1. スマートフォンを「発見の手帳」としてつかう
(2014.11.12)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』はふるい本ですが、実に45年間にわたって読みつがれている名著です。本書のかんがえ方や原理は今でもそのままつかえます。というよりも、むしろ本書は現代の情報化を先取りした内容になっていて、今日の高度情報化社会でこそ大きな意味を生みだしています。 時代が本書においついたと言ってもよいでしょう。
たとえば、第1章「発見の手帳 」ではつぎのようにのべています。
「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。毎日みなれていた平凡な事物が、そのときには、ふいにあたらしい意味をもって、わたしたちのまえにあらわれてくるのである。たとえば宇宙線のような、天体のどこかからふりそそいでくる目にみえない粒子のひとつが、わたしにあたって、脳を貫通すると、そのときひとつの「発見」がうまれるのだ、というふうに、わたしは感じている。
「発見」には、一種特別の発見感覚がともなっているものである。いままでひらいていた電気回路が急にとじて、一瞬、電流が通じた! というような、いわばそういう感覚である。そういう感覚があったときに、わたしはすばやく「発見の手帳」をとりだして、道をあるきながらでも、いそいでその「発見」をかきしるすのである。「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「見出し」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。
「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものでる。
「発見」についてとても興味ぶかいことを言っています。「発見」とは、外から何かがやってくる瞬間的な出来事であり、それをとらえる人がいてはじめて「発見」になります。そして「発見」には感動がともないます。つまり、外部(環境)とその人(主体)の両者がそろってこそ「発見」はなりたつのであり、そこには環境と主体との共鳴ともいえる現象がおこっているのです。
わたしも学生のころより本書を愛読し、フィールドノート(発見の手帳)やカード、ラベルなどをさかんにつかってきました。
しかし現在は、このような紙でできた道具はほとんどつかわなくなりました。
今つかっているのは、iPhone と タッチペン(スタイラスペン)と MacBook Pro です。
梅棹さんの「知的生産の技術」を“現代の道具”をつかって実践しているのです。むしろ、情報機器が発明されたために「知的生産の技術」は現実的に日々実践できるようになりました。前世紀の梅棹さんのころには情報機器がなかったために、紙の道具をつかって苦労しながら情報処理をしていたといえるでしょう。
現代の「発見の手帳」としては iPhone がつかえます。iPhone は、iPhone 6 Plus がでてきてディスプレイが大きくなり一段とつかいやすくなりました。
iPhone や Mac には「メモ」というアプリがついているので、これに「発見」を書きこんでいけばよいです。1行目は見出しにして、2行目以降に本文を書きます。どんどん書いていけばファイルが蓄積され、1行目の見出しだけの一覧(リスト)が自動的にできます。キーワード検索も簡単にできます。
iPhone にはボイスメモというすぐれた機能もついているので、何かを発見したりおもいつたときには iPhone にむかってしゃべれば「メモ」に文字として記録されます。ボイスメモはおどろくほど進歩していて、その文字変換精度の高さは驚異的です。
また、博物館や図書館などのなかにいたりして声がだせないときには、手書きメモソフト、たとえば「最速メモ」などをつかって、タッチペン(スタイラスペン)でメモをとります。「最速メモ」などは App Store から無料でダウンロードできます。タッチペンをつかわないで指で書いてもよいです。余裕があるときにはキーボードをつかってももちろんかまいません。
さらに便利なのは、iCloud 同期が自動的に瞬時に機能して、iPhone に書いたことはそのまま Mac で読むことができ、そのデータを Mac 上で自由に活用できます。「最速メモ」は Mac の iPhoto で見ることができます(iPhone「設定」で「写真」アクセスを許可にしておきます)。iPhone でとらえた情報はすぐに Mac で編集・処理ができるのです。
こうして、 iPhone は「発見の手帳」になりました。
iPhone のようなスマートフォンには、カメラ、ビデオ、地図、コンパス、時計、天気予報などもついてい、これ一台をもちあるいていれば大抵のことはできるので、実際には「発見の手帳」以上の取材の読具として機能しています。
2. ノート、カードから iPhone & Mac へ
(2014.11.13)
ノート
梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第2章「ノートからカードへ 」で梅棹忠夫さんはカードの原理についてのべていて、この原理は今日でもとても役にたちます。カードは「知的生産の技術」の中核的な原理といえるでしょう。
まず、梅棹さんはノートの話からはじめています。
追加さしこみ自由自在の、いわゆるルース・リーフ式のノートほうが(大学ノートよりも)便利だ、ということになる。かいた内容を分類・整理するためにも、ページの追加や順序の変更ができたらよいのに、とおもうことがしばしばある。
ルース・リーフ式のよい点だけをいかしたのが、ちかごろ売りだされているラセンとじのフィラー・ノート式のものであろう。きりとり線と、つづりこみ用の穴とがついている。一冊のノートになんでもかきこみ、あとできりとり線からきりとって、分類してルース・リーフ式にとじる。片面だけを利用し、内容ごとに — 学生なら学科ごとに — ページをあらためることにしておけば、追加、組みかえ、自由自在である。
わたしも、中学生のころは大学ノートをつかっていましたが、高校生になってからはルース・リーフ式のノートに切りかえ、大学生のときにもそれをつかいつづけました。
そのご大学院生のころよりフィラー・ノートをつかいはじめ、「知的生産の技術」にしたがって片面(表面)だけに記入し裏面は空白にしておき、ノートが一冊おわるごとにページを切りとり、二穴ファイルにファイルするといことをくりかえしていました。このフィラー・ファイルは蓄積されて、そのトータルの厚さは約2メートルぐらいにまでなりました。
結局、今世紀に入って iPhone をつかいはじめるまでは、フィラー・ノートはいつでもどこへでも持ちあるいて つかっていました。今でも、ヒマラヤのフィールドワークに行くときには補助ノートとしてフィラー・ノートを持っていきます。
カード
つぎに、梅棹さんはカードについてかたります。
ノートのことを、くどくどしくのべたのは、じつはカードのことをいいたいからであった。
見方をかえれば、ルース・リーフ式やフィラー・ノート式のノートは、じつは一種のカードなのである。すでにのべたように、それは、ページのとりはずし、追加、組みかえが自由になっている。そして、そのつかいかたにおいても、項目ごとにページをあらためる、あるいは片面だけを使用する、ということになると、それは要するに、みんなカードの特徴にほかならないではないか。
ノートの欠点は、ページが固定されていて、かいた内容の順序が変更できない、ということである。ページを組みかえて、おなじ種類の記事をひとところにあつめることができないのだ。
「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわして、あらたな組みあわせを発見するところにあるといえるでしょう。固定した観念にとらわれずに発想せよということだとおもいます。
そして、有名になったあの「京大型カード」ができあがったときの様子がのべられていす。
自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。それが、いまつかっているわたしのカードの原型である。
このカードは、たいへん評判がよくて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量につくって、あちこちに分譲した。
ついにわたしは、文房具店の店先で、わたしのカードが製品として売られているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。わたしは、いさぎよくパテントを京大にゆずることに決心した。
わたしも、『知的生産の技術』を読んで「京大型カード」を買った一人です。東京・日本橋の丸善まで買いにいきました。こうして、フィラー・ノートをカード式につかう方法とカードそのものをつかう方法を併用する期間がながくつづきました。
iPhone と Mac
一方で、カードの苦労についてものべています。
いずれにせよ、野帳からカードに資料をうつしかえるという操作をふくんでいた。口でいえばかんたんだが、じっさいにはこれは、容易ならない作業である。野帳の分量がおおいと、野外調査からかえってからカードができるまでに数ヶ月を要したりした。
この問題は、わたしの場合は iPhone と Mac をつかうことにより解消されました。
iPhone で記録したデータは iCloue により Mac に同期されます。現場のデータはそのまま Mac で処理することができるので、転記の手間はかかりません。
カードという形にこだわるのであれば iPhone と Mac に付属しているアプリ Keynote をつかえばよいです。1枚1枚のスライドはカードとしてつかえます。これにはボイスメモ(ボイスレコーダ)機能もついていますし、写真などをペーストすることもできます。Keynote に現場でデータをどんどん記録していけよいです。あとで、カード(スライド)を入れかえたり、あたらしいカード(スライド)を挿入したりできます。
Mac 上で情報を処理するときには、Keynote の「表示」から「ライトテーブル」を選択すれば、画面上にカードを縦横にならべて、入れかえ・組みかえ・追加・挿入・削除などを自由にたのしむことができます。プレゼンテーション用のスライドや資料もできてしまいます。
しかし、形にこだわらないのであればワープロソフト(Pages など)をつかえばよです。コンピューターが発明されて、データ(ファイル)の入れかえ、挿入、組みかえなどは、カット&ペーストで自在にできるようになりました。どのようなアウトプットの形式を選択するかによってアプリをつかいわければよいでしょう。
先にもふれましたが、「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわしてしまって、あらたな組みあわせを発見するところにあり、固定観念にはとらわれずに発想することであると言ってよいでしょう。形にとらわれるよりもその原理・本質に気がつき、それを利用することの方が重要だとおもいます。
OS のバージョンに注意
iPhone と Mac を iCloud で同期させるときの現時点での注意点は、OS のバーションです。
iPhone の iOS を最新の iOS 8 にアップグレードした場合は、Mac OS も最新の Yosemite にアップグレードしないと、最新の iCloud Drive がつかえず、Keynote と Pages の同期はできません(注)。これは重大な問題です。
つまり、iCloude を使う場合はつぎの組みあわせでつかわなければなりません。
iOS 7:Mavericks
iOS 8:Yosemite
Mac OS X を Yosemite に当面アップグレードする予定のない人は、iOS を iOS 7 のままにしておいた方がよいです。
新 iPhone の場合など、iOS 8 になっている場合、iOS 8 にした場合は、Mac OS X を Yosemite にアップグレードせざるを得ません。Mac OS X のアップグレードにあたっては、アプリの対応のおくれなどの不備もありえますので慎重さが必要です。
注:iCloud Drive をつかうときの現時点での注意点(2014.11.13)
iCloud Drive を利用するためには、サービスのアップグレードが必要です。
その場合、Mac では、OS を最新の Yosemite にアップグレードしないとつかえません。アプリの対応の問題がありますので、 Yosemite へのアップグレードには慎重さが必要です。
Mac の OS が10.9 Mavericks 以前の場合、Yosemite、iCloud Drive にアップグレードしてしまうと、それまでの Documents in the Cloud が利用できなくなってしまうので注意が必要です。
Mavericks あるいはその他の OS の場合でも、HTML5 が使えるブラウザで、iCloud.com にアクセスすれば、iCloud Drive のなかを確認できます。Yosemite にアップグレードしていない Mac や、iCloud コントロールパネルをインストールしていない Windows の場合です。
3. カードを操作するようにファイルを操作する
(2014.11.14)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第3章「カードのつかいかた 」では、カードの記入のしかた、原則、組みかえ操作などについてのべています。
カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと、完全な文章でかくのである。「発見の手帳」についてのべたときに、豆論文を執筆するのだといったが、その原則はカードについてもまったくおなじである。カードはメモではない。
そのかわり、豆論文にはかならず「見だし」をつける。カードの上欄にそれをかいておけば、検索に便利である。「見だし」は、豆論文の表題でもよいが、むしろその内容の一行サマリーといったもののほうが、いっそうその目的にかなっているだろう。
一枚のカードにはひとつのことをかく。この原則は、きわめてたいせつである。
このようにカードは、見だし(一行サマリー)と本文とからなっていて、一枚一項目の大原則をもっています。
したがってカードとは、情報(データ)のひとまとまりを記録したものであり、現代の一般的な用語をつかえばそれはファイルのことです。
1個のファイルには1つの見出しがかならずあり、その下部構造としてデータの本体(本文)が存在する構造になっています。コンピューター・ファイルでは、見出し(ファイル名)をダブルクリックすることによりデータの本体をひらける仕組みになっています。
大切なことは、わたしたちがファイルをつくるときにはカードをおもいだし、その原則と意義を意識しながらつくることです。
つぎに、カードの操作について説明しています。
操作できるということが、カードの特徴なのである。
カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、組みかえ操作である。知識と知識とを、いろいろに組みかえてみる。あるいはならべかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけない関連が存在することに気がつくのである。そのときには、すぎにその発見をカード化しよう。そのうちにまた、おなじ材料からでも、組みかえによって、さらにあたらしい発見がもたらされる。これは、知識の集積作業ではない。それは一種の知的創造作業なのである。カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。
知的創造作業についての重要な原理がのべられています。
わたしは、紙のカードは現在ではつかわなくなりましたが、紙のカードはつかわなくても、ファイルをつくってファイルの操作をしています。
見たり聞いたり体験したことを文章にして記録し、一行サマリーをつくることは、人間主体の情報処理の観点からいうとアウトプットをするということです。1回のアウトプットにより1個のファイルはつくられ、アウトプットをくりかえせば、ファイルは蓄積されていきます。
そして、多数のファイルを操作してあたらしい組みあわせやグループを編成してあらたな体系をつくっていくことになります。
このファイル操作のためには、今では、コンピューターがつかえます。コンピューターをつかえば、カット&ペーストで入れかえ、組みあわせが自由にできます。
あるいは、ワープロのアウトライン機能をつかって、見だしと本文を表示させたり、本文をたたんで見出しだけを表示させたりして、組みかえやグループ編成をすることができます。
あるいは、Keynote をつかえば、ディスプレイ上でカードを操作するようにならべかえができます。
あるいは、ファイルの見だしを付箋(ポストイット)に書きだして、机のうえにひろげて組みかえやグループ編成をおこなってもよいです。
4. ScanSnap をつかって紙の資料をファイルにする
(2014.11.15)
新聞の記事
梅棹忠夫著『知的生産の技術』第4章「きりぬきと規格化 」では、新聞のきりぬきや各種資料の整理とそれらのいかしかたについて説明しています。
ながい中断ののち、一九五〇年ころから、わたしはやや体系的に新聞記事のきりぬきをはじめるようになった。こんどかんがえた方式は、スクラップ・ブックをやめて、ばらの台紙にはる、というやりかたである。
そして、記事の大小にかかわりなく、台紙一枚に記事ひとつという原則をかたくまもることにした。
わたしも以前はこの方式にしたがって新聞のきりぬきをしていました。しかし、デジタルカメラが発明されてからは、記事の写真をとって保存する方式に変えました。現在ではきりぬきはせず、有用な記事をみつけては iPhone で写真をとってMac の iPhoto に保存しています。
ドキュメントスキャナー
台紙にはる、という操作がひとつの規格化であるとともに、オープン・ファイルのフォルダーにいれるという操作もまた、ひとつの規格化である。これによって、台紙にはった紙きれ以外のもの、さまざまなパンフレットやリーフレットのたぐいも、みんなこれにいれればおなじ形になる。
わたしも以前はこの方式をつかっていて、オープン・ファイルのフォルダーが本棚の大部分を占有していました。
しかし、変化がおきたのは、富士通のドキュメントスキャナー ScanSnap が発売されてからです。これにより、書類・パンフレット・写真・名刺などを高速でスキャンして保存できるようになりました。
ドキュメントスキャナーは、従来のフラットベッドスキャナとはちがい、膨大な資料のスキャン、デジタル化が手軽にできます。書類や資料の山にうずもれてこまっていた人にとっては救世主になりました。これで、書類や資料、映像や音声などの形式にとらわれずに一つのフォルダに統合・保存し、活用できるようになりました。こんな素晴らしいことはありません。
また、もとの資料のほとんどはのこしておく必要はなくすててしまうので、資料の保管スペースを心配しなくてすむようになりました。
こうして、台紙もオープン・ファイルのフォルダーもなくなりました。そして、パソコンのフォルダーをつかうようになりました。
ドキュメントスキャナーは他社からも発売されていますが、性能やコストパフォーマンスにすぐれる 富士通 ScanSnap を絶対におすすめします。
写真
梅棹さんは写真の整理のむずかしさについてものべています。
しかし現在では、スマートフォンやデジタルカメラで撮影した写真は、Mac でしたら iPhoto というすぐれた写真アプリがあるので整理はむずかしくありません。整理・保存の心配をしないで大量に写真をとることができるようになりました。
デジタルカメラ以前のフィルム写真については、わたしは、保存していたすべての写真を ScanSnap でスキャンしてしまいました。デジタルデータになりましたので Mac であっという間に整理がつきました。元の紙の写真はおいておくと場所をとるので重要なもの以外はすててしまいました。
iPhone でとった写真は、iPhone の「設定」→「写真とカメラ」で「自分のフォトストリーム」を ON にしておけば、Mac に同期され、iPhoto で整理することができます。新聞記事などの撮影した資料もこうして活用できます。 新サービスとして「iCloud フォトライブリー」がはじまりましたが、わたしはまだつかっていません。これがつかえるようになればもっと便利になるでしょう。
(注)その後、「iCloud フォトライブリー」が簡単につかえるようになり、iPhone と Mac の写真は自動的に同期されるようになりました。「フォトストリーム」はつかっていません。「iCloud フォトライブリー」に写真のオリジナルはすべて保存されています。(2015.5.1)
情報の単位化
また梅棹さんは、資料や情報の単位化についてのべています。
スクラップ・ブックにはったり、そういうことをしないで、いっさい台紙にはりつけるというのは、どういう意味か。それは、ひとことでいえば、規格化ということなのだ。
それによって、おおきい記事もちいさい記事も、みんな、おなじ型式をあたえられて、単位化されるのである。そして、その規格化・単位化が、その後のいっさいのとりあつかいの基礎になっている。分類も、整理も、保存も、すべてそのうえでのことである。
じつは、カードの使用そのものが、一種の規格化であった。カードに記入することによって、いっさいの思想・知識・情報が、型式上の規格をあたえられ、単位化されるのである。
資料や情報はまず単位化しなければなりません。情報を単位化するということは、情報処理の観点からいうとファイルをつくるということです。ファイルとは、情報あるいはデータのひとまとまりであり、ひとつの単位です。 この単位から創造的作業がはじまるのです。ファイルの概念を理解し、ファイルを操作・活用することがこれからの情報産業社会では特に重要になってくるでしょう。
『知的生産の技術』はふるい本であるにもかかわらず今でも読みつがれているのは、知的生産の原理が書かれているからです。また、梅棹さんご自身がどのように進歩してきたか、その過程が、最初の一歩から書かれていることもこの本をおもしろくしている要因です。つまり、ストーリーをたどりながら原理がまなべるのです。
5. 階層構造になったファイリング・システムをつくる
(2014.11.18)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』第5章「整理と事務 」では、本や資料の整理、それによってえられる精神の安静についてのべています。
蔵書
話は、蔵書の整理からはじまります。
本の場合、わたしは現在では、自分の蔵書はUDC(Universal Deecimal Classification 国際十進分類法)を基礎とした分類法で配列している。
蔵書のとりあつかい方については、ドキュメントスキャナー ScanSnap が出現してすっかり変わりました。
つまり、多くの人々がそうしているように、わたしも今では、ほとんどすべての本をPDFにしてしまいました。
わたしは数年前から、大型本や写真集などの特別な本をのぞいて、ほとんどすべての蔵書をPDFにする作業をはじめました。すべてを自分でスキャニングしているとかなりの時間がかかってしまうので、3分の2ぐらいは業者にたのんでやってもらいました。
自分でおこなうとき(いわゆる自炊では)、本の裁断にはディスクカッターをつかっています。
1回で40枚ぐらいカットできます。本格的な裁断機ではありませんが、個人で自炊をおこなう場合には手軽につかえるコンパクトカッターとしてこれがおすすめです。
また、図書館などからかりた本については、有用なページの写真をとって保存しておきます。非破壊スキャンができるスキャナーも発売されていますが、個人的な記録として保存するだけでしたら写真で十分でしょう。
このようなことをしていると、かつては、ハードディスクがすぐに満杯になるという問題がありましたが、今では、外付けハードディスクが1TBで1万円をきるようになってきましたので、メモリーの心配はいりません。どんどんPDFにして外付けにファイルしています。写真も大量にとって保存しておくことができます。
こうして、本の保管スペースがいらなくなり部屋のなかがすっきりしました。また、すべてがデータ・ファイルになるので、いつもでも必要なときにとりだして読むことができ、とても便利になりました。
立てて、おく
つぎに、本や書類のおきかたについてのべています。
「おき場所」のつぎは、「おきかた」の問題だ。おくときには、つんではいけない。なんでもそうだが、とくに本や書類はそうである。横にかさねてはいけない。かならず、たてる。ほんとうにかんたんなことだが、この原則を実行するだけでも、おそろしく整理がよくなる。
PDFにするまえの本や書類は、つまずに立てておくことは重要な原則です。PDFにできない重要な書類もそうです。これだけで整理がすすみました。
ファイル名
垂直式ファイリング・システムを採用するにあたって、いちばんの問題は、やはり分類項目をどうたてるか、ということであろう。
徹底的に細分化しなければ、じっさいには役にたたない。細分化をすすめてゆくと、けっきょくは固有名詞が単位になってしまう。それでよいのである。
フォルダ名を固有名詞にするということはパソコンのフォルダでもそのままあてはまります。まず細分化したフォルダをつくっておいて、あとで課題別にフォルダにまとめることもできます。エイリアスやショートカットをつかうと効果的です。パソコンでは、ファイルおよびファイル名は自在にコントロールできます。また、キーワードを入力すればもとめるフォルダが見つかります。本当に便利になりました。
ただし、フォルダ名に漢字をつかう場合、たとえばつぎのようにしておくと、読みの五十音順でファイルをならべることもできます。キーワード検索ですぐにでてこないこともありますので、五十音順でも検索できるようにしておきます。
【シ】新宿図書館
【ト】東京都
【ニ】日本ネパール協会
【ヒ】東村山市
以前、封筒に資料を入れて時系列でならべておき、ふるくなってつかわなくなった封筒はすてるというシステムを提案した書籍がベストセラーになったことがありましたが、パソコン・ファイルに移行し、メモリーの心配がいらなくなった今日、ファイルをすてる必要はなくなりました。検索も簡単にできるようになりましたので、ならべ方の問題もなくなりました。
こうしたことよりも、ファイルの形成とそれらの操作・活用が課題になりました。
ファイルとは情報(データ)のひとまとまりのことです。
そしてフォルダとは、くつかのファイルがあつまったものであり、フォルダは高次元の情報のひとまとまりといってよいでしょう。さらに、いくつかのフォルダーをあつめて、さらに高次元のフォルダをつくることもできます。
こうして、ファイルを単位にして、情報の階層構造ができあがっていきます。これが現代のファイリング・システムです。
したがって、どのような階層構造をつくるのかが本質的な課題になってきました。
精神の安静
知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといってよいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもよい。努力によってえられるものは、精神の安静なのである。
情報技術が発展したお陰で、物理的な障害はなくなってきました。そして、わたしたちは、ファイルの操作・活用に集中できるようになってきました。
ファイルを作成し操作・活用する、ファイルをあつめてフォルダを作成し操作・活用する、そして、階層構造になった自分独自のファイリング・システムをつくるということに誰もがとりくめる時代になりました。
6. 3段階をふんで読む
(2014.11.19)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』第6章「読書 」では、知的な読書は3段階をふんでおこなうとよいことがのべられています。
一気によむ
まず、「一気によむ」ということから説明がはじまります。
ごく一般論としていえば、一気によんだほうが理解という点では確実さがたかい。すこしずつ、こつこつとよんだ本は、しばしばまるで内容の理解ができていないことがある。
本をかくということは、かき手の立場からいうと、やはり、ひとつの世界を構築するという仕事である。そして、本をよむということは、その、著者によって構築された世界のなかに、自分自身を没入させるという行為である。それができなければ、本を理解したことにはならない。
すこしずつ、こつこつよんだのでは、構築されたひとつの世界が、鮮明な像をむすばないのである。本は、一気によんだほうがよい。
「こつこつよんだのでは、構築されたひとつの世界が、鮮明な像をむすばない」というところがいいです。
わかりやすくいうならば、読書ではまず第一に、本の全体構造をつかまなければならない ということだとおもいます。そのためには短時間で一気に読んだ方がよいのです。細部をとらえるのは構造をつかんでからの方がよいです。具体的には、目次をよく見ます。そして、各章、大見出し、小見出しの配置を視覚的空間的にとらえるようにします。それぞれの分量にも注目します。
本は二どよむ
つぎに、「本は二どよむ」ということです。
二どめのよみかたは、きわめて能率的である。短時間で、しかもだいじのところだけはしっかりおさえる、ということになる。
2度目の読み方は、1度目とはがらりと変えます。今度は、重要な箇所のみを重点的におさえる のです。
具体的には、その重要な箇所が、本の全体構造のなかのどこにあるのか、構造のなかに位置づけてとらえようにします。構造的な空間のなかのどこに配置されているのかをイメージするようにします。
そのためは、一度目の「一気によむ」で、本の構造をあらかじめとらえておくことが必要です。
(1)全体構造を見て、(2)重要な部分をおさえると、今まで以上に全体がよく見えてくるものです。
創造的読書
そして、最後に「創造的読書」についてです。
ところでだいじなことは、読書ノートの内容である。わたしの場合をいうと、(中略)わたしにとって「おもしろい」ことがらだけであって、著者にとって「だいじな」ところは、いっさいかかない。
「わたしの文脈」のほうは、シリメツレツであって、しかも、瞬間的なひらめきである。これは、すかさずキャッチして、しっかり定着しておかなければならない。
こういう読書ノートは、まえにかいた「発見の手帳」の、まさに延長上に位置するものである。あるいは、それ自体一種の「発見の手帳」であって、読書は、「発見」のための触媒作用であったということができる。
これは第三の読書であり、「発見」の読書あるいは「創造的読書」です。
ただし、電子書籍やPDFが発明された現代では、それらのハイライトやメモ機能をつかって、発見やひらめきを記録しておけばよいです。読書ノートやカードを別につくる必要はなくなりました。
本が、電子書籍やPDFになってきて、必要なときにいつでも簡単にとりだして読めるようになり、本当に便利になりました。ハイライトやメモの検索や一覧もでき、たとえばブログや報告書その他の文章を書くときに参照したり引用したりすることが簡単にできます。
このように、電子書籍やPDFが発明されて読書の仕方も変わってきました。
しかし、「知的生産の技術」の3段階の読書法は普遍的な原理として今後とも生きのこっていくとおもいます。つまり、知的読書の3段階は、創造の3段階としてもつかえるとおもうのです。つまりつぎの3段階には普遍性があるということです。
(1)全体構造をつかむ →(2)重点をおさえる →(3)創造
7. 日本語を書く
(2014.11.21)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』第7章「ペンからタイプライターへ 」では、日本語を書くことについて、みずからがあゆんできた道のりについてのべています。
梅棹さんは毛筆もするそうです。そして原稿は鉛筆で書いていました。しかし、あるときから万年筆をつかうようになったそうです。
そして、タイプライターの話になります。
諸外国では、たいていタイプライターをつかって、能率をあげている。日本のような高度文明国が、字をかくという一点に関してだけ、手がきという、むかしからかわらない原始的なやりかたでとおしているというのは、まったくふしぎなことである。
知的生産のおおくのものは、けっきょくは字をかくという作業を、そのもっとも重要な要素としてふくんでいることがおおいが、それをかんがえると、日本語をタイプライターにのせるというのは、日本における知的生産の技術としてはもっともたいせつな問題であるといわなければならない。
ワープロ専用機が発明されるまで、このことは日本の知識人の間で大きな問題になっていました。
こうして梅棹さんは、まず、英文タイプライターをつかって、ローマ字で日本語をたたきだすようになりました。
そしてつぎに、カナモジ・タイプライターをつかって横書きのカタカナで書くようになりました。
そのつぎに、ひらかなタイプライターをつかって、ひらかなで書くようになりました。
知的生産性をあげるために、タイプライターに日本語をなんとかのせようと大変な努力と苦労をしてきたことがわかります。
本書『知的生産の技術』ではここまでですが、その後の進歩は、ワープロ専用機が発明され、さらにパソコン(ワープロソフト)が普及しました。さらに最近では、音声認識ソフトが開発されて口述筆記が可能になりました。音声の文字変換精度はとても高いです。
このように、「毛筆 → ペン → タイプライター → ワープロ専用機 → パソコン → 口述筆記」というように、書く道具はいちじるしく進歩してきました。この先はどうなるのでしょうか。
今後は、このような日本語を書くための道具論ではなく、日本語をつかって知的生産をいかにすすめるかということが課題になるのだとおもいます。むしろ日本語(あるいは言語)そのものが「道具」なのです。知的生産の「道具」としての日本語という位置づけになるのでしょう。
日本語を書くという作業は、人がおこなう情報処理の観点からいうとアウトプットにあたります。しかし、ただ単に文章を書くだけではなく、取材法や記憶法や心象法その他の情報処理を実践するときの道具としての独特のつかいかたもありえます。
▼ 日本語の作文技術については関連記事をご覧ください。
本多勝一著『日本語の作文技術』をつかいこなす - まとめ(リンク集)-
8. 情報交換、日記、記録、個人文書館
(2014.11.22)
手紙
梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第8章では「手紙 」、第9章では「日記と記録 」についてのべています。
手紙かきも知的生産の一種であるといえば、やや拡張解釈にすぎるであろうか。しかし、すくなくともそれが、知的生産のための重要な補助手段であることはまちがいない。文通によるさまざまな情報の交換が、わたしたちの知的活動をおおきくささえていることは、うたがいをいれないからである。
梅棹さんが、情報の観点から手紙をとらえていたことに注目しなければなりません。
現代では、電子メールがあり、また、ツイッターやフェイスブックなどが開発されたために、「情報の交換」は簡単に誰でもできるようになりました。また、それが知的活動をささえていることはいうまでもないでしょう。
『知的生産の技術』が出版されたのは1967年、その後の情報技術の進歩は本当にいちじるしいものでした。本書でとりあげられたタイプライター、コピー、住所録、模範例文集などの課題は、技術革新によってすべて解決されました。
しかし、逆に情報量が多くなりすぎて、処理がおいつかずにこまる場合がでてきました。今後は、人がおこなう情報処理能力の開発が必要でしょう。
日記と個人文書館
つぎに日記について説明しています。
日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがよい。
日記というものは、自分自身にとって、重要な史料なのである。あとからよみかえしてみて、感傷にふけるだけではなく、あのときはどうであったかと、事実をたしかめるためにみる、という効能がたいへんおおきいのである。(略)日記は、自分自身のための業務報告なのである。
日記というのは、経験の記録が、日づけ順に記載されているというだけのことである。
世の中には、メモ魔と称されるひとがいる。ポケットに手帳をもっていて、それに、なんでもかでも、かきつけてしまうのである。
わたしも、メモ魔ではないけれど、ものごとをその場で記録することが、あまり苦にならないようになっている。
そして、梅棹さんは、京大型カードに日記や記録を書きはじめます。次第にカードが蓄積されていけば、それは「個人文書館」になるといいます。
わたしがいっているのは、知的生産にたずさわろうとするものは、わかいうちから、自家用文書館の建設を心がけるべきである、ということなのである。
現代では、この目的のためにブログやツイッター・フェイスブックなどがつかえます。これらは、文章だけでなく写真や動画もアップできます。リンクもはれます。これらに、記録を日々つけていけば、「個人文書館」は自動的に構築され、検索もできるようになります。したがって、紙のカードはいらなくなりました。
時代が、梅棹さんにおいついた
このように、かつての道具はもはやふるくなりましたが、「情報交換」「日記」「記録」「個人文書館」に関する梅棹さんのかんがえ方と「技術」(やり方)は今でも生きているとおもいます。これらの技術(やり方)を現代の道具をつかって実践すればよいのです。
このような意味で、梅棹さんは時代を先取りしていて、時代が、ようやく梅棹さんにおいついたと見るべきでしょう。
『知的生産の技術』を読んでいると、当時存在した道具をつかって「知的生産」を実践しようと苦労し工夫してきた道のりがよくわかります。梅棹さんは意識して過程を書いています。このような「知的生産の技術」の発展の歴史を知ることは、今後の情報化の発展を予想するための参考になるとおもいます。
9. 「こざね法」でかんがえをまとめる
(2014.11.23)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』の第10章「原稿 」と第11章「文章 」では、文章の技術についてのべています。
文章をかくという作業は、じっさいには、ふたつの段階からなりたっている。第一は、かんがえをまとめるという段階である。第二は、それをじっさいに文章にかきあらわす、という段階である。一般に、文章のかきかたというと、第二の段階の技術論をかんがえやすいが、じつは、第一の「かんがえをまとめる」ということが、ひじょうにたいせつなのである。
人がおこなう情報処理の観点からこれらをとらえなおすと、「かんがえをまとめる」とはプロセシング、「文章にかきあらわす」はアウトプットに相当します。
すると、プロセシングの前にインプットが実際にはあるわけです。それが、見たり聞いたり発見したり体験したりする段階です。これは素材あつめとか取材ということもできます。
そして、「かんがえをまとめる」ため具体的な技術として「こざね法 」を提案しています。
まず紙きれを用意する。
その紙きれに、いまの主題に関係のあることがらを、単語、句、またはみじかい文章で、一枚に一項目ずつ、かいてゆくのである。
論理的にまとまりのある一群のこざねの列ができると、それをクリップでとめて、それに見出しの紙きれをつける。あとは、こういうふうにしてできたこざねの列を、何本もならべて、見出しをみながら、文章全体としての構成をかんがえるのでる。
「こざね法」は、現代では、付箋(ポストイット)をつかうとやりやすいです。あるいはパソコン上でおこなうこともできます。Word でしたら「デザインレイアウト表示」に、Pagese でしたら、「ページレイアウト」表示を選択すると、画面上で縦横左右に「紙きれ」(テキストボックス)を自在にうごかして、あらたな組みあわせを見つけることができます。
「こざね法」のポイントは、言葉を単位化して点的な情報(点情報)にしてしまい、それらを空間的に自由に移動、配置する ところにあります。ここで言葉は、情報のひとまとまりを代表するシンボルあるいは標識(ラベル)としての役割をはたしています。
言語とは、本来は、前から後ろへと時系列でながれていくものです。しかし、「こざね法」では、かんがえをまとめるために、そのような時系列ではなくて空間を利用しているのです。こうして、たくさんの点情報を空間的に構造化できるとかんがえがまとまります。
「こざね法」の「紙きれ」をつくるときには、ツイッターやフェイスブック、ブログなどにとりくんでいるのでしたら、主題に関係のある情報をそれらからピックアップするのもいいです。ブログを利用する場合は、見だしを「紙きれ」に書きだし、その「紙きれ」で「こざね法」をやってみると、より高次元のまとめができます。ブログの1記事が、1枚の「京大型カード」のように記述されファイルされているとやりやすいです。
そして、かんがえがまとまったら、今度は、前から後ろへと時系列で文章を書いていくことになります。
10. ファイルをつくる → ファイルを操作する → 文章化
(2014.11.25)
梅棹忠夫さんが提唱した「知的生産の技術」の基本を単純化してまとめると、
1.カード式で情報を整理する
2.かんがえをまとめる
3.文章を書く
ということになります。
「知的生産の技術」では、発見したこと、日記、記録、その他の情報のすべてを「京大型カード」に記入し整理します。カードをつかうと、ならべかえや組みかえ、操作ができるからです。
「京大型カード」は、見だし、日付け、本文(記事)からなり、1枚1項目の原則をもちます。
この「京大型カード」は、現代では、ファイルであるととらえなおすことができます。ファイルとは、情報(データ)のひとまとまりのこと であり、それは、見だし、日付け、データ本体からなります。
パソコンの1つ1つのファイルがまさにファイルであり、あるいはブログの1記事がファイルです。「京大型カード」の仕組み・原理をふまえて、現代では、カードはつかわずにファイルをつくればよいのです。
パソコンでファイルを日々つくっていけば、自動的にファイルは蓄積されます。ブログをつかうと効率的です。ワープロその他のアプリをつかってもよいです。
そしてファイルの見出しやキーワードにもとづいて「こざね法」を実践すれば中身のこい文章が書けます。
このように、カードとはファイルのことであり、今後は、カードという外形・形態にとらわれるのではなく、その仕組み・原理を理解し、ファイルの操作・活用をしていくことが重要でしょう。
したがって、「知的生産の技術」の3段階はつぎのようにとらえなおすことができます。
1.ファイルをつくる
2.ファイルを操作・結合する
3.文章化
「知的生産」の原理は、現代の情報産業社会でこそ役にたつとかんがえられます。
11. 研究開発の過程をしめしながら原理をかたる
(2014.11.26)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』の「おわりに」で、梅棹さんはつぎのようにのべています。
このシステムは、ただし、まったくの未完成のシステムである。社会的・文化的条件は、これからまだ、めまぐるしくかわるだろう。それに応じて、知的生産技術のシステムも、おおきくかわるにちがいない。ただ、その場合にも、ここに提示したようなかんがえかたと方法なら、じゅうぶん適応が可能だとおもうが、どうだろうか。
本書のかんがえ方と方法で適応が可能だとおもいます。
人類は、1990年代に情報化を本格化させました。情報革命は今後ともすすみ、情報産業社会はおおきく発展するでしょう。
しかし、本書を通してあきらかにされた「知的生産」のかんがえ方については今後とも変わらず、この原理は普遍的なものとして時代を超越していくとかんがえられます。たしかに、つかう道具はあたらしいものに変わりますが、ここにしめされた原理をつかっていれば、あたらしい時代にも適応ができるとおもいます。
本書が発行された1960年代といえば、まだ、工業化のまっただなかにあり、情報産業社会の到来、高度情報化についてはほとんどの人は意識していなかったとおもいます。しかし梅棹さんは、知的生産の研究開発を通して、その原理に気がつきました。今日からみれば、情報化のパイオニアであったとかんがえられます。
*
梅棹さんは、本書において、みずからの研究開発の過程を、その第一歩からくわしく書いて、そのなかで知的生産の原理についてかたっています。意識して筋道を書いて、技術の発展史とともにその原理をかたっているのです。本書が47年間も読みつがれ、ロングセラーになっている理由がここにあるのだとおもいます。
これがもし、研究開発の結果や最新の成果だけを書いたとすると、それは、2〜3年たつとふるくなって役にたたなくなってしまいます。
梅棹さんの書き方は、文章の書き方のひとつのモデルとしてつかえます。つまり、研究開発の過程も書いてよいのです。むしろ、そのようなみずからの実体験を具体的にしめして、自分があるいてきたその道のりを通して、原理や本質をかたった方が、メッセージはつたわりやすいのだ とかんがえられます。
データと原理を教科書的にのべるのではなく、物語としてかたります。すると、それからどうなったのか、誰もが知りたくなります。その先の進歩については、今日のわたしたちが知っているとおりです。そして物語は、さらに未来にむかってつづいていきます。
このような意味で、『知的生産の技術』は、情報化の最初の一歩の物語でもあったのです。情報産業社会は今後とも大きく発展するでしょうが、本書は、知的生産あるいは情報処理に関する古典として、後世まで読みつがれていくことでしょう。
12. 旅行とともに知的生産の技術を実践する
(2014.11.28)
梅棹忠夫著作集『知の技術』 (梅棹忠夫著作集第11巻)には、岩波新書の『知的生産の技術』のほかに、「「知的生産の技術」の前後」、「知的生産の展開」、「フィールドでの知の技術」がおさめられています。
『知的生産の技術』のあとに、梅棹さんが、ワープロ、パソコン、口述筆記という、現代にも通じる知的生産の技術にとりくんだことが記録されています。
口述筆記については、梅棹さんが はからずも視力をうしなったために、周囲の人々に協力してもらって はじめたところ、原稿執筆や本の出版の速度がそれ以前よりもとても速くなったということです。
口述筆記は、今日では、スマートフォンをつかえばできるので、かなり多くの人々がとりくむようになりました。たとえば、講演録などをつくるときに、講演そのもは会場で録音して、オフィスにもどってその録音を聞きながら、今度は、文字におこすために、スマートフォンにむかってできるだけ正確にしゃべる、という方法がよくもちいられているようです(アップルストアの話)。
また、「フィールドでの知の技術」では、探検とは何かについてくわしくかたるとともに、特に、旅行やフィールドワークさきでの写真撮影についてページをさいています。写真は、現場での貴重な記録であり、つかいかた次第では非常に大きな効果を生みだすことになります。
本書をよんで、知的生産は、それ単独で効果をあげるというものではなく、旅行やフィールドワークとむすびついたときに大きな成果が生みだされるということがよくわかりました。
13. 「知的生産の技術」も情報処理になっている
(2014.12.17)
人がおこなう情報処理の過程
人がおこなう情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点から「知的生産の技術」を整理するとつぎのようになります。
インプット:観察する、本や資料を読む、発見する
プロセシング:かんがえる、ひらめく
アウトプット:メモをとる、文章を書く
インプットとは、目や耳などの感覚器を通して、自分の意識のなかに情報をとりいれる場面です。具体的には、見たり、読んだり、聞いたりすることです。プロセシングとは、入ってきた情報を選択したり、記憶したり、整理したり、組みかえたり、編集したりすることです。アウトプットは、言葉や絵などを書きだす場面であり、具体的には、メモをとったり、日記や手紙、記録などの文章を書くことです。単語一語を書きだすような簡単なメモであっても、アウトプットになっていることに注意してください。
たとえば、「観察した →『これだ!』とおもった → 単語一語のメモをとった」という過程があったとします。これも情報処理の3場面(インプット→プロセシング→アウトプット)になっています。
「これだ!」とおもったいうことは、自分の意識に変化がおこって、自分独自の情報選択をしたのであり、プロセシングがおこったことになります。
梅棹さんは「発見をとらえる」ということを重視しています。発見をとらえて記録するということは、初歩的ですが重要な情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)になっています。
スマートフォン、パソコン、ドキュメントスキャナー
このような情報処理のために必要な道具は、現代では、スマートフォン、パソコン、ドキュメントスキャナー です。わたしの場合は、iPhone、MacBook Pro、ScanSnap をつかっています。そして、スマートフォンとパソコンはクラウド(インターネット)でつながっていることが必要です。
スマートフォンは、旅行やフィールドワークなどの現場でおもに役にたち、パソコンはオフィスで役にたちますが、クラウドが普及した現在では、それらの区分を明確にする必要はありません。その場に応じて、つかいやすい方をつかえばよいでしょう。
情報処理によってファイルができる
このような道具をつかって情報処理をおこなっていれば、情報処理をするたびに(アウトプットをおこなうたびに)ファイルが形成されます。
「知的生産の技術」で「京大型カード」や「こざね法」の紙きれをつくるということは、現代的にとらえなおせばファイルをつくるということでり、カードや紙きれを操作し組みかえるということは、ファイルを操作し組みかえるということです。そして、その結果を文章としてアウトプットしていくわけです。
たとえば、iPhone のボイスメモ機能をつかってメモをとった場合(口述筆記をした場合)、1個のファイルが形成されます。あるいは、Mac のワープロで文章を書きだした場合も1個のファイルが形成されます。
それぞれのファイルにはファイル名(見だし)をつけます。各ファイルは、ファイル名(上部構造)と情報の本体(下部構造)とからなります。コンピューター・ファイルはファイルそのものです。ファイルは、1ファイルにつき1メッセージの原則をまもります。
このようにして、情報処理を1回おこなうごとに1個のファイルが形成され、情報処理をおこなえばおこなうほど(アウトプットをだせばだすほど)、ファイルが蓄積していきます。パソコンには検索機能がありますので、情報の検索もできます。
特に有用なファイルについては、ブログやフェイスブック、ウェブサイトなどにアウトプットをしていくとなおよいです。ファイルはどんどん蓄積され、検索もできます。ブログの場合は1記事が1ファイルになり、1記事1メッセージの原則をまもるようにします。
追記1:アウトプットに必要な時間を確保する
(2015.3.6)
本書でいう「知的生産」を情報処理の観点からとらえなおしてみると、よくできたアウトプットを知性をつかって生産的にすることであるとかんがえられます。
情報処理〈インプット→プロセシング→アウトプット 〉をわたしたちはつねにおこなっています。人を、情報処理をする存在としてとらえた場合、知的生産はアウトプットにあたります。わたしたちはこのアウトプットにもっと労力をそそがなければなりません。知的生産をするとはそういうことでしょう(図1)。
図1 力づよいアウトプットをする
(インプット→プロセシング→アウトプットは情報のながれ)
具体的にとらえると、見たり読んだり発見したりすることは情報をインプットすることです。インプットされた情報を理解することなどはプロセシングです。記録をとることはアウトプットすることです(図2)。
図2 情報処理の具体例
いわゆる学ぶということはインプットとプロセシングにあたります。学ぶことは非常に大切なことですが、一方でアウトプットがないと、ひたすらただ学ぶだけでおわってしまうということになりかねません。たとえば学校教育はインプットに極端にかたよりすぎているようにおもいます。あるいはテレビを見ているだけだとインプットだけでおわってしまいます。
そこでアウトプットにもっと力をいれようということになります。梅棹忠夫さんの「知的生産」という言葉からはそのようなメッセージがよみとれます。
初歩的なアウトプットは記録するということ であり(図2)、記録のためには手帳・ノート・カード・スマートフォンなどをつかいます。『知的生産の技術』の「発見の手帳」の説明はおもしろいです。
そして記録を蓄積したらそれらを処理して日本語で文章を書きます。そのプロセシングでは「こざね法」が役立ちます。「こざね法」とはファイル操作を補助し文章化をすすめるための手段としてつかえます。
インプットの効率をあげてそれにかける時間をすくなくし、アウトプットにもっと時間をさいて知的生産を積極的におこなったほうがよいでしょう 。アウトプットに必要な時間を意識的に確保していかなければなりません。アウトプットをすることにより、さかのぼって理解も一層ふかまります。
アウトプットに重点をおくことはオリジナルな自分のメッセージをつたえることに通じます。オリジナリティをみがきながら生産的な日々をすごしていきたいものです。
追記2:ファイルと情報処理
(2018.7.4)
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)は「発見の手帳」からはじまります。今日では、「発見の手帳」はスマートフォンになりました。日常のなかで、散歩をしならがら、旅行をしながら、あるいはイベントなどにいって、発見したことはすかさずメモをとるようにします。
メモとはおぼえ書きであり、その場の状況や見たり聞いたりしたこと、ひらめいたことなどの要点のみを書きとめます。その時その場のできごとのすべてをその時その場で文章化するのではありません。体験したこと(体験情報)の要点のみを記録するのであり、体験情報のひとまとまりごとに1点のメモをとるのが理想です。体験情報のひとまとまりを球にモデル化すると図3のようになります。
図3 体験情報とメモ
つぎにカードのつかい方です。今日では、カードのかわりにブログがつかえます。ブログは、見出しと記事本文からなり、1記事1項目で書きます(ひとまとまりの内容を1本の記事にします)。これはカードの形式とおなじです。ブログには、カテゴリやタグ、キーワード検索などの機能がそなわっており、紙のカードよりもはるかに便利です。ブログを書いていれば個人アーカイブがおのずとできあがっていきます。1記事(情報のひとまとまり)を球にモデル化すると図4のようになります。
図4 ブログ記事の構造
情報のひとまとまりは情報用語をつかうと「ファイル」ということができます。図3と図4はファイルの構造であるわけです。ファイルは、上部構造と下部構造からなりたっていて、上部構造は要点・要約、下部構造は情報の本体ということになります。コンピューター・ファイルがまさにこのようになっています。
文章化の方法については「追記3」を参考にしてください。文章を書くということは、人間主体の情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)におけるアウトプットをするということです。
このような、ファイルと情報処理の仕組みが理解できれば知的生産活動は確実にすすみます。ブログは、ファイルづくり、アーカイブづくり、アウトプットが同時にできるのでたいへん有用です。あとは、紙の資料をデジタルデータ化できるドキュメントスキャナーがあればなおよいでしょう。
スマートフォン(とパソコンあるいはタブレット)があって、インターネットにつながっていれば知的生産活動がどこでもできる便利な時代になりました。そしてずいぶんシンプルになりました。
▼ おすすめドキュメントスキャナー
※ ほとんどすべての紙の資料(書籍をふくむ)をわたしはデジタル化(ファイル化)しています。スキャニングできない大きな資料は写真をとってファイル化しています。このスキャナーはコスパにすぐれ故障もせずとても便利です。5年間つかっています。
▼ おすすめ裁断機
※ スキャニングする際に、書籍や冊子を裁断するためにつかいます。以前は、リングカッター式のものをつかっていましたが一度に大量の裁断ができず、手もいたくなるのでこれに買いかえました。コンパクトで場所をとらず、コスパにもすぐれ便利です。3年間つかっています。
追記3:並列的な編集から直列的な表現へ
(2018.6.20)
『知的生産の技術』は、含蓄のある言葉がたくさんちりばめられていて、いま読んでもためになる本です。とくに、第11章(最終章)「文章」は、文章化(作文)をすすめるうえでとても参考になります。
ただしこの本が出版された当時は情報処理という用語が一般的ではなかったためか、人間主体の情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)という観点からの説明は不足しているようにおもいます。
そもそも「知的生産」とはよくできた知的なアウトプットをだすことです(図5)。そのためには、インプットとプロセシングが前段階として必要です。インプットとは見たり、聞いたり、読んだり、嗅いだり、味わったりすることです。プロセシングとは、イメージしたり、記銘したり、想起したり、アイデアをおもいついたりすることです。
図5 知的生産とはアウトプット
そして文章を書くこと(作文をすること)はアウトプットのなかのもっとも重要な方法です(図6)。
図6 文章をアウトプット
しかし文章を書く(打つ)という作業がやっかいな場合があります。かんがえがまとまらず、すらすらと書けないことがあります。そのようなときのために梅棹忠夫さんが提案したのが「こざね法」です。
まず、小さな紙きれ(今日では付箋がつかえます)に、主題に関係のあることがらを1枚1項目でどんどん書きだしていきます。ひととおりでつくしたら、それらの付箋を机のうえにおいて、つながりのある付箋をいっしょにならべます。論理的にまとまりのある一群の付箋のあつまりができたら、それに見出しをつけていきます。いくつもの見出しができたら、それらを見ながら文章全体として構成をかんがえます。
このような作業は並列的な編集をすすめることだといってよいでしょう。どうもうまく書けないというときにはやってみる価値があります。学校の作文やレポートなどのためにもつかえます。
このような並列的な編集によってかんがえがまとまるとおのずと文章は書けてしまいます。文章とは、前から後ろにながれていくものですから、文章化とは直列的な表現といってよいでしょう。
すなわち文章を書くという行為は、「並列的な編集」→「直列的な表現」という順序・構成になっているわけです。並列的な編集は空間的な作業、直列的な表現は時間的な作業といってもよいです。
並列的な編集 → 直列的な表現
空間的な作業 → 時間的な作業
並列的な編集については、なれてきたら心のなかでやってしまってもよいです。その場合でも、心のなかに大きな空間をつくって、そのなかでイメージを操作していくということになります。
*
わかりやすい文章を書くためにはとにかく練習が必要です。練習の第一歩は、質より量の戦略でとにかく書きはじめることです。そして速く書く練習をくりかえします。
また主題(テーマ)をかならず決めてから書くようにします。主題を決めて、ニーズにあった文章を書くように心がけます。そうすれば、関心・興味・集中で文章はふくらんでいきます。
文章とは普通は、何らかの体験にもとづいて書かれますので、現場体験を想起することも重要です。それまでは何気なく見ていた物事を文章化によって意識化するようにします。
そのとき、いろいろな体験のそれぞれをひとまとまりでとらえるようにするとよいです。体験のひとまとまりが情報のひとまとまりになり、情報用語でいうとそれはファイルということになります。
いくつものファイルをつくり、さらにそれらをくみあわせて言語にしていきます。あれもこれもということではなく、情報を圧縮・統合して書きだすようにします。アウトプットの本質は情報の統合にあります。
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体験情報の処理をすすめよう 〜梅棹忠夫著『情報の文明学』〜
イメージ能力と言語能力とを統合して情報を処理する 〜 梅棹忠夫著『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた』〜
情報の本質はポテンシャルである 〜梅棹忠夫著『情報論ノート』〜
情報の検索システムをつくる 〜梅棹忠夫著『メディアとしての博物館』〜
書くというアウトプットには3つのレベルがある
自分のファイルを成長させる
*
自分の足であるいて、かんがえる -『梅棹忠夫 語る』(1)-
誰が読んでもわかるように書く -『梅棹忠夫 語る』(2)-
スケッチと写真をつかいわける -『梅棹忠夫 語る』(3)-
情報産業時代の大局をとらえて情報処理技術を実践する -『梅棹忠夫 語る』(4)-
フィールドワークをすすめながら思索をふかめていく -『梅棹忠夫 語る』(5)-
未知なるものへのあこがれ -『梅棹忠夫 語る』(6)-
▼ 参考文献