存原理にたつ今西錦司の進化論を大前提とするかによって、人の生き方は根本的にことなってくる。
 競争原理を大前提にしている人はたえず競争を意識して、生存競争に生きのころうとしている。
 それに対して共存原理を大前提としている人は、人々は競争することもあるが、基本的には共存しようとする。それは、ことなる場所にすむことによって可能になる。このような人からは、「人は人、我は我、されど仲良し」といった人生観がでてきて、その人は、安定感のある生涯おくることになるかもしれない。

16-16 地球環境と同時に人類についても探求しなければならない

 環境とは主体があってはじめて意味をなす概念であり、主体と環境はセットにして「主体=環境系」としてとらえなければならない(図1)。

図1 主体=環境系のモデル

 地球環境問題をかんがえる場合は、主体とは人類のことである。中心に人類がいて、周囲に地球環境がひろがっているというイメージをもたなければならない。この人類-地球環境系を意識し、人類と地球環境との相互作用をとらえることが重要である(図2)。

図2 人類=地球環境系のモデル

 つまり、地球環境だけをとりだして探究していてもダメであり、地球環境でおきている現象を判断する場合、主体である人類についての認識もふかめなければならない。人類がどのような存在であるかがわからないままでは地球環境をきちんと論じることはできない。自分たち自身のことがはっきりしないままで、対象だけを論じていてもまったく意味がない。

(2004年9月)

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2005年4月5日発行
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