思索の旅 第12号
迎賓館(東京・赤坂)

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目 次
12-1 ブータン王国は、ゆっくりとしたペースで近代化をすすめている
12-2 最高の物をみて価値基準の幅をひろげる -迎賓館-
12-3 一歩ふみこんだフィールドワークが必要な時代になった
12-4 コンパクトカメラをつかえば決定的瞬間を撮影できる
12-5 星印をつけながら写真を段階的にえらびだす
12-6 書き出すことが旅行法の第一歩である
12-7 情報処理の出来不出来が文明の興亡をきめている
12-8 価値判断は情報処理のもっとも重要な側面である
12-9 直観は作曲のときにもはたらく -モーツアルト-
12-10 表現方法は何通りもありえる -ベートーベンの音楽-

12-1 ブータン王国は、ゆっくりとしたペースで近代化をすすめている

 NHKビデオ「秘境ブータン」をみる。
 ビデオをみると、ブータンは仏教の国であり、その大部分は照葉樹林帯に属する「照葉樹林文化」の国であることがわかる。この点で、ブータンは日本と非常によく似ている。日本の文化やそのルーツをさぐるうえで大変参考になる国である。「照葉樹林文化」とは大阪府立大学の中尾佐助教授が提唱した用語である。
 このブータンにも近代化の波が近年おしよせている。農業の近代化もさかんにすすめられ、日本から赴任した西岡京治氏の活躍には目をみはるものがある。西岡氏はかつて中尾佐助教授の学生であった。西岡氏は、この映像撮影後も農業改良を継続したが、10年後にブータンの地で死去した。ブータンに入ってから28年目、59歳であった。
 ブータンは、国の伝統や環境を保全することを第一に尊重しながら、ゆっくりとしたペースで近代化をすすめているとのことである。
 この点、おなじヒマラヤの王国・ネパールとは大きくことなる。ネパールは、急激な近代化、外国人の大規模な流入などにより環境や伝統は破壊され、政治的にも不安定になり、現在、危機的状況におちいっている。
 ブータンは今後どのような道をえらぶのだろうか。「第2のネパール」になるのだろうか。
 わたしの予想では「第2のネパール」にはならないとおもう。それは、ブータンはネパールとはちがい、民族的・宗教的に統一がとれており、ひとつの国としてまとまりやすいことにくわえて、国家の方針として伝統や環境の保全を全面にうちだしているからである。そのために、先進諸国からの過度な援助や急激な近代化はおこなわず、また外国人の入国も制限している。このような方針のもとで、西岡京治氏がおこなったようなすぐれた国際協力もうまれてきたのである。
 ブータンが今後ともこのような道をすすみ、調和のある国家をつくりあげることを心から期待しながら、ブータンの行く末に注目していきたい。

12-2 最高のものをみて価値基準の幅をひろげる -迎賓館-

 迎賓館(赤坂離宮)を見学する。階段をのぼり2階へいき、彩鸞の間(さいらんのま)、花鳥の間(かちょうのま)、中央階段・2階大ホール、朝日の間、羽衣の間を順番にあるいていく。華麗な洋風宮殿はその美しさを部屋ごとに変容させていく。建物内部の撮影ができないのは残念である。また外部はワイドレンズがないと全体が入らない。
 建築物にかぎらず最高級のものをみることは、自分の価値基準の幅をひろげる(価値判断の物差しを長くする)うえで重要である。最高のものをみる一方で、最低のものをみることも必要である。上下がきまると、様々なものをその中に位置づけて価値を決める(判断する)ことができる。価値を決めるとは評価すると言いかえてもよい。

12-3 一歩ふみこんだフィールドワークが必要な時代になった

 ブータンのビデオをみて考察をすすめる。
 秘境といわれたブータンも現在では著作が多数あり、観光客も多数入っているという。もはやそこは秘境でもなく、地理的探検のフィールドでもない。
 地球上にはすでに秘境はなくなり、かつて秘境とよばれた地域も今では誰でも行くことができ、資料も多数ある。地理的探検の時代は完全におわり、フィールドワークも、ただそこへいって、見たり聞いたりしたことをどんどん記載すればよいというものではなくなった。
 フィールドワークをおこなう場合、今までの人ができなかったことをして、さらに一歩ふみこんだ調査をしなければ価値が生じない。「アクションリサーチ」や「急所にいどむ法」が必要に時代になった。

12-4 コンパクトカメラをつかえば決定的瞬間を撮影できる

 「フランスの写真家アンリ=カルティエブレッソンが3日、フランスで死去した。95歳だった。52年の写真集『決定的瞬間』などを通じて、20世紀の写真に大きな影響をあたえた」(朝日新聞、2004.8.5)。
 ブレッソンは、ライカのM型をつかっていたという。それに標準レンズ(50ミリ)か、あるいは少しだけ広角のレンズ、35ミリあたり1本だけで、街を歩き回って写真を撮った。金属部分を黒く塗り、目立たないようにして撮っていた。ライカのM型であるのは、その静かなシャッター音も一つの理由だろうという。
 一眼レフカメラではなくコンパクトカメラを常用するというのは、自然のままを行動しながら撮影するために適しており、ポーズをとらせず、その時その場の決定的瞬間をとらえる効果がある。
 写真撮影では、ポータブルなコンパクトカメラの使用法を追求していくのも重要な道である。

12-5 星印をつけながら写真を段階的にえらびだす

 旅行中には多数の写真を撮影する。写真は旅の思い出であり、旅を想起し再現するうえで重要な役割を果たす。撮影した写真は、「ヤフーフォト」などのウェブサイトにアップロードして公開するとともに、おりにふれて みずからそのサイトにアクセスすることにより、いつどこにいても、たのしかった旅行をおもいおこすことが可能になる。写真を、パソコンのハードディスクに入れておくだけではもったいない。
 写真をアップロードするといっても、撮影した写真をすべて掲載することは不可能であり、またその必要もない。通常は、自分にとって価値のある重要な写真、すぐれた写真を厳選してアップロードすることになる。写真をえらびだすためには次のような方法をつかうとよい。
 たとえば、旅行中に100枚の写真を撮影し、そこから、自分にとって価値のある重要な写真を20枚えらびだすとしよう。  まず、100枚の写真を何回かみなおしてから80枚の写真をえらびだす。次に、その80枚の写真だけをみて、そこから60枚の写真をえらびだす。今度は、その60枚の写真だけをみて、そこから40枚の写真をえらびだす。そして最後に、その40枚の写真から20枚をえらびだす。
 このように段階的にえらびだすようにすれば価値のある重要な写真をスムーズにえらぶことができる。この方法は、写真の価値を判断する方法であり、撮影された写真を評価する一つの方法である。ここにしめした例は5段階になっているので5段階評価ということになる。
 たとえば、アップル社のパソコン・マッキントッシュについている「アイフォト(iPhoto)」というソフトには「マイレート」という機能があり、★印をつけながらこのような作業が簡単にでき、「5つ星」のついた写真だけを表示することもできるようになっている。

12-6 書き出すことが旅行法の第一歩である

 想起したこと、イメージしたこと、体験したことをとにかく書き出してみることが重要である。不完全でもよい。宿にもどってから、あるいは帰宅してから、まず何もみないで心の中から文章を出力(アウトプット)することが旅行法の第一歩であり、また、そこに旅行法の極意がある。
 書き出してみると、意外に記憶が不確かであったり、地名や建物などの固有名詞があやふやであったりすることがわかってくる。そこで、ガイドブックなどをすぐにみなおしたくなるが、そのようなことはせず我慢して書きつづける。最初から完璧な文章を書こうとはせず、とにかく、一区切りがつくまで文章化をおこなってしまうことが重要である。そして一区切りがついたあとで、ガイドブックなどをみながら、修正・加筆するようにする。もし、ワープロをつかって文章を書いているのであれば、そのようなことは簡単にできる。
 そうした方が文章化の訓練になるし、次回の旅行ではもっとしっかりみよう、観察しようという気持ちにもなり、結果的に観察力をつよめることにもつながってくる。

12-7 情報処理の出来不出来が文明の興亡をきめている

 情報の流れがわるくなるとその文明はほろびる。すべては情報処理の出来不出来が決めている。
 素朴段階においても情報処理能力は発達する。発達すれば文明化がすすむ。文明化がかなりすすむと従来の情報処理方法ではゆきづまってくる。するとその文明はほろびるのである。しかしそのとき、あたらしい情報処理方法はすでに発展をはじめている。そして、あたらしい情報処理法のもとであたらしい文明が誕生する。このようなことを人類は何回もくりかえしてきている。情報は人間活動の根元である。
 現代においては、パソコン・インターネット・携帯電話などをつかう方法があたらしい情報処理方法として出現してきている。人類と地球を巨大な情報処理システムとしてとらえることにより現代の文明も地球も理解できる。
 研究課題としては次がある。(1)過去の前近代的文明がどのような状況の中で環境問題に直面したか。たとえばインド・アショカ王の時代における環境破壊はどのようなものであったか。(2)文明化にともなう管理社会化はどのような環境観の変化をもたらしたか。(2)情報処理によりいかにすぐれたアウトプットをうみだすか。すぐれたアウトプットをうみだす行為こそ「創造」とよばれるものである。
 アプローチの仕方としては、「情報処理」とともに「問題解決」の段階をふむことが必要である。その過程では、生態系の探求とともに、歴史的考察をおこなう。歴史こそ独自性や個性をうみだす源泉である。歴史の考察には「層序学的方法」がモデルになる。汎用性の高い「歴史科学」の開発がもとめられる。

参考文献:川喜田二郎「環境と文化」(河村武・高原栄重編『環境科学II』)朝倉書店、1989年。(この文献は、情報処理という観点からとらえなおすとすべてが単純化されてよくみえてくる。)

12-8 価値判断は情報処理のもっとも重要な側面である

 最近はテレビショッピングや通信販売が大変はやっていて、各販売会社がえりすぐりの商品を自信をこめて販売している。視聴者は、非常に短時間で各商品のセールスポイントをつかみ、自分が必要とする商品をすぐに購入することができる。商品の性能や耐久性などは販売会社が保証する。
 ちまたに商品や情報があふれかえっていて、どれをえらんだらよいのかわからず、すぐれた商品を短時間でえらびだすことがむずかしくなった今日、通信販売が消費者のニーズにこたえているのは当然のことである。
 物や情報があふれかえる現代においては、多数のものから自分にとって価値のあるものを効率的にえらびだす能力、つまり「価値判断」の能力が必要不可欠になった。物や情報の「価値判断」をすることは、いいかえれば「評価」をするということにほかならない。多量の情報を入手してもこの「価値判断」あるいは「評価」ができなければ、結局、その情報は活用できないのである。このように、「価値判断」あるいは「評価」は情報処理や判断のもっとも重要な側面になっている。
 たとえば、通信販売大手の「カタログハウス」では、各商品に、性能・長期使用性・環境性・再生可能性・価格の5項目のそれぞれについて星1つから星3つをつける3段階評価をおこなっている。消費者はこれらの評価結果をみて、自分にとって価値のある商品を適切にえらびだし、購入できるようになっている。
 このような評価の前提としては、テーマに関係する情報をできるだけたくさん収集し、それらの情報の一覧をつくり、情報を体系化しておく必要がある。

12-9 直観は作曲にもはたらく -モーツアルト-

 モーツアルトは、作曲をしているある瞬間にすべての音が心の中にひびいたという。ひびいた瞬間に音楽はもうできていた。あとはそれを楽譜にすればよかったという。

12-10 表現方法は何通りもありえる -ベートーベンの音楽-

 ベートーベンの音楽は、おなじ曲であっても、すぐれた演奏家10人がいた場合、10通りの演奏が可能だといわれている。これは、ベートーベンのメッセージはひとつでも、その表現方法は何通りもありえるということをしめしている。うったえかけたいことは1つであっても、表現方法は様々なものがありえることの一例である。

(2004年8月)

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2005年3月27日発行
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